1: 世界@名無史さん 2008/04/06(日) 15:15:44 0
一時期東欧を席捲していたブルガリアの歴史を語るスレ








3: 世界@名無史さん 2008/04/06(日) 15:37:33 0
ヨーロッパじゃ珍しいテュルク系民族が建てた国
ブルガール人は、中世において中央アジアから移動し東ヨーロッパで活動したテュルク系遊牧民

ブルガール人の中で広い地域に分散した部族のうち、バルカン半島のドナウ川下流域からトラキア地方に侵入した一派はブルガリア帝国を建国、キリスト教の正教会信仰を取り入れ、先住民であるコーカソイドの南スラヴ人に言語的にも人種的にも同化されて、現在のブルガリア人の先祖となった。

6: 世界@名無史さん 2008/04/06(日) 17:26:31 0
ハンガリーのマジャール人と違ってブルガール人はなんでスラブに同化されちゃったの?

7: 世界@名無史さん 2008/04/06(日) 17:46:32 0
ブルガリアの場合被支配層(スラブ)の人口が多かったからではないの?
ブルガール人も下のスラブ人に溶け込もうとしたのかスラブ系の名前を積極的に名乗っている

8: 世界@名無史さん 2008/04/06(日) 17:54:31 0
>>7
そうなんですか

初期の王はハーンを名乗ってたりして萌える
このままスラブ化せずに20世紀になってもハーンの称号を使ってたりすれば面白かったのに

10: 世界@名無史さん 2008/04/06(日) 19:22:24 0
第一次ブルガリア帝国の領土
広いですね、大きいですね、すごいですね
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%B8%9D%E5%9B%BD
1024px-Bulgaria_Simeon_I_(893-927).svg

14: 世界@名無史さん 2008/04/07(月) 00:03:16 0
第一次ブルガリア帝国は海軍を持っていなかったの?

34: 世界@名無史さん 2008/04/09(水) 23:24:41 0
>>14
船は持っていなかったらしい

26: 世界@名無史さん 2008/04/09(水) 11:56:52 0
ギリシャはテッサロニキはもちろん
ペロポネソス以北をブルガリアに返してやれよ
トルコは東トラキアをブルガリアに返してやれよ
ルーマニアはワラキアをブルガリアに返してやれよ
マケドニアとアルバニアはその身をブルガリアにささげろよ

27: 世界@名無史さん 2008/04/09(水) 12:04:54 0
コソボはいいのかよ

36: 世界@名無史さん 2008/04/10(木) 12:13:30 0
正教を受け入れずに古代からの多宗教を保っていたら面白かったのに

38: 世界@名無史さん 2008/04/10(木) 18:56:52 0
>>36
そんな事したらあっという間に十字軍

45: 世界@名無史さん 2008/04/10(木) 20:29:32 0
>>38
異教信仰のブルガリアとドイツ騎士団がバルカンを巡って戦争を繰り広げていたかもしれないと考えると燃える

40: 世界@名無史さん 2008/04/10(木) 19:13:04 0
カトリックのハンガリーと正教の東ローマ帝国は十字軍に襲われましたが何か?

42: 世界@名無史さん 2008/04/10(木) 19:18:47 0
>>40
ヴェネツィア様の教育的指導

47: 世界@名無史さん 2008/04/11(金) 20:26:16 0
ウィキペディアのブルガリア人の一覧になぜかスパルタクスが入っている

48: 世界@名無史さん 2008/04/11(金) 22:10:04 0
ブルガリアはトラキア人の子孫でもあるのだよ
トラキア人(トラキアじん)は、古代の東ヨーロッパのバルカン半島周辺に住んでいた民族である。古代ギリシアやローマの文献に現れ、当時のヨーロッパでは有数の人口と勢力を誇っていたとされる。考古学的には多数の精巧な金製品をはじめとする遺物・遺跡を残している。

有史以前については明確ではないが、ブルガリアで紀元前3千年頃の墓などが見つかっており、これが原トラキア人のものと見られる。紀元後1世紀にはローマ帝国に支配され、トラキア人はギリシア化(トラキア)またはローマ化(モエシア、ダキア)された。
彼ら独自の言語と文化はギリシア化・ローマ化や度重なる他民族の侵入・支配により消滅した。ドナウ川の南にいたトラキア人の一部は、6世紀に侵入したスラヴ人によってスラヴ化され、さらにブルガール人に支配され、8 - 10世紀にはブルガリア人となった。


50: 世界@名無史さん 2008/04/11(金) 22:29:06 0
スラヴ人が侵入してきた時にどうなった?>トラキア人

51: 世界@名無史さん 2008/04/11(金) 22:37:07 0
もうとっくにギリシャ人やラテン人に同化していただろ

59: 世界@名無史さん 2008/04/13(日) 19:51:59 0
ウィキペディアのブルガリア君主の一覧にアッティラの名前があったんだけど・・・
フン族とブルガール族って関係あるの?

60: 世界@名無史さん 2008/04/13(日) 22:41:56 0
ブルガール族やアヴァール族はアッティラの後継を自称してたらしいのでその経緯でそうなったかもしれないと思う
本来直接的な繋がりは無いと思うけど

61: 世界@名無史さん 2008/04/13(日) 22:53:03 0
ブルガール族をテュルク系民族としていいのか疑問

65: 世界@名無史さん 2008/04/14(月) 16:33:38 0
トルコ=言語はテュルク系だが人種的にはギリシャおよびスラブおよびペルシャ系
ハンガリー=言語はフィン・ウゴル系で人種的にはマジャールおよびスラブ
フィンランド・エストニア=言語はフィン・ウゴル系で人種的にはウゴルおよびゲルマン
ブルガリア=言語も人種もスラブに飲み込まれた

67: 世界@名無史さん 2008/04/15(火) 11:34:01 0
ヨーロッパは人種移動と混合が激しいので血統は大して変わらないと思うのは俺だけか

73: 世界@名無史さん 2008/04/19(土) 09:32:02 0
第2ブルアリア帝国の建国に動いたのはブルガリア人だけでなく、ヴラフ人やクマン人も多かった。

74: 世界@名無史さん 2008/04/19(土) 11:15:44 0
というかクマン人の援軍なくして独立はありえなかった

75: 世界@名無史さん 2008/04/20(日) 08:06:15 0
この時代のこの地域じゃ、言語や形質なんてほとんど気にされてない
ペータル・アセン・カロヤン兄弟はヴラフ人といわれてる
ゲオルギー1世テルテルはクマン人の末裔
ゲオルギー1世が自分の即位前に一時的に帝位につけたチャカは、ジョチウルスの大立者ノガイの子
つーかチャカはキリスト教徒だったのか?即位に際して洗礼でも受けたのか

76: 世界@名無史さん 2008/04/20(日) 20:13:47 0
>ゲオルギー1世が自分の即位前に一時的に帝位につけたチャカは、ジョチウルスの大立者ノガイの子

やっぱり「チンギス統原理」を意識したのかな。
イヴァン4世がシメオン・ベクブラトヴィチ(サイン・ブラト)を短期間「全ルーシの大公」として玉座に座らせたみたいに。

89: 世界@名無史さん 2008/07/17(木) 20:57:32 0
ブルガリアってヨーロッパでも古い歴史を有する国なんだね。
6世紀にはブルガリア国家があった。北欧3国は9世紀。フランスもイギリスもポルトガルは10~13世紀頃
スペインは16世紀。ドイツ、イタリアにいたっては19世紀末。すごい国だなw。

117: 世界@名無史さん 2009/01/23(金) 09:51:00 0
オスマン朝が征服し始める頃のバルカン半島史読んでたらブルガリアがボロボロのビザンツ帝国に領土取られたりしてるので驚いた

118: 世界@名無史さん 2009/01/23(金) 23:34:14 0
ブルガリアも貴族の仲が悪かったりしてたから

123: 世界@名無史さん 2009/03/20(金) 18:57:39 0
ヘロドトスの「歴史」に曰く

トラキア人は、全世界でインド人についで最大の民族である。
私が思うに、もしこの民族が一人によって統治されるか、全民族が結集するかしたならば、おそらく向かうところ敵なく、世界中の民族の中で桁外れの最強を誇ることができるはずである。
けれどそれは彼らにはとてもできぬ相談であって、実現の見込みはない。
それだからこそこの民族は弱いのである。

124: 世界@名無史さん 2009/03/20(金) 19:21:02 0
つまりさまざまな部族に分裂しているということなのだろう

125: 世界@名無史さん 2009/03/20(金) 19:34:57 0
昔からバルカン半島の民族は分裂してんだな
アレクサンドロスやローマはそいつらをひとまとめにして世界を征服したわけだが

142: 世界@名無史さん 2009/10/22(木) 14:00:46 0
シメオン1世の軍事的成功の理由は何か
ハンニバルのごとき革新的な戦術家だったのか数で押したのか
シメオン1世(864年頃 - 927年5月27日)は、第一次ブルガリア帝国の君主(在位:893年 - 927年)。バルカン半島の大半を占めるブルガリア帝国の最大版図を築き、一時期は東ローマ帝国を圧倒して、自らを「ローマ人とブルガリア人の皇帝にして専制君主」と称した。シメオン大帝とも呼ばれる。


145: 世界@名無史さん 2009/12/06(日) 22:07:05 0
>>142
若いときコンスタンティノープルに人質に出されていて、ビザンツのことを良くしっていたことと、軟弱なビザンツ人よりも、ブルガリア人の方が野蛮で覇気があったから。
更に、ボリス時代からの国内の異教派との対立を粛清したため、異教派の財産などを取り込み、キリスト教派がまとまり勢いがあった。

147: 世界@名無史さん 2009/12/09(水) 00:50:55 0
>>145
そうかなアラブ人と勝ったり負けたりを繰り返していて決して軟弱だったわけじゃないような
どういうわけか東帝国はブルガリアに極端に弱い気がする

152: 世界@名無史さん 2010/02/10(水) 15:04:43 0
>>145
アラブ側も軟弱だったんですよ。
双方とも高い文明国になってしまっていて、適当なところで降参して捕虜交換とかやっていた。十字軍にアラブがあっさりやられたのも、招聘を依頼したアレクシオスが後悔したのも、フランクが駆け引き・取引をしない野蛮人だったから。
そもそも始祖のクブラット自身コンスタンティノープルで人質としてすごしていて、シメオンもそう。指揮官が敵情を熟知していて、配下の兵は無知で野蛮となれば、結構強いということになるのでしょう。
バシレオス2世が強かったのは、当時のビザンツとしては常識外の戦闘方法をとったから。
つまり、傭兵主体で、適当なところで切り上げる習慣のあった18世紀の欧州軍にたいして、国民軍のナポレオン軍が強かったのと同じ理屈なのかも。

というのはどう?

156: 世界@名無史さん 2010/02/10(水) 20:30:57 0
>>145
当時のアラブ諸国はテュルク系の騎馬傭兵が主力だよ
アナトリアのフォカスといった軍閥はそいつらに勝って勢力を広げた
バシレイオスの成功は、軍閥の私兵を完全にコントロールに置けたことにあると思う

戦い自体は前任者のヨハネス1世の方がうまいと思う

149: 世界@名無史さん 2010/02/07(日) 00:43:26 0
アナトリアの主力の軍団はアルメニアやアラブの勢力と対峙していたためシメオン戦にまわせなかったという

151: 世界@名無史さん 2010/02/09(火) 22:39:48 0
バシレイオスに併合されてからブルガリア軍も帝国軍に動因されるようになったが、それらはアラン人、スウェーデン人、アルメニア人の傭兵ほどの評価は得られていない
独立を果たして以後、イサキオス・アンゲロスにも負けていたセルビア人にも敗戦してもいる
どうも本当にギリシャドーピングでもあるんじゃないかと思えてくる

154: 世界@名無史さん 2010/02/10(水) 19:19:53 0
イサキオスに負けたセルビア軍に負け、東ローマにおされ気味で領土取られてたり西欧から「逃げる敵に対してだけ勇猛さを発揮する」と称されたハンガリー軍に負けていたが、東ローマには相変わらず優勢だった第2ブルガリア帝国

156: 世界@名無史さん 2010/02/10(水) 20:30:57 0
>>154
イサキオスにも勝てる相手がいたんだな

引用元: ・【アスパルフ】ブルガリアの歴史【シメオン】