1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/01(火) 22:30:00 ID:vCuOcyqV0
世界で初めて黒色火薬を精製したあの国。
その上で花火や爆竹のように平和利用するばかりでなく、金属銃砲、手榴弾、竹製火炎放射器、多連装ロケットランチャー、多段式ロケット弾、多銃身連射銃、などを先駆けて発明したのに、明朝末期には宣教師の軍事顧問に長距離砲の鋳造を依頼し、清代では完全に欧州の技術革新に凌駕される一方。
アヘン戦争では遠路遥々やってきたイギリス東洋艦隊のワンサイドゲーム。
中国人の哀しみに誰か答えてやってくれ。
その上で花火や爆竹のように平和利用するばかりでなく、金属銃砲、手榴弾、竹製火炎放射器、多連装ロケットランチャー、多段式ロケット弾、多銃身連射銃、などを先駆けて発明したのに、明朝末期には宣教師の軍事顧問に長距離砲の鋳造を依頼し、清代では完全に欧州の技術革新に凌駕される一方。
アヘン戦争では遠路遥々やってきたイギリス東洋艦隊のワンサイドゲーム。
中国人の哀しみに誰か答えてやってくれ。
2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/01(火) 22:36:01 ID:qzRaSphc0
日本の場合と同じで、使う相手がいなければ発達しないんじゃないかな
中国にとっての敵の騎馬民族は高度な火器じゃなくても対応できてたとか。
中国にとっての敵の騎馬民族は高度な火器じゃなくても対応できてたとか。
6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/11(金) 15:49:53 ID:e8bXVF3E0
>>2
遊牧民の方はいっつも同じ戦法で攻めて来るからねえ。
受けて立つ側も進歩がなくなってしまう。
遊牧民の方はいっつも同じ戦法で攻めて来るからねえ。
受けて立つ側も進歩がなくなってしまう。
12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/13(日) 14:08:39 ID:Cw5FPrID0
>>6
それはあるかもしれんね。
朝鮮の役までまともな銃火器をもった外国軍と戦ったことがなかったから、火縄銃は半世紀前に伝来してたけど銃身が従来の青銅製のままずっと使ってて、日本の鉄砲隊にアウトレンジされたり。
14世紀ごろはまだあまりヨーロッパの火器と技術格差がないよね。
15世紀中にだいぶ追い抜かれたんだな。
それはあるかもしれんね。
朝鮮の役までまともな銃火器をもった外国軍と戦ったことがなかったから、火縄銃は半世紀前に伝来してたけど銃身が従来の青銅製のままずっと使ってて、日本の鉄砲隊にアウトレンジされたり。
14世紀ごろはまだあまりヨーロッパの火器と技術格差がないよね。
15世紀中にだいぶ追い抜かれたんだな。
3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/01(火) 23:54:47 ID:eYZsfeAp0
武官、軍事を卑下する風潮があったしねえ
125: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/07/03(土) 14:13:36.31 ID:uMLxyal10
>>3
それは東洋に共通する悪癖だね
それは東洋に共通する悪癖だね
7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/11(金) 23:53:12 ID:b2lp7f/30
近世以降にもう一度戦国時代をやればよかった
13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/13(日) 16:09:33 ID:TPguBkAp0
ヨーロッパは適度な大きさの国が並立してたから、政治権力からの市場の独立性が高かった
つまり市場原理が働きやすいわけだ
さらに中規模の国が多数あるので紛争が絶えず、どっかで開発された新技術もすぐに導入しないと負けちゃうからよく広まった
一文化圏一大国みたいな中国だと、政治権力が強いので政府が抑圧すると産業自体が停滞する
製鉄業の隆盛と衰退がその典型
つまり市場原理が働きやすいわけだ
さらに中規模の国が多数あるので紛争が絶えず、どっかで開発された新技術もすぐに導入しないと負けちゃうからよく広まった
一文化圏一大国みたいな中国だと、政治権力が強いので政府が抑圧すると産業自体が停滞する
製鉄業の隆盛と衰退がその典型
15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/13(日) 23:29:38 ID:FBVhz9V10
戦国時代、つまり競争がないとね。
武器なんてなかなか発達しないと思う。
中国は例えば明だと、北方の遊牧民か、沿岸部の漁民か、南方の少数民族ぐらいしか戦う相手がいなかったからね。
武器なんてなかなか発達しないと思う。
中国は例えば明だと、北方の遊牧民か、沿岸部の漁民か、南方の少数民族ぐらいしか戦う相手がいなかったからね。
16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/14(月) 00:57:49 ID:aXatSXFU0
明→清への移行がスムーズにいかずに、金と南宋のような形になっていたら、火器技術は発達していたかもな
19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/15(火) 00:36:42 ID:jICIwbHU0
サルフの戦いなんかは後金が圧勝したイメージがあるけど、明軍は火器を有効に利用できなかったのかな
20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/15(火) 01:25:43 ID:Hvu8j68L0
日暮れ時に奇襲をかけて火器の有効性を無効化したり、火器に対抗するために兵の半数を下馬させて先行させたり、火器を展開する際に使う障害物を捨てて急行した敵を叩いたりしてるな
あと射撃を開始した際に風が起こって明軍が煙に巻かれ、その間に騎兵が殺到して蹴散らしたなんてこともある
あと射撃を開始した際に風が起こって明軍が煙に巻かれ、その間に騎兵が殺到して蹴散らしたなんてこともある
23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/15(火) 23:51:48 ID:B/sbqid20
この時代の戦いの帰趨はまだ武器だけでは左右されていなかったんだな。
26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/19(土) 16:29:35 ID:FTxpfZP60
>>23
日清戦争の時も清側の武器の方が最新式だった
日清戦争の時も清側の武器の方が最新式だった
27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/24(木) 21:07:10 ID:K6WuJ1q60
>>26
定遠・鎮遠も、当時の日本のどの戦艦よりも立派だったしな。
「戦争は武器だけで決まるもんではない」っていう当たり前のことは、この一事からしても分かる。
まぁ、かと言って二次大戦中の日本軍みたいに、武装面をほとんど無視しだすのは相当考え物(というか問題外)ではあるんだが……。
定遠・鎮遠も、当時の日本のどの戦艦よりも立派だったしな。
「戦争は武器だけで決まるもんではない」っていう当たり前のことは、この一事からしても分かる。
まぁ、かと言って二次大戦中の日本軍みたいに、武装面をほとんど無視しだすのは相当考え物(というか問題外)ではあるんだが……。
29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/29(火) 01:35:48 ID:79rE2XHc0
そういえば、ヌルハチって大砲の弾に被弾してその怪我がもとで死んだんじゃなかったけ。
30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/29(火) 12:35:44 ID:jXZz1X/B0
サルフの戦いの7年後、快進撃を続け、勢いに乗るヌルハチは、明本土への攻撃を目論み、山海関を目指して兵を進めるが、その手前の寧遠城で、名将袁崇煥率いる明軍のポルトガル製の大砲の砲撃を受けて大敗を喫し、ヌルハチも砲撃で負傷し、その怪我が原因で死亡。
でも明の崇禎帝は救国の英雄とも言えるこの袁崇煥を冤罪で処刑してしまいましたとさ。
でも明の崇禎帝は救国の英雄とも言えるこの袁崇煥を冤罪で処刑してしまいましたとさ。
32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/10(日) 13:47:57 ID:CfPLqFgF0
宋代の火器ってどんなもんだったのかな。
33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/18(水) 14:21:55 ID:Aoxrqusa0
大砲っぽいものはあったようだけど、後世のものと比べたら、かなり劣るものだろうね。
少なくとも戦場に革命的な影響を与えたわけでもないようだし。
少なくとも戦場に革命的な影響を与えたわけでもないようだし。
34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/07(火) 15:33:24 ID:71g19m4c0
いくら威力があろうと、使いやすい汎用性がないと意味がないからな。
43: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/08(月) 10:18:44 ID:6WC6EMr20
密集した歩兵や攻城戦に効果があっても、遊牧民に効果の無い技術が発達する訳が無い。
44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/08(月) 10:29:48 ID:RCpFxJHg0
密集した歩兵同士の戦い、攻城戦というものは、中国では政権崩壊時の内戦の時に起こり得る可能性が高いだろうけど、そう頻繁にあるものじゃない。
武器として定着するには、戦う機会が定期的にないと。
武器として定着するには、戦う機会が定期的にないと。
45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/08(月) 17:41:56 ID:845GJLJd0
西欧は大航海時代に入って以降、大砲を使う海戦をずっとやり続けたのもあるよな
艦対艦、地対艦では大砲が主役だし、海を制することが国の最重要課題だった
そういうのが鎖国した明朝には無縁だった、というのもひとつの要因と思うよ
艦対艦、地対艦では大砲が主役だし、海を制することが国の最重要課題だった
そういうのが鎖国した明朝には無縁だった、というのもひとつの要因と思うよ
46: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/08(月) 20:56:34 ID:hmmhiuT90
元朝はどうかな。
鎖国とほとんど正反対の政策を採っていたとは思うけど、火器はどう捉えられていたんだろう。
鎖国とほとんど正反対の政策を採っていたとは思うけど、火器はどう捉えられていたんだろう。
47: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/10(水) 23:11:31 ID:6QZRHWyi0
やはり遊牧民が建てた国だから、結局火器は馴染まなかったんじゃ。
南宋を滅ぼし、周辺への遠征も一段落したら、もう用はないって感じで。
南宋を滅ぼし、周辺への遠征も一段落したら、もう用はないって感じで。
48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/15(月) 23:20:09 ID:52h7Hj4l0
大砲はともかく、銃は遊牧民に対してかなり有効に使えそうに思えるけどね。
49: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/16(火) 21:00:31 ID:1rOkNgUH0
五代十国時代、遼の太祖・耶律阿保機(漢名は億)は、呉王から「猛火油」という兵器を贈られた。
これは水をかければ火の勢いが増すというもので、ギリシャ火薬と同類のようだ。
猛火油櫃という、今でいう火炎放射器のプロトタイプができあがったのは10世紀の頃らしいので、だいたい年代は合うと思う。
ただし、耶律阿保機のこのエピソードでは、その新兵器に喜ぶ阿保機を、皇后の述律氏(ユリド)がたしなめるという話なのだけど。
これは水をかければ火の勢いが増すというもので、ギリシャ火薬と同類のようだ。
猛火油櫃という、今でいう火炎放射器のプロトタイプができあがったのは10世紀の頃らしいので、だいたい年代は合うと思う。
ただし、耶律阿保機のこのエピソードでは、その新兵器に喜ぶ阿保機を、皇后の述律氏(ユリド)がたしなめるという話なのだけど。
50: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/16(火) 23:08:37 ID:hIQykCx/0
>>49
呉王って楊行密?
呉王って楊行密?
51: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/16(火) 23:34:50 ID:1rOkNgUH0
>>50
うんにゃ。
《遼史》太祖淳欽皇后述律氏では、「呉主、李?」となってる。
《遼史》のソースは漢籍電子文獻で、名前が「・」なので誰のことかさっぱりw
ちなみに、太祖が死去したのは西暦926年なんで、李昪のことではないと思う…
うんにゃ。
《遼史》太祖淳欽皇后述律氏では、「呉主、李?」となってる。
《遼史》のソースは漢籍電子文獻で、名前が「・」なので誰のことかさっぱりw
ちなみに、太祖が死去したのは西暦926年なんで、李昪のことではないと思う…
100: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/02(日) 23:39:20 ID:yftf0MBN0
>>51
そこは中華書局本では「呉主李昪獻猛火油」なんだな。
そこは中華書局本では「呉主李昪獻猛火油」なんだな。
52: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/17(水) 16:06:41 ID:jVSnWHy40
火薬って結局いつ発明されたんだろう。
53: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/18(木) 16:09:26 ID:HheakHXn0
Wikipediaには、「唐代にはもうあったみたい」ぐらいにしか書いてないな・・・
54: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/18(日) 23:15:47 ID:IPlcfio90
初期の火薬はせいぜい「激しく燃える薬品」程度のものだったらしい。
それがもっと進歩して爆発力で物を発射したり破壊したりできるほどになったのが宋代ということではないのか?
「激しく燃える薬品」の段階ではギリシア火とさほど変わらないのではないか。
それがもっと進歩して爆発力で物を発射したり破壊したりできるほどになったのが宋代ということではないのか?
「激しく燃える薬品」の段階ではギリシア火とさほど変わらないのではないか。
55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/19(月) 22:10:35 ID:NekXYgQY0
火薬の発祥は、多分方士の類が、仙丹と称していろんな物質をいじっていた時にできたもの。
仙丹は、その方士にとっては大事な商売品だろうから、そうおいそれとは製法を公開せず、秘伝にしようとする。
だからいつできたのかは記録に残りにくい。
仙丹は、その方士にとっては大事な商売品だろうから、そうおいそれとは製法を公開せず、秘伝にしようとする。
だからいつできたのかは記録に残りにくい。
93: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/20(水) 15:28:33 ID:/3lj7WF+0
火器を使い勝手のいい形にするのは難しいからな。
94: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/21(木) 23:59:13 ID:QEpC9ufV0
火薬そのものの発明よりも、武器としての使い方の発明の方が重要ということ。
95: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/22(金) 09:46:17 ID:uoBnLpHJ0
発明の方が重要だろ
96: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/23(土) 02:24:22 ID:Y+sydtN10
いや、使い方や応用も重要だよ
オスマン帝国は実戦で大砲を早い時期に運用していたけれど、後に西欧勢が改良した大砲と、より組織化した砲兵隊にフルボッコにされたからね
オスマン帝国は実戦で大砲を早い時期に運用していたけれど、後に西欧勢が改良した大砲と、より組織化した砲兵隊にフルボッコにされたからね
98: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/01(土) 12:59:56 ID:9Q4dbZgu0
春秋戦国時代があと100~200年程度続いていればと思う
統一秦が度量衡や文字の統一を推し進めたということは裏を返せば戦国末期には各国で微妙に異なるものを使用していたという事
この状態で3~5世代も経過すればもはや違う国となり、分裂してるほうが常態、統一してるほうが異常ということに
上記のような小国乱立状態のままであれば緩やかな緊張状態のもとで法家や墨家のような実学重視系が発展しやすくなる素地となりこのスレの主旨である火器
火薬といった軍事科学技術面での発展も史実よりは余程容易であったのではないだろうか
いやまあ全てが楽観的過ぎるのはわかってはいますw
統一秦が度量衡や文字の統一を推し進めたということは裏を返せば戦国末期には各国で微妙に異なるものを使用していたという事
この状態で3~5世代も経過すればもはや違う国となり、分裂してるほうが常態、統一してるほうが異常ということに
上記のような小国乱立状態のままであれば緩やかな緊張状態のもとで法家や墨家のような実学重視系が発展しやすくなる素地となりこのスレの主旨である火器
火薬といった軍事科学技術面での発展も史実よりは余程容易であったのではないだろうか
いやまあ全てが楽観的過ぎるのはわかってはいますw
127: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/07/19(月) 15:44:16.80 ID:rvQBsKxQ0
>>98
発明は必要性から
欧州は戦争を繰り返していたから技術が発達
ついでに科挙に人材を奪われてってのもあるらしい
発明は必要性から
欧州は戦争を繰り返していたから技術が発達
ついでに科挙に人材を奪われてってのもあるらしい
104: 名無しの権瓶 2008/04/24(木) 22:41:43 ID:DwNSIwIQ0
ヨーロッパの火器技術の発達のほうが異常だと思う。
蒸気機関の発明から、科学の発達は早すぎるのではないか?
清は確かに遅れていたが、それは日本やインドも同じ。
蒸気機関の発明から、科学の発達は早すぎるのではないか?
清は確かに遅れていたが、それは日本やインドも同じ。
114: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/05(月) 23:22:30 ID:RFV1No5S0
秀吉の唐入りの時には明軍と日本連合軍の間で歩兵の撃ち合いがあったとどこかで読んだ気がする
当時の日本の鉄砲は東南アジア経由で入ってきた鉄砲の改良品だよね
明の鉄砲はどこ経由だったんだろう、時代的に海禁解除ギリギリあたりだと思うんだけれど
当時の日本の鉄砲は東南アジア経由で入ってきた鉄砲の改良品だよね
明の鉄砲はどこ経由だったんだろう、時代的に海禁解除ギリギリあたりだと思うんだけれど
128: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/07/23(金) 00:00:34.85 ID:1LylO2yO0
>>114
長篠の戦いでも織田軍の鉄砲隊斉射で勝ったイメージあるが、武田軍も鉄砲持ってるのは屏風にも描かれている
当時日本にだけでなく明にも宣教師行ってるからな
フランシスコザビエルの遺骨の一部はマカオにあったりするので、日本と同じように中国大陸に鉄砲渡ってても別におかしくない
長篠の戦いでも織田軍の鉄砲隊斉射で勝ったイメージあるが、武田軍も鉄砲持ってるのは屏風にも描かれている
当時日本にだけでなく明にも宣教師行ってるからな
フランシスコザビエルの遺骨の一部はマカオにあったりするので、日本と同じように中国大陸に鉄砲渡ってても別におかしくない
129: 名無しさん@お腹いっぱい。 2021/08/02(月) 15:21:46.40 ID:xq+glqeR0
>>1
春秋戦国が思想が華開く最も柔軟な時期だったように、中国は分裂して切磋琢磨していた方が、西におけるアラブやエジプトみたいなもので良かったのだろう
春秋戦国が思想が華開く最も柔軟な時期だったように、中国は分裂して切磋琢磨していた方が、西におけるアラブやエジプトみたいなもので良かったのだろう
引用元: ・なぜ中国は火器技術で欧州に抜かれたのか
統一王朝が長期安定政権をわりと実現できていた中国では、宮廷の決断や社会の体質によって拒絶された技術が日の目を見ることは滅多になかった。欧州では、ひとつの国家で拒絶された技術や発想が何度もリトライを繰り返してどこかの国家で採用されるという可能性があったうえ、特定の国家が新技術によって強大になればそれに対抗するべく敵対国家がその技術を積極的に受け入れようとする心理が働いた
近世の技術革新において、中国より西洋のほうが有利な条件は整っていた。西洋は決して人口が少なかったわけではなく(むしろイスラム圏より多かった)、地理的に遊牧民などの外敵に征服されることもなく、中規模国家の乱立が常態化していたのがこの時期になってようやく有利に働いた