1: 名無し三等兵 2016/04/23(土) 23:58:23.34 ID:PoPQHH/z
概ね、戦場での主役が弓から銃・火砲に変化したあたりの時代での軍事全般を考察するスレです。

国ごとで、中世と近世の区分けの解釈が違ってきますが、だいたい西暦1400年~1850年ぐらいまで、東洋・西洋・日本国内を問わず、陸戦、海戦、戦術、組織・動員編成、補給・兵站、諜報、外交、経済、築城・縄張・要塞・土木技術、火薬、火砲製造技術・船舶・食料・農業や人口など、軍事や戦争に僅かでも関係することなら何でもOKの軍事考察スレとします。








4: 名無し三等兵 2016/05/11(水) 14:23:25.50 ID:/4tV27V3
オランダ式大隊やスウェーデン式大隊では銃兵はパイク兵の援護下にあったけど、カウンターマーチをするときってパイク兵ってどこにいたの?
銃兵の後ろにいたらいざという時に銃兵を守れないしかといって銃兵の前にいたらカウンターマーチのじゃまだし

5: 名無し三等兵 2016/05/11(水) 14:56:56.66 ID:K6cFWWVc
パイク兵は両脇や後ろにいて必要な時に前に来る(銃兵が後ろに下がる)で何が問題なのかさっぱりわからん

6: 名無し三等兵 2016/05/11(水) 16:38:38.96 ID:QW4vOSpv
いざというときとは言っても、例え騎兵突撃でさえも隊形変換する余裕は有るかと
タイミングを読み間違えたとかなら別だけど

7: 名無し三等兵 2016/05/11(水) 17:15:22.97 ID:K6cFWWVc
重装騎兵の衝撃力失った17世紀の騎兵じゃ十分余裕あるわ。ただしポーランド除く

8: 名無し三等兵 2016/05/11(水) 22:44:27.62 ID:GI5B+jdQ
スウェーデン式戦隊でパイク兵が正面の場合後方のマスケット銃兵との距離は通常50歩幅とあるけど一歩幅を0.5mとしても25m離れてることになる
更に後方に予備のマスケット銃兵が左右に展開できるように配置されてるとはいえ離れすぎな気がするんだけど良いんだろうか

9: 名無し三等兵 2016/05/12(木) 14:27:28.05 ID:/h/TbcBG
大きく感じるけれど、隊形変換等の機動を考えると必要なのかもね
ナポレオン時代でも、大隊(横隊)や中隊の間隔は、横方向は余り離れていないけれど、縦方向は旋回の余裕を取るためか結構離れているし
(縦隊は横方向も結構離す時も)

11: 名無し三等兵 2016/05/26(木) 07:32:27.66 ID:esp2IosJ
近世について調べ始めたばっかりの人だけどナポレオン軍ってなんで強かったの?
7年戦争であそこまで強かったプロイセン軍がコテンパンにやられた理由を知りたい

12: 名無し三等兵 2016/05/26(木) 12:27:26.76 ID:Fy9tkfTT
7年戦争でプロイセン軍がそこまで強かったイメージがない

13: 名無し三等兵 2016/05/26(木) 19:14:13.54 ID:RN296Yoz
7年戦争のプロイセン軍は際どい勝利のイメージ。
ナポレオン軍も結構際どい勝利だよな。

15: 名無し三等兵 2016/05/27(金) 00:06:44.66 ID:+Jefcif9
本質的には、封建国家と国民国家・近世と近代 という国家体制上の時代格差だと思うのさ
封建からの脱却に伴う国力の拡大、中央集権による国力全ての戦争経済化、ナショナリズム
を背景にした国民・兵士の高い士気、古い体制に囚われない軍事改革など‥

ここら辺、例えば中世末期の封建・分権国家に対する絶対王政国家の優越とかと通じる話だね

16: 名無し三等兵 2016/05/27(金) 19:04:55.72 ID:mI2KDQdm
徴兵か徴集の違い

徴兵は町と村ごとに人口の〇%を何年間か軍隊で給料払って訓練する
活躍すれば将軍になれる(少なくともナポレオン軍は)


徴集は戦争の度に必要な人数を雇って戦いが終われば解散する

徴集だと最初に契約金を貰ってあとの給料は戦況次第(つまり勝ち続ければ分け前があるけど負ければ分けるもの自体がない)
しかも怪我しても何の保障もないし、そもそも基本給が低いから、みんな命をかけたがらない
酷いと現地で部隊が解散するから自腹で帰らないといけない

17: 名無し三等兵 2016/05/27(金) 19:45:20.32 ID:epYUH6WG
封建制も後期の頃は、徴兵による国家の常備軍(長期兵役)が主流だよ
選抜的徴兵+長期兵役(時には10年を超える)を背景にした封建軍の強さ・高質さ、ってのは仏革命政府の軍隊編成やエピソードでも歴然としてる

プロイセンの「徴兵制度による超大規模な国家常備軍」とか有名じゃんじゃん

18: 名無し三等兵 2016/05/28(土) 01:16:13.08 ID:R7ornnME
それでも国民軍の異常な士気の高さには勝てなかったからなあ

19: 名無し三等兵 2016/05/28(土) 03:24:36.38 ID:m3jOdBm+
>>18
士気じゃない、金の問題が大きい

封建制は王様の財産と王様の借金で軍を養うから普段から大軍を編成するとスペインみたいに維持費で破産する
共和国だと国の予算と国の信用で金を借りれるから資金力が違う

で、イギリスがフランスに勝てたのは当時の金融の中心がロンドンで、イギリスがフランスより低い金利でたくさん借金できたからフランスを倒せた

20: 名無し三等兵 2016/05/28(土) 03:50:33.70 ID:4SwKkv19
>>19
>で、イギリスがフランスに勝てたのは当時の金融の中心がロンドンで、イギリスがフランスより低い金利でたくさん借金できたからフランスを倒せた

言いたい事は何となく分かるけど、何処からその沢山の借金をするんだ?
国内?
国外?

イギリスの中心がロンドンなら、フランスの中心はパリなんじゃないの。

肝心の、金融の中心がロンドンでありパリではなかったのは何故?

> 封建制は王様の財産と王様の借金で軍を養うから普段から大軍を編成するとスペインみたいに維持費で破産する
>共和国だと国の予算と国の信用で金を借りれるから資金力が違う

イギリスは何制?

てか、過小評価されがちなイギリスの先進性、(評価最高の海軍は兎も角)特に陸軍のそれがよく分かるよな。
ワーテルローはナポレオンの記念地ではなく、ウェルズリーの記念地。

23: 名無し三等兵 2016/05/28(土) 11:46:44.60 ID:m3jOdBm+
>>20
アジアやカナダ、南アフリカなどの植民地で活動する商人は、地元に金融市場がなかったのでロンドンで資金調達と余分な資金の運用をしていたのです
また、国内にも貴族がいます
ですから国債を買いたい人がいたわけです

ロンドンが中心になったのは共和制フランスが革命で成立したからで、王制の周辺国はフランスとは取引してくれなかったのです

イギリスは立憲君主制の志願兵制

つまり近衛騎兵連隊に代表される王様のエリート部隊と食い詰め者(貧乏人)の併用

だから優遇されてる部隊と一般部隊の待遇は段違い
イギリスが伝統的に歩兵用ライフルがショボいのも立憲君主制だから

24: 名無し三等兵 2016/05/28(土) 11:56:28.46 ID:Y0J2rcAb
>ロンドンが中心になったのは共和制フランスが革命で成立したからで、王制の周辺国はフランスとは取引してくれなかったのです
 
絶対王政の時代のフランスは国債まともに整備できておらずナポレオン期の方が取引されてるのを知らないようだ
あと、革命初期に貴族層粛清した結果それまで英海軍に対して優位であった仏海軍(七年戦争の戦訓からブルボン朝は海軍を強化し米独立戦争でも英海軍をけん制していた)が弱体化し、その結果海外市場も弱体化している

28: 名無し三等兵 2016/05/28(土) 12:30:39.00 ID:m3jOdBm+
>>24
いや、国債はそもそも「あんまり必要なかった」のが事実
何でかというと、当時の王様や貴族の買い物はツケが効くから借金する必要がなかったし、公共事業もしなかったから

30: 名無し三等兵 2016/05/28(土) 17:33:15.69 ID:lk+z/N11
>>28
ツケ自体が負債じゃね?あと、結構借金してるぞ。国王個人に対する借金だから代替わりやらなんやらの時によく帳消しにされたが。
なのでリスクが高くなって金利が上がる→返済額が膨れ上がって帳消しにされるリスクも上がるになったが

あと国債の代替として売官もあったような。気軽に買い戻せないわ金利代わりに給料払わないといけないわ
買った方は金儲けにいそしむからいいことろくにないけどまとまった金が手に入るからやめられなかったらしい

31: 19 2016/05/28(土) 18:07:11.07 ID:sjhHHZnG
>>30
ツケは商人からすれば個人相手の売掛け金だろ?王様からすれば商人1人を裏切っても何も怖くない

で、国債は証券化(切り分け)された債権だから会社や個人同士で売り買いできる
つまり流動性(いらなくなったら売れる)がある
で、流動性があると金利は下がる

仮にイギリス国債がデフォルトしたら国内外の金持ち数千人がイギリス政府に恨みをもつリスクがあるけどね

33: 名無し三等兵 2016/05/28(土) 18:42:44.59 ID:Y0J2rcAb
国王が金借りる規模の商人て国内で最も有力な商家だったり、都市国家経営してるレベルなんで国王が踏み倒すと踏み倒しでなくなる債務の額どころでない被害が国家に出たんだけどね
有名どころだとスペインに金貸していたジェノヴァがスペインの度重なる破産でスペイン援助から手を引いた結果、ネーデルランドが独立したりと

44: 名無し三等兵 2016/06/08(水) 01:31:12.17 ID:A9kd6FK9
親衛隊と近衛隊ってどう違うの?

47: 名無し三等兵 2016/06/08(水) 12:57:06.92 ID:q9r5x0Tw
>>44
待遇がひいきされているのが親衛隊で、国家元首の護衛が近衛のイメージがあるなぁ

45: 名無し三等兵 2016/06/08(水) 01:59:57.42 ID:2t/ZBQvT
翻訳の問題では。たしか中国語じゃどっちも禁衛隊なような。

46: 名無し三等兵 2016/06/08(水) 02:13:44.08 ID:6C1rrvHb
親衛隊(gards)の中で皇帝・国王を守るのが近衛と訳されるんじゃなかった?
だからマレンゴにおいて第一執政が投入したgardsは親衛隊だけど
ワーテルローにおいて皇帝が投入したgardsは近衛隊な訳だし

48: 名無し三等兵 2016/06/08(水) 13:06:46.20 ID:AyrV8reN
とある幕末日本を扱った海外産RTSではガーズを護衛隊と訳しててはじめ意味がわからなかったな
まあ「double times」を「ハイノハヤサデ-」とやらかしたり色々楽しいゲームではあったんだが

49: 名無し三等兵 2016/06/08(水) 18:54:35.81 ID:VDmFtzLl
逆に旗本とか御家人が海外でGardsなんて訳されてる可能性はないのかのう。

50: 名無し三等兵 2016/06/08(水) 19:07:55.66 ID:2t/ZBQvT
長谷川平蔵とこの御先手組なんかならアドバンス・ガードで正確な翻訳なんだろうけど。

51: 名無し三等兵 2016/06/08(水) 20:32:50.30 ID:1hRIcThg
奥詰銃隊や御持小筒組(撒兵隊)はGuardsと言えるのでは?
海外で呼ばれているかは分からないけれど
撒兵隊の中で木更津に脱走しなかった兵士は、慶喜公が駿府に移封される時に護衛として付き従ったし
ナポレオンに付き従いエルバ島に航った帝国親衛隊と重なるなぁ

52: 名無し三等兵 2016/06/08(水) 21:32:08.57 ID:iaQSYBjU
江戸幕府の将軍近衛といえば小十人組かな
お揃いの制服(危急の際は将軍も同じ羽織を着て見分け付かなくするため)で常に帯同、平時は将軍の警護+個人的なエージェントとして国内各地に派遣されたり‥と一般の旗本御家人とは毛色が違う

53: 名無し三等兵 2016/06/09(木) 18:56:45.03 ID:9BozQf4T
そういえばロシア遠征でフランス軍近衛軍団ってどのくらい被害を受けたんだろね
損害率が大陸軍と等しいなら近衛隊を構成していたベテラン兵も全滅に近かっただろうし
一般部隊にもベテラン兵なんていなくなっただろうし

54: 名無し三等兵 2016/06/09(木) 22:24:22.06 ID:hYIXztty
帝国親衛隊の兵力の推移

帝国親衛隊、第3師団
>>1812年7月1日の兵力 / 1813年2月1日の合計兵力
※「オランダ」のみニェーメン渡河時の兵力 / 1813年2月1日の合計兵力

第1及び第2親衛隊徒歩猟兵連隊(4個大隊)
将校94名、下士官兵3076名 / 415名

第1及び第2親衛隊徒歩擲弾兵連隊(4個大隊)
将校83名、下士官兵士2808名 / 408名

第3親衛隊徒歩擲弾兵連隊「オランダ」(2個大隊)
将校34名、下士官兵士1462名 / 11名

55: 名無し三等兵 2016/06/10(金) 01:37:37.24 ID:09FHx9W4
ヒェッ…

56: 名無し三等兵 2016/06/10(金) 09:23:09.15 ID:IfKX8ove
ここ
http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/garde.html

によればワーテルローの近衛隊突撃に加わったのは老練親衛隊3個大隊を除く5個大隊2850人となってるけど、ロシア遠征前の1個近衛連隊以下の人数しかいなかったってことは結局ロシア遠征前の規模まで再建出来なかったってことなのかな?

57: 名無し三等兵 2016/06/10(金) 12:20:46.53 ID:zw1RR6iG
>>55の最初の2例は2個連隊の合計(2個大隊×2)です
分かり辛い書き方だったかな・・・

親衛隊の歩兵科連隊は
1個大隊:中隊(200名)×4個
1個連隊:大隊×2個+連隊本部=約1600名
だったかと
記憶ですが

なので、ロシア戦役の1個連隊以下とは言えませが、定数割れ状態だったのは確かかと
ワーテルロー戦役に先立って、徒歩猟兵と徒歩擲弾兵の第4連隊が編成されましが、戦役開始に間に合ったのは第1大隊のみだったと
第2大隊はパリ近郊で編成中

58: 名無し三等兵 2016/06/10(金) 12:33:10.68 ID:gEXkwvDS
あの突撃ってそんなにしょっぱかったんだ
映画のイメージのせいで10000とは行かなくても5000くらいはいると思ってた
ナポレオンも半ばヤケクソだったんだろうなあ

60: 名無し三等兵 2016/06/10(金) 13:03:23.78 ID:JvYmfkR8
実際にはデルロンとレイユの軍団の残存兵力が助攻してますし
ネイがあそこで騎兵を消耗せず親衛隊突撃の支援に回せばだいぶ違ったと個人的に妄想

61: 名無し三等兵 2016/06/21(火) 18:37:51.89 ID:8c1vFxi1
ヤン・タルノフスキはマウリッツにどんな影響を与えたんだろう

62: 名無し三等兵 2016/06/29(水) 19:06:58.09 ID:sjG3R1pr
カウンターマーチってマウリッツ以前から似たようなことが行われてたっぽいし
マウリッツも西ヨーロッパの既存の戦術をまとめただけで特に影響とかなくても不思議じゃない

72: 名無し三等兵 2016/07/19(火) 00:43:32.33 ID:m+nM2Elg
大宰府の九州国立博物館の火縄銃展に行ってきました
火薬を入れるカ所は銃口と火皿だということは理解してるんですが、火皿という装置がある意味がいまひとつ分かりませんでした
直接銃口側に点火すると、暴発の危険があるから火皿という前段階をおくんですか?
すごく基本的なことで気が引けますが……

ついでですが、この展示会は小規模でしたが火縄銃を直に持って重さを体感できたので興味ある人は是非おすすめします

73: 名無し三等兵 2016/07/19(火) 19:21:31.93 ID:XMhSEGtR
日本にはほぼ完成の域に達した瞬発式火縄銃が入ってきて試行錯誤の歴史が短いからメカの必然性が判りにくいね

古くは短い銃口側から導火線や焼いた針金を突っ込んで点火する打ち上げ花火と同じ方式に始まってる
後に銃身に小穴をあけて詰められた火薬へ焼いた針金を突っ込んで点火するよう工夫され、さらに銃身上に火皿を作って伝火薬を盛り、そこへ火種を押し付け点火する確実な方式へと発展
狙いを付けられるようメカを工夫し引き金で火縄を火皿へ押し付けるよう出来上がったものが完成形

要するに火皿は確実な発火と射手の安全を確保するためのものだけど、さらに安全確実な雷管が発明され構造上火皿は不要になった

74: 名無し三等兵 2016/07/19(火) 21:37:05.07 ID:9N54fd5T
ありがとうございます
伝火薬、確実な発火というワードで何となく理解が進んだような気がします

実物を見てますます欲しくなってしまって模型を購入しようか検討中……

80: 名無し三等兵 2016/07/22(金) 16:03:08.83 ID:CkTzXIvs
日本の火縄銃が戦国期にあれ以上発達しなかったのってやっぱり完成度の高いものがいきなり入ってきたからかな
欧州じゃ種子島で売った火縄銃は試行錯誤の到達点の一つに過ぎなくてフリントロックや雷管式から金属薬莢
さらには後装填へとどんどん進化しているのに日本じゃ大量生産こそしたけど基本形状とか幕末までほとんど発展が無いね
火ばさみの松葉バネをゼンマイ式にして銃床内に組み込んだものもあるけどほんの一部だし

188: 名無し三等兵 2016/11/19(土) 11:32:18.94 ID:IFROc+x3
>>80
技術進化が実際止まるし、世界的に大々的に重火器が変化するのはもっとあとだからな。

フリントロックライフル事態は江戸時代に輸入して施策してたぜ。
そして17世紀のこうそうしきライフルにたいして、銃が劇的に進化するのは19世紀になってからだろ。
だからその間150年日本の重火器が変化しないのは必然。

189: 名無し三等兵 2016/11/19(土) 14:20:34.80 ID:6udS377S
>>188
確か軍事技術の進歩に関して幕府の目が厳しいのと、射撃時の手元の衝撃が大きくて命中精度が火縄式に劣る事が、江戸時代にフリントロック式が流行らなかった主要因なんだっけか

195: 名無し三等兵 2016/11/19(土) 19:45:25.46 ID:3EbsuUov
>>189
フリントロック式が衝撃により命中精度が落ちるとは言っても、射手が制御出来ない程の衝撃なのかな?
フリントロック式は軍用以前に狩猟用として広まったって経緯が有る位だし(火縄の臭いを獲物に嗅ぎ付けられないって利点も有ったにしろ)
プロシア軍の猟兵は民間の狩猟用ライフルを流用した物を使用していたけれど、トリガープルの調整機能が付いていた位繊細?な物だったと
命中精度に影響が出る程の衝撃が有る物に、そこまでの機能を付けるか疑問が・・・
和銃の頬付け銃床が衝撃を押さえるのには不適切だったとか?

81: 名無し三等兵 2016/07/22(金) 19:19:44.56 ID:GwWFjNWJ
元和偃武以降、戦争がなくて実用的には狩猟用途限定、しかもグリップとフロントエンドの二点支持式が圧倒的に普及した状況じゃ、火縄銃から先の改造は命中精度が落ちるだけで有害無益だったというのはよく聞くね。
ストック付きの三点支持なら発火機構改良も意味もあるんだが、狩猟用(空砲威嚇用含む)には銃が長くなりすぎて取り回しが悪くなるからな。

82: 名無し三等兵 2016/07/24(日) 22:50:15.61 ID:GD3ALgI4
命中精度にこだわったが故に結果的に発展しなかったてのは言えるかも
良質の火打ち石が産出しなかったから日本じゃフリントロックが発達しなかったというけど、硝石自体が大量に輸入されていたんだし必要なら買ってたはず

83: 名無し三等兵 2016/07/25(月) 15:07:43.04 ID:uHUGC1ck
命中精度にこだわって割には独自にライフリングも発明できなかったんだから、単に需要がなかったってだけだろ
明が火器の発展を15世紀で止めてたのと同じ

84: 名無し三等兵 2016/07/25(月) 21:59:14.43 ID:0pwWbUBK
>>83
ライフリングってそんなに容易に発明できるもんなの?

85: 名無し三等兵 2016/07/25(月) 22:35:02.99 ID:yCtL1Wv+
弓矢も矢羽根の作用で回転させることで飛翔が安定すると経験的に知られていたから、江戸期も工夫というものが続いていたらライフリングに気が付いていたかもね
まあそんな需要が生じないほどの長い太平のほうがはるかに価値あるけど

86: 名無し三等兵 2016/07/25(月) 22:46:08.76 ID:toAEpLlO
ライフリング自体は日本に伝来したいわゆる種子島より先に知られてはいるんだが
冶金技術が追い付かなかったんで。

87: 名無し三等兵 2016/07/25(月) 23:12:46.86 ID:0pwWbUBK
>>86
ああ発明する必要はなかったんだ
ありがとう

88: 名無し三等兵 2016/07/25(月) 23:26:56.63 ID:8D/Qx6s+
江戸時代の武具関係は、守旧型・既存の軍備を維持するだけなんだよ
民間~藩まで軍備増強は厳しく規制されてるし、武士の鉄砲は武芸化されてるし。

89: 名無し三等兵 2016/07/25(月) 23:42:07.06 ID:g9NeRc1c
外敵もいないのに軍備近代化しても社会不安の種になるだけだし、基本的に健全な判断ではある。
対外交流ルートを極度に絞りすぎたのは失敗だったけど…江戸時代中期、アラスカあたりまで進出していた時期のロシア相手になんか手を打てなかったかなあ。

引用元: ・近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代8