1: 世界@名無史さん 2014/11/06(木) 02:17:09.63 0
宇宙のことならなんでも。
占星術から天文学への移行、民族独自に伝わる星座や伝説、 彗星に対する畏怖、太陽、月、星に対する信仰・神話・伝説などについて語ってください。
また、陰陽道や暦学についても必要に応じて。
現代の話題としては月面着陸、月の軍事利用や国際法上の扱い、スターウォーズ計画、太陽系有人探索、太陽エネルギー利用、宇宙人、天文台、人工衛星、スペースシャトル、電波望遠鏡などなど。
占星術から天文学への移行、民族独自に伝わる星座や伝説、 彗星に対する畏怖、太陽、月、星に対する信仰・神話・伝説などについて語ってください。
また、陰陽道や暦学についても必要に応じて。
現代の話題としては月面着陸、月の軍事利用や国際法上の扱い、スターウォーズ計画、太陽系有人探索、太陽エネルギー利用、宇宙人、天文台、人工衛星、スペースシャトル、電波望遠鏡などなど。
433: 世界@名無史さん 2015/07/17(金) 11:46:06.25 0
月に関する信仰の一つで月待信仰ってのもあるよな。
一番不思議なのは二十三夜様だけど、なんでそんな中途半端な日なんだろう?
一番不思議なのは二十三夜様だけど、なんでそんな中途半端な日なんだろう?
月待塔(つきまちとう)は、日本の民間信仰。特定の月齢の夜に集まり、月待行事を行った講中で、供養の記念として造立した塔である。
月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事である。文献史料からは室町時代から確認され、江戸時代の文化・文政のころ全国的に流行した。板碑としては埼玉県富士見市の嘉吉元年(1441年)のものを初見とする。
特に普及したのが二十三夜に集まる二十三夜行事で、二十三夜講に集まった人々の建てた二十三夜塔は全国の路傍などに広くみられる。十五夜塔も多い。
月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事である。文献史料からは室町時代から確認され、江戸時代の文化・文政のころ全国的に流行した。板碑としては埼玉県富士見市の嘉吉元年(1441年)のものを初見とする。
特に普及したのが二十三夜に集まる二十三夜行事で、二十三夜講に集まった人々の建てた二十三夜塔は全国の路傍などに広くみられる。十五夜塔も多い。
434: 世界@名無史さん 2015/07/17(金) 15:56:38.06 0
>>433
二十三夜って半端どころかきれいな下弦の月じゃないかい?
二十三夜って半端どころかきれいな下弦の月じゃないかい?
435: 世界@名無史さん 2015/07/17(金) 17:16:28.90 0
436: 世界@名無史さん 2015/07/18(土) 11:49:19.67 0
二十三夜の月って、ちょうど半月形なの?
437: 世界@名無史さん 2015/07/18(土) 13:53:41.96 0
おおよそ三十日で新月から新月まで一周するんだから十五日目が満月で、0と15の間の七、八日目、15と30の間の二十二、二十三目あたりは半月になる
ところで「十五夜」ってのは、新月から数えて十五日目の夜という意味だと思ってたんだけど、ぐぐると旧暦8月15日の夜って解説ばっかりだね……。
ところで「十五夜」ってのは、新月から数えて十五日目の夜という意味だと思ってたんだけど、ぐぐると旧暦8月15日の夜って解説ばっかりだね……。
441: 世界@名無史さん 2015/07/18(土) 18:58:47.01 0
>>437
月齢は満じゃなくて数えだから、その考え方だとおかしくなるぞ。
月齢は満じゃなくて数えだから、その考え方だとおかしくなるぞ。
442: 世界@名無史さん 2015/07/18(土) 23:45:08.35 0
昔話では、よく二十三夜様が化け物を撃退したりする話があるけど、なんで満月より半月が強力って考えが生まれたんだろう?
あの形になにか霊力があると考えられたんだろうか?
あの形になにか霊力があると考えられたんだろうか?
443: 世界@名無史さん 2015/07/19(日) 11:29:46.19 0
弓の格好してるからかな。
446: 世界@名無史さん 2015/07/19(日) 13:15:44.46 0
>>443
そういや風水でそういう地形があったな
風水とか神秘思想では陰と陽、火と水、垂直と水平みたいに、性質が違う2つのものが合わさるときに強力なパワーが生まれるみたいな
発想があるけど、半月も明るい半円と暗い半円に分かれてるのが味噌だったりして、、、
もしくは月と地とかね
そういや風水でそういう地形があったな
風水とか神秘思想では陰と陽、火と水、垂直と水平みたいに、性質が違う2つのものが合わさるときに強力なパワーが生まれるみたいな
発想があるけど、半月も明るい半円と暗い半円に分かれてるのが味噌だったりして、、、
もしくは月と地とかね
444: 世界@名無史さん 2015/07/19(日) 12:30:16.49 0
それは面白い説だけど、ただ弓と弦の向きが逆だよね。
矢が地上じゃなくて、宇宙に向かって飛んでいってしまう
矢が地上じゃなくて、宇宙に向かって飛んでいってしまう
447: 世界@名無史さん 2015/07/19(日) 22:20:21.34 0
>>444
どうだろうな。矢って弓なりに飛ぶから、上を狙って射るものだぜ。
どうだろうな。矢って弓なりに飛ぶから、上を狙って射るものだぜ。
445: 世界@名無史さん 2015/07/19(日) 12:38:56.90 0
月待信仰の本尊が月天子ってのにもなんかかんけいあるかも
457: 世界@名無史さん 2015/07/26(日) 04:49:55.51 0
中国の天文学(なるべくモンゴル期以前の)に詳しい人いますか?
たしか西晋の頃に中国でも歳差が発見されてたはずだが、「十二次」ってのは歳差の発見以降はトロピカルシステムかサイドリアルシステムかどっちで理解されたんだろう?
たしか西晋の頃に中国でも歳差が発見されてたはずだが、「十二次」ってのは歳差の発見以降はトロピカルシステムかサイドリアルシステムかどっちで理解されたんだろう?
歳差、または歳差運動(さいさうんどう)とは、自転している物体の回転軸が、円をえがくように振れる現象である。
天文学上の現象
地球の歳差運動により、天文学上の現象として、春分点・秋分点は黄道に沿って少しずつ西向きに移動することになり、これを歳差と呼ぶ。この歳差の周期は約25,800年(正確には25,772年)である。地球の自転運動の歳差に起因する春分点の移動は、天文学では赤道の歳差という。
これによって天の北極や赤道が動く。
天文学上の現象
地球の歳差運動により、天文学上の現象として、春分点・秋分点は黄道に沿って少しずつ西向きに移動することになり、これを歳差と呼ぶ。この歳差の周期は約25,800年(正確には25,772年)である。地球の自転運動の歳差に起因する春分点の移動は、天文学では赤道の歳差という。
これによって天の北極や赤道が動く。
十二次(じゅうにじ)とは、古代中国天文学における天球分割法の一つで、天球を天の赤道帯にそって西から東に十二等分したもの。
各次の名称は、星紀(せいき)・玄枵(げんきょう)・娵訾(しゅし)・降婁(こうろう)・大梁(たいりょう)・実沈(じっちん)・鶉首(じゅんしゅ)・鶉火(じゅんか)・鶉尾(じゅんび)・寿星(じゅせい)・大火(たいか)・析木(せきぼく)。
戦国期以降に行われ、太陽・月・惑星の位置や運行を説明するための座標系として使用された。
各次の名称は、星紀(せいき)・玄枵(げんきょう)・娵訾(しゅし)・降婁(こうろう)・大梁(たいりょう)・実沈(じっちん)・鶉首(じゅんしゅ)・鶉火(じゅんか)・鶉尾(じゅんび)・寿星(じゅせい)・大火(たいか)・析木(せきぼく)。
戦国期以降に行われ、太陽・月・惑星の位置や運行を説明するための座標系として使用された。
アヤナムシャ(ayanamsha)とは、占星術における二種類の天文座標の間に生ずる差(角度差)である。日本語への音写は他にアヤナムサ、アヤナームシャ、アヤナーンシャの例があるがどれも同じである
サイデリアル(siderial)方式
黄道十二宮は恒星の位置で決定される。星座は恒星の集まりであるため、黄道十二宮と現実の黄道十二星座はほぼ一致した状態で固定されている。例えば、地球から見て、天の川のさそり座の中に木星がある時には、占星術上も木星がさそり座もしくはその付近にあるということになる。このような方式を「ニル・アヤナ」という。古代オリエントの占星術や、現在のインド占星術で使用される。古代中国の十二次も、十二宮とは15度ずれているが原理的にいってサイデリアル方式に基づくということができる。
トロピカル(tropical)方式
十二宮は現実の星座とは関係なく、黄道上の区分であると考える。座標系を春分点にとり、30度ずつ十二分割する。すなわち春分点を白羊宮0度とする。現時点で春分点はうお座に位置するため、黄道十二宮と現実の黄道十二星座は大体ひとつずつずれている。ヒッパルコスが定めたともいうが明らかでない。古代ギリシア以来の西洋占星術で使用される。インドではこの方式を「サ・アヤナ」と言う。
サイデリアル(siderial)方式
黄道十二宮は恒星の位置で決定される。星座は恒星の集まりであるため、黄道十二宮と現実の黄道十二星座はほぼ一致した状態で固定されている。例えば、地球から見て、天の川のさそり座の中に木星がある時には、占星術上も木星がさそり座もしくはその付近にあるということになる。このような方式を「ニル・アヤナ」という。古代オリエントの占星術や、現在のインド占星術で使用される。古代中国の十二次も、十二宮とは15度ずれているが原理的にいってサイデリアル方式に基づくということができる。
トロピカル(tropical)方式
十二宮は現実の星座とは関係なく、黄道上の区分であると考える。座標系を春分点にとり、30度ずつ十二分割する。すなわち春分点を白羊宮0度とする。現時点で春分点はうお座に位置するため、黄道十二宮と現実の黄道十二星座は大体ひとつずつずれている。ヒッパルコスが定めたともいうが明らかでない。古代ギリシア以来の西洋占星術で使用される。インドではこの方式を「サ・アヤナ」と言う。
460: 世界@名無史さん 2015/07/27(月) 23:21:21.70 0
>>457
とりあえず問題点はここによくまとまってるね
しかし続かないww
歳差の歴史(第1回)
上原 貞治
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/seiten/gt17/saisa.htm
3.古い天動説
古代の人が、夜空を見て不思議に思ったのは惑星の動きであった。
惑星は、恒星の間を、時には西から東へ、時には東から西へと動く。動く速さも明るさも変化する。これを説明づけるために、天動説による太陽系宇宙のモデルが考えられた。
この太陽系宇宙モデルにおいて、春分点を固定するか、恒星天を固定するかは自由であるが、恒星天を固定する方が、惑星の動きを観測と比較するには直接的であったと思われる。
ヒッパルコスは、全ての恒星が同様に歳差によって固有の運動をしているというのは考えづらいので、恒星は静止しており、歳差を春分点の移動と考えた。
この考えは西洋に受け継がれ、古代から中世にかけての天動説でもこちらが主流の考えかたとなったようである。
おおざっぱに言って、古代においては、西洋は黄道中心主義、東洋(というのは実は中国のこと)は赤道中心主義である。
星図を作ったり、恒星の位置を数値で表すときに黄道を座標軸として取っていると、歳差の効果はただ単に黄経をずらしていけばよいことになる。
あるいは、恒星をじっとさせておいて春分点の印だけをずらせばよい。
しかし、中国では、赤道が基準とされたの話はややこしくなる。
赤道は歳差によって恒星の間を移動していくのである(北極星が変わってしまうことからそれが想像できよう)。
また、西洋においても、その後、歳差を恒星の固有の運動と考える人が出始める。
これらのことについては、次回に書くことにする。
(つづく)
とりあえず問題点はここによくまとまってるね
しかし続かないww
歳差の歴史(第1回)
上原 貞治
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueharas/seiten/gt17/saisa.htm
3.古い天動説
古代の人が、夜空を見て不思議に思ったのは惑星の動きであった。
惑星は、恒星の間を、時には西から東へ、時には東から西へと動く。動く速さも明るさも変化する。これを説明づけるために、天動説による太陽系宇宙のモデルが考えられた。
この太陽系宇宙モデルにおいて、春分点を固定するか、恒星天を固定するかは自由であるが、恒星天を固定する方が、惑星の動きを観測と比較するには直接的であったと思われる。
ヒッパルコスは、全ての恒星が同様に歳差によって固有の運動をしているというのは考えづらいので、恒星は静止しており、歳差を春分点の移動と考えた。
この考えは西洋に受け継がれ、古代から中世にかけての天動説でもこちらが主流の考えかたとなったようである。
おおざっぱに言って、古代においては、西洋は黄道中心主義、東洋(というのは実は中国のこと)は赤道中心主義である。
星図を作ったり、恒星の位置を数値で表すときに黄道を座標軸として取っていると、歳差の効果はただ単に黄経をずらしていけばよいことになる。
あるいは、恒星をじっとさせておいて春分点の印だけをずらせばよい。
しかし、中国では、赤道が基準とされたの話はややこしくなる。
赤道は歳差によって恒星の間を移動していくのである(北極星が変わってしまうことからそれが想像できよう)。
また、西洋においても、その後、歳差を恒星の固有の運動と考える人が出始める。
これらのことについては、次回に書くことにする。
(つづく)
461: 世界@名無史さん 2015/07/27(月) 23:29:45.23 0
それこそ北極星があるんだから、黄道中心主義って直感的には出てこないよね。黄道と赤道の関係を説明する神話って、東洋でも西洋でも思いつかないな。
463: 世界@名無史さん 2015/07/27(月) 23:41:35.40 0
しかし、北極星は時代による変遷があるのだ、、、
464: 世界@名無史さん 2015/07/27(月) 23:52:13.22 0
それが歳差ですがな
465: 世界@名無史さん 2015/07/28(火) 00:57:09.55 0
>>464
それこそ北極星が移動するんだから、赤道中心主義って観測からは出てこないよね。
それこそ北極星が移動するんだから、赤道中心主義って観測からは出てこないよね。
466: 世界@名無史さん 2015/07/28(火) 01:36:00.49 0
人の一生のうちに目で見てわかるほど北極星が変遷する訳ない。
精密に観測したら歳差があった、という話と北極星が別の星になる話とは桁が二つ三つ違うぞ。
精密に観測したら歳差があった、という話と北極星が別の星になる話とは桁が二つ三つ違うぞ。
467: 世界@名無史さん 2015/07/28(火) 01:42:18.47 0
「十二次」がいつまで使われたかだな。
中国における歳差の発見はAD330年で東晋の頃。
『晋書』天文志には十二次は詳しく出てるが、それ以降の中国天文学では十二次は使われてるのかどうか?
中国における歳差の発見はAD330年で東晋の頃。
『晋書』天文志には十二次は詳しく出てるが、それ以降の中国天文学では十二次は使われてるのかどうか?
472: 世界@名無史さん 2015/07/28(火) 23:56:09.46 0
>>467
十二時と十二進は回る方向が逆なだけ?
それとも他の意味づけもあるのかな
なんで『晋書』天文志は十二次の方が採用されたんだろう
十二時と十二進は回る方向が逆なだけ?
それとも他の意味づけもあるのかな
なんで『晋書』天文志は十二次の方が採用されたんだろう
474: 世界@名無史さん 2015/07/29(水) 04:17:50.69 0
十二進って何?
12の数字自体は、1年が大体12ヶ月だってのから来るんだろうな。
12の数字自体は、1年が大体12ヶ月だってのから来るんだろうな。
475: 世界@名無史さん 2015/07/29(水) 04:35:07.69 0
>>474
すいません
十二次 ⇔ 二十八宿 ⇔ 二十四節気 ⇔ 十二辰
対応表
十二次、二十八宿、二十四節気の関係は、班固の『漢書』律暦志・次度に詳しく書かれている。
ただし、冬至となる星紀の中点が牽牛(牛宿)初度となっており、牽牛の距星が冬至点になる年を計算すると紀元前451年頃の星空を反映していると思われる。
また二十四節気の順序が現在のものと若干の異動があり、啓蟄と雨水、穀雨と清明が入れ替わっている。
また本文にないが、十二辰との対応関係も書き入れた(『晋書』天文志・十二次度数には十二辰との対応が記されている)。
すいません
十二次 ⇔ 二十八宿 ⇔ 二十四節気 ⇔ 十二辰
対応表
十二次、二十八宿、二十四節気の関係は、班固の『漢書』律暦志・次度に詳しく書かれている。
ただし、冬至となる星紀の中点が牽牛(牛宿)初度となっており、牽牛の距星が冬至点になる年を計算すると紀元前451年頃の星空を反映していると思われる。
また二十四節気の順序が現在のものと若干の異動があり、啓蟄と雨水、穀雨と清明が入れ替わっている。
また本文にないが、十二辰との対応関係も書き入れた(『晋書』天文志・十二次度数には十二辰との対応が記されている)。
479: 世界@名無史さん 2015/07/30(木) 10:55:49.42 0
>>472
十二次と十二辰は少なくとも結果的には同じもの。
「本来の趣旨はちがうんだけど結果的に同じになる」、のか
「最初から同じもので言い方が二つ出来ちゃっただけ」、なのか、
そこらはわからないよね
十二次と十二辰は少なくとも結果的には同じもの。
「本来の趣旨はちがうんだけど結果的に同じになる」、のか
「最初から同じもので言い方が二つ出来ちゃっただけ」、なのか、
そこらはわからないよね
521: 世界@名無史さん 2015/08/04(火) 00:02:36.15 0
とりあえず何も知らないおいらが
前後関係をまとめると
大明暦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%98%8E%E6%9A%A6
大明暦(だいめいれき)は中国暦の一つで、劉宋・南斉の祖沖之(そちゅうし)によって編纂された太陰太陽暦の暦法。
劉宋の大明六年(462年)に完成し、その死後、梁朝によって官暦に採用され、梁の天監九年(510年)から陳の末年、禎明三年(589年)までの80年間、使用された。
閏月法の改正
祖沖之は、従来の19年7閏月の章法では200年に1日の遅れがでるとして、これを改め、391年に144の閏月を置く破章法を採用した。
歳差の導入
中国では咸和の咸和五年(330年)に虞喜が歳差を発見していたが、大明暦によって歳差が暦の計算に導入された。
ただし、45年11ヶ月に1度、冬至点が動くと考えており、その数値は大きなものだった(実際は約70.7年に1度)。
交点月の計算
はじめて交点月の日数を求めて暦に導入した。
1交点月を27.21223日とし、祖沖之は、これに基づいて元嘉十三年(436年)から大明三年(459年)に四度現れた月食の時刻を推算し、実際の観測データと合致していることが確かめられた。
前後関係をまとめると
大明暦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%98%8E%E6%9A%A6
大明暦(だいめいれき)は中国暦の一つで、劉宋・南斉の祖沖之(そちゅうし)によって編纂された太陰太陽暦の暦法。
劉宋の大明六年(462年)に完成し、その死後、梁朝によって官暦に採用され、梁の天監九年(510年)から陳の末年、禎明三年(589年)までの80年間、使用された。
閏月法の改正
祖沖之は、従来の19年7閏月の章法では200年に1日の遅れがでるとして、これを改め、391年に144の閏月を置く破章法を採用した。
歳差の導入
中国では咸和の咸和五年(330年)に虞喜が歳差を発見していたが、大明暦によって歳差が暦の計算に導入された。
ただし、45年11ヶ月に1度、冬至点が動くと考えており、その数値は大きなものだった(実際は約70.7年に1度)。
交点月の計算
はじめて交点月の日数を求めて暦に導入した。
1交点月を27.21223日とし、祖沖之は、これに基づいて元嘉十三年(436年)から大明三年(459年)に四度現れた月食の時刻を推算し、実際の観測データと合致していることが確かめられた。
468: 世界@名無史さん 2015/07/28(火) 01:46:05.08 0
天球を12等分すると言っても、地球の軌道は楕円なので、角度で等分するか時間で等分するかで結果は微妙に異なる。
469: 世界@名無史さん 2015/07/28(火) 01:50:27.44 0
つーか、太陽の巡る角度が季節によってかなーりずれるのだから、角度で分割しなきゃそもそも訳が分からないことになってしまうと思うよ。
476: 世界@名無史さん 2015/07/29(水) 04:42:13.44 0
ちなみに12支で一回りなのは木星の運行からなんだろうか
太歳紀年法と超辰の取り扱いを調べたら、こっちの発祥時期は調べられるのかもしんない
太歳紀年法と超辰の取り扱いを調べたら、こっちの発祥時期は調べられるのかもしんない
480: 世界@名無史さん 2015/07/30(木) 11:09:43.94 0
例えば、十二次がサイドリアルシステムで、十二辰がトロピカルシステム、というふうに使い分けとかしていたら2つあって意味があると思うんだが、実際のところは合致させたままでそのような使い分けはされてない。
歳差が発見されてなかったというだけで実は前漢の頃には「ずれ」には気付かれていた
そもそもBC451年頃の天空をそのまま東晋まで使ってたのだから、ズレてても使う分には問題なかったのかね。
歳差が発見されてなかったというだけで実は前漢の頃には「ずれ」には気付かれていた
そもそもBC451年頃の天空をそのまま東晋まで使ってたのだから、ズレてても使う分には問題なかったのかね。
481: 世界@名無史さん 2015/07/30(木) 11:32:49.12 0
サイドリアルシステムでは、黄道十二宮は等分されているの?星座の範囲がそれぞれ異なるとしたら、実用的な暦には使いにくいだろう。
起点も同様で、春分点でも冬至点でもいいから黄道上の太陽の位置と赤道の関係を特徴づける点を起点にしないと、季節がずれて実用性を損ねる。
十二次は星座の区切りより恒星の位置を問題にするので、ここの議論とはあまり関係ないように思う。
起点も同様で、春分点でも冬至点でもいいから黄道上の太陽の位置と赤道の関係を特徴づける点を起点にしないと、季節がずれて実用性を損ねる。
十二次は星座の区切りより恒星の位置を問題にするので、ここの議論とはあまり関係ないように思う。
487: 世界@名無史さん 2015/07/30(木) 22:14:32.77 0
>>481
サイドリアルシステムでも等分されてますよ。星座の範囲は30度づつで皆おなじ。
季節がずれるってうけど、上の方で誰か言ってたように、人間の一生涯のうちでは感知できない程度のもんですからね
>十二次は星座の区切りより恒星の位置を問題にする
それなら十二次はあなたの見解ではサイドリアルシステムってことになる。
でも漢書や晋書を読む限り、本当にそうなのか確信がもてない…
サイドリアルシステムでも等分されてますよ。星座の範囲は30度づつで皆おなじ。
季節がずれるってうけど、上の方で誰か言ってたように、人間の一生涯のうちでは感知できない程度のもんですからね
>十二次は星座の区切りより恒星の位置を問題にする
それなら十二次はあなたの見解ではサイドリアルシステムってことになる。
でも漢書や晋書を読む限り、本当にそうなのか確信がもてない…
491: 世界@名無史さん 2015/07/30(木) 23:49:27.63 0
漢書にしろ晋書にしろ「等分」はされてる
問題はそこじゃなくて歳差が発見されて以降
完全に西洋文明基準になる以前の時代では
十二次が「恒星基準か黄道基準かどっちだったのか」ってこと
問題はそこじゃなくて歳差が発見されて以降
完全に西洋文明基準になる以前の時代では
十二次が「恒星基準か黄道基準かどっちだったのか」ってこと
492: 世界@名無史さん 2015/07/31(金) 00:00:26.13 0
それなら恒星基準。
その上で、赤道との位置関係を考慮しない等分を、太陽の運行とどのように関連付けて暦に落とし込むのか、その理屈がわからない。
その上で、赤道との位置関係を考慮しない等分を、太陽の運行とどのように関連付けて暦に落とし込むのか、その理屈がわからない。
496: 世界@名無史さん 2015/08/01(土) 00:04:50.21 0
天保の改暦の際には黄道を角度で等分するか、一年を時間で等分して太陽の位置で分割するかが問題になった。
地球の公転軌道は楕円なので、面積速度一定の法則から、太陽が黄道上を動く速度は一定でない。
黄道を角度で等分して二十四節気を置く定気法の方が精密な暦が作れるのだが、15日ごとに節気を置く平気法とは二十四節気の日付がずれる場合があり、稀に一年に2回の閏月を置かなければならない事がある。
地球の公転軌道は楕円なので、面積速度一定の法則から、太陽が黄道上を動く速度は一定でない。
黄道を角度で等分して二十四節気を置く定気法の方が精密な暦が作れるのだが、15日ごとに節気を置く平気法とは二十四節気の日付がずれる場合があり、稀に一年に2回の閏月を置かなければならない事がある。
497: 世界@名無史さん 2015/08/01(土) 01:57:54.22 0
>>496
へーなるほどぉ
なんか日本は結構な後の方まで1日内の時間も、日中日没時間の12等分でやってた気がするので、こうなると時計番の人も大変だったんじゃないかという気がする
へーなるほどぉ
なんか日本は結構な後の方まで1日内の時間も、日中日没時間の12等分でやってた気がするので、こうなると時計番の人も大変だったんじゃないかという気がする
498: 世界@名無史さん 2015/08/01(土) 03:24:43.09 0
天保歴は閏月を入れてまで、節季が等間隔である方を選んだのか。
閏月を入れちゃうと、月日で季節の出来事(鳥の渡り、初雪、花の開花など)を判断するのが不正確になるから節季で判断しようってこったな。
対して西洋の暦は、月の日数が不均等でも、同じ月日で同じような季節の出来事が起きるようにすることを選んだわけか。
閏月の判断は極めて難しいから、江戸の天文台あたりから渡ってくる情報に頼るしかなくなる訳で、今の官僚利権構造と何やら繋がる感じがするなーw
閏月を入れちゃうと、月日で季節の出来事(鳥の渡り、初雪、花の開花など)を判断するのが不正確になるから節季で判断しようってこったな。
対して西洋の暦は、月の日数が不均等でも、同じ月日で同じような季節の出来事が起きるようにすることを選んだわけか。
閏月の判断は極めて難しいから、江戸の天文台あたりから渡ってくる情報に頼るしかなくなる訳で、今の官僚利権構造と何やら繋がる感じがするなーw
506: 世界@名無史さん 2015/08/02(日) 18:17:41.54 0
なんだかどんどん議論の筋がおかしな方向いってる気がする。
「時間か角度か」って話は平気法か定気法かってことですか?
「歳差発見以降の」十二次は恒星基準か黄道基準かって問いかけだったのだが、これはサイドリアルかトロピカルかの直訳。
厳密には晋書までの時代の話なんだから平気法の二十四節気、つまり角度でなく(黄道基準でなく)時間で区切っている。
「季節で十二等分している」のだが、季節の決め方が角度(黄道の角度)か時間(昼夜の時間比)かの2種類あると認識している。
その上で、十二次が恒星基準か季節基準かという問題
むろん十二次そのものが歳差発見以前の遺物なので、歳差を前提としたシステムにはなってない。
しかし歳差発見以降、十二次は
A)季節(定気法にせよ平気法にせよ二十四節気)との対応関係を断念して純粋に恒星(二十八宿との位置関係)によって定義されたのか?
B)恒星(二十八宿)との対応関係を断念して純粋に季節(当時としたら平気法による二十四節気だろうが)によって定義されたのか?
「その後まもまく十二次は廃された」というオチは当然予想してますが、そこは質問の焦点ではない。なぜならそもそもこの季節との対応ってのは歳差発見時の4世紀の季節でなく紀元前5世紀の季節なわけでしょ
中国人は数百年の間どういうつもりで十二次なり二十八宿なりの解説を延々とやり続けていたのか?観念の中だけで天文学やってたのかね
「時間か角度か」って話は平気法か定気法かってことですか?
「歳差発見以降の」十二次は恒星基準か黄道基準かって問いかけだったのだが、これはサイドリアルかトロピカルかの直訳。
厳密には晋書までの時代の話なんだから平気法の二十四節気、つまり角度でなく(黄道基準でなく)時間で区切っている。
「季節で十二等分している」のだが、季節の決め方が角度(黄道の角度)か時間(昼夜の時間比)かの2種類あると認識している。
その上で、十二次が恒星基準か季節基準かという問題
むろん十二次そのものが歳差発見以前の遺物なので、歳差を前提としたシステムにはなってない。
しかし歳差発見以降、十二次は
A)季節(定気法にせよ平気法にせよ二十四節気)との対応関係を断念して純粋に恒星(二十八宿との位置関係)によって定義されたのか?
B)恒星(二十八宿)との対応関係を断念して純粋に季節(当時としたら平気法による二十四節気だろうが)によって定義されたのか?
「その後まもまく十二次は廃された」というオチは当然予想してますが、そこは質問の焦点ではない。なぜならそもそもこの季節との対応ってのは歳差発見時の4世紀の季節でなく紀元前5世紀の季節なわけでしょ
中国人は数百年の間どういうつもりで十二次なり二十八宿なりの解説を延々とやり続けていたのか?観念の中だけで天文学やってたのかね
引用元: ・天文・天体・宇宙開発