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1: 世界@名無史さん 2018/02/22(木) 22:28:26.39 0
古今東西、食文化の歴史について語りましょう。







594: 世界@名無史さん 2018/04/06(金) 21:29:11.32 0
金正日の料理人の本よんでると米粒を一粒ずつよりわけて綺麗な米粒だけで金正日の食卓にあげるみたいな描写あったな
やっぱより分けるだけで味が変わるものかね

600: 世界@名無史さん 2018/04/06(金) 23:41:11.83 0
>>594
『美味しんぼ』の海原雄山が絶賛したコメの炊き方は本当にウマいのか? DangDang 気になってきたので試してみた / コメの大きさを一粒ずつそろえて炊く
https://rocketnews24.com/2014/11/14/509472/

604: 世界@名無史さん 2018/04/07(土) 10:31:36.41 0
>>600
>>炊きムラがなく、さらに大きさがそろっているため歯ざわり、舌触りが均一。
粒でありながら、とろけるようななめらかさを持っているのだ。

やっぱ明確に違ってくるものなのかぁ
一度そういうの食ってみたい気もするがめんどくさいな

605: 世界@名無史さん 2018/04/07(土) 10:48:14.46 0
>>604
機械で振り分けられたら一大イノベーションになるな

611: 世界@名無史さん 2018/04/07(土) 15:52:01.84 0
>>605
コメの一粒づつに光を当てて、透明度から選別する技術なら実用化されてる。

612: 世界@名無史さん 2018/04/07(土) 16:01:40.50 0
今はスーパーで買った米にはクズ米がほとんど混入してないもんな
工場で選別してんだろ

613: 世界@名無史さん 2018/04/07(土) 16:09:25.13 0
穀物の種などの粒を篩などの古典的技術であらかた選別したあと、薄い滝状に上から落として、下に落ちるまでに画像認識で不良粒や不良片を識別し圧縮空気使をってピンポイントで吹き飛ばす
もう十年近く前にナショジオかなんかで見た

618: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 00:55:01.62 0
小説の大聖堂なんか読んでるとパンを皿にしてハーブたっぷりで焼いた川魚のっけたのがめっちゃうまそうやったな
パンに油とか染み込んでてさ

624: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 12:11:05.31 0
パンと言ってもすべて生地を発酵させる訳ではなく、無発酵のものもある。
インドのナンは発酵パンだが、チャパティーは無発酵パンだね。
重曹で膨らませるパンはフカフカだが、生地を発酵させるわけではない。

628: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 13:38:12.03 0
>>624
ナンとチャパティの違いはそこじゃないよ。
ナンは竈で放射熱で焼く、チャパティは解放された鉄板の上で伝導熱で焼く。

醗酵の有無はあんまり関係ない。気温の高いところで作るので何も加えなくても時間が経てば醗酵してしまう。
専用の大がかりな竈で大量に作るナンは、簡素な機材で小量ずつ作るチャパティに比べて、生地を練り始めてから焼くまでの時間が長く、醗酵しやすいような傾向はあるが。

625: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 12:32:50.64 0
聖餅もカトリックは無発酵パン、正教は発酵パンなんだっけ

629: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 16:54:29.88 0
米も発酵させたものが常食される余地はないのか

631: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 16:58:12.57 0
コメを発酵させた液体なら、毎日飲んでるが。

632: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 17:21:08.43 O
依存症乙

696: 世界@名無史さん 2018/04/11(水) 21:25:16.13 0
中米にはリュウゼツランのプルケ酒、南米には雑穀のチチャ酒があった。
なぜ北米インディアンには伝統的な酒の文化がなかった?
農耕する部族もいたから、素材には困らないだろうに。

697: 世界@名無史さん 2018/04/11(水) 21:47:53.43 0
酒って大抵食料の貯蔵の副産物が起源だろう。
乾燥とか燻製とか有効な貯蔵法があれば腐敗等のリスクを冒して酒にすることもないように思える。疲労やストレスの解消が目的なら北米にはタバコがあるし。

698: 世界@名無史さん 2018/04/11(水) 22:54:03.50 0
まあ、とうもろこしもわりと早い時期から栽培してたし、在来の山ぶどうもあったよね>北米東部
八百屋に並んでるデラウエアは、その名の通り、欧州ではなく北米の山ぶどうの改良種。
北米系のぶどうはワイン通やソムリエには評判最悪ではあるが、絞って放置すればとにもかくにも酒は出来る。

701: 世界@名無史さん 2018/04/12(木) 00:50:14.88 0
>>698
北米東部は独自に農耕が始まった10くらいの地域の一つだが作物はひまわりだったはず
とうもろこしは南部からかなりあとになって流入

702: 世界@名無史さん 2018/04/12(木) 01:05:06.47 0
>>701
醸造文化の発展には、数百年もあれば十分じゃね?
日本だって、大陸のケカビやクモノスカビを使う醸造文化を受け入れてから、数百年で菌株まで変えて(コウジカビの無毒株を選抜)、魔改造してしまった。

703: 世界@名無史さん 2018/04/12(木) 05:28:40.67 0
酒を楽しむ文化が生まれるのは余剰作物が必要だろうけど、そこまで豊かではなかったか

620: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 03:05:34.66 0
ケチャップのカテゴリーが広い

キノコ・クルミ・魚・野菜の調味料「ケチャップ」
アンチョビー,レモン、ニンニク、ホースラディッシュなどを加える様になる。
のちに米国でトマトを使ったトマト・ケチャップに発展する

現代の市販ソースは
Geo Watkins Mushroom Ketchup
Geo Watkins Anchovy Sauce
Tracklements Sweet Mustard Ketchup

「保存食品開発物語」(スー・シェパード)によると
酢漬けの汁の利用ー>各種ケチャップー>酸っぱいトマトケチャップー>甘いトマトケチャップに発展

621: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 05:18:32.23 0
>>620
キノコのケチャップは英の家庭料理かかんかでまだあるはず

635: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 22:57:24.80 0
>>620
トマトケチャップは東南アジアで食べられていたソース
カツサップにヒントを得てハワイで作られたような話を読んだ事があったのだが、この東南アジアの調味料はキノコや魚が原料のソースを元に発展したと言うことなのか?
深いなケチャップ

636: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 23:23:08.69 O
恥ずかしながらケチャップと言えばトマトケチャップだと思ってた。
他にもあるの?

639: 世界@名無史さん 2018/04/09(月) 08:06:43.83 0
>>636
漫画で読んだだけで裏は取ってないけどフィリピンにはバナナ素材のケチャップが有るらしい
どうしてバナナなのに赤いのか行きたくないけどフィリピンのオネーチャンに聞きに行かなくちゃな
あー行きたくないな

637: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 23:24:54.46 0
ケチャップという言葉は福建語で魚醤を意味するケジャップが語源らしい。
漢字表記は鮭汁。

鮭の字がなぜ日本でサケ、サーモンを意味するのかは不明

640: 世界@名無史さん 2018/04/09(月) 09:02:36.15 0
まあアメリカでケチャップと言えばトマトになったのは鳥の丸焼きと言えばターキー、トルティーヤと言えばトウモロコシ粉みたいに手に入れやすいもので作ってみた結果だろうね

641: 世界@名無史さん 2018/04/09(月) 09:11:12.44 0
そうい
688: 世界@名無史さん 2018/04/11(水) 19:04:58.09 0
最近『江戸時代、農民は米食ってた論』がよく出てるが、ソースが曖昧で、各藩の石高から逆算して 『これだけ石高あるんだから米は余ってた!』って言ってるけど、

・物流が 現代と違ってリスクが大きかった→千石船は事故起きやすい
・先物相場は有ったが、実際の現物の物流は乏しかった。金持ってても買えない事例多し。
・不作 凶作 大凶作 が頻発してた、およそ 4年サイクルで不作・凶作が来てた←東北
・4年か5年ごとに水害が発生 ←過度の新田開発と治水の遅れ ←水害の地名多し。
・西日本、農薬(鯨油や菜種油など)が導入されたが(高価)、ウンカなどの害虫発生も多かった。

経済力のない藩や 農村は不作や凶作が続くと借金がかさみ借金地獄の身売り、結局のところ 都市部の貨幣経済の回る一部が物価高に対応できたが、江戸でも餓死者が出てる。

北斗の拳のミスミ爺さんみたいなリアル種もみ買い付け爺さんも居た(買えないで餓死した記録もある)

700: 世界@名無史さん 2018/04/12(木) 00:47:29.44 0
>>688
東北あたりの米どころは米を食ってた文献ソースがあったはず。
石高逆算はにちゃんの論だろ
ワイの地元(関西)では糠を取るときのクズを集めて節約して金ためた昔話があるので、逆に言えばまともな自作農は米を喰ってたんでしょう

713: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 06:19:29.89 0
>>700
>東北あたりの米どころは米を食ってた文献ソースがあったはず。

それ、多分 記憶違いと言うか、松前藩(北海道)との勘違いだと思うよ。

東北の米どころとして 庄内藩が有名で財政が比較的豊かと言われてるけど、江戸初期ぐらいには一揆が頻発、農民が幕府に直訴して改易寸前までいってる。
江戸中期ぐらいには北前船の中継地として裕福との評判があったが実情は厳しかった、儲かってたのは廻船問屋とか米相場に手を出してた商人だが、大名から金をせびられて難癖付けられて家財没収とかされてた。

庄内藩は豪商の本間宗久が有名で、
『酒田照る照る、堂島曇る、江戸の蔵米雨が降る。』
『本間さまには及びもないが、せめてなりたや殿様に』といった流行歌があったけど、藩としては赤字傾向で本間家から財政支援受けたり経営指導を受けてる。
江戸中期ぐらいから財政改革してるけど、財政が回復したのは江戸後期ぐらいから、米作ってた農民は米食えてないよ。

他の東北の各藩とかは悲惨、検索してみてよ。

722: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 11:34:21.69 0
>>713
参勤交代も兵士を養う義務もある大名に比べればそういった義務のない豪農の方が、自由に使える金は多かったんだろうな

726: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 11:49:52.65 0
>>722
江戸近郊の農家は富農が多かったそうな。
安定的に野菜が売れるので村の顔役が共同出資で、当時としては割と高価な農業大全(数巻で 50両ほどした)を買ったりとか、促成栽培(油紙を使ったビニールハウスみたいな温室促成栽培)や(同じく 上記温室に冬でも炭で暖房したり、堆肥の発酵熱で温室栽培)など、江戸に季節外れの野菜を高価で卸したり、江戸市民の初物食いを狙って 促成栽培で他所より出し抜いて出荷競争したり。
千葉とかの九十九里浜沿岸などでは 稲作用の肥料のイワシを採って、米を作る農家に売って大儲けしたりしてた。

でも江戸中期にぐらいに地球規模の寒冷化現象などが世界各地を襲って、日本も例外ではなく特に稲作に特化しようとしてた東北地方は大飢饉が襲い餓死者が大量に出た。
漁業も大打撃だった模様。

711: 世界@名無史さん 2018/04/12(木) 19:33:31.21 0
面積あたりの収量は米が一番多いんだから、米は作れないけどヒエやアワなら作れるという土地がよほど多くないとカロリーベースで見て米が主食にならざるを得ないわな。
西日本は時代が下ると山間部の開発やら二毛作やらで米の比率がかえって下がってそうだ。

712: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 02:28:06.83 0
>>711
灌漑技術の発達からみてそうでもないと思う

ワイ関西やが江戸中期、後期あたりの大工事は大庄やあたりが工事指揮してそれなりに大規模にやってる
そいつらほこらに祭られて神になってるからなw

715: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 07:51:11.91 0
盛岡藩(南部藩)などが飢饉や一揆の記録が詳しい。

江戸時代の約260年間を通じて、一揆が130回 飢饉が50回もあった。

南部小麦とかが有名だけど、こういうのは米が食えないから代替え食になってたから。

江戸幕府が幕藩体制としてが石高制を確立させたので米の生産高の目安にされやすいが、実際はかなり曖昧で 豊臣秀吉の太閤検地の際でも実際には検知せずに決められた石高もあった。
(敵対的な勢力などの政治的理由で決めたり等)
決定的になったのは徳川家康が将軍になった後、秀忠-家光と将軍家が続いて 家格としての石高が明確になった為、表向きの石高増を望むものと石高増を望まないものなど存在し、実際の土地の生産高に関係なく加増させる加増転封や減封など恩賞や懲罰の意味合いを含む。

各藩の傾向として実際の石高よりも高めの石高を希望し 国力を誇示する傾向にあったが、国力が高いと幕府に経済規模に見合った手伝普請などを要請されるので、幕府の力が強まった江戸初期以降は藩内の実情を隠す傾向が強かった。

716: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 07:57:53.95 O
仙台藩は実質百二十万石だったと聞いたことがある。

720: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 10:49:03.99 0
>>716
仙台藩の場合、地租改正後の記録に残っている資料によると、豊作時での平均農作物の米換算での石高は130万石で、(内、米91万石、大豆12万石(米価換算で12万石相当、大麦22万石(米価換算で10万石相当)、豊作時の米の収穫高は表高62万石を上回り、豊作の時は米相場でかなり儲かっていた模様だけど、これは新田開発された土地も含んだ豊作時での数値なので、不作や凶作も平均するともっと低い。

政宗を初代藩主とする仙台藩(62万石)成立時にはおよそ 実質 米の生産高 42万石、実質 米の生産高 42万石で 豊作時は 3割増しの 130%の収穫記録とすれば 60万石、米の生産量は 平年で 42万石-64万石と推移、

仙台藩の財政構造については、萱場木工氏章『古伝密要』(寛政9年)の内容では、家臣リストラをしなかったので、仙台藩は藩の禄高に比較して家臣の数が大かったが、享保3年(1718)の調査で新田 37万5823石を藩の蔵入地とすることができ、蔵入分から上記の御扶持方御用穀9万石分は間に合わせることができた。とある。
1670年 寛文10年ごろから 大坂米相場 米1石が銀 約60匁≒約1両なので、だいたいの目安として 実質 60万石で 豊作時 70万石~77万石ぐらいではないかと思う、

伊達政宗は大坂冬の陣出陣の際に、京都の商人から総額 10万両借金して、それの返済目的などもあり、仙台藩は毎年約25万石を江戸に輸出して半数の10万石ほどが江戸に流通した、(取れ高は籾殻込みの容量で 江戸での流通は精米して70%ぐらいになるからだいたい合ってる)『古伝密要』によると元禄ぐらいまではかなり儲かって米バブルで藩が儲かったらしいが、5万石ほどは他所の藩から借金してまで買い入れてまで江戸に流してたので、豊作の時の相場下落や 不作時ではそのまま損失になるので儲からなくなったと記されてる。

no title


1720年ぐらいから人口が減ってるので元禄以降は藩は貧乏してたと思う

721: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 11:09:51.58 0
まあ 文だけだと長文で 判りにくいから、当時の物価や米相場や市場価格なども貼ってみるよ。

金・銀・銭の種類と相場
no title

1石≒約 小判での金1両(これは額面) ≒ 銀 60匁(銀これは 重さ)≒60銭~100銭(相場)、金の価格と 小判の質 銀1分との交換比率はかなり変動してて あてにならないので、銀の重さ(重さ単位 匁)が 大阪の両替商で為替相場が安定してるので銀の重さの方で 見た方が判りやすいよ。

米の価格の 変動推移
no title

1石(約 150kg)が 銀60匁で 推移してて安定してるように見えるけど、物価の方が 大工の日当が2倍から3倍にインフレしてるの対して米価は上がってないから、武士階級はインフレで俸禄の価値が半減以下や1/3になって困窮した、物価が上がっていったので農民も肥料(乾しイワシ)や農薬(鯨油や菜種油など)の負担増で収穫に対する米の容積量での負担増になったよ

723: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 11:38:21.64 0
続き

賃金やサービス料など
no title

江戸などの都市部の日銭を稼げる労働層は物価にスライドして賃金も上下してるけど、俸禄の増加がない武士階級や 大幅な収穫増のない農民などはインフレで大打撃、元禄以降は幕府の改鋳(小判の品質を落とした)で1両=4分銀あたりの価値が下落、結果的に 1文銭で支払してる層はインフレに遭ってる。

生活用品の価格
no title

だいたい 2倍から3倍になってる。

そろばん武士道 (新潮書下ろし時代小説)
www.amazon.co.jp/dp/4104003026
割と面白いよ

藩政改革に挑んだ武士の人たちもいるけど、飢饉で頓挫したり、同じ武士たちから抵抗受けたり罵られたりして大概は酷い目に遭ってる。成功したのはごく僅か。藩政改革に成功した土佐藩の吉田東洋とか、藩の上層部には既得権益を脅かすと疎まれ、下級層には急激な重商主義が理解されず売国奴と敵視されて、暗殺されてしまった。
藩政改革に挑んだひとたちはだいたい悲惨な目に遭ってる

730: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 13:22:14.54 0
まぁ ざっくり言うと、『江戸時代農民は米食えてた論』は間違いって事だな。

『江戸時代農民は米食えてた論』はソースが明確でなくて、断片的な局地的に米を食えてた事例を引き合いに出して『農民は皆米食ってた』って言ってるけど、そりゃあ食えてた農民は居たに違いないけど、経済的に成功してた農民はごく僅かで、実際には食うか食えないかの瀬戸際の農民の方が多かった。
経済的な恩恵に与れたのは一部の層だけで、江戸時代は豊作になるのが数年に一度で、豊作が続くと米供給量が上がって米価が下落し、米生産に全ツッパしてた藩とかは大打撃受けてた。不作や凶作も困るが豊作続きでも困ってた、米価が下落しすぎて武士の貧困が嘆かれる年もよくあった。

局地的な不作凶作などが起こると最悪で、米が通貨としての側面を強くして、米相場の関係で退蔵されやすくなり、本来なら救荒米として放出される備蓄米が経済的な目的で他所の地方に売られて、飢饉の地域からより作物が離れてしまう物流的な問題も起きた。

仙台藩とかはそれで武士階級にも餓死者が出てる

731: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 13:44:03.05 0
天領なんかは年貢が他所より半減してたとか言われてたから多少は農民はマシだったかもしれない。
同時期のヨーロッパよりかはマシかもしれないが、米は博打とも言われてたから不作や豊作とかの当たり外れが多く、稲作だけで経営が安定してた藩は少ない。

やばい藩の方が多かった。

735: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 14:44:13.43 0
江戸時代なら漁業やるのが最良なのかの
自分たちが食ってく分には

747: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 20:18:13.20 0
待て、そもそも農民が米を食っていなかったなら、どうして凶作で餓死者が出る?
大体農民が米を食えてない証拠が藩の財政難って何じゃそれは21世紀初頭の日本は財政赤字だから国民は飢えていたって数百年後に言われるようなものだろ
当時の人口の八割が農民で、彼らの作った米は二割の武士、町人が全部食べてたとでもいうのか?
無論、貧しい農民ほど摂取カロリー中の雑穀の割合が増えていたのは確かだが、一律に全く食べていないというのは暴論すぎる

751: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 20:58:45.89 O
米だけ凶作ってか。

752: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 21:07:56.24 0
作付け面積最多のコメが不作なら他の穀物はもっと取れないんじゃないんですかね

754: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 21:16:10.99 0
>>752
少なくとも稗は冷害に強い。それでも同じ時期に作付するから、ガチ冷害の年だと一緒にアボンする。
在来穀物の中では、麦だけが生育サイクルが違う。
でも、初夏に多雨でそのまま冷夏というパターンだと、麦もアボン。
麦は、日本の場合5月の気候(晴天の多さ)でほとんど勝負が決まる。
実は、冷夏でも通算の積算温度や、開花期の突発的高温で挽回可能な米より博打。
各地の国許武士や在郷の庄屋が書いた気象記録をみると、江戸時代にはこのパターンが結構あった。

758: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 21:49:24.00 0
>>754
> 少なくとも稗は冷害に強い。それでも同じ時期に作付するから、ガチ冷害の年だと一緒にアボンする。
> 在来穀物の中では、麦だけが生育サイクルが違う。
> でも、初夏に多雨でそのまま冷夏というパターンだと、麦もアボン。

親父が百姓だったので稲作は割と教わったのだが麦は冷夏や冷害に弱かったのか知らなんだ…
米作るよりは手間が掛からなくていいから麦作るのは楽しかったとか言ってたな。
ただ寒い時期での麦踏みが面倒とは言ってた。
踏まないと根が張らないので収穫量が落ちるので寒いときに麦踏みさせられるのが嫌だったとか。

ムギを踏むことにより、傷が付く→エチレンが発生→食物がヤバイと察知して→茎や根が太くなる→太くなった茎は風で倒れにくくなり→茎が丈夫なる→結果的に収穫量が上がる。らしい

760: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 22:01:50.31 0
>>758
冷夏というより、致命傷となる天候不順の時期が違うんだ。
基本的に、初夏(5月から6月初旬)に晴天が続くと豊作。この時期に菜種梅雨の延長になったり、走り梅雨が顕著だと不作。
「菜種梅雨と走り梅雨が連続して、5月いっぱい天気がぐずつくパターン」が最悪で、ほとんど収穫できなくなる。

ただ、あの1993年大冷夏がそうだったように、初夏の天候不順と盛夏の冷夏は必ずしも連動しない。
あの年の5月は暑くて晴天が多かった。今は麦作は僅少なのでどうでもいい話になってるが、あの年は麦は豊作だったはず。

762: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 22:28:53.03 0
東北ばかりだとアレなので西国の話。

福山藩における亨保の大飢饉の記録、(福山藩編年史料より)
http://bingo-history.net/archives/14048

亨保十七年(一七三二)に発生した。日本歴史大辞典(河出書房)によれば、伊勢・近江以西の西国一帯にわたり、特に西海道(九州)が最もひどく、南海(四国)・山陽・山陰がこれについだ。前年の冬気候不順で五、六月にいたるまで昼夜の別なく暴雨が続き、気温また寒冷をきわめた。
そして先ず西国表の諸国に「大きさ黄金虫の如く、形、甲冑を帯したるに似」た蝗虫が群生、一夜のうちに稲数万石を喰い尽くす勢いで次第に隣国に移り畿内にまで及んだ。・・とある。

冬季の天候不良に続いて集中豪雨の暴雨が夏を襲い、おまけに虫が大発生したとある。
九州が特に被害がひどく九州・四国・中国で餓死者が出なかったのは薩摩藩だけだっという。
福山藩の記録によると平年の三倍人が死んだと寺の記録が残ってる。

西海道(今の九州あたり) 二七藩で薩摩藩以外の27藩、南海道(紀伊半島から四国ぐらい)で紀州藩以外の10藩、山陽道 四藩、山陰道 四藩、機内一藩で、 薩摩と紀州以外の西日本が被害、平年での合計石高二三六万石に対してこの年の収穫高は僅かに六二万八〇〇〇石、幕府が大阪から米を買い付けして二一万七五二五石を被害地へ向けて発送したが、「徳川実記」によれば「すべて山陽・西国・四国等にて餓死するもの九十六万九千九百人とぞ聞こえし」とある。

農薬もほとんどない時代だからなあ…タバコや鯨油ぐらいか?農薬に使えたの?当時。
虫には勝てん

773: 世界@名無史さん 2018/04/13(金) 23:26:55.97 0
物流の観点からいうと千石船とかの問題もある。

天候不良もなく豊作で 米相場も値崩れしなくて 大量に出荷出来て、藩の備蓄米(設置してない藩が多かった)にも 余裕があるときは1割か2割を備蓄した。
よっしゃーこれで 農民の所得も巻き上げないで、藩の武士の俸禄(給料)分の現金獲得の為に大阪や江戸に米俵運ぶぜ!
この辺の状況が揃って うまいこと千石船が運搬成功すれば問題ないんだが…

千石船
no title


マストが1本の構造の為、重心安定が悪く、転覆の危険が高く、嵐などの遭遇してマストを切り離すと もう操舵が出来なくなり、海流にまかせた漂流しか出来なくなる危険性があり。太平洋側の海難事故が多かった。
これは江戸幕府が船を軍事利用されると簡単に江戸が攻撃攻略されるため、これを防ぐために各藩に艦船の開発や改良を禁止させて認めていなかった事に起因する。

日本の場合、米相場とかの先物取引は発達してたが、欧州 ギリシャや英国ロイズのような保険機構が発達しなかった。
海運業者は博打的投機的な側面を常に持ち 大儲けできる反面大損する事も多かった。

折角の特産品を運搬してても海難リスクは常にあり、先物取り引きで 先に販売してると実際の取れ高が 獲れようが獲れまいが実情に反した農産物の買い上げや出荷などになってしまう。
仙台藩などは 特にこういう事をやってて 南部藩から買い付けしてまで江戸に出荷してた、自国の農民が飢えていようがお構いなく 米の投機販売してたので藩内の人口は減少した。

821: 世界@名無史さん 2018/04/14(土) 19:22:28.50 0
木の皮とか、飢饉で食えるものというのはアクや毒抜きなどの手間がかかりそれをしないと中毒を起こして死ぬこともある。
非常食であって常食にしてたら食うための消費カロリーの割が合わない。

非常用の訓練として食ってみるのはありだろうけど。

825: 世界@名無史さん 2018/04/14(土) 20:02:36.80 0
>>821
”ソテツ地獄”
だったか、そう言うのを聞いた記憶がある。
救荒食で、ソテツから澱粉をとって食う話なんだが、ソテツ自体は有毒なんで、その毒を洗うために長期間水にさらす必要があるんだ。
しかしそれを待つ暇もなくて、十分に水にさらさないまま食べて中毒を起こして云々、って話なんだが。

842: 世界@名無史さん 2018/04/15(日) 16:22:23.22 0
>>825
薩摩藩支配下の奄美諸島じゃ薩摩藩が少しでも作物が育ちそうなところにはサトウキビを植えろと命令して食べるものが育てらなかった
島民は長年ソテツを食って飢えをしのいだって話がある

851: 世界@名無史さん 2018/04/15(日) 22:45:30.57 0
>>842
その話は奄美に伝承されてるけど時期がはっきりしないんだよな
少なくとも最近では従来言われてたように薩摩藩支配期を通じてではなく、幕末の数年間だったらしいことまではわかっている

893: 世界@名無史さん 2018/04/17(火) 00:15:41.56 0
>>842
「ソテツ地獄」というのと、西南諸島で江戸時代にソテツを食料にしていたというのは違うらしい。

江戸時代は当地のほとんどの耕地でサトウキビを栽培して年貢にしていて、島民はソテツを常食していた。
明治以後はほかにイモとか島外から買った食料があって毒抜きに手間のかかるソテツを食わなくなった。

それが、昭和の恐慌や戦中戦後の食糧難でソテツを再度食わざるを得なくなった。
しかし長い間食べていなかったので、正確な毒抜きの方法や加減がわからなくなっていて中毒者が出た、というのがソテツ地獄らしい。

引用元: ・食物と酒、嗜好品の歴史@世界史板 101皿目


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