1: 日本@名無史さん 2016/12/08(木) 21:50:02.32
ヒナモリがいた場所は魏志倭人伝によると、対馬国と一支国と奴国と不弥国、そして他には各地の地名として残るヒナモリがいたと思われる場所は、宮崎県小林市や新潟県の妙高市上越市や岐阜県岐阜市茜部本郷








2: 日本@名無史さん 2016/12/08(木) 21:58:28.53
熊本の江田船山古墳の鉄刀と埼玉の稲荷山古墳の鉄剣から言って、初期大和の範囲は少なくとも熊本から埼玉あたりまでではあっただろう
ただ飛騨の両面宿儺の伝承や関ヶ原の近くのヒナモリ神社から言って、飛騨方面の多くは大和の範囲ではなかったと思われる

38: 日本@名無史さん 2019/06/22(土) 18:43:37.50
>>2
>関ヶ原の近くのヒナモリ神社・・・・・・・

関ヶ原の近く?現在の何市何町にか?

69: 日本@名無史さん 2022/03/27(日) 02:37:59.96
>>38
JR岐阜駅からR21へ南下するR157道筋西の岐阜市茜部本郷の比奈守神社は明治以前は「飛田森神社」とも「飛騨守神社」とも称していたらしい。
守備対象異民族が濃尾平野に昔は棲んでいたのか?
厚見(アツミ)郡とは海人族阿曇氏の居住地に由来するのか?

46: 日本@名無史さん 2020/05/17(日) 09:39:53.57
>>2
>初期大和の範囲は少なくとも熊本から埼玉あたりまで・・・・・
 
すると肥後以南・武蔵以北は大和王権外の異民族の居住地だったと?
武蔵以北の異民族への防備拠点は何処に置かれていたと?

47: 日本@名無史さん 2020/06/02(火) 00:08:31.15
>>2
古代ヤマト王権は、中国の華夷思想をまねて化外の「夷狄」四夷を、東夷=蝦夷(陸奥の蝦夷)、北狄=蝦狄(越後・出羽の蝦夷)、西戎=隼人、南蛮=南島人とし、境界に夷守を置き、その一部が地名に遺存されているのだろう。

17: 日本@名無史さん 2018/01/14(日) 18:32:53.33
『ヒナモリ』という言葉を邪馬台国の言葉的な意味で初期大和王権でも使っていたのかどうかっていうのがあるな

18: 日本@名無史さん 2018/01/16(火) 23:13:40.28
奈良時代以後も使われているよ
夷守(ヒナモリ)という官職はずっと継続して続いてる
思うに、初期大和政権下では大和民族成立の途中で政権の支配地域の中でも、飛騨のような山間部ではツチグモ等の他民族が混在していたんだと思う
なので、ヒナモリは必ずしも外夷と接する辺境ばかりではなく、地方の一般的な軍事官職だったんじゃないかと思う
その後も実質的な役目は変わりつつ、形式的に官職名のみが継続したとも考えられるし

37: 日本@名無史さん 2019/03/30(土) 15:27:51.84
>>18
奈良時代の地方の一般的な軍事官職の長は、律令制の軍毅(大毅・少毅)ではないか?

43: 日本@名無史さん 2020/02/21(金) 21:44:04.00
>>18
>外夷と接する辺境ばかりではなく
>地方の一般的な軍事官職だったんじゃないか・・・・・・・・・
 
一般的な軍事官職名なら、もっと各地に痕跡が遺存しておるはず。
防備すべき敵対集団との境界地にのみ設置されたのでは?
なお『延喜式』記載筑前国糟屋郡「夷守駅」(糟屋郡粕屋町阿惠日守(ひまもり)八幡宮付近)は、大和王権支配以前の奴国時代の敵対勢力境界地だったか?

44: 日本@名無史さん 2020/02/27(木) 04:32:04.71
>>18
奈良・平安朝廷が夷守(ヒナモリ)という官職名の表記に東夷・南蛮等の四夷を意味する「夷」を用いたのには、如何なる背景があったのか?
「燈台守」・「関守」といった語から類推すれば「夷守」は、四夷を守護するという不可解な語になり、辺境を守護するなら「鄙守(ヒナモリ)」と表記されるはずなのに。

63: 日本@名無史さん 2021/08/31(火) 01:00:39.24
>>44
官職名称の「夷守」(ヒナモリ)は「鄙守」(ヒナモリ)の誤記だと?

27: 日本@名無史さん 2018/04/01(日) 18:10:48.02
>>1
>対馬国と一支国と奴国と不弥国・・・・・・・・・・・

『魏志倭人伝』に記された「卑奴母離」という副官の置かれた下示4か国だね。

対馬国
長官-卑狗(ひこ)副官-卑奴母離(ひなもり)

一支国 
長官-  〃  副官-   〃  

奴国
長官-兕馬觚(しまこ)  副官-   〃  

不弥国
長官-多模(たも) 副官-   〃  

この4か国の副官名が同名なのは、何故なのか?
伊都国・投馬国などの他の国の副官名が、「卑奴母離」と異なるのは何故なのか?

28: 日本@名無史さん 2018/04/11(水) 20:20:39.42
>>伊都国・投馬国などの他の国の副官名が、「卑奴母離」と異なるのは何故なのか?

卑奴母離よりも位の高い高官がいたから
魏志倭人伝に明記されてる通り、伊都国には軍事拠点があった
投馬国も中継地として古代の要衝だったから

33: 日本@名無史さん 2018/06/09(土) 19:58:09.01
>>28
以下の各国官職名ですね。
伊都国 
長官-爾支(にき) 副官-泄謨觚・柄渠觚(せもこ・へここ) 

投馬国 
長官-彌彌(みみ) 副官-彌彌那利(みみなり) 

59: 日本@名無史さん 2021/02/13(土) 20:08:58.58
>>33 >>27
『魏志倭人伝』諸国の副長官職名大勢が「ヒナモリ」だのに、投馬国が「ミミナリ」と異称の理由は鄙守職務が不要だったからだろうが、正長官「ミミ」は『記』『紀』に記される「陶津耳」等の地域首長名と同源として、副長官職名の語尾「ナリ」の語義は何なのだろうか?

61: 日本@名無史さん 2021/05/03(月) 20:40:24.92
>>33 >>59
神沼河耳・玖賀耳・御鋤友耳・天忍穂耳など「〇〇ミミ」名
古代人物と投馬国官職名に共通するのは地域首長・部族長で尊称ということか?

64: 日本@名無史さん 2021/10/02(土) 13:27:28.69
>>61
「〇〇ミミ」の名は景行天皇の九州親征時に抗った族長にもあったな。

66: 日本@名無史さん 2022/01/07(金) 13:27:46.25
>>64
景行天皇「紀」に登場する豊前地方の族長連の鼻垂(はなたり)・耳垂(みみたり)・麻剥(あさはぎ)・土折猪折(つちおりいおり)の耳垂のことか?
「〇〇ミミ」でなく「ミミ〇〇」だから尊称ではないだろう。豊前の盤踞地の地名か? 

68: 日本@名無史さん 2022/01/23(日) 07:33:53.52
>>66 >>61
「〇〇ミミ」名の古代人物リストはこちら
「ミミ」と「ミ」の分布表    2007年01月14日
http://yamatonokuni.seesaa.net/article/32391216.html

ミミおよびミの分布表 
http://kntn.biz/other/mimi-data.htm

67: 日本@名無史さん 2022/01/19(水) 18:52:25.90
>>64
「〇〇ミミ」の「ミ」は霊魂を表す一音節の古語「チ」「ミ」「ヒ」などの言葉の系統なのだろうか?
海の神ワタツミや山の神ヤマツミの「ミ」だが?なお「ツ」は「ノ」の古語で天津風とかマツゲとか・・

32: 日本@名無史さん 2018/05/27(日) 23:31:56.95
アガタモリ、ツモリなんかに○○モリ系の官職名は残ってるよね

36: 日本@名無史さん 2019/03/27(水) 08:05:07.92
>>32
アガタモリ、ツモリ?残存地名か?
残存する○○モリといえば、防人、掃部(カモリ)だろう?

39: 日本@名無史さん 2019/07/15(月) 15:32:08.94
>>36
「○守」には、燈台守といった近代語だけでなく下示の如く古語にも多数見られる。
これらに一貫する意味は、○を守る人・組織である。とすれば万葉仮名「比奈毛里」は、表意文字では「鄙守」と置換されるべきなのだが。
奈良・平安朝廷が東夷等四夷を守る「夷守」とした理由は何だったのか?

野守(ヌモリ)・山守(ヤマモリ)・津守(ツモリ)・海守(ウモリ)・道守(ミチモリ)・
関守(セキモリ)・渡守(ワタシモリ)・田守(タモリ)・県守(アガタモリ)・高守(タカモリ)・
埼守(サキモリ)・島守(シマモリ)・時守(トキモリ)・棚守(タナモリ)・橋守(ハシモリ)・
殿守(トノモリ)・市守(イチモリ)・年守(トシモリ)・国守(クニモリ)・川守(カ モリ)・
神守(カモリ・カウモリ)・加守(カモリ)・掃守(カニモリ・カモリ)・「蟹守」(カニモリ)・・・・  

なお「蟹守」は豊玉姫の鵜草葺不合尊出産時に掃守連祖の天忍人命が胎便(カニババ)を扱った伝承に由来。

50: 日本@名無史さん 2020/08/09(日) 12:23:57.10
>>39
愛知県津島市神守(カモリ)町の神守って神を守る人・組織?神職の人が住んでいたからなの?

56: 日本@名無史さん 2021/01/15(金) 08:53:32.16
>>50
神守郵便局のある津島市神守町って名鉄津島線津島駅
西1km位の津島神社とは反対方向で津島駅の東方2km位の日光川を渡った地帯だね。

70: 日本@名無史さん 2022/04/07(木) 19:33:39.98
>>50
津島市神守(カモリ)町は全国津島神社の本社津島神社とは数km離れた場所だから津島神社所縁の地名ではないだろう。
同音地名に大阪府岸和田市加守町があるがこちらは古くは

53: 日本@名無史さん 2020/11/20(金) 17:33:59.64
>>39
>県守(アガタモリ)・・・・・・
 
宣化天皇後裔多治比真人氏に池守・水守・縣守・広成・広足兄弟の名があるが兄弟の父左大臣多治比嶋は何を思い命名したのだろう?

74: 日本@名無史さん 2022/11/03(木) 23:48:32.05
>>53
多治比氏は奈良時代から平安時代初頭にかけて武蔵国の官職に就いた人物が多い
"多治比縣守が渡唐の際に祈願した、福岡市箱崎の筥崎神宮を勧請したもので・・・誉田八幡宮と稱へ奉れり。明治初年に八幡神社と改む・・・・
・養老三年(719) 武蔵守多治比真人縣守
・天平十年(738) 武蔵守多治比真人広足
・宝亀二年(771) 武蔵員外介多治比真人乙兄
・延暦五年(786) 武蔵守多治比真人宇美
・承和十二年(845)武蔵権守丹?真人門成
・嘉祥三年(850) 武蔵守丹?真人石雄
・貞観三年(861) 武蔵権介丹?真人今継
・治安三年(1023) 武蔵介多治石良
これだけの多治比氏が武蔵国に来ていて、その関わりの中で名門家と地方豪族との「血の
交わり」もあったのだろうか・・・・・・・"
古社への誘い 神社散策記 深谷市の神社 本田八幡神社  
http://kagura.wa-syo-ku.com/深谷市の神社/本田八幡神社

73: 日本@名無史さん 2022/10/17(月) 03:26:36.26
>>39
埼守(サキモリ)あるいは崎守(サキモリ)は史書では通常は防人と書き北部九州の防備のために東国から徴発された兵士のこと
万葉集所収の東国方言で詠まれた東歌で有名
ここでの「サキ」は軒先の先と同義か?

78: 日本@名無史さん 2023/05/05(金) 14:23:37.67
>>73
岬・崎のほうのことじゃね?

ヒナは鄙、辺境/イナカのことかなと空想する
室町時代頃には鎌倉公方、関東のことを鄙と呼んでたな
つまり鄙護で辺境伯みたいな意味かなと空想

80: 日本@名無史さん 2023/07/21(金) 21:20:23.21
>>73
県名埼玉の発祥地である埼玉郡埼玉村大字埼玉(現行田市)には前玉(サキタマ)神社と書く神社がある。
埼=前で岬(御崎)と同義で先っぽの意味なのだろう。

引用元: ・5世紀頃までの国境とそれを守備する軍事的長のヒナモリについて語るスレ