
1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/18(水) 17:41:26 ID:Oky1mQ770
司馬遷著、史記について語りましょう
2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/18(水) 19:11:53 ID:pN1D/Tnz0
司馬遼太郎が「世界最大の書物」と評価していたな
14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/10(金) 22:22:07 ID:EwUrJhcqO
史記の正式なタイトルは大史公書ですが、いつから史記と呼ばれるようになったのでしょうか?
また、正史となったのはいつ頃からでしょうか?
また、正史となったのはいつ頃からでしょうか?
17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/15(水) 02:27:55 ID:qmCLmiQs0
>>14
『太史公書』を『史記』としたのは、『三國志』魏書王粛伝に始まる。
正史に組み入れられたのは『隋書』経籍志から
『太史公書』を『史記』としたのは、『三國志』魏書王粛伝に始まる。
正史に組み入れられたのは『隋書』経籍志から
19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/15(水) 15:15:51 ID:AL5I24X4O
>>17
ありがとうございました。
『史記』と呼ばれるようになった時代はだいたい予想通りでしたが、正史となった時代は思ったより遅かったです。
正史の概念が出来たのは唐代なのか?ちょっと気になりますんで、調べてみようかと思います。
ありがとうございました。
『史記』と呼ばれるようになった時代はだいたい予想通りでしたが、正史となった時代は思ったより遅かったです。
正史の概念が出来たのは唐代なのか?ちょっと気になりますんで、調べてみようかと思います。
18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/15(水) 09:49:52 ID:3p1HrUPL0
史記を作る時の参考資料ってのが知りたい。
20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/15(水) 16:58:41 ID:fR8CoNmp0
参考資料ねえ
左伝とか国語とか呂氏春秋とかは普通に見たと思うし
例えば韓非列伝書くのに韓非子読まないわけにはイカンかっただろうね
秦末漢初の話なら新語とか楚漢春秋とかあるし
あとは親父さんが書き溜めたモノや自分の取材旅行の記録か
左伝とか国語とか呂氏春秋とかは普通に見たと思うし
例えば韓非列伝書くのに韓非子読まないわけにはイカンかっただろうね
秦末漢初の話なら新語とか楚漢春秋とかあるし
あとは親父さんが書き溜めたモノや自分の取材旅行の記録か
23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/15(水) 21:50:57 ID:dlkssX/N0
殷の歴代王とか何で調べたの?
24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/24(月) 21:48:46 ID:tP3cp7IT0
近代になって殷墟で発見されたと殷王朝時代の甲骨文に刻まれた王の名前は史記の記述と符合したという。
おそらく青銅器や石や木材に刻まれた文字なんかで伝えられ続けていたんじゃないの?
おそらく青銅器や石や木材に刻まれた文字なんかで伝えられ続けていたんじゃないの?
25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/24(月) 21:57:27 ID:88SAbG8o0
文字というよりも口伝なんだろうと思う
だから、古代の伝説は同じ話でも内容が一定じゃない
そういう口伝を文字に残したのが史記のエライところ
だから、古代の伝説は同じ話でも内容が一定じゃない
そういう口伝を文字に残したのが史記のエライところ
7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/20(金) 19:56:49 ID:C84T1eP80
横山史記は面白い
28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/06(日) 05:39:19 ID:rHomdm/9O
横山史記みて育ちましたが、そっから春秋戦国時代にかなりはまりました。
四公子のなかでも魏の信陵君の凄さかっこよさはびっくりしますね!
四公子のなかでも魏の信陵君の凄さかっこよさはびっくりしますね!
30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/23(日) 09:05:49 ID:ai/LqQsN0
>>28
平原君のしょぼさにもびっくりするよなw
平原君のしょぼさにもびっくりするよなw
33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/07/13(日) 20:47:02 ID:y+FnVv0P0
史記の中で一番感動したのが貨殖列伝。俺は変かな。
そーだよ、工業も商業も立派な仕事だし、正当に頑張ってもうけて何が悪い、と一人頷いてた。
もうけられるのは奇策により、そのもうけを維持するのは地道な正業による、という言葉は現代でも示唆的だと思う。
そーだよ、工業も商業も立派な仕事だし、正当に頑張ってもうけて何が悪い、と一人頷いてた。
もうけられるのは奇策により、そのもうけを維持するのは地道な正業による、という言葉は現代でも示唆的だと思う。
89: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/31(月) 23:22:22.61 ID:sXvIgXtr0
史記列伝読みだしたが、田単の悪逆さと純真な燕の軍勢に爆笑したw
あまりにもなんでもありすぎるだろw
あまりにもなんでもありすぎるだろw
105: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/06/22(金) 17:33:07.09 ID:fqgEfq8b0
大宛列伝と貨殖列伝ばかり読んでしまうね おもしろい
121: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/06/12(木) 00:42:03.00 ID:CT9xOWSA0
>>105
貨殖列伝は面白い
貨殖列伝は面白い
46: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/06/04(木) 00:06:10 ID:UZIs9HNE0
史記について教えてほしいんだけど
商鞅が横山光輝の漫画などでもずっと生きたまま車裂きの刑になったって思ってたけど、wikiなんかでは死後に車裂きになったってありますが、どっちが正しいんですか?
死後に車裂きなら別に全然大したことないじゃんとは思ったが本人が別に恐怖を伴ったわけでもないし
あと趙高が次期皇帝をねつ造したっていうけどなんでそんな事がわかるの?
三代皇帝が何か資料として残していたの?
商鞅が横山光輝の漫画などでもずっと生きたまま車裂きの刑になったって思ってたけど、wikiなんかでは死後に車裂きになったってありますが、どっちが正しいんですか?
死後に車裂きなら別に全然大したことないじゃんとは思ったが本人が別に恐怖を伴ったわけでもないし
あと趙高が次期皇帝をねつ造したっていうけどなんでそんな事がわかるの?
三代皇帝が何か資料として残していたの?
65: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/01/16(土) 04:19:12 ID:176DJQLP0
>>46
史記でという話なら死体を車裂きにしてる
戦国策ではそういう描写は無い
史記でという話なら死体を車裂きにしてる
戦国策ではそういう描写は無い
47: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/06/04(木) 00:40:55 ID:7m/itLSs0
史記・商君列伝では死んでから車裂きにしたとある
本人は痛くなくても死体をちゃんと葬らず辱める事に意味があるんだよ
胡亥と李斯と趙高の密談は記録に残るタチのもんじゃないんだが、何で司馬遷が書き留める事ができたかというと、東洋史学者の西嶋定生によれば後世の創作が伝わったもの。
中国文学者(誰か忘れた)によれば、司馬遷が書いた事は想像で埋めるしかないもので、事実としては確認できないが、同じ意味を持った事が行われたには違いないから司馬遷は真実を伝えたということになるらしい。
この話すると「宦官が盗み聞きしてリークした」って人が必ず現れる
そういう可能性もあるか知らんがそれこそ証明できるタチのもんじゃない
本人は痛くなくても死体をちゃんと葬らず辱める事に意味があるんだよ
胡亥と李斯と趙高の密談は記録に残るタチのもんじゃないんだが、何で司馬遷が書き留める事ができたかというと、東洋史学者の西嶋定生によれば後世の創作が伝わったもの。
中国文学者(誰か忘れた)によれば、司馬遷が書いた事は想像で埋めるしかないもので、事実としては確認できないが、同じ意味を持った事が行われたには違いないから司馬遷は真実を伝えたということになるらしい。
この話すると「宦官が盗み聞きしてリークした」って人が必ず現れる
そういう可能性もあるか知らんがそれこそ証明できるタチのもんじゃない
48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/06/04(木) 01:21:02 ID:UZIs9HNE0
>>47
ありがとう
商鞅の件は自分の作った法律によって足元をすくわれて悲惨な死に方をしたってイメージがあったから、正直悲惨な死に方をしたわけでないないんだと思ったので、すでに死んでたんだってちょっと拍子ぬけしたので
ありがとう
商鞅の件は自分の作った法律によって足元をすくわれて悲惨な死に方をしたってイメージがあったから、正直悲惨な死に方をしたわけでないないんだと思ったので、すでに死んでたんだってちょっと拍子ぬけしたので
51: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/09(木) 23:57:42 ID:jBabMJY70
商鞅が魏の公叔座の後釜になってたら歴史ってどうなったんかな
そんなこと考え出すとキリないんだけどさ
そんなこと考え出すとキリないんだけどさ
52: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/07/10(金) 09:38:13 ID:Uf8d6bvb0
たとえ魏の宰相となったにしろ、当時の魏は依然として日の出の勢いといっていい時代で、恵王も浮かれやすく傲慢な性質
そんなところで公孫鞅が王道や覇道を述べたところで、恵王が献策を容れる可能性なんて皆無に等しいだろう
物事が上手く運んでる時ってのは、人も組織もわざわざやり方を変えようとはなおのこと思わないというか嫌がるものでもあるし、あれは秦の孝公という名君だからこそ上手くいった部分が大きいよ
そんなところで公孫鞅が王道や覇道を述べたところで、恵王が献策を容れる可能性なんて皆無に等しいだろう
物事が上手く運んでる時ってのは、人も組織もわざわざやり方を変えようとはなおのこと思わないというか嫌がるものでもあるし、あれは秦の孝公という名君だからこそ上手くいった部分が大きいよ
103: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/05/07(月) 03:09:27.90 ID:waO8agZd0
最近になって読みたくなってしまった
どこの訳がお勧め??
やっぱりちくまあたりがいいのかな
どこの訳がお勧め??
やっぱりちくまあたりがいいのかな
104: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/05/18(金) 11:18:07.05 ID:QXZw7DG00
三家注ガン無視のネタ本て意味ならちくまがお勧め
107: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/07/09(月) 00:14:55.26 ID:kM4X/S1n0
かる~く読みたいなら。
宮崎さんの「史記」とか一海さんの「史記」とか。
時系列で読みたいなら、徳間の8巻ある「史記」とか。
がっつり読みたいなら、全訳のちくま学芸文庫の史記とか。
読みにくさでは岩波の「史記」とか。
宮崎さんの「史記」とか一海さんの「史記」とか。
時系列で読みたいなら、徳間の8巻ある「史記」とか。
がっつり読みたいなら、全訳のちくま学芸文庫の史記とか。
読みにくさでは岩波の「史記」とか。
108: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/07/09(月) 17:36:42.08 ID:nVTQIhmS0
マジかよ。岩波読み易いだろう。本紀が無いのが残念。
114: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/10/27(日) 00:55:58.18 ID:AO0BeDTA0
概説書としてはやっぱりシャバンヌ著・岩村忍訳の『司馬遷と史記』が名著中の名著だと思う
122: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/12/03(水) 01:34:44.89 ID:hn2gkSaz0
史記には能力はあるのに出世できずにアウトロー化した浪人の話よく出てくるよね
世襲やコネの壁に阻まれたりして
結局何千年たっても世の中って同じようなもんなんだろうね
世襲やコネの壁に阻まれたりして
結局何千年たっても世の中って同じようなもんなんだろうね
131: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/03/04(水) 23:40:17.52 ID:MXjS8IPO0
魯の曹沫なんて戦争で奪われた領土を匕首1本で取り返したけど、それこそ大義もヘッタクレも無いだろう。
128: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/03/02(月) 10:29:18.27 ID:Urllwh/20
ケイカもただの暗殺テロ未遂だしな
そもそもの燕の皇太子の動機に大義がないしw
そもそもの燕の皇太子の動機に大義がないしw
129: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/03/04(水) 21:57:41.25 ID:2zY799NkO
>>128
大義?
敵対国を倒すのに、何でもするってだけの話だ
大義?
敵対国を倒すのに、何でもするってだけの話だ
130: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/03/04(水) 22:53:52.44 ID:zf2MZf2n0
人質時代に仲間だと思って親しくした相手が、即位したらメッチャ冷たくあしらいやがった。
畜生、復讐だ!
を地で行ったのが燕太子丹
奇跡的に復讐の対象が秦の始皇帝だったから後世に伝わっただけで、対象が別だったらくそみそに叩かれてたレベル
畜生、復讐だ!
を地で行ったのが燕太子丹
奇跡的に復讐の対象が秦の始皇帝だったから後世に伝わっただけで、対象が別だったらくそみそに叩かれてたレベル
134: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/03/17(火) 21:56:45.82 ID:VI2TguTU0
>>130
荊軻が「信頼できる人を待ってる」ってのをちゃんと待ってりゃ違う結果になったかもしれないのに
まあ、荊軻がなかなか動こうとしないから「実はこいつ詐欺師なんじゃね」って疑ったんだろうけど
荊軻が「信頼できる人を待ってる」ってのをちゃんと待ってりゃ違う結果になったかもしれないのに
まあ、荊軻がなかなか動こうとしないから「実はこいつ詐欺師なんじゃね」って疑ったんだろうけど
136: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/03/23(月) 01:42:22.44 ID:bPCc5DxX0
結果見る限りケイカは信頼できる友人を待ってたんだろうな
秦舞陽さんあの後どうなったのかを知りたいんだが、まぁ100%斬首だよね
秦舞陽さんあの後どうなったのかを知りたいんだが、まぁ100%斬首だよね
137: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/03/25(水) 20:21:43.45 ID:7ssrxXYe0
ケイカは暗殺しにいくまで食っちゃ寝の女抱き放題だったらしいが、お供の奴もそうだったのかな?
そうじゃなかったらただ殺されに行くという割に合わない仕事だな
そうじゃなかったらただ殺されに行くという割に合わない仕事だな
139: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/03/27(金) 02:32:19.32 ID:sg/r5svi0
ていうか秦舞陽は決死の任務だと理解してさえ居なかったのでは?
マジで降伏のお供だと思って行ったら「ちょっw」って感じで
マジで降伏のお供だと思って行ったら「ちょっw」って感じで
144: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/06(月) 05:14:33.70 ID:jB/aPq4a0
秦舞陽に関してはどうしてこうなった?!と言えるほど確実な史料はないと思うぞ
なんとなく本当の正使は彼だったんじゃないか?と思わないでもない
なんとなく本当の正使は彼だったんじゃないか?と思わないでもない
146: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/06(月) 18:51:12.73 ID:9ZRXI2MX0
「13歳で人を殺した秦舞陽」を俺は勝手に13歳と勘違いしてたけど、本当はいくつくらいだったんだろう?
147: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/06(月) 18:57:28.31 ID:dMSlkBIE0
いかにも民間レベルで荊軻ageの為に付け足された設定っぽい気が
杜撰な計画・残念な動機・しょっぱい成果、お粗末暗殺失敗の責任押し付け
諸葛亮は神だったけど劉禅のせいで魏に勝てなかった的なやつ
杜撰な計画・残念な動機・しょっぱい成果、お粗末暗殺失敗の責任押し付け
諸葛亮は神だったけど劉禅のせいで魏に勝てなかった的なやつ
148: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/06(月) 19:38:33.17 ID:Ip0piULI0
真面目な話始皇帝があそこで暗殺されてたら、蒙恬を後ろ盾にした太子がそのまま皇帝になって、むしろ秦帝国が長続きしたかもしれんな
149: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/04/07(火) 00:16:55.89 ID:woXLULZt0
蒙恬と扶蘇は始皇帝のせいで後継者になれなかったようなもんだが
その時代じゃ両者とも若すぎる
始皇帝正夫人の実力次第と言ったところか
その時代じゃ両者とも若すぎる
始皇帝正夫人の実力次第と言ったところか
224: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/07(木) 22:10:37.09 ID:cLjrMXKW0
荊軻が待ってた薄索っていったい何者だったんだろうな
高漸離は始皇帝暗殺しようとして失敗したけど、名前だけ残って楚の人間で信頼できる友人としか伝わっていない
荊軻のために始皇帝暗殺しようとしたわけでもない
荊軻に「始皇帝暗殺することになっっちまったんだが手伝ってくれないか?」と言われて無視したんじゃないかと思ってる
実際あと1年待っても薄索は来なかったと思う
高漸離は始皇帝暗殺しようとして失敗したけど、名前だけ残って楚の人間で信頼できる友人としか伝わっていない
荊軻のために始皇帝暗殺しようとしたわけでもない
荊軻に「始皇帝暗殺することになっっちまったんだが手伝ってくれないか?」と言われて無視したんじゃないかと思ってる
実際あと1年待っても薄索は来なかったと思う
225: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/08(金) 00:08:59.22 ID:uqvwNzHr0
「史記索隠」によれば薄索らしいが史記には名前は出てこない。「史記索隠」がどこから引いてきたのかも判らないので”名前も何も一切不明”が正しい。
それよりも生まれついての人殺し秦舞陽でさえブルッた始皇帝を平然と暗殺しようとした高漸離を一緒に連れて行くべきだったとは思う。
それよりも生まれついての人殺し秦舞陽でさえブルッた始皇帝を平然と暗殺しようとした高漸離を一緒に連れて行くべきだったとは思う。
226: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/08(金) 08:36:54.37 ID:3/sFxlK90
>>225
よくよく考えればそうだなw
近くに信頼できる友人がいたのに来るかもわからない遠くの友人を待っていたと
太子が疑ったように荊軻は最初から行く気なかったのかもしれんw
よくよく考えればそうだなw
近くに信頼できる友人がいたのに来るかもわからない遠くの友人を待っていたと
太子が疑ったように荊軻は最初から行く気なかったのかもしれんw
188: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/31(月) 00:57:58.80 ID:pFbeslho0
秦の范雎が王稽の罪に連座して昭襄王に処刑されてたとは知らなかった
史記も結構いい加減だよな
死についての異説
『史記』によれば、范雎は致仕することで生涯を全うすることができたとある。
だが始皇帝時代の睡虎地秦墓11号墓より出土した『編年記』の昭王52年(紀元前255年)の記述には
「王稽・張禄(=范雎)死す」とあり、これによれば范雎は王稽に連座して処刑されたと推測される
史記も結構いい加減だよな
死についての異説
『史記』によれば、范雎は致仕することで生涯を全うすることができたとある。
だが始皇帝時代の睡虎地秦墓11号墓より出土した『編年記』の昭王52年(紀元前255年)の記述には
「王稽・張禄(=范雎)死す」とあり、これによれば范雎は王稽に連座して処刑されたと推測される
189: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/31(月) 01:03:15.31 ID:pFbeslho0
やっぱ鄭安平が趙に降った時は昭襄王もかばえたが、王稽が他国と通じてた反逆罪の時はもうかばいようがなかったのかな?
白起をハメたのは明らかに范雎だし宮廷内でも敵を作り過ぎてて、そいつらが昭襄王に法に基づいて罰するように主張してもおかしくないよね
それとも案外昭襄王も范雎が目障りになってきてたとか?
白起をハメたのは明らかに范雎だし宮廷内でも敵を作り過ぎてて、そいつらが昭襄王に法に基づいて罰するように主張してもおかしくないよね
それとも案外昭襄王も范雎が目障りになってきてたとか?
190: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/31(月) 13:11:59.62 ID:HmT1V4+B0
戦国策を読むと、昭襄王と范雎の関係も完全な蜜月ではなかった様なところがある
内容は殆ど忘れたけど、何かがきっかけで信頼が薄れた様な話があったんだよな
内容は殆ど忘れたけど、何かがきっかけで信頼が薄れた様な話があったんだよな
191: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/31(月) 23:35:42.10 ID:BOB9/6We0
汝南失陥のヤツかな
王稽張禄死は昔、春秋戦国総合スレで議論したっけ
王稽張禄死は昔、春秋戦国総合スレで議論したっけ
194: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/01(火) 17:51:39.57 ID:tm0INAjy0
>>191
結論どうだったの?
墓から出土したこの手の記録でわざわざ嘘書く必要ないよね?
結論どうだったの?
墓から出土したこの手の記録でわざわざ嘘書く必要ないよね?
195: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/01(火) 22:07:52.74 ID:agwnupSB0
>墓から出土したこの手の記録でわざわざ嘘書く必要ないよね?
嘘というか間違いとかもあるからな
習鑿歯とかでも『襄陽耆旧記』『漢晋春秋』の同じ記事で内容違ってたりするからな
嘘というか間違いとかもあるからな
習鑿歯とかでも『襄陽耆旧記』『漢晋春秋』の同じ記事で内容違ってたりするからな
196: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/01(火) 23:00:07.54 ID:UJ2KHjSg0
間違いもあれば偽作もある
あえて言えば「范雎説話あやしい…」っていう感想が結論だったかと
編年記の五文字じゃ王稽張禄という者が同年に死んだということしか分からんし
あえて言えば「范雎説話あやしい…」っていう感想が結論だったかと
編年記の五文字じゃ王稽張禄という者が同年に死んだということしか分からんし
197: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/01(火) 23:16:06.46 ID:DhrOEgA90
范雎が辞職して平安な余生を過ごしたって通説と、王稽・張禄が同年に死んだってのはさすがに辻褄あわないよね?
198: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/02(水) 00:19:25.47 ID:pzvqCXpu0
合わんけどそこで退場したという点は共通しています
春秋戦国を扱う文献には矛盾する内容の説話的記事がよく見られる
古代中国人の世界ではその程度の相違は誤差の範囲と言えよう
春秋戦国を扱う文献には矛盾する内容の説話的記事がよく見られる
古代中国人の世界ではその程度の相違は誤差の範囲と言えよう
201: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/03(木) 23:19:26.78 ID:skS+blEb0
范雎って悲惨な前半生があるから出世したのをなんか応援したくなるが、王に取り入っての権力闘争が得意な趙高みたいなやつだよな
202: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/04(金) 00:07:36.18 ID:sNaM9WDq0
商鞅みたいに秦の制度を抜本的に変えたわけではないしね
昭襄王に権力集中させるために母親や親類を関中から追い出したことで丞相の座もゲットして、遠交近攻方針で周辺国を滅ぼしたのは見事だけど、やはり白起の邪魔をして自決に追い込んだことで自分の命運も尽きちゃったのかな
昭襄王に権力集中させるために母親や親類を関中から追い出したことで丞相の座もゲットして、遠交近攻方針で周辺国を滅ぼしたのは見事だけど、やはり白起の邪魔をして自決に追い込んだことで自分の命運も尽きちゃったのかな
203: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/05(土) 17:27:07.54 ID:f1jIp/gC0
史記等を見る限り
逸話が比較的豊富な戦国期の名臣の多くが王侯にゴマすって権力闘争するのが得意な趙高型である件
戦略を転換した結果周辺国を滅ぼしたのであれば范雎の功績は商鞅に勝るとも劣らないだろうよ
…商鞅変法や遠交近攻が本当に抜本的な変革であればの話だけどね
逸話が比較的豊富な戦国期の名臣の多くが王侯にゴマすって権力闘争するのが得意な趙高型である件
戦略を転換した結果周辺国を滅ぼしたのであれば范雎の功績は商鞅に勝るとも劣らないだろうよ
…商鞅変法や遠交近攻が本当に抜本的な変革であればの話だけどね
207: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/06(日) 00:56:46.24 ID:MqH7+lZj0
宮城谷が「青雲」(范雎は致仕後すぐ私的に自殺)は仕方ないとしても、「奇貨」か「戦国名臣列伝」(没年は記載あり)でこの件触れてたらわりと周知の事実になってたはず
208: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/06(日) 13:07:34.98 ID:HfRIPWrF0
逆の設定があったような?
范雎が死んだから、後ろ盾を亡くした王稽が謀反した。
宮城谷さんの後書きだったか?エッセイだったか?
范雎ってひどい暴行受けてたから、あちこちに後遺症とか残って、長生きは出来なさそう。当時の医学じゃw
范雎が死んだから、後ろ盾を亡くした王稽が謀反した。
宮城谷さんの後書きだったか?エッセイだったか?
范雎ってひどい暴行受けてたから、あちこちに後遺症とか残って、長生きは出来なさそう。当時の医学じゃw
209: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/06(日) 17:23:33.94 ID:MqH7+lZj0
ほう、宮城谷さんはそういう設定も書いておられるのね?
范雎主役の青雲では普通に王稽失脚→范雎致仕
しかしながらこうなると便所から立身の方も真相はどうだか…
范雎は戦国のレジェンドたる蘇秦張儀と比較しても遜色ないほど充実したエピソード群を誇る稀有な人物
この点では政敵?白起を圧倒し、蘇秦張儀や孟嘗信陵と競うレベル(個人の感想です)
史記范雎伝の人物一代記としての完成度は他の戦国列伝を凌ぎ、司馬遷の評価も高い
これほど上等なモノですら信憑性はご覧の有様
ということは范雎関係逸話はもちろん他の戦国故事も推して知るべし
范雎主役の青雲では普通に王稽失脚→范雎致仕
しかしながらこうなると便所から立身の方も真相はどうだか…
范雎は戦国のレジェンドたる蘇秦張儀と比較しても遜色ないほど充実したエピソード群を誇る稀有な人物
この点では政敵?白起を圧倒し、蘇秦張儀や孟嘗信陵と競うレベル(個人の感想です)
史記范雎伝の人物一代記としての完成度は他の戦国列伝を凌ぎ、司馬遷の評価も高い
これほど上等なモノですら信憑性はご覧の有様
ということは范雎関係逸話はもちろん他の戦国故事も推して知るべし
210: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/07(月) 00:18:14.22 ID:lUyUIzXL0
今更だが、基本的に当事者同士しか知り得ない話
特に何故か事細かな会話文が記録されているエピは眉唾やね
とりあえず范雎蔡沢、范雎昭襄王、范雎白起……
あと范雎を説得し趙進攻を一時停止させた蘇代も
特に何故か事細かな会話文が記録されているエピは眉唾やね
とりあえず范雎蔡沢、范雎昭襄王、范雎白起……
あと范雎を説得し趙進攻を一時停止させた蘇代も
引用元: ・史記について語るスレ

現行本って鎌倉時代くらいのもんだし