1: 世界@名無史さん 2010/09/12(日) 01:47:17 0
司馬遷・鄭和のような傑物から 、趙高のような佞姦まで様々な中国史の宦官を語りましょう。
4: 世界@名無史さん 2010/09/12(日) 07:23:16 0
宦官将軍っていうと鄭和の他にどんなのがいましたっけ
西洋ではナルセスってのがいましたが
西洋ではナルセスってのがいましたが
7: 世界@名無史さん 2010/09/12(日) 09:55:56 0
北宋末の童貫
11: 世界@名無史さん 2010/09/15(水) 03:21:09 0
>>7
宦官なのに顎鬚はえててムキムキマッチョという話なんだから、金玉ついたままだったら凄かったんだろうな。もったいなさすぎる。
宦官なのに顎鬚はえててムキムキマッチョという話なんだから、金玉ついたままだったら凄かったんだろうな。もったいなさすぎる。
33: パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. 2010/09/20(月) 00:01:52 0
日本に「中国式の宦官」が導入されなかった理由を自分は日本には古代社会から続いていた母系家族制度が色濃く残っていたからではないかと思います。
遣隋使・遣唐使を頻繁に派遣した飛鳥~奈良時代といえば女帝に代表される母系社会の構図が具体的に繁栄されていた時代ですし。
男子継承に拘らないなら、後宮など作る意味が無いし、宦官も不要。
そんな実質母系社会が飛鳥~奈良~平安時代と続き、遣唐使自体も廃止され、完全に日本独自路線である「宦官なんて要らないよin宮廷文化」が花開いたワケです。
遣隋使・遣唐使を頻繁に派遣した飛鳥~奈良時代といえば女帝に代表される母系社会の構図が具体的に繁栄されていた時代ですし。
男子継承に拘らないなら、後宮など作る意味が無いし、宦官も不要。
そんな実質母系社会が飛鳥~奈良~平安時代と続き、遣唐使自体も廃止され、完全に日本独自路線である「宦官なんて要らないよin宮廷文化」が花開いたワケです。
35: 世界@名無史さん 2010/09/21(火) 00:17:12 0
>>33
そのころも後宮はあったんじゃない?
それに女帝はいたけど少数派で母系社会とまでは言い切れないと思う
そのころも後宮はあったんじゃない?
それに女帝はいたけど少数派で母系社会とまでは言い切れないと思う
36: パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. 2010/09/21(火) 01:06:49 0
33代推古天皇~48代称徳天皇まで女帝と男帝が交互に即位した、いわゆる女帝乱立期でした。
女帝は天皇の生母でもあり、男帝の后でもあった時代です。
また、皇族同士や有力貴族同士の貴種婚が普通だった古代日本では、後宮のような身分の垣根を越えた言うなれば「女の科挙制度」と呼べるお后選びなど考えられようもなく、結果的に後宮などなかったし、貴種でない妾の子は冷遇されるしかなかった時代です。
当然ながらそんな素地では宦官の必要性もなかったので、エミシやクマソの美少年が去勢されて朝廷に献上されることもなかった。
女帝は天皇の生母でもあり、男帝の后でもあった時代です。
また、皇族同士や有力貴族同士の貴種婚が普通だった古代日本では、後宮のような身分の垣根を越えた言うなれば「女の科挙制度」と呼べるお后選びなど考えられようもなく、結果的に後宮などなかったし、貴種でない妾の子は冷遇されるしかなかった時代です。
当然ながらそんな素地では宦官の必要性もなかったので、エミシやクマソの美少年が去勢されて朝廷に献上されることもなかった。
43: 世界@名無史さん 2010/10/03(日) 11:05:34 0
宦官は日本に導入されることはなかったけど、古代日本では本当に宦官は一人もいなかったのだろうか?
中国の制度を取捨選択する中での試行期間で少数の宦官がいたとしても不思議ではない。
その人達のその後の人生・地位はどうなっちゃんたんだろう?
中国の制度を取捨選択する中での試行期間で少数の宦官がいたとしても不思議ではない。
その人達のその後の人生・地位はどうなっちゃんたんだろう?
44: 世界@名無史さん 2010/10/04(月) 01:47:13 0
>>43
古代とは何処までかというのはあるけど鎌倉時代より前とすると、
・ 平安時代の修行僧の自宮(宇治拾遺物語巻1第6)
・ 法然の弟子の女犯僧の宮刑(皇帝紀抄巻7)
なんかが去勢の例として文書に残っているね。
当然全てが記録の残るわけじゃないから多少はあったかもしれないね。
古代とは何処までかというのはあるけど鎌倉時代より前とすると、
・ 平安時代の修行僧の自宮(宇治拾遺物語巻1第6)
・ 法然の弟子の女犯僧の宮刑(皇帝紀抄巻7)
なんかが去勢の例として文書に残っているね。
当然全てが記録の残るわけじゃないから多少はあったかもしれないね。
46: パオ兄さん ◆mEq.Fp/iL. 2010/10/04(月) 23:49:17 0
>>43
>古代日本では本当に宦官は一人もいなかったのだろうか?
居なかったと思われる。
日本では古来から人間の命は玉に宿るものとされ、それゆえ「魂(たましい)」「御霊(みたま)」などと「タマ」と呼んだ。
その玉とは男性の睾丸および女性の卵巣であり、それを取ることは人の死を意味した。
この場合の死とは肉体ではなく精神的な意味の死。
そんな状態の人間を貴人の傍に仕えさせるなどあってはならないと考えたのだろう。
>古代日本では本当に宦官は一人もいなかったのだろうか?
居なかったと思われる。
日本では古来から人間の命は玉に宿るものとされ、それゆえ「魂(たましい)」「御霊(みたま)」などと「タマ」と呼んだ。
その玉とは男性の睾丸および女性の卵巣であり、それを取ることは人の死を意味した。
この場合の死とは肉体ではなく精神的な意味の死。
そんな状態の人間を貴人の傍に仕えさせるなどあってはならないと考えたのだろう。
53: 世界@名無史さん 2010/10/11(月) 00:08:07 0
>>46
宮廷の使用人という立場での宦官は居なかった。但し、日本の律令に宮刑はあるよ。
破戒僧あたりに適応されたらしい。
宮廷の使用人という立場での宦官は居なかった。但し、日本の律令に宮刑はあるよ。
破戒僧あたりに適応されたらしい。
72: 世界@名無史さん 2011/07/06(水) 11:15:37.47 0
朝鮮にも宦官はいたよね。日本には入らなかったけど。
74: 世界@名無史さん 2011/07/19(火) 15:58:00.18 0
日本だって宦官があった痕跡はあるよ。
継体天皇のあたりに事情があって廃止しちゃったんだろう。
継体天皇のあたりに事情があって廃止しちゃったんだろう。
78: 世界@名無史さん 2011/07/27(水) 01:07:14.08 0
>>74
律令には宮刑の規定はあるが、明確な実施記録はない。
かろうじて、破戒僧に実行したらしいくらいまでしかわかってない。
律令には宮刑の規定はあるが、明確な実施記録はない。
かろうじて、破戒僧に実行したらしいくらいまでしかわかってない。
81: 世界@名無史さん 2011/12/04(日) 01:22:56.54 0
>>78
斬首とかと違って技術がいるから難しかったんだろうね
斬首とかと違って技術がいるから難しかったんだろうね
82: 世界@名無史さん 2011/12/17(土) 22:34:10.62 0
>>81
中国でも生き残ったらもうけものの事実上の死刑の時代もあったらしい
中国でも生き残ったらもうけものの事実上の死刑の時代もあったらしい
49: 世界@名無史さん 2010/10/09(土) 00:59:42 O
中国の宦官手術が進んでいて殆ど失敗は無かったというのは、三田村先生の本にも出て来るね。
ローマがどうだったかといえば、こっちも安全性は高かったと考える。ヘリオガバルスみたいに、皇帝自身が宦官だった例がある。過半数が死ぬような手術を皇帝に施すなんぞ考えられない。命を救うための手術じゃないんだから。
ローマがどうだったかといえば、こっちも安全性は高かったと考える。ヘリオガバルスみたいに、皇帝自身が宦官だった例がある。過半数が死ぬような手術を皇帝に施すなんぞ考えられない。命を救うための手術じゃないんだから。
50: 世界@名無史さん 2010/10/09(土) 02:08:18 0
>>49
ヘリオガバルスは宦官じゃなかったろ。少なくとも即位時は。
去勢したかどうかもわからんのじゃなかったか?
ヘリオガバルスは宦官じゃなかったろ。少なくとも即位時は。
去勢したかどうかもわからんのじゃなかったか?
51: 世界@名無史さん 2010/10/09(土) 09:50:26 O
>>50
皇帝になってから去勢した(と噂された)わけだ。
過半数が死ぬ手術を皇帝が受けるなんて、幾らなんでも信憑性ゼロで誰も信じないでしょ。
それに、中国やヨーロッパには家畜を去勢する伝統があった。家畜がそんなに死んでは大損だから、去勢手術の技術はかなりのものだったと思うよ。
皇帝になってから去勢した(と噂された)わけだ。
過半数が死ぬ手術を皇帝が受けるなんて、幾らなんでも信憑性ゼロで誰も信じないでしょ。
それに、中国やヨーロッパには家畜を去勢する伝統があった。家畜がそんなに死んでは大損だから、去勢手術の技術はかなりのものだったと思うよ。
75: 世界@名無史さん 2011/07/25(月) 01:17:23.27 0
琉球にも宦官があったのか?
NHKのドラマに出てたけど
NHKのドラマに出てたけど
77: 世界@名無史さん 2011/07/25(月) 02:53:42.77 0
朝鮮やベトナムに宦官はいたが、琉球にはいなかった。
ドラマでは「幼い頃清国で暮らし、そのときに去勢した」という設定。
ていうか「テンペスト」はファンタジー小説だから。
ドラマでは「幼い頃清国で暮らし、そのときに去勢した」という設定。
ていうか「テンペスト」はファンタジー小説だから。
83: 世界@名無史さん 2011/12/18(日) 08:58:48.09 0
市定先生の本とかだと、去勢したら声が甲高くなるとか、ヒゲや体毛が薄くなるとかあったけど、カルーセルとかはるな愛とか見ても、寺声は太いし、ヒゲ剃ってるらしいし、全然ちがうんだけど。
84: 世界@名無史さん 2011/12/29(木) 15:48:11.74 0
宦官でも童貫は筋骨隆々で髭はやしてたらしいけどな
85: 世界@名無史さん 2012/01/01(日) 09:59:03.94 0
ホルモンの関係で髭はそんなに生えなくなるはずだけど
108: 世界@名無史さん 2013/02/12(火) 23:44:05.28 0
最後の宦官に興味ある
109: 世界@名無史さん 2013/03/09(土) 21:36:44.86 0
>>108
本が出てるよ
本が出てるよ
110: 世界@名無史さん 2013/03/17(日) 12:24:16.11 0
「最後の宦官秘聞―ラストエンペラー溥儀に仕えて」
(2002年刊、NHK出版)
清朝そして満州国の皇帝溥儀に14歳から宦官として仕えた孫耀庭(1902年~1996年)が語る宮廷内外の秘話を、中国人作家の賈英華がまとめた実録。
(2002年刊、NHK出版)
清朝そして満州国の皇帝溥儀に14歳から宦官として仕えた孫耀庭(1902年~1996年)が語る宮廷内外の秘話を、中国人作家の賈英華がまとめた実録。
118: 世界@名無史さん 2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN 0
去勢すると筋肉がつきにくくなって肉体的な攻撃性も減るって聞いたけど、新武術を創始した董海川とかはどうなんだろ
董 海川(とう かいせん、1797年?(1813年の説もあり) - 1882年)は、清時代の武術家・宦官。八卦掌の創始者。
家は貧しかったが、武術を好んだ。安徽九華山にて、「雲盤老祖」(別説では華澄霞(紅蓮長老))に出あい、その武術を伝授される。その後、日々練習を重ね、独自の工夫を加えて八卦掌を創造した。その後、北京に出向き、清朝の王族に認められ、絶技的武林大師と呼ばれる。
家は貧しかったが、武術を好んだ。安徽九華山にて、「雲盤老祖」(別説では華澄霞(紅蓮長老))に出あい、その武術を伝授される。その後、日々練習を重ね、独自の工夫を加えて八卦掌を創造した。その後、北京に出向き、清朝の王族に認められ、絶技的武林大師と呼ばれる。
119: 世界@名無史さん 2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN O
>>118
女は男より筋肉つきにくいが、女の子プロレスラーも柔道家もいる。
それと同じじゃない?
女は男より筋肉つきにくいが、女の子プロレスラーも柔道家もいる。
それと同じじゃない?
120: 世界@名無史さん 2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN 0
ていうか、鄭和は幼少時に去勢したけど身長180㎝、体重100キロの偉丈夫(宦官でもこの語は使えるかな?)に成長したぞ。
ベトナム李朝の武人で宋との戦で大勝利を収めた李常傑も宦官。
宦官の武人はけっこういる。
ベトナム李朝の武人で宋との戦で大勝利を収めた李常傑も宦官。
宦官の武人はけっこういる。
121: 世界@名無史さん 2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN 0
>>120
ローマでもベリサリウスの後任のナルセスは宦官だね
ローマでもベリサリウスの後任のナルセスは宦官だね
138: 世界@名無史さん 2014/05/29(木) 15:11:21.88 0
個人的に蔡倫が好きだ。
彼がいなかったら活字中毒の自分なんかとっくに死んでる。
彼がいなかったら活字中毒の自分なんかとっくに死んでる。
139: 世界@名無史さん 2014/06/01(日) 10:01:23.18 0
最近は蔡倫以前も紙があるのは有名になってきているがな。
140: 世界@名無史さん 2014/06/01(日) 12:09:50.12 0
陳舜臣の「紙の道」読んでみたら前漢の頃には粗紙があったそうだ。
146: 世界@名無史さん 2014/10/18(土) 20:20:08.50 0
でも蔡倫は紙の大成者じゃないのか?
製造法もてんでばらばらなのを、良質なものつくってくれた。
どれだけ感謝してもし足りない。
最期は自尽なんだよな・・・。
製造法もてんでばらばらなのを、良質なものつくってくれた。
どれだけ感謝してもし足りない。
最期は自尽なんだよな・・・。
147: 世界@名無史さん 2014/10/19(日) 03:26:20.04 0
>司馬遷・鄭和のような傑物から 、趙高のような佞姦まで様々な中国史の宦官を語りましょう。
司馬遷は宦官じゃないだろ
宮刑にされただけで宦官として仕官したわけじゃないし、その宮刑だって死刑になるはずだったのにどうしてもやり遂げたいことがあるからと、死刑の代わりに宮刑にしてもらったんだし
司馬遷は宦官じゃないだろ
宮刑にされただけで宦官として仕官したわけじゃないし、その宮刑だって死刑になるはずだったのにどうしてもやり遂げたいことがあるからと、死刑の代わりに宮刑にしてもらったんだし
151: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2014/12/14(日) 18:47:45.87 0
>>147
去勢されて士官していれば仕事が庭掃除でも宦官扱いだった
去勢されて士官していれば仕事が庭掃除でも宦官扱いだった
148: 世界@名無史さん 2014/10/19(日) 14:46:37.57 0
司馬遷は宦官にされた後も仕官しているぞ。
ただ、宦官でなけばできない後宮の仕事じゃないけどな。
ただ、宦官でなけばできない後宮の仕事じゃないけどな。
150: 世界@名無史さん 2014/10/19(日) 16:33:20.74 0
司馬遷はやはり宦官だ。
刑余の者として宦官待遇だった筈。
刑余の者として宦官待遇だった筈。
152: 世界@名無史さん 2015/01/01(木) 23:50:56.12 0
とりあえず「宦官=去勢された男の官吏」が定義かな
宮刑受けても故郷で普通に生活する刑余者もいたらしいから
宮刑受けても故郷で普通に生活する刑余者もいたらしいから
153: 世界@名無史さん 2015/01/08(木) 13:07:23.90 0
明代は宦官志望の自宮者が就職に失敗して故郷に帰る事もできずに北京の周辺で追い剥ぎ強盗をしていたそうだ。
235: 世界@名無史さん 2018/12/23(日) 23:12:01.88 0
司馬遷は宦官だった
紙を発明した蔡倫は宦官だった
明代に大航海をした鄭和も宦官だった
紙を発明した蔡倫は宦官だった
明代に大航海をした鄭和も宦官だった
236: 世界@名無史さん 2018/12/24(月) 11:23:19.55 0
>>235
司馬遷は孔子を尊敬していたけど、孔子は衛公が宦官を馬車に同情させていたのを見て汚らわしいと言ったらしいからなあ
司馬遷は孔子を尊敬していたけど、孔子は衛公が宦官を馬車に同情させていたのを見て汚らわしいと言ったらしいからなあ
237: 世界@名無史さん 2019/01/03(木) 10:24:10.73 O
司馬遷は宮刑に処せられたが宦官ではない。
閹人⊇宦官(=ではない)に注意。
閹人⊇宦官(=ではない)に注意。
239: 世界@名無史さん 2019/01/06(日) 14:33:08.86 0
>>237
宦官になる刑罰だよ
それに宮中で働いているよ
宦官になる刑罰だよ
それに宮中で働いているよ
255: 世界@名無史さん 2019/03/21(木) 13:31:52.93 0
自宮宦官の最初が斉の桓公に仕えたジュチョウだから基本は罪人だよ
最初は異民族の捕虜だけど
最初は異民族の捕虜だけど
155: 世界@名無史さん 2015/03/26(木) 03:15:24.72 0
偽物(普通の男)が紛れていないか毎日チェックとかしていたの?
158: 世界@名無史さん 2015/03/28(土) 21:36:31.86 0
>>155
してないから嫪毒(ろうあい)みたいなのが悪さ出来たんだと思う
してないから嫪毒(ろうあい)みたいなのが悪さ出来たんだと思う
167: 世界@名無史さん 2015/09/20(日) 22:53:41.64 0
wikiの「宦官」の項で
>去勢されたために子孫を残すことができず、権力を世襲することができない宦官は必要不可欠な存在であった。
の直後に
>後漢末の群雄の一人である曹操ですら、
云々とあって、え?と思う
曹操こそが宦官が権力を世襲した典型例だろうに
>去勢されたために子孫を残すことができず、権力を世襲することができない宦官は必要不可欠な存在であった。
の直後に
>後漢末の群雄の一人である曹操ですら、
云々とあって、え?と思う
曹操こそが宦官が権力を世襲した典型例だろうに
168: 世界@名無史さん 2015/09/21(月) 01:43:28.28 O
>>167
子供が出来てから宦官になる奴も居るし、甥を養子にする宦官も居るし「世襲できない」というのは眉唾だね。
子供が出来てから宦官になる奴も居るし、甥を養子にする宦官も居るし「世襲できない」というのは眉唾だね。
169: 世界@名無史さん 2015/09/21(月) 21:26:56.84 0
皇帝が宦官を重用する理由として、家族がいないから皇帝を第一に考えてくれるとか、権力を持たせても一代限りだから安心とか説明があるけど、唐代の宦官なんて自分たちが大事で皇帝なんか軽んじてたし、曹吉祥は簒奪狙ったし、全然違う気が
170: 世界@名無史さん 2015/09/21(月) 21:50:53.20 O
>>169
そういう奴も居た、という話では。
強い使命感と倫理観で任務に励む自衛官や警察官の中にも、残念ながら人間の屑が紛れ込んでいるように。
そういう奴も居た、という話では。
強い使命感と倫理観で任務に励む自衛官や警察官の中にも、残念ながら人間の屑が紛れ込んでいるように。
171: 世界@名無史さん 2015/09/22(火) 09:31:49.77 0
>>170
家族がいないから皇帝を第一とか、一代限りとかの条件が外れると、他の官僚や外戚と何も変わらないから、特に重用する理由も無いんじゃないかなってこと
幼い頃の養育係なら親近感も沸くかもしれないけど、魚朝恩や曹吉祥は皇帝の幼少時代には接点が無いし
家族がいないから皇帝を第一とか、一代限りとかの条件が外れると、他の官僚や外戚と何も変わらないから、特に重用する理由も無いんじゃないかなってこと
幼い頃の養育係なら親近感も沸くかもしれないけど、魚朝恩や曹吉祥は皇帝の幼少時代には接点が無いし
173: 世界@名無史さん 2015/09/25(金) 11:53:31.06 O
>>171
天涯孤独の人でもない限り、身内は居るんだよね。
中には妻子を養うために宦官になる人も居たし、居ないなら居ないで甥や姪を我が子のように可愛がる人なんて全然珍しくないし。
天涯孤独の人でもない限り、身内は居るんだよね。
中には妻子を養うために宦官になる人も居たし、居ないなら居ないで甥や姪を我が子のように可愛がる人なんて全然珍しくないし。
192: 世界@名無史さん 2017/06/26(月) 08:32:50.97 0
科挙に何度も落ちた人が宦官の道を選ぶってのもありそうな
193: 世界@名無史さん 2017/12/18(月) 16:06:25.52 0
>>192
明の王振がまんまそれ
明の王振がまんまそれ
202: 世界@名無史さん 2018/03/07(水) 07:45:14.21 0
アメリカ人が書いた本を立ち読みしてたら、
「宦官は中国韓国以外には見当たらない。日本にもいない」
あれ?ビザンチン~オスマン朝にもいたんじゃなかったっけ?
東ゴート王国を倒したナルセス将軍など。
「宦官は中国韓国以外には見当たらない。日本にもいない」
あれ?ビザンチン~オスマン朝にもいたんじゃなかったっけ?
東ゴート王国を倒したナルセス将軍など。
206: 世界@名無史さん 2018/03/09(金) 10:16:49.80 0
>>202
ぶっちゃけ無教養にもほどがあるやろ。
ローマやイスラム圏にもいたのに
ぶっちゃけ無教養にもほどがあるやろ。
ローマやイスラム圏にもいたのに
203: 世界@名無史さん 2018/03/08(木) 20:00:54.56 0
イスラム圏はもちろんプトレマイオス朝のエジプトにもいたし近くではベトナムにもいた
中央アフリカにもいたな
中央アフリカにもいたな
204: 世界@名無史さん 2018/03/08(木) 20:50:11.44 0
それはそうだけど、中国ほど宦官の存在感が巨大化した地域が、ほかにないのは間違いない
207: 世界@名無史さん 2018/03/09(金) 10:18:10.31 0
>>204
中国の宦官の場合皇帝が外戚とか権臣に権力を脅かされた時の最後の切り札だからね。
前漢の宣帝や後漢の和帝とか。
あと明の永楽帝とか。
中国の宦官の場合皇帝が外戚とか権臣に権力を脅かされた時の最後の切り札だからね。
前漢の宣帝や後漢の和帝とか。
あと明の永楽帝とか。
221: 世界@名無史さん 2018/09/27(木) 04:20:57.76 0
劉チョウ
(チョウの字は金偏に長)
五代十国時代、現在の広東省付近に南漢という国があった。
広東方面は、唐の時代より中央で失脚した官吏の左遷の地であり、唐末期の混乱期は官吏の疎開の地であった。そのため、南漢国は五代十国の混乱の中でも、武官より文官が重用されていた。
だが最後の皇帝、劉チョウ(チョウの字は金編に長)は極端に猜疑心が強く、その文官らを疑って次々と誅殺したあげく
「普通の男子は子孫を作り、その子孫を大切にするから信用できない。子孫を作れない者なら忠義を尽くすだろう」
との考えのもと、宦官を重用、有能な人材がいればわざわざ去勢してから登用したため、朝廷はほぼ宦官で占められた。
おかげで、当時の南漢の成人男子のうち1割が去勢者だったという。
そんなわけで人心は離反し、南漢は北宋に併呑された。
(チョウの字は金偏に長)
五代十国時代、現在の広東省付近に南漢という国があった。
広東方面は、唐の時代より中央で失脚した官吏の左遷の地であり、唐末期の混乱期は官吏の疎開の地であった。そのため、南漢国は五代十国の混乱の中でも、武官より文官が重用されていた。
だが最後の皇帝、劉チョウ(チョウの字は金編に長)は極端に猜疑心が強く、その文官らを疑って次々と誅殺したあげく
「普通の男子は子孫を作り、その子孫を大切にするから信用できない。子孫を作れない者なら忠義を尽くすだろう」
との考えのもと、宦官を重用、有能な人材がいればわざわざ去勢してから登用したため、朝廷はほぼ宦官で占められた。
おかげで、当時の南漢の成人男子のうち1割が去勢者だったという。
そんなわけで人心は離反し、南漢は北宋に併呑された。
269: 世界@名無史さん 2019/12/22(日) 16:55:43.18 0
>>221
子孫を作れないと何で忠義を尽くすのか分からない
これはよく言われるが子孫を大切にして忠義を尽くさない奴はいても、自分を去勢した国に忠義なんか尽くしたいと思わないだろうに
子孫を作れないと何で忠義を尽くすのか分からない
これはよく言われるが子孫を大切にして忠義を尽くさない奴はいても、自分を去勢した国に忠義なんか尽くしたいと思わないだろうに
271: 世界@名無史さん 2019/12/26(木) 05:59:17.65 0
>>269
子孫に残せず、忠義尽くすしかないように追い込めもするだろ
だからこそ国をしゃぷりつくす宦官も大勢いたが
子孫に残せず、忠義尽くすしかないように追い込めもするだろ
だからこそ国をしゃぷりつくす宦官も大勢いたが
225: 世界@名無史さん 2018/10/11(木) 14:33:32.27 0
明の劉瑾の国の歳入の10年分の財産って
劉瑾の財産は処刑後に没収されたが、『二十二史劄記』によれば、没収財産は金250万両、銀5,000万両、その他無数の珍宝があり、当時の明朝歳入の10年分に相当するものであった。
劉瑾の財産は処刑後に没収されたが、『二十二史劄記』によれば、没収財産は金250万両、銀5,000万両、その他無数の珍宝があり、当時の明朝歳入の10年分に相当するものであった。
劉 瑾(りゅう きん、景泰2年(1451年) - 正徳5年(1510年)旧暦8月)は、明代の宦官。正徳帝に取り入り、同僚の宦官たちと結託して朝政を専断した。後に皇位簒奪を画策したとして捕縛され、凌遅刑に処された。
劉瑾の財産は没収されたが、『二十二史箚記』によれば、没収財産は金250万両、銀5,000万両、その他無数の珍宝があり、当時の政府歳入の10年分に相当するものであった。
劉瑾の財産は没収されたが、『二十二史箚記』によれば、没収財産は金250万両、銀5,000万両、その他無数の珍宝があり、当時の政府歳入の10年分に相当するものであった。
226: 世界@名無史さん 2018/10/13(土) 07:48:39.70 0
中国人が何か大きい数字を挙げたら、1000か少なくとも100で割ること。
228: 世界@名無史さん 2018/10/14(日) 05:13:27.80 0
中国の宦官とかってさ
皇帝が高い所から街を見たいと言ったら必死に止める
自分達の家を見られるとまずいから
つまり皇帝が嫉妬するレベル
宮中の料理がまずくて食べられない
1回の食事に1億銭
これは宦官じゃないかもしれん
国家の収入の10年分以上の財産
皇帝が高い所から街を見たいと言ったら必死に止める
自分達の家を見られるとまずいから
つまり皇帝が嫉妬するレベル
宮中の料理がまずくて食べられない
1回の食事に1億銭
これは宦官じゃないかもしれん
国家の収入の10年分以上の財産
263: 世界@名無史さん 2019/05/13(月) 18:49:34.78 0
宦官が王になった例ってあるのでしょうか?
264: 世界@名無史さん 2019/05/13(月) 18:54:10.44 0
>>263
ペルシアのガージャール朝のアーサーモハンマドシャーだっけ
ペルシアのガージャール朝のアーサーモハンマドシャーだっけ
引用元: ・中国の宦官史(part2)
最後の宦官秘聞: ラストエンペラー溥儀に仕えて 単行本 – 2002/8/1 賈 英華 (著)