1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/09(金) 21:56:03 ID:TZhz0PIJ0
紀元前221年に中国を統一し紀元前206年に滅亡した
首都咸陽。








2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/10(土) 13:15:45 ID:33ShAuPe0
統一してから滅亡までは短かったけど、それまでの春秋戦国時代の期間が長いからね。
特に西方世界からは、中国への入口に当たる位置にあっただけに、影響は大きく、秦=シーナが、Chinaの語源ともなっている。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/28(水) 23:52:26 ID:VrroZAlQ0
滅ぼされた六国の支配階層は一般的にどうなっていたか。

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/04(日) 23:48:57 ID:X6vs+Uuq0
始皇帝が死んで、秦が崩壊する時に、担ぎ出されている。
地方の豪族みたいになっていたんじゃないのか。

126: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/04/12(日) 00:39:38.26 ID:ktoCNZHs0
秦末に旧六国が復活したけど、燕だけは復活しなかったな

127: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/04/12(日) 00:56:00.54 ID:c73xQ8y80
旧燕の王家の血を引いてはいないけど韓広が王となり燕を建国してるぞ

131: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/04/14(火) 10:53:47.17 ID:rzBNP2Dr0
>>127
だから旧王家は復活していない
族滅にされたのかな

132: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/04/24(金) 09:45:35.06 ID:/pgQZkCW0
>>131
太子丹だっけ、始皇帝暗殺もくろんであと一歩まで追い詰めたから始皇帝の怨みを買って皆殺しにされたのかな

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/11(日) 22:18:25 ID:ytTibeqn0
春秋戦国時代、秦と西域の交流ってどんなものだったんだろうね。
商人の往来なんかがあったのかな。

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/18(日) 23:50:17 ID:162yLwmk0
東西交易路はかなり昔から確立されていたようだしね。
タクラマカン砂漠のどこかで発見された2000年以上前のミイラが、人種的にはコーカソイドだったらしいし。

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/26(月) 23:53:21 ID:1aOMKual0
咸陽の都には西域からやって来た胡人もかなり往来していたんだろうか。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/18(金) 21:54:26 ID:3gWhZThV0
咸陽には胡人もかなり居住していたのかな。

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/08(水) 21:55:29 ID:MCt9Trgb0
始皇帝陵って、後の唐朝とかの陵墓より大きいのかな。
国力だけなら後の時代の方が伸びているだろうし。

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/09(木) 16:11:37 ID:DEVPzjL1O
国力は前漢や唐のほうが文化の進行度もあって強いかもしれないけれど、強制的な動員力は秦の時代のほうがありそう

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/07(金) 22:24:09 ID:mIsQUBVR0
そんなに発掘が難しい構造になっているのかね始皇帝陵。
図面で見てみたいけど、発掘しないことには分からないだろうしなあ

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/07(金) 23:10:36 ID:YzA8zbmX0
>>30
構造の問題より、急に外気にさらして、内部が劣化するのを恐れているのでは?

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/07(金) 23:12:33 ID:YzA8zbmX0
しかし・・・始皇帝の墓には水銀で海を作ったんだろ?
もしも・・・死蝋かなんかになって、始皇帝の遺体が残っていたらすごいだろうな

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/07(金) 23:55:16 ID:aZ7XrAbSO
ただの伝説かもしれないけど英布が暴いた墓ってのはなんだったんだろ?

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/08(土) 10:28:24 ID:882jIp7C0
歴代秦王家の墓……とか?

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/08(土) 22:06:58 ID:bGtK0nqO0
そういえば、長沙市で1971年に発見された馬王堆漢墓[前漢初期の丞相、軟侯利蒼(だいこう・りそう)の妻の墓]から出てきた女性の遺体は、少しも腐敗せず、外見をほとんど残しており、
身体には弾力が残っており、死後まもない遺体のようで、解剖したら、胃から瓜の種まで出てきた。

遺体が何故残っていたかは不明だが、遺体からはかなり水銀と鉛が検出された、という話があったね。

もし、始皇帝の遺体が出土いたら、世紀の発見なんてもんじゃあるめ。

38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/10(月) 14:24:50 ID:LNVWJkdf0
あの時代の貴人の埋葬法は、偶然にも遺体の保存に適していたんだろうね。

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/11(火) 23:20:30 ID:q9Sdwdtw0
遺体に宝玉をいっぱい貼ったような埋葬法だね。

40: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/13(木) 09:24:10 ID:4M1xWBs80
始皇帝は全国行脚の途中で死んで、その死を隠すため魚の干物を積んだ車をそばに置いたというから、埋葬されたとき遺体はもうかなり痛んでいたと思う
駄目かもしれない

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/13(木) 22:52:25 ID:o6L4OBiZ0
遺体が出てきたらそこら辺の話がどこまで本当なのかも分かるかもな

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/14(金) 10:50:49 ID:0vl8OG/50
司馬遷からしたらたかだか100年前の話だからそう無茶な伝説化はないと思うけどね

44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/15(土) 15:18:30 ID:4l3LBCEe0
>>42
百年でも今の日本で言えば日露戦争の頃の話だし、昔は寿命も短くて時間間隔が違っただろうし……

53: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/07(木) 23:14:18 ID:tkkbL20w0
秦って統一までにかなり長く続いているけど、本当に簒奪とか起こらなかったんだろうか。

55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/05(金) 17:49:02 ID:zhiiwxbQ0
>>53
古い時代になると資料も少ないし、よく分からないんじゃない

56: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/20(土) 23:58:52 ID:pODFwy0F0
秦って何族?漢族?

57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/21(日) 13:37:48 ID:rnBo2hE4O
西戎じゃないの?

58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/22(月) 22:45:11 ID:Kwu8Mo6j0
秦があった頃に漢民族とか中国人とか言う概念はないと思う。
だけど秦には李斯、白起、范雎、張儀、趙高といった、現在の中国人に近い姓を持つ人がいるのは確かだ。
彼らは多分、現在の中国人の先祖だと思うけど、民族的には漢民族(の先祖)に近いんじゃないの?

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/22(月) 22:56:18 ID:Kwu8Mo6j0
他にも呂不韋、王翦、章邯とか居るからね。
現在の章姓の人物といえば中国で女優している人でいたと思うが(名前忘れた)、民族的には漢民族なのは確か。

もっとも秦があった頃に民族的概念や国籍的概念があったとは思えない。

61: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/25(木) 09:50:50 ID:DewUgWcDO
当時の中原の連中から見れば、秦も楚も夷狄蛮族の類い

だけど、現代の漢族の先祖の一部ではある
ただ、「漢族」という言葉の元となった漢王朝は、秦の後だから、「秦は漢族か」って問いは時系列的に変な質問になるね

一応、史記の系図を見ると、秦の王統は殷末に趙氏と別れ、さらに遡ると最後は黄帝にまで行き着くから「漢族=黄帝の子孫」ってことなら、漢族(の先祖)ってことになるね
まぁ、王室と支配民が同じ種族とは限らないし、系図も古い時代はあんまりあてにならんだろうけど、ぶっちゃけ素姓の怪しい諸侯まで黄帝に連なる系図を偽装した結果として「漢族=黄帝の子孫」ってのが定着したとも考えられるし

62: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/10/12(日) 04:15:08 ID:0VcSPvrl0
漢籍のルーツな世界では、漢族以外の民族も「黄帝の子孫」ってことになってるんだが…。
日本人だって呉太伯の子孫とされてて、つまりは「黄帝の子孫」だろ(笑)。

81: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/12(木) 08:02:21.73 ID:2w9aHkQHO
いつから秦は周王朝や覇者たちのように盟主になるのではなく、中華全土を統一するつもりになったんだろ?

82: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/01/13(金) 05:11:25.69 ID:GgbUQPeI0
他国に秦が負けるってことが一切想像できなかったんだろうなあ

83: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/11(土) 10:33:13.29 ID:4q3wapHM0
統一を考え出したのは昭襄王の頃からじゃないかな

84: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/06/14(木) 22:31:04.85 ID:uIo1B6NL0
秦と他国の差がついたのは孝公の頃からかな

92: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/07/30(木) 22:08:40.99 ID:gRcwqeh20
>>84
孝公期は魏を河西から追い出せなかったり先代献公期とさして変わらないところがあるぞ
差がついたのは斉と楚が没落した昭王期半ばだろう

93: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/07/31(金) 17:16:07.02 ID:Ufkh0stJ0
軍事的にはやや停滞してる感あるよね、孝公
もちろん進展はあるけど、まだ真正面から魏軍と戦えば苦戦する

94: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/08/01(土) 22:50:44.20 ID:oia2UWW40
国土でかくないのに商於15邑とかいう大封を受け取る寵臣商鞅たん
・・・そりゃ恨まれるし殺されますわ

95: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/08/02(日) 14:44:52.42 ID:+0YqvR1g0
楚に亡命は無理だったのか?騙し討ちの件で嫌われてる魏より位置的に逃げやすそう。
まぁ封地からそう遠くない咸陽急襲してクーデター成功させる自信があったのかもだが。

96: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/08/02(日) 17:38:24.79 ID:k72uSLN80
嫪毐の乱みたいなもんか

97: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/08/03(月) 00:40:39.52 ID:Qf3NqWfG0
戦国秦の謀反も結構いろいろあるよねw

有名な嫪毐そして趙高、未遂?の王稽、あと昌平君もか
新君主に対する謀反という意味で商鞅の件と似てる季君の乱

102: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/08/11(火) 19:20:38.86 ID:yOZ4siw10
(死後)嫁さんに「先王が私を枕代わりにして寝るの嫌だったわー(意訳)」と外交の場でネタにされた恵文王は泣いていい

103: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/08/14(金) 00:49:22.97 ID:hR6Zb9xX0
戦国期随一の女傑だからしゃーない

104: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/08/18(火) 15:13:45.60 ID:psu/h1Hr0
始皇帝ママンはそのレベルまでいけなかったなぁ…

105: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/08/30(日) 23:07:30.57 ID:dUsFsAYO0
無駄に有名な母太后(車輪チンコ)のせいで影が薄い華陽太后

106: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/08/31(月) 19:28:27.60 ID:mDuVpfWL0
キングダムじゃ華麗にスルーされましたな

117: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/02/04(火) 00:06:32.07 ID:WSXDkQIg0
秦が強くなったのは孝公から?
それとも恵文王から?

120: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/02/24(月) 22:38:41.69 ID:cADk398R0
>>117
実際のところはわからないが(秦って春秋期から覇者晋と良い勝負する強国枠だし)

孝公の父=献公の代から強そうな記述が出始める

118: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/02/05(水) 01:53:33.40 ID:/4PUAlKN0
孝公の時の商鞅の改革は過大評価できない
秦だけが国制改革したわけじゃないから

晋の六卿のうち韓魏趙だけが中央集権的な統治システムをもってた
斉でも田氏だけがそう
だからこの4者が戦国七雄になって生き残っていく
燕は一旦斉につぶされたおかげで昭王の時に改革できた
ただ楚だけは呉起が殺されて中途半端になってしまったが

121: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/03/03(火) 16:01:34.39 ID:+4F9H87o0
単に「強そうかどうか」みたいな漠然とした話してもな。

秦の絶対優位が確立したのは昭王の時だろ

129: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/04/12(日) 17:11:04.10 ID:iraAiuPn0
春秋時代は晋楚の天下二分(プラス秦斉)
春秋後期、晋楚呉三強
春秋末期、晋楚斉越で四強時代(この斉は田斉)
戦国初頭は魏が覇権(?)
--------------
春秋後期から戦国突入まで秦の動きが音沙汰ないがこの頃どうなってたんだろうね?
(一回だけ呉に王都を陥落させられた楚に救援軍を送ってるが、目立ったのはその一回ぐらいで、国内事情もわからない)

130: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/04/14(火) 00:27:43.53 ID:s1xtWsAT0
春秋秦の史料は少ないし仕方ない(春秋前期も含む)

とはいえ楚を援けて呉軍を破ったり、関中の諸勢力を征伐したり、秦嶺を越えて南へ進出していたことを窺わせる記事がある
依然として強国であり、地味ながら戦国期の雄飛を準備していたのかもね

引用元: ・◆◇◆秦◆◇◆