1: 世界@名無史さん 2016/07/24(日) 20:50:01.75 0
明の太祖朱元璋陛下、建文帝と燕王朱棣(後の永楽帝)
鄭和、亦失哈、方孝孺、姚広孝など同時期の人物を語りましょう。








4: 世界@名無史さん 2016/07/25(月) 02:59:47.28 0
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方孝孺(1357年-1402年)建文帝に仕えた儒者。燕王に正論を述べたが故に族滅される憂き目に

方 孝孺(至正17年(1357年) - 建文4年6月25日(1402年7月25日))は、明初の儒学者。

建文帝の信任のもとで国政改革に従事し、徳治による政治体制を目指したが、燕王朱棣(後の永楽帝)による靖難の変が起こる。靖難の変末期には、方孝孺は建文帝から軍の総司令官に任命されたが、大敗して方孝孺は捕らえられた。

即位して永楽帝となった朱棣は、姚広孝の進言もあって方孝孺を助命し、「詔天下、非先生草不可」(詔勅を書いていただきたい。先生でなければダメなのです)と、彼に即位の詔を書くよう、懇願した。これは、方孝孺が当時、儒学の大家として有名であったため、即位に関して簒奪として見ている儒学者の支持を得るためである。しかし、方孝孺は建文帝から重用された恩を忘れていなかったため、筆を投げ捨て、泣き乱しながら朱棣を罵り、「死即死耳、詔不可草(さあ殺せ!わしは詔勅など書かんぞ!)」と騒いだので、激怒した朱棣に磔刑に処され、死亡した。

方孝孺は処刑の直前、「天降乱離兮孰知其由(天は乱離を降す、いずれか其の由を知らんや)」という辞世の詩を詠んでいる。方孝孺の宗族・親友は連座して処刑されたものが数百人に及んだ(『明史』方孝孺伝)。


108: 世界@名無史さん 2016/10/27(木) 13:20:52.80 0
方孝孺の一族門人873人処刑て誰が執行したんだ?

110: 世界@名無史さん 2016/10/27(木) 21:04:19.39 0
>>108
燕王の配下の将兵だろう。
集団処刑。

永楽帝がいくら自分を美化する捏造記録書作らせても所詮無駄だな。非道は必ず暴かれる。

111: 世界@名無史さん 2016/10/28(金) 23:24:38.30 0
>>108
方孝孺の「誅十族」自体が今で言う都市伝説みたいなものなんだってよ
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTOTAL-SXYK201405004.htm
「史學月刊」はオンラインジャーナルで国会図書館の端末で見られるから読んでみたら?

114: 世界@名無史さん 2017/02/26(日) 11:15:03.97 0
南明の忠臣、史可法の紀伝を見てて、「史可法は世襲の錦衣百戸の家に生まれ~」という下りがあったんだけど、錦衣衛の百戸ってのは、先祖は勲功か何かを上げた世襲の下級貴族みたいなもんなのか。明一代の世襲官職の扱いがよく分からん。
武職はいやしめられたとかよく書かれてるけど、公侯伯の武職についてた人が死んだら目立った功績もないのに、太子少師とか少師とか文官尚書もびっくりの官職を追贈されてるようだし…。
錦衣衛(きんいえい)は、明朝の秘密警察・軍事組織で、禁衛軍の1つ。

明朝の洪武15年(1382年)に、儀鸞司が再編・改称されたもので、侍衛上直軍の1つとして親軍指揮使司に属し、勲戚の都督の下に南北両鎮撫司・十四所を統轄して儀仗と宮禁守護が職務とされたが、実際には特務機関としてその側面が強くなり、北鎮撫司の処理する詔獄が別称となった。東廠設置後は、その下部組織として兵刑両権を行使して安易に拷問を濫用し、恐怖政治に因り人々から恐れられた。

123: 世界@名無史さん 2017/03/05(日) 12:12:50.41 0
>>114
史書は大概が文官が書いているから文官優位に記述されてるんじゃないの
文官なら皇帝の気まぐれで廷杖喰らうけど武官なら無いでしょ
文官を小間使いの延長に見ていた証拠だよ

127: 世界@名無史さん 2017/03/05(日) 15:55:20.35 0
品種改良で作った花に「錦衣衛」って名前付けた奴がいるんだが
http://www.cnki.com.cn/Article/CJFDTOTAL-NJZU201323022.htm
どうしてそうなった

128: 世界@名無史さん 2017/03/05(日) 16:00:38.09 O
盗聴機が仕込まれてそうで嫌だなぁ

129: 世界@名無史さん 2017/03/05(日) 17:55:48.67 0
国家主席から党幹部に贈られた場合、いろいろ察して引退しろって事なのかも知れん

115: 世界@名無史さん 2017/03/03(金) 23:41:47.08 0
最近の中国や朝鮮の時代劇を見てると、明の官僚が出てきた時にちゃんと紗帽や服を着ているのはいいけど、髪を結わずに長髪の下げ髪にしてる姿が定着してるんだけどなぜだろう…。
朝鮮ドラマならいいけど、中国のドラマがやっちゃあかんやろ

116: 世界@名無史さん 2017/03/04(土) 14:29:48.37 0
日本でも主人公らが月代なしの頭でやっちゃってる時代劇も結構ある
時代考証の力が不足してるというよりは、演出上の問題(格好よく見せたい)だろうね

118: 世界@名無史さん 2017/03/05(日) 08:27:14.10 0
清代の話なのに弁髪してないなんてよくあることだし、古代の話でもチャイナドレス姿の女の子の一人や二人は居て当たり前だし

124: 世界@名無史さん 2017/03/05(日) 14:37:44.16 0
太祖朱元璋陛下はルックスもイケメンでありますか?

126: 世界@名無史さん 2017/03/05(日) 15:06:24.86 0
>>124
特に恰幅も良くなければ醜くも無いんでないの
お忍びであちこち出歩いてたみたいだから
「明史」137の「羅復仁伝」とか「翦勝野聞」とか、某国子監監生と相席になって酒飲んでるし

130: 世界@名無史さん 2017/03/05(日) 18:42:42.57 0
朱徳や朱鎔基は子孫ですか?

132: 世界@名無史さん 2017/03/05(日) 21:43:03.84 0
>>130
少なくとも朱鎔基は公称していると聞いた

149: 世界@名無史さん 2017/03/27(月) 21:47:26.46 0
今の紫禁城って大都→明朝→清朝で区画や建物のスタイルは変わっていない?

150: 世界@名無史さん 2017/03/27(月) 22:25:31.87 0
紫禁城(大内)の区画の位置は元代から基本的に変わってない
北京の都城全体としては、内城の北4割を削って南に外城が増えたという感じでズレたけど
建物のスタイルの変遷は知らない
もちろん建物そのものは永楽帝時代や明末清初などにおいて滅失再建されて現代に至っている

151: 世界@名無史さん 2017/03/28(火) 02:29:30.70 0
明代は藩王も各地に分封されているし、各地の衛所に正三品の指揮使以下高官が居るけど、清代は北京に王府があって旗人も基本的には北京在住だから、その分かなり拡張しているはず

156: 世界@名無史さん 2017/04/05(水) 22:58:50.97 0
no title


鄭和(1371年 - 1434年)永楽帝に仕えた宦官の一人。世界史に名を残す大航海家でもある。

157: 世界@名無史さん 2017/04/06(木) 01:01:06.51 0
>>156
歴史に名を残したのも良いけど
鄭和は甥が跡を継いで今でも先祖として祀られているからな
http://www.toho-shoten.co.jp/toho-web/search/detail?id=173238&bookType=ch

167: 世界@名無史さん 2017/04/09(日) 08:30:02.90 0
宣徳帝も祖父の永楽帝同様に、宦官大好きっ子だったな。

168: 世界@名無史さん 2017/04/09(日) 09:38:30.40 O
明室は永楽帝以降は代々宦官大好きだろ。

172: 世界@名無史さん 2017/04/09(日) 18:58:17.93 0
永楽帝は、ずいぶん評判が悪いな

173: 世界@名無史さん 2017/04/09(日) 18:59:02.50 0
中国史上で暴君といえば煬帝と始皇帝だが、こうしてみると永楽帝もなかなか

179: 世界@名無史さん 2017/04/09(日) 21:01:45.98 0
202 :世界@名無史さん:2005/10/27(木) 13:38:33 0

靖難の役で南京が陥落したのち、燕王は建文帝にあくまで忠義を尽くす廷臣たちを残虐に処刑して回った。
削藩の先頭に立っていた黄子澄と斉泰は特に悲惨である。黄子澄は蘇州で勤皇の兵を募っていたが、捕らえられて南京に護送された。
永楽帝として即位した燕王を黄はどうしても認めず、 帝の目前でも激しく抗弁した。
激怒した永楽帝は黄の四肢を切断し、そのまま凌遅にした。
一族65人はすべて斬首、妻側の一族はすべて辺境に流された。

斉泰は愛用の白馬に墨を塗って素性を隠し、城外に逃れた。しかし馬が汗をかいて墨が流れ落ち、正体がばれて逮捕され、都に送られた。
一族全員が、死刑、流罪に処せられ、ながらえたのは六歳の末子だけであった。

陳迪の場合はもっと悲惨である。
やはり永楽帝の前に引き出されながらも、臆する事無く 激しく不義不忠を罵る。
やがて六人の息子ともども処刑される段になり、息子の一人が父上のせいだと泣き喚く。
陳はすかさず息子を叱り付けると、前にも増して永楽帝を罵った。
そこで帝は息子達の耳と鼻を削ぎ落とし、火で炙って陳の口に詰め込み、非情にもその味を尋ねた。
陳は「忠臣の息子の肉、これほどの美味はござらぬ」と平然として答え、なおも罵り、壮絶な最後を遂げた。

一族850人あまりが殺された方孝孺など、結局戦後の復讐裁判で1万人あまりが粛清されたのである。

180: 世界@名無史さん 2017/04/12(水) 03:06:23.57 0
どちらも話半分に聞いておくにしても、各々トータルで10万行かない朱親子よりも、巫蠱の禍で40万人以上殺した漢の武帝の方がえげつないのに、なんで朱氏の方が大粛清のイメージが強いんだろうな

https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E5%B7%AB%E8%9B%8A%E4%B9%8B%E7%A5%B8

182: 世界@名無史さん 2017/04/12(水) 11:23:00.26 0
>>180
武帝は息子まで殺してるしな。

流石に秦皇漢武って言われるだけはあるわ。

183: 世界@名無史さん 2017/04/12(水) 12:29:59.72 O
明太祖の文字の獄は600万人に禍が及んだと聞いたが。
人口比率を鑑みると毛沢東ですら及ばない数字だ…

189: 世界@名無史さん 2017/05/03(水) 09:48:05.10 0
永楽帝は、妙に人気者だな

朱元璋はどうなの?

190: 世界@名無史さん 2017/05/03(水) 09:49:26.69 0
朱元璋本人は、カリスマ性だけが取り柄のような人物だったが、軍師の劉基が中国史上でも最有能な人物

191: 世界@名無史さん 2017/05/03(水) 09:51:41.25 0
奇跡の統一を成し遂げたのは劉基の神算鬼謀のおかげ

諸葛亮と同じで、神風を吹かせる神通力の持ち主

192: 世界@名無史さん 2017/05/03(水) 10:00:24.27 0
中国では、劉基を主人公にした大河ドラマも作られた

193: 世界@名無史さん 2017/05/03(水) 11:01:13.84 0
三國志演義の諸葛亮のエピソードの多くは、明の劉基をモデルにした創作

232: 世界@名無史さん 2017/05/27(土) 16:32:36.44 0
それだけの神算鬼謀を持っていても、自分の毒殺や事実上の失脚を防げなかったわけだが。

195: 世界@名無史さん 2017/05/03(水) 11:08:45.04 0
建国の功臣を大粛清したのが、朱元璋の不人気の理由のひとつ

196: 世界@名無史さん 2017/05/03(水) 11:15:54.23 0
永楽帝の軍師は、「道衍」こと姚広孝。

後に民衆に大人気のヒーローとなった劉基に比べて、まったく人気のない人物だが、有能であったことに変わりない。

199: 世界@名無史さん 2017/05/03(水) 12:29:06.10 0
元末の乱から朱元璋が統一する迄は楚漢や三国時代に匹敵するドラマ性が有るのにメディアへの露出は少ないな。

200: 世界@名無史さん 2017/05/03(水) 12:58:16.93 0
日本史でも、源頼朝や徳川家康に比べて、足利尊氏の人気が低い

203: 世界@名無史さん 2017/05/04(木) 00:14:40.99 0
何で燕王は方臘が使ってた永楽の元号にしたのか

205: 世界@名無史さん 2017/05/05(金) 19:58:41.17 0
今みたいに「永楽」って入れたら一瞬で使用例が出てくるわけじゃないからしかたなくね

206: 世界@名無史さん 2017/05/05(金) 22:40:38.24 0
既に明代の「七修類稿」で誰一人気が付かなかったのかと指摘され
https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%83%E4%BF%AE%E9%A1%9E%E7%A8%BF/%E5%8D%B728

清代の「陔餘叢考」では永楽・天順・天啓は乱賊の元号なのに天下を統一した王朝が使っているのは永遠に笑い者だと記されている
https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%99%94%E9%A4%98%E5%8F%A2%E8%80%83/25

明代は皇帝と知識人が反目しているからわざとやったんじゃないのか

209: 世界@名無史さん 2017/05/05(金) 23:18:35.75 0
>>206
燕王が簒奪したんだという自覚があったから故意にそういうのを使ったのだろう・・・と考えよう。

241: 世界@名無史さん 2017/06/25(日) 21:23:22.17 0
北京・上海・広東省の三地域を中心とする現在の中国の形は、明代にほぼ出来上がった

上海や深センははまだ漁村だったが

242: 世界@名無史さん 2017/06/25(日) 21:39:12.02 0
上海よりは、蘇州と杭州が大規模だったな。
明代の最初は金陵に首都があった。

252: 世界@名無史さん 2017/11/08(水) 18:26:34.39 0
あのまま、ずっと南京に首都があったら、明はどうなっていたか・・・というのは、誰もが思うことだろう。

たぶん、どっちにしても北からすぐに攻めてきて、短命王朝に終わっただろうな。

253: 世界@名無史さん 2017/11/08(水) 18:30:54.88 0
結果だけを見れば永楽帝の圧勝に見えるのだが、当初は誰が見ても無理のある挙兵だった。
四年にわたる大苦戦の末の、奇跡の逆転勝利だった。

永楽帝の強運に、誰もが驚いた。

255: 世界@名無史さん 2017/11/08(水) 18:37:48.27 0
永楽帝の百年後にも、皇帝の親戚である寧王が反乱を起こした。
理論と現実を錬磨する不世出の儒者・王陽明によって鎮圧されたことで有名な事件だ。
こういう皇帝の親戚による反乱など、中国史ではよくあることだ。
成功することは滅多にない。

永楽帝のは、稀有な成功事例のひとつ。

256: 世界@名無史さん 2017/11/09(木) 20:39:54.55 0
当初は、永楽帝が勝つなどとは誰も思っていなかった。

257: 世界@名無史さん 2017/12/23(土) 21:52:52.24 0
サウジアラビアの初代国王には20人以上の男子がいたため、建国から80年足らずで王族が15000人に増えて社会問題になっているらしいけど、開祖に同じくらいの数の男子がいて300年近く続いた明王朝には滅亡した辺りで何人の皇族がいたんだろうねぇ…。

258: 世界@名無史さん 2017/12/23(土) 23:16:45.76 0
歴史が浅い国には、まだ「臣籍降下」のシステムがないんだな。

260: 世界@名無史さん 2017/12/24(日) 08:15:34.50 0
清朝は、5世代離れると自動離脱だったな。
旗人の身分も当主から遠くなると自動離脱で、世襲官員の候補から外れ科挙を受けないかぎり官員になれない。

262: 世界@名無史さん 2017/12/25(月) 17:47:54.32 0
でも皇族の籍を離れてから科挙を受け直して、大学士や軍機大臣に上り詰めた元皇族って明清にいないよね。家は裕福だし試験時は手心加えてもらえるだろうに。

267: 世界@名無史さん 2017/12/29(金) 14:04:40.96 0
洪武帝の数万人におよぶ大粛清って当たり前のように書かれてるけど、具体的なソースってどこにあるの?確かに李善長みたいに爵位を持っていた功臣を殺したことは実録に書いてあるけど、その部下を何千人単位で殺した事は当時の記録に全く書いてない。
むしろ永楽帝が南京を占領した後に南京派の官僚を虐殺したことは、実録や野史に殺された人の具体的な名前と官職が書いてあることからも明らか。
どうも洪武帝と永楽帝のやった事がごっちゃにされている気がしてならないんだが、いかがだろうか。

268: 世界@名無史さん 2017/12/29(金) 15:46:59.61 0
このハゲー!

269: 世界@名無史さん 2017/12/29(金) 15:59:59.93 O
世が世なら数十万人規模の犠牲者が出たのか…

270: 世界@名無史さん 2017/12/29(金) 19:00:24.24 0
朱元璋は「呉楚七国の乱」とか「八王の乱」とか知ってたはずなのになぜ同じようなことをやったのか

271: 世界@名無史さん 2017/12/29(金) 20:29:53.27 0
生まれ育ちが孤独だったから、家族を信用しすぎたんだろ

273: 世界@名無史さん 2017/12/30(土) 11:05:21.40 0
家族を大事にしていると言われる太祖だけど、潭王を自殺させたり、不行跡の末に早死にした魯王に"荒"という悪い追号をしたり特別家族に甘いというわけはない。
燕王に強大な軍権を預けたのも、対モンゴル対策であるし、すぐ近くにこれまた強大な兵力をもつ寧王を配置(結局役に立たなかったけど))しているところ見るとちゃんと計画だてた結果だという事が分かる。
親王ばかり起用したのは、功臣より親王の方が裏切りや元朝への降伏リスクが低いという判断だろうし、当時の状況としてはベストではないが、ベターな選択肢だったんじゃないかな。


275: 世界@名無史さん 2017/12/30(土) 11:20:44.74 O
建国の功臣を悉く誅殺してしまったのだからベターも何も他に選択肢は無いよ。

引用元: ・【南京】太祖朱元璋と燕王朱棣を語ろう!2【北京】