
2: 世界@名無史さん 2020/02/16(日) 08:36:52.67 0
春秋時代における、中原情勢推移の一例
B.C.722年5月 鄭で共叔段が反乱。
B.C.722年 共叔段の子、公孫滑が衛に亡命したため、鄭が衛を攻撃。
B.C.721年 鄭が再び衛を攻撃。
B.C.720年8月 宋の穆公が薨去し、公子馮が鄭に亡命。
B.C.719年夏 衛・宋・陳・蔡の四ヵ国が鄭の東門を包囲。
B.C.719年秋 四ヵ国が再び鄭を攻撃。
B.C.718年4月 鄭が衛に報復攻撃。
B.C.718年4月 衛が南燕軍を率いて鄭を攻撃するが敗北。
B.C.718年9月 邾が鄭と連合し宋を攻撃。
B.C.718年 宋が報復し鄭の長葛を包囲。
B.C.717年秋 宋が長葛を占領
B.C.716年7月 宋と鄭が宿で講和
B.C.715年春 斉が宋と衛を垂の犬丘で非公式に会談させた。
B.C.715年7月 宋・衛両国が鄭と和平を結ぶ。
↑こんな調子で、延々と何百年もつづく。
フクザツすぎて、頭に入るわけがない。
近代ヨーロッパのほうが、まだマシだ。
B.C.722年5月 鄭で共叔段が反乱。
B.C.722年 共叔段の子、公孫滑が衛に亡命したため、鄭が衛を攻撃。
B.C.721年 鄭が再び衛を攻撃。
B.C.720年8月 宋の穆公が薨去し、公子馮が鄭に亡命。
B.C.719年夏 衛・宋・陳・蔡の四ヵ国が鄭の東門を包囲。
B.C.719年秋 四ヵ国が再び鄭を攻撃。
B.C.718年4月 鄭が衛に報復攻撃。
B.C.718年4月 衛が南燕軍を率いて鄭を攻撃するが敗北。
B.C.718年9月 邾が鄭と連合し宋を攻撃。
B.C.718年 宋が報復し鄭の長葛を包囲。
B.C.717年秋 宋が長葛を占領
B.C.716年7月 宋と鄭が宿で講和
B.C.715年春 斉が宋と衛を垂の犬丘で非公式に会談させた。
B.C.715年7月 宋・衛両国が鄭と和平を結ぶ。
↑こんな調子で、延々と何百年もつづく。
フクザツすぎて、頭に入るわけがない。
近代ヨーロッパのほうが、まだマシだ。
3: 世界@名無史さん 2020/02/16(日) 08:45:42.23 0
>>2
こんなところで政治家や外交官をやってたら、さぞかし鍛えられて百戦錬磨になることだろう
こんなところで政治家や外交官をやってたら、さぞかし鍛えられて百戦錬磨になることだろう
120: 世界@名無史さん 2020/02/21(金) 22:33:03.86 0
斉を滅ぼした時点で、韓信には「斉王になる」という選択肢もあった
そうすれは、劉邦の漢、項羽の楚、韓信の斉で三国志になったかもしれない
そうすれは、劉邦の漢、項羽の楚、韓信の斉で三国志になったかもしれない
124: 世界@名無史さん 2020/02/21(金) 23:41:48.19 0
斉の弱点はなんといっても地形
華北平原(面積はちょうど関東平野の10倍くらい)のど真ん中
埼玉県が関東から独立するようなもんだ
防御が難しいすぎる
華北平原(面積はちょうど関東平野の10倍くらい)のど真ん中
埼玉県が関東から独立するようなもんだ
防御が難しいすぎる
125: 世界@名無史さん 2020/02/22(土) 01:07:17.71 0
どうして海なし県で例えるの?
126: 世界@名無史さん 2020/02/22(土) 06:37:59.55 0
>>125
ここで言ってるのは、山東半島を除く、山東省の大陸部の話
泰山はあるけど、それ以外はまったくの平原国家
ここで言ってるのは、山東半島を除く、山東省の大陸部の話
泰山はあるけど、それ以外はまったくの平原国家
128: 世界@名無史さん 2020/02/22(土) 11:29:19.30 0
山東省から山東半島を除くの?
で、埼玉?
全く意味がわからない
で、埼玉?
全く意味がわからない
130: 世界@名無史さん 2020/02/22(土) 11:53:46.88 0
>>128
山東省から半島部を除いた、残りの大陸部のこと

扇型をした華北平原の中央に位置する
https://i2.kknews.cc/SIG=1gg196l/ctp-vzntr/1535543707502ro406o0o97.jpg
山東省から半島部を除いた、残りの大陸部のこと

扇型をした華北平原の中央に位置する
133: 世界@名無史さん 2020/02/22(土) 15:11:49.02 0
秦の滅亡後に復活した斉も、防御は弱かった
城が多くて見た目は立派なのだが、斉に攻め込んだ漢の韓信にとっては張り子のトラだった
城が多くて見た目は立派なのだが、斉に攻め込んだ漢の韓信にとっては張り子のトラだった
139: 世界@名無史さん 2020/02/24(月) 01:09:13.04 0
>>133
始皇帝は統一後の事業で各地の城壁を破壊して交通網の整備を行ったりしてるので、堅固で知られた斉の城も防御コンプレックスとしてかなり骨抜き状態になっていたと推測できる
始皇帝は統一後の事業で各地の城壁を破壊して交通網の整備を行ったりしてるので、堅固で知られた斉の城も防御コンプレックスとしてかなり骨抜き状態になっていたと推測できる
134: 世界@名無史さん 2020/02/22(土) 20:49:29.78 0
>>133
臨シの城壁は戦国期屈指の規模な厚さ高さ
韓信は相手が外交で防備解いた所を騙し討ち
臨シの城壁は戦国期屈指の規模な厚さ高さ
韓信は相手が外交で防備解いた所を騙し討ち
137: 世界@名無史さん 2020/02/23(日) 23:36:38.77 0
都市国家って古代日本では存在してなかったから、都市国家が並立してる状態が今一つどんな状態かわかりにくいな
160: 世界@名無史さん 2020/02/26(水) 20:42:07.94 0
東周 魯 蔡 曹 成 霍 衛 丹といった周の文王の子供達の国や、呉みたいな文王の兄の国
商の末裔である宋や夏の末裔である燕や舜の末裔である陳や黄帝の末裔である楚ではなく、なんでそれらを差し置いて武王の息子の国である晋(それも分家)が強国化したんですか?
同じ武王の息子の子孫である韓や魏は長い間その晋の配下だったのに
商の末裔である宋や夏の末裔である燕や舜の末裔である陳や黄帝の末裔である楚ではなく、なんでそれらを差し置いて武王の息子の国である晋(それも分家)が強国化したんですか?
同じ武王の息子の子孫である韓や魏は長い間その晋の配下だったのに
161: 世界@名無史さん 2020/02/26(水) 20:56:25.79 0
>>160
晋は姫姓と言われているが、一説には異民族であり、桓叔とかの逸話も本来は同族争いではなかったと
だから、重耳が姫姓の国で嫌われ、斉では中華でない異民族が頼ってきたから喜んだと
そして、晋は献公の時に十数ヶ国を滅ぼしたし、当時中原最強のカクも滅ぼした
有力な国は少ないのに中原のかなりの国を滅ぼしたから強大化した
更には世継ぎ以外の公子を国外に出すという状況から、貴族の合議制みたいな状態、オスマン帝国に近い、共和国みたいになった
韓や魏は配下だったのではなく滅ぼされて、お気に入りに領地として与えた
衛や宋は特別扱いされていた
衛は実体がなくなってもずっと存続していたし、宋もケッチュウ扱いしてようやく滅ぼしている
晋は姫姓と言われているが、一説には異民族であり、桓叔とかの逸話も本来は同族争いではなかったと
だから、重耳が姫姓の国で嫌われ、斉では中華でない異民族が頼ってきたから喜んだと
そして、晋は献公の時に十数ヶ国を滅ぼしたし、当時中原最強のカクも滅ぼした
有力な国は少ないのに中原のかなりの国を滅ぼしたから強大化した
更には世継ぎ以外の公子を国外に出すという状況から、貴族の合議制みたいな状態、オスマン帝国に近い、共和国みたいになった
韓や魏は配下だったのではなく滅ぼされて、お気に入りに領地として与えた
衛や宋は特別扱いされていた
衛は実体がなくなってもずっと存続していたし、宋もケッチュウ扱いしてようやく滅ぼしている
181: 世界@名無史さん 2020/03/01(日) 00:44:21.35 0
>>161
晋が姫姓で無かったとしたら春秋五覇は全員姫姓以外って事になるのか
闔呂と布差を数にいれるなら別とはいえ
晋が姫姓で無かったとしたら春秋五覇は全員姫姓以外って事になるのか
闔呂と布差を数にいれるなら別とはいえ
182: 世界@名無史さん 2020/03/01(日) 01:06:55.77 0
晋は姫姓な
183: 世界@名無史さん 2020/03/01(日) 07:46:35.44 0
絳は姫姓でも曲沃は分家じゃなくパチモンて話でしょ
184: 世界@名無史さん 2020/03/01(日) 14:30:51.30 0
分家が異姓なら乗っ取りは成功して無いよ
未だ家門血統が大きな意味を持ってた時代
未だ家門血統が大きな意味を持ってた時代
185: 世界@名無史さん 2020/03/01(日) 22:21:33.52 0
同姓だけどなりすましだって話でしょ
162: 世界@名無史さん 2020/02/26(水) 21:01:17.20 0
>>160
晋は歴史を信じたとしても。分家の桓叔の末裔の曲沃が本家を滅ぼした
更には献公が初代桓叔、二代目荘伯の子孫、叔父等の同族を一部以外皆殺しにした
献公は同族の国を数多く滅ぼした
自分の息子も自殺に追いやったり、殺そうとした
恵公も兄の重耳を殺そうとした
文公以来、世継ぎ以外の公子は全部国外に出すようにした
後には卿の嫡子を公族とする制度をとった
こんな国だから強大化したが、家臣に乗っ取られた
ただし、周王から三晋が諸侯に封じられてからも魏侯は晋の官職である正卿の地位にあり続けた
事実上分裂した時どころか同等の侯爵になってもまだ君主扱いしていた
晋は歴史を信じたとしても。分家の桓叔の末裔の曲沃が本家を滅ぼした
更には献公が初代桓叔、二代目荘伯の子孫、叔父等の同族を一部以外皆殺しにした
献公は同族の国を数多く滅ぼした
自分の息子も自殺に追いやったり、殺そうとした
恵公も兄の重耳を殺そうとした
文公以来、世継ぎ以外の公子は全部国外に出すようにした
後には卿の嫡子を公族とする制度をとった
こんな国だから強大化したが、家臣に乗っ取られた
ただし、周王から三晋が諸侯に封じられてからも魏侯は晋の官職である正卿の地位にあり続けた
事実上分裂した時どころか同等の侯爵になってもまだ君主扱いしていた
179: 世界@名無史さん 2020/02/29(土) 01:54:52.83 0
>>162
献公と驪妃のエピソードも我が子可愛さでお家騒動起こした身勝手な妾と色狂いの暗愚な君主と振り回された可哀想な息子達なんて単純な構図では無さそうですね
献公と驪妃のエピソードも我が子可愛さでお家騒動起こした身勝手な妾と色狂いの暗愚な君主と振り回された可哀想な息子達なんて単純な構図では無さそうですね
献公(けんこう、? - 紀元前651年)は、中国春秋時代の晋の君主(在位:紀元前676年 - 紀元前651年)。姓は姫、諱は詭諸。西虢・虞・魏等の国を攻め滅ぼし、「十七の国を併呑し、三十八の国を服属させた」とある。
晩年は愛妾の驪姫(異民族の驪戎の娘)の讒言を信じ、太子申生を殺し、公子重耳(後の文公)・公子夷吾(後の恵公)などを遠ざけたために、晋は大きく混乱した。これを『驪姫の乱』と呼び、これ以後、晋は太子以外の公子を国外に出す伝統を守り、このため公族の力が非常に弱くなっていった。
晩年は愛妾の驪姫(異民族の驪戎の娘)の讒言を信じ、太子申生を殺し、公子重耳(後の文公)・公子夷吾(後の恵公)などを遠ざけたために、晋は大きく混乱した。これを『驪姫の乱』と呼び、これ以後、晋は太子以外の公子を国外に出す伝統を守り、このため公族の力が非常に弱くなっていった。
166: 世界@名無史さん 2020/02/26(水) 21:37:33.63 0
>>162
なんか統一後の秦にも通じる生臭さですね
なんか統一後の秦にも通じる生臭さですね
189: 世界@名無史さん 2020/03/04(水) 23:55:52.04 0
楚の荘王は確定、呉王闔閭、越王勾践の2人で5人
189: 田単 2020/03/04(水)
ところで、春秋五覇って、確定しているのは斉桓晋文の二人だけでしたっけ?
190: 世界@名無史さん 2020/03/05(木) 02:35:26.53 0
宋の襄公を入れる数え方もあったよね
191: 田単 2020/03/05(木) 07:53:36.48 0
秦の穆公をカウントに入れているケースってありませんでしたっけ?
晋文擁立の立役者ですし
晋文擁立の立役者ですし
192: 世界@名無史さん 2020/03/05(木) 12:12:38.68 0
候補は幾つかあっても必ず入ってるのは斉桓・晋文の二人だけ
孟子の注では残りを秦の穆公、宋の襄公、楚の荘王
荀子では楚の荘王、呉王闔閭、越王勾践
漢書の注では斉桓・晋文に、秦の穆公、宋の襄公、呉王は闔閭ではなく夫差に
清の全祖望は斉の桓公以外は晋の文公・襄公・景公・悼公
他にもあるみたいだけど、斉桓・晋文以外で多いのは秦の穆公、楚の荘王なのかな
鄭の荘公がはいるのもあるみたいね
孟子の注では残りを秦の穆公、宋の襄公、楚の荘王
荀子では楚の荘王、呉王闔閭、越王勾践
漢書の注では斉桓・晋文に、秦の穆公、宋の襄公、呉王は闔閭ではなく夫差に
清の全祖望は斉の桓公以外は晋の文公・襄公・景公・悼公
他にもあるみたいだけど、斉桓・晋文以外で多いのは秦の穆公、楚の荘王なのかな
鄭の荘公がはいるのもあるみたいね
193: 世界@名無史さん 2020/03/05(木) 12:38:09.20 0
>>192
「オレの選ぶ名君ベスト5」くらいの意味しかないんだろうな
だからみんな好きなのを選ぶ。
「オレの選ぶ名君ベスト5」くらいの意味しかないんだろうな
だからみんな好きなのを選ぶ。
197: 世界@名無史さん 2020/03/05(木) 15:14:28.65 0
>>192
漢書という皇帝が楚出身なのに唯一荘王を選んでないのか
漢書という皇帝が楚出身なのに唯一荘王を選んでないのか
202: 世界@名無史さん 2020/03/05(木) 21:28:16.78 0
>>197
むしろ漢の歴史観では楚を低く評価するのではないか
項羽と争った劉邦が開いた王朝なのだから
むしろ漢の歴史観では楚を低く評価するのではないか
項羽と争った劉邦が開いた王朝なのだから
194: 田単 2020/03/05(木) 12:59:19.41 0
宋の襄公は話のネタとしては非常に面白いキャラクターですが、覇者というとちょっと違う気がしますね
泓水の戦い(おうすいのたたかい)は、中国春秋時代の紀元前638年に宋の襄公と楚の成王が泓水(現在の河南省商丘市柘城県)にて激突した戦い。楚の大勝に終わり、宋は楚の影響下に置かれることになった。
楚軍は首都郢を発し、襄公はこれを受けて決戦の地に宋国内の泓水のほとりを選んだ。
やがて楚軍が現れ、川を渡り始めると宋の宰相の目夷(子魚)は「まともに戦えば勝ち目はありません。楚軍が川を渡りきって陣を完成する前に攻撃しましょう」と進言した。しかし襄公は「君子は人が困っているときにさらに困らせるようなことはしないものだ」と言ってこれを退けた。目夷は「ああ、わが君はいまだに戦いを知らない」と嘆いたという。
果たして、川を渡りきった楚軍は陣を完成させ、宋軍を散々に打ち破った。襄公自身も太股に矢傷を負った。このことから、敵に対する無用の情け、分不相応な情けのことを宋襄の仁(そうじょうのじん)と呼ぶようになった。
楚軍は首都郢を発し、襄公はこれを受けて決戦の地に宋国内の泓水のほとりを選んだ。
やがて楚軍が現れ、川を渡り始めると宋の宰相の目夷(子魚)は「まともに戦えば勝ち目はありません。楚軍が川を渡りきって陣を完成する前に攻撃しましょう」と進言した。しかし襄公は「君子は人が困っているときにさらに困らせるようなことはしないものだ」と言ってこれを退けた。目夷は「ああ、わが君はいまだに戦いを知らない」と嘆いたという。
果たして、川を渡りきった楚軍は陣を完成させ、宋軍を散々に打ち破った。襄公自身も太股に矢傷を負った。このことから、敵に対する無用の情け、分不相応な情けのことを宋襄の仁(そうじょうのじん)と呼ぶようになった。
196: 世界@名無史さん 2020/03/05(木) 13:40:07.21 0
時代は遡るけど、伝説上の三皇五帝ですら誰を数えるかはそれぞれって言うね…
日本でも○○四天王で四天王に挙げられる人が同時代から五人以上いるとかもあるし
X大○○って全部いい加減なんだなって
日本でも○○四天王で四天王に挙げられる人が同時代から五人以上いるとかもあるし
X大○○って全部いい加減なんだなって
199: 世界@名無史さん 2020/03/05(木) 18:40:30.40 0
>>196
それも自分が好きな神や地元の神を入れた結果かも
それも自分が好きな神や地元の神を入れた結果かも
200: 世界@名無史さん 2020/03/05(木) 18:45:49.16 0
まあ、「四国」も「九州」も、古代中国では「全世界」とか「天下」を意味した言葉
五覇七雄も、そういうもんでしょう
五覇七雄も、そういうもんでしょう
244: 田単 2020/03/10(火) 08:08:17.60 0
過去の歴史で「もしも」を言っても仕方がないのですが、もし趙の武霊王が権力を維持したまま活動できていたら、秦にはかなり脅威になったのではないでしょうか?
案外趙が統一に近付いたりして
案外趙が統一に近付いたりして
武霊王は、中国戦国時代の趙の第6代君主(在位:紀元前325年 - 紀元前298年)。王としては初代。姓は嬴。氏は趙。諱は雍(『史記索隠』に拠る)。粛侯の子。胡服騎射を取り入れて趙を軍事大国とした。
武霊王28年(紀元前298年)、それまで太子に立てていた公子章を廃し、公子何(後の恵文王)を太子に立てた後に位を譲ったが、自らは「主父」と名乗り、実質的な権力を握り続けた。
恵文王3年(紀元前296年)、それまで何度か攻撃して、半ば征服していた中山を完全に滅ぼし、版図に入れた。
恵文王4年(紀元前295年)、公子章に憐れみの心を起こして趙の北の代の君として置こうと考えたが、これが公子章に恵文王に対しての反乱を決意させる。公子章は反乱を起こすが、失敗し主父の元へと逃げ込み、主父はこれを匿った。恵文王側の李兌と公子成は主父の館を包囲し、公子章はその中で死亡した。
ここで反乱は終わったが、主父に対して兵を向けた格好となった李兌たちは後で主父に誅殺されることを恐れて、館を遠巻きに包囲を続けた。館内では食料も尽き、主父自ら屋根の雀の巣から卵を探す姿が見られるほどとなったが、包囲は継続され、3カ月の包囲の末に主父は餓死した。
武霊王28年(紀元前298年)、それまで太子に立てていた公子章を廃し、公子何(後の恵文王)を太子に立てた後に位を譲ったが、自らは「主父」と名乗り、実質的な権力を握り続けた。
恵文王3年(紀元前296年)、それまで何度か攻撃して、半ば征服していた中山を完全に滅ぼし、版図に入れた。
恵文王4年(紀元前295年)、公子章に憐れみの心を起こして趙の北の代の君として置こうと考えたが、これが公子章に恵文王に対しての反乱を決意させる。公子章は反乱を起こすが、失敗し主父の元へと逃げ込み、主父はこれを匿った。恵文王側の李兌と公子成は主父の館を包囲し、公子章はその中で死亡した。
ここで反乱は終わったが、主父に対して兵を向けた格好となった李兌たちは後で主父に誅殺されることを恐れて、館を遠巻きに包囲を続けた。館内では食料も尽き、主父自ら屋根の雀の巣から卵を探す姿が見られるほどとなったが、包囲は継続され、3カ月の包囲の末に主父は餓死した。
246: 世界@名無史さん 2020/03/10(火) 13:52:15.81 0
>>244
武霊王は即位時に幼年だったとあるんで10歳以下だったとして、死亡時はアラフォーだから横死してなけりゃ活動時期が10年くらい延びるけども、その時期恵文王の趙は四苦八苦ながらも秦を結構抑えてるからあんまり関係ないと思われ
秦の繁栄を不動のものとした昭襄王・范雎のタッグとの活動時期が数十年違うのであんまり関係ないんでないかな
武霊王は即位時に幼年だったとあるんで10歳以下だったとして、死亡時はアラフォーだから横死してなけりゃ活動時期が10年くらい延びるけども、その時期恵文王の趙は四苦八苦ながらも秦を結構抑えてるからあんまり関係ないと思われ
秦の繁栄を不動のものとした昭襄王・范雎のタッグとの活動時期が数十年違うのであんまり関係ないんでないかな
251: 世界@名無史さん 2020/03/11(水) 19:59:27.91 0
>>246
存命なら趙は秦に勝てたとかいうつもりはないけど、秦趙関係の史料から推測するに、武霊王代終盤の趙と秦の勢力圏は黄河付近で交錯してたのに、恵文王代に入ると大きく後退しているから、それなりに関係あるんじゃないかな?
武霊王横死後20年で、趙の盾とも言える魏韓は半壊、王都陥落の楚は東に走る、斉燕は潰し合って動けず
このころ趙が史実と違う動きして秦の東進が抑制されれば、昭王・范雎体制に山東まで押し込まれることはなかったかもしれない
存命なら趙は秦に勝てたとかいうつもりはないけど、秦趙関係の史料から推測するに、武霊王代終盤の趙と秦の勢力圏は黄河付近で交錯してたのに、恵文王代に入ると大きく後退しているから、それなりに関係あるんじゃないかな?
武霊王横死後20年で、趙の盾とも言える魏韓は半壊、王都陥落の楚は東に走る、斉燕は潰し合って動けず
このころ趙が史実と違う動きして秦の東進が抑制されれば、昭王・范雎体制に山東まで押し込まれることはなかったかもしれない
247: 世界@名無史さん 2020/03/10(火) 17:18:33.04 0
胡服騎射の一発屋だからなぁ
軍制改革は確かに立派だけど、内政面でなんも残してない
軍制改革は確かに立派だけど、内政面でなんも残してない
248: 田単 2020/03/10(火) 17:19:03.20 0
武霊王が始めたという胡服騎射って、そのあと他国も取り入れたんでしたっけ?
馬車でちんたら走るのと、騎馬集団では、機動力が全然違いますよね
馬車でちんたら走るのと、騎馬集団では、機動力が全然違いますよね
252: 世界@名無史さん 2020/03/11(水) 21:48:28.44 0
楚漢戦争のころには各国ともに騎兵部隊が主力になってるよな
項羽を自害に追い詰めたのも連合軍の騎兵部隊だし
項羽を自害に追い詰めたのも連合軍の騎兵部隊だし
255: 田単 2020/03/12(木) 07:56:09.69 0
>>252
ということは、爆発的にってことは無いかもしれないけど、わりと速やかに胡服騎射が広がって行ったと考えられますね
ということは、爆発的にってことは無いかもしれないけど、わりと速やかに胡服騎射が広がって行ったと考えられますね
257: 世界@名無史さん 2020/03/12(木) 17:54:25.94 0
胡服騎射からというよりは騎馬を得意とする民族から騎兵を供給してもらう形で運用が広まった気がする
オルドスの周縁と燕あたりで
>>255
長平において秦軍が騎兵5000を運用した記述があるのでそこそこ広まってる模様
後世の楚漢戦争(まだまだ戦車隊現役)でも1万の騎馬軍団相手の合戦とかは出てこないし相当な数
オルドスの周縁と燕あたりで
>>255
長平において秦軍が騎兵5000を運用した記述があるのでそこそこ広まってる模様
後世の楚漢戦争(まだまだ戦車隊現役)でも1万の騎馬軍団相手の合戦とかは出てこないし相当な数
259: 田単 2020/03/16(月) 13:50:40.57 0
武霊王の死亡がBC295で、長平がBC260ですから、案外早く浸透したんですね
262: 田単 2020/03/17(火) 10:08:23.77 0
秦は武霊王の騎馬部隊相手に敗戦してましたよね
直接対決して威力を認識すれば、取り入れる気にもなるでしょうね
目にしたことがなければ、取り入れようはないでしょうが、そういった戦いの情報って、どのぐらいで伝わったんでしょうね
垓下のあと敗走した項羽を追撃したのは、確か漢の灌嬰の騎馬隊でしたよね
長平から60年近く経過していますから、かなり広がってたんでしょうかね
直接対決して威力を認識すれば、取り入れる気にもなるでしょうね
目にしたことがなければ、取り入れようはないでしょうが、そういった戦いの情報って、どのぐらいで伝わったんでしょうね
垓下のあと敗走した項羽を追撃したのは、確か漢の灌嬰の騎馬隊でしたよね
長平から60年近く経過していますから、かなり広がってたんでしょうかね
263: 世界@名無史さん 2020/03/18(水) 17:47:49.98 0
>>262
基本的には同意やけど、騎馬隊に敗戦みたいな具体的な事例は史料にないかと
武霊王後半の秦vs趙は情報不足すぎて勝敗もはっきりしない
基本的には同意やけど、騎馬隊に敗戦みたいな具体的な事例は史料にないかと
武霊王後半の秦vs趙は情報不足すぎて勝敗もはっきりしない
264: 世界@名無史さん 2020/03/18(水) 19:46:31.25 0
意識的に改革として胡服騎射を始めたと言うのはないな
まず漢人と異民族の交流がしばらく継続
略奪に始まって通商と通婚
その間世代が入れ替わる間もなく言葉が通じるようになる
漢語を話すけど生活習慣は異民族そのものの集団や、その逆に言葉以外は漢人そのものの集団が生まれ、モザイク状に分布する
後者はやがて看過して燕や中山国みたいになっていくが、前者は最初異民族扱いでやがて兵団として採用されていく
この兵団に徴兵された漢人が加わる
漢人が胡服騎射を始めたと言えるのはこの時
まず漢人と異民族の交流がしばらく継続
略奪に始まって通商と通婚
その間世代が入れ替わる間もなく言葉が通じるようになる
漢語を話すけど生活習慣は異民族そのものの集団や、その逆に言葉以外は漢人そのものの集団が生まれ、モザイク状に分布する
後者はやがて看過して燕や中山国みたいになっていくが、前者は最初異民族扱いでやがて兵団として採用されていく
この兵団に徴兵された漢人が加わる
漢人が胡服騎射を始めたと言えるのはこの時
267: 世界@名無史さん 2020/03/18(水) 20:33:42.31 0
秦なんて内史以外のほとんどは宣太后の時代に義渠を滅ぼして併呑した土地だぞ
騎兵をと入れるも何ももともと遊牧民が多い土地なんだよ
騎兵をと入れるも何ももともと遊牧民が多い土地なんだよ
269: 世界@名無史さん 2020/03/18(水) 21:55:33.54 0
せやな、義渠人は優れた騎兵だったそうで漢代になっても活躍している
前にも書いたが初期の騎兵運用は秦・晋・燕あたり別々に始まったんやと思う、武霊王以前に
前にも書いたが初期の騎兵運用は秦・晋・燕あたり別々に始まったんやと思う、武霊王以前に
270: 世界@名無史さん 2020/03/18(水) 22:14:22.43 0
趙に併呑された楼煩や代戎、中山国の遺民が騎兵の大元になったのだろうな
330: 田単 2020/04/01(水) 07:56:33.90 0
先日NHKを見てたら「キングダム」番宣の声優さんの番組をしてたんですけど、このアニメではもうみんな騎兵なんですねw
332: 世界@名無史さん 2020/04/01(水) 19:05:15.82 0
>>330
どっかでキングダムの作者が
「騎兵が一般になるのはもうちょい後ですけど、あえてこの作品では騎兵を多くしてます」みたいなこと言ってたのをみたことあるよ
他にもにたようなケースはあって、たとえば「チェーザレ」ではチェーザレの妹(兼恋人)の髪型を、チェーザレの舞台の時代よりももうちょい後に生まれた髪型にしてある
どっかでキングダムの作者が
「騎兵が一般になるのはもうちょい後ですけど、あえてこの作品では騎兵を多くしてます」みたいなこと言ってたのをみたことあるよ
他にもにたようなケースはあって、たとえば「チェーザレ」ではチェーザレの妹(兼恋人)の髪型を、チェーザレの舞台の時代よりももうちょい後に生まれた髪型にしてある
334: 世界@名無史さん 2020/04/01(水) 22:56:34.15 0
まあ実際将軍みんな神輿に乗ってたらちょっと絵面が悪いよな
336: 田単 2020/04/02(木) 07:56:50.64 0
キングダムでは李牧が趙の宰相になってるんですねw
廉頗四天王なんてのもいるようで
廉頗四天王なんてのもいるようで
340: 世界@名無史さん 2020/04/03(金) 01:06:12.51 0
>>336
キングダムは明らかに誤認だろうな、っていうとこもあるが、宰相李牧については始皇本紀に「相李牧」ってあるので根拠がないわけじゃないよ
相って書いてあるから実際に宰相(戦国なら相国or丞相か)確定かと言えばそうでもないけど
キングダムは明らかに誤認だろうな、っていうとこもあるが、宰相李牧については始皇本紀に「相李牧」ってあるので根拠がないわけじゃないよ
相って書いてあるから実際に宰相(戦国なら相国or丞相か)確定かと言えばそうでもないけど
345: 世界@名無史さん 2020/04/04(土) 03:48:36.37 0
藺相如って「刎頚の契り」のエピソードでは武官のトップの廉頗将軍に対して文官のトップにいるような印象だけど、実際は藺相如も将軍の1人みたいだな
346: 世界@名無史さん 2020/04/04(土) 07:54:45.38 0
戦国期だと未だ明確に文官武官に分化して無いよ
347: 世界@名無史さん 2020/04/04(土) 10:40:32.42 0
文武の乖離って後漢、魏晋南北朝辺りに顕著だけど、極端化するのってさらにもっと後だよね
360: 世界@名無史さん 2020/04/05(日) 11:37:29.00 0
>>347
特化した文官ってのは、やっぱり科挙官僚で、儒教社会の産物だからな
特化した文官ってのは、やっぱり科挙官僚で、儒教社会の産物だからな
348: 世界@名無史さん 2020/04/04(土) 13:12:27.97 0
史記の記述では役割分担が見られるけどね
350: 世界@名無史さん 2020/04/04(土) 18:28:14.49 0
役割分担は戦国以前から存在するだろうし、ってか古今東西どこにでもありそう
そういや韓非子は武が文を兼ねる戦国~漢代?の現実にキレてるな
あいつら殺すのは得意かもしれんが行政はでたらめや!って
そういや韓非子は武が文を兼ねる戦国~漢代?の現実にキレてるな
あいつら殺すのは得意かもしれんが行政はでたらめや!って
354: 世界@名無史さん 2020/04/05(日) 08:20:41.16 0
「分化していない」のに「役割分担がある」って意味わからん
官職があるのに分化していないっていうのも意味わからん
官職があるのに分化していないっていうのも意味わからん
356: 世界@名無史さん 2020/04/05(日) 10:49:11.77 0
>>354
勢、法で文武に分けられてるのが分化
術だけで文武を分けた運用してるなら役割分担
官職は漢代だと上へ行く程どっちも混ざって来る感じの様な
勢、法で文武に分けられてるのが分化
術だけで文武を分けた運用してるなら役割分担
官職は漢代だと上へ行く程どっちも混ざって来る感じの様な
355: 世界@名無史さん 2020/04/05(日) 09:17:14.10 0
統治エリートのライフコースとして文官も武官も経験するのが当たり前、みたいな状況なら、官職があって役割分担はあるけど分化はしていない、と言えるかもすぞ
367: 世界@名無史さん 2020/04/07(火) 15:49:29.36 0
それにしても、秦の始皇帝が、三国志に次ぐ中国歴史ネタとして日本で定着した功績は大きい
この勢いで、項羽と劉邦もやるべきだろう
この勢いで、項羽と劉邦もやるべきだろう
引用元: ・春秋戦国時代 3







