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1: 大和中納言秀保 ◆MtKiRaGd8. 投稿日:2008/12/09(火) 23:49:56
北宋の神宗皇帝の政治や人物などいろいろ語りましょう。






神宗

神宗(しんそう)は、北宋の第6代皇帝。

神宗は王安石を任用して新法改革を行い、宋を一時的に中興したことで高く評価されるが、その改革を巡って官人を分裂させ、また新法改革の継承にも失敗した面から、負の評価がなされることもある。





5: 世界@名無史さん 投稿日:2008/12/12(金) 18:25:11
短命だったため、旧新法党の争いを招いたのが痛い。
新法・旧法の争い

新法・旧法の争いは、中国北宋の中期神宗代から末期徽宗代にかけて起こった政治的な争い。王安石によって新法と呼ばれる改革が行われるが、これに司馬光を初めとする反対者が続出し、長く論争と政権闘争がくり広げられた。その結果、大きな政治的混乱を生み、北宋滅亡の原因と評される。


6: 世界@名無史さん 投稿日:2008/12/12(金) 19:34:23
なんで王安石を結局左遷したの?

専制皇帝なんだから、「朕の意は新法にあり」と意志を貫けばよかったのに。
王 安石(天禧5年11月12日(1021年12月18日)- 元祐元年4月6日(1086年5月21日))は、北宋の政治家・思想家・詩人・文学者。神宗の政治顧問となり、制置三司条例司を設置して新法を実施し、政治改革に乗り出す。文章家としても有名で、仁宗に上奏した「万言書」は名文として称えられ、唐宋八大家の一人に数えられる。

8: 世界@名無史さん 投稿日:2008/12/12(金) 19:40:25
反対派のサポタージュと后妃などの外戚勢力の抵抗だろうな。

15: 大和中納言秀保 ◆MtKiRaGd8. 投稿日:2008/12/17(水) 09:00:35
王安石隠遁後の神宗親政期に改革が後退したというのは本当なんでしょうかね?

17: 世界@名無史さん 投稿日:2008/12/17(水) 16:18:18
改革がそのまま党争の道具に成り果てて疲弊。
そもそも、宋の官僚陣の根っこが、新法施行すると実害を受ける階層。
そんな法を通すわけないじゃん と言う理解でいいと思う。

23: 世界@名無史さん 投稿日:2008/12/27(土) 03:53:17
神宗皇帝と王安石の改革が成就して、北宋朝が繁栄を続けていたら、産業革命→中産層の支持の下での立憲君主制というような未来がありえたんだろうか。

24: 世界@名無史さん 投稿日:2008/12/28(日) 07:29:00
北宋神宗vs明神宗
どっちの方が名君?
万暦帝(ばんれきてい)は、明の第14代皇帝。諱は翊鈞(よくきん)。廟号は神宗。日本では一般的に治世の元号を取って万暦帝と呼ばれる。


25: 大和中納言秀保 ◆MtKiRaGd8. 投稿日:2008/12/30(火) 09:46:01
>>24
北宋の神宗 趙ギョク
の方が比べるべくもなく優秀だと思いますよ。

同じ廟号なのに雲泥の差です。
36: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/11(水) 16:36:39
万暦帝の足元にも及ばない

40: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/16(月) 11:03:19
>>36
滅亡の原因を作ったという意味で?

28: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/09(月) 10:19:15
神宗って歴代皇帝の中でも名君の部類に入るの?

29: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/09(月) 20:17:39
微妙
王安石を起用して新法と呼ばれる政策を実行したが、旧法党とよばれる反対派との対立を招き、その混乱を収拾できないうちに亡くなった。新旧両派の政争が北宋の命取りになったことを考えると、この人を名君と呼ぶのはどうかと。

30: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/09(月) 21:43:39
>>29
確か神宗って官制改革の時に、新旧両派から採用しようとしていたような?
ある程度長命だったら後の新旧両派の対立は避けられたんじゃない?

34: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/11(水) 11:24:19
>>30
改革をするなら、徹底すべきでは?
そういう中途半端な妥協が、かえって党争を長引かせた原因では?

37: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/11(水) 17:53:54
>>34
神宗が短命で没した後、旧法派が復活し新法派を追放、哲宗新政で新法派が旧法派を追放の流れがないから上手くいくんじゃないの?

31: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/09(月) 23:23:22
神宗の目指した新法は、今でいう構造改革に近いの?

32: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/10(火) 23:30:28
>>31
いいや。ああいう自己責任を強調するような類のもんではないな。
新法は中産層を発生させるというか、その活力を増大させるようなもの。
対外関係の安定化と軍事費削減(後から神宗が不安定化させたけど)、官僚機構のスリム化も併せて実施。

33: 世界@名無史さん 投稿日:2009/02/11(水) 00:44:51
>>32
神宗は夏とか越に出兵して被害が沢山出て本人も反省してだけど、でも国が安定したら外に拡大しようとすること自体は別に非難されることではないよね。


44: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/20(月) 03:06:02
質問なんですが
神宗は王安石引退後、民衆から税金を絞りとって豊かになった国庫を西夏などとの戦争や開封の城壁を華美にするなどの無駄な土木工事をした暗君という認識でいいんでしょうか?

48: 世界@名無史さん 投稿日:2009/04/20(月) 21:05:56
神宗が暗君かどうかは知らんが、仮に神宗が長命だったら宋や新法はどうなったんだろうか?

60: 世界@名無史さん 投稿日:2009/05/07(木) 16:24:27
皇帝ヨーゼフ2世とかぶる
長生きして新法が成功したら廟号は武宗になったかな

62: 世界@名無史さん 投稿日:2009/05/10(日) 21:37:10
>>60
武宗ってむしろ暗君の廟号なんじゃないの?
唐にしろ明にしろ

64: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/17(月) 17:01:10
>>60
「宣宗」あたりがいい




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