1: 人間七七四年 2011/10/03(月) 00:36:41.56 ID:oX3nlpQq
越相同盟から上杉謙信の後継者となりながらも、謙信死後に起きた御館の乱で悲劇的な生涯を終えた上杉景虎を語れ。
8: 人間七七四年 2011/10/03(月) 23:32:37.29 ID:xPyIiemK
上杉憲政って討ち取られたの?
かつての上杉家当主なのにねぇ・・・・。戦国時代は厳しいのう。。
かつての上杉家当主なのにねぇ・・・・。戦国時代は厳しいのう。。
24: 人間七七四年 2011/10/13(木) 20:01:39.70 ID:ZtEzudSc
>>8
仇敵北条の一族に与して殺されるとかよくわからんな
仇敵北条の一族に与して殺されるとかよくわからんな
9: 人間七七四年 2011/10/04(火) 00:15:18.75 ID:Vca+8Ae6
門番が間違って殺しちゃいましたテヘッ
11: 人間七七四年 2011/10/05(水) 17:03:48.06 ID:dffkIY3J
景虎と景勝って乱以前から不仲だったのか?
12: 人間七七四年 2011/10/05(水) 23:56:03.26 ID:OoDkg/EY
それが分かるような史料は無し
13: 人間七七四年 2011/10/06(木) 01:27:16.55 ID:CVJgPqNQ
上田と古志の対立の方が大きいだろうからな
14: 愛宕権現 2011/10/06(木) 10:01:19.05 ID:q2/d055d
景虎は関東一の美青年と言われ、戦は父譲りで旨かったが政治はヘタクソだったんだな。
かたよった景虎とは違い、景勝公の政治は直江殿が支えたから家臣も影響があったんだな。
かたよった景虎とは違い、景勝公の政治は直江殿が支えたから家臣も影響があったんだな。
17: 人間七七四年 2011/10/07(金) 02:11:43.39 ID:QRq5egPR
景虎が戦上手なんて逸話ですら聞いたことないぞ
実際の戦績見てもお察し
実際の戦績見てもお察し
18: 人間七七四年 2011/10/07(金) 10:34:30.29 ID:5q/eQj6z
謙信健在時に軍役無かったぐらいだもんな。
20: 人間七七四年 2011/10/08(土) 00:44:02.11 ID:Q3DGx6eI
御館の乱最中の文書を見ても戦闘経験値があんまあるとは思えないな
25: 人間七七四年 2011/10/16(日) 23:10:34.84 ID:6gm8j4cO
北信濃での攻防が決定的だった
32: 人間七七四年 2011/12/08(木) 12:55:54.36 ID:NGT7brF+
立て直しのためにもう少し北条の支援を受けやすい地に拠点を移して、まずは割拠を目指すとか、そういった軌道修正はできなかったのか?
33: 人間七七四年 2011/12/08(木) 13:04:39.94 ID:DquYqvIu
鮫ヶ尾城に移りましたが時すでにお寿司
38: 人間七七四年 2011/12/24(土) 23:18:32.10 ID:g3kMNKF8
鮫ヶ尾は信濃逃走準備だったんじゃないの
一応仲介者だし実妹はいるし
現実には景勝と盟約済みだったわけだから
状況把握の甘さはここにも出てるな
とはいえ他に選択肢はなかったかもしれん
中越との連絡は早くに絶たれて栃尾との糾合は無理っぽいし
そもそも春日山を攻撃した時点でバッドエンド確定してたぽ
結果論だけど
一応仲介者だし実妹はいるし
現実には景勝と盟約済みだったわけだから
状況把握の甘さはここにも出てるな
とはいえ他に選択肢はなかったかもしれん
中越との連絡は早くに絶たれて栃尾との糾合は無理っぽいし
そもそも春日山を攻撃した時点でバッドエンド確定してたぽ
結果論だけど
34: 人間七七四年 2011/12/23(金) 15:39:19.78 ID:6EoD6n7V
景虎はどの辺で妥協を図るべきだったか、またそれはいつ頃がリミットだっただろうか
35: 人間七七四年 2011/12/24(土) 00:49:55.64 ID:GLo3Pn13
景勝が山内上杉当主&関東管領を望む前
あと古志
あと古志
39: 人間七七四年 2011/12/25(日) 01:10:49.53 ID:Sixek1pa
景勝の手の打ち方が早すぎて北条軍と合流できなかった時点でもう詰んでる
でも弟の命で上野を無傷でゲットした北条にとっちゃ、三郎は無理して救う必要もなかったんだろうな
そこがなんか不憫だ
でも弟の命で上野を無傷でゲットした北条にとっちゃ、三郎は無理して救う必要もなかったんだろうな
そこがなんか不憫だ
42: 人間七七四年 2011/12/26(月) 11:37:43.59 ID:Ce+i8Inf
謙信公から景勝に代替わりしたときの凄まじい国力の低下に驚愕
43: 人間七七四年 2011/12/26(月) 14:15:12.52 ID:XvMVG3DQ
>>42
そりゃ景勝が景虎と和睦せずに殺しちゃったからな
景虎に味方していたところがすべて敵のままになったらそうなるわ
そりゃ景勝が景虎と和睦せずに殺しちゃったからな
景虎に味方していたところがすべて敵のままになったらそうなるわ
45: 人間七七四年 2011/12/26(月) 16:19:21.78 ID:wEUFfWEO
景虎生かしておいたらどう考えても雪解けと同時にまた北条軍の侵攻とバトルするはめになる件
神余も北条毛利も景虎死んだら和睦申し出てきてるし生かしておく理由が無さ過ぎる
自分と家族の命引き替えに越後に北条を呼び込み上杉弱体させたんだから、最後の最期に景虎はいい仕事したな
神余も北条毛利も景虎死んだら和睦申し出てきてるし生かしておく理由が無さ過ぎる
自分と家族の命引き替えに越後に北条を呼び込み上杉弱体させたんだから、最後の最期に景虎はいい仕事したな
46: 人間七七四年 2011/12/31(土) 23:24:05.59 ID:Uv+eHTIq
上杉景信も割と早い時期に討ち取られちゃったんだよな
48: 人間七七四年 2012/01/03(火) 18:48:52.91 ID:S/daD5t8
結果論にもほどがあるけどやはり相模・伊豆の北条の子が越後の人間を押しのけて越後国の跡継ぎになるのは反発が多かろう
景虎はあっさり景勝にすべてを譲り、相模に帰れなかっただろうか・・・
景虎はあっさり景勝にすべてを譲り、相模に帰れなかっただろうか・・・
49: 人間七七四年 2012/01/03(火) 19:16:42.40 ID:JBy6RCvo
景勝を山内上杉当主と認め忠誠を誓うことで後北条家本家を奪い取るのだ
実際は謙信すら無理なことを養子どもができるわけないし、根本的な元凶である上田古志の対立が残ってるからな
実際は謙信すら無理なことを養子どもができるわけないし、根本的な元凶である上田古志の対立が残ってるからな
51: 人間七七四年 2012/01/04(水) 01:48:54.34 ID:iVM8cdVk
勝頼が素直に景勝方攻撃して、景勝に勝っても上田衆はそれこそ全滅するまで戦いそうだし、阿賀北衆も他方に接近したり独立しようとしたりするだろうなあ
独力で何とかする力は(少なくとも乱直後の)景虎にはないだろうし、そのへんの鎮圧をまた武田さんヨロシクだといい加減ブチ切れそうだ
景虎上杉・武田・北条の東国同盟というのは夢はあるけど実現性はやっぱり低そうだ
独力で何とかする力は(少なくとも乱直後の)景虎にはないだろうし、そのへんの鎮圧をまた武田さんヨロシクだといい加減ブチ切れそうだ
景虎上杉・武田・北条の東国同盟というのは夢はあるけど実現性はやっぱり低そうだ
52: 人間七七四年 2012/01/04(水) 06:09:10.58 ID:oyJppRH+
武田の落ち度みたいな言われ方を散見するけどさ、北条も北条で武田に対して内情とか安全保障とか北条にとっての武田の価値とかそういったものに鈍感だった観は否めないと思うんだよね
53: 人間七七四年 2012/01/04(水) 08:02:45.15 ID:U1gUPFyy
>>223
景虎に若い頃の謙信みたいな能力があるか、まともな指揮官がいればよかったんだが、訓練された景勝に死角がなさすぎるよね。
景虎に若い頃の謙信みたいな能力があるか、まともな指揮官がいればよかったんだが、訓練された景勝に死角がなさすぎるよね。
54: 人間七七四年 2012/01/04(水) 10:39:14.77 ID:MhUR08/4
謙信みたいにガンガン自身で出馬して指揮を取って鮮やかな手並みで序盤の戦闘をいくつか制て景勝より能力高いとこ見せたら
少年時代の謙信のように兵を集められたかもしれん
相手側の景勝が晴景と違って用兵普通に優秀だしちゃんと戦闘にも出てくるから謙信晴景の対立より難しいだろうが
少年時代の謙信のように兵を集められたかもしれん
相手側の景勝が晴景と違って用兵普通に優秀だしちゃんと戦闘にも出てくるから謙信晴景の対立より難しいだろうが
55: 人間七七四年 2012/01/05(木) 10:21:21.81 ID:OT7W5tHm
そもそも伊勢北条の者って時点で長尾上杉の家臣には敬遠の対象じゃないかね?
だから景虎は外に助けを求めた訳で
だから景虎は外に助けを求めた訳で
56: 人間七七四年 2012/01/05(木) 11:25:42.58 ID:7zK7Rbr+
謙信公がもうちょっと長生きしてたらなあ
景虎をどうするつもりだったかはいろんな説があるけど、けっこう景勝よりは景虎を高く評価してた気がしない?
景虎をどうするつもりだったかはいろんな説があるけど、けっこう景勝よりは景虎を高く評価してた気がしない?
57: 人間七七四年 2012/01/05(木) 11:39:59.29 ID:jRgVNVFu
見限られた感が強い
58: 人間七七四年 2012/01/05(木) 11:45:50.93 ID:nrRs6Eci
>けっこう景勝よりは景虎を高く評価してた気がしない?
申し訳ない、個人的にはそんなに。
何らかの手駒として使おうとしていた節は見受けられるが。
申し訳ない、個人的にはそんなに。
何らかの手駒として使おうとしていた節は見受けられるが。
61: 人間七七四年 2012/01/05(木) 14:19:44.26 ID:OT7W5tHm
景勝:姉の実子
景虎:人質を名義上息子としているだけ
仮に景勝が愚鈍だったとして、万に一つも景虎に長尾上杉を任せる可能性はない
家臣にしても景虎押しは自殺行為と言っても良い
景虎:人質を名義上息子としているだけ
仮に景勝が愚鈍だったとして、万に一つも景虎に長尾上杉を任せる可能性はない
家臣にしても景虎押しは自殺行為と言っても良い
62: 人間七七四年 2012/01/05(木) 17:39:57.70 ID:CrKjC/Pa
あくまでも景勝が健在ならありえんだけで、仮に景勝が病死とかなら普通に後継者一番手だろ、他に適当なのいないし。
63: 人間七七四年 2012/01/05(木) 18:21:10.15 ID:CSam6rNa
上条にお鉢が回ってくるんじゃね?
上条上杉なら越後守護輩出する家柄だし一門衆でも景勝に次ぐ位置だろ
上条上杉なら越後守護輩出する家柄だし一門衆でも景勝に次ぐ位置だろ
70: 人間七七四年 2012/01/06(金) 02:12:04.28 ID:qrdv8HGD
景虎の長尾上杉継承は無理筋だったが、景虎の処遇自体が火種になって、妥協点を見いだせないまま引き返せないところまで行き着いてしまった
そして残されたのは上杉・武田と北条が相食むという織田にとって笑いが止まらない状況
そして残されたのは上杉・武田と北条が相食むという織田にとって笑いが止まらない状況
79: 人間七七四年 2012/01/07(土) 09:48:55.78 ID:23VN7y6d
三郎景虎は兵数では勝ってたはずなのに戦うたびに負けて追い詰められていってるのがとっても残念だな
有能…だったのか?
有能…だったのか?
80: 人間七七四年 2012/01/07(土) 10:18:34.22 ID:ccVa4Xb2
相手が景勝でなければ勝ってただろうね。
81: 人間七七四年 2012/01/09(月) 03:14:19.86 ID:WxKBgaDc
所領と旗本が無いという限界あったからじゃないかね
支持してくれる国人に兵を動かしてもらうか、もしくは他国大名に敵方を切り取ってもらうしか力が無い
他国の切り取り次第てのは長期的には利敵行為だから尚更調整力を必要とするし
そして一番問題として大きかったのが兵糧が無い><
支持してくれる国人に兵を動かしてもらうか、もしくは他国大名に敵方を切り取ってもらうしか力が無い
他国の切り取り次第てのは長期的には利敵行為だから尚更調整力を必要とするし
そして一番問題として大きかったのが兵糧が無い><
82: 人間七七四年 2012/01/09(月) 03:35:07.65 ID:GBrwa99+
所領がなければ分けてもらうしかないからな
戦況がやばくなった冬には兵糧支援も打ち切られ気味という悲しさ
戦況がやばくなった冬には兵糧支援も打ち切られ気味という悲しさ
83: 人間七七四年 2012/01/10(火) 20:46:44.48 ID:+scz4xHl
一番やる気があったろう景信があっけなく討たれたからな
上杉 景信(は、戦国時代の越後国の武将。越後守護代長尾氏の一族・栖吉長尾家の出身だが、守護上杉氏の庶流である上条上杉家の名跡を継いだとみられている。16世紀半ばころに見られる「越の十郎」は景信を指すといわれていたが、最近の研究では景信の子である信虎を指すとする説が有力である。
84: 名無し募集中。。。 2012/01/10(火) 21:29:59.94 ID:zGKa5hGG
討たれた十郎は信虎で政景の婿の弥五郎は義春な
あと政景嫡男と言われた義景は政景の実子じゃない気がする
右京亮は上田嫡男の名乗りじゃなくて傍系っぽいから
あと政景嫡男と言われた義景は政景の実子じゃない気がする
右京亮は上田嫡男の名乗りじゃなくて傍系っぽいから
85: 人間七七四年 2012/01/10(火) 21:42:35.57 ID:hVvpW1F2
>>84
十郎信虎って架空の名前だよね
十郎信虎って架空の名前だよね
87: 人間七七四年 2012/01/10(火) 22:01:13.77 ID:QtEph29h
>>85
一次史料に名前が確認できないけど、『上杉家御年譜』や古系図では、十郎信虎となっている。
対して御館で活躍した十郎を景信とする史料は乏しく、なんで花ヶ前が景信に比定したの不明。
一次史料に名前が確認できないけど、『上杉家御年譜』や古系図では、十郎信虎となっている。
対して御館で活躍した十郎を景信とする史料は乏しく、なんで花ヶ前が景信に比定したの不明。
89: 人間七七四年 2012/01/11(水) 10:01:45.86 ID:O84AlbFW
>討たれた十郎は信虎で
前にもこんなレスあったけど、で結局この時に景信はどうなってんのよ
生きてるのか死んでるのか
前にもこんなレスあったけど、で結局この時に景信はどうなってんのよ
生きてるのか死んでるのか
90: 人間七七四年 2012/01/11(水) 10:17:58.36 ID:NfDSpG/j
そんなことは知らないが、御館の乱で戦った十郎は景信でないだろう。
93: 人間七七四年 2012/01/11(水) 22:06:41.68 ID:aCfXrt2x
長尾氏の諱として「信虎」に違和感がある
94: 人間七七四年 2012/01/11(水) 23:15:20.49 ID:RQpVavTW
景信の信に帰ってきた虎で信虎
既に上杉の名籍なわけだしさほど違和感無いな
そもそも景信家は古志でも傍系じゃね
正嫡は豊前守名乗るから
既に上杉の名籍なわけだしさほど違和感無いな
そもそも景信家は古志でも傍系じゃね
正嫡は豊前守名乗るから
97: 人間七七四年 2012/01/12(木) 06:27:08.53 ID:Dq3WJeN3
>>94
>景信の信に帰ってきた虎で信虎
>既に上杉の名籍
「虎」は輝虎の諱であるのに、景信の(下の)諱である「信」の下に付けるのは当時の偏諱ルールとしてありえないでしょ。
越後上杉の名跡なら「房」「顕」「定」「朝」を使うでしょ。
>景信の信に帰ってきた虎で信虎
>既に上杉の名籍
「虎」は輝虎の諱であるのに、景信の(下の)諱である「信」の下に付けるのは当時の偏諱ルールとしてありえないでしょ。
越後上杉の名跡なら「房」「顕」「定」「朝」を使うでしょ。
95: 人間七七四年 2012/01/12(木) 00:08:55.37 ID:rihdkNF5
古志長尾は長親が貰っちゃったから信虎は上杉十郎信虎だろ
96: 人間七七四年 2012/01/12(木) 01:24:36.26 ID:sE+liE8d
佐野に入った虎房丸かな?
100: 人間七七四年 2012/01/12(木) 08:48:55.46 ID:zlBkwLkN
>>96
虎房丸は御館の乱では佐野清左衛門尉として登場
ちなみに景勝方だそうです(by 栗原修)
虎房丸は御館の乱では佐野清左衛門尉として登場
ちなみに景勝方だそうです(by 栗原修)
98: 人間七七四年 2012/01/12(木) 07:30:55.84 ID:USZxHCj2
青岩院→虎千代=平三景虎→三郎景虎→十郎信虎
これなら舎弟扱いとして同格偏諱は有りうると思う
どっちにせよ信虎は前名がありそうだ
とりあえず政重→重光の逆偏諱よりは理解しやすい
これなら舎弟扱いとして同格偏諱は有りうると思う
どっちにせよ信虎は前名がありそうだ
とりあえず政重→重光の逆偏諱よりは理解しやすい
99: 人間七七四年 2012/01/12(木) 07:32:52.96 ID:Dq3WJeN3
「信」を上に置く理由にはならないよ
102: 人間七七四年 2012/01/12(木) 10:01:04.34 ID:sE+liE8d
信虎は寅年生まれなら普通にありえる名前じゃない?
謙信は虎の字だけ偏諱として誰にも与えてないでしょ。
制限のある字じゃないんだと思います。
謙信は虎の字だけ偏諱として誰にも与えてないでしょ。
制限のある字じゃないんだと思います。
104: 人間七七四年 2012/01/12(木) 21:21:13.36 ID:eiLIBg4R
>>102
「実名敬避俗」という概念を調べることをお勧めします。
主の諱が「輝虎」である以上、家臣は「虎」の文字を諱に使うことは避けます。
主から偏諱として授与されたときは上に置きます(鎌倉時代はその限りではないけど)。
織田信長存命中の羽柴秀長は「長秀」と名乗っていました。
前田利長も織田信長存命中は「利勝」と名乗っていました。
小笠原貞虎(貞慶)は偏諱の授与者である上杉輝虎(長尾景虎)・三好長慶と同格以上の立場にあるので、授与者の下の諱を下に置いています(北条為昌も同様)。
親子兄弟の場合はそのような縛りはありません(通字)。
たとえ「虎」が「普通」の文字であったとしても、上杉輝虎の養子ではない上杉十郎が「虎」を下に置くことはありえません。
上杉輝虎が「虎」を偏諱としていないのは、長尾氏・上杉氏の当主として「景」又は「顕」を偏諱としていたからです。
「実名敬避俗」という概念を調べることをお勧めします。
主の諱が「輝虎」である以上、家臣は「虎」の文字を諱に使うことは避けます。
主から偏諱として授与されたときは上に置きます(鎌倉時代はその限りではないけど)。
織田信長存命中の羽柴秀長は「長秀」と名乗っていました。
前田利長も織田信長存命中は「利勝」と名乗っていました。
小笠原貞虎(貞慶)は偏諱の授与者である上杉輝虎(長尾景虎)・三好長慶と同格以上の立場にあるので、授与者の下の諱を下に置いています(北条為昌も同様)。
親子兄弟の場合はそのような縛りはありません(通字)。
たとえ「虎」が「普通」の文字であったとしても、上杉輝虎の養子ではない上杉十郎が「虎」を下に置くことはありえません。
上杉輝虎が「虎」を偏諱としていないのは、長尾氏・上杉氏の当主として「景」又は「顕」を偏諱としていたからです。
105: 人間七七四年 2012/01/12(木) 22:15:51.38 ID:sE+liE8d
ありえませんと言われても、『覚上公御年譜』や「本荘系図」には信虎の実名が書かれてあります。
古志長尾の庶子が上杉を称しているのだから、そこにありえませんとは断定できない関係が隠されている可能性も全くないのでしょうか?
古志長尾の庶子が上杉を称しているのだから、そこにありえませんとは断定できない関係が隠されている可能性も全くないのでしょうか?
106: 人間七七四年 2012/01/13(金) 07:47:55.36 ID:drSdnrs/
『覚上公御年譜』や「本荘系図」を否定するような書き方をしたことはお詫びします。
しかし「本荘系図」は上杉三郎景虎を「北条氏秀」としているような史料なので信憑性に疑問を持っています。
永禄六年生まれの本荘顕長の母が上杉十郎信虎の妹ということより、信虎は景信の子かと思われますが、そうすると上杉家軍役帳や上杉家家中名字尽の時代、成人していた信虎がいるのにも関わらず、父の景信が「十郎」という輩行で記載されることはないので(同時期に「十郎」が二人となってしまう)、景信は既に現役ではなかった、ということになると思いますが、そうすると一次史料との兼ね合いはどうでしょうか?
しかし「本荘系図」は上杉三郎景虎を「北条氏秀」としているような史料なので信憑性に疑問を持っています。
永禄六年生まれの本荘顕長の母が上杉十郎信虎の妹ということより、信虎は景信の子かと思われますが、そうすると上杉家軍役帳や上杉家家中名字尽の時代、成人していた信虎がいるのにも関わらず、父の景信が「十郎」という輩行で記載されることはないので(同時期に「十郎」が二人となってしまう)、景信は既に現役ではなかった、ということになると思いますが、そうすると一次史料との兼ね合いはどうでしょうか?
107: 人間七七四年 2012/01/13(金) 09:35:06.85 ID:8NJoN/ZK
景信が現役な頃は信虎は十郎ではなかったで解決じゃね
108: 人間七七四年 2012/01/13(金) 10:20:07.66 ID:JuAU50XQ
つーか景信の現役時代って1560年代までぐらい?
109: 人間七七四年 2012/01/13(金) 17:55:05.40 ID:lFcj5sPz
もう誰が誰だかわからんくなってきた ややこしいぜ・・・
116: 人間七七四年 2012/01/20(金) 20:44:10.84 ID:fdxHyyPd
結局越後守護家の名跡は誰が継いだんだ?
117: 人間七七四年 2012/01/20(金) 21:09:43.09 ID:PryWlJll
十郎景信と言われているが、上の話では十郎信虎が継いだということでは?
118: 人間七七四年 2012/02/03(金) 21:47:02.43 ID:jDRsc2OD
むしろ景虎の存在がない方が上杉と北条、それに武田を加えた三家で妥協点が見いだせる可能性もあったような気がしないでもない
武田が滅亡して、上杉が滅亡の縁にあって、恭順した北条だってじり貧に持ち込まれようとしてたわけで、三家共倒れにすらなりかけてた
武田が滅亡して、上杉が滅亡の縁にあって、恭順した北条だってじり貧に持ち込まれようとしてたわけで、三家共倒れにすらなりかけてた
120: 人間七七四年 2012/02/09(木) 23:22:02.15 ID:m+aKXP5s
無茶な動員でジリ貧勝頼は結局大国上野に触手を伸ばすしか選択肢なかったろう
121: 人間七七四年 2012/02/28(火) 12:06:01.89 ID:H5IW6Tej
氏政はどうして見捨てたんだ?
兄弟なのに冷たすぎるわ
もし応援に駆け付けてたなら越後も北条のものとなり、秀吉に十分対抗できたと考えられる
兄弟なのに冷たすぎるわ
もし応援に駆け付けてたなら越後も北条のものとなり、秀吉に十分対抗できたと考えられる
123: 人間七七四年 2012/02/28(火) 13:57:33.74 ID:wDt7qkWR
>>121
同盟者である武田勝頼を動かして、氏邦が上野の景虎派を率いて越後に侵入してるんだけどね
これだけで三万以上の援軍だぜ
まあ関東に比べて優先順位が低くなってるのは反論の余地はないけど
同盟者である武田勝頼を動かして、氏邦が上野の景虎派を率いて越後に侵入してるんだけどね
これだけで三万以上の援軍だぜ
まあ関東に比べて優先順位が低くなってるのは反論の余地はないけど
124: 人間七七四年 2012/02/28(火) 16:13:45.48 ID:IHUMtpHJ
氏邦の援軍も秋にやっと来たと思ったら11月には「雪が降ってきたから無理ぽ」と帰っちゃうじゃないですか
雪が降り出したら手出しできなくなるの分かってる話なんですから早く動いてくださいよ
おかげで景勝に各個対処されてるじゃないですか
雪が降り出したら手出しできなくなるの分かってる話なんですから早く動いてくださいよ
おかげで景勝に各個対処されてるじゃないですか
125: 人間七七四年 2012/02/28(火) 17:02:13.96 ID:wDt7qkWR
間が悪いんだよ
よりによって佐竹勢と対陣してる真っ最中に援軍要請なんか来てもすぐに対処できねーっての
あと冬期にゃ雪で三国峠が通行不可になるんだから、補給線を確保するためにも孤立を避けるためにも撤退せざるをえない
武田を取り込んで各個撃破した景勝の手腕を褒めるべきだろうな
よりによって佐竹勢と対陣してる真っ最中に援軍要請なんか来てもすぐに対処できねーっての
あと冬期にゃ雪で三国峠が通行不可になるんだから、補給線を確保するためにも孤立を避けるためにも撤退せざるをえない
武田を取り込んで各個撃破した景勝の手腕を褒めるべきだろうな
126: 人間七七四年 2012/03/02(金) 02:15:17.72 ID:hdGnG9+2
勝頼も上野進攻にかまけてて高天神見捨てて滅亡シナリオ突入したわけで
因果は巡る風車
因果は巡る風車
まだ前管領の上杉憲政とその実子も健在なのになぜ北条の子に継がせるのか
それなら景虎は謙信ではなく直接憲政の養子にした方がまだ筋が通ると思うが