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1: 世界@名無史さん 2020/09/11(金) 19:19:28.32 0
海洋国家と海軍の歴史について語るスレです。








2: 世界@名無史さん 2020/09/12(土) 11:46:56.15 0
インドには、チョーラ朝以外に海洋国家が出現しなかったのは、なぜなんだろう?
インド洋に面していて、海岸線も長いから、もっとたくさんの海洋国家が出現していてもよさそうなもんだが

4: 世界@名無史さん 2020/09/12(土) 18:48:52.92 0
ムガル帝国は独自の強力な艦隊を持たなかったので、ポルトガルに対抗するためオランダやイギリスの進出に期待を寄せた
何でも自国でやらずに、異民族を利用すればいいという考え方だったのかな?

5: 世界@名無史さん 2020/09/12(土) 19:03:17.42 0
漁民も船員も下位カーストの世界なので、交易で儲けるとい発想が生まれない

カースト横断の産業構造が発達できない

129: 世界@名無史さん 2020/09/29(火) 22:30:51.82 0
日本は本来、鎖国体質、自給自足の国だったのに、近代以降かなり無理をして海洋国家になってしまったな
日本列島で、海外との交易活動に生活の拠りどころを求めねばならない地域は、九州や南西諸島、東北地方の北部以北といった、おおむね周辺地域に限られた
それがヴェネツィアやオランダとの違い

130: 世界@名無史さん 2020/09/30(水) 00:06:04.72 0
難波津とか堺とか大坂とか知らんの?
日本の中央も上古の時代から海上の交通と物流で発展してきたのに

131: 世界@名無史さん 2020/09/30(水) 00:36:10.19 0
出雲や丹波なんかの日本海沿岸を海外交易都市とする説もありますね

133: 世界@名無史さん 2020/09/30(水) 08:02:48.91 0
>>131
丹後の舞鶴は縄文時代から今に至る貿易港で、世界最大クラスの丸木舟で外海に出てたって言って船が展示してあったわ

132: 世界@名無史さん 2020/09/30(水) 01:16:22.36 0
海洋国家としてではないが19Cのオランダはゴッホを輩出してたな

138: 何人いたの? 2020/09/30(水) 19:58:05.69 0
>>132
ゴッホを「輩出」?

165: 世界@名無史さん 2020/10/03(土) 22:15:31.29 0
>>132
ゴッホはフランスに来て初めて画家になった人間だろ。
19C(18Cから)はオランダはフランスの文化的衛星国に凋落していた。

135: 世界@名無史さん 2020/09/30(水) 08:31:05.36 0
オランダは、地中海を中心にイタリア人やポルトガル人が用いたカラベル船にかわって、フライト船と呼ばれる、少人数で大量の積荷を運搬できる新型船を発明した
非武装のフライト船は、軍艦兼用であったイギリスの船にくらべて、速度は遅かったが、バルト海や北海のような比較的安全な水域では、海運コストが圧倒的に低かった

137: 世界@名無史さん 2020/09/30(水) 19:54:57.94 0
>>135
フライト船は甲板構造上、ニシンの樽詰がやり易かったときいたことありますね

オランダはニシンでできているみたいな言葉もあった気がします

136: 世界@名無史さん 2020/09/30(水) 19:23:21.93 0
オランダはナポレオンによって本国失陥したことを幕府には報告しなかったんだっけ

140: 世界@名無史さん 2020/09/30(水) 22:23:26.16 0
地中海世界に比べてバルト海世界はあまり注目されないな
ヨーロッパ史ではけっこう重要なんだが

142: 世界@名無史さん 2020/10/01(木) 00:14:32.26 0
ルネサンス、大航海時代につながらないから地味

143: 世界@名無史さん 2020/10/01(木) 22:25:04.57 0
黒海も地味だよな
古代にはギリシア人、中世にはヴァイキングやジェノヴァ人がやってきた

144: 世界@名無史さん 2020/10/01(木) 22:50:23.80 0
地中海ほど広くて豊かな内海はなかなかないからなー

145: 世界@名無史さん 2020/10/01(木) 22:52:04.99 0
黒海、北海、バルト海は語るネタがあるだけまし

カスピ海はここで話せるネタがマジでなさそう
そもそも海かどうかも怪しい

146: 世界@名無史さん 2020/10/01(木) 22:57:34.26 0
わたくしの分類では日本海とカリブ海は内海扱いですね
豊かさという点では紅海やペルシャ湾の方が先輩感がありますね

148: 世界@名無史さん 2020/10/01(木) 23:23:04.32 0
地中海の特異性はもともと一つの文化圏だったのが別れて別々の文化圏が密接に関わり合うようになったことかな

149: 世界@名無史さん 2020/10/02(金) 09:09:06.56 0
>>148
環日本海と東シナ海も、古代には一つの文化圏だったのが、中世以降、別々の文化圏に分かれてしまったように思えますが
要するに、日本が大陸諸国とは別の文明に変化したということ

150: 世界@名無史さん 2020/10/02(金) 15:18:57.75 0
最初は陸の人口は希薄で海沿いに先行拡散する
農業で人口が増えると、陸が圧倒するようになるということなんでしょうね

151: 世界@名無史さん 2020/10/02(金) 18:51:41.61 0
シルクロードについてだが、ほとんどの絹は中国南部からマレー半島へと海上を運ばれ、アラブやペルシャの仲買人に買われ、欧州へ送られたらしい
前近代の陸上輸送には莫大なコストがかかったこと(海上輸送の20~40倍)を考えると、中央アジアをラクダの行列で運ばれた商品はごくわずかだった

155: 世界@名無史さん 2020/10/03(土) 11:08:50.50 0
>>151
日本だって西廻り航路で東北から敦賀とか宮津に寄港した船がそこで荷物下ろさんとわざわざ山陰山陽をぐるっと回って大坂まで入ってたからな
陸上輸送ではどう頑張っても船の積載量に勝てん

158: 世界@名無史さん 2020/10/03(土) 15:58:19.23 0
>>155
清盛の頃に琵琶湖と日本海つなぐ運河構想あったよな。実現したら面白かったんだが。

206: 世界@名無史さん 2021/03/22(月) 22:04:40.79 0
>>158
琵琶湖と日本海をつなぐと、どんないいことがあるの?

208: 世界@名無史さん 2021/03/30(火) 05:58:45.50 0
>>206
北前船が関門海峡回らずにそのまま大津まで来られる
たぶん行程が10日くらい短縮になるかな

152: 世界@名無史さん 2020/10/02(金) 23:24:13.84 0
オランダは、1670年の段階で12万人もの船員を擁し、総計で56万トン以上もの商船を世界に送り出す一大海運国家であった
この総トン数は、同じく海洋国として世界を股にかけたスペイン、フランス、イングランド三国の総トン数を合わせたより多かったほどである

153: 世界@名無史さん 2020/10/03(土) 02:13:41.63 0
圧倒的な造船能力が海洋国家を支えた

154: 世界@名無史さん 2020/10/03(土) 09:20:19.57 0
ヴェネツィアのアルセナーレは有名だよな
アルセナーレ・ディ・ヴェネツィアは、1104年にヴェネツィア共和国により設置された国立造船所である。

オスマン帝国との戦争状態に入る15世紀頃がこの造船所の最盛期であり、凡そ2万人の労働者が勤務して1日に1隻のガレー船を建造していたとされる。産業革命が起こる数世紀前にもかかわらず、アルセナーレではライン生産方式が取り入れられていた。


163: 世界@名無史さん 2020/10/03(土) 21:25:30.86 0
>>154
アテネ、ベネチア、オランダは有名ですね

逆に生産能力は凄いのにオスマンの実際の造船所がどうなのかよくわからないです

166: 世界@名無史さん 2020/10/03(土) 22:16:24.67 0
>>163
オスマン海軍の艦船は、イスタンブルの金角湾や帝国各地にあったテルサーネ(造船所)で建造された
木材などの必要な資材はすべて広大な帝国領内から調達することができ、絶頂期にあった国家財政がそれを支えた

167: 世界@名無史さん 2020/10/03(土) 22:26:10.41 0
>>166
木材調達的に黒海沿岸にあったのかと思ったのですが
帝国全土でしたか

地中海側だとどの辺りで造ってたんだろ

168: 世界@名無史さん 2020/10/03(土) 22:33:21.15 0
オスマン海軍の艦艇は、ダーダネルス海峡ヨーロッパ側のゲリボルとガラタの造船所で建造され、後に後者が優位をしめるようになり、アナトリア黒海岸シノプ、イズミル、或いは造船指示の調達に資金の場所に作られた臨時の造船所は、必要に応じて稼働した

170: 世界@名無史さん 2020/10/03(土) 22:56:57.50 0
>>168
ふーむ、なるほど
ざっくりいって中間点で作製してた訳ですか
集中が進むならやはり高度な技術的集積が必要だったようですね
まぁ、修理のための施設は各地にあったかとは思いますが

173: 世界@名無史さん 2020/10/04(日) 18:52:46.25 0
ヴェネツィア共和国では、17世紀には適齢期の男で結婚しない者は60%に達していた
経済が発展を止め、あるいは収縮する中で、生活水準を維持したいという気持ちから、子孫を増やしたくないということになったためである
またリスクの大きな通商を避け、安定した土地からの収入に頼るという態度に変化した

179: 世界@名無史さん 2020/10/07(水) 20:00:28.91 0
かつての海洋国家として栄華を誇った国だが20Cも引き続き繁栄が続いてたら空母持ってた?

193: 世界@名無史さん 2021/01/23(土) 14:48:02.13 0
マルコポーロを捕らえてコロンブスを輩出したジェノバ は海洋国家の覇権をあれだけ誇ったのに、その後没落して19世紀のイタリア移民の玄関港になったよね
そんなジェノバからアルゼンチンに出稼ぎに行ったお母さんを訪ねていったのがマルコ。

ジェノバはまだ良い方で、バスラにしても、十三湊にしてもリバプールにしても、港湾都市って寂れる時は本当に寂れるよね

195: 世界@名無史さん 2021/01/23(土) 18:13:44.24 0
現在のヴェネツィアは単なる観光都市に成り下がっている

197: 世界@名無史さん 2021/01/30(土) 22:51:29.74 0
南宋も海洋国家と言っていいだろうか?

198: 世界@名無史さん 2021/01/30(土) 23:54:55.38 0
海外貿易の収益より土地からのほうが流石に大きかったんじゃないの?>南宋

199: 世界@名無史さん 2021/01/31(日) 10:01:52.45 0
工業国家でもあるし農業国家でもあるし海洋国家でもあると思うけど宋
あと元も
よくよく考えると元寇の時の蛮子軍10万ってすごい数だよな
10万単位の兵力を外洋渡航させるとかほかの国では近代に入らないとまず無理

200: 世界@名無史さん 2021/01/31(日) 10:48:19.61 0
南宋では、孝宗在位の27年間で、長江下流域の沃野が開発され、農業技術も進歩した
米や茶の生産は増え、景徳鎮などの陶磁器業をはじめ、絹織物業、製紙業、印刷業が各地に興り、国内商業が発達したほか、広州や泉州を拠点とする対外貿易も盛んだった
南宋の対外貿易は北宋のそれをはるかに上回る活況を謳歌した

220: 世界@名無史さん 2021/04/14(水) 22:47:26.48 0
宋元時代の中国は、世界有数の造船技術を誇り、数百人の乗組員を乗せた二千石船から五千石船の巨船が東南アジアの水域を行き来していた
それから上がる関税は、南宋のときで国家歳入の5%を占める巨額なものだったし、さらに元朝では、政府自らが資本を投じて、南海貿易に巨利を博していた

やっぱり南宋と元は海洋国家といっていいのでは?

221: 世界@名無史さん 2021/04/15(木) 08:05:57.36 0
>>220
元はまちがなく海洋国家
宋は微妙なとこだけどネイビーはセーフ

222: 世界@名無史さん 2021/04/15(木) 09:45:36.44 0
泉州は、エジプトのアレクサンドリアとともに13世紀の世界最大の港だった

また元朝は、江南の地から首都大都までの税糧を大運河によって輸送する漕運ではなく、海上輸送する海運を利用している

224: 世界@名無史さん 2021/05/31(月) 09:28:19.08 0
中国で、遠洋航海用の大型帆船が造られるようになったのは宋代に始まり、2~300人も乗れる、千ないし二千石船から、5~600人を乗せられる、五千石船が出現した
これらが、東アジアあるいは東南アジアの水域を乗り回した
その主産地は福建・広東だった
船材は主として杉・松を使うが、福建は良質な杉材の特産地として有名だった
これに加えて福建では造船に欠くことのできない鉄材が豊かだった

225: 世界@名無史さん 2021/05/31(月) 09:34:42.87 0
ちなみに倭寇の使う日本船は、大きいもので300人、中くらいで1~200人、小さいものは4~50人から7~80人であるし、船の形も丈が低く狭かった
巨艦にあうと、迎撃しようにも容易でなく、かつ沈みやすかった
それゆえ、彼らはみな広東船や福建船を恐れたという
また日本船の構造を見ると、船底が平たいため波浪を突っ切ることができない
それに帆の中心が帆柱の真ん中にいくようにかけられ、中国のように、帆の端をかけないから、いつも帆を有効に使いえない
したがって順風のときはよいが、無風のときとか、逆風の場合は、帆柱を倒して、櫓をこぐ。そのため外海をよぎるのに、どうしても、一か月余りの日数がかかる

227: 世界@名無史さん 2021/12/22(水) 09:57:45.86 0
平安時代に安倍頼時が50人乗りの船でアムール川を30日間遡上し、現地で騎馬部隊に遭遇して帰還。
お陰で当時から日本人は、中国北方の騎馬民族の国は蝦夷地の対岸であると知っていた。
これって結構すごくね?

233: 世界@名無史さん 2022/05/03(火) 16:10:02.48 0
>>227
奈良時代に渤海使とか来てたから情報はあったのでしょうかね

228: 世界@名無史さん 2021/12/26(日) 10:52:27.09 0
海運の話になるけど、江戸時代には菱垣廻船・樽廻船・北前船などが沿岸航路に従事していた
当時の日本は世界でも有数の内航海運大国だった
この海運なしに、江戸時代の経済的発展は存在しなかっただろうな

239: 世界@名無史さん 2023/09/15(金) 08:34:08.82 0
海難1890って映画見たのですがトルコの海軍士官に英語なら分かるだろと話しかけるシーンがありましたが、当時からどの国の海軍でも英語がメジャーだったのでしょうか?

240: 世界@名無史さん 2023/09/15(金) 09:42:03.07 0
ウィキペディア「オスマン帝国海軍」より
「軍艦の機関員や航海士にはイギリスからの「お雇い外国人」が充てられており、イギリス人の機関長と航海長が実務を担っていた。ゆえに命令は主に英語で行われ、トルコ人の艦長や下士官を動かす時にのみトルコ語が使われた。」

引用元: ・海洋国家と海軍の歴史


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ヴィジュアル版 海から見た世界史: 海洋国家の地政学 大型本 – 2016/2/10 シリル・P. クタンセ (著), Cyrille P. Coutansais (原名), 大塚 宏子 (翻訳)