1: 日本@名無史さん 2023/05/04(木) 15:53:48.26
武田や佐竹以外に
2: 日本@名無史さん 2023/05/04(木) 17:30:08.36
蜂須賀や脇坂は藩祖以前は分かりませんと幕府に提出している。
3: 日本@名無史さん 2023/05/04(木) 18:25:32.67
北条とか三浦も仮冒だという人いるけど、仮冒したというならその理由はなんなのかいってほしいもんだ
4: 日本@名無史さん 2023/05/04(木) 19:12:54.11
猶子に出された先の家を名乗るのを仮冒とは言わないよ
9: 日本@名無史さん 2023/05/26(金) 15:55:07.27 BE:943746873-2BP(0)
藤原秀郷からして系図いじってると言うから
藤原 秀郷は、平安時代中期の貴族、豪族、武将。下野大掾・藤原村雄の子。室町時代に「俵藤太絵巻」が完成し、近江三上山を八巻きした大百足退治の伝説で有名。別名は、俵(田原)藤太。
『尊卑分脈』などの系図から、一般に藤原北家魚名流とされる。魚名の子・伊勢守・藤原藤成が下野史生・鳥取業俊の娘との間にもうけたのが下野権守(少掾とも)・藤原豊沢であり、豊沢が下野史生・鳥取豊後の娘との間にもうけたのが下野大掾・藤原村雄であり、村雄と下野掾・鹿島直行の娘との間に生まれたとされる。
しかし、太田亮などによると下野国史生郷の土豪・鳥取氏が藤原氏に仕えてその系譜を冒したという説もあり、古代から在庁官人を務めた秀郷の母方の姓を名乗ったとする説もあるが定かではない。この系譜仮冒説では、豊沢の父とされる藤成の系譜上での位置づけが不安定であることと、魚名から秀郷までのわずか5代で200年が経過していることが不審とされている。
『尊卑分脈』などの系図から、一般に藤原北家魚名流とされる。魚名の子・伊勢守・藤原藤成が下野史生・鳥取業俊の娘との間にもうけたのが下野権守(少掾とも)・藤原豊沢であり、豊沢が下野史生・鳥取豊後の娘との間にもうけたのが下野大掾・藤原村雄であり、村雄と下野掾・鹿島直行の娘との間に生まれたとされる。
しかし、太田亮などによると下野国史生郷の土豪・鳥取氏が藤原氏に仕えてその系譜を冒したという説もあり、古代から在庁官人を務めた秀郷の母方の姓を名乗ったとする説もあるが定かではない。この系譜仮冒説では、豊沢の父とされる藤成の系譜上での位置づけが不安定であることと、魚名から秀郷までのわずか5代で200年が経過していることが不審とされている。
10: 日本@名無史さん 2023/05/26(金) 17:29:48.62
その時代ならちょうど史料不足時代かつ京の出来事でないから史料あっても出て来る頻度低いせいで、武士の起源云々で未だに争う原因にもなってるからね
16: 日本@名無史さん 2023/06/04(日) 04:14:58.10
戦国時代だと系図偽造したり系図を古代の天皇に結びつけたりする専門業者みたいなのがいたらしいな
17: 日本@名無史さん 2023/06/05(月) 00:49:26.01
将軍家が岩松新田の当主に少し系図みせて?といい断った結果の120石w
しかもそれでいて交代寄合枠
しかもそれでいて交代寄合枠
岩松氏
岩松秀純の代に、江戸幕府は岩松家を新田宗家に立て交代寄合の格式を与えた。ただし新田姓を名乗ることは許さず、禄高については寛文三年(1663年)に新田郡下田嶋村にわずか100石加増しただけで、交代寄合としては最低レベルの120石を与えただけであった。
岩松家と山名家は、徳川将軍家と同じ新田氏一門であるため、格式(伺候席・乗物・服装など)については表高家並寄合として厚く処遇されたが、禄高は小さく、しかも参勤交代があった。わずか120石取りの旗本にとって、格式や参勤交代に伴う出費はかなりの負担であった。
資金集めとして義寄・徳純・道純・俊純の4代は、猫の絵を描いて売り、「猫絵の殿様」として知られていた(直筆の署名入りの猫絵が現存する)。これらの猫絵は、上州・下野・信濃の養蚕農家ではネズミ除けに絶大な効果があると信じられていた。
岩松秀純の代に、江戸幕府は岩松家を新田宗家に立て交代寄合の格式を与えた。ただし新田姓を名乗ることは許さず、禄高については寛文三年(1663年)に新田郡下田嶋村にわずか100石加増しただけで、交代寄合としては最低レベルの120石を与えただけであった。
岩松家と山名家は、徳川将軍家と同じ新田氏一門であるため、格式(伺候席・乗物・服装など)については表高家並寄合として厚く処遇されたが、禄高は小さく、しかも参勤交代があった。わずか120石取りの旗本にとって、格式や参勤交代に伴う出費はかなりの負担であった。
資金集めとして義寄・徳純・道純・俊純の4代は、猫の絵を描いて売り、「猫絵の殿様」として知られていた(直筆の署名入りの猫絵が現存する)。これらの猫絵は、上州・下野・信濃の養蚕農家ではネズミ除けに絶大な効果があると信じられていた。
29: 日本@名無史さん 2023/11/13(月) 09:04:55.66
>>17
まあけど、松平太郎左衛門家もウィキペディアによると当初260石、後に440石って書いてあるしそんなもんとちゃうか
まあけど、松平太郎左衛門家もウィキペディアによると当初260石、後に440石って書いてあるしそんなもんとちゃうか
15: 日本@名無史さん 2023/06/01(木) 17:09:00.22
松平が加茂氏だというのも疑わしい
18: 日本@名無史さん 2023/06/05(月) 20:38:55.50
松平氏は徳阿弥とくいう遊行僧の子孫と言う説もあるよね
14: 日本@名無史さん 2023/05/28(日) 11:51:37.34
豊臣は?
最初から庶民の出と言ってるんじゃない?
最初から庶民の出と言ってるんじゃない?
19: 日本@名無史さん 2023/06/05(月) 21:12:29.48
武家の方向性では無理だったんで公家ルートで関白にまでなった秀吉さんだが、あれだけの権力をもってしても無理だった理由はやはり差がありまくりだったのかな
20: 日本@名無史さん 2023/06/07(水) 22:26:21.15
後ろめたく仮冒するよりも新たな豊臣の姓を賜った方が良かったんじゃないの
23: 日本@名無史さん 2023/07/01(土) 11:35:55.93
関白を豊臣氏だけのものにしたかったが、他氏排斥にかけては1000年の伝統がある藤原氏五摂家と徳川に阻まれた
25: 日本@名無史さん 2023/07/14(金) 19:54:13.45
未完とも言える新撰姓氏録で1182の姓が集められてるそうやけど、江戸時代の武家の姓は50くらいとちゃうんか しかも、ほとんどが清和源氏・藤原氏・桓武平氏やろ 知らんけど
ほとんどの姓は忘れ去られたんやろか?
祖先から伝わる姓を忘れず保有してた奴らはおらんのか
ていうか、そうではなく、ほとんどの氏族は滅んで、源・藤原・平の子孫しかおらんのやろか?
ほとんどの姓は忘れ去られたんやろか?
祖先から伝わる姓を忘れず保有してた奴らはおらんのか
ていうか、そうではなく、ほとんどの氏族は滅んで、源・藤原・平の子孫しかおらんのやろか?
26: 日本@名無史さん 2023/08/14(月) 06:24:14.16
岡山あたりで吉備氏が本性だと言う武家ないの?
27: 日本@名無史さん 2023/09/22(金) 22:58:35.64
納骨信仰で奉納された高野山の遺骨・歯で遺伝子データベース作ればいいのに
平安期以降の遺伝子ファミリーツリー
平安期以降の遺伝子ファミリーツリー
28: 日本@名無史さん 2023/11/13(月) 00:58:40.90
丹羽は良岑とかいうマイナー氏族
31: 日本@名無史さん 2023/11/16(木) 21:52:04.94
源平藤橘以外への仮冒ってあんまり無いよな
32: 日本@名無史さん 2023/11/18(土) 09:29:58.12
有名なのは
大江(土師→阿保親王裔)
清原(凡海→天武系清原氏乗っ取り)
大江(土師→阿保親王裔)
清原(凡海→天武系清原氏乗っ取り)
33: 日本@名無史さん 2023/11/18(土) 12:17:36.63
秀郷が男系で藤原か怪しいのはなるほど分かった
でも桓武平氏が大体ジモティーの仮冒というのは無理がないか?
宝賀ファンの意見が聞きたい
でも桓武平氏が大体ジモティーの仮冒というのは無理がないか?
宝賀ファンの意見が聞きたい
42: 日本@名無史さん 2023/11/21(火) 21:12:17.35
>>33
鎌倉党(梶原・長尾ほか)は陸奥話記の源頼義家人藤原景通・景季親子の子孫だろう
千葉氏(相馬・国分ほか)も常胤の寄進状では良文との接続が後世の系図と異なる
熊谷氏は丹治氏の系図も伝える
鎌倉党(梶原・長尾ほか)は陸奥話記の源頼義家人藤原景通・景季親子の子孫だろう
千葉氏(相馬・国分ほか)も常胤の寄進状では良文との接続が後世の系図と異なる
熊谷氏は丹治氏の系図も伝える
34: 日本@名無史さん 2023/11/18(土) 22:49:46.03 BE:149695178-2BP(0)
肝付は伴氏で正しいだろうなとは思う
古代の氏族だがわざわざそれを仮冒する利点とかないし
古代の氏族だがわざわざそれを仮冒する利点とかないし
35: 日本@名無史さん 2023/11/20(月) 02:45:51.85
高師直などの高一族のウィキペディアを見たらこれは名字ではなく氏(高階朝臣)と書いてある。
それやったら「高階師直」でええんとちゃうん?って思うんやけど、なんで「高」なんやろか?
それと、他にも名字を名乗らず氏のままの例ってあるかな?
それやったら「高階師直」でええんとちゃうん?って思うんやけど、なんで「高」なんやろか?
それと、他にも名字を名乗らず氏のままの例ってあるかな?
36: 日本@名無史さん 2023/11/20(月) 02:59:07.32
わからんことが多いなあ
武家って天皇を廃位したり僻地に流罪にもできるし、法度とかも制定できるし、要は朝廷に対してやりたい放題やん
それやったら名字と氏の区別の慣習(?)なんて無視して、名字のままで官位をもらってもええんとちゃうんか?って思うなあ
それはせずに官位をもらうときは数千ある氏のごく一部である源朝臣 藤原朝臣 平朝臣・・・などと系図を繋げよるんや
(平安後期以降に公卿を出してる氏)
没落した蘇我とか紀とか葛城とか阿部とか太とか平群とか和気とかやったらあかんわけや
こんなの無視できそうやのにそれはやらない
豊臣秀吉だけ唯一の例外として「豊臣朝臣」を設定したな
武家がこういう謎ルールは遵守するのが不思議
武家って天皇を廃位したり僻地に流罪にもできるし、法度とかも制定できるし、要は朝廷に対してやりたい放題やん
それやったら名字と氏の区別の慣習(?)なんて無視して、名字のままで官位をもらってもええんとちゃうんか?って思うなあ
それはせずに官位をもらうときは数千ある氏のごく一部である源朝臣 藤原朝臣 平朝臣・・・などと系図を繋げよるんや
(平安後期以降に公卿を出してる氏)
没落した蘇我とか紀とか葛城とか阿部とか太とか平群とか和気とかやったらあかんわけや
こんなの無視できそうやのにそれはやらない
豊臣秀吉だけ唯一の例外として「豊臣朝臣」を設定したな
武家がこういう謎ルールは遵守するのが不思議
37: 日本@名無史さん 2023/11/20(月) 03:03:19.47
名字
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%AD%97
>この頃の名字は家名としての性格が弱く、いわゆる北条泰時は江間太郎を称した後、父の相模守就任後は「相模太郎」(相模守の嫡男の意)を称し、任官後はもっぱら官名で呼ばれており、「相模修理亮泰時」と称することはあっても実際に北条(條)の名字で呼称された事実は無い。北条時宗も同様であり、実際に北条の名字を名乗った北条氏は少数派である
↑
初めて知った
ということは、北条時宗は「相模左馬権頭時宗」か。
北条◯◯って名乗ったことのある北条一族って誰?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%AD%97
>この頃の名字は家名としての性格が弱く、いわゆる北条泰時は江間太郎を称した後、父の相模守就任後は「相模太郎」(相模守の嫡男の意)を称し、任官後はもっぱら官名で呼ばれており、「相模修理亮泰時」と称することはあっても実際に北条(條)の名字で呼称された事実は無い。北条時宗も同様であり、実際に北条の名字を名乗った北条氏は少数派である
↑
初めて知った
ということは、北条時宗は「相模左馬権頭時宗」か。
北条◯◯って名乗ったことのある北条一族って誰?
39: 日本@名無史さん 2023/11/20(月) 03:29:46.50
氏を名乗らなくなって名字を名乗るようになったら氏を忘れてしまう者が多い。自分の氏だけじゃなくて氏という慣習そのものも忘れたのではないか?
しかしながら、源氏の棟梁 平氏の棟梁 というのは忘れずに意識していたのだろうか?
しかしながら、源氏の棟梁 平氏の棟梁 というのは忘れずに意識していたのだろうか?
40: 日本@名無史さん 2023/11/20(月) 03:33:31.64
源頼朝も当時の慣習に従えば、ただ「源頼朝」と名乗るだけではカスみたいなものであって、「源右兵衛権佐頼朝」「源右大将頼朝」と名乗らなければ箔が付かなかったんだろうな
44: 日本@名無史さん 2023/11/24(金) 04:44:52.97
本当は桓武平氏小栗氏の庶流らしいが、戦国時代に大田原に乗っ取られたからか、丹治姓であるとした大関という家もある
大関氏(おおぜきし)は、武家・華族だった日本の氏族。江戸時代に下野国黒羽藩主家、明治維新後には華族の子爵家となった。
大関氏の系図や江戸時代後期に大関増業が編纂した『創垂可継』などの家伝では、大関氏は武蔵七党の丹党の末裔であり、本姓は丹治姓であるとしている。
郷土史家の蓮実長は、戦国期に大田原氏から大関高増が養嗣子として大関氏に入ったために、大関氏の系図を作為して強いて丹治姓としたと指摘している。それとともに、『那須系図説』や『伊王野系図』を基に大関氏は常陸国小栗氏より出た平姓と考えるのが正しいと断定した。
大関氏の系図や江戸時代後期に大関増業が編纂した『創垂可継』などの家伝では、大関氏は武蔵七党の丹党の末裔であり、本姓は丹治姓であるとしている。
郷土史家の蓮実長は、戦国期に大田原氏から大関高増が養嗣子として大関氏に入ったために、大関氏の系図を作為して強いて丹治姓としたと指摘している。それとともに、『那須系図説』や『伊王野系図』を基に大関氏は常陸国小栗氏より出た平姓と考えるのが正しいと断定した。
引用元: ・系図を仮冒してない武家ってあるの?