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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/26(木) 02:39:56 ID:Y0FIDQS1
お前ら太平記読めよ。
戦国時代並に各地の勢力が動いてて面白いぞ。








3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/26(木) 02:54:35 ID:mzpkYtmc
南北朝時代がおもしろいのは同感

216: 人間七七四年 2008/03/22(土) 01:43:52 ID:MjDiX0gu
室町幕府は結局南北朝の政治的な動揺を収拾しきれないまま、戦国時代に至ってしまった。

217: 人間七七四年 2008/03/22(土) 03:13:38 ID:uo0e2tRJ
収拾しきれないまま、というか収拾しきれなかったから、だなあ。

218: 人間七七四年 2008/03/22(土) 04:25:12 ID:EC1RGMrT
てか室町幕府を統一政権と見ること自体おかしい気がする
せいぜい義満~義教が統一直前まで行きましたよ!って程度だし江戸幕府の安定っぷりを見た後じゃ室町時代はそれこそ上の方でも書かれてたけど中国で言えば後漢滅亡から唐の成立までの時代と同等にしか見えない
義満の日本国王だって宇宙大将軍並みにしか感じられないし

220: 人間七七四年 2008/03/22(土) 10:56:08 ID:cJiIl2kB
それは違うな。そもそも室町幕府の本質がわかってない。
あれは将軍が各地の守護や関東管領などの任命権を保持してる事に力の源泉がある。
そして各地の有力大名の嫡男や側室の子、親類などを争わせて内紛に追い込み潰し合いをさせる。
つまり紛争しまくり将軍が挑発しまくり追い詰めて潰す→潰した大名が潰された大名の再興を認められて危機感を抱き乱になる→潰す
その将軍の力量が試される高等戦術を駆使できたのが義満や関東府を潰した義教。
だから室町幕府は紛争や戦乱を将軍が故意に起こしているんで混乱してんのが当たり前なんだよ。
政治のパワーゲームを操る実力ある将軍による権力遊戯。
徳川幕府なんてアホ将軍でも長続きする官僚機構でつまんない時代。

229: 人間七七四年 2008/03/27(木) 02:01:50 ID:VEzIARrd
つーか南北朝は、華やかで明確な決着のつく、源平と戦国の間で存在感が消されているといえる。

249: 人間七七四年 2008/09/24(水) 12:21:19 ID:c/DcBRYh
南北朝時代とか観応の擾乱とかで支配層がガラっと入れ替わってる地域も多いね
なんだ、こんな一族もいたんだと思うこともしばしば

254: 人間七七四年 2008/09/28(日) 01:50:36 ID:h+KTAndT
伊達さんよりすごいことやったのに知名度ひくすぎな北畠さんカワイソス...
北畠 顕家(きたばたけ あきいえ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代の南朝公卿・武将。

足利尊氏との戦い建武の乱が起こると、西上し、第一次京都合戦で新田義貞や楠木正成らと協力してこれを京で破り、九州に追いやった。やがて任地に戻るも、尊氏が再挙して南北朝の内乱が開始するにおよび、再びこれを討とうとして西上し、鎌倉を陥落させ、上洛しようと進撃した。

青野原の戦いで幕将土岐頼遠を破るが、義貞との連携に失敗し直進を遮られたため、転進。伊勢経由で迂回して大和などを中心に北朝軍相手に果敢に挑むも遂に和泉国堺浦・石津に追い詰められ、石津の戦いで奮戦の末に幕府執事高師直の軍に討ち取られて戦死した。享年21(満20歳)。


257: 人間七七四年 2008/10/04(土) 01:48:14 ID:sl0iffAo
>>254
戦国時代に同じことやっていたら
超有名人になれただろう

256: 人間七七四年 2008/09/30(火) 15:42:43 ID:7cgxX5a6
どうも清水義範の「日本一の頑固親父」の印象が強すぎてなぁw>北畠親房

258: 人間七七四年 2008/10/14(火) 15:08:48 ID:lrPJ6FDD
>>256
いや、今話題に出てるのは顕家の方ではw

北畠パパと三兄弟の中で顕信の知名度の無さはぶっちぎりだと思うが。
彼はそんなに悪くない武将だったと思うんだがね
戦も調略もそこそこ成功しているし。
ただ奥州に戻るまでが遅すぎたな

271: 人間七七四年 2009/10/08(木) 10:01:42 ID:GQROxUyw
南北朝時代は、内乱の事実を追うのもおもしろいが、幕府VS朝廷の図式でみるともっとおもしろいです。

武家政権側(室町幕府)が、先ず北朝を傀儡にし、南朝の持つ朝廷権限を吸収・接取していく過程も学問的にはおもしろい。
結果は、3代将軍義満(日本国王を名乗る)による独裁政権完成。

273: 人間七七四年 2009/10/09(金) 02:12:19 ID:m++LWmD8
>>271
後期は足利家の内紛の面で見るとまた面白い。

276: 人間七七四年 2009/10/14(水) 21:33:43 ID:UL4sJzEC
戦国が、時代としては面白いが、戦国時代の本質を理解するためには、どこまで遡って勉強したらいいか?が問題だと思います。あまり遡ると非効率だし、時間もかかる。
やはり、直前の「応仁の乱」、その前の「南北朝の動乱」ぐらいまで、勉強すれば歴史を楽しめると思う。

284: 人間七七四年 2009/10/29(木) 00:48:01 ID:92u5Ga0d
1557年に新田景純によって滅ぼされた北条政時って何者だ。
名前からしたら北条一族だろうが時代が...


320 :日本@名無史さん:2009/09/28(月) 14:50:05
>>319
北条政時
北条政時の系譜については、鎌倉幕府滅亡以後の信頼できる北条氏系図が存在しないから不明。
政時は上野国碓氷郡の領主だったらしいけど碓氷郡に北条氏所領の存在を示す史料は皆無。
政時は北条氏の通字「時」を使ってるけど鎌倉の北条氏と関係有るか不明。

蛇足ながら、天文20年(1551年)に上野国厩橋城に侵攻した小田原北条氏とか、関東管領上杉氏の家臣で上野国厩橋城城主だった北条氏とかのほうが関係有りそうに思う。
もっとも、オレは戦国時代は無知だから良くわからんが

286: 人間七七四年 2009/10/29(木) 09:16:59 ID:SM00GViH
>>284
おいおい戦国期に入っても北条と新田は争ってんのかw
お前ら仲いいな。
290: 人間七七四年 2009/11/22(日) 21:53:46 ID:mKq29rLJ
新田が敵視するのは北条より足利のイメージがあるな。

292: 人間七七四年 2009/11/23(月) 14:41:46 ID:queEP3ux
>>290
義貞の息子と北条時行って一緒の軍にいたこともあるんじゃなかったっけ?
少なくとも、北条は南朝の連中よりも足利の方を憎んでただろうな

293: 人間七七四年 2009/11/23(月) 15:03:49 ID:EktsIjpb
関東ではよく一緒に戦っている>新田義宗と北条時行
北畠顕家が進撃してきた時も合流した
なんつーか北畠と新田と北条が一緒にある所に南朝の呉越同舟感があって面白い

つか南北朝といいつつこの時代は常に三国時代なんだよね。前半は旧北条、大塔宮、足利
地方にゃ恐ろしいほど得宗領があってこれを競うように制圧する大塔宮系と足利系
北条勢力が勢力と呼べなくなるほど瓦解して脱落、ついで大塔宮系が凋落
ここで強者に対して手を結ぶ北条残党と大塔宮系が南朝、分裂した北朝の尊氏系と直義系で後半三国志開始

憎しみっていうか完全に利害関係だろう。確かに準一族扱いにしてたのに裏切られて北条の足利への怨みはあるだろうが
散々南朝勢力を蹴散らしてきた上杉や桃井も幕府から弾かれると即座に南朝に頭を下げているw
越後の新田勢力を駆逐した上杉もその際には新田と馬並べて関東に進出している訳でw

297: 人間七七四年 2009/11/24(火) 00:36:24 ID:0M3NdICQ
後南朝って結局どうなったの?

298: 人間七七四年 2009/11/24(火) 00:45:05 ID:F5SsPP1R
自天王は聞いたことがあるけど…
後亀山で終わり、と区切ったほうがいいような気がする悲惨さだなあ


長禄の変(ちょうろくのへん)は、室町時代の長禄元年12月2日(1457年12月18日)に赤松氏の遺臣らが後南朝の行宮を襲い、南朝の皇胤である自天王と忠義王(後南朝の征夷大将軍)とされる兄弟を討って神璽を持ち去った事件。ただし、赤松氏の遺臣らは、この際、一度は神璽の奪取に成功するものの、吉野の郷民に奪い返されてしまい、翌年3月、改めて奪回作戦を決行している。

301: 人間七七四年 2009/11/24(火) 08:48:35 ID:0M3NdICQ
>>298
一応皇族でも殺害されちゃうものなんだな・・・

303: 人間七七四年 2009/11/25(水) 01:31:52 ID:yYWFwJAT
小説で読むとなると初心者にはどれがお薦めかな?
吉川英治の太平記くらいが妥当かな?

304: 人間七七四年 2009/11/25(水) 01:38:25 ID:/aYT4tG/
吉川太平記は読みやすいと思う
太平記じゃなくて南北朝時代について知りたいなら、前にも出てたけど佐藤進一の『南北朝の動乱』(中公文庫)がかなりお薦め

306: 人間七七四年 2009/11/25(水) 02:46:46 ID:Kc8dkWQe
素直に太平記の訳本を読んじゃだめなのか?

307: 人間七七四年 2009/11/25(水) 02:49:53 ID:BhYbyc8S
>>306
捏造が酷すぎる。
楠木正成が、新田義貞を足利方に売り渡して和議を結ぼうとしたことなど、完全にスルーされている。

311: 人間七七四年 2009/11/25(水) 09:32:32 ID:b9YnAGEo
>>307
捏造が酷すぎるってw
南北朝時代を知りたいなら太平記を避けて通るなんてありえないよ
具体的な事柄の真偽の研究なら、太平記読んだ後で構わない

308: 人間七七四年 2009/11/25(水) 02:55:40 ID:xlxJDe4X
捏造じゃなくて、「一面的」と捉えるべきだな。本来的に歴史書ではなく「物語」なんだし。

334: 人間七七四年 2010/01/04(月) 11:44:50 ID:VUDiCBM2
「南北朝時代」はおもしろいよ。
南北朝の動乱を経て、王朝(朝廷)権力が完全に形骸化し、本格的に武家政権(室町幕府)の時代になった。
ある意味、日本史上のターニングポイントの時代だと思う。

335: 人間七七四年 2010/01/18(月) 14:19:38 ID:R3TI9DB2
人気がないのは

皇家の問題に触れるので扱われにくい。
登場人物の思惑・利害関係が複雑で理解が難しい。
最終局面にカタルシスがない...からじゃね?

337: 人間七七四年 2010/01/30(土) 21:32:59 ID:OY/Pb+p+
>>335
なにせ親王をぶっ殺してるし後醍醐暗殺計画もあったからなぁ
あれが色々やばいんだろう
大河ドラマでも太平記以降南北朝ものは出てこない

338: 人間七七四年 2010/02/02(火) 22:35:33 ID:Eubt1x9y
南北朝時代は、日本歴史上の転換期だと思う。
具体的には、社会上層部は王朝権力としての朝廷が衰退し、下層部は、荘園公領制が解体過程にはいった。
 
南北朝合体後、3代将軍義満による王朝権力の接収による室町幕府の安定期がしばらく続くが、それも束の間、守護大名の派閥争いなどに基づく「応仁の乱」により、室町幕府ー守護体制が崩壊し、「戦国時代」への序章を形成した。

344: 人間七七四年 2010/02/06(土) 00:31:51 ID:86/Tc+7O
相続問題が社会問題になってるお陰で骨肉の争いが激しくて面白い時代だよな
本人に才覚があれば宗家追い抜いて分家が出世できたりする訳で

345: 人間七七四年 2010/02/06(土) 03:37:44 ID:NoMs5Lwj
そして相続者の認定をすることが、後醍醐帝や尊氏の求心力の源になった。

352: 人間七七四年 2010/09/06(月) 23:03:02 ID:Rk4qpAk/
太平無双でも、南北BASARAでもいいから早く出してくれ

353: 人間七七四年 2010/09/07(火) 19:01:36 ID:wCi6+BAV
バサラといえば室町初期

362: 人間七七四年 2010/09/10(金) 20:05:53 ID:xeuXm/j1
>>353
室町幕府が最初に制定した基本法「建武式目」

第一条「バサラ禁止」

365: 人間七七四年 2010/09/11(土) 16:03:09 ID:/DCLnwVZ
>>362
一 倹約を行はるべき事

近日婆左羅と号して、専ら過差を好み、綾羅錦繍・精好銀剣・風流服飾、目を驚かさざるはなし。
頗る物狂と謂ふべきか。富者はいよいよこれを誇り、貧者は及ばざるを恥づ。
俗の凋弊これより甚だしきはなし。もつとも厳制あるべきか。

384: 人間七七四年 2010/12/22(水) 23:13:32 ID:ucqPMxiy
>>362
ホントですか! 建武式目第1条 バサラ禁止
道誉に対する嫌がらせあるいはアテツケ!?

386: 人間七七四年 2010/12/23(木) 22:52:38 ID:wKf5x+3k
>>384
多分そうだろうね
けど道誉は守らなかったろうけどそれも見越した上かと勝手に思ってる

385: 人間七七四年 2010/12/23(木) 10:41:32 ID:bJN0iC8G
建武式目は直義派と師直派のバランスで成立しているから当然。
直義の幕府鎌倉論を退けて、師直派の幕府京都論を採択したんだから
式目において師直系の婆娑羅連中に対して、直義派の規則が入る。

387: 人間七七四年 2010/12/26(日) 01:41:58 ID:3VVNz4sA
楠木正成が何故、身を挺してまで後醍醐天皇に付いたのかが分からない。
大塔宮の人柄や夢にほれ込んだからか?それにしては、大塔宮救出に動いてないしなぁ~。

390: 人間七七四年 2010/12/26(日) 16:41:43 ID:hYS6pSVp
>>387
河内に楠木をそのまま置いておくようなお人好しじゃないだろ、足利幕府
後醍醐帝はクーデター以前から、その手の連中と付き合いがあって(お陰で禁裏の風紀乱れまり)運送による利潤を認めていたし、楠木一族が楠木一族であるためには後醍醐帝しかない

389: 人間七七四年 2010/12/26(日) 11:21:02 ID:x2RsHy/R
大塔宮は遠くに行きすぎて手が出せなかった&まさか殺されるとは思ってなかった

という所じゃないだろうか

398: 人間七七四年 2011/02/11(金) 12:11:31 ID:8uDCDu9C
南北朝ってのは、本当にただの天皇家のお家騒動が元なんだろうか。
もっと根の深い問題なんじゃないのかなあ。
根底に何かがあって、その結果南北朝が生まれたんじゃない?

399: 人間七七四年 2011/02/11(金) 13:48:19 ID:OQwA0TNU
南北朝は別に天皇家のお家騒動じゃないだろ
そもそも持明院統の嫡流も傍流も、大覚寺党の嫡流もみんな幕府側
大覚寺党の傍流であり、どう転んだって自分の血統に天皇家を継がせられない立場の後醍醐が世の中引っかき回したのが始まりなんだし

室町幕府の問題とはつまり建武以前から続く問題なのよ

政治機関を京都に置くか、鎌倉に置くか
財産分与をどうするのか
荘園と地頭の二重構造をどう解消するのか
貨幣経済の活発化による新興層を社会にどう加えていくのか
仏教勢力と武士勢力の諍いをどう調停するのか
幕府の運営は将軍の内衆が行うのか、御家人が参加するのか

鎌倉末期に於ける社会構造の矛盾が歪みを起こしていた
鎌倉幕府自体はそこまで脆くはないんだよ
だって執権北条氏の最盛期は幕府が滅びるちょっと前なんだから
でもこの社会構造の歪みが例えば蝦夷大乱なんかに現れて、それによって揺れ動く社会を一流の狂騒家である後醍醐が引っかき回した結果が建武新政だ
天皇家の相続問題なんてのは、当時の社会問題の一つにしか過ぎない

402: 人間七七四年 2011/04/20(水) 06:50:00.87 ID:xIoF4ZFI
南北朝時代って古墳時代に次いでよくわからない時代なんだよな~
そもそもなんで日本中が南朝と北朝にわかれて戦ったん?
関ヶ原の戦いの東軍・西軍みたいにまとまった地域じゃなくて本当モザイク模様みたいに
見事にバラバラになってるけどなんで?

404: 人間七七四年 2011/04/28(木) 20:51:33.93 ID:C2irdmBE
わかれて戦ったというよりももともと対立関係にあった領主達の片方が戦いを有利にするために南朝側(or北朝側)について戦いを挑んできたので、よしそんならこっちも別の方を上にいただいて…という流れが近いんじゃないかね

地方領主間の紛争だけでなく一族内の権力闘争での大義名分作りにも南朝北朝はいろいろ引っぱり出されてたと。
足利氏でさえ観応の擾乱では尊氏・直義兄弟が南北に別れて戦ったかと思えば今度は尊氏が南朝側について直義に戦いを挑んだりしたし

406: 人間七七四年 2011/04/29(金) 22:39:22.34 ID:kciOZKlj
相続争いに突っ込んだからな
近衛や西園寺、洞院なんて酷い
武家では小山や阿蘇かな

409: 人間七七四年 2011/05/14(土) 09:35:14.24 ID:k65aMT1p
面白そうだけど混沌としてて敷居高いと言うか胡散臭いんだよな
十万騎とか六十万とか明らかに吹き過ぎだろ・・

410: 人間七七四年 2011/05/14(土) 11:58:01.74 ID:OsQhYJK/
数に違和感ある場合は1/10か1/20で考えればよいかと。晋書を読む感覚で。

引用元: ・戦国時代より南北朝時代の方が面白い



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