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1: 人間七七四年 2009/12/12(土) 22:50:58 ID:XqvEEQRT
最盛期をもたらした義堯から、義弘、義頼、義康、大名家としては滅んだ忠義の辺りまで語ろう。







609: 人間七七四年 2018/12/02(日) 17:02:41.54 ID:CsR4Snfl
里見といえば水軍持ちだったわけだが、なぜか朝鮮には渡海せずに肥前にとどまっていたんだな。

理由はなんだろ?

611: 人間七七四年 2018/12/06(木) 10:08:39.30 ID:uui5g8Dt
>>609
主力が西国大名だからじゃない?
大船建造命令も西国に出されてた気がする。

612: 人間七七四年 2018/12/06(木) 20:30:52.93 ID:kxMQ1Qnc
>>611
いや、佐竹は弱小水軍で戦わされていたはずだが。
水軍だけなら里見のほうがだいぶ強いはず。

617: 人間七七四年 2018/12/07(金) 16:29:07.73 ID:5n1vlf5o
>>612

7 :名無しさん :2014/04/07(月)21:38:53 ID:094WNqGCK

ちなみに戦国時代の佐竹氏(内陸大名ではない)には海戦を戦えるだけの水軍はなかったが、河川パトロールができる程度の水軍はあった。

のちに秀吉から
「君のとこは水軍あるんだから、朝鮮に渡海しておくれ」
と命ぜられて四苦八苦している。

613: 人間七七四年 2018/12/06(木) 23:24:44.48 ID:br2kN3iF
水軍衆でも渡海しなかった連中たくさんいるからな
予備戦力として控えているうちに出撃機会を失ったんだろ

615: 人間七七四年 2018/12/07(金) 08:30:42.35 ID:LjtXqXT6
よく知らないけど、家康の与力扱いだった可能性はないん?

619: 人間七七四年 2018/12/08(土) 17:53:27.46 ID:oYt6dRBJ
渡海に耐えられる大型船はどのくらいあったのかな。
北条水軍が上方の技術入れて安宅船的なの建造してから劣勢だったとか、何かで見た気がする。

622: 人間七七四年 2019/01/20(日) 20:26:57.77 ID:XPuCVy9e
この前、勝浦城址行ってきたけど、中々良い所に建ってたんだな
お万の方の子の、徳川頼宣と頼房の頼という字は、祖父の正木頼忠から一字取ったのかな

624: 人間七七四年 2019/02/19(火) 06:18:10.09 ID:TrGHYIhe
>>622
要害ではあるが、2度くらい落城しているな。

647: 人間七七四年 2020/01/29(水) 21:30:49.88 ID:qSzkuilA
戦国時代後半の安房国には城塞と呼べるほどの防御力を持った城はいくつぐらいあったんだろう?

砦レベルの城はいくつもあったと思うが。

648: 人間七七四年 2020/02/02(日) 23:32:53.44 ID:21FF/9GT
戦国後半の意味する時期が天正年間(義弘~義頼~義康期)とすると、安房限定であれば岡本、館山、それから金山、勝山、大貫くらいしか思い浮かばないなぁ。

白浜、滝田、稲村、宮本の旧本拠クラスの城や、山之あたりはどのくらい保守されていたものやら。

http://yogokun.my.coocan.jp/yogozuchiba.htm

630: 人間七七四年 2019/09/05(木) 13:52:11.86 ID:rjV2Dynk
小田原征伐でやらかさなければ安房に加えて上総半国も安堵されて25万石ぐらいあったんでしょ?
もったいなかったよなあ

631: 人間七七四年 2019/09/05(木) 15:10:42.23 ID:eDXJtYBt
>>630
それなら家康にうざがられて(史実より早く)1603年ぐらいに改易されて伯耆に飛ばされていたと思う。

632: 人間七七四年 2019/09/05(木) 19:23:15.22 ID:pDpC8vb+
>>631
やらかさなければ改易はないと思うな
1か国半持ちでも関ヶ原での役割は変わらんだろうし、やはり大久保と組むだろうからとばっちりで改易じゃないの?

655: 人間七七四年 2021/02/23(火) 21:29:22.42 ID:7POWhKUK
東日本の動乱と戦国大名の発展を読んでて驚いたのだが、最近は里見成義実在説の方が有力っぽい?
里見 成義(さとみ しげよし)は、室町時代後期の武将。安房里見氏2代目当主とされる人物。名前は義成(よししげ)とも記される。
後世に編纂された系譜や軍記物にその名が見られるが、史料上で実在したという裏づけが取れないため、系譜に付け加えられた架空の人物とする説が主流となっている。しかし成義の存在を架空とすると、里見氏の系譜関係を著しく不自然にする事情などから、実在を支持する説もある。


656: 人間七七四年 2021/02/24(水) 07:26:56.42 ID:b8kDx+7o
>>655
そうでもないのだが、でも成義の存在を架空とすると里見氏の系譜関係が著しく不自然になるわけで。

個人的には実在したと思うね。

657: 人間七七四年 2021/02/24(水) 11:45:34.61 ID:tqa7tT5Q
>>656
そうでもないの?
里見刑部少輔が成義ってのは説得力あると思ったけど
じゃあ里見刑部少輔は誰に比定されてるんだ?

658: 人間七七四年 2021/02/24(水) 19:05:30.52 ID:kFXYdDIQ
鎌倉府の刑部少輔というのは、里見義秀以降の安房里見氏の先祖たちがよく使っていました。ここに出てくる刑部少輔は安房里見氏の初代になっている里見義実の父里見家基のことです。
https://www.city.tateyama.chiba.jp/satomi/kanzenban/kan_1shou/k1shou_5/k1shou_5.html


要するに複数の里見さんが刑部少輔を名乗っているので、誰なんだか比定もできないようだ

659: 人間七七四年 2021/02/24(水) 19:13:21.19 ID:tqa7tT5Q
>>658
それは知ってるよ
今話題にしてるのは『東日本の動乱と戦国大名の発展』に出てくる里見刑部少輔宛の書状の話

660: 人間七七四年 2021/02/24(水) 19:30:10.44 ID:tqa7tT5Q
ネタ元は2015年の滝川恒昭『戦国前期の房総里見氏に関する考察 : 新出足利政氏書状の紹介と検討を通じて』っぽい
新出書状の発見で、やっぱ成義居たわってなった感じかな?

662: 人間七七四年 2021/07/15(木) 23:12:05.65 ID:RWs14EHA
『東日本の動乱と戦国大名の発展』
だと、巻末の系図では
義頼が足利晴氏女の子、
梅王丸が足利義明女(青岳)の子

になってるな

663: 人間七七四年 2021/07/30(金) 09:28:08.86 ID:Dv8yD1R7
>>662
逆だよな

668: 人間七七四年 2022/01/27(木) 23:41:23.72 ID:NQT7anEa
六角承禎条書は六角のことだけじゃなく周辺地域のことも触れている
美濃斎藤の場合その出自にも触れている訳だが
東国にもそういう大名がいればなあ

669: 人間七七四年 2022/02/13(日) 16:12:13.60 ID:hnoXbVkc
関東でそういうポジションは佐竹か結城あたりになるか

670: 人間七七四年 2022/02/20(日) 15:23:52.30 ID:u0hOhzU1
里見って新田義貞の庶家なのか

671: 人間七七四年 2022/02/20(日) 15:33:05.25 ID:fs4OyIDF
>>670
額面通り受け取れば、な。

伝・初代の里見義実の出自からして確定はしていない。
足利成氏の直臣だったからそれなりの者ではあったんだろうが。

672: 人間七七四年 2022/02/20(日) 15:48:56.32 ID:Bk6Ks0P7
越後の国の一族、大井田氏、里見氏、鳥山氏、田中氏、羽川氏が新田に加勢して鎌倉攻めに参加したと聞いた
里見氏って新潟なの?新田氏は上野よね?

673: 人間七七四年 2022/02/20(日) 16:27:47.88 ID:MHKB2ry5
その辺は里見初代の子供とかが越後に入った血統だとか

674: 人間七七四年 2022/02/20(日) 17:12:35.88 ID:ALyxIh+J
そーいえば万木城の隠し港だった場所に土岐氏が大事にしていた飯綱権現祀り直してあるんだけど、その集落には>>672に名前がある苗字の人が今も住んでる
ひょっとして埋蔵金でも隠してるんちゃうか?

675: 人間七七四年 2022/02/20(日) 17:43:46.44 ID:ALyxIh+J
徳川の時に里見は万木城入ったかな?
それとも入る前に所領召し上げ喰らったかな?

680: 人間七七四年 2022/04/24(日) 12:12:34.99 ID:BHth7e0+
>>675
万木城に入ったのは本多忠勝

そのへんは、柴裕之氏の論考で

万喜城
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%96%9C%E5%9F%8E

711: 人間七七四年 2022/10/30(日) 14:41:23.75 ID:AIz+YEoo
図説里見氏を買った
謙信無礼すぎてそりゃ関東諸将から逃げられるわ
里見クラスの大名を名前知らないから太郎殿(仮名)でいいかで何度も手紙送りつける神経

713: 人間七七四年 2022/10/31(月) 09:45:54.11 ID:slf8gbnT
>>711
そう考えると成田長泰の謀反ってある意味起こして正解だったかもな

719: 人間七七四年 2022/11/03(木) 02:37:47.13 ID:AvBgaGHu
1563年から1569年まで継続的に謙信は里見太郎殿と宛所にしてきたのがわかっている
こうした記し方は他の関東諸将にも同様で里見殿とは記載しなかった

里見義弘は謙信と手切れになるときに
「里見太郎殿と名字書越候」(里見太郎殿と書いたことことに抗議した)
宛名に仮名(太郎)まで記載する方法は薄礼であり身分が下のものに送る場合の書札礼であった

だって。
同盟国のアメリカが日本総理を安倍太郎、菅太郎、岸田太郎言う感じか
うんこりゃ失礼ですわ
国衆ならともかく安房上総の大名の名前知らないなんてありえない
1561年小田原攻めからともに戦った仲だぜ

あんたが超巨大勢力と戦ってて味方してくれる勢力の国家元首の名前知らないとかある?w
例え知らない状態でも適当に手紙書くの?
普通調べるよね?
年賀状も会社の人間、取引先の名前なんか知らないけど調べるよね普通

WW2でルーズベルトがチャーチルとスターリンの名前わかんねーからマイケルとシコルスキーでいいかとはならんし
仮にしらないなら側近に聞くでしょw
里見からの手紙に名前書いてあるだろうし
確信犯だよ謙信

と思ったら幼名太郎なのね
ま、本に失礼だって書いてあるし里見も抗議してるから失礼なことなんだろう

720: 人間七七四年 2022/11/03(木) 20:04:18.32 ID:8aaz5iqA
当時の家格は

古河公方
山内上杉
吉良、今川
扇谷上杉、佐竹、大掾、小田、千葉、結城、小山、宇都宮、那須、北条
その他の国衆や↑の庶子家

吉良〜八館は書札礼の上での格差は無し
北条は古河公方からだけ一家扱い(宛所に名字を書かない)
里見はどこから受ける書状も下り書き(宛所が名字+官職・仮名)
義頼の頃に八館と同格になる(宛所が名字ではなく在所の岡本になる)

721: 人間七七四年 2022/11/04(金) 20:19:34.02 ID:EeaND+Dy
里見に在所宛で書状出してるのは格下の国衆だった
八館と北条・白川・武田が書状を出し合う際は名字殿
山内殿の謙信が↑に書状を出すときも名字殿(たまに仮名つきの下り書き)

里見の書札礼書では古河公方(披露状)と山内殿以外すべて下り書きにしてるから
この通りに書状送ってたら里見の非礼のがやばい

723: 人間七七四年 2022/11/05(土) 21:16:27.93 ID:ZbB4as7K
里見の書札礼書
謹上 山内殿御宿所
謹上 上杉治部少輔殿

謹上 佐竹右京大夫殿
謹上 吉良殿御宿所
謹上 渋川殿
謹上 岩松殿
国衆レベルの里見からこれで書状が来たらびっくりだな

引用元: ・【安房・上総】里見氏を語るスレ2【関東副将軍】


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図説 戦国里見氏 単行本(ソフトカバー) – 2022/6/24 滝川恒昭 (編集), 細田大樹 (編集)