1: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:20:19 ID:Lwxi
リアタイで書いてるから質問に答えられへんかもしれん
4: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:21:00 ID:Lwxi
飛鳥奈良時代あたりから漢字が定着してきた日本は大きく分けて二つの詩のジャンルを形成するんや
和歌と漢詩や
和歌は万葉集
漢詩は海風藻
が最古のものとして有名や
和歌と漢詩や
和歌は万葉集
漢詩は海風藻
が最古のものとして有名や
71: 名無しさん@おーぷん 24/07/24(水) 00:15:39 ID:dI6c
>>4
懐風藻、な?
懐風藻、な?
『懐風藻』(かいふうそう)は、現存する最古の日本漢詩集。撰者不明の序文によれば、天平勝宝3年11月[1](ユリウス暦751年12月10日 - 752年1月8日のどこか)に完成。編者は大友皇子の曾孫にあたる淡海三船と考える説が有力である、また他に石上宅嗣、藤原刷雄、等が擬されているが確証はない。
近江朝から奈良朝までの64人の作者による116首の詩を収めるが、序文には120とあり、現存する写本は原本と異なると想像されている。作品のほとんどは五言詩で、平安初期の勅撰3詩集が七言詩で占められているのと大きく異なる。
近江朝から奈良朝までの64人の作者による116首の詩を収めるが、序文には120とあり、現存する写本は原本と異なると想像されている。作品のほとんどは五言詩で、平安初期の勅撰3詩集が七言詩で占められているのと大きく異なる。
7: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:22:24 ID:Lwxi
当然俳句の元となったものは万葉集や
万葉集には
和歌57577
長歌5757の繰り返し
旋頭歌577577
の3つのジャンルの歌があったんや
万葉集には
和歌57577
長歌5757の繰り返し
旋頭歌577577
の3つのジャンルの歌があったんや
10: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:23:45 ID:Lwxi
ここで大事なのは当然和歌や
当時は個人で和歌を作ることもあったにはあったんやがどちらかというとある催しを開いて作ることが多かったんや
それが歌会や
ちなみに今でも歌会始いうて天皇が新年に開いとるで
当時は個人で和歌を作ることもあったにはあったんやがどちらかというとある催しを開いて作ることが多かったんや
それが歌会や
ちなみに今でも歌会始いうて天皇が新年に開いとるで
12: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:24:32 ID:Lwxi
歌会ではいろいろな作り方をして遊んでいたんやが長くなるでな
重要なやつだけいうで
それが連歌や
重要なやつだけいうで
それが連歌や
13: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:24:44 ID:93ug
最初は和歌もやっぱ漢字オンリーだったの?
14: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:25:53 ID:Lwxi
>>13
せやで
万葉集の原本は漢字しか書いてない
だから面白いのが、恋の漢字が孤悲だったり古非だったりいろんな字が当てられてたんや
せやで
万葉集の原本は漢字しか書いてない
だから面白いのが、恋の漢字が孤悲だったり古非だったりいろんな字が当てられてたんや
17: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:27:01 ID:93ug
>>14
ほーん
面白いな
サンガツ
ほーん
面白いな
サンガツ
16: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:26:34 ID:Lwxi
連歌とはまず一人目が575を読む
それに続いて二人目が77を読む
三人目が前の句を受けて575を読み
四人目が77
といったように和歌を二人で作り
それを続けていくというような作成方法だったんやな
それに続いて二人目が77を読む
三人目が前の句を受けて575を読み
四人目が77
といったように和歌を二人で作り
それを続けていくというような作成方法だったんやな
18: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:27:55 ID:Lwxi
この連歌ふくめた和歌作成の能力は当時は教養として必須やったんや
出来んやつは風流がないとか馬鹿にされるほどに
だから有名な戦国武将とかも必死に覚えたんやな
農民出の秀吉が歌会開いたり茶会開いたりとこれは教養があるアピをしてたわけやな
他にも出陣前の武将が連歌開いて必勝祈願したりと歴史の裏には実は必ず和歌漢詩がくっついてるんやで
風林火山とかな
戦国時代の話ばっかになってしまったがこれは平安から戦国までずっとそうや
出来んやつは風流がないとか馬鹿にされるほどに
だから有名な戦国武将とかも必死に覚えたんやな
農民出の秀吉が歌会開いたり茶会開いたりとこれは教養があるアピをしてたわけやな
他にも出陣前の武将が連歌開いて必勝祈願したりと歴史の裏には実は必ず和歌漢詩がくっついてるんやで
風林火山とかな
戦国時代の話ばっかになってしまったがこれは平安から戦国までずっとそうや
19: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:28:57 ID:Lwxi
そんな感じで日本の詩のジャンルは和歌と漢詩の二強で江戸時代まで続いてくんやな
まあ漢詩は主に作るよりも読んでおくべきほうの教養やったが江戸時代からは作るのも盛んになったんやこれ豆な
まあ漢詩は主に作るよりも読んでおくべきほうの教養やったが江戸時代からは作るのも盛んになったんやこれ豆な
20: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:30:17 ID:Lwxi
少し時代が戻るやで
でも室町後期あたりから和歌にも飽きてくるやつが出てくるんや
なにか面白いことなーいといった具合に
そこで白羽の矢が立てられたのが俳諧というやつなんや
連歌を基本にしてもっと庶民風に滑稽風にしたもののことやな
俳諧事態は平安のころからあったんや
まあ連歌の劣化版くらいにしか考えられてなかったんやな
それを進化させようといろいろ努力が始まるわけや
山崎宗鑑なんかがその始まりとして有名なんやで
でも室町後期あたりから和歌にも飽きてくるやつが出てくるんや
なにか面白いことなーいといった具合に
そこで白羽の矢が立てられたのが俳諧というやつなんや
連歌を基本にしてもっと庶民風に滑稽風にしたもののことやな
俳諧事態は平安のころからあったんや
まあ連歌の劣化版くらいにしか考えられてなかったんやな
それを進化させようといろいろ努力が始まるわけや
山崎宗鑑なんかがその始まりとして有名なんやで
山崎 宗鑑(やまざき そうかん、寛正6年(1465年)? - 天文23年10月2日(1554年10月28日)?)は、戦国時代の連歌師・俳諧作者。
最初連歌師を志し宗祇・宗長等と交わったが、滑稽機智を主眼とし天性の洒落気を持つ宗鑑には貴族的で伝統を重んじる連歌の世界は肌に合わず、より自由な俳諧の世界へと足を踏み入れた。当時俳諧は未だ連歌から完全に独立したものではなく、連歌の余興として扱われていた。
保守的な連歌師は宗鑑の作風と俳諧を卑属・滑稽と哂ったが、宗鑑は「かしましや 此の里過ぎよ 時鳥 都のうつけ 如何に聞くらむ」と逆に哄笑し、より民衆的な色彩の中に自己の行く道を見出し、座興として捨てられていた俳諧を丹念に記録・整理して俳諧撰集の草分けである「新撰犬筑波集」を編み、俳諧を独立した芸術として世間に公表した。
俳諧撰集「犬筑波集」の自由奔放で滑稽味のあるその句風は、江戸時代初期の談林俳諧に影響を与え、荒木田守武とともに、俳諧の祖と称される。
最初連歌師を志し宗祇・宗長等と交わったが、滑稽機智を主眼とし天性の洒落気を持つ宗鑑には貴族的で伝統を重んじる連歌の世界は肌に合わず、より自由な俳諧の世界へと足を踏み入れた。当時俳諧は未だ連歌から完全に独立したものではなく、連歌の余興として扱われていた。
保守的な連歌師は宗鑑の作風と俳諧を卑属・滑稽と哂ったが、宗鑑は「かしましや 此の里過ぎよ 時鳥 都のうつけ 如何に聞くらむ」と逆に哄笑し、より民衆的な色彩の中に自己の行く道を見出し、座興として捨てられていた俳諧を丹念に記録・整理して俳諧撰集の草分けである「新撰犬筑波集」を編み、俳諧を独立した芸術として世間に公表した。
俳諧撰集「犬筑波集」の自由奔放で滑稽味のあるその句風は、江戸時代初期の談林俳諧に影響を与え、荒木田守武とともに、俳諧の祖と称される。
21: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:31:31 ID:Lwxi
俳諧にもいろいろ流派があるんやが、その中でも連歌におけるいちばん最初の575にだけ目を付けてこいつを独立させて詩を作ろうとする運びが出てくるわけや
これが俳句の祖となるんやな
まあここらへんの話はめちゃくちゃ入り組むからだいぶ簡単に書いてあるとだけは知っておいてくれ
これが俳句の祖となるんやな
まあここらへんの話はめちゃくちゃ入り組むからだいぶ簡単に書いてあるとだけは知っておいてくれ
22: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:32:07 ID:Lwxi
江戸時代になると俳諧は勃興してどんどん人気なっていくんやで
ワイも俳諧で人気者になるんや
そう思った一人が松尾芭蕉やな
ワイも俳諧で人気者になるんや
そう思った一人が松尾芭蕉やな
23: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:32:39 ID:93ug
連歌と茶会は信長の野望にもよく出てくるよな
25: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:34:01 ID:Lwxi
>>23
うむ
教養の入口が和歌なんや
ただ意外と出来ない武将も多かったらしい
うむ
教養の入口が和歌なんや
ただ意外と出来ない武将も多かったらしい
24: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:33:23 ID:Lwxi
さて上に書いてあるとおり決して松尾芭蕉が575のリズムで詩を作り始めた最初の人ではないんや
なのにどうして松尾芭蕉が俳句の原型を作ったと言われるか説明していくやで
ちなみに季語を作ったとかではないやで
なのにどうして松尾芭蕉が俳句の原型を作ったと言われるか説明していくやで
ちなみに季語を作ったとかではないやで
26: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:36:07 ID:Lwxi
季語はあれや
平安時代のころから既にあったんや
さっきも書いたように連歌は前の人の句を受けて作るから次の句も近い季節のうちに収まるようにとかいろんな制限があったりしたやんや
その結果に季語は出来たらしい
こういう流れがあって連歌が元の俳諧にも季語を入れる風潮みたいなのが全体に広がってたんやろうな
で、俳句にも季語が必ず入るようになったっぽいが、正確なところは分からん
平安時代のころから既にあったんや
さっきも書いたように連歌は前の人の句を受けて作るから次の句も近い季節のうちに収まるようにとかいろんな制限があったりしたやんや
その結果に季語は出来たらしい
こういう流れがあって連歌が元の俳諧にも季語を入れる風潮みたいなのが全体に広がってたんやろうな
で、俳句にも季語が必ず入るようになったっぽいが、正確なところは分からん
27: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:38:03 ID:Lwxi
とにかく松尾芭蕉が俳句の原型を作ったといわれる理由はこうや
一つ目は作者の感懐の陳述
二つ目は伝統を破った花鳥風月へのアプローチ
三つ目は季語の扱い方の上手さ
四つ目は現代俳句に繋がる文型の使用
(句跨、取合わせ等)
五つ目は芭蕉流派(蕉風)が江戸で人気を博したから
(たぶんもっとある)
一つ目は作者の感懐の陳述
二つ目は伝統を破った花鳥風月へのアプローチ
三つ目は季語の扱い方の上手さ
四つ目は現代俳句に繋がる文型の使用
(句跨、取合わせ等)
五つ目は芭蕉流派(蕉風)が江戸で人気を博したから
(たぶんもっとある)
29: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:39:32 ID:Lwxi
つまり芭蕉以前はあまり詩気のなかった俳諧連歌の最初575において芭蕉はそれ単体で通じるかなり詩の強いものを作り出したんや
それが広がったと
それが広がったと
30: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:39:56 ID:Lwxi
そして芭蕉の影響で与謝蕪村や小林一茶が出てくると
32: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:41:08 ID:Lwxi
明治時代に入っても芭蕉の影響力は強く残っていたんや
俳諧の神として崇められる芭蕉
そこに正岡子規が出てくるわけやな
いやいや芭蕉はすげえけど神格化するほどのやつじゃない
正岡子規はそう唱えるわけや
俳諧の神として崇められる芭蕉
そこに正岡子規が出てくるわけやな
いやいや芭蕉はすげえけど神格化するほどのやつじゃない
正岡子規はそう唱えるわけや
37: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:43:45 ID:Lwxi
たしかに芭蕉は575だけで成立する詩を作った始原のやつかもしれない
けど拙いよ
575で納めるならばできれば写生することに徹底して余情作っていかなければならん
そういう意味では与謝蕪村とかのほうが全然うまいよ
ワイの理論纏めるからこの575の詩のこと俳句って読んでくわ
とまあ575を俳句と名付けたのは正岡子規だったんやわ
ちなみに遊撃手も正岡子規が名付けたのは有名な話やな
けど拙いよ
575で納めるならばできれば写生することに徹底して余情作っていかなければならん
そういう意味では与謝蕪村とかのほうが全然うまいよ
ワイの理論纏めるからこの575の詩のこと俳句って読んでくわ
とまあ575を俳句と名付けたのは正岡子規だったんやわ
ちなみに遊撃手も正岡子規が名付けたのは有名な話やな
41: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:45:46 ID:93ug
>>37
正岡子規って最近やん
俳句って最近の言葉なんやな
正岡子規って最近やん
俳句って最近の言葉なんやな
42: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:46:14 ID:Lwxi
>>41
せやで
それまでは発句とか十七文字って呼ばれてたんや
せやで
それまでは発句とか十七文字って呼ばれてたんや
39: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:45:08 ID:Lwxi
そして正岡子規にも弟子が出てくる
高浜虚子や
高浜虚子は子規のとなえた写生が大事を徹底して客観写生というのを主張し始めるんやな
子規虚子の子弟コンビが俳句界の潮流に乗るわけや
そこから現代俳句というのは始まったといってもいい
高浜虚子や
高浜虚子は子規のとなえた写生が大事を徹底して客観写生というのを主張し始めるんやな
子規虚子の子弟コンビが俳句界の潮流に乗るわけや
そこから現代俳句というのは始まったといってもいい
44: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:48:00 ID:93ug
子規のとなえた写生ってなんや?
46: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:49:12 ID:Lwxi
>>44
写生というは見たまんまのことを極力書きましょうってことやな
妄想で世界を作ると才能ないやつは糞みたいなのしか作れないからやめましょうと
写生というは見たまんまのことを極力書きましょうってことやな
妄想で世界を作ると才能ないやつは糞みたいなのしか作れないからやめましょうと
51: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:51:14 ID:93ug
>>46
ファンタジーよりノンフィクションを良しとするみたいな感じ?
ファンタジーよりノンフィクションを良しとするみたいな感じ?
52: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:52:13 ID:Lwxi
>>51
うんそんな認識で間違ってない
うんそんな認識で間違ってない
45: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:48:27 ID:PEJD
漢詩ってなんで江戸時代になるとこんなに盛り上がったん?
朱子学?
朱子学?
48: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:50:24 ID:Lwxi
>>45
せやね
勉強の第一として写本とかにされてたからそのまま趣味みたいなもんや
せやね
勉強の第一として写本とかにされてたからそのまま趣味みたいなもんや
47: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:50:16 ID:vsSL
室町から俳句あったんやな
49: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:50:56 ID:Lwxi
>>47
正確には俳句ではないけどその基となるものはあったんや
正確には俳句ではないけどその基となるものはあったんや
53: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:53:41 ID:Lwxi
こっから先はまあいろいろあるんや
流派が分かれて虚子と対立した河東碧梧桐が出てきたり
こいつは
客観写生大事ちゃうやろ?
もっと自由に人間を大事にするべきやろ
みたいなことを唱えたやつな
ようは自由律俳句の産みの親や
流派が分かれて虚子と対立した河東碧梧桐が出てきたり
こいつは
客観写生大事ちゃうやろ?
もっと自由に人間を大事にするべきやろ
みたいなことを唱えたやつな
ようは自由律俳句の産みの親や
55: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:56:26 ID:zLtG
風流を
進んで学ぶ
人もなし
進んで学ぶ
人もなし
58: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:57:14 ID:Lwxi
>>55
それは川柳や
俳句だと
春風や
風流まなぶ
人もなし
みたいになるかな
それは川柳や
俳句だと
春風や
風流まなぶ
人もなし
みたいになるかな
60: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:59:35 ID:zLtG
他ならぬ
ワイが満足
ならばよし
歌の原点
知りて満ちたる
ワイが満足
ならばよし
歌の原点
知りて満ちたる
61: 名無しさん@おーぷん 24/07/23(火) 23:59:59 ID:Lwxi
>>60
それは短歌や
それは短歌や
76: 名無しさん@おーぷん 24/07/24(水) 00:22:09 ID:7LEv
もう寝るぞ
明日も仕事
早いんだ
明日も仕事
早いんだ
77: 名無しさん@おーぷん 24/07/24(水) 00:23:21 ID:dI6c
>>76
幾度目覚める
熱帯夜かな
幾度目覚める
熱帯夜かな
79: 名無しさん@おーぷん 24/07/24(水) 00:24:30 ID:AGEm
>>76
遊んでくれて
たのしかったよ
遊んでくれて
たのしかったよ
引用元: ・俳句成立の歴史を簡単に教えるやで




