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1: 世界@名無史さん 2009/01/06(火) 17:41:50 0
じつはかなり面白いことに気づいた。








2: 世界@名無史さん 2009/01/06(火) 17:51:29 0
三韓から見れば高句麗は侵略者

3: 世界@名無史さん 2009/01/06(火) 17:54:53 0
扶余、高句麗、渤海は別で語ればいいと思う。

4: 世界@名無史さん 2009/01/06(火) 17:56:55 0
でも今の韓国は高句麗も渤海も自国の歴史とみなしている
 
11: 世界@名無史さん 2009/01/08(木) 00:24:33 0
ただ、高句麗滅亡後新羅は高句麗人を新しく組み込んでいることは明らかだからな。
まあ、渤海領にいたよりはだいぶ少ないだろうが。

12: 世界@名無史さん 2009/01/08(木) 18:28:11 0
日本も高句麗人を多数受け入れて組み込んでいるよね

14: 世界@名無史さん 2009/01/09(金) 19:54:15 0
>>11-12
祖国滅亡後の高句麗人の身の振り
・王族貴族の多く→日本へ亡命
・王族貴族の一部→靺鞨人と組んで渤海を建国
・王族貴族の裏切り者→新羅の臣下に
・庶民の大部分→靺鞨人と混血して渤海人に
・庶民のごく一部(南部の住民)→新羅人に編入

13: 世界@名無史さん 2009/01/08(木) 18:40:27 0
遣新羅使を派遣していたことは案外知られていない

15: 世界@名無史さん 2009/01/09(金) 22:55:28 0
唐に連行された庶民も相当多かったと聞いたが

35: 世界@名無史さん 2009/02/17(火) 18:07:04 0
楽浪郡があったからかなりの漢人も朝鮮半島に住んでいた?

楽浪郡

楽浪郡(らくろうぐん)は、漢朝によって設置され、紀元前108年から西暦313年まで存在した朝鮮半島の郡である。真番郡、臨屯郡、玄菟郡と共に漢四郡と称される。東方における中華文明の出先機関であり、朝鮮や日本の中華文明受容に大きな役割を果たした。


37: 32 2009/02/17(火) 23:10:30 0
>>35
そりゃそう。
でも楽浪郡が滅亡した時、かなりの漢人は遼東方面に集団脱出したんだよ。
問題は、それが当時の楽浪郡人口の何%だったのかがわからない。
ところがこれが問題でない。
なぜなら高句麗の人口が少なく、楽浪郡の人口は多かった。
かなりの漢人が亡命移民したとしてもそれでもなおかつ楽浪郡併合後の高句麗では純粋の高句麗人(夫餘系の高句麗人)は上流階級ではともかく全人口でいえば少数派だったろう。

43: 世界@名無史さん 2009/02/20(金) 21:24:19 0
新羅と渤海の冷戦状態について

44: 世界@名無史さん 2009/02/27(金) 03:47:34 0
>>43
そりゃそうだろ、もともと仇敵同士なんだから。
同一民族でもないし、唐の朝廷で席次を争ってたし。

45: 世界@名無史さん 2009/03/01(日) 18:51:07 0
この年の唐朝の正月の拝賀式における玄宗皇帝との謁見式の場面で席順争いが惹起された。
すなわち諸外国の使節が列席する席次は首位が大食(アラビア)、次席が吐蕃(チベット)、つづいて新羅(韓国)そして第四番目が日本という序列になっていた。
これを見た大作古麻呂は色をなして憤激し、新羅はずっと昔から大日本国へ朝貢している国である。どうして新羅の下位に立つ筋があろうかと抗議した。そこで日本の使節は改めて新羅の上席にランクされだというのである。
http://islamjp.com/culture/isuramu_shi_01_01.html

新羅が朝貢っていつの時のこと?
雄略の時まで?

46: 世界@名無史さん 2009/03/01(日) 20:12:05 0
>>45
新羅の朝貢は天平の頃まで。
そのころから新羅が勝手に国号を改めたとか、調(貢物の意)を土毛(おみやげ)に改称したとかで、両国関係は悪化。朝貢から貿易へとシフトしていく。

47: 世界@名無史さん 2009/03/04(水) 18:42:44 0
なぜ新羅からローマのガラスが出土する?

50: 世界@名無史さん 2009/03/05(木) 01:55:26 0
>>47
恐らく草原ルート⇒高句麗⇒新羅といった感じか。
当時は中国との縁が薄かった。

51: 世界@名無史さん 2009/03/05(木) 16:43:15 0
言語は違ったらしいが、影響は結構あったはず。官職名とか文体とか。
高句麗→新羅

66: 世界@名無史さん 2009/03/14(土) 14:06:31 0
本来は元、清、日本と同様に。
異民族、敵対者と見なされていてもおかしくない高句麗が(新羅と敵対してたし、言語も違っていたか異民族だから)なぜ後世朝鮮人国家と見なされたんだろうか

67: 世界@名無史さん 2009/03/14(土) 14:55:10 0
あまりにも深く長く入り込み(全盛時で大韓民国の半分以上、滅亡時でも北朝鮮全域、そして200年以上)、首都を半島に移すなどしたもんだから遂に半島の一部と認識されるに至ったのでしょう。

新羅も膨張の際には元高句麗を取り込まざるをえず、さらに新羅に対抗して高麗が起こり新羅を滅ぼしてしまったことで新羅の対高句麗意識も霧散してしまったのかもね。


80: 世界@名無史さん 2009/03/14(土) 22:16:41 0
韓国は新羅が現在の韓国につながる国としているが、それなら高句麗を朝鮮人国家とみなすのはおかしいよね

85: 世界@名無史さん 2009/03/15(日) 01:36:35 0
>>80
百済と高句麗もつながる国としてるように見えるけど。
あと、扶余とか渤海も。

86: 世界@名無史さん 2009/03/15(日) 03:04:18 0
日本でいうなら大和朝廷と敵対したアイヌ人を日本とつながりある、または日本人扱いするようなものか?

91: 世界@名無史さん 2009/03/18(水) 17:51:35 0
もし新羅が滅んでいなければ高句麗は外国人と扱われていたんだろうか

107: 世界@名無史さん 2009/06/25(木) 00:46:20 0
高句麗が半島の新羅と百済を滅ぼして半島と満州を有する国になっていれば面白かったのに

127: 世界@名無史さん 2009/07/29(水) 09:00:09 0
百済と日本の関係が深く、倭人が多数住んでいたようですが百済を通して中国との往来があったことを考えると、住民のほとんどは倭人と中国人だったのですか?
百済の中の民族構成はどんなだったのでしょうか?
どなたか教えていただけませんか?

128: 世界@名無史さん 2009/07/29(水) 13:35:23 0
おおまかに言えば満州族と倭人と漢人です
王族は満州人と倭人の混血でした

129: 世界@名無史さん 2009/07/30(木) 01:01:35 0
満州族ってw

131: 127 2009/07/30(木) 07:59:20 0
>>129
満州族に属する扶余族と理解しています。

130: 世界@名無史さん 2009/07/30(木) 07:15:14 0
百済=扶余+倭+漢

138: 世界@名無史さん 2009/08/22(土) 13:12:54 O
百済王族・貴族と馬韓人の融合はあったのかな

139: 世界@名無史さん 2009/08/25(火) 21:30:52 O
馬韓人が貴族になった例ならあったような

172: 世界@名無史さん 2009/09/20(日) 23:02:10 0
高句麗が倭や百済を圧倒できたのも騎馬のおかげだろうか

173: 世界@名無史さん 2009/09/21(月) 10:20:03 0
高句麗は燕やら扶餘やら契丹と境を接していたから戦慣れしてたんだろう。
百済はおそらく高句麗とルーツを共にしながらも袂を別った勢力が中核だったと思われるけど、やはり戦力は劣っていたんだろう。

倭については言われているほど騎馬戦力は充実していなかったように思う。5世紀あたりは、騎兵甲などの出土数の少なさから考えても、歩兵主体の編成だったはず。
広開土王碑によると、新羅城を占領していた倭軍が歩騎五万の高句麗軍に駆逐されたとあるが、おそらく倭は高句麗の歩騎組み合わせた巧みな戦術の前に敗れ去ったんだろうね。

174: 世界@名無史さん 2009/09/21(月) 12:09:38 0
圧倒してたら長いこと三国鼎立の状態は続かなかったろうが

175: 世界@名無史さん 2009/09/21(月) 13:19:24 0
満州国家の高句麗は半島ばかりに目を向けていなかったから契丹や燕という敵もいたから

183: 世界@名無史さん 2009/10/05(月) 12:27:55 0
朝鮮古代の史書について調べています。
「三国遺事」や「三国史記」などは、「三韓古記」「本国古記」「新羅古記」など、三国時代の史書を史料として用いたとされています。高句麗については「留記」「新集」、百済については、「日本書紀」に引用されている「百済本記」、「百済記」、「百済新撰」などがあったとされています。しかし、いづれも散逸して残っていないとのことです。

そこで質問があるのですが、日本、中国では、比較的史書が残っている方だと思います。
日本は、天皇家がずっと存続していた為、正史が宮中で保存される確立が高かったと思いますが、度々王朝交代のあった中国でも、正規軍による都攻撃時には図書や文化遺産の保存がなされ、比較的古来の文物が残される傾向があったかと思います。

朝鮮史を考えますと、高句麗・百済は征服されたので、その過程で史書が散逸するのは納得できるのですが、新羅は、高麗に武力征服されたのではなく、最後の王が降伏し、側近ともども高麗に下っています。このようなそう考えますと、新羅時代の政府管理の史書が現存していても良いように思うのですが、何故散逸してしまったのでしょうか?
「三国遺事」や「三国史記」の成立で十分と思われたから、廃棄されてしまったのでしょうか?
中国の史書は、正史以外でも、他の図書に引用されるなどして、一部復元されているものも結構あります。古代朝鮮の史書でそのようにならなかったのは何故なのでしょうか?

184: 世界@名無史さん 2009/10/05(月) 21:00:43 0
>>183
高麗朝はともかく次の李朝が本場中国以上に朱子学が盛んだったから「本来そうであるべき歴史」とは大きく逸脱する記録書が処分されたとか
または三国時代では各国とも仏教が国教の国々だったから目の敵にされて処分されたのかも
実際高麗時代の貴重な仏典が多く毀損されたし

185: 世界@名無史さん 2009/10/05(月) 21:19:07 0
伝統的に朝鮮人は、前王朝・前支配者の事績を全否定し、痕跡を跡形もなく消し去る傾向があるんじゃないかなぁ。
百済文化や高句麗文化にしたところで、実のところ発掘品を以外の伝世のものは皆無だしね。
その点、中国は故宮宝物が象徴するように、前王朝の文化遺産を引き継いでこそ正統という意識があるのとはずいぶん大きな隔たりがあるような気がする。


186: 世界@名無史さん 2009/10/05(月) 22:11:46 0
それもあるだろうけど三国時代の痕跡が全く残ってないのはやっぱり朝鮮半島のリセットボタンこと長白山が大噴火したのが影響してるんじゃない?

187: 世界@名無史さん 2009/10/06(火) 00:38:10 0
三国史記や三国遺事は高麗の半ば成立であり、同じ高麗の初期や前半に成立したであろう史書は伝わらない。
となると王朝交代ばかりが散逸の原因というわけでも無いってことか。

188: 世界@名無史さん 2009/10/06(火) 16:09:35 0

皆様貴重なご意見ありがとうございます。王朝交代以外にも、王朝思想・社会思想、更にその他の要因など、様々な要因が考えられそうなことがわかり、大変参考になりました。
日本では、王権の正統性は、天皇の抱きこみだったり、源氏の棟梁だったりと、中華皇帝同様、正統性の根拠があるものですが、朝鮮ではどうだったのでしょうか。また新たな疑問が出てまいりました。
一貫した正統の不在は、史書を引き継がない体質を生むのはわかりますが、実際どうだったのでしょうか?

189: 世界@名無史さん 2009/10/06(火) 22:27:27 0
あくまで儒教や朱子学の言う正統は「中華」だからね
「中華」に登場しない自国の歴史がどうであろうと彼等にとってはどうでも良かったわけで
まあ「小中華」気取るようになってから箕子朝鮮の系譜作りとか正当性を主張し始めるけど

193: 世界@名無史さん 2009/10/07(水) 23:40:55 0
国が行う正史編纂とは別にそれに入らない野史ってのがあるもんだが、李朝の儒教・中央集権化・長期王権が激しくて在野の史家が育たない(政争に負けて流された類は古代史には見向きしない)
国内が均一化されたせいで郷土史なんぞが残ってないってのはどうだ

194: 世界@名無史さん 2009/10/08(木) 00:29:07 O
書物の歴史においては保存、生産の両面においてモンゴル支配は相当なダメージだったろうな。倭乱、胡乱もだけど

191: 世界@名無史さん 2009/10/07(水) 21:01:40 O
日本でも文書持ってるのは寺が多いしなあ。その上金城も首都じゃなくなったし

200: 世界@名無史さん 2009/10/10(土) 09:17:10 O
日本でも廃仏で文化財に大きなダメージ受けたなあ。李氏朝鮮でもやはりそうか?

268: 世界@名無史さん 2010/04/09(金) 23:15:39 0
新羅・百済・高句麗って、通訳は必要だったの?

269: 世界@名無史さん 2010/04/10(土) 03:21:13 0
さぁ?
漢語を共通語にするって手もアリか。
あれだけ長くひっつきあってるとクレオールとか発生したかも。

270: 世界@名無史さん 2010/04/10(土) 03:51:24 O
今の朝鮮語はクレオールかな?それとも南部の新羅やカラの言語か

271: 世界@名無史さん 2010/04/10(土) 12:22:22 0
ある程度の混交はあったと見るほうが自然だろうね。
ただ、基本的に現代韓国語は(韓系である)新羅語の流れを汲んでると見られてるみたい。

それから、百済の北方系貴族階層で使われてたと見られる扶余系百済語はともかく、韓系百済語と新羅語は元々かなり近かったんじゃないかな。
新羅の「三代文」ていう散逸してしまった郷歌集がいつかどこかで発掘されれば、古代語の研究が相当に進みそうなんだけどね。


引用元: ・【三韓から】古代朝鮮【後三国時代】


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