1: 人間七七四年 2009/05/18(月) 03:37:46 ID:aGxTIWvm
講談やゲームの影響で秀吉に手玉に取られた猪武者と思われがちな名将を語れ。








3: 人間七七四年 2009/05/18(月) 12:44:50 ID:eWyivd+B
秀吉視点で損してるけど、十分以上に優秀な家老、軍人、人望
お市がいっしょに死んでくれるほど。
魅力があったんじゃないか。

5: 人間七七四年 2009/05/19(火) 20:24:50 ID:l2iPHpp3
でも野心丸出しで台頭してきた家康に同盟申し込んだけどナァナァであしらわれたよね。
あの頃の秀吉同様、家康も神掛かってた時期なんだけど(利用できるものは信雄でも利用してたたけど)
同盟して秀吉に対抗できるほどの器量でもないし、たいして利用価値もないと見切られちゃったのが権六の器量をあらわしてるんじゃないの。
信長の下でなら名将といっていい働きをしたけどね。でもそれだけ。

6: 人間七七四年 2009/05/19(火) 20:57:11 ID:f6Fit6pX
つーかあの当時の家康は、織田家内部の紛争には、局外中立の立場だっただけで。
自分の新領地もまだ不安定なのに、不安定をほっておいて他所に手を広げるようなアホな真似をする家康じゃ無いよ。
勝家の器量と言うより家康の都合だわな。

7: 人間七七四年 2009/05/20(水) 01:21:58 ID:Rz43HEEt
勝家や佐々や佐久間は乱世には向いてない感じがする
真面目すぎたような

逆に秀吉家康利家などはのし上がる為ならなんでもする
乱世向きの武将

8: 人間七七四年 2009/05/20(水) 05:14:06 ID:mClLHOB6
実際のところ、猛将といわれる割に華々しい戦がないし。
どっつかっつーと伊勢撤退戦のときに負傷してやられかけたとか……
有名な甕割りの逸話はもろ創作だし。

10: 人間七七四年 2009/05/20(水) 08:49:58 ID:LfSHvf8Q
>>8
んなこたない。派手な奇策や大逆転といった講談向きの話だけが「軍功」ではない。
きっちりと堅実に戦果を挙げるのも重要な軍功。
常に先陣などの重要な役割を任されて、かつ織田軍は着実に勝利を重ねたのだから、勝家が優秀な指揮官であったという評価は間違いではない。

12: 人間七七四年 2009/05/20(水) 10:40:13 ID:obBi3uY8
>>10
たしかに勝家は有能は有能だろうけど「猛将」と言われるほどの軍事功績があるかと言われると疑問符は付く。
これは福島正則のスレでも似たようなこと書いたことあるけど、少数で多数の軍を猪突猛進で打ち破ったくらいの講談向きな「軍功」がないと「猛将」とは呼びづらい。
勝家には「甕割り」とか「かかれ柴田」などの逸話はあるけど、勝家や福島は軍功そのものよりも本人の剛毅な性格が「猛将」と呼ばれる所以なんじゃないかな。

ただ福島は好きじゃないけど勝家は割りと好きなのは、福島は偉そうな事を言っておいて形としては簒奪者(家康)に擦り寄った印象があるのに対して勝家はあくまで簒奪者(秀吉)に立ち向かったイメージのせいなのかなあ?

11: 人間七七四年 2009/05/20(水) 10:15:55 ID:Vlc2uO4V
越前一国を任せられた器量は評価してくれ。

13: 人間七七四年 2009/05/20(水) 12:31:27 ID:LfSHvf8Q
まあ「猛将」は江戸時代に作られたイメージだろうね。
江戸時代は神君家康↑、相対的に秀吉↓、さらに相対的に勝家↑という構図だしね。

14: 人間七七四年 2009/05/20(水) 13:01:06 ID:0JgEhav0
そういえば江戸期の元禄くらいに評価されてた武将と言うのは、明智光秀、柴田勝家、石田三成
だったそうな。
三人とも天下分け目の戦をしたから、だそうな。

15: 人間七七四年 2009/05/20(水) 19:24:31 ID:FQa5rszo
勝家が簒奪者に立ち向かったって・・・

各将の思惑はどうあれ、一応形式上は当時織田家の政策決定会議だった清洲会議を反故にしてるし、信孝より織田家一門の序列が上だった信雄(更に信包)を会議でもろに蔑ろにして自分と親しい信孝を推し、その後信孝以外の主要な織田家一門衆や織田家の家老や譜代衆、信長側近だった稲葉・細川・蒲生などと敵対。
清洲会議の決定を反故にして三法師を譲り渡さない信孝に肩入れ。
なりふりかまわず織田家と敵対勢力のはずの長宗我部や雑賀衆らと同盟。
どうみても織田家内部の派閥抗争です。
勝家がその派閥抗争にもし勝っていたら秀吉同様簒奪者にならなかったという確証がどこにあるのやら。
どうみても勝家も野望を持ってあの派閥抗争に臨んでいったようにしか見えん。

18: 人間七七四年 2009/05/21(木) 00:23:35 ID:BE/5fJE8
>>15
だから勝家も秀吉同様織田家の存続よりも自分の領地と影響力の拡大と派閥闘争にあけくれてたってだけでしょ。
それが秀吉だけ簒奪者で勝家だけ織田家の守護者みたいに言われるのはおかしいよね。

20: 人間七七四年 2009/05/21(木) 00:37:19 ID:nGe8+kX5
>>15
そういうイメージが広まっている、って話でしょ。事実がどうかでなくて。

22: 人間七七四年 2009/05/21(木) 01:01:35 ID:1JP/Tgex
領国経営に加えて、北陸の一揆を平定して、上杉をあそこまで追い詰めたんだから十分華々しいだろ。
そりゃ功績でいえば秀吉より上だわな。

24: 人間七七四年 2009/05/21(木) 10:08:36 ID:FpU7JmlF
良い家臣になれても良い勢力の長にはなれなかったタイプだな。
指導してくれる人がいるうちはいいが。それがなくなるとどうしていいのかわからなくなる。
それだけ毒気がなかったってことなんだろうが。

25: 人間七七四年 2009/05/21(木) 15:01:56 ID:yUyUgntQ
家臣の意味を知っていたのでしょう
皆が主やTOPを目指しているわけではないよ
そこに譜代武将としての潔さや美しさを感じるのです
大きな大名家には必ず存在するタイプの人ですけどね

29: 人間七七四年 2009/05/22(金) 07:01:10 ID:I/ZOupIu
秀吉とその部下たちが凄すぎたね
秀吉は勝家の養子から盟友からどんどん切り崩していった
まさに相手が悪かった
秀吉の家臣にはプライド的になれないし
どうしようもなかったね

191: 人間七七四年 2010/05/28(金) 17:00:25 ID:04rEyhd5
勝家って名門?

192: 人間七七四年 2010/05/29(土) 19:57:22 ID:6SQ5gLbu
とうちゃんの名前も分かりませんが、何か?

200: 人間七七四年 2010/06/06(日) 05:48:05 ID:s/m3wPmn
よくわかんないのは、勝家が成り上がりの秀吉と犬猿の仲だったって説。
勝家自身も成り上がりでなんでそういう説が出てきたのかね?
だいたい元から二人は本当に仲が悪かったのか?
秀吉が北陸戦線に駆り出された時にサボタージュして帰った時は印象悪くなったろうけど。

201: 人間七七四年 2010/06/06(日) 06:42:35 ID:QWdJUokr
勝家は佐々とも仲悪い説がある
仲悪いからしずに来なかった
上杉は関係なかったとな

203: 人間七七四年 2010/06/06(日) 16:58:25 ID:u61I5UqH
佐々のほうがむしろ成り上がり嫌いそう。
猿と前田嫌いだったし。
勝家は何処の馬の骨ともわからん滝川の面倒みたり意外と成り上がりにもおおらかだったかも。

204: 人間七七四年 2010/06/06(日) 18:44:46 ID:GSX+YAiF
勝家は結構甘い性格だったのでは?
織田家の武将がほとんど秀吉になびいても何も言わず、前田にも離脱され佐久間にも勝手に動かれてるし
信長の息子にもなんか利用されてる感じだし。

236: 人間七七四年 2010/11/10(水) 16:24:41 ID:GWBLxCYU
柴田の北陸軍って実は佐久間が実質の支配者だったのでは?
数も多く柴田の命令も無視してるし
前田が離脱したのも仲の悪い盛政だったからと考えればつじつまが合うような。

237: 人間七七四年 2010/11/12(金) 17:53:05 ID:Pcp9T+QH
そんな恣意的につじつまを合わせられても。

238: 人間七七四年 2010/11/12(金) 21:05:08 ID:IaT8PPxe
当時の勝家さんは年齢的にも隠居のレベルだろ
実質仕切ってたのは佐久間一族でしょ養子も含めてさあ
これで命令無視とかつじつまが合うと思うんだけど。

239: 人間七七四年 2010/11/13(土) 23:07:04 ID:CD/CSh06
賤ヶ岳での勝家のやる気のなさがどうも気になるんだ
あっけなく敗走したのも形勢が不利になったからだと言う人もいるけど、例えば関ヶ原の石田や大谷なんかは命かけて最後まで粘ってるよね
(他の戦いでも死ぬまで抵抗した武将たくさんいるでしょ)
そういう必死さが勝家から見えないんだよ
そこで崩れたら城に戻ろうが負けは決定でしょ?勝家だって当然わかってるよね
なら憎い秀吉相手に見事に戦って散ってくれるわというのが勝家に相応しいと思うんだよ
本当は戦いを回避したかったんじゃないのかなあ
長期戦に持ち込んでお互い和睦みたいなさあ

241: 人間七七四年 2010/11/14(日) 10:03:11 ID:1DAhuAME
>>239
前田利家の裏切りを薄々感づいていたのだろう

しかし信孝が挙兵した以上出ざるを得ない
織田家で信孝が没落すればあとはふがいない信雄と幼子の三法師しかいない
家中を仕切って野心ありありの秀吉が主家を乗っ取るのは目に見えている

佐久間盛政が奇襲により優位な態勢を取ったとき、盛政の要請通り勝家は全力で押して出るべきだった
既に盛政の調略により山路ら旧柴田勝豊家臣が内通していたため、勝家が出れば羽柴方が浮足立つ可能性は十二分にあった
羽柴方には内心で信長の血族を蔑ろにする秀吉をよくは思っていない者も少なくない

勝家が出なかったのは前田利家の裏切りで出た勝家らの背後を突かれるのを恐れたためだろう
だから仕切りに盛政の帰陣を命じた
盛政の帰陣は消極案というよりは前田の裏切りを抑止するためだろう

242: 人間七七四年 2010/11/14(日) 10:57:52 ID:Iqd6/PnY
前田は勝家とは仲良いけど、佐久間とは仲悪いからな
勝家もここは心配していただろう

信長がいれば前田も佐久間を助けただろうが、もはや信長はおらず
ある意味、前田の気持ち次第だからな
前田が佐久間より、娘を養子に出していた秀吉を選ぶのは当然ありうることだし
勝家もこういうことを踏まえて出来れば秀吉との一戦は回避して和睦で終わりたいと考えていても不思議じゃないよね

243: 人間七七四年 2010/11/14(日) 12:43:02 ID:1DAhuAME
>>242
佐久間盛政と前田利家が仲が悪いというのは初耳だな

本能寺の変後、上杉に支援された畠山旧臣による石動山合戦で、佐久間盛政は前田利家の救援要請を快く受け直ちに自ら2500の兵を率いて電光石火、温井景隆、三宅長盛、遊佐長員らを討ったはずだが

仲が悪いというのは秀吉におべっかを使うために柴田の配下武将をおとしめるための後世の創作では?

247: 人間七七四年 2011/02/21(月) 01:04:29.75 ID:cvYy6xBJ
勝家とお市の結婚を仲介したのは信孝ではなく秀吉であることを示している秀吉の書状があるらしいが本当なのかねえ?
内容をご存知の方おられます?

249: 人間七七四年 2011/02/21(月) 07:35:44.32 ID:wkwuCqjn
清洲会議自体、勝家と秀吉が白熱した議論を展開したものじゃないし・・・

250: 人間七七四年 2011/02/21(月) 20:11:01.58 ID:8cBnTsZP
>>249
もうちょっと詳しく

251: 人間七七四年 2011/02/21(月) 20:26:55.74 ID:wkwuCqjn
>>250
すまん、実はよく覚えてない

勝家が市を嫁にすることとか、織田家の跡継ぎの確認などをしたっていう
別に白熱しておらず、淡々と進んだってのをどっかで見た
秀吉と勝家の市取り争いってのも無かったらしい

252: 人間七七四年 2011/02/21(月) 23:36:40.14 ID:lcWdnBgN
清洲会議がどういった様子で行われてたかは川角太閤記の記述くらいしかなく、信頼性はいまいちなので具体的な様子はわからないといっていい

253: 人間七七四年 2011/02/22(火) 02:23:08.77 ID:CNToA9++
本能寺の変がなかったら、柴田はどうなってただろう?
加賀と越前に三十万石くらいもらって引退?

259: 人間七七四年 2011/03/20(日) 15:09:08.36 ID:8J5p+lcr
>>253
信長が天下統一したら

信忠→美濃、尾張、信濃、甲斐、越前、北伊勢
柴田→越後、陸前
滝川→武蔵、相模
明智→筑前、安芸、周防
丹羽→日向、大隅
(三好)信孝→讃岐、阿波

羽柴は謀反して処刑

268: 人間七七四年 2011/08/11(木) 12:21:53.17 ID:pIvovKh6
織田家の人間がときどき本家に遠慮してか?津田を名乗るけど、実は柴田家も織田家の隠れ一門衆とどっかの本で見た気がする

269: 人間七七四年 2011/08/12(金) 10:46:06.83 ID:HBEbZ5Ek
>>268
勝家と養子達以外に柴田家の人って居る?

270: 人間七七四年 2011/08/12(金) 13:07:23.18 ID:URxjOpUS
>>269
柴田勝敏:勝家の実子(庶子?)
柴田勝里:勝家の庶子
柴田勝忠:一族、詳細不明
柴田勝全:柴田勝定と別人、当家滅亡後、堀秀政家臣

271: 人間七七四年 2011/09/07(水) 13:45:51.61 ID:VpN/Rfp1
権六勝家の息子も権六なんだな

272: 人間七七四年 2011/09/07(水) 23:12:55.15 ID:7loB02PU
>>271
竹千代が何人いると思ってるんだよ

273: 人間七七四年 2011/09/08(木) 16:36:11.28 ID:tJHSZLtm
つーか通称の継承は珍しいことじゃない

274: 人間七七四年 2011/09/11(日) 18:07:08.14 ID:K4B5ZhFL
最近ずっと織田家臣団のこと調べてたんだけど、結局信長の死後、勝家に味方した有力人物って、

市、織田信孝、滝川一益、金森長近、佐々成政、不破光治、前田利家、佐久間盛政

だけなのね?

284: 人間七七四年 2011/09/19(月) 14:30:11.93 ID:xdSYq6pW
>>274
東美濃勢の大半は柴田方といえる気がする。

逆に織田家臣で秀吉方についたのは、
織田信雄、丹羽長秀、池田恒興、筒井順慶、細川幽斎、中川清秀、森長可、毛利長秀、蒲生氏郷、堀秀政、長谷川秀一、、

275: 人間七七四年 2011/09/12(月) 12:51:09.53 ID:rJ/UTNXr
金森、不破、前田は戦わずに逃げたけど

あと光治じゃなくて直光ね

277: 人間七七四年 2011/09/16(金) 02:28:10.74 ID:7wA9kunr
佐々も戦ってはないだろ
他のメンツもすぐに降伏してるし
佐久間一族はなぜそこまで秀吉を嫌ったのかな
勝家以上に嫌ってる感じ

278: 人間七七四年 2011/09/16(金) 06:47:18.29 ID:6L7HUhdF
佐々は秀吉と結託した上杉と戦ってるじゃん
賤ヶ岳にも途中までだが援兵を出してるよ
敗戦を聞いた援軍大将が「義理は果たした、引き揚げる」と語った逸話まである
丹羽から秀吉に味方して欲しいという話も断っている←これは少し年代不明
でも義理って所が味噌ですな

279: 人間七七四年 2011/09/16(金) 19:03:10.82 ID:IWUtBn6e
人間てのはその大多数が義理や人情でなく、利害で動くんだなあああ;;

281: 人間七七四年 2011/09/16(金) 20:49:26.24 ID:6L7HUhdF
>>279
その通りなのだが、しかし親兄弟親戚ってのはちょっと違う事が多いんだな 
柴田佐久間と戦う事になったら佐々軍は大分裂で確実に内部崩壊すると思うよ

282: 人間七七四年 2011/09/17(土) 00:41:17.48 ID:zdZTsT61
だが利害のためには義理・人情も考慮しなければならないというのも、また事実

283: 人間七七四年 2011/09/18(日) 17:46:33.09 ID:yLI8rgU/
しかし自分の裏切りをごまかすために、賤ヶ岳の後勝家が自分の城に寄って「お前は秀吉につけ!」って言ってくれたんだよ!なんて嘘八百をぬけぬけと捏造した前田利家だけは許せない。
裏切るなら堂々と裏切れ。

287: 人間七七四年 2011/09/30(金) 01:46:19.38 ID:wbrOzqdB
>>283
前田は勝家にも秀吉にも子供を預けてるから無茶はできんだろ
どちらとも戦わずに撤退するという策しか実際にはなかっただろ
勝家側からの出陣要請を断ったら内通を疑われて先に潰される可能性があるし

307: 人間七七四年 2011/12/08(木) 16:06:15.14 ID:HvW15+tH
>>287
まあな
前田が秀吉軍相手に奮闘→秀吉に出してる娘が危なくなる
前田が裏切って勝家軍を攻撃、もしくは前田が最初から出陣拒否→勝家の城にいる娘が危なくなる
だからな、戦に出てからの撤退が一番の方策だろうね


285: 人間七七四年 2011/09/28(水) 20:16:30.21 ID:1wzvWnwK
秀吉方についたのが裏目に出た武将も多いね。

・織田信雄→家康と組み小牧・長久手の戦いを起こす。小田原攻めのあと、改易。
・丹羽長秀→織田氏をないがしろにする秀吉を憂ううちに、病死。しかも子の代では領地削減。
・池田恒興→長久手で戦死。
・筒井順慶→立て続けに出陣を強要され、小牧・長久手の頃に若くして病死。
・中川清秀→賤ヶ岳で戦死。
・森長可→長久手で戦死。
・蒲生氏郷→会津に転封、若くして病死。
・堀秀政→小田原攻めのとき、若くして病死。

あれ?高山右近が忘れられている。
高山も、伴天連追放令で不適合扱いに…。
ちなみに高山は賤ヶ岳のとき、柴田と戦う気なかったっぽいね。

289: 人間七七四年 2011/10/07(金) 23:36:45.78 ID:77FMjIyV
>>285
賤ヶ岳での右近はかなり消極的だね。
中川清秀との意見の相違だとか、父親が勝家の世話になったせいもあるかもしれないけど、戦況によっては寝返り、それでなくても不戦に近い立場。

寝返り予備軍みたいなのは多かったんだろうな。
だから勝家も盛政の強攻策に乗らなかった。
結局主な武将は全く寝返らなかったけど。

290: 人間七七四年 2011/10/09(日) 10:56:58.98 ID:NmgcGuBm
>>289
高山右近のほか、細川藤孝、筒井順慶、蒲生氏郷あたりが、隙あらば勝家側に寝返ろうと考えていたかも。
たまたま領国が近畿周辺にあったから、秀吉の傘下にいただけで。

291: 人間七七四年 2011/10/26(水) 11:55:57.08 ID:I5y3k5bv
逆に柴田方にも状況次第で秀吉に寝返る武将は多いだろうと勝家は考えてたのかもな
結局は織田家の内輪揉めだしね
ただし勝家が強攻策を頭から拒否したり佐久間盛政に押し切られて渋々認めたという逸話はダウトだ
佐久間盛政が行った迂回作戦は、柴田方全軍が積極的に協力しないと発動も無理な作戦
そして迂回した佐久間勢が中川たちの陣を強襲するのと同じタイミングで、柴田方本隊も南下し、羽柴秀長の主力を釘付けにしてる
佐久間勢の後詰をするために前田勢も移動して背後の山を固めていた

秀吉・秀長が柴田勢を誘い込もうと罠を仕掛けたというのは戦の後の作り話
秀吉方は秀吉が在陣していた時は盛んに挑発を仕掛けたが、秀吉が美濃に移動してる間は柵を増設するなど守りに徹していた
長良川の増水で足止めされた秀吉が、おかげですぐに戻ってこれたのが真実
それを証明する、秀吉から堀秀政に宛てた書状が残ってる

そして後詰がいるおかげで佐久間勢は崩壊するどころか、疲労困憊の秀吉軍の追撃部隊を逆襲して徐々に後退した
前田勢が突然持ち場を離れるまでは

293: 人間七七四年 2011/11/15(火) 23:07:33.13 ID:XI2kWsCi
>>291
なぜ柴田勝家が佐久間が持ち堪えている間に総攻撃を仕掛けなかったのか不思議。
そうすれば余呉湖の西と東で羽柴勢を攻めることができるから、佐久間の援護にもなるし、部下の裏切りも発生しづらくなるだろうに。

295: 人間七七四年 2011/11/18(金) 13:13:47.82 ID:YvwHDECY
>>293
前田勢投入→勝家本隊が総攻撃って流れでしょ。

でも前田が裏切ったから、勝家本陣側の武将は「前田勢が撤退=佐久間勢潰滅」とみて戦意喪失して逃げていった。

296: 人間七七四年 2011/11/18(金) 14:00:29.43 ID:xzyNYuJu
戦意喪失したかは知らないが佐久間が全滅(ありえないけど)しても突然逃げる事は無いでしょ
前田の殿がが柴田の軍に潰されているから裏切りは瞬間的に判断されていたんだと思うよ
味方なら襲い掛かる事は無いだろう

297: 人間七七四年 2011/11/18(金) 18:35:50.47 ID:YvwHDECY
前田の家臣が書状に残してるけど、撤退中の混乱下で前田隊を攻撃したのは羽柴軍だよ。
裏切りを察知した柴田方じゃない。

298: 人間七七四年 2011/11/18(金) 18:49:59.10 ID:YvwHDECY
前田が攻撃してきたなら反撃せざるを得なかっただろうけど、撤退していく後方の前田家を攻撃するような余裕あったのかな。
それも必死の防戦中に。

299: 人間七七四年 2011/11/18(金) 20:28:52.20 ID:pDiJU5bD
戦闘前にすでに寝返る決意はしてたと思うがなあ
当時、本拠地が能登国で、早めに寝返ったら加賀の柴田軍団最強部隊の佐久間盛政軍と、これまた最強説のある越中の佐々成政軍に袋叩きにされるから、最後の最後まで寝返るタイミングを見計らってたのだろう・・・

302: 2011/11/19(土) 07:25:25.59 ID:0uQo63lJ
勝家につかなかった武将が多いな、人望が無かったのかな権六さんには

303: 2011/11/19(土) 07:26:54.62 ID:0uQo63lJ
大義名分はどちらにも無いから別に勝家についたっていいんだけどな
明智の反乱の時は謀反だから光秀には大義名分ないから秀吉についたのは分かるけど、賤ヶ岳の時は謀反でもなんでもないから別に勝家についたっていいんだけどな
丹羽とか池田は何やってたんだろ

304: 人間七七四年 2011/11/19(土) 07:30:20.36 ID:Tf7ezvQe
北ノ庄の囲んでる際に諸将から助命嘆願が出てるし、むしろ人望はあるほうだろ。

305: 人間七七四年 2011/11/19(土) 07:41:01.23 ID:Tf7ezvQe
丹羽は親子で参戦してる。
大義名分がなければ柴田と羽柴の陣営比べて石高の多い方につくでしょ。

そもそも柴田陣営は北陸、岐阜、伊勢等東側に固まってるから、柴田側につくと明言したら真っ先に孤立する。


312: 人間七七四年 2011/12/20(火) 08:31:55.14 ID:1oWeDEBN
>>305
若狭や北近江だから、むしろ秀吉側の方が孤立する気がする。
柴田は丹羽の方から切り崩すべきだったんじゃないだろうか。

306: 人間七七四年 2011/11/19(土) 10:39:59.88 ID:nuRWPqTW
丹羽は本能寺の変で秀吉より近い位置にいたにもかかわらず何もできなかった負い目があるから。

327: 人間七七四年 2012/01/01(日) 11:19:33.10 ID:xx8hWreZ
柴田勝家は前田利家に裏切られたのが痛い
利家が信長公のお気に入りの茶坊主を斬り殺したとき、勝家が止めなかったらその場で手討ちになってた
その後浪人中も世話をし、再就職を支援した
北陸軍司令官になったときは利家、成政らは目付け、監察官のような存在だったようだが、利家は勝家を親父殿とよんでずいぶんなついてた
そんな男の寝返りを許すようでは甘いし、どこかカリスマが足りなかったのかも知れない

引用元: ・【権六】柴田勝家 その2