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1: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/20(日) 01:43:46
マレー人とかタイ人とかベトナム人とかって何で北方の異民族のように(例えば鮮卑人、女真人、蒙古人のように)中原を征服できなかったの








3: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/20(日) 02:06:11
古代の楚、呉(ミャオ族)唐時代の南詔(烏蛮族、チベット系らしい)大理国(白蛮族タイ系らしい)という風に南方の異民族国家はあるにはあったんだがねぇ
一番惜しかったのは項羽の時代の楚か

16: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/20(日) 02:35:55
>>3
楚自体北方からやってきた夏に追われたミャオ族の一部が建設したと言われているかるな

基本的に東南アジアの異民族ってのは北方から追いはらわれた部族
ミャオ族は、中国の国内に多く居住する民族集団で、同系統の言語を話す人々は、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどの山岳地帯に住んでいる。

ミャオ族の淵源を、漢代の『書経』「舜典」記載の「三苗」や、『後漢書』西南夷伝の長沙「武陵蛮」に遡る説もあるが、現在のミャオ族との連続性は明らかではない。古代の「三苗」以降、中国の史書は長い間南方民族を「蛮」と表記し、現在に繋がるとされる文献上の「苗」の初出は、宋代の紹熙5年(1194年)、朱子が潭州(現在の長沙)に役人として赴任した際の、「苗」を「五渓蛮」の一つの「最軽捷者」とする記録(『朱子公集』巻71)である。
ただし、「三苗」の国は揚子江中流域や、洞庭湖から鄱陽湖にかける地域(現在の湖南・湖北・江西)にあったとされ、現在でも貴州省のミャオ族には、先祖は江西にいた、もしくは東方の大きな川の畔や水辺にいたという口頭伝承が残っているので、相互を結びつけようとする学者や知識人が多い。
恐らく、ミャオ族の先祖は、宋代以降の漢族の南下に伴って、揚子江流域から山岳内陸部に移動してきたと推定されるが、史料上で歴史的変遷を確定するのは難しい。

17: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/20(日) 02:59:27
楚はタイ系だという話も聞いたことがある
ミャオもタイも元々は揚子江のあたりにいた民族だが

8: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/20(日) 02:20:25
荘王の時代の楚も天下統一まであと一歩までいったんだけどね

5: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/20(日) 02:11:02
東南アジア諸国は征服どころか朝貢しちゃっているよね

6: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/20(日) 02:17:30
基本北から南へ攻められるパターンが多くその逆はやられるな。

7: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/20(日) 02:18:55
>>6
気候変動で食糧難で真っ先にヤバくなるのが北の土地
だから南へ攻めざるを得ない
でないと飢え死にする

南は豊かだから常に守るほう

昔は守るより攻めるほうが楽だった

というわけ

15: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/20(日) 02:32:09
馬に馴れて狩猟を生業とする連中に農耕民が勝てるわけないだろうけど
南が押し出すのは火器がでてきてからだね

21: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/20(日) 03:48:28
象さんはお馬さんより使えないから。

32: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/20(日) 15:34:04
南詔の世隆てのは何度も唐を攻めているが結局唐に勝てず。
南の東南アジア諸国を攻めて制圧している
南詔(なんしょう)は、8世紀半ば、中国西南部、雲南地方の洱海地区に勃興したチベット・ビルマ語族の王国。最盛期には四川や東南アジアにまで勢力を拡大した。

39: 名無しの権瓶 投稿日:2008/04/21(月) 00:35:07
北方の人が中原に行くのは食料問題が原因だろう。
南方のほうは中原に強盗働くほど、食料に困らんだろうし。

41: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/21(月) 10:43:39
>>39
北方は絶えず遊牧騎馬民族の急襲に備える必要があったから万里の長城を築いたり、武力の充実が不可欠だった。

42: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/21(月) 10:47:36
南方は騎馬があまりなかったからだろうな
北方を攻めることはあっても制圧できなかったのは騎兵がなかったから

30: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/20(日) 15:18:10
孔明の南蛮征服の南蛮って何処?
ベトナム?

31: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/20(日) 15:29:28
雲南のあたりじゃない?
それと実際に南蛮制圧に当たっていたのは、(諸葛亮も関わっていなかったわけじゃないが)張嶷と馬忠

33: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/20(日) 15:37:26
タイの歴史の教科書では雲南省はもともとタイだったと教えてるそうだが。。。

34: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/20(日) 15:49:51
>>33
タイの教科書がどうかいてあるかは知らんが、雲南省がタイ族の故地であるのはたしか。

45: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/21(月) 15:46:54
ところでクメール人てどこから来たんだ?

46: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/21(月) 16:04:51
>>45
インド

48: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/21(月) 18:47:56
クメール人と同じ語族のベトナム人もインドあたりから来たのか?

49: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/21(月) 18:58:02
クメール語 = オストロアジア語族
ベトナム語 = シナ・チベット語族

全く系統が異なる。
前者は声調が無いが、後者は声調がある。
前者の文字はサンスクリット文字由来だが、後者の文字はかつて中国由来。

51: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/21(月) 19:38:01
>>49
ベトナム語はオーストロアジア語というのが定説だが。
確かに漢語からの借用語は多いのだが。

60: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/23(水) 10:02:05
>>51
>ベトナム語はオーストロアジア語というのが定説だが。
>確かに漢語からの借用語は多いのだが。

中国でも、海南島のあたりにはオーストロアジア語を話す民族がいるよね

61: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/23(水) 22:17:16
>>60
黎リー)族 はタイ・カダイ語族だよ。
オーストロアジア語族の極少数民族が他にいるの?

オーストロネシア語を話す極小集団(チャンパ末裔らしい)はいるが。--中国政府は「回族」として扱っている。

50: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/21(月) 19:03:38
ベトナム人はもともと広東省あたりにいたけど、漢民族の膨張により南に追いやられた。
雲南省にいたタイ人、ラオス人も同じく南に追いやられた。

57: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/22(火) 03:23:16
みんな北方から南方へ移動しているんだな

66: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/24(木) 12:31:26
ウィキペディアを見て思ったんだが

ラオスの歴史
その後数世紀の間、ラーオ族に関する資料が存在しておらず、どのような歴史を辿ったのかは不明であるが、7世紀頃に6つのムアンが雲南省の大里盆地に建国されている。これらのムアンを総じて六詔あるいは六詔国と呼称する。
六詔のうち、最大のムアンであったムアン・スイ(南詔)は唐に対し友好関係を築くべく建国当初から貢物を贈っていたとされている。南詔は強大な唐の援助を得て729年、皮羅閣王の時代に六詔を統一し、南詔王国を建国した。皮羅閣王は死後この功績により唐より「雲南王」の王位を贈られている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ラオスの歴史

南詔
南詔(なんしょう、Nanzhao)は8世紀半ば中国西南部、雲南地方の洱海地区に勃興したチベット・ビルマ語族の王国。
最盛期には四川や東南アジアにまで勢力を拡大した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/南詔

南詔の被支配者層はタイ系で支配者層はチベット系ってこと?

67: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/24(木) 16:44:47
前者はラオス人の立場の「歴史」。
本当のところはわかるわけないってこと。

68: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/24(木) 17:20:28
雲南白族形成史の研究
南詔国の王族は民族系統的には現在の彝(イ)族の祖先に属すると考えられているが,
支配階層の大部分を占めていたのは,むしろ現在の白族の先民であった。
また南詔国崩壊ののち,10世紀に雲南を再統一した大理国は名実ともに白族(先民)の政権だった。
http://www.lit.nagoya-u.ac.jp/~maruha/themes.html

69: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/24(木) 17:32:35
軽くググったりウィキをみたが南詔や吐蕃は結構強かったんだなというのはわかった

71: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/24(木) 20:10:08
白族(旧称・民家ミンチャ)は中華人民共和国の民族識別工作が為されるまでは、自らを「少数民族」とは意識していなかったらしい。
白語は、漢語の祖形に近い言語であるという説もある。

86: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/27(日) 00:32:26
昔はチワン族自身は「チワン語を話す漢族」と考えていて、「少数民族」意識は無かった。

123: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/29(火) 21:01:10
秦にポアされる前の楚の言語は残っていないのですか?非漢語?ミャオ語?

124: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/29(火) 21:33:13
>>123
タイかヤオとか南方系の言語だと思う
少なくとも中原諸国の言語とは違っていただろう

125: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/29(火) 22:07:33
虎のことを「於兎」というとか
そういう単語が幾つか残ってたと思う。確か『史記』あたりに。

126: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/29(火) 22:33:35
いまの南方中国語にその名残はあるのだろうか?

128: 水 株主【whis:183/4806=3(%)】 ◆TCygujgOWY 投稿日:2008/04/29(火) 22:53:02
影響がある中国語の方言もあるらしいけどね。

129: 世界@名無史さん 投稿日:2008/04/29(火) 23:33:44
楚辞は楚特有の言語でかいてあるの?

130: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/01(木) 00:59:01
楚辞といえば詩の間に意味のない「兮」という助字がはさまってリズムを整えているのが有名だが、あれももともとは楚語の合いの手かもね。

後は自分で確認してください。
楚辞の原文・読み下し文
http://kanbun.info/syubu/soji00.html

131: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/01(木) 01:06:12
項羽の最後の唄にも「兮」という助字が

132: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/01(木) 01:57:47
みんな知ってるだろうけど、参考までに貼っとこう。

力抜山兮気蓋世
時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何
虞兮虞兮奈若何

-------------
力は山を抜き 気は世を蓋(おお)ふ
時に利あらずして 騅逝かず
騅逝かざるを奈何(いかん)すべき
虞や虞や 若(なんじ)を奈何せん

133: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/01(木) 02:23:58
項羽のこの唄は楚語(呉語?)だった?

134: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/01(木) 02:27:21
本当に本人の作詞であるはずないが(戦陣から生き残って漢に降伏し記録を差し出した書記がいたのか?)
司馬遷が記録した民謡の類だろう。

150: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/04(日) 20:02:18
雲南省に元兵末裔のモンゴル人が隠れて住んでいる。

151: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/04(日) 21:07:33
雲南も蒙古は入り込んでるよ。
明らかに混血してるよな。

152: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/04(日) 22:14:43
雲南には元の王族の所領があって、明が中原を制覇した後もしばらく抵抗を続けていたと聞いたことがある。

また雲南には今でも、元代に移り住んだ回族の末裔も多い。
現在台湾に住んでる回族は、国共内戦の頃に共産党支配を逃れて雲南から来た人たちだとか。

156: 自転車小僧 ◆IBmI/K76EY 投稿日:2008/05/05(月) 01:28:59
>>150~152
雲南に住むモンゴル族の末裔はほとんどが彝(イ)族、一部納西族に同化している。
言葉も習慣もほとんど同化してしまっているが、馬や乗馬に関する語彙にモンゴル語由来のものが残っている。
モンゴル文字を書ける人も少数いるようでモンゴル文字の対聯をかけている家もある。

雲南の回族といえば鄭和がいる。
イ族は、中国の少数民族の一つ。イ族は中国西部の古羌の子孫である。古羌は、チベット族、納西族、羌族の先祖でもあるといわれる。

イ族は南東チベットから四川を通り雲南省に移住してきており、現在では雲南に最も多く居住している。南詔王国を建国した烏蛮族が先祖だと言われている。精霊信仰を行い、ビモという司祭が先導する。道教や仏教の影響も多く受けている。雲南省にはイスラム教を信仰するイ族の集団もある。


863: 世界@名無史さん 投稿日:2010/05/31(月) 12:11:16
>>156
ちょっと違う。雲南モンゴル族は、イ族が住むあたりの近くに集落があるけれどイ族になってしまってるわけじゃーない
きちんとモンゴル族として残ってるよ

157: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/05(月) 03:16:33
イ族はチベットの血の方が濃いでしょ

159: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/05(月) 11:18:57
雲南に住むモンゴル族にモンゴル語は消滅?
アフガニスタンのモゴール語も消滅か。

161: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/05(月) 15:13:43
四川にはタイ系のほかにチベット系の少数民族も多い

五胡十六国時代にはチベット系の部族長の李雄が成を建国している

165: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/05(月) 18:35:56
越というのはかなり適当な区分だね。南にいれば何でも越みたいな。
京族と繋がってるのか繋がってないのかも良く分からんし。
でも苗とは区別されてるんだな。

166: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/05(月) 19:12:39
苗の方も三苗とか百苗とか言われたことがあるが、おそらく言葉や風習は似ているが細かい部族に分かれていたんだろう
ゲルマン人の中でもゴート族とかランゴバルド族とかがあったように

167: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/06(火) 17:30:24
諸葛亮孔明にポアされた孟獲は、いまでいう「何族」に近かったのですか?
夜郎はいまでいう「何族」に近かったのですか?

彙族?

219: 世界@名無史さん 投稿日:2008/06/19(木) 01:16:57
>>167
孟獲は彝族であるとされているね。
現代の京劇の三国志などでも、彝族のアパレル。

168: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/06(火) 19:29:39
孟獲は蜀で官位を得ているし、官吏の推挙なども行っているから、少なくとも漢文化に通じている人物だろう。
漢人ではないかもしれないが、ただの異民族の酋長という訳でも無いだろう。
蜀には李雄という異民族の名君もいるな。

170: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/06(火) 22:28:38
孟獲は漢族とタイ族の混血じゃないんだっけ。
ウィキソースなので自信ないけど。

171: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/06(火) 22:33:07
孔明も先住民族虐殺したの?

172: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/06(火) 22:53:48
上にもあるが、蜀の西南夷討伐は張嶷による所が大きいらしいのだが、彼は異民族の事情に通じ、彼らから信頼も得ていたようだ。
班超のように、硬軟合わせて巧みに纏めていたのではないか。

173: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/07(水) 00:12:33
雲南省の銀を狙ったの?

174: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/07(水) 02:02:57
インド方面へのルートを狙った。蜀は海がなかったので。

175: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/07(水) 02:18:26
魏がシルクロードで呉が南海ルートなら蜀はビルマルートだ!

って交易路の確保って観点でも三国志は語れるよね

184: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/12(月) 16:14:20
項羽が自分の根拠地に近い場所に都を置いたのは、旧七国意識のあった当時の人間にとっては常識的な判断だった。
しかし中原のほうが華南よりも当時は人口が多かった。今も河南省が最大人口の省。
旧秦の人材および勢力を劉邦が取り込んだから、劉邦は項羽に勝利したというのが定説だが、項羽は旧秦の支配層を捕囚として華南に強制連行しなかったのか?

185: 世界@名無史さん 投稿日:2008/05/14(水) 10:04:23
苗族=項羽?

224: 世界@名無史さん 投稿日:2008/06/21(土) 00:36:44
ミャオ族って、なぜいろいろな地域に住んでいるのだろう?
北魏や唐の漢化政策以後も、反乱の記録が残り、孟獲をイー族ではなく、ミャオ族として演出したらチベット&ウイグル問題の領域に切り込んでしまうのかな?

225: 世界@名無史さん 投稿日:2008/06/21(土) 00:46:13
ところが、時代は下って、毛沢東はミャオ族の先祖がいて反乱は伝統であると賞賛している。
中国の中では、チベット&ウイグル問題も何もかも相対化してしまい飲み込んでしまうカオスを感じる。

278: 世界@名無史さん 投稿日:2008/08/09(土) 00:41:33
三国志に記述されている黒歯国は台湾のこと?それともインドネシアのあたりをさしているんだろうか

864: 世界@名無史さん 投稿日:2010/05/31(月) 13:02:57
>>278
黒歯国という文字だけ見ると、婦人のお歯黒風習があるワ族とか思い浮かべるなあ
(タイではアカ族と呼ばれるらしい)
ワ族には村の入り口に鳥居そっくりなのを立てる風習があったりするけど、見た目は日本人には似てないな
文化面では似た要素は感じる

279: 世界@名無史さん 投稿日:2008/08/09(土) 09:46:56
黒歯(ヘイチー)国
なんか、パラオやマーシャルとかミクロネシアっぽい響きだね。

280: 世界@名無史さん 投稿日:2008/08/09(土) 10:27:40
チベット系だが
吐蕃軍→騎馬
南詔軍→徒歩
てイメージがある

281: 世界@名無史さん 投稿日:2008/08/09(土) 14:52:46
南詔は、彝族・納西族・白族・哈尼族などの祖先じゃないだろうか?
その後の大理国と継続性があるとしたら、そう推測できる。
そうしたら、今のチベット族とは全然違うわな。

282: 世界@名無史さん 投稿日:2008/08/09(土) 14:59:43
古羌から分かれていそうではある

283: 世界@名無史さん 投稿日:2008/08/09(土) 15:04:04
チベットこそチャン系と呼ばれるべき

284: 世界@名無史さん 投稿日:2008/08/09(土) 15:48:25
チベット族が、羌族を攻撃して虐殺したから徹底抗戦になってしまった。
鮮卑族の唐王朝が、羌族を支援してチベット族を追い払った歴史がある。

そんな名前(=チャン系)で呼ぶのは、イスラエルを、シリア系と呼ぶようなものではないか?

285: 世界@名無史さん 投稿日:2008/08/09(土) 15:57:00
チベット族は、鮮卑族の吐谷渾を滅亡させちゃったから鮮卑族には、チベット族への憎悪が、あったんだろうね。

289: 世界@名無史さん 投稿日:2008/08/09(土) 22:25:13
>>285
吐谷渾は、唐に逃げ込んだ連中の他に吐蕃に臣属した連中もたくさんいたよ。
『新旧唐書』や『敦煌文書』には吐蕃で重用されていた吐谷渾有力者がたくさん出てくる。都蘭で発見されている吐谷渾貴族の墓の主はそういう人らしい。

290: 世界@名無史さん 投稿日:2008/08/10(日) 01:10:12
慕容部族と拓跋部族 どっも今では漢族。
漢族って、いろんな祖先がいるんだね。

引用元: ・中華の南方の異民族




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