1: 人間七七四年 2016/06/13(月) 19:13:23.12 ID:oQV1xa1J
戦国時代における騎馬武者はどういう存在だったのか、について語りましょう。
戦国時代における騎馬武者やいわゆる騎馬隊の実像とは?
騎馬武者の馬上槍や騎馬突撃は一般的な戦術だったのか?
そもそも軍中における騎馬武者の割合は?
戦国時代における騎馬武者やいわゆる騎馬隊の実像とは?
騎馬武者の馬上槍や騎馬突撃は一般的な戦術だったのか?
そもそも軍中における騎馬武者の割合は?
581: 人間七七四年 2018/07/19(木) 04:03:03.76 ID:HU7MF7Nx
結局、戦国時代に有効に活用される騎馬武者っておったということでおkなん?
ポロ見てるとあんな感じかなって気はするけど、槍もってるおっさんと騎馬ってどっちが有利か気になる
ポロ見てるとあんな感じかなって気はするけど、槍もってるおっさんと騎馬ってどっちが有利か気になる
582: 人間七七四年 2018/07/19(木) 09:39:57.72 ID:xNzFtqGG
騎馬武者はいただろうな
指揮取るのに高い位置で指示出せるし移動も楽だし
戦術的に使える「騎馬隊」がいたかは知らんけど
指揮取るのに高い位置で指示出せるし移動も楽だし
戦術的に使える「騎馬隊」がいたかは知らんけど
584: 人間七七四年 2018/09/08(土) 01:33:23.16 ID:rmC8OmZl
洋の東西を問わず兵を集めて密集させて槍を揃えてのどつきあい我慢比べが戦争の本質で、その前後で馬で槍や刀を振るう奴はいたことはいたろう、趣味の範囲で
移動や指揮や伝令に指揮官達には馬は必要だった
但し日本では西洋やモンゴルみたいな騎馬集団の突撃はなかった
あったなら集団による運用が残って伝わるはずでそんなの聞いたことないし日本の傾斜のきつい山河で騎馬集団突撃は無駄だし必要ない
流鏑馬はあっても槍を馬の上から揃えての突撃は日本ではない
長篠とかあんな狭い所で馬で戦うのは嫌だわ
移動や指揮や伝令に指揮官達には馬は必要だった
但し日本では西洋やモンゴルみたいな騎馬集団の突撃はなかった
あったなら集団による運用が残って伝わるはずでそんなの聞いたことないし日本の傾斜のきつい山河で騎馬集団突撃は無駄だし必要ない
流鏑馬はあっても槍を馬の上から揃えての突撃は日本ではない
長篠とかあんな狭い所で馬で戦うのは嫌だわ
592: 人間七七四年 2018/11/25(日) 19:02:32.80 ID:2uNoE2DA
騎馬像 
これでは、人間が標準的な体型なら、馬は小さい。
90cm150kg程度の子供専用ポニーに体格ある成人男性が乗っている図。
鐙なしで脚の力を抜いて跨るとつま先が地面すれすれ所に来て傍目にはいかにも足が着きそうに見えるし、多少凸凹のある道で馬が駈ければ本当につま先が地面に接触してつま先をけがしてもおかしくない…
そんなことにならない様に、鐙で足(つま先)を持ち上げて駈けられるようにしている図。
馬が小さくても乗り物としてはそれなりに使える。
馬は自分の体重+斤量で走っているのだから、150kgのポニーに百数十キロの騎馬武者が乗ってもまだ半分以上のスピードは出る。配下の足軽とスピードを合わせなければならないので馬ばかりが速くても意味がなく、これで十分であろう。
だけど、突撃力=速さの2乗×全体の重さだから、突撃力は全然全ダメ。戦う時は馬を降りなければならない。

これでは、人間が標準的な体型なら、馬は小さい。
90cm150kg程度の子供専用ポニーに体格ある成人男性が乗っている図。
鐙なしで脚の力を抜いて跨るとつま先が地面すれすれ所に来て傍目にはいかにも足が着きそうに見えるし、多少凸凹のある道で馬が駈ければ本当につま先が地面に接触してつま先をけがしてもおかしくない…
そんなことにならない様に、鐙で足(つま先)を持ち上げて駈けられるようにしている図。
馬が小さくても乗り物としてはそれなりに使える。
馬は自分の体重+斤量で走っているのだから、150kgのポニーに百数十キロの騎馬武者が乗ってもまだ半分以上のスピードは出る。配下の足軽とスピードを合わせなければならないので馬ばかりが速くても意味がなく、これで十分であろう。
だけど、突撃力=速さの2乗×全体の重さだから、突撃力は全然全ダメ。戦う時は馬を降りなければならない。
593: 人間七七四年 2018/11/26(月) 11:31:20.12 ID:6n/D6ETx
遺骸とかから推定されるのは110cmくらいからじゃなかったっけか?
595: 人間七七四年 2018/12/04(火) 12:45:36.70 ID:c5El1wbz
騎馬の運用方法が残ってないのは単純に失伝したんじゃねーかなって気もしなくもない
西洋やらモンゴルはあくまでも騎乗戦闘がWW1あたりまで連綿と続いてるけど、日本は江戸時代の間大規模紛争はほぼなかったし
他にも弓矢の曲射による面制圧の運用とか長巻での戦闘方法とかも自分が知らないだけかもしれないけど、失伝してる感じがする
西洋やらモンゴルはあくまでも騎乗戦闘がWW1あたりまで連綿と続いてるけど、日本は江戸時代の間大規模紛争はほぼなかったし
他にも弓矢の曲射による面制圧の運用とか長巻での戦闘方法とかも自分が知らないだけかもしれないけど、失伝してる感じがする
596: 人間七七四年 2018/12/08(土) 08:53:39.99 ID:1r4J+T7J
泰平の世の江戸時代が長かったから失われた武芸も多いんだろうな
特に馬術は騎乗が許された家の特権だから門外不出の技術とか伝承されずに廃れてしまったのかも
特に馬術は騎乗が許された家の特権だから門外不出の技術とか伝承されずに廃れてしまったのかも
597: 人間七七四年 2018/12/08(土) 18:24:37.40 ID:KOSzd/1+
江戸時代の間じゃなくて、維新の時に中腰で乗る日本式騎乗方、鞍は効率が悪い、ってことで西洋式に全面的に改められ、和馬も西洋馬と掛け合わせて品種改良された結果、ほぼ消滅してしまい、弥生時代~江戸時代に日本人が本当はどんな馬に乗っていたか、辺境に残った在来種から想像するしかなくなってる。
今、在来馬と呼ばれてるものが、当時の平均的な馬と同レベルかどうかすらわからん。
今、在来馬と呼ばれてるものが、当時の平均的な馬と同レベルかどうかすらわからん。
599: 人間七七四年 2018/12/10(月) 07:00:56.25 ID:R/6d+8PV
長い江戸時代の間に
馬術は今の並の乗馬ファン並(駈歩が出来ればそれでよい。それ以上の高度な馬術は不要)に低迷
馬は段々小型化、太平の世では突撃力なんか不要。小さい目の馬/必要最小限のサイズの馬が好まれやすい
護送船団方式で大きい馬も小さい馬に合わせて速力を抑えて騎乗しなければならないのなら、自分ならサラブレッドを減速騎乗するより、乗り降りが楽な90センチ弱のポニーを全速力で走らせたいように思う。
誰でも考えることは一緒。馬はだんだん小型化
馬術は今の並の乗馬ファン並(駈歩が出来ればそれでよい。それ以上の高度な馬術は不要)に低迷
馬は段々小型化、太平の世では突撃力なんか不要。小さい目の馬/必要最小限のサイズの馬が好まれやすい
護送船団方式で大きい馬も小さい馬に合わせて速力を抑えて騎乗しなければならないのなら、自分ならサラブレッドを減速騎乗するより、乗り降りが楽な90センチ弱のポニーを全速力で走らせたいように思う。
誰でも考えることは一緒。馬はだんだん小型化
600: 人間七七四年 2018/12/10(月) 17:11:34.94 ID:kKE1OQ6w
日本の馬って90センチなの?
601: 人間七七四年 2018/12/10(月) 17:37:55.53 ID:HD0RRXfD
在来馬は平均130~140ぐらいかな
90センチ云々のそのポ二-はどうみても西洋馬の血統だし
日本で生まれ育ったから日本ポニーとか勝手に言ってるんじゃね?
90センチ云々のそのポ二-はどうみても西洋馬の血統だし
日本で生まれ育ったから日本ポニーとか勝手に言ってるんじゃね?
602: 人間七七四年 2018/12/10(月) 20:05:07.10 ID:uN+fHudR
ポニーってのは体高147cm以下の馬の総称で日本在来場もモンゴルの馬もみんなポニーだ
603: 人間七七四年 2018/12/10(月) 20:14:00.01 ID:CnwyCLp9
そう
だから戦国時代の日本馬がいまでいうポニーというのは間違いではない
ただ、一般的にポニーというとミニチュアホースとかのペットを思い浮かべるからややこしくなる
まあ、ミスリードを狙っていたからなんだろうけど
だから戦国時代の日本馬がいまでいうポニーというのは間違いではない
ただ、一般的にポニーというとミニチュアホースとかのペットを思い浮かべるからややこしくなる
まあ、ミスリードを狙っていたからなんだろうけど
606: 人間七七四年 2018/12/10(月) 22:48:40.20 ID:yStctJ4m
そもそも普通に考えてサラブレットみたいな馬が今みたいに整備されていない道で運用できないよ
維持費が大変
サラブレットなんて引退したら600キロとか余裕で越える。これ食わすのにどれだけ食わさないといけないのか
維持費が大変
サラブレットなんて引退したら600キロとか余裕で越える。これ食わすのにどれだけ食わさないといけないのか
607: 人間七七四年 2018/12/11(火) 07:06:35.28 ID:xyZYG3Y0
90㎝150㎏のポニーを相似形に160センチに大きくすると800キロを超える計算。つまり、500㌔そこそこが標準的なサラブレッドはひ弱にできすぎている。
あくまでも競馬用に改良された品種で、競馬以外の用途には、「初心者の練習にならなんとか使える」レベルなのは当たり前。
馬は、小さいやつなら(最大モンゴル馬まで)草だけで飼える。
それ以上に大きくなってくると草だけでは飼えず穀物も要求するようになる。だから明治維新以降の軍馬養成所には騎手・牧童とかだけでなく耕手(穀物畑を耕す人)まで必要だった。
維持費は段違い/人間の食料だけ運んで馬はその辺の草を食わせればよいのと馬の餌まで運ばねばならばいのでは兵站が段違い
あくまでも競馬用に改良された品種で、競馬以外の用途には、「初心者の練習にならなんとか使える」レベルなのは当たり前。
馬は、小さいやつなら(最大モンゴル馬まで)草だけで飼える。
それ以上に大きくなってくると草だけでは飼えず穀物も要求するようになる。だから明治維新以降の軍馬養成所には騎手・牧童とかだけでなく耕手(穀物畑を耕す人)まで必要だった。
維持費は段違い/人間の食料だけ運んで馬はその辺の草を食わせればよいのと馬の餌まで運ばねばならばいのでは兵站が段違い
608: 人間七七四年 2018/12/11(火) 15:57:34.11 ID:1ionGIJx
戦国時代の馬でもいいやつは大豆たらふく食わせてましたやん
609: 人間七七四年 2018/12/11(火) 15:57:51.40 ID:JObAFdyH
江戸時代も豆とか糠とかを食わせていたけどな
戦国時代も加藤清正が半島で食糧難になり困っていた時に、背に腹はと馬のごはんの「煮豆」を人用にとしよう味噌袋に入れて分けておいたら、それが納豆になって助かったなんて話もあるでよ
戦国時代も加藤清正が半島で食糧難になり困っていた時に、背に腹はと馬のごはんの「煮豆」を人用にとしよう味噌袋に入れて分けておいたら、それが納豆になって助かったなんて話もあるでよ
611: 人間七七四年 2018/12/14(金) 12:30:43.20 ID:9w/B4qNM
戦時だけでなく平時でも維持費は変わらないからねえ
戦車のエンジンをずっとかけっぱなしみたいなものだ
戦車のエンジンをずっとかけっぱなしみたいなものだ
614: 人間七七四年 2018/12/14(金) 21:48:52.55 ID:5e97TvQl
>>611
この観点からは、小さい目の馬が有利
90cm150kgのポニーなら、死んでしまったときは二人がかりでリアカーに積んで捨てに行けるが、500kgとかだとクレーンが要る。このような観点からも小さい目が有利
この観点からは、小さい目の馬が有利
90cm150kgのポニーなら、死んでしまったときは二人がかりでリアカーに積んで捨てに行けるが、500kgとかだとクレーンが要る。このような観点からも小さい目が有利
616: 人間七七四年 2018/12/14(金) 23:10:48.95 ID:UQ/ERN0b
戦国時代の馬は体高110から140cmだと発掘調査からわかるという話を馬の博物館の方がされてたぞ
歴史科学捜査班で
歴史科学捜査班で
618: 人間七七四年 2018/12/15(土) 07:28:46.89 ID:+mIEj28m
>>616
110センチだとほぼ与那国馬。馬体重200kgほど。
どこかにあった鵯越の逆さ落としの銅像の担ぎ方は200kgなら可能かも?
110センチだとほぼ与那国馬。馬体重200kgほど。
どこかにあった鵯越の逆さ落としの銅像の担ぎ方は200kgなら可能かも?
612: 人間七七四年 2018/12/14(金) 13:33:59.40 ID:FhVIpWk/
近世近代騎兵合同誌という本で西洋における騎兵の突撃について言及されてたんですが、騎兵突撃においても馬は基本ぶつかるのを嫌がるので、対象の隣をすり抜けていくという旨の記述があったと記憶しています
記憶違いだと申し訳ないんですが、その通りなら日本での馬も敵兵の隣をすれ違おうとするんじゃないでしょうか
衝突力という言葉に騙されがちですが、馬体をぶつけるのではなく通り過ぎざまに切る、あるいは目前で突くという運用であればアラブ種より小さい馬でも充分可能な運用かと
記憶違いだと申し訳ないんですが、その通りなら日本での馬も敵兵の隣をすれ違おうとするんじゃないでしょうか
衝突力という言葉に騙されがちですが、馬体をぶつけるのではなく通り過ぎざまに切る、あるいは目前で突くという運用であればアラブ種より小さい馬でも充分可能な運用かと
615: 人間七七四年 2018/12/14(金) 23:03:58.42 ID:d0P/WW56
>>612
騎兵の突撃は板金技術が発展してたヨーロッパだけの戦術。
当時の日本というか、ヨーロッパ以外は板金の鎧みたいな物を作れるほど防御手段が発展してないため弓騎兵が主流
騎兵の突撃は板金技術が発展してたヨーロッパだけの戦術。
当時の日本というか、ヨーロッパ以外は板金の鎧みたいな物を作れるほど防御手段が発展してないため弓騎兵が主流
629: 人間七七四年 2018/12/28(金) 11:33:05.18 ID:ETz8M6gQ
>>615
西洋では板金鎧なんかなかったバイユーのタペストリーの時代から槍による騎乗突撃が見られるんですが
西洋では板金鎧なんかなかったバイユーのタペストリーの時代から槍による騎乗突撃が見られるんですが
617: 人間七七四年 2018/12/15(土) 02:36:51.11 ID:+0+dkhkQ
板金技術がないから騎兵突撃はないってのはかなり無理あると考えますね
鐙の存在すら怪しい三国時代ですら騎兵突撃やってるし
例に挙がってる近世近代でも板金鎧での突撃なんてほぼないし、いわゆる軍服で騎兵突撃してる
騎兵の防御力において板金は優れた能力を発揮するけど、ないならないで突撃してる
鐙の存在すら怪しい三国時代ですら騎兵突撃やってるし
例に挙がってる近世近代でも板金鎧での突撃なんてほぼないし、いわゆる軍服で騎兵突撃してる
騎兵の防御力において板金は優れた能力を発揮するけど、ないならないで突撃してる
619: 人間七七四年 2018/12/15(土) 22:03:52.62 ID:HRzMj1wd
槍抱えて突撃よりも、馬を乗り回して弓を射ってるイメージがあるけど、弓騎馬は鎌倉あたりまで?
622: 人間七七四年 2018/12/17(月) 14:26:40.57 ID:q93+35K5
>>619
南北朝の頃の兵術本に騎射は実用的じゃないとされていたような…
南北朝の頃の兵術本に騎射は実用的じゃないとされていたような…
623: 人間七七四年 2018/12/20(木) 00:37:10.30 ID:fj8+QIZo
固まった長槍相手に騎馬突撃なんて意味ない
そもそも騎馬突撃なんかより長槍の突撃の方が効果的
武田も長槍隊が有名だし、武田の馬は騎馬隊より荷駄隊の輸送手段に大量に馬を使ったと
これが効果的で、武田領内は軍用道が整備されていて軍の移動が速かった
要は軍の移動か早いと、戦争で先手が取れて、さらに軍費も抑えられる
そもそも騎馬突撃なんかより長槍の突撃の方が効果的
武田も長槍隊が有名だし、武田の馬は騎馬隊より荷駄隊の輸送手段に大量に馬を使ったと
これが効果的で、武田領内は軍用道が整備されていて軍の移動が速かった
要は軍の移動か早いと、戦争で先手が取れて、さらに軍費も抑えられる
628: 人間七七四年 2018/12/28(金) 11:26:54.62 ID:ETz8M6gQ
>>623
軍役状等の史料ではかなりの量確認できるけど「有名」だったっけ?
たとえば具体的にどんな史料で武田の長槍隊が有名だったとわかるの?
軍役状等の史料ではかなりの量確認できるけど「有名」だったっけ?
たとえば具体的にどんな史料で武田の長槍隊が有名だったとわかるの?
626: 人間七七四年 2018/12/20(木) 23:58:37.26 ID:TXzImYPe
なんでわざわざ長槍そろえて完璧に対騎馬体制整えてるところに馬鹿正直に正面から突っ込ませる前提で騎馬突撃がなかったなんて語ってるの?
対戦車兵器いっぱいあるから戦車はなかったレベルの極論でしょそれ
騎馬は決戦兵器、崩れかけて陣形の乱れてるところに突っ込ませて敵の崩壊を決定づけるなりの役割でしょ
対戦車兵器いっぱいあるから戦車はなかったレベルの極論でしょそれ
騎馬は決戦兵器、崩れかけて陣形の乱れてるところに突っ込ませて敵の崩壊を決定づけるなりの役割でしょ
631: 人間七七四年 2018/12/28(金) 18:25:13.59 ID:Hlmvoqgv
スコットランド独立の英雄のウィリアム・ウォレスはスターリング・ブリッジの戦いでは、イングランド騎兵の突進に対して数多くの長い槍を突き立てて阻止させたらしいな。
636: 人間七七四年 2018/12/31(月) 01:41:27.29 ID:UxaVwBq4
普通に考えて平野が少ない山ばっかの日本で騎馬突撃なんてあるわけない
どこでやるねん
野戦なんて数えるほどしかない
日本の戦争は基本、砦の潰しいあいと攻城戦なわけ
実際、どんな突撃やってたのか説明しろ
日本の馬は気性が荒くて集団戦じゃまず使えない
この馬を品種改良して集団でも使えるようにしたのが明治の日清戦争の後のこと
日本で騎兵が導入されたのは明治になってから
馬の性格種類、それを扱う乗り手の技術、その用法。まず戦国時代じゃ騎馬隊は無理
明治政府が騎兵を組織するのに、根本的に馬から作り変えたのを見たらわかるでしょうに
どこでやるねん
野戦なんて数えるほどしかない
日本の戦争は基本、砦の潰しいあいと攻城戦なわけ
実際、どんな突撃やってたのか説明しろ
日本の馬は気性が荒くて集団戦じゃまず使えない
この馬を品種改良して集団でも使えるようにしたのが明治の日清戦争の後のこと
日本で騎兵が導入されたのは明治になってから
馬の性格種類、それを扱う乗り手の技術、その用法。まず戦国時代じゃ騎馬隊は無理
明治政府が騎兵を組織するのに、根本的に馬から作り変えたのを見たらわかるでしょうに
639: 人間七七四年 2018/12/31(月) 02:42:59.65 ID:+ywxsulk
島津家文書にも乗り崩しの記述は出てくるし、黒田基樹先生も北条の軍役帳を基に兵科として騎馬隊を作って運用してる旨に言及してる
ていうか源平合戦やらの絵巻ですら騎馬を集中運用してる様すら描写されてるのに何を基に否定してるんかね
ていうか源平合戦やらの絵巻ですら騎馬を集中運用してる様すら描写されてるのに何を基に否定してるんかね
641: 人間七七四年 2018/12/31(月) 05:15:54.41 ID:UxaVwBq4
確かに騎馬の比率が高い騎馬隊があった
これは武田の赤備えが有名で、赤備えは武具にもお金が掛かっていて超豪華なエリート軍団だった
この赤備えの仕事は、勝敗が決したあと、敗走する敵兵を追いかけること
そして赤備えに追いかけ回された敵兵の生き残りは自国に戻って武田の強さと赤備えの恐ろしさを伝える
これが武田軍の宣伝になり、武田軍は強い戦国最強と言われるようになる
つまり、武田の騎馬隊っては武田の広告塔の宣伝部隊で、武田最強の象徴だったわけね
ただ実際の戦闘での活躍は限定的である。そら金が掛かっている隊だから攻撃されるのは不味い。
これは武田の赤備えが有名で、赤備えは武具にもお金が掛かっていて超豪華なエリート軍団だった
この赤備えの仕事は、勝敗が決したあと、敗走する敵兵を追いかけること
そして赤備えに追いかけ回された敵兵の生き残りは自国に戻って武田の強さと赤備えの恐ろしさを伝える
これが武田軍の宣伝になり、武田軍は強い戦国最強と言われるようになる
つまり、武田の騎馬隊っては武田の広告塔の宣伝部隊で、武田最強の象徴だったわけね
ただ実際の戦闘での活躍は限定的である。そら金が掛かっている隊だから攻撃されるのは不味い。
643: 人間七七四年 2018/12/31(月) 11:38:16.51 ID:+ywxsulk
信長公記とか一度でも読んだことあればそんな寝言でないんやけどね
騎馬の密集訓練の仕方も、騎乗戦闘によって敵を倒してる記述も全部載ってる
ないない言ってるけどたぶん一度もそういった記述があるまともな史料読んでないだけでしょ
ついでにいえば絵巻で思いっきり太刀振り回してる絵もあるけど、それすら見たことがないらしい
騎馬の密集訓練の仕方も、騎乗戦闘によって敵を倒してる記述も全部載ってる
ないない言ってるけどたぶん一度もそういった記述があるまともな史料読んでないだけでしょ
ついでにいえば絵巻で思いっきり太刀振り回してる絵もあるけど、それすら見たことがないらしい
644: 人間七七四年 2018/12/31(月) 11:45:30.51 ID:wgX7J7Nc
信長公記がどんな扱いをされてる史料だかご存じないのかしら
645: 人間七七四年 2018/12/31(月) 11:55:07.70 ID:+ywxsulk
信長公記は個々の起きた事象を追うという面では確かに史料としちゃ主観によってる部分がある
けれど騎乗での戦闘や訓練においては当時の情報を知れる重要な史料だよ
それともなにかね、太田牛一は織田信長を持ち上げるために騎馬の戦闘方法すらないものをあるとして書いたとでも思ってるんかい?
けれど騎乗での戦闘や訓練においては当時の情報を知れる重要な史料だよ
それともなにかね、太田牛一は織田信長を持ち上げるために騎馬の戦闘方法すらないものをあるとして書いたとでも思ってるんかい?
675: 人間七七四年 2019/06/11(火) 20:50:47.39 ID:XBzj8SWe
風雲!大歴史実験 木曽馬登場
https://blog.goo.ne.jp/fukurou/e/eb341dce649b2f975b79e7108f278a92
駈歩では1kmにも満たない距離で馬がストライキを起こしてしまう…が結論みたい
https://blog.goo.ne.jp/fukurou/e/eb341dce649b2f975b79e7108f278a92
駈歩では1kmにも満たない距離で馬がストライキを起こしてしまう…が結論みたい
678: 人間七七四年 2019/06/14(金) 06:36:27.46 ID:3GNMUCSD
馬は瞬発力系の実験なら、無理なら動けない=競馬なら負ける、だけなのだが
持久走系の実験をすると、ストライキを起こさず何時までも走りつづけて、体力を使い果たすと倒れたまま二度と起き上がらずそのまま死んでしまうという悪癖があり、怖くて実験できない
馬が激しく首を振っている所を、愛馬心で止めずにロボット三原則を準用して意地でも止めずに蹴り続けると、馬は死んでしまう
※蹴っても動かなければバシバシ…という騎乗を普段からしておけば馬はどんなに疲れてきてもストライキを起こさないようになる。日頃の調教が大切
こうなったら大変だから…安全策を取って限界が来た『事にして』止めるという実験にならざるを得ない
持久走系の実験をすると、ストライキを起こさず何時までも走りつづけて、体力を使い果たすと倒れたまま二度と起き上がらずそのまま死んでしまうという悪癖があり、怖くて実験できない
馬が激しく首を振っている所を、愛馬心で止めずにロボット三原則を準用して意地でも止めずに蹴り続けると、馬は死んでしまう
※蹴っても動かなければバシバシ…という騎乗を普段からしておけば馬はどんなに疲れてきてもストライキを起こさないようになる。日頃の調教が大切
こうなったら大変だから…安全策を取って限界が来た『事にして』止めるという実験にならざるを得ない
684: 人間七七四年 2019/08/14(水) 20:53:05.72 ID:+s2tzgJC
逃げ弾正が書いた武具要説には騎馬戦術に関する記載があるしな。
紛れも無い当時の史料といえるだろう。
紛れも無い当時の史料といえるだろう。
686: 人間七七四年 2019/10/14(月) 15:51:19.74 ID:dkZU7GP7
なんかツイッターで大鎧着て木曽馬で騎射してる動画あったなぁ
30キロ出てたと
むしろ普段着の場合は木曽馬くん手を抜いて遅いとも
30キロ出てたと
むしろ普段着の場合は木曽馬くん手を抜いて遅いとも
687: 人間七七四年 2019/10/14(月) 23:49:39.09 ID:Px02AmXd
朝青龍とか現役の時もモンゴル帰った時はしょっちゅう馬乗ってた気がする
688: 人間七七四年 2019/10/15(火) 00:21:29.12 ID:yLGF6TdE
>>687
朝青龍がモンゴル馬に乗ってる画像、ほんと雑コラかってくらいアンバランスで凄いよね
あれでも楽々走るし馬はすげぇわ
朝青龍がモンゴル馬に乗ってる画像、ほんと雑コラかってくらいアンバランスで凄いよね
あれでも楽々走るし馬はすげぇわ
689: 人間七七四年 2019/10/15(火) 18:19:28.91 ID:AIb78EBb
そもそも日本には騎馬突撃なんてやる盆地が殆どない
モンゴルの騎馬はなんもない広大な平野を生かすためのもんで、日本とは真逆
モンゴルの騎馬はなんもない広大な平野を生かすためのもんで、日本とは真逆
690: 人間七七四年 2019/10/15(火) 18:53:30.26 ID:yLGF6TdE
歩兵が突撃できる広さがあれば馬も走れるくね
694: 人間七七四年 2019/10/15(火) 23:08:40.75 ID:yLGF6TdE
それこそ城の構造の名称の一つにまんま馬出ってあるしなぁ
710: 人間七七四年 2019/10/18(金) 09:27:43.61 ID:xCrWTacO
狭い切り通し周辺の合戦でだって馬を入れて乗り崩すこともあると史料を見れば書いてありますね
『野口豊前守戦功覚書写』
・一、小山きりとをしと申所ニ而、ひさきと申物人衆引連打出候を、我等馬を入乗くつし申候、つれ合候衆山内大炊亮・塚原ぬいの助そんし申候事、
『野口豊前守戦功覚書写』
・一、小山きりとをしと申所ニ而、ひさきと申物人衆引連打出候を、我等馬を入乗くつし申候、つれ合候衆山内大炊亮・塚原ぬいの助そんし申候事、
711: 人間七七四年 2019/10/18(金) 09:29:40.99 ID:xCrWTacO
多賀谷家臣野口豊前守が戦功覚書で申告する騎乗戦闘
『野口豊前守戦功覚書写』
・一、あまかいと申所之東ニ而、小山衆と鑓御座候ニ、我等馬にて乗わけ申候、つれ合候衆飯塚六兵へ・高徳主計存申候事
・一、小山きりとをしと申所ニ而、ひさきと申物人衆引連打出候を、我等馬を入乗くつし申候、つれ合候衆山内大炊亮・塚原ぬいの助そんし申候事、
・一、小山四日市と申所ニ而、我等初馬ニ入、てきおおしミたし候て、てきに荒巻弥左衛門と申物のさし物・てつほうととお取申候、
・一、うしゆく東輪寺と申候所ニて、糸加大くら鑓ニてつきおとされ、打たれ申候所ニ、我等わきより馬ヲ入、てきのやりヲけおとし申候て、大くらたすけ申候、我等やりけおとし申物お、北夕ぬいの助と申物、打申候事、
『野口豊前守戦功覚書写』
・一、あまかいと申所之東ニ而、小山衆と鑓御座候ニ、我等馬にて乗わけ申候、つれ合候衆飯塚六兵へ・高徳主計存申候事
・一、小山きりとをしと申所ニ而、ひさきと申物人衆引連打出候を、我等馬を入乗くつし申候、つれ合候衆山内大炊亮・塚原ぬいの助そんし申候事、
・一、小山四日市と申所ニ而、我等初馬ニ入、てきおおしミたし候て、てきに荒巻弥左衛門と申物のさし物・てつほうととお取申候、
・一、うしゆく東輪寺と申候所ニて、糸加大くら鑓ニてつきおとされ、打たれ申候所ニ、我等わきより馬ヲ入、てきのやりヲけおとし申候て、大くらたすけ申候、我等やりけおとし申物お、北夕ぬいの助と申物、打申候事、
714: 人間七七四年 2019/10/18(金) 11:43:20.31 ID:cbWDvl+e
元亀年間生まれの柳生宗矩の伝書から騎乗で使う槍は自分は槍をしっかり持ち馬を走らせる勢いで突くのが重要であるとしている
『新陰流外乃物百拾九ヶ条』馬上の事
・馬上にて、やりの持やう、おびにはさむやうすもあり。たづなをかけ候て、持やうもあり。
たづなをわいかけて持心持あり。色々あるべし。しかれども、この三つを用なり。
・馬上にてつく心持の事、てきのやり、馬のつらより三尺さきにて先をしかけ、うつといふ心持あり。
・のりかけてわがやりつよくもち、馬につかせる心持肝要也。
・下なるものをおいかけてつくも、せなかおびの上下やりさきあてがい、馬にてつかせたるよし。
・同、馬上にての心持、たがひにかたなにてかかつて来るものは、かかるものの左のかたへわり、馬のつらをのりかくるやうに、心持専一なり。右の方へなる時は、あわする心持一つなり。
・下に刀にてゐるものきる心持、まづわをのりかけてまはしたるよし。右にゐるものをきらんとおもはば、みぎのあぶみをふみはり、くらをすかしてきりたるよし。左にある時は、左をふみはり、是もくらをすかし、すみのくらにてきりたるよし。
『新陰流外乃物百拾九ヶ条』馬上の事
・馬上にて、やりの持やう、おびにはさむやうすもあり。たづなをかけ候て、持やうもあり。
たづなをわいかけて持心持あり。色々あるべし。しかれども、この三つを用なり。
・馬上にてつく心持の事、てきのやり、馬のつらより三尺さきにて先をしかけ、うつといふ心持あり。
・のりかけてわがやりつよくもち、馬につかせる心持肝要也。
・下なるものをおいかけてつくも、せなかおびの上下やりさきあてがい、馬にてつかせたるよし。
・同、馬上にての心持、たがひにかたなにてかかつて来るものは、かかるものの左のかたへわり、馬のつらをのりかくるやうに、心持専一なり。右の方へなる時は、あわする心持一つなり。
・下に刀にてゐるものきる心持、まづわをのりかけてまはしたるよし。右にゐるものをきらんとおもはば、みぎのあぶみをふみはり、くらをすかしてきりたるよし。左にある時は、左をふみはり、是もくらをすかし、すみのくらにてきりたるよし。
715: 人間七七四年 2019/10/18(金) 11:45:54.67 ID:cbWDvl+e
桶狭間合戦の真相を探る際に鈴木眞哉氏も最重要視する史料である「信長公記」から
「信長公記」
・西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、蜂屋兵庫頭。松の木の渡り、一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、馬上より数多切り捨て候なり。
・三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。関東衆、馬上の功者にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる。
「信長公記」
・西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、蜂屋兵庫頭。松の木の渡り、一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、馬上より数多切り捨て候なり。
・三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。関東衆、馬上の功者にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる。
密集隊型の敵に突っ込み、馬の脚を止められる…NG
こんなのが、基本で。
集団戦で使うなら、歩兵を絡ませて、敵の密集隊型が崩れたら、敵の中枢(大将首)目掛けて騎兵を走らせる、なんて運用になるんじゃないかね。