1: 人間七七四年 2023/02/24(金) 16:56:41.68 ID:e1Rc32nz
歴史上には三つの幕府があったが、江戸幕府の支配力の強さは圧倒的で、江戸時代は前近代で最も平和な時代だった(前期近代と捉えられることもあるほど)
それは何故かと考えると、江戸時代の前の戦国時代-織豊時代の存在が大きいだろう
では戦国-織豊期の何が江戸時代の平和を産んだのか?というのを考察するスレ
生産力の上昇、文書行政の進化、大名統制のシステム、鉄砲の普及、検地や刀狩など色々考えられるが、日本の中世近世移行の主要因は一体何だろうか
それは何故かと考えると、江戸時代の前の戦国時代-織豊時代の存在が大きいだろう
では戦国-織豊期の何が江戸時代の平和を産んだのか?というのを考察するスレ
生産力の上昇、文書行政の進化、大名統制のシステム、鉄砲の普及、検地や刀狩など色々考えられるが、日本の中世近世移行の主要因は一体何だろうか
2: 人間七七四年 2023/02/24(金) 17:01:34.39 ID:xvGXiT/1
分裂抗争の時代を勝ち抜いた強力な軍事力とその過程で築かれた権力でしょ
4: 人間七七四年 2023/02/24(金) 17:11:38.73 ID:e1Rc32nz
>>2
分裂抗争の時代というのなら南北朝時代も全国で群雄割拠した時代だったけど、その上に立った室町幕府は弱体だった
そう考えると分裂抗争に勝ち抜くことだけが理由ではないのかもしれない
室町幕府と江戸幕府の違いを生んだのは何だろう?
また三国時代を勝ち抜いた晋は簡単に内部崩壊してしまったが、江戸幕府はそうはならなかった
分裂抗争の時代というのなら南北朝時代も全国で群雄割拠した時代だったけど、その上に立った室町幕府は弱体だった
そう考えると分裂抗争に勝ち抜くことだけが理由ではないのかもしれない
室町幕府と江戸幕府の違いを生んだのは何だろう?
また三国時代を勝ち抜いた晋は簡単に内部崩壊してしまったが、江戸幕府はそうはならなかった
5: 人間七七四年 2023/02/24(金) 17:14:11.10 ID:e1Rc32nz
秦→漢
隋→唐
平家政権→鎌倉幕府
建武政権→室町幕府
豊臣政権→徳川幕府
最初の統一政権がすぐに倒れ、次に立つ政権が長続きするという現象も考慮すべきかもしれない
隋→唐
平家政権→鎌倉幕府
建武政権→室町幕府
豊臣政権→徳川幕府
最初の統一政権がすぐに倒れ、次に立つ政権が長続きするという現象も考慮すべきかもしれない
6: 人間七七四年 2023/02/24(金) 17:50:07.39 ID:e1Rc32nz
あと豊臣政権のように、有力大名が他大名をまとめてある種革命を起こしてしまうようなことは江戸幕府には無かった
これはなんでだろう?
これはなんでだろう?
7: 人間七七四年 2023/02/24(金) 20:45:59.32 ID:wBUrRh0H
豊臣政権もそうだったけど、近世政権はその配下の大名の、家中における権威権力も同時に引き上げるんだよ。大名権力が大名を頂点としたピラミッド構造になるのは近世から。
そういう意味で江戸幕府の強大化は大名にとっても利益が大きかった。
そういう意味で江戸幕府の強大化は大名にとっても利益が大きかった。
9: 人間七七四年 2023/02/24(金) 22:09:38.59 ID:e1Rc32nz
>>7
戦国大名の家中構造はあくまで同輩中の第一人者でしかないもんなあ
しかし大名権力の強大化が起きるのならば家中で反動も起きるはず
そのようなことが書いてある書籍とかオススメがあれば教えて欲しい
戦国大名の家中構造はあくまで同輩中の第一人者でしかないもんなあ
しかし大名権力の強大化が起きるのならば家中で反動も起きるはず
そのようなことが書いてある書籍とかオススメがあれば教えて欲しい
8: 人間七七四年 2023/02/24(金) 21:43:18.43 ID:RXlso0xv
江戸時代は争いの少ない平和な時代ではあった
それは競争を徹底的に排除したから
家督は必ず長子、優秀かどうかは関係ない
優秀な人間にとっては大変生きにくい時代
平和ではあるが希望のない世界だった
それは競争を徹底的に排除したから
家督は必ず長子、優秀かどうかは関係ない
優秀な人間にとっては大変生きにくい時代
平和ではあるが希望のない世界だった
10: 人間七七四年 2023/02/24(金) 22:12:52.04 ID:e1Rc32nz
>>8
完成系は確かに競争排除が行われているように見える
身分秩序の固定もそうだし、兵農分離も同じ文脈で捉えられそう
じゃあなんでそうなったんだろう?
主にどの階級が望んだんだろう
全階級でコンセンサスが取れたんだろうか
完成系は確かに競争排除が行われているように見える
身分秩序の固定もそうだし、兵農分離も同じ文脈で捉えられそう
じゃあなんでそうなったんだろう?
主にどの階級が望んだんだろう
全階級でコンセンサスが取れたんだろうか
11: 人間七七四年 2023/02/24(金) 22:58:22.05 ID:RXlso0xv
>>10
望んだのは家康と将軍家
それより下の者にとっては立身出世は夢だから
外様大名も親藩大名も将軍になりたいが、その気配がある者は全て改易した
そうしてみんな反逆は諦めた
望んだのは家康と将軍家
それより下の者にとっては立身出世は夢だから
外様大名も親藩大名も将軍になりたいが、その気配がある者は全て改易した
そうしてみんな反逆は諦めた
12: 人間七七四年 2023/02/24(金) 23:12:29.48 ID:e1Rc32nz
>>11
強力な武力を背景にした改易はとても有効な手段だったと思う、秀吉は家康が重すぎて制御しきれなかったようだけども…
でもこれは少しアクターを支配層に限定した考え方な気もする
民衆たちは戦乱をどのように捉えていたのだろう
強力な武力を背景にした改易はとても有効な手段だったと思う、秀吉は家康が重すぎて制御しきれなかったようだけども…
でもこれは少しアクターを支配層に限定した考え方な気もする
民衆たちは戦乱をどのように捉えていたのだろう
13: 人間七七四年 2023/02/24(金) 23:20:43.88 ID:e1Rc32nz
家格の固定について今思いついたこと
国境に近い国人の動向が戦国大名を半ば強制的に戦争へと追い立てていたわけだけども、惣無事によって戦乱が無くなると国人層の寝返りなどは原則無くなる、つまり国人層の政治世界が所属領国内に固定・限定されるわけだよね
そうなると家格の固定化は一気に進行し、大名家中の秩序は安定するように思う
戦争を止めること自体が戦争の原因を無くすという逆説的な現象と…いえる?
国境に近い国人の動向が戦国大名を半ば強制的に戦争へと追い立てていたわけだけども、惣無事によって戦乱が無くなると国人層の寝返りなどは原則無くなる、つまり国人層の政治世界が所属領国内に固定・限定されるわけだよね
そうなると家格の固定化は一気に進行し、大名家中の秩序は安定するように思う
戦争を止めること自体が戦争の原因を無くすという逆説的な現象と…いえる?
23: 人間七七四年 2023/02/26(日) 19:57:56.15 ID:Bcqt4FCl
最初の50年間くらいは武士も民も戦国メンタルのままだけど徳川家が強すぎて全く勝ち目がなかったから誰も蜂起しなかっただけ(島原の乱除く)
それ以降は平和慣れや儒学の浸透でそもそも人の命とか奪うの良くないよね…って感じになったし
平和の基に築かれている各々の既得権益を壊すのもアホらしくなった
それ以降は平和慣れや儒学の浸透でそもそも人の命とか奪うの良くないよね…って感じになったし
平和の基に築かれている各々の既得権益を壊すのもアホらしくなった
24: 人間七七四年 2023/02/27(月) 03:16:03.98 ID:cI+xfGrh
十四世紀から地球を覆った気候寒冷化は世界的に軍事/政治の激動をもたらした。
日本の所謂「戦国」も根本的にはこの人類史的運動の一要素である。
更に日本個有の事情として同時期に列島周辺のプレート運動が活性化、大規模地震が異常な頻度で発生した。
これも「戦国」の主要原因を成していた。
十七世紀後半に至ってこれらの地球物理学的変動は漸く緩和鎮静に向かう。
江戸幕府統治下の日本が概ね平和に推移したことの原因は全てここに在る。
日本の所謂「戦国」も根本的にはこの人類史的運動の一要素である。
更に日本個有の事情として同時期に列島周辺のプレート運動が活性化、大規模地震が異常な頻度で発生した。
これも「戦国」の主要原因を成していた。
十七世紀後半に至ってこれらの地球物理学的変動は漸く緩和鎮静に向かう。
江戸幕府統治下の日本が概ね平和に推移したことの原因は全てここに在る。
26: 人間七七四年 2023/02/27(月) 09:12:28.63 ID:rKsj7oWO
>>24
世界的気候変動が政治システムの変動をもたらすというのは確かにもっと考慮すべきかもしれない
後漢から魏晋南北朝の乱世になったのとローマ帝国の崩壊がパラレルだったのも、世界規模の気候変動による遊牧民の南下という背景を共有していたから
ただ、古代秩序の崩壊が温帯帝国の崩壊だった一方で、16世紀世界は熱帯まで手を広げていたし、南北アメリカという広大な後背地があったわけだから気候変動だけに原因を求めることはできないと考えたい
気候が安定していたとしても中世的秩序ならば江戸時代のような完全平和は成し遂げられなかったはずなので、やはり政治的基礎構造の転回に戦国という歴史的経緯による影響があったと考えるのが自然と思う
戦国という経験があり地下からの武士の乖離と集住が発生したこと、農村の政治的経済的成長があったことを他の要素と上手く結びつけたい
世界的気候変動が政治システムの変動をもたらすというのは確かにもっと考慮すべきかもしれない
後漢から魏晋南北朝の乱世になったのとローマ帝国の崩壊がパラレルだったのも、世界規模の気候変動による遊牧民の南下という背景を共有していたから
ただ、古代秩序の崩壊が温帯帝国の崩壊だった一方で、16世紀世界は熱帯まで手を広げていたし、南北アメリカという広大な後背地があったわけだから気候変動だけに原因を求めることはできないと考えたい
気候が安定していたとしても中世的秩序ならば江戸時代のような完全平和は成し遂げられなかったはずなので、やはり政治的基礎構造の転回に戦国という歴史的経緯による影響があったと考えるのが自然と思う
戦国という経験があり地下からの武士の乖離と集住が発生したこと、農村の政治的経済的成長があったことを他の要素と上手く結びつけたい
25: 人間七七四年 2023/02/27(月) 06:39:00.21 ID:kQvErfLA
そもそも論
不安定から安定な世の中に移行するのがなぜ疑問なのか?
不安定な状態が通常状態ならいざ知らず大きな歴史の流れでは安定してるほうが通常なんだが
不安定から安定な世の中に移行するのがなぜ疑問なのか?
不安定な状態が通常状態ならいざ知らず大きな歴史の流れでは安定してるほうが通常なんだが
27: 人間七七四年 2023/02/27(月) 09:14:38.13 ID:rKsj7oWO
>>25
江戸幕府は古代律令国家に次ぐ第二の日本統一政府と見る歴史観があり、これを評価したい
中世の世界は安定していたが平和では無いだろう
それに歴史における「通常」とは何だろうか?
江戸幕府は古代律令国家に次ぐ第二の日本統一政府と見る歴史観があり、これを評価したい
中世の世界は安定していたが平和では無いだろう
それに歴史における「通常」とは何だろうか?
28: 人間七七四年 2023/02/27(月) 12:57:05.35 ID:JgDEj8Xa
織豊政権の地均しによって徳川幕府が相対的に強大化したというのはあるんじゃない
秀吉による統一~関が原で土着の勢力は転封で土地と切り離されるか敗北による領地の召し上げで弱体化して、その後釜に入った成り上がりの大名は統治権の保障を幕府に求めざるを得ないので公然と幕府に背くことができるようになるまで時間がかかった
秀吉による統一~関が原で土着の勢力は転封で土地と切り離されるか敗北による領地の召し上げで弱体化して、その後釜に入った成り上がりの大名は統治権の保障を幕府に求めざるを得ないので公然と幕府に背くことができるようになるまで時間がかかった
29: 人間七七四年 2023/02/27(月) 14:13:20.51 ID:rKsj7oWO
関ヶ原の戦いがあったのは大きいと思う
武士の棟梁の本質は本領安堵と新恩給付であり、家康はあの大きな戦いがあったことで正当に全国の武士に対して領地差配権を振るえた
そう考えると大阪の陣は頼朝でいうところの奥州合戦のアナロジーでも捉えられる(秀吉の唐入りも同じ文脈で考えても良いかもしれない)
関ヶ原のような特殊な合戦は織豊政権による統一が無ければ発生し得ないという点も押さえるべきではある
武士の棟梁の本質は本領安堵と新恩給付であり、家康はあの大きな戦いがあったことで正当に全国の武士に対して領地差配権を振るえた
そう考えると大阪の陣は頼朝でいうところの奥州合戦のアナロジーでも捉えられる(秀吉の唐入りも同じ文脈で考えても良いかもしれない)
関ヶ原のような特殊な合戦は織豊政権による統一が無ければ発生し得ないという点も押さえるべきではある
30: 人間七七四年 2023/02/27(月) 21:52:33.59 ID:o6X+fjw1
武士の起こりが自分の開拓した土地の権利を保証しろだからねえ
武士は先祖伝来の土地のために戦い、幕府は働いた武士のその権利を保証する
信長秀吉の大規模な統一戦争によって武士達は先祖伝来の土地から切り離されて新たに天下人信長秀吉から土地を与えられて鉢植え大名化した
武士は先祖伝来の土地のために戦い、幕府は働いた武士のその権利を保証する
信長秀吉の大規模な統一戦争によって武士達は先祖伝来の土地から切り離されて新たに天下人信長秀吉から土地を与えられて鉢植え大名化した
33: 人間七七四年 2023/02/27(月) 22:13:59.58 ID:uiDsso9i
>>30
武士が開拓領主というのは現在はほぼ否定されてるぞ。武士というのはその出現からあくまで都市居住者であり、荘園などの管理者として在地の土地に権利を持ったに過ぎず、彼らが一定の土地に縛られるようになったのは戦国大名権力による支配地域の一円化が進行した中世末期から近世だな。
武士が開拓領主というのは現在はほぼ否定されてるぞ。武士というのはその出現からあくまで都市居住者であり、荘園などの管理者として在地の土地に権利を持ったに過ぎず、彼らが一定の土地に縛られるようになったのは戦国大名権力による支配地域の一円化が進行した中世末期から近世だな。
34: 人間七七四年 2023/02/27(月) 22:38:21.73 ID:rKsj7oWO
>>33
「武士の発生は開発領主である」ということが否定的に語られるようになっただけで、中世を通して武士が開発領主的性格を持っていたのは確かだろう
武士の源流として都市居住だけでなく在地と行き来する都鄙往還というのが大切だった(cf京都大番役)わけだし
実際、父系としては源平藤氏だったとしても母系を辿ると郡司の血が入っていることが分かる
郡司こそは律令国家の古代的統一秩序の中に色濃く残る未開時代の在地領主の末裔なわけで、やはり平安期武士が在地性を持つのも確かだろう
地頭の職掌で重要なものに勧農があるが、鎌倉時代を通して耕作地はかなり拡大している
やはりこれは開発領主と呼ぶべき
だからこそ新恩給付よりもむしろ本領安堵が御恩の本質とされ、鎌倉武士は一所懸命の精神を持っていた
荘園管理者でしかない、というのは制度上のことであって、鎌倉幕府に御家人たちが集まったのは土地への執着があったからだろう
一円化だが、鎌倉期は各地に散在的に領地を持つことが多かったが南北朝動乱による秩序弛緩、及びその後の守護大名権力の伸長により(非本拠地は守りきれず守護領に編入されるなどし)領地の集中が行われ、同時に一円化も進行しているね
この一円化の流れの一つの極北として戦国大名の領国を見ることもできるだろう
やはり中世的な世界の最終形態とみなすことができる
ただ一方で戦国大名が近世的なものの萌芽を持っていたのも確かで、そこをこのスレでは議論したいわけっす
「武士の発生は開発領主である」ということが否定的に語られるようになっただけで、中世を通して武士が開発領主的性格を持っていたのは確かだろう
武士の源流として都市居住だけでなく在地と行き来する都鄙往還というのが大切だった(cf京都大番役)わけだし
実際、父系としては源平藤氏だったとしても母系を辿ると郡司の血が入っていることが分かる
郡司こそは律令国家の古代的統一秩序の中に色濃く残る未開時代の在地領主の末裔なわけで、やはり平安期武士が在地性を持つのも確かだろう
地頭の職掌で重要なものに勧農があるが、鎌倉時代を通して耕作地はかなり拡大している
やはりこれは開発領主と呼ぶべき
だからこそ新恩給付よりもむしろ本領安堵が御恩の本質とされ、鎌倉武士は一所懸命の精神を持っていた
荘園管理者でしかない、というのは制度上のことであって、鎌倉幕府に御家人たちが集まったのは土地への執着があったからだろう
一円化だが、鎌倉期は各地に散在的に領地を持つことが多かったが南北朝動乱による秩序弛緩、及びその後の守護大名権力の伸長により(非本拠地は守りきれず守護領に編入されるなどし)領地の集中が行われ、同時に一円化も進行しているね
この一円化の流れの一つの極北として戦国大名の領国を見ることもできるだろう
やはり中世的な世界の最終形態とみなすことができる
ただ一方で戦国大名が近世的なものの萌芽を持っていたのも確かで、そこをこのスレでは議論したいわけっす
31: 人間七七四年 2023/02/27(月) 21:58:56.65 ID:rKsj7oWO
石井進の名著『中世武士団』で導入に使われるのが秀吉による鉢植え化に反抗して滅ぼされる古武士然とした地侍だったなあ
そのエピソード自体は小説の話だけど中世的世界と近世織豊権力の衝突の本質を捉えていると書かれていた
そのエピソード自体は小説の話だけど中世的世界と近世織豊権力の衝突の本質を捉えていると書かれていた
32: 人間七七四年 2023/02/27(月) 22:08:57.73 ID:o6X+fjw1
律令導入して公地公民にしたのが骨抜きにされて以来の公地公民化と言って良いからな
実際江戸時代の大名は上様から預かった領地をきちんと治めるのが私の務めとか言ってるし、中世の俺の土地を守るために戦うぜ!っていうのとは明らかに違う
実際江戸時代の大名は上様から預かった領地をきちんと治めるのが私の務めとか言ってるし、中世の俺の土地を守るために戦うぜ!っていうのとは明らかに違う
35: 人間七七四年 2023/02/27(月) 22:45:03.88 ID:rKsj7oWO
>>32
古代から中世への転換という点では、公地公民から荘園制へ、というのがよく語られるが、本質的には負名制が中世の本質的な始まりだろうね
つまり人的な把握・支配をするには行政的なリソースが古代日本では維持できず、より把握しやすい土地による支配へと移行した、これが中世なんではないかなと
近世というのは文書行政が発展して再び人的支配を行えるようになり、実際に行われた時代と考えられる
秀吉による作り合いの否定というのはそれを端的に表しているように思う
ヨーロッパも、(古代ローマの行政システムをよく知らないけども、)ローマ帝国の衰退による行政リソースの不足から中世的な世界に移行したのではないのだろうか
そこら辺は上手くアナロジックに考えたいところではある
古代から中世への転換という点では、公地公民から荘園制へ、というのがよく語られるが、本質的には負名制が中世の本質的な始まりだろうね
つまり人的な把握・支配をするには行政的なリソースが古代日本では維持できず、より把握しやすい土地による支配へと移行した、これが中世なんではないかなと
近世というのは文書行政が発展して再び人的支配を行えるようになり、実際に行われた時代と考えられる
秀吉による作り合いの否定というのはそれを端的に表しているように思う
ヨーロッパも、(古代ローマの行政システムをよく知らないけども、)ローマ帝国の衰退による行政リソースの不足から中世的な世界に移行したのではないのだろうか
そこら辺は上手くアナロジックに考えたいところではある
36: 人間七七四年 2023/03/10(金) 23:59:48.93 ID:y+c5fDPh
中世続いてた土地と武士の繋がりを1度ほとんどぶっ壊して改めて土地を預け置くという形で与え直した
そうやって武士の鉢植え化を進めた信長秀吉からの流れだよね
そうやって武士の鉢植え化を進めた信長秀吉からの流れだよね
40: 人間七七四年 2023/03/11(土) 20:37:54.50 ID:TWD8r0Oq
みんななんやかんや理屈を捏ねるが、単純に徳川の軍事力が圧倒的になったからでしょ
闘争は人間の本質だから圧倒的支配者の存在以外の理由で平和になることなんて無いよ
闘争は人間の本質だから圧倒的支配者の存在以外の理由で平和になることなんて無いよ
66: 人間七七四年 2024/05/18(土) 23:20:38.09 ID:GrE0dvQz
国産の金銀銅で国内を統一した貨幣で賄う事が出来て貨幣経済が樹立されたから
その当時の貨幣で生まれた資本が元となって、時代が変わっても今では銀行になってたり、その頃から続いてるお店があったりしている
その当時の貨幣で生まれた資本が元となって、時代が変わっても今では銀行になってたり、その頃から続いてるお店があったりしている
46: 人間七七四年 2023/03/29(水) 20:57:05.65 ID:CILXCJVc
よほど戦国時代がみんな嫌いだったんかな
あの後だったら誰であっても平和な時代を築けたはず