41g1qTObCGL._SY445_SX342_



1: 世界@名無史さん 2022/03/04(金) 23:47:07.31 0 BE:698216598-2BP(1000)
教えてくれ








3: 世界@名無史さん 2022/03/05(土) 09:18:13.17 0
ざっくりしすぎ
時代を設定してくれ

15: 世界@名無史さん 2022/03/06(日) 09:43:06.70 0
>>3
同感だな。
ドイツの範囲もきちんと設定しないといけないしな。
そもそも何をもってドイツとみなすのかも問題だしな。

16: 世界@名無史さん 2022/03/06(日) 09:47:28.45 0
せっかくだから、東フランク王国について語り合おうじゃないか

4: 世界@名無史さん 2022/03/05(土) 11:48:21.46 0
東フランク王国の時代は、事実上西欧世界の中心だったのにな
西フランク王国もイタリア王国も弱体だったから

5: 世界@名無史さん 2022/03/05(土) 12:08:12.04 0
東フランク王が「神聖ローマ皇帝」になったのは東高西低のあらわれ

9: 世界@名無史さん 2022/03/05(土) 14:12:35.08 0
もし叙任権闘争がなかったら、神聖ローマ帝国が領邦君主制になることもなかったのかな?

10: 世界@名無史さん 2022/03/05(土) 15:42:58.83 0
>>9
叙任権闘争よりもドイツ国王(ローマ王)の選出方法(選挙王制)が問題だったんだろ
これはカロリング王朝断絶後の東フランク王国時代から連綿として続いていた事だからどうしようもなかったと思う
フランス(西フランク)やイングランドは比較的早い時期から選挙王制を克服して国王の世襲化に成功していたので、中央集権化が進んだのだと思う

11: 世界@名無史さん 2022/03/05(土) 18:11:40.06 0
>>10
ポーランド・リトアニア共和国の例でもわかるように、選挙王制というのはヨーロッパでは決して特殊なシステムではないんだよな

13: 世界@名無史さん 2022/03/05(土) 22:10:46.99 0
神聖ローマ帝国の大空位時代というのは有名だが、ランゴバルド王国にも「諸公の時代」と呼ばれる時期があった
王国内の有力者による合議制(実質的には分裂状態)だった

14: 世界@名無史さん 2022/03/06(日) 09:21:09.73 0
『物語ドイツの歴史』(阿部謹也、中公新書)に、中世ドイツの東方植民について、
「……その運動の結果ドイツ本国における領主と農民との社会的対立は緩和され、ドイツは社会的対立の結果を引き延ばすことになった」
と書かれているんだけど、東方植民がなかったらドイツの歴史も変わっていたのかな?

17: 世界@名無史さん 2022/03/06(日) 10:40:36.50 0
辺境伯って、日本語に直すと田舎大名みたいな語感だけど、異民族がしょっちゅう侵入してくる大陸では重要な役職だよな
室町幕府の関東管領みたいなもの?

27: 世界@名無史さん 2022/03/06(日) 21:25:03.78 0
>>17
田舎大将ってお前w
征夷大将軍だろ

ブランデンブルク辺境伯領は965年ゲロ辺境伯の死後、965年のゲロの死後、ノルトマルク、オストマルク、マイセン辺境伯領、ツァイツ辺境伯領およびメルゼブルク辺境伯領に分割される
983年ノルトマルク、ビルング辺境伯領でスラブ人の反乱が起こる
1134年ザクセン公でアスカニエン家のアルプレヒト1世(熊公)が皇帝ロタール3世よりノルトマルクの地を与えられる
1157年アルプレヒト熊公、ブランデンブルク辺境伯に就任

19: 世界@名無史さん 2022/03/06(日) 11:40:48.60 0
辺境伯というのは、伯爵よりは格が上だけど、侯爵とはまたちょっと違う爵位

日本語にはちょうどいい訳語がなかったからこうなった

20: 世界@名無史さん 2022/03/06(日) 11:42:00.29 0
こういう誤解を招く用語は、改めていった方がいいと思うんだけどね

22: 世界@名無史さん 2022/03/06(日) 11:53:39.06 0
ブランデンブルク辺境伯がプロイセン公国という領土を得てプロイセン王国に昇格したというストーリーは捨てがたい

25: 世界@名無史さん 2022/03/06(日) 14:31:17.26 0
オーストリアも最初はオストマルク東方辺境伯だった

26: 世界@名無史さん 2022/03/06(日) 15:03:03.74 0
バーデンだって、もとはといえば辺境伯だった

バーデンなんかライン川に面した交通の要衝で古来から栄えた地。
「どこが辺境なんだよ?」って感じだ

28: 世界@名無史さん 2022/03/07(月) 09:21:14.38 0
日本で言えば征夷、鎮西なんだろうな

29: 世界@名無史さん 2022/03/08(火) 09:08:44.37 0
神聖ローマ皇帝カール(カレル)4世は、彼に代金支払いを督促する肉屋の手で、ウォルムスの路上で拘引され、人質として宿屋に閉じ込められたことがあるとか
この時代のボヘミアは、そんなに貧しかったのか?
カール4世( 1316年5月14日 - 1378年11月29日)は、中世後期のルクセンブルク家2人目の神聖ローマ帝国君主。ルクセンブルク朝第2代ボヘミア王カレル1世(在位:1346年 - 1378年)としても著名。文人皇帝として知られ、しばしば、最初の「近代的」君主と称される。金印勅書の発布やプラハ大学の創設、教皇のローマ帰還への尽力などで知られる。

31: 世界@名無史さん 2022/03/08(火) 20:46:48.18 0
>>29
カレル時代のベーメンは黒死病流行の真っ只中だったからな
その後のジギスムントの時代はフス戦争などもあり著しく政情不安であった

30: 世界@名無史さん 2022/03/08(火) 19:14:46.57 0
領主が貧しいのと国が貧しいのとは微妙に違うんじゃないかな
皇帝はビンボーでもハンザ同盟諸都市の商人はウハウハとか
時代はちょっと下るけどフッガー家みたいなのも出てくるし

日本だと上杉家はど貧乏だが米沢地方が貧困とは限らないとか

32: 世界@名無史さん 2022/03/09(水) 14:36:16.41 0
ペトラルカはカール4世がイタリアを平定することを期待していたんだけどな

33: 世界@名無史さん 2022/03/10(木) 05:55:01.73 0
それ以前に、ダンテがハインリヒ7世によるイタリア統一を期待したという前例がある

34: 世界@名無史さん 2022/03/10(木) 07:26:29.21 0
しかし、ルクセンブルクという小国の伯爵が何で神聖ローマ皇帝にまで上りつめたんだろ?
その前の前のローマ王アドルフ・フォン・ナッサウもナッサウ伯という伯爵だったし

35: 世界@名無史さん 2022/03/10(木) 07:42:06.98 0
>>34
大空位時代のあと、諸侯は無力なお飾り皇帝を望んだため、小国ルクセンブルクのハインリヒ7世を皇帝に選出した
ところが、そのハインリヒ7世は婚姻政策により大国ボヘミア王国の王位を獲得してしまった
ダンテがイタリア統一を期待したほどの傑物だったがイタリア遠征中に早死にした

37: 世界@名無史さん 2022/03/10(木) 11:08:24.39 0
ダンテの『新曲』に登場するシンボルのいくつか、特に鷲のシンボルは、神聖ローマ皇帝の徴だとか
彼は皇帝によるイタリア統一という考えを『帝政論』にまとめたために、祖国から裏切者として重罪を宣告されることになった

41: 世界@名無史さん 2022/03/10(木) 22:18:20.04 0
ダンテもペトラルカも祖国イタリアがバラバラでローマ皇帝にイタリア統一という過大な期待をしてしまったのだろうな
その叶わぬ夢はフリードリヒバルバロッサの時代からわかっていた事なのに

42: 世界@名無史さん 2022/03/11(金) 04:44:48.97 0
ヨーロッパでは、イングランドやフランスのような、中央集権的な国のほうがむしろ例外的なんじゃないのかなあ
例えばスペインの場合、まず同君連合という形をとっていて、ブルボン朝の時代に中央集権的な改革を行おうとしたけどうまくいかなかった
今でもカタルーニャ独立運動なんてものが存在しているし

45: 世界@名無史さん 2022/03/11(金) 08:11:57.07 0
>>42
日本も明治になる前までは中央集権ではなかったからな
封建制を経験した国はたいていそう

44: 世界@名無史さん 2022/03/11(金) 06:57:55.35 0
16~17世紀のバラバラなドイツ・イタリアに対して、イギリス・フランス・スペインが広大な領域を持つ統一された大国として登場した

48: 世界@名無史さん 2022/03/11(金) 10:55:42.67 0
>>44
その上、イギリス・フランス・スペインが海外で植民地を手に入れたのに対し、ドイツ・イタリアは欧州内に閉じ込められたままだった
19世紀になってやっとドイツ・イタリアが統一を果たしたとき、地球上にはもうロクな土地は残っていなかった

50: 世界@名無史さん 2022/03/11(金) 21:06:30.13 0
>>48
それは統一が早かったかどうかより、大西洋に面していたかどうかの方が違いが大きい
イタリア内の諸国やドイツ内の諸国は、地中海や北海でそれぞれ大きな権益を持ってたが、もうそんな時代じゃなかった

47: 世界@名無史さん 2022/03/11(金) 10:46:21.52 0
形式的にはイングランド自体も封建諸侯の時代の名残を残してる
たとえば連合王国の軍というのは、海軍や空軍は王立なので直接に女王直属(「ロイヤル・ネイヴィ」、「ロイヤル・エア・フォース」)になってるが、陸軍は今でも諸侯の家臣の貸し出し形式になってるので、陸軍全体が王立なのではなく、形式としては諸侯が寄り合ったブリテン陸軍(「ブリティッシュ・アーミー」)ということになっている

ちなみに、連合王国の核戦力は海軍にだけ配備されていて、潜水艦に搭載されている

51: 世界@名無史さん 2022/03/11(金) 22:24:04.04 0
ドイツはやっぱり地理的条件のせいで損しているように思える

52: 世界@名無史さん 2022/03/12(土) 01:22:38.60 0
イタリアとドイツの地方分権ってちょっと意味合いが異なる
イタリアは都市共和国と教皇領から成り立っているのに対しドイツは聖俗の諸侯が治める領邦から成り立っているという違いがある

53: 世界@名無史さん 2022/03/12(土) 05:41:41.16 0
イタリアでも、北部辺境には封建諸侯国が存在したけどな

54: 世界@名無史さん 2022/03/12(土) 06:12:42.59 0
ドイツにも帝国自由都市がある
独伊で似ている部分も有れば相違もある 同じ国に中でも北部南部などの違いもある
そこから類似性や相違を読み取れるかどうか

58: 世界@名無史さん 2022/03/17(木) 06:40:05.32 0
辺境伯のほかに、宮中伯もいたな

59: 世界@名無史さん 2022/03/17(木) 07:43:58.50 0
ライン宮中伯が最も有名だが宮中伯は神聖ローマ帝国における「宮廷の書記」という意味であり、今日では「大臣」に相当するものと解釈される
いわばローマ皇帝の側近で、通常は宮廷に10人前後の宮中伯がおり、それぞれ担当する部署において政務を処理した。しかし、やがて地方において諸侯が台頭し、帝国が分裂状態になると、皇帝により諸侯を監視、あるいは諸侯の力を抑えるために各地に宮中伯が派遣されるが、そのほとんどが諸侯との争いの中で没落した。
唯一、ライン宮中伯だけは任地のライン地方に土着し、自ら諸侯化することで存続した。そのため、「宮中伯」というと固有名詞的にライン宮中伯を指すようになり、その所領は「プファルツ(宮中伯領)」と呼ばれるようになった。1356年の「金印勅書」によってライン宮中伯は選帝侯となったため、「プファルツ選帝侯」(「宮中伯領選帝侯」)と通称される。

60: 世界@名無史さん 2022/03/27(日) 22:39:41.89 0
ドイツって、なぜ国際情勢の読みが下手なんだろう?

引用元: ・ドイツ史について教えてくれ


41g1qTObCGL._SY445_SX342_
物語 ドイツの歴史―ドイツ的とは何か (中公新書 1420) 新書 – 1998/5/25 阿部 謹也 (著)