1: 人間七七四年 2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN ID:8W0MIfRR
織田 信長(おだ のぶなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。
尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。
室町幕府を滅ぼし、畿内を中心に強力な中央政権(織田政権)を確立。戦国時代の終結に最大の影響を与えた人物の一人である。








560: 人間七七四年 2016/11/08(火) 12:54:59.89 ID:LNvpd0Dj
織田信長の軍師って誰ですか?

562: 人間七七四年 2016/11/09(水) 16:30:05.06 ID:bEZvspQk
僧の沢彦じゃないの?

566: 人間七七四年 2016/11/15(火) 03:36:45.93 ID:uD9+zCys
信長に限らず戦国時代に俗にいわれる軍師はいないよ
相談役的なのも含める広義での軍師というなら>>562さんも言う沢彦か武井か猪子あたりかも?

567: 人間七七四年 2016/11/15(火) 08:13:26.29 ID:ekxXpm6m
夕庵は秘書でしょ

570: 人間七七四年 2016/11/26(土) 00:18:26.82 ID:Wd5pUhFi
>>567
武井は様々な奉行も行っているから秘書とはちと違うだろう

616: 人間七七四年 2017/08/30(水) 21:08:27.88 ID:NnjCMAie
「若いころはワザとアホな振りして周りを油断させてた」

これ本当かなあ?
後の時代の創作というか解釈では?
天才の型破りの行動は普通の人からしたら可笑しなことにしか見えないというし

617: 人間七七四年 2017/09/01(金) 06:36:20.84 ID:c+/p9L3E
>>616
信長が謀略を好むタイプなら有り得るけど史実の信長からすればわざと説は無理だろうね。
馬鹿を装うのは簡単でも、利口の演技は難しいも事実だけど。
鷹狩りの逸話もそうじゃん、乞食みたいなかっこでやるって噂だけど、後世の人から見ると
迷彩服だしね。
そもそも、当時の武士は死に装束だから飾り建てるのが常識の世界で迷彩服つくれば
馬鹿扱いもされるよね。

643: 人間七七四年 2017/10/05(木) 11:59:35.12 ID:43ZCI4sJ
みなさんは信長の一番おもしろかった小説は何ですか?

647: 人間七七四年 2017/10/06(金) 20:04:00.27 ID:aOywDypW
>>643
小説の信長って史実の信長と別人すぎるから、大体途中で挫折する
ただそんな中、たった一つ最後まで読み切ったのが山岡荘八の「織田信長」
司馬ほどギトギトな創作とかなくて好印象

648: 人間七七四年 2017/10/06(金) 23:56:48.18 ID:vb7pT9AM
史実の信長と別人すぎるって、誰も本当の信長なんて知らないよ

>>643
一番じゃないけど「暁の魔王」

650: 人間七七四年 2017/10/07(土) 12:28:52.12 ID:cnMGW2wh
小説の信長ってつまんない奴だからな
史料上の信長の方が数段面白い

651: 人間七七四年 2017/10/07(土) 13:25:09.94 ID:q9MclFWn
「破天荒な風雲児」の信長像があまりにも確立されすぎてて新鮮味ないっていう部分はある
信長公記の意外と丁寧に政治作業こなしていく信長のほうがかえって新鮮で面白いってのは確かにある

654: 人間七七四年 2017/10/07(土) 20:32:43.72 ID:Gh1q8Aqc
>>650-651
激しく同意
同じ時間使うなら、史料読む方がずっと有意義な時間になる

例えば「お湯殿上日記」に出てくる信長も非常にラブリー
戦から帰ってすぐさま神社の修築工事とか、女官?から訴え受けて台所の修理とか

655: 人間七七四年 2017/10/07(土) 20:50:59.37 ID:OMJRabOD
信長の研究成果が創作に反映されるようになったのって最近になってようやくだからな
でもまだまだ冷酷で残酷な革命家という古臭い信長が多いね

657: 人間七七四年 2017/10/07(土) 22:12:30.98 ID:Gh1q8Aqc
つまりは各人何を求めてるかだろうね
文学を楽しみたい人は歴史小説もいいでしょう
一方歴史を知りたい人、事実と創作の見分けが難しいと感じてる人はあんま読まない方がいいでしょう、勘違いが増えるだけ

662: 人間七七四年 2017/10/08(日) 00:55:38.39 ID:GWxpu763
世間のイメージほどハチャメチャな人ではないが、それなりに先進的で優秀な指導者だったのは間違いないってところでは?

663: 人間七七四年 2017/10/08(日) 04:32:56.18 ID:LZlBzUhF
上洛してフロイスとかと接触を持つあたりまでは先進的ってイメージはないかなあ

665: 人間七七四年 2017/10/08(日) 07:21:32.79 ID:4OxEvH4J
信長って保守的な思想の持ち主で、伝統や慣例といったものを重視していたとされてるよな
先進だの革新云々なんてイメージは全くないわ

666: 人間七七四年 2017/10/08(日) 08:45:01.00 ID:dufW0lNe
伝統も慣例も権威付けに便利だから利用してたのであって大切にしてたとはちょっと違うような
新しい物だろうが古い物だろうが役に立つなら使っただけなんじゃないの

667: 人間七七四年 2017/10/08(日) 09:54:32.80 ID:Soz6DMCs
朝廷に献金し続けたり、世間の評判を気にして義昭を逃がしたり
格上には媚を売り、格下には尊大な態度をとる
外交も軍事もとにかく用意周到で慎重だよね

674: 人間七七四年 2017/10/08(日) 15:53:40.70 ID:apAticTE
これまでの「革命家」のイメージと、急に出てきた「保守派」のイメージの丁度間という気はする

「大名と家臣といっても、あくまで合議的な集まりであって強烈な縦関係は無かった」って言われる中で信長の家臣の扱いはものすごい専制君主的だし、フロイスの「本質的に神を信じていなかった」ていう言及も、他の大名と比べてやっぱり珍しい
秀吉ですら大仏建てようとしたしね

677: 人間七七四年 2017/10/08(日) 17:07:21.86 ID:Mu17Vb1v
どんな人だったか、時系列で見りゃ分かりやすいよ

戦国期・・礼儀正しい、気配りの人、勤皇家
江戸期・・狂人、仏敵、残虐者
明治期・・勤皇家、革命家
敗戦後・・革命家、破壊者
現在・・・今も革命家と言ってる人と戦国期に戻った人と2パターンが存在

681: 人間七七四年 2017/10/08(日) 19:36:13.53 ID:D/wcrQlF
>>677
同時代の人の評価が一番あてになるんだろうけど
こんな地味~な大人しそうな評価の人が天下を取ろうとしてたってのが違和感ぬぐえないんだよな
天下取るんだったらもっと「おらぁ~!」みたいな勢いある性格してるイメージ

715: 人間七七四年 2017/10/20(金) 21:49:21.79 ID:9F87sJSx
>>677
要するに基準となる感覚が時代によって変わってるのが原因だな。
戦国時代人から見れば至って普通の保守的な常識人なんだが、平和で権威主義が根付いてる江戸時代人から見れば充分凶暴で反権威的に見えると。
普通の戦国人は後世の人間から見ればみんな凶暴な異常者だからな

716: 人間七七四年 2017/10/20(金) 23:01:56.17 ID:s0JRYWGw
>>715
江戸時代の評価、それもあるんだろうけど、幕府によるネガキャンもあった気がするんだよなぁ
全国的な飢饉と信長狂人本の出版が、時期的にリンクしてるっぽいとこ見ると、「織田に政権交代とか止めて」っていう幕府の叫び

727: 人間七七四年 2017/10/25(水) 21:48:49.36 ID:yp/mdw1w
>>716
幕府よりも、秀吉自らプロデュースした天正記で悪人みたいに書かれていたのが原因じゃないかと

680: 人間七七四年 2017/10/08(日) 17:37:07.24 ID:dufW0lNe
社会のイデオロギーの流れに振り回されてるってのはありそう
革新が強かった頃には革新派の象徴にされて、保守が強くなってる最近は実は保守派だったってことにされてる

信長も大変だ

683: 人間七七四年 2017/10/08(日) 20:51:47.77 ID:Soz6DMCs
そもそも信長は天下をとろうとしてたわけじゃないからな

684: 人間七七四年 2017/10/08(日) 21:39:43.75 ID:JoAAL3aj
>>683
天下取ろうとしてなかったら尾張美濃で満足してると思う
これで人生終わったとしても歴史好きなら十分知ってるぐらいの名将扱いだろうし

692: 人間七七四年 2017/10/09(月) 07:52:46.89 ID:PsJ76nOf
>>681>>684
信長が上洛したのは朝廷に呼ばれたからでしょ
「皇后様より尾張へ行くようお言葉があり」なんて史料あるよ
そこに義昭からの話も加わり・・・

693: 人間七七四年 2017/10/09(月) 09:10:33.55 ID:gc13o4ui
状況を考えれば、最初から天下をとろうなんて思うわけないし、天下布武の意味も違うと言われ出しているのに、いまだに天下統一の野望を持っていたとか思ってる人がいるのかよ
結果的にそれに近いことになったから後世の人が勝手に思い込んでいるだけ

695: 人間七七四年 2017/10/09(月) 12:03:25.83 ID:ktIwFUgu
信長を地方の一大名だと思っている人がいるが、尾張の大名なんだよ。
尾張は信長の父親が津島・熱田を抑えた事ですさまじい税収があり、非常に豊か。
信長や秀吉が戦略でどーのじゃない。
湯水のように金を使える大名は尾張の織田信長だけだった。
それは自分が天下を取ってやろうと思えるぐらいの金だった。
ただそれだけの事。
これは信長が秀吉や家康だったとしても、おそらく同じ。
尾張というのはそういう土地。

698: 人間七七四年 2017/10/10(火) 18:10:18.96 ID:qxf0Ajdd
織田信長がなんらかの病気でしばらく病臥したことはあるんでしょうか?

701: 人間七七四年 2017/10/11(水) 19:19:58.19 ID:AjIW7+w0
>>698
公家とかの日記で「信長に会いに行ったけど、病気だそうで会えなかった」って話がポツポツ出てくるから、一時的というかなんか持病があったっぽい

702: 人間七七四年 2017/10/11(水) 21:31:49.06 ID:HdMRY17K
織田信雄や織田有楽斎長益は70代半ばまで生きていたから、長寿の家系なのだろうか?

703: 人間七七四年 2017/10/12(木) 01:10:23.70 ID:dQ/94ziA
そいつらはあまりストレスを感じず生きてそうだから長生きしたんじゃないかと思う

710: 人間七七四年 2017/10/20(金) 00:54:06.35 ID:S/EoV/Zu
信長は部下を信用しすぎてたから謀反された

711: 人間七七四年 2017/10/20(金) 09:20:02.96 ID:+1J7yPA4
>>710
「松永久秀も荒木村重も謀反したのだから、明智光秀も謀反しないとも限らない」
と普通は考えそうなもんだが。

712: 人間七七四年 2017/10/20(金) 10:11:21.25 ID:eoqPqRzH
松永も荒木も外様やで光秀とは立場が違う

714: 人間七七四年 2017/10/20(金) 20:10:09.10 ID:h7gXxJW1
>>712
光秀も立場的には外様では
それとも嫁の親戚だから外様じゃないという認識だったんだろうか

713: 人間七七四年 2017/10/20(金) 19:40:25.43 ID:s0JRYWGw
信「光秀には相当疑心持ち始めてるけど、謀反してもすぐ詰むように手はずは調えてある、それが分からない光秀じゃないよな?」
この説好き

717: 人間七七四年 2017/10/21(土) 15:28:28.87 ID:JP5ketes
信長は一度人を信用すると馬鹿みたいに信用しすぎるところがある。
斎藤道三と同盟してる時に村木砦を攻めるから那古野城が空くのが心配だっていうんで道三家臣の安藤守就を那古野城に入れてる。
これたまたま安藤守就が裏切らなかったからいいけど裏切ってたら那古野城まるまる乗っ取られてた。
金ヶ崎の戦いでも同盟者の浅井長政が裏切ったという報告に最初は「嘘だ」って言って信じなかった。

720: 人間七七四年 2017/10/21(土) 22:43:19.59 ID:01O3UcFi
>>717
若い頃、謀反の噂が出てた林の城にのこのこ弟と2人で出かけて行ったこともあったよな
あれも林を信じてたんかね

718: 人間七七四年 2017/10/21(土) 21:05:25.10 ID:KoxM+tJP
信忠もすっげー真っ直ぐな最後迎えてる辺り心底は真面目な一族なんだろうな
戦国の武将っていう価値観があるから今で言う善人とは違うが

719: 人間七七四年 2017/10/21(土) 22:27:27.94 ID:01O3UcFi
織田家で驚いたのは、変の後ご迷惑おかけしましたってことで、本能寺にお詫びの手紙とお金だっけ?を渡してるとこ、当主が二代に渡って死んじゃって大変なのに

725: 人間七七四年 2017/10/23(月) 19:56:07.99 ID:g1rOeJUq
>>721
その律儀さはどっからきたものだったんかね
元神官家ってのが理由なんだろか

引用元: ・【天下布武】織田信長総合スレ【吉法師】 P35