738: 日本@名無史さん 2021/01/24(日) 15:38:10.65
豊前小倉小笠原家は譜代では破格の15万石の大封ながら要職にはつけなかった
水野忠邦が唐津から浜松へ自ら画策して移封したのも老中への野心の為だと言うが、九州の譜代大名は九州から出ないと出世はダメなんだね

739: 日本@名無史さん 2021/01/24(日) 15:50:22.75
>>738
一応長崎の窓口と九州諸侯の監視と言う重要な役割があるからな。
譜代的に花形藩は東海道筋と関東近辺辺りだと思われ、大垣藩は何故か老中出さなかったけど。

745: 日本@名無史さん 2021/01/25(月) 00:57:02.56
>>738
10万石以上レベルだといわば独立軍団長だから家格が高すぎて老中では役不足
例外は酒井雅楽頭家だがこの家は元々執事の家と称される家筋だし
老中就任当初から首座、場合により大老になるから別格

740: 日本@名無史さん 2021/01/24(日) 17:39:39.08
小倉の場合、老中への足掛かりとして帝鑑席への昇進運動したけど上手くいかなかった
譜代とは言っても統治が長すぎて転封も厳しいだろうし

745: 日本@名無史さん 2021/01/25(月) 00:57:02.56
>>740
小倉の小笠原は当初から帝鑑間席だが
溜詰への異動を運動したのと勘違いしてないか?

741: 日本@名無史さん 2021/01/24(日) 17:49:20.99
小倉って財政はかなり安定してたんだな、隣の黒田なんて常に自転車操業状態なのに。

744: 日本@名無史さん 2021/01/24(日) 18:33:54.62
>>741
超不安定だったはず
藩主の老中への野心のために借金は増大
領民は逃散、離散するものも出て、家中は争い騒動も起き処刑されるものも出た
藩主は閉門蟄居になった
小笠原 忠固(おがさわら ただかた)は、江戸時代後期の大名。豊前国小倉藩の第6代藩主。小倉藩の衰退につながった白黒騒動を起こした藩主として知られる。

白黒騒動

文化8年(1811年)、忠固は江戸家老の小笠原出雲を呼び出し、「自身も幕府閣僚の一員となって幕政に参与したい」と言い出した。家臣である出雲は、この命に従う他になかったと思われる。だが、猟官に必要な支出は莫大なものであり、藩財政は破綻寸前となった。

藩主のこの動きに反対する藩内派閥は、藩主忠固を老中にしようと運動している出雲を奸臣と見なし、暗殺を謀った。出雲自身のほうは未遂で終わったが、出雲の腹心が暗殺された。ただし反対派のほうも必ずしも一枚岩ではなかった。
反対派の中には藩財政を思う一途な思いなのではなく、自分の出世と出雲の手腕を妬む者たちがおり、この一派は小倉藩が外国船に備えて造営していた狼煙台を勝手に使用して藩士を扇動するなどし、ただ執拗に出雲の暗殺を謀った。さらに反対派の一部はいわゆるストライキを起こして、隣国福岡藩領である筑前国黒崎に出奔してしまった。

この事件により、反対派は黒崎の「黒」、出雲の一派は小倉城内(城→「白」)として、この騒動は「白黒騒動」と呼ばれている。この一連の藩内騒動が幕府の耳にも入り、幕府の裁定が入ることとなった。出雲は家老罷免となり失脚、反対派に属していながら己の栄達を謀った一派は処刑、藩主の忠固も100日間の閉門(禁固刑)となった。


747: 日本@名無史さん 2021/01/25(月) 20:37:53.89
九州の譜代大名で十万石以上って小倉小笠原と中津奥平だけだな
幕末の中津奥平があまり目立たないのは島津からの養子だったからかなぁ?

748: 日本@名無史さん 2021/01/25(月) 20:40:52.57
幕末の奥平藩は福沢諭吉くらいしか思いつかないね。
小倉の小笠原が15万石もの大封を得たのは死をもってした大坂夏の陣の戦いと家康の外孫の家系だからか

749: 日本@名無史さん 2021/01/25(月) 21:40:43.24
>>748
あと、細川に負けないくらいの名門ってことで九州に封ぜらたんだろうね
当初は豊前小倉、中津、豊後杵築の城主は小笠原氏で占められた

750: 日本@名無史さん 2021/01/25(月) 21:47:23.07
小倉藩は家老の宮本伊織4000石とかいるし、家康の孫で譜代大名でも少し外様っぽい雰囲気

752: 日本@名無史さん 2021/01/25(月) 22:26:41.97
小倉の小笠原は15万石で大身すぎるし、過去に老中も出してないのに、なんでまた幕政に参加したいなんて考えたのやら

756: 日本@名無史さん 2021/01/27(水) 11:50:00.99
久世大和守とか太田備中守ってなんだかカッコ良くね?
とくに久世大和守

757: 日本@名無史さん 2021/01/27(水) 12:26:32.55
関宿の久世宗家の、大和守以外の名乗りを調べたところ、隠岐守、出雲守、長門守と、なぜか山陰地方が多い。

758: 日本@名無史さん 2021/01/27(水) 17:17:34.38
久世大和守って時代劇とか時代小説で清貧でまともな人物として扱われる事が多いからイメージ良いのはわかるわ
「樅の木は残った」でも原田甲斐、伊達安芸らの最後を看取ったり

759: 日本@名無史さん 2021/01/28(木) 19:29:50.32
そういえば譜代大名で陸奥守とか越後守とかってあまり聞かないね

761: 日本@名無史さん 2021/01/28(木) 20:13:22.49
堀田家は大老正俊が筑前守を名乗っていたが、殺害され、縁起が悪いと思ったのか、以後は使わなくなった

763: 日本@名無史さん 2021/01/28(木) 20:34:21.02
陸奥守は仙台の独占
越後守は津山の独占

使われないのが当たり前

764: 日本@名無史さん 2021/01/28(木) 20:47:16.93
三河守、越後守は作州松平家独占
薩摩守は島津家独占
武蔵守は徳川家を慮って誰も使わない
尾張守は演技が悪いから誰も使わない

766: 日本@名無史さん 2021/01/28(木) 21:22:29.40
若狭守もあまり聞かない気がする
と思ったら喜多見若狭守っていたな

770: 日本@名無史さん 2021/01/28(木) 21:47:30.31
尾張守 陶隆房
謀反人のイメージ
尾張徳川でさえ使用せず

水戸が常陸介を使えないのは一国領有でないのと紀伊徳川が独占

779: 日本@名無史さん 2021/01/30(土) 15:46:14.40
上総介や上野介は聞くが、下総守や下野守は聞かないのはなぜ?

780: 日本@名無史さん 2021/01/30(土) 17:03:23.71
>>779
間部下総守っていた気がする
旗本だけど稲生下総守も

781: 日本@名無史さん 2021/01/30(土) 18:11:40.38
下野守といえば篠山の青山家は代々名乗っている。
下総守は堀田正仲(正俊の子)がある。

782: 日本@名無史さん 2021/01/30(土) 21:05:13.81
若狭小浜酒井家の靭負佐もあまり他では聞かない

783: 日本@名無史さん 2021/01/30(土) 22:26:02.04
靭負って東百官じゃないの?
東百官(あずま ひゃっかん)は、関東地方において武士が称した官職風の人名。朝廷の官職を模倣してつくられたもので朝廷における官職には存在しない。

784: 日本@名無史さん 2021/01/30(土) 23:09:42.57
靫負は衛門府の別称
だから本来は口宣案などでは左衛門佐などと書かれるべきところだが恐らく例の武家のゴリ押しで靫負佐と書かされたと思われる

※ゴリ押しとは武家から左衛門尉をリクエストされて「大尉と少尉のどっち?」と問い合わせたら「左衛門尉は左衛門尉だ!」と言われたので仕方なく「左衛門尉」と書いたなどの例

本来は靫負だが同時代的にも靭負と誤って書かれることが多い
靭帯の靭だから矢を入れる道具の靫とは全く別の字

771: 日本@名無史さん 2021/01/28(木) 22:21:05.00
世田谷喜多見にあった譜代大名喜多見藩
一代で改易ってかわいそうだな
喜多見 重政(きたみ しげまさ)は、江戸時代の旗本。徳川綱吉の側用人。武蔵国喜多見藩主。綱吉の寵愛を受けて大名に取り立てられたが、すぐに改易された。

綱吉の寵愛で取り立てられたはずであったが、元禄2年(1689年)2月2日には「将軍の意向にしばしば背き、勤務も疎かにしている」という名目で突然改易に処され、伊勢国桑名藩主松平定重に預けられ[3]、元禄6年(1693年)7月28日、預かり先の桑名で餓死した。

772: 日本@名無史さん 2021/01/28(木) 22:29:28.66
気分次第で抜擢したり処分したりする綱吉は、危険な人物と云わざるを得ず、
酒井侯が危惧したごとく「天下を治めさせ給ふへき御器量なし」は、現実となり、
本庄伯耆守や牧野備後守、松平美濃守、松平右京大夫などを大身にするなどの情実人事が横行した

773: 日本@名無史さん 2021/01/28(木) 22:34:31.64
譜代は幕政と藩政両方こなさなきゃいけないから大変だわな。どっちかで下手打ったら改易か左遷が待ってるし。特別扱いなのは井伊久松酒井くらい。

775: 日本@名無史さん 2021/01/29(金) 02:57:53.14
柳沢、米倉、土屋とかの甲州系の譜代大名もあなどれん

776: 日本@名無史さん 2021/01/29(金) 20:34:47.53
美濃源氏の譜代大名土岐家もなかなかやる
老中も出てるし

778: 日本@名無史さん 2021/01/29(金) 21:16:25.98
間部詮房は改易のうえ腹を切らせろ、というのが老中らの吉宗への注文だったが、吉宗もさすがにそこまでは踏み切らなかった

786: 日本@名無史さん 2021/01/31(日) 09:17:17.54
そういえば譜代大名で久留里の黒田家ってあったな
目立たないけど

789: 日本@名無史さん 2021/01/31(日) 12:21:39.89
>>786
後北條旧臣で水戸附家老中山家の同族

787: 日本@名無史さん 2021/01/31(日) 09:22:39.56
千葉市花見川区や幕張を領有していた1万石の譜代大名 内田肥後守

788: 日本@名無史さん 2021/01/31(日) 11:10:23.93
千葉県だと飯野の保科家も目立たない

790: 日本@名無史さん 2021/01/31(日) 12:25:13.47
千葉県域の大名って佐倉・関宿以外はぱっとしないね
生実の森川なんて忘れてたし

791: 日本@名無史さん 2021/01/31(日) 13:04:44.38
久留里の黒田家は、エチオピア皇室との縁談の件があったから、目立っている方だと思う。

796: 日本@名無史さん 2021/01/31(日) 19:46:33.49
江戸城の支城的な川越、岩槻、忍、佐倉の城主は譜代大名の中でもエリートなんかな?

797: 日本@名無史さん 2021/01/31(日) 20:47:19.53
>>796
本当のエリートは東海道沿い(兵庫~東京)だろう
特に徳川発祥の地の愛知静岡辺り。
次に武田旧臣の中山道沿い、関東近辺て感じじゃないかな。その理論で行くと外様とは言え真田、藤堂、仙石は家康お気に入り。

799: 日本@名無史さん 2021/01/31(日) 22:20:39.42
>>797
仙石は結局は但馬じゃん?
藤堂なんて桑名、紀州と尾張に挟まれてなにもできないし真田はアウトオブ眼中だったのでは?

800: 日本@名無史さん 2021/01/31(日) 22:32:33.55
>>799
真田は外様とは言え武田旧臣の中では一応重要な役割をしてた訳だし、他の武田旧臣達を納得させるためにわざと動かさなかったのかなとは思ったんだけどね。

807: 日本@名無史さん 2021/02/01(月) 19:29:51.35
武田旧臣系の譜代大名だと柳沢、土屋、米倉、保科とか?

808: 日本@名無史さん 2021/02/01(月) 19:52:34.02
将軍の生母の実家や、将軍の側近ら(側用人、御用取次など)が大名に取り立てられる例がある。
伊勢長島の増山はお樂の方の関係者だが、松平姓は与えられなかったな

809: 日本@名無史さん 2021/02/02(火) 02:41:22.62
>>808
側用人、御用取次上がりは柳沢、喜多見、間部、有馬、加納、大岡(忠光)、田沼あたり?

810: 日本@名無史さん 2021/02/02(火) 09:26:05.60
柳沢→大和郡山に15万石の大封を得てその地に定着、幕政に参画する格ではなくなる。
喜多見→改易
間部→左遷されて小大名で代を重ねたが幕末に各要職に就き最終的に老中抜擢
有馬、加納、大岡→小大名で定着特にこれといった事象なし
田沼→失脚後再興したが若年寄までで老中には届かず

811: 日本@名無史さん 2021/02/02(火) 10:23:17.32
有馬、加納、大岡両家のその後は大番頭や大坂加番あたりだな。主膳正忠固みたいに、たまに若年寄が出ることもあるが

815: 日本@名無史さん 2021/02/03(水) 08:29:40.09
譜代大名で一番の名門って鎌倉以来の守護である小笠原家?

816: 日本@名無史さん 2021/02/03(水) 09:18:03.40
名門の基準が不明確だし
小笠原氏は鎌倉時代は守護じゃないし

817: 日本@名無史さん 2021/02/03(水) 09:30:11.06
>>816
阿波の守護じゃなかったか?

819: 日本@名無史さん 2021/02/03(水) 13:10:44.05
まあ室町の守護系統でも譜代大名では小笠原くらいしかないかな
同じ譜代大名の諏訪なんて古族ではあるが、小笠原に比べたら格下すぎるけど所詮は徳川な家来なのだからあまり意味ないな

820: 日本@名無史さん 2021/02/03(水) 13:23:35.08
徳川譜代なんて殆どが三河の土豪なんだし今川の重臣だった井伊家を重用するのも分かるな
政治交渉するならある程度の格式の家柄が必要だからね、武将としても有能だったのもあるけど

821: 日本@名無史さん 2021/02/03(水) 14:33:06.23
万石以下の旗本には名流名家あまたある

引用元: ・江戸時代の譜代大名について語ろう