1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/01(金) 00:23:43.26 ID:s2Unsqh70
諸藩士の崇敬対象であった武市半平太が処刑されずに長生きしてたら、明治政府は土佐藩が主導してたかもしれなかったのに惜しい








12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/02(土) 08:34:32.10 ID:LuqxNqKz0
武市はいろいろと限界のある人だと思うよ。
大成した木戸も大久保も初期は静かにしてる。

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/02(土) 11:33:49.42 ID:LuqxNqKz0
山内容堂公って蜂須賀茂韶公に泥棒の子孫のくせに生意気なって言い放ったらしいけど、蜂須賀公は将軍の徳川家斉の孫だろうにw

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/02(土) 22:33:16.35 ID:rfjhhkBR0
ただの酔っ払い大名だろ
薩長肥の藩主みたいに何も功績無いじゃないか

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/03(日) 11:45:18.12 ID:xCFqDDmn0
酔って候

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/03(日) 19:12:04.69 ID:hSFT92n80
容堂は王政復古の会議で正論を吐き薩長を黙らせたのが一番の活躍

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/04(月) 12:23:25.38 ID:Z5kK5Q560
粛清しすぎて自滅した山内容堂にも陰湿なイメージがないのはやはり土佐人だからか

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/05(火) 00:26:30.85 ID:UX4+85uF0
なぜ山内容堂が幕末の四賢候にされてるのがわからん
小御所会議での大失態でも暗君にすぎんだろ
小御所会議は、江戸時代末期(幕末)の慶応3年12月9日(1868年1月3日)に京都御所の小御所にて行われた国政会議。大政奉還を行った徳川慶喜の官位(内大臣)辞退および徳川宗家領の削封(辞官納地)が決定され、倒幕派の計画通りに決議されたので王政復古の大号令と併せて「王政復古クーデター」と呼ばれることもある。

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/05(火) 19:52:37.44 ID:b/1YR3SA0
それは小説に過ぎん
実際は容堂や春嶽の意見が正論と通り
薩摩との軍事衝突が無ければ慶喜は議定で新政府に入る方向になった

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/06(水) 01:32:21.17 ID:Aey/E7o40
岩倉具視に論破された

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/06(水) 19:51:11.39 ID:WioyDulm0
>>26
小説だろ
実際の岩倉は容堂らの正論に妥協し慶喜を新政府に呼ぼうとしていた
西郷なども一旦薩摩に帰って仕切り直そうと考えてた

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/07(木) 00:41:53.38 ID:uDJd3+H70
岩倉vs山内は岩倉の逆転勝利

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/06(水) 22:15:22.53 ID:fEY6EvLC0
小御所会議で容堂を出席させたのが幕府の失敗だろ

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/07(木) 00:24:31.63 ID:Oyy/lBTw0
あの場で面と向かって発言できたのは容堂くらいしかいなかったかと、他は大人しすぎた(深慮有りすぎて逆に意見がって感じ)

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/07(木) 05:21:22.01 ID:cx3/g6+70
山内公は明治政府で一番過激な木戸孝允とは仲がいいから面白い。

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/07(木) 13:12:45.70 ID:Oyy/lBTw0
結局肝心な所で酒に逃げてしまうという印象が強すぎて嫌われていた中で木戸だけはその辺を汲んでいたいたのかもね
木戸は龍馬よろしく人の懐に付け入るのがうまく、大村や伊藤といった下士な連中を引き上げた御仁でもあったんで容堂の人となりは理解してたんだろうと

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/08(金) 00:32:44.90 ID:k30T2yus0
容堂が名君だとは誰が仕掛けたのか?
容堂が佐幕派であるからには会津史学かな?

長州の毛利敬親を名君から外してるからには疑われる

37: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/08(金) 11:45:54.01 ID:GwFNMZqk0
小御所会議で徳川幕府を命懸けで守ろう弁護してた姿勢が佐幕主義者には最大級の共感を得るのさ。

38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/08(金) 11:56:59.75 ID:FcRjeh+e0
アーネスト、サトウに西郷隆盛と双璧と言わしめた後藤象二郎という幕末随一の名家老役がいなければ、戊辰戦争後には土佐藩は賊軍扱いで新政府から完全排除よ

そこまでの大失態を山内容堂は小御所会議ではしてるからな
部下の扱いは滅茶苦茶で無能の山内容堂だが部下の才能には恵まれていたな。

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/08(金) 20:33:38.38 ID:Zz8qjOhG0
そもそも容堂は佐幕派ではない公武合体派だ

43: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/10(日) 16:03:41.78 ID:CldcMJzq0
龍馬は確かに当初は同調して入ったけれど結局は別れてしまった
後藤らからすればそれでも彼を勤王党の枠と考えていたのだろうか?

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/12(火) 19:39:17.06 ID:YBA5knT70
>>43
龍馬と中岡は武市や間崎ら勤王党リーダ格の跡継ぎ的位置だね
特に中岡が板垣を勤王党のリーダーに据え軍を編成し戊辰戦争を戦っている

46: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/12(火) 20:02:43.29 ID:qcOwWq2R0
実際板垣ってそのまま陸軍に残る可能性ってあったの?

47: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/12(火) 22:18:25.23 ID:FLSHQrh60
野戦軍の司令官としては新政府でトップ。
中でも会津攻めでの母成峠突破は国士無双クラス。
でも義経みたいに単純で政治力がなかったからねw

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/13(水) 01:01:06.05 ID:CsX6c1oL0
大村益次郎には劣るよ

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/13(水) 20:50:30.98 ID:uay+CtKc0
>>48
大村は軍政家として軍事知識はありそうだけど、際どい所をモノにする将軍の能力は板垣や伊地知のが上でないの

49: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/13(水) 20:07:33.78 ID:uay+CtKc0
板垣は政治家時代のが活躍しているんだよ
現在にも名を残してるのも国会開設や自由民権運動でだし
権力闘争には向いてないけど求心力や人気はあった

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/14(木) 20:35:53.91 ID:yHwtB19T0
容堂は忠臣の吉田東洋を殺した武市を嫌悪し憎悪していたが尊攘運動一辺倒の時勢では対立できず内心の怒りを隠して登用
やがて尊攘運動が過激化しすぎて揺り戻しの気配が出てきた文久3年3月に、令旨事件を理由に武市の片腕だった平井収二郎ら3名を切腹させて力を削ぐ
ついに8・18政変で過激派が一掃されたのに伴い速攻で武市を投獄
やがてかつて武市が散々暗殺をやらせて見捨てた岡田以蔵が土佐に送還、武市の所業をしゃべりまくって処刑決定

61: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/15(金) 00:25:18.13 ID://wZF73b0
正直武市が生きていたとしてもどうなんだろう、影響はあったかねと

63: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/15(金) 06:31:15.09 ID:zhkCE5Mp0
日本史上最悪の腐れ縁、武市半平太と岡田以蔵

才能ある弟子と情愛ある師匠だったのがいつの間にか落ちるところまで落ちて囚人同士互いに陥れ合う関係になり同じ日に処刑

65: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/15(金) 14:37:42.32 ID:J3jAdrXY0
以蔵が半平太の全てを狂わせてしまったということか

66: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/15(金) 19:18:35.05 ID:w55dWygs0
武市が処分されたのは、長州と尊王攘夷派が禁門の変で朝敵になったからだろう
武市の処分理由も、主君に対する不敬罪で罪は何ら上げれなかった
武市を生かしてたら、土佐まで幕府に疑われる
もう尊王攘夷派が息を吹き返すことは無いだろうと見られてた

67: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/15(金) 23:39:36.14 ID:zhkCE5Mp0
司馬の「人斬り以蔵」には以蔵が「人はころせば皆死骸」という考えにとりつかれ殺人鬼と化していく様が書かれていたが、最初にその闇に落ち込んだのは武市だろう
井上佐一郎ごろしなんて殺人犯が自分の犯罪を調べられて保身のために捜査員をころしたってだけ

70: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/16(土) 02:56:05.97 ID:IF2wDbEp0
長州も七卿落ちの禁門の変後に家老益田氏が責任を負って切腹している
会津も鳥羽伏見の敗戦を何故か押し付けられた神保修理が切腹

良くも悪くもどこかしらどさくさにまぎれて処断しているのよね、色々と

71: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/16(土) 10:19:20.39 ID:vgB6LH6L0
土佐勤王党=薩摩の精忠組=長州の村塾OB+α
みたいに言ってもいいと思うが、薩摩では志士として活動した上級藩士は小松帯刀ぐらい
長州では上中下が参加していたのに対し土佐では上士と下士がはっきりと対立していたのが興味深い所(新おこぜ組)

平井収二郎や岩崎弥太郎のような例外もあるにはあるが

73: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/16(土) 12:51:31.82 ID:skCqFe+M0
維新後、木戸孝允が山内容堂との酒席で酔った勢いで「殿はなぜ武市半平太を斬りました?」と詰めたが、彼は「藩令に従ったまでだ」と答えたきりだったと言われる。しかし、病に臥せた晩年の容堂は、武市を殺してしまったことを何度も悔いていたとされ、「半平太ゆるせ、ゆるせ」とうわ言を言っていたとも伝えられる

wikiより

122: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/24(日) 17:23:02.57 ID:iPYQYBl80
容堂は色々やるんだけど最後は土佐藩の保身になる
勤王派が勢い落ちれば粛清、佐幕派が落ちれば粛清
藩主だから仕方ないが勤王派の活躍のおかげで高い評価得たのは皮肉

74: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/16(土) 16:13:48.62 ID:H2xY96Os0
「半平太許せ」のエピソードってちゃんとしたソースあるんかな
ソースによっては戦国時代以上に盛られまくってるからな

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/16(土) 16:34:18.43 ID:vgB6LH6L0
板垣や後藤が武市を殺したことを悔いていたというのは、本当だとしても尊王社会におけるリップサービスだろう
後藤にとって武市は親代わりだった東洋を暗殺した下手人であり処刑は正当な仇討でしかない

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/16(土) 21:21:50.42 ID:LseJ6ZjW0
後藤は尊王攘夷派が復活した後に脱藩してた龍馬に接触してきてるからな
龍馬が東洋暗殺の犯人かも知れんと思ってたかも

93: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/19(火) 20:11:56.27 ID:uZ3/7UCf0
容堂も武市に会う時は礼を改める。
武市はよほど人格に優れカリスマ性があったのだろう。

山内容堂眼中人なく、意気一世を壓するも、瑞山来りて謁を請へば、為めに容を改むと云う。
其の堂々と犯すべからざるの儀表、瑞山の人格一世に高きもの、蓋し天授なり。

95: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/20(水) 01:48:16.01 ID:9EHPVvN10
>>93
瑞山会の吹聴の感じがすごい
やっぱ武市半平太関連の話は疑っちゃうなぁ

113: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/22(金) 20:25:44.26 ID:fjki83iy0
武市は法で裁かれたのでなく政治判断で裁かれたんだから私刑だな
以蔵は拷問されて仲間の名前は出したが、武市の関与は吐いてないから京での数々の天誅は武市の指示だったかどうかは怪しい所
東洋暗殺も知らんかったろうし

118: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/23(土) 16:05:27.33 ID:gN6u3O6m0
>>113
東洋暗殺だけは武市でガチやろ

136: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/26(火) 19:27:54.92 ID:e66CXxiS0
以蔵は拷問されてすぐに京での天誅と仲間は吐いたが、武市の指示とは吐いてないから、そこは武士の意地として我慢したのか、単に自分ら企てノリノリでやってたか分からん

140: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/27(水) 23:47:56.02 ID:HA40h3Zw0
関係者らがどこまでってのは不明やが以蔵斬首後の岡田家は謹慎処分だけだったんだよね
親父は毒殺?を拒否っていたという話、その親父も理由不明やが1ヶ月後に死去

141: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/28(木) 11:00:24.45 ID:HJmDQlLr0
その謹慎というのも父親の「毒殺計画に不用意な書面を出してしまいました」という自己申告によるものらしいからな
岡田家は実質おとがめなし
以蔵が自白と引き換えにある種の司法取引をした可能性もある

父親の死因はふつうに心労だろう
六十近い年齢だし
自己申告したのも、息子を救えなかったのに親の自分が無傷でいるのは辛いという思いからだったのでは
こんな愛情深い親に恵まれたのに親不孝な男だよ以蔵は

161: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/07(日) 13:52:56.61 ID:FyYrQjuH0
以蔵は脱藩した後に長州に行ってれば良かった
そしたら死ななければ維新の功臣になったろうだろうし

162: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/08(月) 02:42:28.24 ID:nCZcTB9S0
たんなる人切りとしか思われてないよ

164: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/08(月) 20:03:30.80 ID:dALudo6J0
天誅は当時、尊攘派、武士の名誉で、赤穂浪士の討ち入りみたいな物だから、以蔵が特別下に見られて利用されたとか、そういう感じではないんだよね

155: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/05(金) 20:52:22.35 ID:zpdbgTvW0
土佐の生きてれば功労者の格的には
武市>龍馬=中岡>吉村=板垣=後藤
って感じかね

157: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/06(土) 16:54:16.59 ID:s4IY38i70
>>155
「私がいなければ先生の首は今頃飛んでしまっていましょう」
以蔵がいなければ無血開城はあり得なかった
岡田以蔵こそ維新の真の功労者

158: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/07(日) 00:20:29.53 ID:PlIgQ/hY0
坂本はきちんと武市との距離を測っていた様子だったがそれを以蔵にもという事で推薦したという話があるが
いつの時代も狂信者ってのは厄介なんですねと

160: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/07(日) 13:49:54.23 ID:FyYrQjuH0
当時の土佐人の間では
武市先生だけは俺らとは別格
龍馬は自分らと同格
中岡は同格で一頭地抜けてた
平等意識が強い土佐ならでは

167: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/10(水) 07:56:42.98 ID:8bKKRyF20
城下で危険思想を広めて徒党を組み、一番大事な側近にして藩政改革の要でもあった優秀な人材を斬殺、犯人を捜索していた捜査員もころす
中央では陰湿なテロと横紙破りの政治活動を繰り返して幕府朝廷世間のすべてから土佐の印象を悪くした奴を捕らえて処罰したら被害者面された

容堂にとっては武市こそ最凶の毒家臣だろう

169: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/11(木) 00:10:03.81 ID:wZ/1zpTW0
邪魔な政敵を密かに処断するなんて手法を使う御仁は最後までそれらは選択肢の中に存在するでしょう
つまり生存して新政府の重鎮になったとしても当然政敵は出てくるのだろうから、そうなれば歴史に更に一人二人と不明な死者が出ていた可能性はある

武市はそういう御仁かと

172: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/11(木) 17:54:56.45 ID:jKn8DF/j0
>>169
それも自分では手を汚さず配下にやらせるというのがね
たぶん武市自身は自分で手を下したことは一度もないと思う

「正伝・岡田以蔵」や家近氏の「山内容堂」を読むと武市は取り調べで以蔵が不利になることばかりしゃべりまくっててかなり印象悪い
人格者なら自分の責任を痛感し、すべて自分が指示したことだから鉄砲玉の者たちは処刑はしないでくれと頼むものだ

173: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/11(木) 20:15:52.09 ID:QoLEWnFx0
武市が吐かなかった為に、自分を含め同士数人の処刑で済んだ
勤王派は温存され、倒幕の時期に迫ると息を吹き返し、板垣と組んで戊辰戦争を戦い抜く
そもそも小物の暗殺にまで、武市が指示出してたか疑問だな
平井なんかが以蔵に、直接指示出したのは確認できるが

179: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/12(金) 11:51:15.41 ID:vKZglFba0
以蔵ファンは以蔵のどこに惚れたんだ?

200: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/26(金) 22:23:13.21 ID:MPbS950f0
>>179
頭は弱いが心はさらに弱いシャボン玉メンタル
武市に構ってもらえないとすぐすねる、病気になる、家出(脱藩)する
しかし剣をとっては魔神のように強く頭も回る
でもそれ以外では本当にダメッダメのダメ人間で女も耐えた拷問にあっさりゲロして土佐勤王党を壊滅させる

みんな大好き岡田以蔵

引用元: ・土佐藩&土佐勤皇党