1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/30(木) 17:15:47 ID:7QRgsSoO0
佐幕系
※ほぼ新選組の話題です。
10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/09(土) 15:11:17 ID:tpCCgI1OO
新撰組てえらい人気だけど、正直この人達って凄いのか?
20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/11(月) 12:49:56 ID:tlf0p5d1O
>>10
もともと野蛮な連中だが、池田屋事件からまさに幕府の犬で百害あって一利なし。
ただ新選組だろうが薩長だろうが、志は高かったというのも忘れてはいかん。
現代人が見習うべきことがたくさんある。
もともと野蛮な連中だが、池田屋事件からまさに幕府の犬で百害あって一利なし。
ただ新選組だろうが薩長だろうが、志は高かったというのも忘れてはいかん。
現代人が見習うべきことがたくさんある。
21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/11(月) 15:08:20 ID:1TYwZmQ5O
新撰組の志って何?
22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/11(月) 16:23:35 ID:nvA2owSd0
勤王派は馬鹿の一つ覚えで「攘夷」と言いながら、自分達が政権獲ったら手の平返して「開国」に早変わりして諸外国のご機嫌伺い。
口先だけの卑怯な勤王派より、現実を見つめていた新撰組方がはるかに正しかったね。
口先だけの卑怯な勤王派より、現実を見つめていた新撰組方がはるかに正しかったね。
23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/11(月) 22:23:57 ID:13FBo1nD0
>>22
薩長はもともと開国派。
薩長はもともと開国派。
薩摩橋まず斉彬の頃から露骨に開国派だし、長州は1853年から吉田松陰・桂小五郎・高杉晋作・井上馨・伊藤博文・・・と露骨に開国派。
薩長は、つまり、尊王攘夷開国派なわけ。
対する幕府は、屈服開港鎖国派なわけ(諸藩には鎖国の禁を科したまま)。
薩長は、つまり、尊王攘夷開国派なわけ。
対する幕府は、屈服開港鎖国派なわけ(諸藩には鎖国の禁を科したまま)。
24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/11(月) 23:06:05 ID:aGB1035x0
新撰組は嫌いじゃないけど・・・
現実を見つめていた新撰組ってのが何を指しているのかがわからん。
官軍の銃砲火を前に白刃だけで突撃を繰り返す姿って、飛んで火に入る夏の虫じゃないか。
目先の現実しか認識できなかったって点では納得だがな
現実を見つめていた新撰組ってのが何を指しているのかがわからん。
官軍の銃砲火を前に白刃だけで突撃を繰り返す姿って、飛んで火に入る夏の虫じゃないか。
目先の現実しか認識できなかったって点では納得だがな
28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/12(火) 00:11:00 ID:w16twxlF0
たしかに新撰組の連中は「志」というよりは、「夢」といった方がしっくりくる。
その辺りが現代人にもわかりやすく、人気にもつながっていると思う。
もちろん、実物がどんな連中だったかなんてのは、知るだけ興醒めするだけだが。
その辺りが現代人にもわかりやすく、人気にもつながっていると思う。
もちろん、実物がどんな連中だったかなんてのは、知るだけ興醒めするだけだが。
27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/12(火) 00:04:47 ID:DvIH4hfx0
清川八郎が暗殺されなかったら新撰組も180度違う立場だったのにね
新撰組で評価できるのは、土方歳三だけ
致命的なのは、教養がなく、国家的なビジョンを描けるのなんか一握り
一部のものは、長州藩や土佐浪士と仲良くなり行動した
新撰組で評価できるのは、土方歳三だけ
致命的なのは、教養がなく、国家的なビジョンを描けるのなんか一握り
一部のものは、長州藩や土佐浪士と仲良くなり行動した
28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/12(火) 00:11:00 ID:w16twxlF0
>>27
清川が生きてても立場は変わらんと思うが。。
本人たちが離脱して京都に残ったじゃん。
山南さんを消しちゃうような奴らだから、国家ビジョンなんて描けるはずがないw
清川が生きてても立場は変わらんと思うが。。
本人たちが離脱して京都に残ったじゃん。
山南さんを消しちゃうような奴らだから、国家ビジョンなんて描けるはずがないw
36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/12(火) 10:40:20 ID:l4JpuHdNO
>>28
山南よりも伊東だろう。
新選組にとっては最後の切り札だったんだよ。
御陵衛士の残党の証言で斬首なんて罰が当たったとしか思えない。
山南よりも伊東だろう。
新選組にとっては最後の切り札だったんだよ。
御陵衛士の残党の証言で斬首なんて罰が当たったとしか思えない。
加納 鷲雄(かのう わしお、天保10年11月9日(1839年12月14日) - 明治35年(1902年)10月27日)は、新選組隊士、御陵衛士(高台寺党)。戊辰戦争では、新政府軍に参加する。同年4月4日、下総流山にて、正体を偽って官軍に投降した近藤を判別し、結果、近藤は捕縛・斬首された。
46: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/13(水) 02:44:13 ID:bd5zE/hj0
なんで新撰組って殺した不逞浪士より粛清で殺した身内の数のが多いの?
47: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/13(水) 02:54:24 ID:Saq4M+uy0
>>46
しかも一旦入隊したら抜けられないの
幹部以外は地獄なの
しかも一旦入隊したら抜けられないの
幹部以外は地獄なの
48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/13(水) 03:22:26 ID:Uy+Wm/pb0
>>46
京都でや悪さばっかしたから
新撰組の規則守らなかったり、他者に迷惑かけたからだよ。
手のつけられない不良ばかり
京都でや悪さばっかしたから
新撰組の規則守らなかったり、他者に迷惑かけたからだよ。
手のつけられない不良ばかり
50: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/13(水) 11:35:12 ID:qP9lQgoK0
近藤や土方も似たような事やってるんだけどね…
51: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/13(水) 13:10:27 ID:f9Q6eKTq0
規律は幹部も適用される。
所謂「局中法度」のような内容は海援隊や奇兵隊の規律にも見られる。
勿論内部抗争も。独自の規律を設け、違背者は厳罰に処すというのは、あの時代に湧いて出た有志結合組織の特徴。現代ヤクザ組織・暴走族に直結させるより、そうした当時の事情に即した知識を踏まえて考察するのが妥当。
さらに、違背者が増加するのは元治元年後半以降。これが意味するところは尊王攘夷路線から幕従・洋式軍備強化路線への変化で生じた組織矛盾の顕在化。素行不良の隊士が増えた云々は勿論ある。だが、規律を犯してでも組織を抜けなければいけないまでに追いつめられた、隊内尊攘派の存在も大きい。
江戸新徴組では早期に幕府・庄内藩による清河一派捕殺、尊攘激派の水戸天狗党大量移籍などで、そうした思想的対立問題が解消された。
新撰組は暫く多様な政治思想の持ち主に門戸を開き、またそうせざるを得ないとかった事情から、それが少し遅れた。組織の方向性・周辺環境の変化に注目しなければ事の本質には迫れない。
また、事情によっては条件付きで中途離脱は認められていた。助勤以下になると平和裏に隊を去ったという事例も多い。慶応三年五月の茨城司以下による脱局騒動でも、首謀者は切腹(自害説・新撰組暗殺説あり)したが、それに従った約10人は放逐されている。
所謂「局中法度」のような内容は海援隊や奇兵隊の規律にも見られる。
勿論内部抗争も。独自の規律を設け、違背者は厳罰に処すというのは、あの時代に湧いて出た有志結合組織の特徴。現代ヤクザ組織・暴走族に直結させるより、そうした当時の事情に即した知識を踏まえて考察するのが妥当。
さらに、違背者が増加するのは元治元年後半以降。これが意味するところは尊王攘夷路線から幕従・洋式軍備強化路線への変化で生じた組織矛盾の顕在化。素行不良の隊士が増えた云々は勿論ある。だが、規律を犯してでも組織を抜けなければいけないまでに追いつめられた、隊内尊攘派の存在も大きい。
江戸新徴組では早期に幕府・庄内藩による清河一派捕殺、尊攘激派の水戸天狗党大量移籍などで、そうした思想的対立問題が解消された。
新撰組は暫く多様な政治思想の持ち主に門戸を開き、またそうせざるを得ないとかった事情から、それが少し遅れた。組織の方向性・周辺環境の変化に注目しなければ事の本質には迫れない。
また、事情によっては条件付きで中途離脱は認められていた。助勤以下になると平和裏に隊を去ったという事例も多い。慶応三年五月の茨城司以下による脱局騒動でも、首謀者は切腹(自害説・新撰組暗殺説あり)したが、それに従った約10人は放逐されている。
58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/14(木) 02:01:14 ID:QROntf3/0
ところで、「三品仲治」は山崎烝の隊内での変名だろ?
それ以外、辻褄が合わん。
それ以外、辻褄が合わん。
59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/15(金) 02:18:14 ID:dVkgv0g/0
>>58
元治元年(1864)11月作成の「行軍録」に、三品忠司(仲治)の名が松原忠司率いる七番大砲組に見えるが、山崎烝の名も小荷駄雑具(平時の勘定方)に確認できる。
完全に別人でしょう。
因みに同じ三品姓の三品一郎という隊士がいるが(おそらく同一人物)、これも「英名録」などの諸史料で山崎とは別人として確認できるね。
よく知らんが、そんな噂とかあったっけ?
by『新選組組長列伝』新人物往来社・2002年
元治元年(1864)11月作成の「行軍録」に、三品忠司(仲治)の名が松原忠司率いる七番大砲組に見えるが、山崎烝の名も小荷駄雑具(平時の勘定方)に確認できる。
完全に別人でしょう。
因みに同じ三品姓の三品一郎という隊士がいるが(おそらく同一人物)、これも「英名録」などの諸史料で山崎とは別人として確認できるね。
よく知らんが、そんな噂とかあったっけ?
by『新選組組長列伝』新人物往来社・2002年
60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/15(金) 02:31:55 ID:gXWuqrWP0
>>58>>59
密偵山崎烝に隊内での変名がないほうがおかしいし、脱走した者からもバレないようにということで色々別人であるかのような偽装工作が為されたんではないか?
むしろ、それが山崎のような密偵に対する当然の配慮なのではないか?
ということで、
山崎烝=三品仲司=三品仲治=三品忠司=三品一郎
が正解なんじゃね? とふと思った。
密偵山崎烝に隊内での変名がないほうがおかしいし、脱走した者からもバレないようにということで色々別人であるかのような偽装工作が為されたんではないか?
むしろ、それが山崎のような密偵に対する当然の配慮なのではないか?
ということで、
山崎烝=三品仲司=三品仲治=三品忠司=三品一郎
が正解なんじゃね? とふと思った。
62: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/15(金) 08:07:55 ID:/5/3KXy20
>>60
そう。問題はそこから。
第1の問題は、山崎烝の隊内での変名に相当するものが「三品仲司」(および、それに類似する名前)しか見当たらないこと。
第2の問題は、その「三品仲司」が池田屋事変の功労者であるにもかかわらず不思議な行方不明者になっていること。
第3の問題は、「三品仲司」の行方不明と相前後するように山崎丞が新撰組の山崎丞として公に行動を始めていること。
これら三重の、余りにも見事すぎる符号の一致。
明らかに山崎はいつまでも薬屋に扮して京の旅宿に入り浸ってばかりいると、京の人たちから密偵ではないかと怪しまれるだろうとさすがに察して密偵をやめたと考えられる。
密偵のほうは新顔に交替すればいいだけの話だし。
そして、少なくとも近藤勇だけは「山崎丞」=「三品仲司」を知っていて、山崎が密偵をやっている間はそれがバレないように近藤勇が名前を使い分けていたんじゃないかと考えられる。
そう。問題はそこから。
第1の問題は、山崎烝の隊内での変名に相当するものが「三品仲司」(および、それに類似する名前)しか見当たらないこと。
第2の問題は、その「三品仲司」が池田屋事変の功労者であるにもかかわらず不思議な行方不明者になっていること。
第3の問題は、「三品仲司」の行方不明と相前後するように山崎丞が新撰組の山崎丞として公に行動を始めていること。
これら三重の、余りにも見事すぎる符号の一致。
明らかに山崎はいつまでも薬屋に扮して京の旅宿に入り浸ってばかりいると、京の人たちから密偵ではないかと怪しまれるだろうとさすがに察して密偵をやめたと考えられる。
密偵のほうは新顔に交替すればいいだけの話だし。
そして、少なくとも近藤勇だけは「山崎丞」=「三品仲司」を知っていて、山崎が密偵をやっている間はそれがバレないように近藤勇が名前を使い分けていたんじゃないかと考えられる。
64: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/15(金) 18:22:03 ID:riqH8uYr0
>>62
第1に、山崎烝の変名は史料上「山崎大二郎」しか確認できてないよ。
第2に、三品仲治(忠司)の名前は「行軍録」で消えるけど、直後の「山崎烝取調日記」に五番隊平士として突如三品一郎の名前が出てくる。この名簿で平士以下は序列を入局順で書かれている。三品は伊木八郎・宿院良蔵の間つまり池田屋事件以来の古参者という扱い。
「英名録」「幕臣取立者名簿」等の異なる人物・時間に作成された何れの名簿でも扱いは同じ。
つまり三品仲治と一郎は同一人物と考えるのが妥当で彼は行方不明者ではない。勿論、山崎烝は何れの史料でも三品姓の隊士と全くの別人として名が載る。
また、山崎の存在が確認できるのは池田屋事件直前だが、史料上、密偵としての活躍が確認できるのはこの時と、慶応元年11月から翌年7月にかけての広島・長州での「周防方」としての探索活動くらい。むしろ、隊士として存在が表向き抹消されていたのでは?と思えるのは、浅野薫(藤太郎)かな。彼は慶応2年後半までは確かに在隊していた筈なのに、その間の名簿に殆ど名前を遺していないし謎多き存在。
山崎はむしろ優秀な事務・外交官僚タイプとして目立った存在。
例えば、「禁門の変」直後に小荷駄方(勘定方)として河合耆三郎と長州軍の遺した武器類を回収し、その事務処理を担当。慶応三年四月の近江八幡仙台藩領内における訴訟事件にも派遣され、代官を蔑ろにして独断で裁判調停を処理してしまったという同時代の記録がある。他にも西本願寺屯所移転の交渉役とか、公卿中山忠能邸への効用とかの活躍が挙げられる。
経歴の詳細は『新撰組全隊士録』に掲載されているし、近代史家の宮地正人氏が『新選組の論じ方』で恐らく従来の「新選組研究者」たちよりも正確に山崎の存在を考察している。
長々と失礼しました。
第1に、山崎烝の変名は史料上「山崎大二郎」しか確認できてないよ。
第2に、三品仲治(忠司)の名前は「行軍録」で消えるけど、直後の「山崎烝取調日記」に五番隊平士として突如三品一郎の名前が出てくる。この名簿で平士以下は序列を入局順で書かれている。三品は伊木八郎・宿院良蔵の間つまり池田屋事件以来の古参者という扱い。
「英名録」「幕臣取立者名簿」等の異なる人物・時間に作成された何れの名簿でも扱いは同じ。
つまり三品仲治と一郎は同一人物と考えるのが妥当で彼は行方不明者ではない。勿論、山崎烝は何れの史料でも三品姓の隊士と全くの別人として名が載る。
また、山崎の存在が確認できるのは池田屋事件直前だが、史料上、密偵としての活躍が確認できるのはこの時と、慶応元年11月から翌年7月にかけての広島・長州での「周防方」としての探索活動くらい。むしろ、隊士として存在が表向き抹消されていたのでは?と思えるのは、浅野薫(藤太郎)かな。彼は慶応2年後半までは確かに在隊していた筈なのに、その間の名簿に殆ど名前を遺していないし謎多き存在。
山崎はむしろ優秀な事務・外交官僚タイプとして目立った存在。
例えば、「禁門の変」直後に小荷駄方(勘定方)として河合耆三郎と長州軍の遺した武器類を回収し、その事務処理を担当。慶応三年四月の近江八幡仙台藩領内における訴訟事件にも派遣され、代官を蔑ろにして独断で裁判調停を処理してしまったという同時代の記録がある。他にも西本願寺屯所移転の交渉役とか、公卿中山忠能邸への効用とかの活躍が挙げられる。
経歴の詳細は『新撰組全隊士録』に掲載されているし、近代史家の宮地正人氏が『新選組の論じ方』で恐らく従来の「新選組研究者」たちよりも正確に山崎の存在を考察している。
長々と失礼しました。
65: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/17(日) 04:10:06 ID:AuX0EicZ0
66: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/18(月) 03:01:35 ID:M38y6uQHO
>>64
>>65
御指摘感謝です。確かに山崎丞自体変名ですね。詳しく調べると父方が林姓、母方が山崎姓とのこと。
大二郎という通称は少なくとも結婚して壬生村に住み始めたあたりから新撰組入隊直後まで使用し、その後で丞と名乗っている。
因みに林信太郎が従兄弟云々はデマで、実際に新撰組で従兄弟・義弟だったのは山崎新五郎(新次郎)という隊士なそうな。
大二郎という通称は少なくとも結婚して壬生村に住み始めたあたりから新撰組入隊直後まで使用し、その後で丞と名乗っている。
因みに林信太郎が従兄弟云々はデマで、実際に新撰組で従兄弟・義弟だったのは山崎新五郎(新次郎)という隊士なそうな。
96: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/23(土) 14:41:49 ID:QAxuz3vAO
伊東甲子太郎の大開国大強国は当時どういう評価だったんだろう?
98: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/23(土) 15:04:05 ID:2BsPgr9k0
当時の知識人なら、いたって普通じゃないの?
もっとも倒幕勢力は狂信的攘夷派、保守派、近代国家樹立派の連合だったから、前2者からは仇敵視されたかも知れないが
もっとも倒幕勢力は狂信的攘夷派、保守派、近代国家樹立派の連合だったから、前2者からは仇敵視されたかも知れないが
99: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/23(土) 15:43:14 ID:QAxuz3vAO
>>98
個人的には崇高な思想だと思うんだけど、やっぱり理想論に過ぎないということなのかな
結局旧幕府は武力で沈めなければならなかったし
あくまでも朝廷中心と言ってた伊東に実はどれだけの野心があったのかも気になる
個人的には崇高な思想だと思うんだけど、やっぱり理想論に過ぎないということなのかな
結局旧幕府は武力で沈めなければならなかったし
あくまでも朝廷中心と言ってた伊東に実はどれだけの野心があったのかも気になる
100: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/23(土) 16:06:36 ID:zYCnPIVJ0
伊東とか坂本龍馬は基本的に徳川を武力でぶっ潰そうというタイプじゃないが、身分制をもって人民を無駄なく編成し、管理運用してきた幕府にとって、その枠に当てはまらず活動を展開する連中は、結局不気味な存在でしかなかっただろう。
特に「桜田門外の変」以降多発したテロ事件のトラウマも生々しく記憶されている。ほっといたら何するか解らない。
幕府が浪士組残党を新撰組・新徴組という形で再編して、徹底的に統制下に置こうとしたのも、そういう危機感からきてるとすれば頷ける。
そういった幕藩体制社会の根本的在り方・性格から考えていけば、坂本・伊東の暗殺事件についても薩長とかフリーメーソン云々説よりは現実的な答えに至ると思うが。
特に「桜田門外の変」以降多発したテロ事件のトラウマも生々しく記憶されている。ほっといたら何するか解らない。
幕府が浪士組残党を新撰組・新徴組という形で再編して、徹底的に統制下に置こうとしたのも、そういう危機感からきてるとすれば頷ける。
そういった幕藩体制社会の根本的在り方・性格から考えていけば、坂本・伊東の暗殺事件についても薩長とかフリーメーソン云々説よりは現実的な答えに至ると思うが。
101: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/23(土) 21:04:18 ID:ONKE2ODD0
幕府「幕府に仕えさせてやろう。幕府への恩顧を一生忘れるでないぞ」
浪人・武士昇格希望者「やったぁ! これで一生人を斬って食っていけるぜ!」
そして案の定、幕府は更に無茶苦茶になり、致命的に評判を落としただけであった
浪人・武士昇格希望者「やったぁ! これで一生人を斬って食っていけるぜ!」
そして案の定、幕府は更に無茶苦茶になり、致命的に評判を落としただけであった
105: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/24(日) 12:09:13 ID:06lPWbshO
>>101
実情からして身分・立場によっては必ずしも武士になることと生活の安定はイコールの関係ではないからなぁ・・・。
百姓一揆なんか調べてると分かるが、農民・町人など武士以外の身分にもそうであることのメリットやプライドがあったわけだし。
新撰組構成員の半分以上が百姓(当時の社会の九割を構成した層)ではなく、下級武士やら浮浪者などなど、都市に溜まった確固たる生業を持たない人物である事実から、むしろ、構成員は主義主張で集まった連中以外となると、本当に自分の命を賭でもしない限り食えない貧民層だったんだろうよ。
そうい純粋な或いは悲壮な感情を利用して上手いこと正規武士に変わる使い捨ての新兵器として活用するのに成功したのが、当時の幕府や薩長など雄藩。
実情からして身分・立場によっては必ずしも武士になることと生活の安定はイコールの関係ではないからなぁ・・・。
百姓一揆なんか調べてると分かるが、農民・町人など武士以外の身分にもそうであることのメリットやプライドがあったわけだし。
新撰組構成員の半分以上が百姓(当時の社会の九割を構成した層)ではなく、下級武士やら浮浪者などなど、都市に溜まった確固たる生業を持たない人物である事実から、むしろ、構成員は主義主張で集まった連中以外となると、本当に自分の命を賭でもしない限り食えない貧民層だったんだろうよ。
そうい純粋な或いは悲壮な感情を利用して上手いこと正規武士に変わる使い捨ての新兵器として活用するのに成功したのが、当時の幕府や薩長など雄藩。
179: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/17(水) 02:38:39 ID:GPVFryjyO
小栗歩兵のように、幕府の大身の旗本の中には知行地から農兵を徴募した者もいたんだろうな。
手塚治虫の「陽だまりの樹」では、知行地ではないが、父が代官をしていた村で兵を募るシーンがあったが。
そういう私募もあったかも
実は、幕府歩兵は長州戦以前に天狗党とか、関東での治安出動が初陣だったんだよね
手塚治虫の「陽だまりの樹」では、知行地ではないが、父が代官をしていた村で兵を募るシーンがあったが。
そういう私募もあったかも
実は、幕府歩兵は長州戦以前に天狗党とか、関東での治安出動が初陣だったんだよね
180: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/17(水) 03:36:53 ID:mOW6SQ5i0
知行地は知らないが、鳥羽伏見で戦死した連隊長の窪田鎮章も大身旗本だな。
父は鳥羽伏見、子は上野で戦死してるから、バリバリの一家だろう
同じく戦死した佐久間信久は、禄高は不明だけど、佐久間信盛子孫とも言われてる
幕府の大身旗本がダメだったというのも、意外とあてにならない気がする
家督を継いでいるのは、小栗も含めて養子が多いし、窪田家なんて譜代の忠臣でないと、あそこまでやる気にならないでしょ…
父は鳥羽伏見、子は上野で戦死してるから、バリバリの一家だろう
同じく戦死した佐久間信久は、禄高は不明だけど、佐久間信盛子孫とも言われてる
幕府の大身旗本がダメだったというのも、意外とあてにならない気がする
家督を継いでいるのは、小栗も含めて養子が多いし、窪田家なんて譜代の忠臣でないと、あそこまでやる気にならないでしょ…
183: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/17(水) 18:10:34 ID:EzDl+QuD0
>>179
幕府の公的兵卒徴募制度としては、旗本知行地から兵を徴発する「兵賦」、従者から徴発する「軍役銃卒」、江戸市中で徴募した「歩兵」などがあるね。
幕領の農兵隊だと、土方歳三義兄・日野宿名主の佐藤彦五郎が、代官江川太郎左衛門に願い出て編成した日野宿農兵隊が有名だな。
武州では19世紀に入って一揆・打ちこわしが先鋭化。混乱のなかで強盗・殺人を犯す無法者も増えていたし、彦五郎自身もそれで祖母を殺されてる。
が、従来型制度での武士の庇護は期待できない。幕府であろうと雄藩であろうと事情は同じ。
そこに、天然理心流のような武術や銃兵組織の需要があった。権力の影響だけでなく、民衆の「自らの手で郷土防衛をしてやる」って意識の高まりも、農兵編成には大きく影響していたってわけだな。
とはいえ幕末期は兵農分離の原則云々が邪魔して幕府・藩といった個別的な軍制改革止まり。全国的統一軍創設と安定した体制確立には明治に入ってなお時間を有することになったが。
幕府の公的兵卒徴募制度としては、旗本知行地から兵を徴発する「兵賦」、従者から徴発する「軍役銃卒」、江戸市中で徴募した「歩兵」などがあるね。
幕領の農兵隊だと、土方歳三義兄・日野宿名主の佐藤彦五郎が、代官江川太郎左衛門に願い出て編成した日野宿農兵隊が有名だな。
武州では19世紀に入って一揆・打ちこわしが先鋭化。混乱のなかで強盗・殺人を犯す無法者も増えていたし、彦五郎自身もそれで祖母を殺されてる。
が、従来型制度での武士の庇護は期待できない。幕府であろうと雄藩であろうと事情は同じ。
そこに、天然理心流のような武術や銃兵組織の需要があった。権力の影響だけでなく、民衆の「自らの手で郷土防衛をしてやる」って意識の高まりも、農兵編成には大きく影響していたってわけだな。
とはいえ幕末期は兵農分離の原則云々が邪魔して幕府・藩といった個別的な軍制改革止まり。全国的統一軍創設と安定した体制確立には明治に入ってなお時間を有することになったが。
185: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/25(木) 22:04:34 ID:IzT11X730
天狗党の乱とか、関東各地で頻発していた無宿の連中に立ち向かった自警団的な例とかあるのかね。
その日野宿農兵隊は結構面白そうだが。
その日野宿農兵隊は結構面白そうだが。
186: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/25(木) 23:57:46 ID:3tnmJ4KlO
>>185
奇兵隊だけが目立ってるけど、調べると民兵はどこの藩でも多かれ少なかれ結構早い時期から採用してるな。
地元のそういう組織を調べたら面白いかも。古い家だと案外先祖が所属してたとかありそうだ。
奇兵隊だけが目立ってるけど、調べると民兵はどこの藩でも多かれ少なかれ結構早い時期から採用してるな。
地元のそういう組織を調べたら面白いかも。古い家だと案外先祖が所属してたとかありそうだ。
203: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/29(月) 13:35:12 ID:ApPROzUhO
新撰組に歴史的意義あったのって池田屋事件くらいだろ
あとは悲劇の○○大好きな層への講談的な需要があるだけ
あとは悲劇の○○大好きな層への講談的な需要があるだけ
204: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/29(月) 16:29:45 ID:6tqhS5Iy0
>>203
それは「歴史に影響を与えた事件」であって歴史的意義ではないぞ
それは「歴史に影響を与えた事件」であって歴史的意義ではないぞ
208: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/30(火) 12:13:18 ID:3sQ55qSF0
新撰組って宮地正人や松浦玲といった研究者が新撰組関連の書籍を出し始めたが、それまで何故か取り上げられるのは土方や沖田ばっかで、近藤や伊東といった政治活動に熱心だった人らの研究が遅れてるって松浦氏が嘆いてたな
210: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/30(火) 19:33:25 ID:h5TyeCpcO
>>208
土方・沖田人気にしても司馬遼太郎作品はじめとした時代小説や漫画・テレビ・映画などの影響だしね。
従来研究はその延長線。執筆陣も大概大学院も出てないアマ。当然、新撰組研究は近世史・近代史の学問的水準を軽視して進行した。
だから「悲劇の青年剣士」だ!!否「時代を読めない人斬り」だ!!ってな議論を本気でやらかす奴が出てくる。
「おいおい、注目すべきはそこじゃないだろ」と漸く重い腰を上げたプロの研究者が宮地氏松浦氏そして新進気鋭の若手研究者たち。
ま、従来研究は従来研究で、ここまで膨大なデータ揃えて世間一般に公表した功績など、評価すべき点も多いし、これからも見識あるアマチュア研究者が根底の部分を支えていくことには変わりないだろうしね。
土方・沖田人気にしても司馬遼太郎作品はじめとした時代小説や漫画・テレビ・映画などの影響だしね。
従来研究はその延長線。執筆陣も大概大学院も出てないアマ。当然、新撰組研究は近世史・近代史の学問的水準を軽視して進行した。
だから「悲劇の青年剣士」だ!!否「時代を読めない人斬り」だ!!ってな議論を本気でやらかす奴が出てくる。
「おいおい、注目すべきはそこじゃないだろ」と漸く重い腰を上げたプロの研究者が宮地氏松浦氏そして新進気鋭の若手研究者たち。
ま、従来研究は従来研究で、ここまで膨大なデータ揃えて世間一般に公表した功績など、評価すべき点も多いし、これからも見識あるアマチュア研究者が根底の部分を支えていくことには変わりないだろうしね。
209: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/30(火) 18:04:07 ID:XLGtQlBV0
剣豪集団的なとらえ方が多いから、教養系隊士と言われる人たちの位置づけや、近藤の建白などが世間的に着目されず、徹底抗戦を貫いた土方がもてはやされる。
本来は志士の集団なんだから、そう言った研究はもっと進んでもいい。
本来は志士の集団なんだから、そう言った研究はもっと進んでもいい。
212: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/30(火) 23:31:11 ID:3sQ55qSF0
土佐研究で有名だった平尾道雄の新撰組史ではなく、娯楽重視の子母沢寛の著作だけが有名になってしまったのが痛かったな
平尾氏が新撰組本を出すきっかけになったのは宮川家に残っていた近藤の建白草案を土佐出身の田中光顕が読んで、「立場が違うだけで彼も自分達と同じ同志だったはずだ」とびっくりした
と話していたのを聞いてたかららしい
これがもっと有名になってたらまた話は違ってただろうな
平尾氏が新撰組本を出すきっかけになったのは宮川家に残っていた近藤の建白草案を土佐出身の田中光顕が読んで、「立場が違うだけで彼も自分達と同じ同志だったはずだ」とびっくりした
と話していたのを聞いてたかららしい
これがもっと有名になってたらまた話は違ってただろうな
215: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/01(水) 10:49:15 ID:Voht7aK5O
まあ、菊地明・釣洋一・伊東成郎等々諸先生が活発に研究したから、ここまで深い議論も可能なことは忘れちゃいかんけどね。
一般に対して「魅せる」力があるのはやはり彼らだし、彼らが松浦先生などの提言に耳を貸して研究を進めていけば良し。
そうやって少しずつプロアマの現在の温度差みたいなものが縮まっていけばベストだと思うな。
一般に対して「魅せる」力があるのはやはり彼らだし、彼らが松浦先生などの提言に耳を貸して研究を進めていけば良し。
そうやって少しずつプロアマの現在の温度差みたいなものが縮まっていけばベストだと思うな。
224: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/01(水) 21:24:13 ID:jc6v2A+s0
新選組の局中法度も、実態とかなりかけ離れて広がってしまってるね。
普通に脱退して留学した人もいたんじゃなかったか。
御陵衛士との分裂は慶応3年3月だが、この頃の幕薩関係ってどんな感じだっけ?
四候会議の招集段階で、分裂が決定的になる前だよね。
でも兵庫開港問題で慶喜がリーダーシップをとりだした時期にもあたる…
普通に脱退して留学した人もいたんじゃなかったか。
御陵衛士との分裂は慶応3年3月だが、この頃の幕薩関係ってどんな感じだっけ?
四候会議の招集段階で、分裂が決定的になる前だよね。
でも兵庫開港問題で慶喜がリーダーシップをとりだした時期にもあたる…
227: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/02(木) 00:05:12 ID:ETqg4HMZO
>>224
慶喜の卓越した政治手腕で薩摩など雄藩との兵庫開港・長州処分勅許問題を巡る議論に勝利したまではよかった。
しかし、この場合、不幸にも慶喜が政治を直接執れるワンマン将軍だったのが仇となって、批判の矛先が従来の幕閣から将軍に向いた。
即ち諸侯から幕府・将軍権力そのものに対する批判が集まってしまいその後、幕府周辺情勢の悪化が進んでいく。
諸侯参加の公議体制確立を望む伊東がそうしたタイミングで幕臣化目前の新撰組から分離したことは無理無い話だね。
もっとも近藤勇にしてもまだまだ伊東甲子太郎に対する信頼感・互恵関係の見込みはあるわけで分立を支持してる。
因みに海外留学あるいは学問修行を理由に円満脱退したのは司馬良策・藤沢竹城だね。前者は維新後に官庁の役人、後者は新政府軍の兵隊やってたはず。正当な理由があれば基本的に脱退できたのが現状で、首脳部と意見対立する人でも、武田観柳斎みたいに京都退去を条件として許可だしてたようだし。少しでも脱退の気を表せば絶対粛清というわけではないね。
慶喜の卓越した政治手腕で薩摩など雄藩との兵庫開港・長州処分勅許問題を巡る議論に勝利したまではよかった。
しかし、この場合、不幸にも慶喜が政治を直接執れるワンマン将軍だったのが仇となって、批判の矛先が従来の幕閣から将軍に向いた。
即ち諸侯から幕府・将軍権力そのものに対する批判が集まってしまいその後、幕府周辺情勢の悪化が進んでいく。
諸侯参加の公議体制確立を望む伊東がそうしたタイミングで幕臣化目前の新撰組から分離したことは無理無い話だね。
もっとも近藤勇にしてもまだまだ伊東甲子太郎に対する信頼感・互恵関係の見込みはあるわけで分立を支持してる。
因みに海外留学あるいは学問修行を理由に円満脱退したのは司馬良策・藤沢竹城だね。前者は維新後に官庁の役人、後者は新政府軍の兵隊やってたはず。正当な理由があれば基本的に脱退できたのが現状で、首脳部と意見対立する人でも、武田観柳斎みたいに京都退去を条件として許可だしてたようだし。少しでも脱退の気を表せば絶対粛清というわけではないね。
228: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/02(木) 00:13:11 ID:oSt6x0sl0
除隊も結構あったみたいだね
臆病だからいらないという理由で除隊されたり、病気で除隊になった尾関兄のようなのもいる
たぶん谷万太郎も除隊じゃないかな
臆病だからいらないという理由で除隊されたり、病気で除隊になった尾関兄のようなのもいる
たぶん谷万太郎も除隊じゃないかな
229: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/02(木) 00:20:00 ID:ETqg4HMZO
>>228
谷万太郎は除隊だろうね。少なくとも脱走とかではない。そのまま大阪で道場やってるし。弟は新撰組残留してるし。
ただ新撰組との密な関係は切れたみたい。何故だか御稜衛士とは関係が続いてるが此方も目立って関与はしてない。
元々町人や木っ端役人相手の町道場経営が本業で新撰組隊士はアルバイトみたいなもんだったのかも。
谷万太郎は除隊だろうね。少なくとも脱走とかではない。そのまま大阪で道場やってるし。弟は新撰組残留してるし。
ただ新撰組との密な関係は切れたみたい。何故だか御稜衛士とは関係が続いてるが此方も目立って関与はしてない。
元々町人や木っ端役人相手の町道場経営が本業で新撰組隊士はアルバイトみたいなもんだったのかも。
230: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/02(木) 08:07:54 ID:h1kWfCs90
文字通り血の掟で縛られた新撰組が除隊みたいな甘い事を認めてくれるの?
232: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/02(木) 10:41:45 ID:ETqg4HMZO
>>230
他の有志隊と同じく新撰組にも同志の誓いである所謂「局中法度(禁令)」・軍律である「軍中法度」といった厳しい掟がある。
この新撰組隊士に求められる根幹的モラルを逸脱することは大罪であり違背者には当然切腹・殺害が適用されることになっていた。
一会桑が京都警備体制を固めて脱走者追跡も容易になった元治年間以降は徐々にその厳正化も進んでいった。
一方「御暇」という除隊制度もあった。重病人や文武劣等で実務に耐えないと判断された人物、旧主家から帰参要請がきた人物、家業従事・親の介護など家庭的な事情を抱えた人物、特に脱退に不都合な要素が無いと判断された人物など、新撰組側が一方的に脱退を申し渡した隊士、都合上問題のない脱退申請者は所謂リストラ・依願退職者として「御暇」となった。
また、同じ掟違反者でも正規隊士で大人しく縛につけば屯営に連行して切腹となり同志として葬儀し墓を立てて貰えたが、下手に抵抗すれば殺害され打ち捨てられた。処刑方法・死後の扱いの違いは罪を認めたか認めないかの問題だな。
未熟者の仮隊士は死による償いまで行かずに「追放処分」で済まされた。
他の有志隊と同じく新撰組にも同志の誓いである所謂「局中法度(禁令)」・軍律である「軍中法度」といった厳しい掟がある。
この新撰組隊士に求められる根幹的モラルを逸脱することは大罪であり違背者には当然切腹・殺害が適用されることになっていた。
一会桑が京都警備体制を固めて脱走者追跡も容易になった元治年間以降は徐々にその厳正化も進んでいった。
一方「御暇」という除隊制度もあった。重病人や文武劣等で実務に耐えないと判断された人物、旧主家から帰参要請がきた人物、家業従事・親の介護など家庭的な事情を抱えた人物、特に脱退に不都合な要素が無いと判断された人物など、新撰組側が一方的に脱退を申し渡した隊士、都合上問題のない脱退申請者は所謂リストラ・依願退職者として「御暇」となった。
また、同じ掟違反者でも正規隊士で大人しく縛につけば屯営に連行して切腹となり同志として葬儀し墓を立てて貰えたが、下手に抵抗すれば殺害され打ち捨てられた。処刑方法・死後の扱いの違いは罪を認めたか認めないかの問題だな。
未熟者の仮隊士は死による償いまで行かずに「追放処分」で済まされた。
239: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/02(木) 11:16:50 ID:ocfOLxm10
>>232
そういや、松本良順が近藤勇の招きで新撰組屯所に健康診断しにいってみたら、重病人がちらほらいたらしいからな。
確か特に重いのが肺結核一人と心臓病が一人だか。そりゃ隊に置いててもしょうがないわな。
そういや、松本良順が近藤勇の招きで新撰組屯所に健康診断しにいってみたら、重病人がちらほらいたらしいからな。
確か特に重いのが肺結核一人と心臓病が一人だか。そりゃ隊に置いててもしょうがないわな。
242: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/02(木) 14:09:01 ID:oSt6x0sl0
>>239
心臓病は尾関兄説が出てるな
確かその年に除隊してすぐに病死してる
心臓病は尾関兄説が出てるな
確かその年に除隊してすぐに病死してる
243: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/02(木) 15:14:42 ID:ocfOLxm10
>>242
勘定方の尾關彌四郎か。弟尾關雅次郎は旗役で函館まで戦った人。
旗といえば他の佐幕派諸隊の旗ってどんなデザインだったんだろうか。
そういうの網羅した本とかあるんだろうか。
勘定方の尾關彌四郎か。弟尾關雅次郎は旗役で函館まで戦った人。
旗といえば他の佐幕派諸隊の旗ってどんなデザインだったんだろうか。
そういうの網羅した本とかあるんだろうか。
引用元: ・新撰組/白虎隊/京都見廻組/彰義隊
私みたいに高杉晋作も土方歳三も大好きみたいなのは少ないのかな
北走新撰組とだんドーンとか真逆の立場で描かれててどちらもいい作品