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1: 世界@名無史さん 2009/02/18(水) 22:08:11 0
フランス王家の歴史を語れ。








2: 世界@名無史さん 2009/02/18(水) 22:11:57 0
夫婦仲がわるいのが多い。
アンリ2世-カトリーヌ・ド・メディシス
アンリ4世-マルグリット・ド・ヴァロワ、マリー・ド・メディシス
ルイ13世-アンヌ・ドートリッシュ
ルイ16世-マリ・アントワネット

9: 世界@名無史さん 2009/02/19(木) 20:54:45 O
>>2
ルイ7世―アリエノール・ダキテーヌ
性格が真逆すぎて離婚

5: 世界@名無史さん 2009/02/19(木) 09:26:00 O
>>2
イザボーとその旦那も。

8: 世界@名無史さん 2009/02/19(木) 19:12:45 0
>>5
シャルル6世か。「フランスは女によって死に、女によって生き返った」

13: 世界@名無史さん 2009/02/20(金) 01:24:55 O
>>8
うむ。シャルル6世が発狂したのが致命的だったな。

3: 世界@名無史さん 2009/02/19(木) 07:23:17 0
フランスには女王っていないの?

11: 世界@名無史さん 2009/02/20(金) 00:08:04 0
サリカ法典は、フランク人サリー支族が建てたフランク王国の法典。
歴史的に注目されるのは相続条項であり、サリカ法の相続条項を参照して女王及び女系継承を禁じたフランス王国の王位継承法や、それに準じた他国の相続方式に影響を与えた。


10: 世界@名無史さん 2009/02/19(木) 22:31:32 0
アリエノール・ダキテーヌ=「ヨーロッパの祖母」
この人の人生はおもしろい。
アリエノール・ダキテーヌ(1122年 - 1204年4月1日)は、アキテーヌ公ギヨーム10世の娘でアキテーヌ女公。はじめフランス王ルイ7世の王妃、後にイングランド王ヘンリー2世の王妃。

ベルナール・ド・ヴァンタドゥールら吟遊詩人を庇護して多くの文芸作品を誕生させ、洗練された宮廷文化をフランス、イングランドに広めた存在として知られる。子孫が、各地の君主及び妃となったことから「ヨーロッパの祖母」と呼ばれる。


13: 世界@名無史さん 2009/02/20(金) 01:24:55 O
>>10
アリエノールがひっかき回したせいで第2回十字軍は失敗に終わったと言われてるなw

24: 世界@名無史さん 2009/02/21(土) 19:54:58 0
フランス人からしたらスウェーデン王家は裏切り者?

25: 世界@名無史さん 2009/02/21(土) 20:31:50 0
>>24
えーと、三十年戦争の話すか?

29: 世界@名無史さん 2009/02/22(日) 08:52:27 0
>>25
スウェーデン王家と言うかベルナドットが

カール14世ヨハン( 1763年1月26日 - 1844年3月8日)は、スウェーデン=ノルウェー連合王国の国王として1818年から死去する1844年まで在位した。現代まで続くスウェーデン王家ベルナドッテ朝の始祖であり、彼の血は子孫を通じてノルウェー王家、デンマーク王家、ベルギー王家、ルクセンブルク大公家、ギリシャ王家にも受け継がれている。

フランス革命・ナポレオン戦争期のフランスの軍人・政治家ジャン=バティスト・ジュール・ベルナドットとしても知られ、元はフランスの平民階級出身者であった。

ナポレオン・ボナパルトのライバルと目された人物であり、1810年にスウェーデン議会によって同国の王位継承者に選任されたのち、第6次対仏大同盟の立役者となってナポレオンの欧州における覇権に止めを刺したことは、ナポレオンをして「世界の運命を掌中に収めたフランス人」「我らが失墜の主たる要因のひとつ」と言わしめた。


30: 世界@名無史さん 2009/02/22(日) 12:47:53 0
ベルナドットの奥さんがナポレオンの婚約者だったデジレ・クラリー。
今もつづいているんだね、スウェーデン王室。ちょっとビックリだな。

39: 世界@名無史さん 2009/02/23(月) 18:48:33 0
>>30
「王侯くたばれ」なんて刺青してた奴の子孫が王家として残ってるんだよな。
なんか不思議な気持ち。

31: 世界@名無史さん 2009/02/22(日) 19:35:35 0
1990年代までに、凱旋門にベルナドットの名が刻まれました。
独仏でさえ仲良くする時代ですからね。

32: 世界@名無史さん 2009/02/22(日) 22:10:34 0
スウェーデン人からしたらどうなんだろうな?
王家がフランス出身ていうのはあんまり気にしてないかな?

35: 世界@名無史さん 2009/02/22(日) 22:23:17 0
>>32
国際結婚が常態なわけだからね、ヨーロッパは。
気にしてたらキリがないんじゃ。

36: 世界@名無史さん 2009/02/23(月) 12:32:53 0
>>35
でも日本人からしたら不思議なんだよね

41: 世界@名無史さん 2009/02/24(火) 00:27:58 0
>>36
国内に家柄の釣り合う相手がいないから、王室同士はいきおい国際結婚となる。
国際結婚が普通だから、お家騒動が即戦争になる。
「ナントカ継承戦争」というのは全部この類。百年戦争も同じ。
お家騒動から発した戦争に、宗教がからむから複雑になる。そうやって主権国家体制を発展させてきたのが、ヨーロッパの歴史。

38: 世界@名無史さん 2009/02/23(月) 18:46:56 0
スウェーデン王家は男系を辿れば確かにフランス人だが女系では欧州各国の名門王家の血を200年間に十二分に吸収しているよ。

ベルナドット元帥の2代前に廃位されたスウェーデン王の血も取り入れてる。

46: 世界@名無史さん 2009/02/25(水) 20:56:30 0
オルレアン公フィリップ2世

美食と荒淫のためか、大層太っており、愛人と過ごしている時に卒中で急死したそうです。
背が低く肥満体のこの人を描く肖像画は、腰の周りにひらひらと布を巻きつけ、体型を誤魔化そうとしているようですが、腹が出ているのは隠せませんね
http://blog.zaq.ne.jp/randokku/article/838/

48: 世界@名無史さん 2009/02/26(木) 00:25:29 0
>>46
半ズボンでタイツっていうのが当時の貴族の正装でしたからね。
長ズボンは下層階級の服装でした。ルイ14世は赤いハイヒールはいてます。いまその服装だったらほとんど変態ですよね。

50: 世界@名無史さん 2009/02/26(木) 22:23:31 O
>>48
当時は化粧もしてたんだっけ?

51: 世界@名無史さん 2009/02/26(木) 22:31:52 0
>>50
19世紀でさえ、男性がマニキュアしていたくらい

52: 世界@名無史さん 2009/02/27(金) 06:58:22 0
ヴァロワ朝(Valois、1328年-1589年)はフランス王家。
カペー朝の断絶後、フィリップ6世が即位して王位を継承した。
百年戦争を経験し、ハプスブルク家と争った戦いの王朝であったが、ユグノー戦争の末期にアンリ3世が暗殺されて断絶し、アンリ4世のブルボン朝に交替した。

1.フィリップ6世(1328年 - 1350年)
2.ジャン2世(善王(le Bon) 1350年 - 1364年)
3.シャルル5世(賢明王(le Sage) 1364年 - 1380年)
4.シャルル6世(親愛王、狂気王(le Fol) 1380年 - 1422年)
5.シャルル7世(勝利王(le Victorieux) 1422年 - 1461年)
6.ルイ11世(商人王 1461年 - 1483年)
7.シャルル8世(1483年 - 1498年)
8.ルイ12世(1498年 - 1515年) ヴァロワ=オルレアン家
9.フランソワ1世(騎士王、1515年 - 1547年) 以下5代ヴァロワ=アングレーム家
10.アンリ2世(1547年 - 1559年)
11.フランソワ2世(1559年 - 1560年)
12.シャルル9世(1560年 - 1574年)
13.アンリ3世(1574年 - 1589年)

53: 世界@名無史さん 2009/02/27(金) 07:01:07 0
ブルボン朝(Bourbon、1589年-1792年、1814年-1830年)は絶対主義時代のフランスの王家。カペー朝の聖王ルイ9世の孫に始まりをもつ名門の血筋をうけつぎ、絶対王政を確立してフランスをヨーロッパの強国に押し上げた王朝。
ユグノー戦争の末期にアンリ3世が暗殺されてヴァロワ朝が断絶、王の妹を妃にむかえていたアンリ・ド・ナヴァル(アンリ4世)によってはじまり、ルイ14世の時代に絶頂期をむかえたが、フランス革命においてルイ16世が処刑されてとだえた。
ヴェルサイユ宮殿における華やかな宮廷文化で知られる。ナポレオン失脚後、復活をはたしたが、七月革命によって最終的に王権から離れた。

1.アンリ4世(1589年 - 1610年)
2.ルイ13世(le Juste1610年 - 1643年)
3.ルイ14世(太陽王、le Grand1643年 - 1715年)
4.ルイ15世(最愛王、le Bien-Aimé1715年 - 1774年)
5.ルイ16世(1774年 - 1792年)
(復古王政)
6.ルイ18世(1814年 - 1824年)
7.シャルル10世(1824年 - 1830年)


55: 世界@名無史さん 2009/02/27(金) 11:58:13 O
>>52
ルイ11世の(商人王)ってのが面白いな。

57: 世界@名無史さん 2009/02/28(土) 12:01:26 0
>>55
養蚕をさかんにし、鉱山開発をおこなったってことなんだが、詳しいことはわかんない。

58: 世界@名無史さん 2009/02/28(土) 13:34:18 O
>>57
へー。向こうは国王への愛称の付け方が面白いよな。
肥満王とか禿頭王とか美男王とか。

59: 世界@名無史さん 2009/02/28(土) 23:36:45 0
>>58
リチャード獅子心王とかね。ルイ15世=最愛王というのもおもしろいね。
謂われを知りたい。

54: 世界@名無史さん 2009/02/27(金) 07:32:29 0
あくなき政治性がフランスを大国にしている気がするね。
ものすごい中華思想もちながら、かなり臨機応変。計算がきっちりできている。

63: 世界@名無史さん 2009/03/04(水) 11:10:40 O
ルイ17世って結局どうなったの?

69: 世界@名無史さん 2009/03/10(火) 11:15:06 0
>>63
ルイ17世はヴァレンヌ逃亡事件のときにタンプル塔(だったかな?)に閉じこめられてしまったルイ16世とマリ・アントワネットの子。名目上の君主だったが、そのうち共和政になってしまったので、忘れられた存在になってしまった。
自分自身も王であったことを忘れたそうだ。革命独裁なんかのどさくさで世話する人もいなくなり、10歳のときに死亡が確認された。

70: 世界@名無史さん 2009/03/11(水) 00:00:08 0
ルイ16世が斬首された後、ルイ17世がフランス国王に即位したんでしょうか?
幾冊か本を読んだのですが、その点については書いてなかったんです。

71: 世界@名無史さん 2009/03/11(水) 15:00:02 0
ルイ17世が名目的な君主とされたのは王政廃止宣言以後の共和政下のことですし、実際に即位もしていません。即位式もあげていません。
ルイ16世は裁判の結果、処刑が決まったわけですが、取り調べのなかで、王宮の隠し戸棚から、王が外国の使節と秘密にやりとりしていた文書がたくさん発見され、王がフランス政府と国民を裏切っていた証拠がたくさんでてきた。

結局、ルイ16世は賛成387、反対360で死刑と決定した。ただし、賛成387のうち、26は条件付き賛成でしたからそれを除けば、361対360でした。
もちろん、ルイ17世は幼少でしたし責任能力もないので無罪です。結局、父ルイ16世は革命広場で二万人の市民が見守るなかでギロチンで処刑されます。最後の言葉は「私は無罪だ。私は敵を許そう」というものだったらしい。

ルイ17世がもう少し成長していたら、あるいは長生きして、みずから王であるということを意識して王として振る舞ったら、その後の展開は変わっていたかもしれませんね。
参考
神話と定説と一次資料と




72: 世界@名無史さん 2009/03/11(水) 15:08:29 0
ルイ16世とマリ・アントワネットの子としてタンプル塔に幽閉された王女にマリ・テレーズがいる。ルイ17世からすると姉にあたる。
ルイ18世とシャルル10世はルイ16世の弟。

68: 世界@名無史さん 2009/03/08(日) 17:42:25 0
ブルボンの末裔はインド人の弁護士になっているのだよね。
ナポレオン・バルサザール・ブルボンさんだったかな。
バルタザール4世・ナポレオン・ド・ブルボン(1958年7月29日 - )は、インドの弁護士。フランス・ブルボン家の末裔を称する「ブルボン・ボーパール家」の家長。
ブルボン家の血縁主張を検証するためにDNA鑑定を実施する意思があると定期的に語っているが、2016年現在実現していない。


64: 世界@名無史さん 2009/03/06(金) 00:27:08 O
フィリップ4世(美男王)が嫌いだ。
テンプル騎士団を壊滅させやがって。

73: 世界@名無史さん 2009/03/11(水) 19:38:12 0
>>64
騎士団長は火刑の炎の中からフィリップ王を呪う。「てめー、子孫は根絶やしじゃ!」
→それから間もなくフィリップは不審な死を遂げる
→その後、息子達も次々死ぬ
→女系の孫のイングランド王がフランス王位を要求して百年戦争勃発。国土が荒らされたのはフランスだけ。
→カペー王朝直系は断絶
→フランス革命時に王室が幽閉されたのが、騎士団のパリ本部だったタンプル塔。やっぱり崇りじゃ・・・

あ、でも革命時の王家はフィリップとは直接関係ないブルボン家だから気の毒な気もする・・・
フィリップの血統は女系でイングランド王家に移って、その後こっちは薔薇戦争で荒れたことを考えると、これも崇りじゃ・・・

74: 世界@名無史さん 2009/03/12(木) 02:17:16 O
>>73
因果応報とはこのことか…。

75: 世界@名無史さん 2009/03/14(土) 00:38:03 O
当時莫大な財産を持っていたテンプル騎士団に目をつけ、あることないこと因縁つけて拷問による自白によって壊滅させたフィリップ4世。
騎士団の財産は当然フィリップがいただきました(^-^)

77: 世界@名無史さん 2009/03/15(日) 18:33:37 O
シャルルとかルイとかフィリップって何人いんのよw

81: 世界@名無史さん 2009/03/22(日) 12:33:58 0
>>77
ブルボン王朝は別名「ルイ王朝」でっす。w

78: 世界@名無史さん 2009/03/18(水) 05:41:40 0
西洋人の名はキリスト教の聖人聖女から名づけるから数が少ないね。

83: 世界@名無史さん 2009/03/29(日) 20:18:49 0
革命のときに棺を暴かれたほとんどの王様の遺体はわけがわからん状態になってまとめて葬られたんだよね。
おいたわしや。。。

86: 世界@名無史さん 2009/04/01(水) 02:06:16 0
おフランスは第5共和制なんて止めて、王政復古した方が絶対に得。
特にフランスの高級ブランド業界は、ブルボン王朝のイメージと重なる。

101: 世界@名無史さん 2009/04/07(火) 00:34:06 0
>>86
自分は、フランスの高級ブランドのイメージというと、ブルボン朝よりナポレオン三世時代だけどなあ。19世紀半ばのブルジョワ趣味。
王室のイメージは中世を引きずる。ブランド業界は、近世ブルジョワの産物でしょ。

100: 世界@名無史さん 2009/04/03(金) 18:54:25 0
現代のフランスにマリー・アントワネットみたいな王族がいたら凄い経済効果だろうな。ゴシップのネタでも世界を席巻するだろう

107: 世界@名無史さん 2009/04/26(日) 08:43:04 0
王政復古は自らの国歌と国旗を否定することになるんだぞ?
それを分かってんのか

108: 世界@名無史さん 2009/04/26(日) 10:40:11 0
タレランは王政復古の時でも、三色旗を尊重するように王に進言したよね。
可能なんじゃない?

110: 世界@名無史さん 2009/05/01(金) 19:19:25 0
>王政復古は自らの国歌と国旗を否定することになるんだぞ?

国旗については全然大丈夫。
トリコロールの真ん中の白はブルボン家の白百合。
つまり王権と革命の調和を意味する旗だから。
まあ白百合だけの旗に変えても別にいいけど。 

113: 世界@名無史さん 2009/05/11(月) 23:01:32 0
>>110
三色旗を考えたのは、立憲君主派のラ・ファイエット将軍だからね。

112: 世界@名無史さん 2009/05/03(日) 20:12:02 O
シャンボール伯が三色旗を受け入れてれば、第三共和政はじめのマクマオン大統領(王党派)の時代に王制再復古もできたのに。

115: 世界@名無史さん 2009/05/12(火) 21:10:20 0
フランス人というアイデンティティーはフランス革命のときに誕生した
フランス革命を否定するのはフランス人というアイデンティティーを否定するのと同じ

109: 世界@名無史さん 2009/04/29(水) 08:18:17 0
歴代の王様の遺骸は革命時にみな捨てられてしまったんですね。
嗚呼、なんてひどいことを!!

引用元: ・フランス王家の歴史



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