1: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/02(日) 19:45:56
無造作に南アジアを荒らしまくった謎の民族エフタルを語るスレ

エフタル最強







Hephthalites500

エフタルの最大版図(500年頃)

エフタル

エフタルは、5世紀~6世紀にかけて中央アジアに存在した遊牧国家。名称は史料によって異なり、インドではフーナ ,シュヴェータ・フーナ 、サーサーン朝ではスペード・フヨーン、ヘテル 、ヘプタル、東ローマ帝国ではエフタリテス、アラブではハイタール、アルメニアではヘプタル ,イダル,テダルと呼ばれ、中国史書では嚈噠(ようたつ),囐噠(ようたつ),挹怛(ゆうたつ、),挹闐(ゆうてん)などと表記される。また、「白いフン」に対応する白匈奴の名でも表記される。

5世紀中頃に現在のアフガニスタン東北部に勃興し、周辺のクシャーナ朝後継勢力(キダーラ朝(英語版))を滅ぼしてトハリスタン(バクトリア)、ガンダーラを支配下に置いた。これによりサーサーン朝と境を接するようになるが、その王位継承争いに介入してサーサーン朝より歳幣を要求するほどに至り、484年には逆襲をはかって侵攻してきたサーサーン朝軍を撃退するなど数度に渡って大規模な干戈を交えた。さらにインドへと侵入してグプタ朝を脅かし、その衰亡の原因をつくった。
6世紀の前半には中央アジアの大部分を制覇する大帝国へと発展し、東はタリム盆地のホータンまで影響力を及ぼし、北ではテュルク系の鉄勒と境を接し、南はインド亜大陸北西部に至るまで支配下においた。これにより内陸アジアの東西交易路を抑えたエフタルは大いに繁栄し、最盛期を迎えた。

しかしその後6世紀の中頃に入ると、鉄勒諸部族を統合して中央アジアの草原地帯に勢力を広げた突厥の力が強大となって脅かされ、558年に突厥とサーサーン朝に挟撃されて10年後に滅ぼされた。

エフタルの支配地域は、最初はアム川を境に突厥とサーサーン朝の間で分割されたが、やがて全域が突厥のものとなり、突厥は中央ユーラシアをおおいつくす大帝国に発展した。





3: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/02(日) 19:52:42
白フン

7: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/02(日) 23:45:32
> 南アジアを荒らしまくった

て言ったって、インドのは「フーナ」で、エフタルとは呼ばれていない。
トハリスターンのエフタルとは別勢力。同民族であった可能性はあるが、指揮系統としては全く無関係と見た方がいいらしい。

5: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/02(日) 22:31:28
どこにやられたんだっけ?

8: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/03(月) 10:26:55
>>5
ササン朝ペルシア
ホスロー大王

9: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/03(月) 10:33:48
>>5
トルケツ

16: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/07(金) 22:34:15
>>8-9
ササン朝ペルシアの全盛期を築いたホスロー1世がエフタルの東(北東)に目をつけて、
東西から挟み撃ちして滅ぼした。
ちなみにエフタルは、古代インド史において最重要とされるグプタ朝を衰退、滅亡に向かわせた謎の民族として知られている。最盛期の領土は歴史地図でわかるが、強大さの一端がわかる。

18: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/08(土) 02:22:04
結局どこが拠点だったのか?
バクトラなのか?サマルカンド?

19: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/08(土) 02:49:00
バクトラじゃないの?サマルカンドではないと思う。
しかし、騎馬民族国家などに拠点なんかあったのかな。

30: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/14(金) 23:45:02
嚈噠の王都は抜底延城、つまり王舎城。烏滸水の南二百余里。長安を去ること一万一百里。

34: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/20(木) 08:21:59
エフタル人で後世に名前が伝わってるやついますか?それとも全員名無し?
何教信じてたんでしょうか?イスラム教?エフタル教?

41: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/22(土) 15:14:11
>>34
仏教じゃないのかな。

70: 世界@名無史さん 投稿日:2005/11/06(日) 14:56:28
>>34
> エフタル人で後世に名前が伝わってるやついますか? 

一番有名なのは、5世紀後半にペーローズと死闘を演じた「アフシュンヴァール(フシュナワーズ)」。
これは名前じゃなくて称号だろう、といわれている。
アフシュンヴァールは、別の文献では「エフタラノス」と呼ばれているが、こっちは王姓らしい。

エフタルという国名・族名自体、この王姓にちなむといわれているし、516年に南朝・梁に使者を派遣した滑国(エフタル)王の名「厭帯栗陀」も王姓、ということなのだろう。

71: 世界@名無史さん 投稿日:2005/11/06(日) 14:57:21
いわゆるエフタル・コインに刻印されている名前としては、
「ホラサン・シャーであるハイタル(エフタル)・スピダファルン・ティギン」
「シャーヒ・ティギン(称号のみだろう)」
「デーヴァ・シャーヒ・キンガル」
などがあるが、名前だけなので、どういう続柄・人物か全然わからない。

宋雲らがトハーリスターンで会った王、ガンダーラで会ったテギンは名前がわからない。

72: 世界@名無史さん 投稿日:2005/11/06(日) 14:57:56
エフタルは560年代にササン朝と西突厥の挟撃にあい、王国は崩壊する。当時の王の名は「ヴァルツ」もしくは「ガトファル」だという。

当時、エフタル首領に「カトゥルフォス」という人物がいた。
この男はエフタル王に妻を寝取られた腹いせに突厥に寝返った。
その後ササン朝に仕え、今度は突厥の使者を誹謗し、ササン朝と突厥の国交樹立を邪魔したらしい。

73: 世界@名無史さん 投稿日:2005/11/06(日) 14:58:36
エフタル王国崩壊後、各地のエフタル残党は突厥やササン朝に服属した。ササン朝に服属したチャガニアン
首領の名は「ファガニシュ」。その後裔らしい「トゥランタシュ」、「ティシュ」などの名も知られている。

650年頃ササン朝ヤズディギルド3世を破ったトハーリスターンの君主「ネーザク・タルカン」も、こういったエフタル残党だといわれている。が、どうもこれもこの家系が代々名乗った称号らしい。
8世紀初頭にも「ネーザク・タルカン」が現れ、イスラム軍と戦っている(クタイバに敗れて滅びた)。

74: 世界@名無史さん 投稿日:2005/11/06(日) 14:59:30
インドに侵入した異民族フーナをエフタルだとすれば(その正体についての議論は決着していない)、「トーラマーナ」「ミヒラクラ」の親子は有名。
もっとも「トーラマーナ」という名の人物は、場所、年代を変えて複数いるという説もある。

ヤショーダルマン(バーラーディティヤ)に敗れカシミールに引っ込んだミヒラクラの子孫については、カシミールの王統紀に
「バカ」「クシティナンダ」「ヴァースナンダ」「ナラ」「アクシャ」「ゴーパラーディティヤ」「ゴカルナ」「ナリンドラーディティヤ・キンギラ」「ユディシュトラ」
と記されているが、あまり信用できない。

75: 世界@名無史さん 投稿日:2005/11/06(日) 15:00:00
ミヒラクラがカシミールに引っ込んだのは532~33年頃と推測
されるが、その後年代が明らかになるカルコタ朝創始年7世紀前半
までの約百年間にミヒラクラの王朝を含め、4王朝25人の王が
即位したことになっている(その中にトーラマーナという王もいる)。
これはいくらなんでも多すぎる。

まあ実在が確実なのはトーラマーナとミヒラクラの親子くらい、と考えた方がいいでしょう。

76: 世界@名無史さん 投稿日:2005/11/06(日) 15:02:13
他に、一応エフタルかもしんない(否定説の方が優勢)、といわれてる人は、

4世紀中頃ササン朝と戦ったキオンの王「グルムバテス」
420年頃ササン朝バフラーム5世と戦ったテュルクのカガーン「シャーラ」
5世紀前半の匈奴系ソグド国王「忽倪」

などがいる。

77: 世界@名無史さん 投稿日:2005/11/06(日) 15:30:14
535年に南朝・梁に使者を送った滑国(エフタル)王「安楽薩丹王」というのもいた。

36: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/22(土) 11:56:57
嚈噠と悦般は同一か?
北匈奴のうち、ソグディアナに残居した単干王侯系集団がエフタルのはじまりとみてよかろうか?
文化水準は高かったとみられ、当時まだ未開であった蠕蠕(柔然)の地に赴いた王が、住民の不潔なことに嫌悪感を抱き、国交を断ったとかって話があるんだよね?

49: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/23(日) 04:14:29
>>36
韃(モンゴルあたりの民族)を厭うという意味で嚈噠なのかな?
もしくはモンゴル方面から逃れてきたからか

50: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/23(日) 04:33:13
単なる音写だよ

39: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/22(土) 13:37:37
別名「白フン」ってのは肌の色から由来しているのか、それとも何か他からきているのだろうか。

42: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/22(土) 15:37:06
>>39
白フン(シュヴェータ・フーナ)はインドでの呼び名。
シュヴェータはヒンドゥーの白銀に輝く山だからじゃね?

47: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/22(土) 22:14:41
>>42
サーサーン朝でも白フン(スペード・フヨーン)と呼んでいる。
ちなみに鉄勒は赤フン(カルミル・フヨーン)。

43: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/22(土) 15:51:08
一方、アゾフ海付近に留まっていたフン族のことを「黒フン」と呼んでおった。

56: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/25(火) 04:54:04
民族名にくっつく色(白フンとかカラキタイとか)って謎が多いよね。
単純な人は「肌の色だ」とか言うけど、そう簡単な話じゃなさそう。
おもしろそうだから、とりあえず誰かリストアップしてみない?

51: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/23(日) 13:05:11
カラ・キタイ

黒ってカラと言うんだよな
カラコルムは関係あるのか知らんけど

52: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/23(日) 23:18:20
>>51
> カラキタイ

カラコルムの名称とは全然繋がりはない。

「カラ・コルム」は「黒い砂礫」ほどの意味だが、『世界征服者史』ではその名前はカラコルムの都の近くの山の名前に由来しているとの記述がある。
実際エルデニ・ズー遺跡の近郊には黒い花崗岩質の石を産する小高い山があって、カラコルムに立つ碑文などの石材はここから採取されていた。

57: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/25(火) 10:20:51
カラ・キタイとかカラ・キルギスの「カラ」は「西」という意味だよ

58: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/25(火) 11:32:12
カラは「西」とか「黒」など、様々な意味がある。
例えばカラ・トンは「黒い森林」の意味。
これは、蒙古西方のケレイト族の縄張り支配地。
だから、西遼(後遼)の場合は「黒い契丹」ともいわれる。

62: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/25(火) 22:02:57
『黒韃事略』って有名なオゴデイ時代のモンゴル宮廷を訪れた南宋の使節の見聞録があるけど、ここでいう「黒韃」ってのは「黒い韃靼」の意味でモンゴルのことを指す。

「達旦>韃靼」はもともと「タタル」諸部族の音写なのは周知の通りだが、南宋や金朝にとってタタルのさらに北側にいる連中も一括りにして、「白韃靼」、「黒韃靼」「赤韃靼」などとそれぞれ呼んでいたとか。
白いのが普通のタタル諸部族で、黒がモンゴル、赤がケレイトだったか。
なんでモンゴルが「黒」かというと、他の「韃靼」に比べ「文明度」が低い未開な連中なので不潔で「黒ずんでいたから」とかそんな話だったような・・

ちょっと記憶があやふやだ。

65: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/27(木) 00:50:34
>>62
単に
韃靼=トルコ混じり=白色人種
モンゴル=黄色人種 で
黄色人種は白色人種より黒いってだけだろ

66: 世界@名無史さん 投稿日:2005/10/27(木) 03:59:02
ちょっと待った!

> トルコ混じり=白色人種
という図式が意味不明なのだが。

タタルがケレイトやウイグルと同じテュルク系なのは周知の通りだが、白色人種というのは単純に肌が白っぽいじゃなくてよもやコーカソイドとかいう意味で使ってるのか? 
テュルク系がコーカソイドなんて情報聞いたことが無い。

94: 世界@名無史さん 投稿日:2005/12/28(水) 23:00:35
うわぁぁぁぁ!!!!

またエフタルが襲撃してきた!!!

95: 世界@名無史さん 投稿日:2005/12/28(水) 23:36:02
>>94
あんたペーローズだな!
何度も援軍頼んでおきながら、裏切って攻めてきたのはおまえだろうが!2回とも負けて最後は戦死したくせに!

サーサーン朝 エフタルの脅威

425年、バハラーム5世の治世に東方からエフタルの侵入があった。バハラーム5世はこれを抑えて中央アジア方面でのサーサーン朝の勢力を拡大したが、以後エフタルはサーサーン朝の悩みの種となる。

ヤズデギルド2世の治世末期より、強大化したエフタルはサーサーン朝への干渉を強めた。ヤズデギルド2世は東部国境各地を転戦したが、決定的打撃を与える ことなく西暦457年世を去った。彼の二人の息子、ホルミズドとペーローズ1世は王位を巡って激しく争いペーローズ1世はエフタルの支援を受け 帝位に就いた。

ペーローズ1世はエフタルの影響力を排除すべく469年にエフタルを攻めたが、敗れてペーローズ1世は捕虜となり、息子のカワード1世を人質に差し出しエフタルに対する莫大な貢納を納める盟約を結んだ。旱魃により財政事情は逼迫、484年に再度エフタルを攻めたが敗死した(ヘラートの戦い)。




96: 世界@名無史さん 投稿日:2005/12/28(水) 23:59:47
「ペーローズはエフタルと3回戦った」とする研究もあるけど、それはキダーラ・クシャン・バーラム政権(当時はもう一つのペシャワール政権とに分かれていた)と戦ったのを1回分としている。つまりキダーラとエフタルをごっちゃにしてる。

他にキオンもエフタルにしている研究者もいるし、整理しながら読んでいかないと、何が何だかわからなくなる。

98: 世界@名無史さん 投稿日:2006/01/07(土) 17:40:26
どっちにしても567年に滅ぼされて他の民族に組み込まれたことに変わりはない

99: 世界@名無史さん 投稿日:2006/01/07(土) 21:20:11
「エフタル帝国」は560年代に滅びたが、エフタル人の国はその後もホラサーンやバダフシャンで2~3百年続いていたよ。

108: 世界@名無史さん 投稿日:2006/02/10(金) 01:29:53
学校の先生がエフタルは5C~6Cに活躍したから
語呂合わせで中央アジアにエフタルゴロゴロと言っていたな

109: 世界@名無史さん 投稿日:2006/02/10(金) 01:58:59
>>108
ゴロ合わせが必要な内容じゃないなw

111: 世界@名無史さん 投稿日:2006/02/19(日) 14:28:09
>>108
自分の時はエフタル自体が授業でスルーだったなあw

112: 世界@名無史さん 投稿日:2006/02/19(日) 22:35:52
授業だけじゃなくて、日本でインド・中央アジア史を取り上げるときは仏教と関係ない事項には非常に冷淡。典型がNHKシルクロード。

126: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/15(土) 00:48:33
エフタルってモンゴル系?トルコ系?

127: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/15(土) 00:59:57
イラン系という線も忘れちゃいけない
決着はしていない

130: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/15(土) 01:55:19
エフタル人って人種的には?

131: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/15(土) 03:53:57
「梁職貢図」に出てくる滑国(南朝でのエフタルの呼び名)使節の姿を見ると、モンゴロイドともコーカソイドとも言いかねる。
おそらく混血だろう。ただし、この使節がエフタル・プロパー出身であるという保証はない。

顔つきは小振りで端正な顔。髭はなく鼻も低い。毛深くて鼻が高い明らかにコーカソイドの形質を示す波斯国使、白題国(バルフ )使と比較すると、モンゴロイドに近い。

が、目はつり上がったキツネ目ではなくあまり北方的ではない。
百済国使と比較すると違いは明らか。どっちかというと倭国使に近い(こっちは毛深くアイヌっぽいが)。個人的にはチベット人に似てると思う。

しかし髪の毛はかなりきついパーマがかかっていてチリチリ。この辺は白題国使とそっくり。
Zhigongtu_full
6世紀梁朝元帝(蕭繹)の職貢図の模写。左から且末国、白題(匈奴部族)、胡蜜丹、呵跋檀、周古柯国、鄧至、狼牙修、倭、亀茲、百済、波斯、滑/嚈噠からの使者。


エフタル
滑/嚈噠


140: がいやまん 投稿日:2006/04/21(金) 07:41:37
>>131
なんだかアラブ系の感じだな。

182: 世界@名無史さん 投稿日:2006/06/13(火) 00:35:32
>>181
でも、人物と滑国使本文の間(本文冒頭)が欠落しているけど、あの人物が本当に滑国使に結びつくんだろうか?
もしかするとたまたま残っていた全然別の国の使節の絵を前にくっつけただけだったりして。

132: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/15(土) 04:03:39
滑国は吐谷渾の手引きで南朝に使節を派遣していたので、滑国使節の中には吐谷渾周辺民族が混じっていた可能性もある。

「梁職貢図」ひとつで、エフタルの人種を断定するのはかなり危険だとは思うが、いずれにせよ非常に面白い資料であることは間違いない。もっと議論されてもいいはずなんだけど。

倭国使の姿があるこの「梁職貢図」って日本古代史でもなぜかあまり議論されない。

141: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/21(金) 10:16:08
多少の混交はあったかもしれないけどやはりイラン系が主体でしょう?
アム・シム川流域にテュルク系の突厥はまだモンゴリアから来て日が浅くエフタルと敵対関係にあったし、チベット系はこの時期はせいぜいタリム盆地東部が西限
モンゴル系、アラブ人を含むセム語族系はまだこの地域に姿を現していない
ブルガール人、ハザール人が活発化するのはエフタル全盛時の2、3世紀後
あと考えられるのは原住地不明の欧州侵入前のアヴァール人ぐらいだと思いますが

146: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/29(土) 18:13:10
>>141
> チベット系はこの時期はせいぜいタリム盆地東部が西限

古代の中央アジアにはチベット・ビルマ系民族は進出していないと思われがちだが、タリム盆地南西部~カラコルムあたりには羌がいた形跡がある。

『漢書』西域伝に出てくる西夜国、蒲犁国、依耐国、無雷国は氐羌遊牧民の国だったらしい。いずれもカールギリック(叶城)あたりにあった国。

『周書』西域伝にも、「于闐(ホータン)の住民だけは周囲の胡(コーカソイド人種)と違って漢族と似ていた」という記述がある(『北史』西域伝、散佚後復元された『魏書』西域伝も同記述を踏襲)から、南北朝時代ころまではタリム盆地南西部ではモンゴロイド(氐羌)の血が濃く残っていたらしい。

その後は周囲の民族に吸収されたようで、氐羌の姿は消える。

142: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/21(金) 22:45:56
エフタルをテュルク系と推定している人は、突厥と混血してテュルク系になった、といっているわけじゃなくて、最初からテュルク系でアルタイあたりからバダフシャンに流れて来た、と推定している(実際『魏書』にそう書いてある→「嘘臭い」とも言われている)。

その中でも「悦般がエフタルになった」という早稲田閥(松田・内藤ライン)の説もまだ人気あるしね。オレは榎説のバダフシャン原住のイラン系(というより言語系としてはパミール系あたりかもね?)という説の味方。

147: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/29(土) 18:13:47
『漢書』西域伝・難兜国条には、パミールを越えてカラコルム山中(バルティスタンあたり)にも[女若]羌がいたと記されている
(難兜国も羌?という説もある)。『魏書』西域伝には、その後裔とみられる阿鈎羌という集団の名前も出てくる。

こちらは、その後進出してきた同系であるチベット人と混ざってしまったのだろうか、その後裔については全く追跡できない。

148: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/29(土) 18:14:20
「エフタル=チベット系?」という説は、エフタルが一妻多夫制を持っており、それは現在チベット人に顕著にみられる(実際は、時代を逆上るとチベット人に限らない)ことから言い出されただけで、さほど根拠はない。上記の古代西方羌系民族を考慮したものでもない。

今のところこれら羌系民族とエフタルを結びつけるのは難しいが、可能性としては保留しておくのも悪くないかな、とは思う。

149: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/29(土) 19:07:30
それってエフタルじゃなくてトハラ(サカ)人のことじゃなかったっけ?
トハラ人もチベット系の影響受けて一妻多夫の風習あったらしいけど、人種民族的にはイラン系だったらしいよ

150: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/29(土) 22:05:44
>>149
確かに『隋書』『通典』『唐会要』などに、隋唐代の吐火羅の一妻多夫制についての記述がある。でも、エフタルの一妻多夫制はそれより先に『梁書』『魏書』『周書』『隋書』『南史』『北史』にすでに記述がある。

それに『隋書』西域伝・吐火羅国条には「挹怛(エフタル)と雑居」とある。
だから吐火羅の一妻多夫制というのは、一緒にいたエフタル自身の話、あるいはエフタルの影響とみた方がいい。

151: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/29(土) 22:07:24
「吐火羅の一妻多夫制がチベット系の影響」というのは成立しにくい。
というのは、吐蕃がトハリスターンに進出したのは8世紀で、隋代にすでにあった一妻多夫制がその吐蕃の影響で始まったわけがない。

「チベット系の影響」というなら、前述の古代西方羌や隋唐代にパミールの南にあったという女国(チベット系なのかどうかは不明)について考える必要があるが、そこまで研究は進んではいない。

そもそも、わりと最近の記録しかないチベット人の一妻多夫制を基準に「一妻多夫制はチベット系民族が起源」と考えること自体が錯覚であるかもしれないし。

135: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/15(土) 19:04:36
エフタルってのはインド側の記述による音写なの?
エフタル自身は文字ないよね?

137: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/15(土) 22:25:58
エフタルの名称は諸言語で様々だが、最も代表的な「エフタル」は東ローマ史料(ギリシア語)の「Εφθαλιται」から来ている。

インド語では「Hūna」。ただし「エフタル=フーナ」かどうかは完全には証明しきれない。

138: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/17(月) 01:58:25
エフタルってどういう意味なの?

139: 世界@名無史さん 投稿日:2006/04/17(月) 20:48:11
「エフタル」は、もともと王家の始祖の名前、あるいは王姓だが、後にこれを国号とした、とされている。意味は不明。

154: 世界@名無史さん 投稿日:2006/05/19(金) 01:47:48
エフタルの宗教は何どすえ?

155: 世界@名無史さん 投稿日:2006/05/19(金) 03:08:13
シャーマニズムでは?
騎馬民族は古代帝国を滅ぼしてからその宗教を受容して広める側に回るのがデフォ。

156: 世界@名無史さん 投稿日:2006/05/20(土) 00:18:47
『洛陽伽藍記(宋雲行記)』には「不信仏法、多事外神」「不信仏法、好祀鬼神」、『梁書』『通典』などには「事天神火神」とあり、アニミスティックな多神教であったことがうかがえる。インドのヴェーダの神々を思い起こさせる。

シャーマニズムも当然あったとは思うが、文献にはそれらしき記述は見当たらない。

葬法は土葬であったから、ゾロアスター教徒ではなかった。仏教徒でもなかったようだが、仏典に記されている「エフタルのガンダーラ破仏」は誇大表現の疑いが強い。