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1: 日本@名無史さん 2006/03/13(月) 17:38:27
「心即理」「到良知」「知行合一」
明治維新の原動力といわれる陽明学、陽明学者についてのスレです。








2: 日本@名無史さん 2006/03/13(月) 19:41:34
まずは安岡正篤あたりからか?

3: 日本@名無史さん 2006/03/13(月) 19:57:53
大塩平八郎でしょ?

4: 日本@名無史さん 2006/03/14(火) 00:32:50
中江藤樹からでしょ?

5: 日本@名無史さん 2006/03/14(火) 00:46:16
日本の陽明学の祖、中江藤樹「近江聖人」と称される。
大野了佐という医者志望の少々要領の悪い少年を見事、医者に育て上げたエピソードは有名かどうかはわからない。

「各自の得意とするところをよく知り、それぞれの能力、分際にふさわしくそれを使えば、用に立たない人間はいない」

これは名言だと思います。

7: 日本@名無史さん 2006/03/14(火) 17:27:47
熊沢蕃山は幼いころ山二つ超えた村から中江藤樹の講義を聞きにきていた。
熊沢蕃山は百姓の子であったため武士の講義する席上に入る事は本来許されなかったが中江藤樹のはからいで廊下に上げてもらい講義を聞いていたという。

14: 日本@名無史さん 2006/03/25(土) 00:09:00
中国で生まれた陽明学だが日本の風土に合うなにかが有ったんだろうね。

15: 日本@名無史さん 2006/03/29(水) 23:02:19
「人はあらかじめ善悪の判断の中にあるのではなく、心の本体は無善無悪。その混沌からほとばしるものこそが真の善である。」   
王陽明

18: 日本@名無史さん 2006/03/30(木) 12:20:44
陽明学と禅が似ていると言う人もいますよね。
どちらもひたすら己自身の内面に向かっていく(心の鍛錬の)イメージはありますね。

19: 日本@名無史さん 2006/03/30(木) 14:20:48
禅の背景があったから、陽明学が成立したんだと思いますが。

20: 日本@名無史さん 2006/03/30(木) 21:18:29
>>19
そうだね、王陽明自身が仏教にのめりこんだ時期があるもんね。
当然陽明学にも影響してるだろうね。
宮本武蔵をはじめとして日本の武芸者達も禅の影響をうけているし、もともと日本に陽明学の浸透しやすい下地はあったのかも。

22: 日本@名無史さん 2006/03/31(金) 00:51:49
まあ武士道も唯心論的だし。
陽明学は中学校で是非教えるべきだと思う。

23: 日本@名無史さん 2006/03/31(金) 09:42:41
>>22
武士道なんだけど宮本武蔵と新渡戸稲造の武士道じゃ全然ちがうと思わない?
前者は戦いに勝つための実戦武士道で後者は身を修めるための道徳武士道。
自分の場合はそんな風に思う。

>陽明学は中学校で是非教えるべきだと思う
賛成

24: 日本@名無史さん 2006/03/31(金) 17:31:54
>>22
とらえ方でいろんな解釈の出来る学問だから今の学校じゃしっかりと教えられないと思うよ

28: 日本@名無史さん 2006/03/32(土) 00:39:28
>>24
原文を教えるだけでも効果はあるんじゃないでしょうか。
陽明学には心のモヤモヤを晴らすような言葉が多い。
若く純粋な魂には感じるところがあるはず・・・と信じます。

25: 日本@名無史さん 2006/03/31(金) 17:46:43
24歳の頃、王陽明の言葉で衝撃を受けた俺。
まったく働く意欲も意味も見いだせず、腰の据わらない生活だったが、いまは結婚し子供もいて、仕事の充実度も比べるまでもなく満足している。
たった一編だが、自分には本当に大きな人生訓となった。


どんな言葉だったか、忘れたけど。

26: 日本@名無史さん 2006/03/31(金) 18:34:13
>>25
ウケタw

29: 日本@名無史さん 2006/04/02(日) 05:35:18
山中の賊を破るは易し。心中の賊を破るは難し。

32: 日本@名無史さん 2006/04/03(月) 07:27:57
「もし自分の心に聞いて間違いだと思うなら、たとえ孔子の言葉でも、それを正しいこととはしない。」 
王陽明
33: 日本@名無史さん 2006/04/05(水) 00:33:35
>>32
自分の日常で実践しようとすると難しい・・・

35: 日本@名無史さん 2006/04/08(土) 15:14:52
この陽明学は江戸時代の日本にも伝えられ、幕末の倒幕運動の指導者である大塩平八郎や吉田松陰らが、陽明学の心即理を理念にして行動した。しかし、彼らの心即理は心の至誠を貫くことと解されており、王陽明のそれとは異なるものだった。


とwikiにあったのですが、どのような違いがあるのでしょうか?

36: 日本@名無史さん 2006/04/08(土) 16:39:00
>>35
違いというと中国陽明学は民間に宣布活動が行われたり弟子達がそれぞれの学派を作るなどの流れがあった。日本陽明学は個人の生死超脱の覚悟、自我の確立などの個人の内面で完結する思想などといわれています。

>彼らの心即理はは心の至誠を貫くことと解されており、王陽明のそれとは異なるものだった。

これは私見ですが心即理の解釈は心の至誠を発揮するというのは中国陽明学も大塩平八郎や吉田松陰も大差は無いと思います
ただ王陽明は国、村落の秩序、規約、共同意識を育てることに専念したのにたいして大塩平八郎や吉田松陰は反体制の立場(王陽明とは対極の立場)で陽明学を活用したというところでの違いでしょうか

37: 日本@名無史さん 2006/04/08(土) 16:46:49
補足
>(王陽明とは対極の立場)

王陽明は匪賊討伐での軍功があるので対極の立場という言葉を使いました

38: 日本@名無史さん 2006/04/08(土) 20:52:37
>匪賊討伐

あれは凄いね。迅速で。

39: 日本@名無史さん 2006/04/08(土) 21:03:27
>>38
やはり陽明学の心の鍛錬が有事の時にも動じなくするんだろうか?

61: 日本@名無史さん 2006/05/14(日) 01:47:45
陽明先生は、出仕してすぐに宦官の専横を批判し速攻で流刑されるという功利的には馬鹿としか言いようがない人。
でも俺は大尊敬する。

67: 日本@名無史さん 2006/05/14(日) 22:37:13
>>61
王陽明は何回も讒言や罠で窮地に立たされてるね。
仕事が出来るうえに下の者にも慕われて上の者でも間違いだと思えば平気で意見する。
そりゃ出世、名声しか頭にない奴には嫉妬されまくったんだろう。
でも窮地に立たされても必ず協力者が出てくるのはやはり人徳であり
現代で言うカリスマだったんだろうな。

62: 日本@名無史さん 2006/05/14(日) 11:06:10
陽明学を学ぶには何を読めばいいでしょうか?

やはり王陽明の原文ですか?日本式に受け入れられたものか?

64: 日本@名無史さん 2006/05/14(日) 13:18:41
>>62
個人的には「伝習録」だと思います。日本語訳も何冊かでているので入手しやすいですし。
「伝習録」は王陽明が著したのではなく門人の徐愛ら弟子によってまとめられたものです。
大塩平八郎、吉田松陰なども「伝習録」を学びそこからそれぞれの解釈をしたんだと思います。

王陽明本人は自分の考えが後世に間違って伝わるのを恐れて、教えを文字のするのには慎重だったようです。

66: 62 2006/05/14(日) 21:55:51
>>64
ありがとうございます。
「伝習録」ですか。分かりました。
ついでに、日本式に陽明学を咀嚼した書を読むとしたら、どれがいいですか?

儒教を日本人式の「儒学」とした、伊藤仁斎のような人は陽明学の場合は誰に当たるのでしょうかね。

69: 64 2006/05/15(月) 00:42:20
>>66
松永尺五、木下順庵、朱舜水、中江藤樹、熊沢蕃山、三輪執斎、山田方谷、春日潜庵、河井継之助、大塩平八郎、吉田松陰、西郷隆盛など思いつきますが、日本人式の陽明学としたとなると申し訳ないですが私じゃわからないですね。

>日本式に陽明学を咀嚼した書を読むとしたら、どれがいいですか?

これはもう、陽明学を志した日本人の中で貴方が共感する人物の著した物から読むのが一番じゃないでしょうか。

71: 日本@名無史さん 2006/05/15(月) 04:05:07
新渡戸稲造や内村鑑三も、キリスト教徒になる前は熱心な陽明学徒だったらしい。

72: 日本@名無史さん 2006/05/15(月) 04:22:33
>>71
キリスト教徒になった後にも新渡戸稲造は「武士道」のなかで王陽明を称えてるよ。

99: 日本@名無史さん 2006/05/19(金) 01:07:13
中国で滅んで日本で復活したのは、なんとなくだが分かる気がする。 

100: 日本@名無史さん 2006/05/19(金) 15:15:12
陽明学を日本流に言うと

口動かしている暇があったら手を動かせ
動きながら考えろ
バカやろー

101: 日本@名無史さん 2006/05/19(金) 17:31:35
例えば、恋人を大事にするという行為は、恋人を大事にするという行為が良いことであるとする良知の判断が基礎であって、それが実行されたとき、恋人を大事にするという行為が実現し成就する・・・というのが「知行合一」の説。
陽明学の考えだと、「わかっちゃいるけどやめられない」てのは実はわかってないと解釈する。自分の心で本当に正しいと思うことは行動に現れるし、正しくないと思うことは行動に移さないとする。

102: 日本@名無史さん 2006/05/19(金) 20:27:40
>>101
>自分の心で本当に正しいと思うことは行動に現れるし、正しくないと思うことは行動に移さないとする。

あくまでも欲望がない純粋な心での判断が条件でしょ。心が欲望にとらわれていると正しい判断は出来ないよ。
心を鏡だとすると、綺麗な鏡は正しく対象を映すが、曇った鏡は対象も曇って映してしまう。

103: 日本@名無史さん 2006/05/19(金) 21:54:26
>陽明学の考えだと、「わかっちゃいるけどやめられない」てのは実はわかってないと解釈する。

ニートの身としてはグサッとくるね。

104: 日本@名無史さん 2006/05/20(土) 01:33:35
考えてみればニートというのは、俗世間を離れ詩を読んで生きることを聖人の姿とした中華の国の発想なのか。

翻って陽明学というのは、創始者(王陽明)がすでに匪賊鎮定に走り回っていた武人である。
常に世間にまみれて働きながら、思想を深めることを目指す動中の工夫。
理屈っぽい話が嫌いで能書きを並べてるだけじゃ駄目だ、と言うのが好きな日本人好み。
ついでにニートとは相容れない。 

105: 日本@名無史さん 2006/05/20(土) 02:26:07
>>104
王陽明は伝習録見るかぎりじゃ人と会話するのは好きそうに見えるぞ。
そもそも友人、弟子たちとの会話録みたいなものだし。

107: 日本@名無史さん 2006/05/20(土) 03:33:14
会話することと働くことは矛盾しないのでは?

武人として忙しいのに学問を実践していたことに意味がある。
ある夜学問について弟子と談じていても、翌朝弟子が挨拶に行くとすでに陽明は進軍した後だった。

109: 日本@名無史さん 2006/05/21(日) 01:48:52
「友に対するに、相手に学ぶようにつきあえば成長が得られるが、相手の上に立とうとするのは悪いことになるだけだ。」
王陽明

120: 日本@名無史さん 2006/05/25(木) 00:05:39
「善念が起きた時には、それを察知してその善念を充実させ、悪念が起きた時には、それを察知して防ぎとめる。この、知り、充実させ、また防ぎとめるのは、志による。つまり天の聡明による。そしてそれは聖人が十全に具有しているのだが、学ぶ者はそれを保持すべく努めなければならない。」
王陽明

121: 日本@名無史さん 2006/05/26(金) 01:23:08
「悔いるよりも、今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。何も着手に年齢の早い晩いは問題にならない。」

吉田松陰の言葉なんだけど身にしみるわ

125: 日本@名無史さん 2006/05/27(土) 00:52:27
松陰は孟子や王陽明の思想から学んで革命に走ったのか?
松陰は革命に走るため思想を学んだのか?
どうなんだろ?

140: 日本@名無史さん 2006/06/02(金) 22:10:11
陽明学の日本への流伝は徳川家康の時代に始まる。
安岡正篤によると、当時の儒宗である藤原惺窩とその門人、林羅山は陽明学を排斥したと言われるが、藤原惺窩は陽明学には理解を示していた。
ただ門人の林羅山は陽明学には反対したと書いている。

世間では朱子学のアンチテーゼの陽明学という印象がある。たしかに間違いでは無いけど。
ただ王陽明自身は朱子のことを偉大な人物として評価してるんだよね。
「私(王陽明)が時に朱子と違うことを言うのは学問の仕方によっては、始めの一歩が後に千里の違いになるので、違いをはっきりさせざるをえないのだ。ただ私の心は朱子の心と食い違ったという事が今までに一度も無い。」
とあります。


143: 日本@名無史さん 2006/06/05(月) 07:22:27
「善念が起きた時には、それを察知してその善念を充実させ、悪念が起きた時には、それを察知して防ぎとめる。知り、充実させ、また防ぎとめるのは志による。つまり天の聡明による。そしてそれは聖人が十全に具有しているのだが、学ぶ者はそれを保持すべく努めねばならない。」
                                               王陽明

144: 日本@名無史さん 2006/06/05(月) 10:28:41
>>143
陽明学は性善説だと聞いた事がありますが、なんか違いますね。

147: 日本@名無史さん 2006/06/05(月) 21:24:00
>>144
見当違いかもしれませんが、今読んでいる吉田公平氏訳注の伝習録に
「人がもし、この良知の本質を理解していれば、どれほど多くの邪念や間違った考えでも、ここにひとたび覚醒すると、きれいさっぱりと氷解してしまう。これこそが『一粒の霊丹を、鉄にふりかけて金に変化させた』ということだ」
とあります。
人間は本来完全であるが、現実には邪思枉念を結果することがある。
それでも、本来は完全なので邪思枉念=悪とは無縁なのだということに覚醒すれば、良知は
自らの力で悪を排除し、完全性を発現する。

現実の人間は欲望に駆られ無為放縦になりがちですが、本来の姿は善であり、これを取り戻すには努力が必要という意味ではないでしょうか。

148: 日本@名無史さん 2006/06/06(火) 01:26:47
王陽明先生の晩年の境地

「人はあらかじめ善悪の判断の中にあるのではなく、心の本体は無善無悪。その混沌からほとばしるものこそが真の善である。」

154: 日本@名無史さん 2006/06/12(月) 18:05:30
私の願いは人々の心の田の荒廃を開拓して、天から授かった善の種を育ててまたまきひろめることにある。心の荒廃を一人がひらけば、土地の荒廃が何万町あろうと恐れるものではない。
二宮尊徳(金次郎)

155: 日本@名無史さん 2006/06/12(月) 18:12:33
そういや二宮金次郎の銅像は学校に建っているのに、学校じゃ陽明学についてはあまり教えないね。

156: 日本@名無史さん 2006/06/12(月) 21:45:22
日本人で道とか学問について考えたことのある人は儒学を通じて王陽明以前から陽明学的なものを発見し育ててきたように思う。
中江藤樹も陽明学に出会う以前から独自の陽明学的な精神を体得していた。

157: 日本@名無史さん 2006/06/13(火) 17:32:07
>>156
中江藤樹は陽明学と出会って、自らの経験と陽明学の精神が共鳴したんだろう。
陽明学を学びつつ、しかも後に内村鑑三からも「代表的日本人」として称えられた中江藤樹は偉大だ。
中江藤樹は陽明学を体得しながらも尚、日本的な聖人であった点が素晴らしい。

159: 日本@名無史さん 2006/06/16(金) 12:53:11
個人的な意見だけど、戦国時代が終わり江戸時代という治世が始まり、武士たちも知識としての学問が重視されるようになった。治世がうまく機能している時には、行動的な精神よりも、有能な指導者に忠義を尽くすことが重要となる。
しかし治世も長く続くと、どうしても権力者や政府の機能の腐敗が始まってしまう。
そこで幕末に陽明学が戦国武士道の精神と結びついて維新の原動力になった一面もあるんじゃないかな。

160: 日本@名無史さん 2006/06/16(金) 13:17:11
幕府内部でもそういう動きがあったんだよね。
維新というと薩長が幕府を倒したみたいな図式だけで語られるけど、佐藤一斎なんか昌平黌で事実上陽明学を普及させていたわけで、そこから佐久間象山、吉田松陰とつながるし。

161: 日本@名無史さん 2006/06/16(金) 13:35:20
江戸時代から幕末の陽明学者の偉かったところは武士階級のみならず農村の若者達にも学問の門を開いたところ。
そこから、熊沢蕃山のような人物が輩出されたしね。

162: 日本@名無史さん 2006/06/16(金) 13:42:51
二宮尊徳も貧農だったよな

163: 日本@名無史さん 2006/06/16(金) 22:46:21
陽明学は朱子学が危険思想扱いした孟子を重視しますが、易姓革命説との関連はどうなっていたのでしょうか。少なくとも明治維新には陽明学のもとになった孟子の考え方が影響しているのではないかと思うのですが。

165: 日本@名無史さん 2006/06/17(土) 00:33:23
>>163
陽明学は物事に理があるのではなく、心に理があるとするから、易姓革命という思想が是か非か?とは考えないんじゃないかな。

164: 日本@名無史さん 2006/06/17(土) 00:21:03
山本七平か何かが書いていたと思うが、易姓革命の必要ない日本の特色について吉田松陰が考察してなぜ必要ないかというと日本の場合は天子が愚昧なら倒すのではなく諌める思想があると。
つまり天子の愚昧や不正を戒めるために従者が自ら死ぬという諫死の思想があるという。
これからすると西郷隆盛の死の行軍の意味もわかるのではないだろうか。

167: 日本@名無史さん 2006/06/17(土) 10:21:32
>>164
民衆の心に届くかどうかが問題であって、諫死すれば良いという問題ではない。
生きるべきときは生き、死ぬべきときは死ぬ。
安易に他人の死を語る奴ほど信用出来ない。

169: 日本@名無史さん 2006/06/17(土) 18:14:37
諫死すればよいとは誰もいっていないんだが。
諫死とは死ぬべきときに死ぬという思想だ。
もちろん安易な死を諫死とはいわない。
まずそれを理解してからものをいうべきだろう。

171: 日本@名無史さん 2006/06/29(木) 21:38:54
陽明学はくソ

172: 日本@名無史さん 2006/06/30(金) 10:54:30
>>171
「陽明学はくソ」とはお見事です。返す言葉がありません。
陽明学の文言を理解し実際に生かすのは難儀で不可能なような気がします。
「陽明学は実行の学問」と云う人が多いようですが証明してくれた人はいません。陽明学をかじったので自分のすることは陽明学の理に沿っていると思い込んでいるのではないでしょうか。
「陽明学はくソ」とは人間が生きていくのに役に立たないの意でしょう。
漏れは賛意しませんが、大きな課題だと思います。
仏教に「人間は5尺の糞袋」とかの話があります。その糞袋から出たのが陽明学とすると、結構辛いです。


引用元: ・ 【生死】日本陽明学 【超脱】




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