1: 日本@名無史さん 2012/05/23(水) 22:49:56.88
どんな人物だったんでしょう?







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藤原 頼長(ふじわら の よりなが)は、平安時代末期の公卿。藤原北家、摂政関白太政大臣藤原忠実の三男。官位は従一位・左大臣、贈正一位、太政大臣。

兄で関白・忠通と対立し、父・忠実の後押しにより藤原氏長者・内覧として旧儀復興・綱紀粛正に取り組んだが、その苛烈で妥協を知らない性格により悪左府(あくさふ)の異名を取った。後に鳥羽法皇の信頼を失って失脚。政敵の美福門院・忠通・信西らに追い詰められ、保元の乱で敗死した。男色始め当時の風俗を克明に記した日記『台記』でも有名。




6: 日本@名無史さん 2012/05/24(木) 08:20:05.76
アッー!

13: 日本@名無史さん 2012/05/25(金) 00:13:07.28
性癖の話ばっかりで政治的な業績はろくに評価されないな

15: 日本@名無史さん 2012/05/26(土) 11:39:38.08
息子の師長は保元の乱後もそれなりに出世してる

19: 日本@名無史さん 2012/05/31(木) 00:28:40.48
日記に男と寝たことを記してるんだっけ?

22: 日本@名無史さん 2012/06/01(金) 11:57:26.68
>>19
日記なんて本来公にするものじゃないしな
(子孫のために儀式のやり方をつづるのが本来の目的)
こちらは男女間だが枕草子や和泉式部日記にも、台記ほど露骨ではないがそういう記述はあるよ

20: 日本@名無史さん 2012/05/31(木) 09:26:36.04
そんなことを日記に書くなんて後世の評価を考えたりしなかったのかね?

21: 日本@名無史さん 2012/06/01(金) 08:31:59.82
当時は公家の嗜みだったんだろ
政治的意味合いもあったらしいし

23: 日本@名無史さん 2012/06/04(月) 16:44:14.58
何で書いたのかな
子孫への性教育のため?

50: 日本@名無史さん 2013/01/28(月) 17:42:58.49
>>23
「台記」は基本的に有職故実を子孫に伝えるための書
しかし何を勘違いしたのか…
あんなことを書いても子孫が許してくれると思ったのか…

30: 日本@名無史さん 2012/06/15(金) 04:34:47.40
藤原家は藤原真夏という人物もいたんだな

31: 日本@名無史さん 2012/06/15(金) 09:26:04.72
>>30
真夏は平城天皇の側近で薬子の変で失脚
嵯峨天皇の側近だった弟冬嗣の系統にとってかわられた
道長も頼長も冬嗣の系統
真夏(長男)、冬嗣(二男)、秋継(三男)、桜麻呂(四男)
と季節にちなんだ命名なのな

32: 日本@名無史さん 2012/06/15(金) 10:42:28.88
>桜麻呂(四男)

春の象徴は桜なのか?
奈良時代は花といえば梅だったらしいが。
・・・って旧暦だと梅の季節はまだ冬なのか。
じゃあ冬嗣は梅嗣でいいじゃん。

33: 日本@名無史さん 2012/06/15(金) 11:11:10.64
>>32
旧暦では1月、2月、3月が春。
正月を立春というでしょ?
太陽暦より1か月ちょっとずれるので、1月に梅が咲き3月に桜と桃が咲いた。
どれも春の花。

35: 日本@名無史さん 2012/06/16(土) 02:49:50.16
平安初期の嵯峨天皇までは、人の名前に動植物の名前をつけて、その生命力にあやかって健康に成長することを祈願して命名してたらしいけど、嵯峨天皇の命令以降、漢字の人名用の佳字を使って、主に名前をつけるように変わったんだよね。
幼名だけは、力強く成長して欲しい親の願いから、動植物の名前を引き続き使ったらしいね。

34: 日本@名無史さん 2012/06/15(金) 18:17:00.44
四兄弟に季節ごとのお名前をつけるとは、何だかおしゃれですな~。

頼長の幼名も季節に咲く花にちなんでつけられたね(菖蒲若)
菖蒲若という名は、誰がつけたんだろう。忠実?母親の親戚?

36: 日本@名無史さん 2012/06/17(日) 11:22:41.55
>>30
真夏は長男だったのに後継者になれなかったんだな。
藤原氏の長男の系統は没落するジンクスがあったけど、保元の乱ではやっと長男の忠通が勝利を収めたわけだ。

37: 日本@名無史さん 2012/06/18(月) 08:16:22.26
>>36
摂関家も基本的には長男相続だけどな
道長(五男)-頼通(長男)-師実(四男)-師通(長男)-忠実(長男)-忠通(長男)
(師実は上の兄3人が養子に出されたため幼少期から嫡子とされた)

75: 日本@名無史さん 2016/05/04(水) 09:31:38.87
>>36>>37
長男相続になったのは頼通以降だな。
道長(五男)以前は次男以降しかも末弟ポジが主流となってた。
相続したというより、政治的ねばり強さと、娘がうまく皇子を産んでくれた幸運によるところが強いけど。

それと頼通以降長男相続になったあと摂関家は弱体化していく。

83: 日本@名無史さん 2017/06/22(木) 19:31:25.74
>>75
長男相続は忠通以降だよ
頼通の次の摂関は頼道の長男ではなく頼通の弟の教通だし、教通は関白になると即、娘を立后させて立場を引き上げている
頼道が入内させた娘・養女には皇子が誕生しなかったし、教通が入内させた娘に皇子が産まれていれば立場は簡単にひっくり返っていた
実際には頼通も教通も娘に皇子を産ませるのに失敗
頼通の息子・師実が養女を白河天皇に差し出してそこに皇子が産まれたため(後の堀河天皇)、頼通の系統がかろうじて勢いを盛り返した

58: 日本@名無史さん 2014/03/08(土) 10:52:38.22
頼長は仲麻呂の生まれ変わりっぽい。
名家の次男で学問はできる、理屈っぽく理想家肌、兄貴と対決、非業の最期。
子供はそれでもそれなりには出世したが、孫以後は壊滅的。
名門傍流だけど早期に系統消滅。

信西は、吉備真備の生まれ代わりっぽい。
どっちかと言うと下層(支配層としては)の生まれで学問で身を立てる。
実務家、支配者の知恵袋として当面の敵は倒したが、思わぬ相手に足下をすくわれた。
息子はまだしも、それ以後の子孫は結局ぱっとしない。

って、なんか似てる。

86: 日本@名無史さん 2019/06/02(日) 21:59:16.09
平安末期の保元の乱、平治の乱の勉強をしたが、日本の内乱、政争のパターンは全部同じ
しかし中世の歴史がこんなおもしろいと思わなかったわ

88: 日本@名無史さん 2019/10/29(火) 12:56:07.38
昔演じた成田三樹夫はよかった

97: 日本@名無史さん 2020/02/29(土) 15:35:56.52
近衛前久って、藤原頼長の兄の藤原忠通の子孫なんだね。

101: 日本@名無史さん 2020/08/08(土) 20:28:39.52
>>97
五摂家って全て忠通の子孫でしょ。

九条家(忠通の六男)
近衛家(忠通の四男)
鷹司家(近衛家の分家)
二条家(九条家の分家)
一条家(九条家の分家)

不遇だったのが、松殿家(忠通の五男)。
殿下乗合事件を起こし、その後太政大臣になるが、治承三年の政変で失脚。

なお、頼長の妻子は全て保元の乱で処刑され、子孫は残さなかった。

109: 日本@名無史さん 2021/04/29(木) 08:02:25.93
引き上げ役の親父に梯子を外されて終わり

引用元: ・藤原頼長