
1: 世界@名無史さん 2008/04/18(金) 21:42:53 0
マイナー中のマイナーかもしれませんが、スリランカの歴史について語ってみましょう。
2: ウーゴ ◆eaYqa3SeLE 2008/04/18(金) 21:57:56 O
ポルトガル人航海者がスリランカゲット
11: 世界@名無史さん 2008/04/19(土) 11:20:40 0
>>2
ポルトガル人がつくった要塞がいまでも残っているよな。
ポルトガル人がつくった要塞がいまでも残っているよな。
3: 世界@名無史さん 2008/04/18(金) 22:16:35 0
スリランカにも日本の武士道と似たようなものがあるってマジ?
5: 世界@名無史さん 2008/04/18(金) 22:54:55 0
武士が責任を取って自決するということは、中世の南インドでもスリランカでも行われたことであるが、それが南インドではヒンドゥー教的観念に基礎付けられ、スリランカでは仏教的観念に基礎付けられていた。
「切腹」ということも決して日本独特のことではない。
南インドのハイダラバードの城門の博物館には、武士が責任を取って文字通り腹を切っている図を彫刻した彰徳碑が多数残っている。
「切腹」ということも決して日本独特のことではない。
南インドのハイダラバードの城門の博物館には、武士が責任を取って文字通り腹を切っている図を彫刻した彰徳碑が多数残っている。
7: 世界@名無史さん 2008/04/19(土) 10:33:20 0
スリランカでは伝説と史実が融合しており、分離して考えることが難しいといわれているが、『古事記』や『日本書紀』みたいだな。
9: 世界@名無史さん 2008/04/19(土) 11:01:30 0
一般にはあまり知られていないが、スリランカにはムーア人(イスラム教徒)も住んでいる。
27: 梵阿弥 2008/04/27(日) 19:58:31 0
>>9
更に知られていないのがバーガー人でネデルラント系
先住民はヴェッダ人
更に知られていないのがバーガー人でネデルラント系
先住民はヴェッダ人
バーガー人は、スリランカの民族。ユーラシアンとも呼ばれる混血のグループで、16世紀から20世紀の植民地時代にスリランカに移住した男性入植者と現地人女性との子孫を指す。ポルトガル系、オランダ系、ドイツ系、イギリス系が多いが、僅かながらスウェーデン系やノルウェー系、フランス系にアイルランド系の人々も存在する。
ヴェッダ人 は、スリランカの山間部で生活している狩猟採集民。自称はワンニヤレットで「森の民」の意味である。人口は1946年当時2347人で、バッティカロア、バドゥッラ、アヌラーダプラ、ラトゥナプラに居住していたという記録が残る。1963年の統計で400人と記録されて以後、正式な人口は不明で、シンハラ人との同化が進んだと見られる。
17: 世界@名無史さん 2008/04/20(日) 09:25:00 0
「シンハラ人対タミル人」「仏教徒対ヒンドゥー教徒」という図式は、イギリス統治時代以降に根拠無く形成されたものだが、過去の歴史解釈に反映されてしまった。
シンハラ人は、スリランカの民族。シンハリ人とも呼ばれる。先住民のドラヴィダ人とインド・アーリア人が混合した民族である。スリランカの総人口のうち約7割を占める民族集団で、大半は仏教徒(上座部仏教)であるが、一部にはキリスト教徒もいる。シンハラとはシンハラ語で「ライオン(獅子)の子孫」の意味である。
年代記の『ディーパワンサ』(島史、4-5世紀)、『マハーワンサ』(大史、6世紀初頭)に記されている建国神話によれば、初代の王のウィジャヤ は北インドからランカー島(スリー・ランカー)にやってきて王位についたが、両親は人間とライオンの間に生まれたとされるシーハバーフとシーハシーウァリーであったので、シーハ(シンハ)の子孫と呼ばれることになったという。
年代記の『ディーパワンサ』(島史、4-5世紀)、『マハーワンサ』(大史、6世紀初頭)に記されている建国神話によれば、初代の王のウィジャヤ は北インドからランカー島(スリー・ランカー)にやってきて王位についたが、両親は人間とライオンの間に生まれたとされるシーハバーフとシーハシーウァリーであったので、シーハ(シンハ)の子孫と呼ばれることになったという。
タミル人は、主に南インドのタミル・ナードゥ州やスリランカの北部・東部に住み、タミル語を話すドラヴィダ系民族。インドには約6000万人、スリランカには300万人が居住する。
宗教は、ヒンドゥー教、ジャイナ教、イスラーム教、キリスト教などで、言語はタミル語であり、これはドラヴィダ語族に属するとされる。ドラヴィダ語族とは、19世紀後半の言語学の発展の流れの中で、1856年に言語学者のロバート・コールドウェルが提唱した学説で、主に南インドの4つの州で使われている言語である。
宗教は、ヒンドゥー教、ジャイナ教、イスラーム教、キリスト教などで、言語はタミル語であり、これはドラヴィダ語族に属するとされる。ドラヴィダ語族とは、19世紀後半の言語学の発展の流れの中で、1856年に言語学者のロバート・コールドウェルが提唱した学説で、主に南インドの4つの州で使われている言語である。
46: 世界@名無史さん 2009/03/13(金) 19:56:29 0
>>17
タミル人は、スリランカ=セイロン島の対岸のインド南部に「タミル・ナル」州を持っている。マドラス(チェンナイ)に代表される人口100万以上の大都市を3つほど抱える。
地勢的にタミル=人口が多くて大国の一部な朝鮮
シンハラ=人口が少ない島国日本
て感じ。
タミル人は、スリランカ=セイロン島の対岸のインド南部に「タミル・ナル」州を持っている。マドラス(チェンナイ)に代表される人口100万以上の大都市を3つほど抱える。
地勢的にタミル=人口が多くて大国の一部な朝鮮
シンハラ=人口が少ない島国日本
て感じ。
14: 世界@名無史さん 2008/04/19(土) 16:02:03 0
スリランカでは3世紀に仏陀の歯(仏歯)がもたらされてからは、それを守るのが王や支配者の重要な役目となったそうで。
日本の三種の神器みたいなものかな?
日本の三種の神器みたいなものかな?
16: 世界@名無史さん 2008/04/19(土) 22:12:56 0
>>14
そうらしい
ブッダの歯を持っているのが支配者の印で、イギリスもそれを手に入れることで、反乱を収めることができたそうだ
そうらしい
ブッダの歯を持っているのが支配者の印で、イギリスもそれを手に入れることで、反乱を収めることができたそうだ
ダラダー・マーリガーワ寺院または佛歯寺は、仏教聖地であるスリランカ中部州キャンディ に位置する寺。釈迦(仏陀)の犬歯(仏歯)が納められている。
年代記の『チューラワンサ』(小史。第37章)の記載によれば、スリランカにはスリー・メーガワンナ王(301-328)の治世第9年にカリンガ国(東インドのオリッサ)からブラーマンの女性が右の犬歯を持ってきたとされ、アヌラーダプラのダンマチャッカ(法輪堂)におさめられて祀られ、王権の権威を保証する証となったという。
年代記の『チューラワンサ』(小史。第37章)の記載によれば、スリランカにはスリー・メーガワンナ王(301-328)の治世第9年にカリンガ国(東インドのオリッサ)からブラーマンの女性が右の犬歯を持ってきたとされ、アヌラーダプラのダンマチャッカ(法輪堂)におさめられて祀られ、王権の権威を保証する証となったという。
19: 世界@名無史さん 2008/04/20(日) 14:39:07 0
仏教に権力の正統性を依拠するスリランカの王権は、Asokaの理想とは異なるものに変容し、国家安定のために戦闘をいとわない英雄である戦士が大前提でありながらも、sAsanaを守護するという点において菩薩としての理想が継承された。
舎利は仏陀そのものであり、仏教を精神的支柱として統治した王にとっては、舎利の保有、管理が支配の正統性の根拠であった。王は仏教の最大の支援者として、塔や寺院の建立、祭祀、出家者に対する資具の支援といった、sAsanaの持続の場を設けるだけではなく、次第にsAsanaの持続のための秩序を存続させるための条件を案出し、これを監視する者という認識がなされていく。
サンガ内の論争のために分裂したサンガに対する王権の行使は、サンガの浄化、規律の設定、サンガ統一、さらにはサンガ組織の再構築の指揮にまで及び、ダンバデニヤ時代以降は、araJJAvAsinとgAmavAsin, Ayatana, pariveNa,gaNaといったカテゴリーに分類されるサンガ内の組織が存在していた。王は聖典の普及と比丘の著作活動を支援し、自らも仏教文献を著作するに至る。
島内へのダミラ人の往来が時代を経て増加し、遂にダンバデニヤ時代以降シーハラ政権は全島統一を放棄するが、ダミラ人の流入とあいまって、菩薩への崇拝が神への崇拝へと変容し、舎利と神とを同時に供養する神仏習合が成立する。
菩薩になぞらえられた王は、神の資質を有する存在に変容するにも至った。
舎利は仏陀そのものであり、仏教を精神的支柱として統治した王にとっては、舎利の保有、管理が支配の正統性の根拠であった。王は仏教の最大の支援者として、塔や寺院の建立、祭祀、出家者に対する資具の支援といった、sAsanaの持続の場を設けるだけではなく、次第にsAsanaの持続のための秩序を存続させるための条件を案出し、これを監視する者という認識がなされていく。
サンガ内の論争のために分裂したサンガに対する王権の行使は、サンガの浄化、規律の設定、サンガ統一、さらにはサンガ組織の再構築の指揮にまで及び、ダンバデニヤ時代以降は、araJJAvAsinとgAmavAsin, Ayatana, pariveNa,gaNaといったカテゴリーに分類されるサンガ内の組織が存在していた。王は聖典の普及と比丘の著作活動を支援し、自らも仏教文献を著作するに至る。
島内へのダミラ人の往来が時代を経て増加し、遂にダンバデニヤ時代以降シーハラ政権は全島統一を放棄するが、ダミラ人の流入とあいまって、菩薩への崇拝が神への崇拝へと変容し、舎利と神とを同時に供養する神仏習合が成立する。
菩薩になぞらえられた王は、神の資質を有する存在に変容するにも至った。
22: 世界@名無史さん 2008/04/22(火) 10:49:45 0
インドって、北部と南部でかなり気風が違っているよな。
23: 世界@名無史さん 2008/04/22(火) 18:34:02 0
ドラビダ人とアーリア系で微妙に人種も違うし。
民族的にはそれこそバラバラだろ。
民族的にはそれこそバラバラだろ。
24: 世界@名無史さん 2008/04/23(水) 00:10:50 0
「スリランカは早くから南インドを中心とする貿易圏には含まれていたが、1-2世紀の頃は東西貿易のメイン・ルートからはずれていた。西方商人はマラバール海岸でスリランカの産物を購入できたので、直接現地へ赴くことはしなかったためである。……4世紀以降……インドにおける遠隔地貿易のセンターは、西北部の諸港からスリランカを中心とする南部へ移動した」。
そして、それを「最も如実に書きとどめているのが、一般にコスマス・インディコプレウステスと呼ばれるギリシア人によって著された『キリスト教世界地誌』」であり、「6世紀の初めに、エチオピア船[アクスム王国の船か]に便乗して現地(タプロパネーと呼ばれている)を訪れたアレクサンドリア商人からの伝聞によっている。それによると、当時スリランカには東西の両方向から各地の産物を満載した商船が多数来航し、スリランカの商人はそれを反対方向に転売して中継の利を得るだけでなく、地元の産物を輸出するためにも各地の港に船を送っていた」という。
こうした西方向け交易センターの移動は、3世紀以降における、一方では有力な王国であったクシャーナ朝やサータヴァーハナ朝の衰退、他方では後述の東南アジア交易の拡張に基づく、ベンガル湾交易圏の伸縮に対応していよう。なお、インドやスリランカにおいて、西方あるいはローマの遺物ばかりが注目されるが、アラビアやアフリカ、そしてペルシアの国々の遺物はどうなっているのか。かれらはインドやスリランカに居留することもなく、また遺物になるようなものを持ち込まなかったのであろうか。
そして、それを「最も如実に書きとどめているのが、一般にコスマス・インディコプレウステスと呼ばれるギリシア人によって著された『キリスト教世界地誌』」であり、「6世紀の初めに、エチオピア船[アクスム王国の船か]に便乗して現地(タプロパネーと呼ばれている)を訪れたアレクサンドリア商人からの伝聞によっている。それによると、当時スリランカには東西の両方向から各地の産物を満載した商船が多数来航し、スリランカの商人はそれを反対方向に転売して中継の利を得るだけでなく、地元の産物を輸出するためにも各地の港に船を送っていた」という。
こうした西方向け交易センターの移動は、3世紀以降における、一方では有力な王国であったクシャーナ朝やサータヴァーハナ朝の衰退、他方では後述の東南アジア交易の拡張に基づく、ベンガル湾交易圏の伸縮に対応していよう。なお、インドやスリランカにおいて、西方あるいはローマの遺物ばかりが注目されるが、アラビアやアフリカ、そしてペルシアの国々の遺物はどうなっているのか。かれらはインドやスリランカに居留することもなく、また遺物になるようなものを持ち込まなかったのであろうか。
25: 世界@名無史さん 2008/04/23(水) 20:10:52 0
アラブ商人はスリランカを「セレンディブ」(心の平和)と呼んでいた。
65: 世界@名無史さん 2009/05/29(金) 03:07:01 0
12世紀ごろのスリランカの交易拠点としての価値は銅だったんですかね。
東南アジア、中東地域の交易の拠点にはなっていたのでしょうか。
東南アジア、中東地域の交易の拠点にはなっていたのでしょうか。
28: 世界@名無史さん 2008/05/14(水) 23:08:41 0
内戦もさることながら、議会内の政争も異様に盛んな国だよな
仏教国って、実は変な国が多い?
仏教国って、実は変な国が多い?
29: 世界@名無史さん 2008/05/15(木) 11:58:51 0
イギリス植民地時代に茶のプランテーションの労働力としてヒンドゥー教徒タミール人が
大量に入り込んだのが混乱の元だよ
タミール人は貨幣経済に慣れていて低賃金労働力として優秀だったためイギリス人としては現地のシンハリ人よりも使いやすかったようだ
例によって現在の民族紛争の原因を作ったのはイギリスというよくあるパターン
大量に入り込んだのが混乱の元だよ
タミール人は貨幣経済に慣れていて低賃金労働力として優秀だったためイギリス人としては現地のシンハリ人よりも使いやすかったようだ
例によって現在の民族紛争の原因を作ったのはイギリスというよくあるパターン
30: 世界@名無史さん 2008/05/25(日) 19:28:01 0
民族同士を牽制させあうというイギリスの政策だろ。
44: 世界@名無史さん 2009/01/01(木) 23:54:25 0
スリランカにはカースト制とかジャーティ制は無いのかな?
ヒンズー教徒のタミル人はともかく、多数派のシンハラ人は仏教徒だから。
ヒンズー教徒のタミル人はともかく、多数派のシンハラ人は仏教徒だから。
ジャーティ(梵: Jāti、「出自」・「生まれ」の意)とは、インド亜大陸の地域社会において実際のカースト制度の基礎となる共同体の単位であり、ヒンドゥーの日常生活において現実的に独自の機能を果たす排他的な職業・地縁・血縁的社会集団、階層を示す用語である。
45: 世界@名無史さん 2009/01/02(金) 00:00:06 0
スリランカの仏教徒にはカーストが普通にあるよ
http://wee.kir.jp/sri_lanka/slk_people.html
ネワール仏教徒にもカーストは普通にあるよ
ネワール仏教徒にもカーストは普通にあるよ
引用元: ・【シンハラ】スリランカの歴史【タミル】
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