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スキタイ人は、サイス人、古典的スキタイ人やポントスキタイ人とも呼ばれ、古代東イラン騎馬遊牧民で、主に現在のウクライナと南ロシアに相当する地域に住み、前7世紀頃から前3世紀頃までポントス草原の領土(彼らの名をとってスキシアまたはスキティカと呼ばれる)を支配していた。

スキタイ人は、王族スキタイ人と呼ばれる戦士貴族に率いられていた。スキタイは騎馬戦に最も早く取り組んだ民族で、紀元前8世紀にはキンメリア人に代わってポントス草原を支配する勢力となった。

紀元前7世紀、スキタイ人はコーカサス山脈を越え、キンメリア人と共に西アジアを頻繁に襲撃し、この地域の政治発展に重要な役割を果たした[。メディア人によって西アジアから追放されたスキタイ人はポントス草原に退き、その後、東に住むイラン系のサルマティア人に次第に征服されていった。

紀元前2世紀末、ヘレニズム化したスキタイ人の首都であるクリミア半島のスキタイ・ネアポリスがミトリダテス6世に占領され、彼らの領土はボスポロス王国に編入された。

紀元3世紀にはスキタイ人とスキタイ人の最後の生き残りがゴート族に圧倒され、中世前期にはスキタイ人とスキタイ人は初期のスラヴ人にほぼ同化され吸収された。




6: 世界@名無史さん 2013/05/18(土) 00:02:15.93 0
スキタイ人はヘロドトスの時代にスキュティア(ウクライナ)にいた人々。
遊牧系と農耕系があり、遊牧系はイラン系、農耕系はスラヴ系。

以上。

7: 世界@名無史さん 2013/05/18(土) 00:28:58.86 0
好きタイ人って世界史の教科書とかで漠然とした印象しかなかったが、それがイメージ化できるようになったのは岩明均先生の「ヒストリエ」のお蔭です・・・感謝してます

8: 世界@名無史さん 2013/05/25(土) 00:56:07.77 0
スキタイ人は遊牧民だけとは限らない
農耕民もスキタイ人

「スキタイ人」とはスキュティアつまり今でいうウクライナの人々の意味

9: 世界@名無史さん 2013/05/25(土) 01:03:37.57 0
農耕スキタイと農民スキタイの違いがよく分からない

10: 世界@名無史さん 2013/05/25(土) 01:15:01.26 0
それはプロでもわからない
史料が少なすぎて

おそらく地方的な文化習俗の違いによるものだろう
ウクライナ北半を中心に生活していた農耕スキタイはチェルノレス文化の本流で原初のスラヴ語の人々の伝統的な様式
生業も輸出穀物の栽培
農民スキタイは彼らと血統は基本的に一緒で言語系統も同じだが、黒海沿岸でギリシャ文化を受け入れてギリシャ風の様式
生業は主に穀物を扱う運送業や商業

11: 世界@名無史さん 2013/05/25(土) 01:16:37.36 0
チェルノレス文化も原初のスラヴ語と言えるかどうか微妙
実際はもっと古い、トシュチニェツ文化とコマロフ文化の文化複合の時代がスラヴ語の原初と言えるかも

12: 世界@名無史さん 2013/05/25(土) 06:58:55.43 0
歩兵のキンメリアは騎馬のスキタイに歯が立たず追い出されたという
キンメリアは騎馬ではなかったという説が出ているが、カフカース越えを馬車と歩兵でやったというのは無理だろう。
後のスキタイほど派手には暴れてはいないがウラルトゥやフリギアをフルボッコしている

キンメリア人

カフカスとアゾフ海の北部に居住していた民族。キンメルCimmer, Kimmer人ともいう。
その起源は明らかでないが、スキタイに追われて、紀元前8世紀末にアナトリア方面に進出したと考えられる。言語学的にみると、キンメリア人はイラン系に属すると考えられるが、その故地についてはいまだに定説がない。


13: 世界@名無史さん 2013/05/25(土) 10:39:51.27 0
キンメリア人はチャリオットぐらいは使っていただろう。

トシュチニェツ=コマロフ文化複合の研究が盛んになって判明したことは、おそらくキンメリア人はスラヴ人の先祖の一つだろうということ。
トシュチニェツ文化がスラヴ人の本流系で、コマロフ文化がキンメリア系。
後にこれは文化複合をなし融合してしまい、チェルノレス文化(農耕スキタイ=ウクライナ北半のスラヴ人)となる。

14: 世界@名無史さん 2013/05/25(土) 15:48:58.78 0
山地越えは騎馬より徒歩のが容易でしょう
馬車を解体して運ぶのは面倒臭いが

15: 世界@名無史さん 2013/05/25(土) 16:12:05.19 0
キンメリア以降、カフカースを越えて進軍したスキタイ、フン、モンゴル、ティムールに至るまで主力は騎馬の軍。
歩兵で進んだら進軍に時間がかかり相手に準備の時間を与えてしまうし、兵糧的にも持たないのでは

16: 世界@名無史さん 2013/05/25(土) 16:31:23.10 0
スキタイ以降はカフカス山脈の北に遊牧国家しか無かったし、カフカスを迂回すればより移動運搬の労力と時間が掛かってしまうかと

17: 世界@名無史さん 2013/05/26(日) 00:14:27.34 0
カフカス(コーカサス)はあの時代には交易ルートが確立していた
マイコープ文化やクロ・アラクセス文化(別名トランスコーカサス文化)がそれより前の時代に栄えていた

人類で初めて車輪を開発したのがクロ・アラクセス文化

20: 世界@名無史さん 2013/05/26(日) 07:59:10.19 0
スキタイの前のキンメリアは系統不明

21: 世界@名無史さん 2013/05/26(日) 10:39:43.14 0
結論はまだ尚早だが、記録された単語からキンメリア語はイラン系とみられてはいる

22: 世界@名無史さん 2013/05/29(水) 16:23:10.39 0
ここがこんなに盛り上がってるのもへロドトスがスキュティアを大分ひいきして書いたからか、

26: 世界@名無史さん 2013/06/22(土) 08:15:00.95 0
>>22
ヘロドトスはいかにも東方らしい遊牧系スキタイ(イラン系?)の習俗に興味を持っていたが、同時に農耕系スキタイ(スラヴ系)の住むスキュティアの土地の豊かさにも憧れていた。
世界で最も肥沃な農地、黒土地帯というやつ。

27: 世界@名無史さん 2013/07/16(火) NY:AN:NY.AN 0
現在のイラン系とスラブ系とを「スキタイ」で括っている理由は何だろうね。

29: 世界@名無史さん 2013/07/20(土) NY:AN:NY.AN 0
>>27
「スキュティア人」だから
スキュティアは地方名(いまのウクライナ)
つまり「スキュティア地方の人々」の意味
つまりスキタイは特定の民族名ではなく、今のウクライナの住民の総称

30: 世界@名無史さん 2013/07/20(土) NY:AN:NY.AN 0
>>29
古代において「スキュティア」とされた地域は今のカザフスタンやアフガニスタンまで広がっているので「今のウクライナの住民の総称」とはいえない。

31: 世界@名無史さん 2013/07/20(土) NY:AN:NY.AN 0
その辺までいくと「サカ」「サカイ」になる。
サカ (Saka) は、紀元前6世紀頃から中央アジアに現れるイラン系遊牧民族。
サカとはペルシア側の呼び名で、古代ギリシアではサカイ (Sakai) と呼んだ。また、中国の史書では塞(そく[1])と呼ばれる種族がサカにあたるとされるが異論もある。


34: 世界@名無史さん 2013/07/21(日) NY:AN:NY.AN 0
>>31
ヘロドトスは「スキタイ」と「サカ」は単にギリシャとペルシャでの呼称の違いといっている。
『歴史』7巻64節
「この民族はスキュタイ人なのであるが、「アミュルギオンのサカイ人」とよばれていた。
ペルシア人はスキュタイ人をすべてサカイ人と呼ぶからである」

33: 世界@名無史さん 2013/07/21(日) NY:AN:NY.AN 0
種族名より地名が先だったとしたらそもそも何で「スキュティア」という地名が付いたん?

44: 世界@名無史さん 2013/10/21(月) 01:16:55.59 0
>>33
何かを投げるとか撃つとかいう意味の印欧祖語から
つまりスキタイとは日常的にしょっちゅう弓矢を使ってる人々とかいう意味
ペルシャあたりの人々は農耕をしていたため弓矢は戦争の時しか使わないが、北方のステップの人々は弓矢を日常的に使う
そのため弓矢を使う人々の国々のある地方を纏めてスキュティアと呼んだ

したがって地名が先

48: 世界@名無史さん 2013/10/22(火) 07:21:33.50 0
>>44
アシュクテルとかだっけ? なんの本か忘れたがそんな感じの古語が紹介されてた気がする
末流の英語だと"shoot"にあたるもんだと補足されてたような

49: 世界@名無史さん 2013/10/22(火) 07:30:28.59 0
Proto-Indo-European: skeud-
English: sheet, shuttle, shoot
French: escot
High German: scuz
Polish: strzelac
Norse: skuta

51: 世界@名無史さん 2013/10/31(木) 16:07:18.77 0
射手座をラテン語でサジタリウス(Sagittarius)というのも同じだな
スキタイ、アシュケナジム、アシュグザーヤ、ソグド、サカ、塞、みな同じ

ギリシア語で語尾のai,oiは「○○族、○○人」だから
スキト・アイでスキタイ、ソグド・オイでソグドイ、サカ・アイでサカイ
スキタイの住む土地(ia)がスキティア

52: 世界@名無史さん 2013/10/31(木) 19:22:39.68 0
アシュクザーヤってアッシリア人が記録したスキタイの呼称だよな
アシュケナズは聖書の創世記でヤペテの子ゴメルの子孫として出てくるな
要するにセム系の連中は、印欧語のスキタイ人らが「射手」と自称してるのを呼び名にしたのかな?
ギリシャ人やペルシャ人による呼び名なら、同じ印欧語だから自称じゃなかったとしても問題ないんだが

38: 世界@名無史さん 2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN 0
中国の史書に現れる「塞」はペルシャの言う「サカ」とは被るが、黒海北岸のギリシャ表記の「スキタイ」まで範疇には含まれないだろう。
仏陀が黒海北岸のスキタイが出自であるとは言わないように。

39: 世界@名無史さん 2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN 0
中国の史書に現れる「塞」が征西してスキタイになった。
ブッダの遠い祖先に当たる民族集団が居たのはインド北西部からパキスタンに掛けて

41: 世界@名無史さん 2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN 0
釈迦族=サカ=スキタイ?

53: 世界@名無史さん 2013/11/01(金) 01:46:02.60 0
>>39-41
「塞(サカ)」が中国の史書に登場するのは漢書で、史記には一切見えない
彼らは現キルギス北部にいたが、前176年頃に月氏が匈奴に敗れて西へ遷り、塞を打ち破った
まもなく烏孫が月氏を破ってさらに西へ追いやり、塞は月氏や烏孫に従属した
彼らがイラン南東部(シースターン)に来るのは前128年で、パンジャーブには前63年にやっと来ている

しかし釈迦が活動したのは前5世紀で、全く年代が違う
スキタイは前8世紀にはコーカサス地方に、前7世紀末にはウクライナに来ている
従って、釈迦族は(少なくとも文化的に)アーリヤ人の末裔とは言えるが、塞(サカ)の末裔では全くない

55: 世界@名無史さん 2013/11/01(金) 19:54:30.90 0
>>53
サカイと塞は同じ民族を指す。
また考古学的にペルシャ帝国を建国したアーリヤ人がシンドへ移動した形跡は無く、釈迦族は文化的にも遺伝的にもアーリア人の末裔ではない

56: 世界@名無史さん 2013/11/01(金) 21:57:08.36 0
ペルシャの記録ではマッサゲタイ・サウロマタイ・スキタイを一括して"サカ"と記述している

57: 世界@名無史さん 2013/11/01(金) 22:19:10.88 0
ダレイオスの碑文には、東から
サカ・ハウマヴァルガー:ハオマ(麻薬酒)を飲むサカ(中央アジア東部)
サカ・ティグラハウダー:尖がり帽子のサカ(キュルバシアを被るアミュルギオンのスキタイ)
サカ・パラドラヤ:海/大河(ダリヤ)のかなたのサカ(カスピ海や黒海の北方のスキタイ)
の三種のサカが挙げられており、スグダ(ソグド)は別に挙げられている
尖り帽子のサカの一部はダレイオスの即位時に敵対しており、その王が捕縛された姿で描かれている

62: 世界@名無史さん 2013/12/08(日) 15:20:16.80 0
ウクライナ人が一部のスキタイ人の子孫というのは違和感ありまくり。

70: 世界@名無史さん 2013/12/11(水) 01:05:43.68 0
地味にアッシリアにも侵入してたよね

71: 世界@名無史さん 2013/12/16(月) 00:41:38.62 0
アッシリアどころかエジプト国境まで押し寄せてファラオは黄金差し出してお引取り願った。
その後オリエントに居座ってヒャッハーと略奪三昧だったが、メディア王キャクサレスが宴会においてスキタイ王マデュエスを謀殺、スキタイの残党はリュディアへ逃げ込んだりカフカス山脈の北へ逃げ帰った。

72: 世界@名無史さん 2013/12/16(月) 08:33:04.15 0
ウクライナの本流がスラヴ系農耕民文化、傍流がスキタイ系遊牧民文化か

73: 世界@名無史さん 2013/12/16(月) 19:50:43.37 0
オセチア人とその周辺民族あたりがスキタイ人の末裔と言えば末裔だろう。
イラン系はオセチアしかいないから、他は非イラン系に吸収されたと考えられるかな。

74: 世界@名無史さん 2013/12/17(火) 09:47:19.75 0
オセット人はむしろサルマタイの一種だろう?

75: 世界@名無史さん 2013/12/17(火) 09:49:58.33 0
オセットの起源はマッサゲタイでスキタイとは別種。
スキタイと対立していて、スキタイを西へ追いやった。

76: 世界@名無史さん 2013/12/17(火) 11:25:58.86 0
広い意味でのスキタイ(サカ)の一種じゃないかな
言語的・文化的には似たようなもんだ

77: 世界@名無史さん 2013/12/17(火) 13:27:19.62 0
広義のスキタイとはスキュティア(ウクライナ)に住むあらゆる民族でそこには古スラヴ人や古バルト人も含まれる。
民族としてのサカ人(サカイ、後のスキタイ)はもともとマッサゲタイよりも東方にいた。マッサゲタイとは別種。
マッサゲタイに攻め続けられた結果多くがマッサゲタイを迂回してヴォルガ川を渡りカスピ海の西に落ち着いた。

78: 世界@名無史さん 2013/12/17(火) 13:30:58.83 0
(マッ)サゲタ(イ)

ソグド人か?

84: 世界@名無史さん 2013/12/20(金) 13:06:45.15 0
>>78
マッサゲタイのマッサは偉大なと言う意味。
ゲタイはゲト人。紀元前後に欧州北部に居たゲト人とは同名異種。

86: 世界@名無史さん 2013/12/20(金) 19:11:48.58 0
「偉大なゲト人」
さてどんな民族・人種だろう?
欧州北部のゲト人はゴート人のことだろう。


88: 世界@名無史さん 2013/12/20(金) 19:21:15.01 0
ゴート人は牧畜民のゲルマン系でイラン系のマッサゲタイの遊牧民とは文化風習がかけ離れている。

89: 世界@名無史さん 2013/12/20(金) 19:21:38.24 0
ゴート人は古ゲルマン語の部族と古スラヴ語の部族の混交。
古スラヴ語の部族である古ヴァンダルの地域のうち砂地が多く農業に適さない為人口が希薄な北部に西隣のドイツ北部ゲルマン祖語の部族がやってきて定着して混交してゴート人となる。

91: 世界@名無史さん 2013/12/20(金) 19:25:06.92 0
匈奴や烏桓が鮮卑に、契丹がモンゴルに飲み込まれたように、ゴートやスキタイ、フンも出自は様々じゃね

引用元: ・★スキタイ人はどんな遊牧民族なの? 第5章★