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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/17(日) 14:45:06.44 ID:JtVU7Tx90
昭和天皇「一体石原といふ人間はどんな人間なのか、よく判らない」








2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/17(日) 15:09:59.43 ID:JtVU7Tx90
満州国の建国がなければ、大東亜戦争は起きなかったか?
昭和の激動は石原莞爾が幕を開け、昭和天皇が閉じた。

3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/18(月) 08:49:15.38 ID:VPVq9vJ30
カリスマがあったんだろうけど、信者以外から見ると傲慢に見えたんだろうな
組織ってのは凡人の集まりってことを理解してなかったかも

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/18(月) 19:49:52.48 ID:eCDH3fS30
石原の言ってる事ってごく普通なんだよな
戦線縮小しろ、補給線を短くしろ、要塞化しろって

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/18(月) 23:01:43.01 ID:5Cn0rAkp0
ソ連と戦争した後にアメリカと戦争しろなんてキ〇ガイの暴言

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/19(火) 12:28:39.62 ID:KWtKFCoo0
よくよく考えたら最終戦争論なんて狂人の暴言にすぎんよ

タイトル名からしてな
『世界最終戦論』は、大日本帝国陸軍の軍人である石原莞爾の代表的著書である。

最終戦争を戦う国としてはブロック化したいくつかの勢力を列挙することができる。つまり世界はヨーロッパ、ソビエト連邦、東亜、南北アメリカの連合国家へと発展し、つまり日本の天皇を盟主とする東亜と、ヒトラーを中心としたヨーロッパ対アメリカを中心とした南北アメリカと、中立のようだが南北アメリカ寄りのソ連の対立となる。
しかしヨーロッパは戦争の本場であり大国が密集しているため、うまくまとまることができない。ソビエト連邦は全体主義でいかにも強そうに見えるが、ヨシフ・スターリンの死後は内部崩壊する。漢民族は文を尊ぶ国から武を尊ぶ国になれば復興する。

そうして、東亜連盟と、アメリカ合衆国の決戦となる。その決勝戦(最終戦争)に勝った国を中心に世界はまとまることになる。



36: 名無しさん@お腹いっぱい。 ころころ 2024/05/12(日) 22:22:27.03 ID:9rZWydU10
世界最終戦論なんて、陸軍パンフレット(たたかひは創造の父、文化の母である)と同じようなもんじゃないの?
ようは軍拡は正義だと言いたいだけ

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/24(日) 08:03:31.12 ID:ff+eh5jv0
こいつはそもそも軍人に向いていない。
安全なポジションで好き勝手言ってるだけの評論家みたいなもん。
井上成美と同類

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/24(日) 08:09:30.59 ID:ff+eh5jv0
確かに先見の明はあるけど自分の意見を否定されたら相手を罵倒し職務を放棄するのは軍人として失格だろ。

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/24(日) 11:21:07.93 ID:VdG+yiSA0
いや、本当に先見の明があるなら失敗した時の次善策、挽回策を用意するもんだろ。
石原もだが、この頃の政治に口だす軍人って、投機的作戦を成功した時のメリットばかり騒ぎ立てて、失敗した時の話はスルーし、声の大きさで押し通すような連中だからな。
失敗時の議論が出来ないから、貴方の真似をしてますで沈黙する。
戦争でもって戦争を養う主義とかドヤ顔で語るけそ、それって自転車操業って事で、こけた時の被害が大きいのは自明なのに、その方面は語らない、語れない。

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/24(日) 17:28:28.62 ID:iPYQYBl80
石原は戦後に敗因を言ってる

日本の指導者たちがミッドウェーの敗戦の意義を埋解し、ソロモン群島の防衛線を強化していたら、太平洋の広さが日本に味方していたにちがいない。
山本五十六大将らは誤りを犯した。どこに根拠地を求めるかを知らなかったからだ。

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/24(日) 20:52:20.24 ID:VdG+yiSA0
>>16
実情を知らない外野の無責任な妄言だな。
海軍はソロモン諸島のガダルカナルに飛行場を設営し、米豪遮断作戦の根拠地にするつもりだった。
しかし、日本のガダルカナル占領が1942年5月。ミッドウェーが6月。アメリカのガダルカナル上陸が8月。
安易に防衛線強化と言うが、時間も無ければ、日本の輸送力兵站力設営力の限界を超えてもいた。
この発言が事実なら石原の智謀とやらの底が知れると言うものだ。

ただし、石原の発言とされるものは後世の捏造が多いので、出典、いつどこでの発言か確認した方が良い。

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/24(日) 21:17:19.51 ID:iPYQYBl80
そもそも攻勢終末点を超えてるガダルカナルなんて行く必要が無いってのが石原の考え
サイパン辺りが日本軍の限界という考え

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/24(日) 21:42:49.32 ID:iPYQYBl80
石原は、ガダルカナル島からの撤退、ソロモン、ビスマーク、ニューギニヤの放棄、
サイパン、テニアン、グアムの要塞化と攻勢終末点(西はビルマ国境から、シンガポール、スマトラなどの戦略資源地帯を中心とする)
及び東南アジアとの海上輸送路の確立をすることにより、不敗の態勢が可能である旨も語っている。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/24(日) 21:47:25.90 ID:VdG+yiSA0
マリアナ諸島だって同じこと。
補給兵站設営能力が追い付かん。
日本がどれだけ集中しようとアメリカの物量に押し潰される。
あるいは飛び石作戦でスルーされる。ラバウルのように。

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/26(火) 00:18:38.65 ID:Hg0fBT3e0
>>19-20
石原の考えは、「海軍はシーレーン防衛に徹する」というものだったようだが、日本海軍にはそれ以前に自軍の後方補給路防衛思想も敵の後方補給路攻撃思想も存在しなかった。
潜水艦の使い方も間違えていて、艦隊決戦の補助兵器としか位置づけていなかった。
だから石原の考えたような戦い方はどのみちできなかったと思われる。
少なくとも、海軍の軍令部が参謀本部の指揮下にある必要があったが、日露戦争のとき、軍令部の独立を許してしまった。

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/27(水) 18:00:21.38 ID:hnJJ+xeJ0
>>24
日本は海上護衛について思想もないが能力もなかったから、海軍が海上護衛優先に思想を転換してもどうにもならなかっただろう 日本海軍の対潜水艦戦の能力は米英とは月とスッポン

石原の言ってるのはないものねだりに過ぎない

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/03/27(水) 20:09:48.85 ID:OAzGW0Cj0
>>20
佐藤賢了は船舶損耗が予想を超えていたのが敗因といった
戦前の想定通りなら兵器生産は出来、十分勝算はあった
戦後陸軍軍人はこう言った物言いが多い
南方資源地帯をガッチリ守っていれば負けていなかったと

要するに海軍が悪いと言いたいわけである
まあ確かに海軍はなってない
だが、海軍が護衛を真面目にやったところで海軍の対潜能力は全然低いし、それ以前にドイツが負ければ不敗体制もへったくれもない
米英の全力に太平洋戦線に投入され、加えてソ連が参戦 チェックメイトである
陸軍軍人はこの辺ほっかむりしている

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/04/07(日) 11:27:58.91 ID:Wn/s9F+Q0
海軍組織独立化の弊害だろ。
山本権兵衛に責任がある。
過大評価だろ。あれだけの人事改革ができたのは西郷従道がいたからこそ

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/15(水) 20:00:23.91 ID:8fby9K6I0
満州事変は、関東軍は当然のこと、陸軍省も参謀本部も同じ穴のムジナだらけで、陸軍に本気で掣肘しようという勢力はなく石原莞爾は思う存分腕を振るえた

だが、石原は独裁者じゃないので同調者がいなければ何もできない
内蒙工作防止も日中戦争不拡大もできなかった
日中戦争不拡大派は、参謀本部では次長の多田駿、作戦部長の石原、他少数派で多数は、永田鉄山の対支一撃論の流れの統制派

226で皇道派がほとんど一掃されたが、小畑敏四郎などの対中和平、対ソ戦準備論者が皇道派として排除されたのが大きい

参謀本部作戦部長と言えば陸軍中の陸軍であるが、陸軍全体の空気が違えば何もできず、結果左遷

46: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/15(水) 21:37:30.96 ID:HJN3u8mQ0
左遷左遷と言われてるが、再度関東軍に行ったこと(関東軍参謀副長)までは左遷じゃないのでは?
出世コースとは言わないが、その後戻ってきた東条もそこにいたことだし、戻ってくることに含みを持たせた異動だろう
ただ上司の東条を馬鹿にしすぎたから、そのあとが左遷

47: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/16(木) 13:32:50.39 ID:vS/D5Zcg0
中国と交戦中の作戦部長を外されて関東軍参謀副長というのは左遷と言われても仕方ない
ただ陸軍では一時的な左遷でも返り咲きはよくある 陸大エリートは数も少なくインナーサークル的なところがあるからかも

富永恭次、服部卓四郎、辻政信なども懲罰的な人事があったがすぐに要職ラインに戻った 

だが東條は自分に反するものを許さないねちっこいところがあったから東條とトラブった軍人は東條が人事を握ってる間は復活の目はなかった

55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/05/20(月) 18:51:22.56 ID:gv4CZNxB0
石原莞爾さん、確かに掴みどころのない方ですよね。満州事変の立役者でありながら、外交での解決も訴えていたりと、二面性のある人物という印象があります。

ただ、彼の行動には一貫した「日本のため」という強い意志を感じます。軍人として国を守ろうとする一方、外交交渉でより良い解決策を探ろうとする姿勢は、当時の状況を考えると非常に勇気あるものだと思います。

天皇陛下も石原さんの複雑さを理解し、評価されていたようですね。

61: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/07/22(月) 17:17:16.08 ID:TEXISWFo0
石原莞爾は、「世界最終戦争論」と呼ばれる独自の思想を持っていた。彼は、日本が欧米列強と対等に渡り合うためには、アジアにおいて覇権を確立する必要があると考えた。そのために、満州を日本の勢力圏に組み込むことを計画し、満州事変を勃発させた。

67: 名無しさん@お腹いっぱい。 2024/08/26(月) 14:19:30.53 ID:xImrbial0
>>61
まああの時代のリスクマネジメントだよな
満州が何とかなってればアメリカと戦争まではいかなくても金持ち喧嘩せずの関係にはなれていたかもしれん
実際石原には満州建国後の対外政策を聞いてみたかったよな

引用元: ・石原莞爾と満州国


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