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1: 日本@名無史さん 2015/04/18(土) 02:23:47.27
肥沃な地とはいえ、たかだか二ヵ国の領主が動員出来る数字か?
熱田とかの商人から納められる収益があるにしても多すぎる
上洛軍で4万、伊勢侵攻では7万とまで言われているがこの数字は正しいかはともかく、どうしてこんなに兵力があるのか








2: 日本@名無史さん 2015/04/18(土) 11:34:23.30
数字が単なる誇張だから

終了

6: 日本@名無史さん 2015/04/18(土) 13:26:46.22
一時的に動員するだけなら可能だよ。
何しろ全国でも統一された勢力としては北条、毛利に次ぐ大大名なんだから。
さらに商業利権も大きいから現金持ってるし。

8: 日本@名無史さん 2015/04/18(土) 18:16:54.47
100万石を上回る大大名で財力もある

33: 日本@名無史さん 2015/04/19(日) 16:46:27.43
尾張・美濃・北伊勢でしょ?農業収入も流通関係の収入もうなるほど入ってくる
全国でも摂河泉以外でこんな凄い大名なんてないんじゃない

35: 日本@名無史さん 2015/04/19(日) 17:00:30.53
詳しく研究してるわけじゃないから知らんが、上洛軍だったら浅井家とかの義秋支持派も混じってるんじゃない?
反三好として上洛軍に加わったのもいるだろうし、上洛なんて大イベントなんだから、そこら中に声は掛けてると考えるのが妥当かと

36: 日本@名無史さん 2015/04/21(火) 00:44:40.07
なるほど、上洛軍は信長の軍だけではないからだというのはまあわかる

しかし伊勢侵攻で7万という数字はちょっと凄すぎないか?
もし誇張であったとしても何故こんな無茶苦茶な数字にまで誇張したのかが気になるところだ

37: 日本@名無史さん 2015/04/21(火) 15:27:49.35
伊勢侵攻で七万は誇張があると思うが…その半分くらいは動員してるかも
信長公記の記述だと、浅井家の援軍と、新たに傘下になった蒲生や山岡といった名前も見える。
時期的には、義昭の御座所を襲った三好三人衆を撃退した後、つまり義昭にベタ惚れされてて、対外的にも喧嘩をふっかけられる理由が見当たらない。
まぁ、最大動員出来ただろうね。

誇張する理由は義昭とそれを担いでる織田家の勢いを喧伝するためだろう。
自分がやったみたいに、新将軍候補を担ぎ上げようとする輩もいないとも限らないしな
ま、あくまで想像なんですけどね

39: 日本@名無史さん 2015/04/27(月) 13:49:46.57
まぁ兵力の誇張は常套手段だな

40: 日本@名無史さん 2015/04/27(月) 17:43:06.55
兵力の誇張は常套手段とのことですが、誇張されたと証明された事例はあるのでしょうか?
奥ゆかしい日本人的感覚(現代的)だと、むしろ過小評価されるように喧伝しそうですけど。

41: 日本@名無史さん 2015/04/27(月) 21:39:09.22
>>40
時代はまったく違うが、明治時代の秩父事件で数万人蜂起と新聞に書かれたが、実際は1万人以下だった。

44: 日本@名無史さん 2015/04/28(火) 22:48:22.70
尾張57万石と、美濃54万石を合わせ得たのだから当然
濃尾平野に行ってみればわかる
ここを全部取ればもう天下は半分制したようなもの
濃尾平野全部を信長に取られた時点で、武田信玄すら、もう信長に勝ち目はなくなったと思う

47: 日本@名無史さん 2015/04/29(水) 16:05:17.79
>>1
ちなみに、「上洛軍で4万、伊勢侵攻では7万」というのは、どこから引っ張ってきた数字なの?

48: 日本@名無史さん 2015/04/30(木) 19:12:18.36
>>47
7万はおそらく信長公記
上洛軍も信長公記の記載だったと思うけど今調べたらそっちは6万との記載だったみたい・・・orz

50: 日本@名無史さん 2015/05/02(土) 17:06:41.70
>>48
信長公記はその性質上、信長の功績を誇示する部分もあるからな…
信長死後の思い出補正が入ってたりね

信長公記に限らず、記録を残す者には事実をそのまま書き残そうというつもりは無いんじゃなかろうか?或いは事実として認識してたものが事実と違ってるとか。
マスコミの無い時代だからね…大本営発表が事実として伝えられたり、庶民レベルだと色んな噂やデマで溢れかえってそうだわ。
牛一だってその戦に何人動員されたかなんて知る必要のない立場だったし、自分の知り得ない部分は人からの伝聞でしょう。
または、「上様が上洛あそばされた折には、何人の兵が付き従った」…とか
「あの負け戦の時は寡兵の味方に対して、敵の数が多すぎた」…とか、
自分が属してたグループの美化だね。
数の誇張ってのは、そういう心理の下で自然に起こるんじゃないかね…

52: 日本@名無史さん 2015/05/06(水) 01:59:01.68
>>50
確かに牛一の立場になって考えてみれば、そもそも信長公記そのものが側近の回顧録のような側面があって牛一自身は信長の事跡が風化してしまわないように書いたわけだから、戦国後期の軍勢の動員数や武将の動向を正確に伝えるためのものではないのは当たり前で、今日当たり前のように語られてる織田家の動きというのも老いた牛一の思い出補正や思い込みが入ってるんだよな・・・
太田牛一本人、ここまで戦国後期の研究が信長公記に依拠したものになるとは思ってなかっただろうし

51: 日本@名無史さん 2015/05/02(土) 18:14:30.91
記録としての誇張であれば、むしろ少数で多数を打ち破ったって方が名誉になると思うが。

65: 日本@名無史さん 2016/02/24(水) 17:11:00.04
>>51
実際そういった誇張もある。

53: 日本@名無史さん 2015/05/17(日) 20:28:36.13
将軍供奉によるところが大きいのでは?
上杉謙信の小田原攻めも10万集まっているし。
全ての軍勢が信長配下の兵ではないだろう。

55: 日本@名無史さん 2015/08/07(金) 12:00:52.59
美濃攻略した段階で信長は111万石だろ。
3万くらいは楽に動員できるんだから4万とかは実数に近い数字だろ。
誇張して倍とかなんだから7万もおかしな数字ではない。
信長の場合家康との同盟があるので押さえの戦力が少なくて済むのもアドバンテージ。

59: 日本@名無史さん 2015/08/11(火) 07:18:59.48
まだ、信長公記はまともな方。太平記なんか、千早赤坂を100万で囲んだとか。
新田義貞の兵の増え方は異常。

61: 日本@名無史さん 2015/08/26(水) 22:46:27.59
女も含んでの数だろうな
戦国時代の軍隊なんてどこもそんなものだったらしいが

http://watachiblog.blog.fc2.com/blog-entry-164.html
>1580年の武田と上杉の合戦が行われた茨城県江戸崎の古城西遺跡、さらに永禄年間(1558~1570年)に起こった武田信玄の箕輪城(みのわじょう)、安中城(あんなかじょう)攻略戦のものと見なされている群馬県安中市、八幅平の首塚等も調査した結果、見つかった骨のうち、いずれも約3割が女性のものだというから驚きだよね。」

64: 日本@名無史さん 2016/02/23(火) 01:36:27.87
戦国時代だから定住地を持たない流民が多かったんだろうな。
それを経済力で取り込んだと。
定住地持たないから、直ぐに逃げちゃう。
だから合戦ごとに各地に砦や城を築いたり、最新装備を整えたりで戦い易い環境を作る。

71: 日本@名無史さん 2016/04/24(日) 17:30:09.43
尾張と美濃で当時なら111万石くらい。
33300人くらいはふつうに動員できる。
当時の信長には東方に敵はいないから、フル動員できる。

実働30000として、誇張して倍掛けで60000とか70000とかは現実的な数字じゃね?

北伊勢を攻略したらさらに人数増えるしな。

73: 日本@名無史さん 2016/04/24(日) 22:25:31.24
牛一てのは織田家でかなり上の方の人なんですかね?
信長のそばにいつも居られるような人なら記述の信憑性も上がると思うのですが

78: 日本@名無史さん 2016/04/26(火) 03:16:51.42
>>73
信長の側近だよ。
親衛隊員兼側近官僚みたいな存在。

今なら総理官邸の上級職員。

90: 日本@名無史さん 2017/10/14(土) 11:46:06.82
大田牛一は信長の側近より丹羽長秀にの下にいる方が長いやろ

92: 日本@名無史さん 2018/02/10(土) 17:44:33.28
太田牛一の履歴(織田家仕官以後)

信長近侍衆 1554~1569
丹羽長秀与力1569~1582
丹羽長秀家臣1582~1585
丹羽長重家臣1585
豊臣秀吉家臣1587~1598
豊臣秀頼家臣1598~1613

84: 日本@名無史さん 2016/06/06(月) 06:30:19.82
まあ信長公記は甲陽軍鑑に比べれば誇張具合はマシだからなあ

85: 日本@名無史さん 2016/06/22(水) 06:20:46.17
>>84 
甲陽軍鑑でも太平記の千早攻城軍の100万には負けるだろう。。

引用元: ・美濃攻略以降の信長の動員兵力は異常


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現代語訳 信長公記 (新人物文庫) 文庫 – 2013/10/10 太田 牛一 (著), 中川 太古 (翻訳)