2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/11(土) 03:12:06 ID:A3rOvht90
<龍馬暗殺犯 現在のオッズ>

薩摩黒幕 1.20倍
斎藤一 1.45倍
京都見廻組 3.45倍
紀州 6.00倍
原田左之助 12.00倍
土佐 24.00倍
自殺 40.00倍

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/11(土) 17:32:10 ID:z+2NkPii0
薩摩黒幕説はよく聞くけど、長州は?

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/11(土) 19:01:07 ID:sWCMV26J0
長州が中岡を殺すことは無謀

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/11(土) 21:55:01 ID:z+2NkPii0
大体、慎太郎と龍馬どっちが標的だったのでしょうか??
それによって、だいぶ暗殺犯変ってきませんか??

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/11(土) 22:27:59 ID:sWCMV26J0
近江屋は龍馬の定宿
だから龍馬が標的
中岡は止めを刺されていない
中岡が龍馬を訪れた後に誰か(新撰組の事情通)が来た

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/14(火) 17:41:53 ID:/pTlmCdm0
会津藩士の記録に、それらしいのがあったとか

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/15(水) 01:41:21 ID:rtyZMWFp0
会津藩京都駐在幹部(当時)、手代木の証言ですか
・見廻組の佐々木(手代木の実弟)が見廻組の部下と共に坂本龍馬暗殺を実行した
・坂本龍馬暗殺の命令をしたのは、一会桑の某諸侯である
・某諸侯といっても決して容保様のことじゃなくて・・・・・・桑名だ桑名だそういうことにしてね

という内容

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/15(水) 15:55:18 ID:/TRHFUvr0
やっぱ常識的に考えれば松平兄弟が一番怪しいな
討幕派云々は龍馬の立ち位置や思想から考えても意味が無いし有り得ない
傍証とされるものも裏が取れない&牽強付会な解釈が多すぎ
今井家に伝わる口伝だの佐々木多門の手紙なんかがまさにそう

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/16(木) 06:25:41 ID:eC2Mbtxz0
>>22
大政奉還で京での地位や権力を失うのが会桑ってとこスルーしてるのが多いよな
穏健に徳川の新政府入りが実現した所でその後重用される可能性が低く、大政奉還自体に嫌悪感を強く示していたのに

幕末をロマンのない権力闘争って側面から見るのを嫌う人間が多いからなのか

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/15(水) 17:41:34 ID:6830+xgk0
素朴な疑問。誰か教えてくれ
①刺客は何故坂本本人と分かったのか?無言で狙い打ち?
②事前に坂本確認の手配をした者がいたのか?
③坂本を売った裏切り者の存在は?

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/15(水) 20:01:51 ID:PJ/nXGdK0
①無頼浪士でそれらしけりゃ何でも良かった、坂本なんてリストになかったのかも。
②おりょう
③いない、つうかそこまで重要人物か?

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/15(水) 20:44:31 ID:Iah9LD6j0
①手配の似顔絵くらいはあったかも、着物の紋章で判断か
②中岡は致命傷だが生きているから、ヤツが坂本だと手引きがいたかも
③ミステリーとして未だに推測されているからなw
まあ、この時代は偶然や遭遇は多々あったかと

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/16(木) 05:00:08 ID:72iHvaOo0
明治後年に実行犯だと自白した今井信郎が2階に上がりざま機転を利かし「お久しぶりです坂本さん」
と呼びかけ「おー誰だったかいのう」と答えざま斬りつけたという話しが残っております。

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/16(木) 08:45:09 ID:wiW8dsxk0
西郷が今井を助命したとかいう話だけど、あれって今井家に伝わる家伝以外になんか根拠あるの?
俺は今井信郎の勘違いかもしくは子孫の拡大解釈だと思ってるけど事実という前提で話されるから歯痒いんだよね

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/17(金) 00:00:28 ID:ejIYsaVuO
当時は龍馬より中岡の方が数段知名度が高かったし、どう考えても狙われたのは中岡
実際龍馬は当時は埋もれた存在で現在のヒーロー龍馬は全くの都市伝説

42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/17(金) 10:12:36 ID:4GF+xX2ZO
>>35
坂本先生と声をかけた理由が説明できないよ中岡狙い説は

二人がいっしょにいる時を狙ったと思うけどね

38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/17(金) 02:33:53 ID:jfsd3Om+0
軍鶏を買いに行った僕はその後どうなった?
さすがにそこまでは誰も知らないだろ

683: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/11/04(水) 20:39:42.15 ID:JjZevr2q0
>>38
軍鶏を買いに行ったのは菊屋峰吉 当時17歳
長じて鹿野安兵衛と名乗った
維新後東京に出て土佐藩士で五十人組総組頭の宮川助五郎と知り合い
酒で早死した宮川の遺骨を分骨するなどしている
西南戦争では土佐出身の谷干城のそ知遇を得て会計軍夫として従軍してる
1916年に没
墓は今も京都の了蓮寺にあり子孫は富山に在住ふ

58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/19(日) 08:02:56 ID:3E5lwseu0
坂本暗殺の黒幕=松平容保・定敬兄弟

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/19(日) 13:14:53 ID:nDWkFEt0P
>>58
それなら新撰組にやらせる方がずっといいじゃん

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/19(日) 14:08:10 ID:3E5lwseu0
>>59
見廻組は京都守護職の下部組織であり、「御指図」があったとしても何ら問題ありませんが?
会津藩士手代木直右衛門は死の直前に「某諸侯の命を受けて自分の実弟佐々木只三郎がやった」と証言していますが?

61: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/19(日) 15:18:43 ID:vleSGvV90
>>60
東北の堅物が関西郷士を装って真に騙せるか疑問
藤吉は近江出身力士

62: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/19(日) 15:27:50 ID:vleSGvV90
失敗し切腹し東北に残す親族を考えたら失敗の危険性のあることはできない
見廻組はせいぜい近江屋までの護衛及び見張り役までだ

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/22(水) 00:23:10 ID:v2T954x/0
あの時点で一番坂本を憎悪していたのは誰かって考えると、やはり幕府側の人間だろう。
幕府側の一部のボンクラが憎悪と失意のあまり暗殺に向かったと見るのが妥当。

薩長は大政奉還により武力討幕路線を一時的にせよ足元すくわれたように言われるが、続く王政復古のクーデターを見ると、大政奉還は倒幕のための華麗なパスワークの一つにすぎないとも言われている。
大政奉還→王政復古→鳥羽伏見の勝利が必殺のスルーパスとなり→江戸城無血開城がシュート ってところだろう。
つまり薩長の武力討幕派にとって、大政奉還は倒幕計画の一部に過ぎないという見方だ。
この理屈だと薩摩藩陰謀説も動機の上から成り立ちにくい。

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/22(水) 01:32:51 ID:0eg2tl0X0
パスワーク云々は言葉を飾りすぎのような気がするが、大政奉還運動は当初薩摩が推進していたということを、「討幕派は大政奉還で虚を付かれた」説の人は無視している。

幕府から、天皇を権威上の後ろ盾とした統一政府へと日本国の政体を移行するにあたり、幕府の頂点である征夷大将軍徳川慶喜が、政府としての地位を天皇の朝廷に一旦返納する、というのが大政奉還の要諦だが、実際は将軍である徳川慶喜は、政権の座を一旦朝廷に預けて無役となる必要は全くなかった。

単に、全国から諸藩代表を集め諸侯会議を開催し、その場で、「日本国政府の地位は、幕府及び征夷大将軍たる徳川慶喜から、諸侯会議及びその首班たる徳川慶喜に移行した」と宣言すれば済む話で、一旦無役になる危険を冒すのは慶喜にとって有害無益でしかなかった。

にもかかわらず徳川慶喜が土佐藩の斡旋で大政奉還を行ったのは、将来の諸侯会議における土佐藩の協力を重視していたからに他ならない。


一方、討幕派にとって大政奉還は、幕府を日本国の地位から外すという点で、推進はするものの、慶喜にとってあまりに一方的に不利であるため、実現の可能性は低いと思っていた。
このため薩摩は、幕府を一方的に朝敵認定し討伐する、勅(天皇の命令書)を手に入れようとした。
しかし実際に手に入れたものは怪文書レベルの根拠の薄いもので、とてもこれを基に天下に討幕を宣言することはできなかった。

坂本龍馬は、土佐藩なら大政奉還を徳川慶喜に説得できる可能性があると考え、実行した。
政府としての地位から幕府が自主的に降りたことで、これを論拠として討幕運動は勢いを増すこととなった。

大政奉還は討幕の密勅の効力を奪うものではなく、むしろ討幕の密勅には足りない客観性と実効性をもって幕府を日本国政府から引き摺り下ろす、討幕派にとって知らない親戚の莫大な遺産を相続したかのような夢のような出来事だった。

80: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/22(水) 02:17:31 ID:OwP4KwfLO
>>78
慶喜が大政奉還した理由が土佐藩の協力を得るためっていうのが説得力に欠けると感じた。
土佐一国、容堂1人に何を期待できるんだ?って。

薩長が何らかの企みを持っている事は察知していた幕府、佐幕派が味方を増やしたいと考えていたのは間違いないと思うけど。

82: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/22(水) 07:19:46 ID:v2T954x/0
大政奉還の運動時における会津・桑名の動きってどうだったんだろう?
幕府や佐幕派諸藩が勢力を増やしたいのであれば率先して賛同しただろうが、そのような話は聞いたことがない。
逆に妨害するような動きはなかったのだろうか?

慶喜が大政奉還を宣言した直後、薩藩の小松帯刀などは急いで朝廷に裁可を取り付けに行ったという話があるが、この逸話を知る限り、大政奉還を待ち焦がれていたのは薩長土ら倒幕派であった気がする。

87: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/22(水) 11:41:05 ID:h/t4PyTi0
>>82
会桑は佐幕の筆頭のような扱いをされるが実態はちと違う
大政奉還の影響で京での地位権力を失い、倒幕派からだけでなく公儀政体派からも疎んじられている為、徳川が新政府の首班になれたとしても重用される見込みが薄く、土佐に対しても敵意を持って大政再委任を唱えていた
この辺りは都合が悪いのか、歴史の急展開に翻弄される会津みたいな書かれ方をして、うやむやにすることが多いのが問題
むしろ幕府方の中では特殊な部類と言ってもいいぐらい

というか幕末の研究が一部の藩に偏りすぎてて、数ある親藩、譜代の動向なんか(勿論外様もだが)がスルーされてるのが幕末の最終局面を理解するのを妨げているんだよな

97: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/26(日) 15:42:48 ID:HJKnLhGY0
「大政奉還は、坂本龍馬が平和的な政権作りのために武闘に走る薩摩に突き降ろした鉄槌、土俵際のうっちゃりなのだ」説は、中村彰彦あたりが声高に唱えたが、当時の坂本龍馬の言行からはとても考えられず、逆に坂本は討幕派を有利にするために幕府を政府の座から引き摺り下ろそうとして、山内容堂と徳川慶喜を詐欺に掛けたのではないかと思う。

土佐藩の佐々木高行が薩土盟約締結時の経過を克明に記しているのだが、その中に次の文章がある。

此日才谷曰く 吾が藩は是迄幾度も藩論を変じたる故 薩藩も未だ疑念解けず  (中略) 才谷、石川両人の考えにも大政返上等の事を吾が藩主張し 其主人と相成候はば薩藩も必ず信用すべし
(ここでは才谷が坂本龍馬で、石川が中岡慎太郎の変名)

要するに、「土佐藩は大政奉還を推進し幕府を政府の座から引き摺り下ろし、この功績で薩摩藩に味方だと信じてもらおう」
と坂本龍馬は言っている。


もっとも、大政奉還には「徳川慶喜の目指した新政権への先鞭」という意味もあり、この場合も推進をしておけば損をすることはない。
土佐藩にとっては、薩摩に政権が転んだ場合でも徳川慶喜が維持した場合でも、大政奉還を主張していれば自分の立場は有利だった。
そのため、公武合体説をとっていた山内容堂も大政奉還を熱心に支持した。

しかし、坂本自身の考えは、討幕だったと思う。

99: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/26(日) 16:28:37 ID:HJKnLhGY0
だが、その中村あたりの説を採ると、
慶喜の大政奉還表明後、薩摩の小松と土佐の後藤が朝廷に日参してすぐ受理するよう朝廷内を説得したという史実や、会津・桑名が激怒して大政奉還停止、後では即時再委任を主張して回ったことへの説明がつかないんだよ。

大政奉還で得をするのは、
1.討幕に走る薩摩・長州・芸州
2.諸侯会議に属する有力諸侯の尾張・越前・岡山・宇和島・佐賀・土佐
3.新政権を夢見る徳川慶喜

あたりで、諸侯会議の構成員と全く不仲であった会津・桑名にとっては現状が最高であり、大政奉還では実権の全てを失う恐れがあった。

100: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/26(日) 16:42:53 ID:HJKnLhGY0
少なくとも、大政奉還は「取りあえずこれで水入りにして様子を見ましょうよ」などというものではない。

徳川慶喜が、せっかく既得権として持っていた政権の座を、政争の賞品に加えてしまったので、俄かに政争が日本の将来を決定する重要極まりないものに転じてしまった。

101: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/26(日) 18:26:47 ID:ujCDyfaMO
>>100
慶喜自身は一旦政権の座から退く事で薩長の武力蜂起は回避できると思っていたのでは?

薩長が大政奉還までした自分を武力討伐にまで走れば薩長と微妙な距離を置く土佐、伊予をはじめとする非薩長や譜代、親藩は自分につく。

そんな慶喜の予定を覆したのが「錦の御旗」。

ペリー来航以来、外交交渉で手詰まりになった幕府が時間稼ぎと責任転嫁で利用していた天皇。
10数年間の間にその天皇の政治的影響力と統治者としての正統性を幕府自体が認め、諸藩もそれに倣った。
鳥羽伏見に錦の御旗が登場し薩長が勝利した事で、慶喜の京都での足場はなくなった。

103: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/26(日) 19:33:30 ID:HJKnLhGY0
.>慶喜自身は一旦政権の座から退く事で薩長の武力蜂起は回避できると思っていたのでは?

もしそう考えていたのなら、ものを見る目が全くない。
朝廷を手にした者に次の政権が与えられる、と徳川慶喜自身が宣言したのだから、次は朝廷争奪戦になる。

現に尾張の徳川慶勝・越前の松平春嶽らも大政復古には兵を出し、薩摩・安芸等と共に会津桑名を朝廷から追い出してしまった。

朝廷を押さえることなしに主導権は得られない。主導権を得たものが次の政権を持つ。
その程度のことはこの時期の在京諸侯なら把握していた。

104: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/26(日) 20:00:08 ID:ujCDyfaMO
>>103
だからこそ錦の御旗を見て東帰したのでは?

115: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/28(火) 00:11:51 ID:XwpuC+Ql0
坂本龍馬は薩摩の武器商人なんですよ。
そして、大政奉還は薩摩にも徳川慶喜にも将来の利益を感じさせるものだった。
坂本龍馬は、どっちつかずの土佐藩の内部から大政奉還を推進し、薩摩も慶喜も両者共に、土佐藩のことをを高く買うように仕向けた。

「坂本龍馬は武力に訴えようとする薩摩を懲罰し、平和裏の政権移行を行うべく、幕府のために大政奉還を推進した」という一部の人々の見解は妄想に近く、むしろ坂本龍馬自身の発言を拾う限りでは、薩摩への手土産として幕府を政権の座から蹴落とそうと狙って起こした活動であった、ということになるわけです。


徳川慶喜は錦旗に恐れおののいたのか、ということですが、朝廷を重視していたのなら、王政復古を甘受することなどなかったと思います。
私は、徳川慶喜が自らを天皇に匹敵する権威と考えていたから簡単に撤退したのだと思っています。
いくら行動が惰弱でも、日本国を代表する権威として扱われたなら後醍醐天皇のように巻き返しは可能です。
むしろその場合、自らの死の方が危険要素です。ゆえに危ないことはしません。

もっとも、薩長新政府は旧幕府の武力が問題にならなくなるまでは徳川慶喜の権威を極力無視し、後になれば謹慎中の地域領主として扱いました。徳川慶喜の自尊心は空回りし続けたわけです。

120: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/28(火) 17:04:45 ID:xH88VzjtO
>>115
なんかめちゃめちゃ
そもそも薩長の手見上げって…
大政奉還は龍馬が成し遂げたとでも?

また保身の為の逃走って…
鳥羽・伏見だけを考えるなら圧倒的有利だったのは旧幕府軍
勝ち戦から逃げ出したのは朝敵になりたく無かった事は明白ですよ

116: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/28(火) 00:42:27 ID:w7/7IhVY0
大政奉還が薩摩への手土産だった説は面白いね。
坂本の正体は薩摩の御用商人と言われても仕方ない面があるし、その行動の根源には討幕思想が土台になっているという点は自分も同意見。

慶喜については自分が勉強不足なので、いまいち行動原理を理解してはいないが、自尊心からくる江戸への撤退だったという説は新鮮で面白い。
たしかに後に徹底恭順した点などは、自分の命を大事にしている感じを受けるしね。
命をかけられない時点でやはり殿様だなとも思うし。

最後まで慶喜の自尊心が空回りし続けたのは、最後の将軍にふさわしいとも言えるし、時代とともに消え去った人物を象徴しているように感ずる。

160: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/03(日) 17:23:40 ID:18WG3IVy0
大河板で聞いたけど答えがないのでここで伺います。

『龍馬伝』公式サイトの大友ディレクターの最新インタビューにあるのですが、、

>徐々に龍馬は孤立し、対抗勢力による包囲網にじわじわと追い詰められていきます。
それは、当然と言えば当然ですよね。それまでの士農工商という、武士を頂点としたピラミッドを壊して、「みんな同じでいいじゃない」という発想は、権力者たちにしてみれば危険思想そのものですから。
でも、龍馬のその発想がなければ、今の日本はきっとなかったはず。
http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/topics/24_interview/index.html

龍馬が大政奉還や新政権のシステムの提案者の一人だというのはわかりますが、四民平等を唱えて孤立したとは知りませんでした。これは本当でしょうか?


161: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/03(日) 17:57:05 ID:onikO6t1O
身分制度の全廃とかその手段を名言した資料とかそれに関して述べた論文や本は見たことがないな
神戸の訓練所にしろ海援隊、亀山社中にしろ出身地や身分がバラバラだったからある感覚として何か持っていたかも知れないけど臆測でしかない
むしろ幕府の歩兵や長州の諸隊の方が設立趣旨や運営、運用でハッキリした身分制解体への動きを見せている

NHK大河はあくまでエンターテイメント
ちゃんとした資料や証言、物証に裏打ちなしで作っている

162: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/03(日) 18:00:57 ID:XnWZx2Bp0
んー、坂本龍馬は政治論をあまり著さず、この面では同僚の中岡慎太郎のものがよく引用される。中岡の「時勢論」において討幕と身分解消による統一国家論が主張されている。

山内容堂らの公武合体論を否定し、その上で

>邑有る者は邑を投げ捨て 家財有る者は家財を投げ捨て
>勇有る者は勇を振るい 智謀有る者は智謀を尽し
>一技一芸有る者は其の技芸を尽し 愚なる者は愚を尽し
>公明正大おのおの一死をもって至誠を尽し 然るべき後政教立つべく、
>武備充実国威張るべく 信義は外国に及ぶべき成

と、身分の差を越えた国家体制を作るべきだと主張している。

これには西郷隆盛の永久革命論も関係していて、西郷は革命と戦乱が身分制社会を吹き飛ばし、その中から日本人が生まれると主張している。

163: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/03(日) 18:14:59 ID:XnWZx2Bp0
孤立というよりは、当時の西郷や中岡らの、革命による身分制度破壊論は時代としては過激で、この流れに坂本も乗っかっていたということなのでしょう。

219: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/18(月) 09:50:15 ID:FEdtNRaB0
坂本龍馬が大政奉還を目指した理由は?

1.日本が内乱に陥り、そこに外国勢力の影響が入るのを恐れた
2.薩長に遅れをとっていた土佐の勢力挽回策
3.坂本龍馬が平和主義者だったから(笑)
4. 大政奉還は倒幕の段階的手段だと考えていた
5. 徳川家を主体とした諸侯合議体制、いわゆる公儀政体を目指した

どれでしょう?

229: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/20(水) 11:17:14 ID:dLEpQhpQO
>>219

当然5
徳川の国力・軍事力は薩長を圧倒していたのは紛れも無い事実

大政奉還で形式上政権を返上した所で勢力図に大した影響は無い
つまり大政奉還以前・直後の真っ当な考えでは、徳川無しで新政府設立は不可能

221: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/18(月) 20:23:59 ID:gLU17KOg0
1と3は可能性低いんじゃない?
大政奉還が行われれば内戦はもう起こらないという考えは現代人特有の甘っちょろい理想主義でしかない。会津・桑名の反発ぶりを見よ。
そういうのは坂本龍馬に自分の平和主義思想を投影しているだけ。
よって2と5を餌にした4と考える。

319: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/28(木) 00:01:44 ID:0aReyhJU0
木戸と龍馬の手紙のやり取りで狂言とか大芝居の一件って言葉が出てくるけど、大政奉還のことなのだろうか

320: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/28(木) 00:09:20 ID:kbIRK2cPO
狂言=大政奉還
大芝居=倒幕
ってことでしょ?

323: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/29(金) 14:53:22 ID:DIAoXjp1O
ただ大政奉還には薩摩の小松帯刀も尽力してたよね
結局大政奉還って何なの?

325: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/29(金) 15:02:53 ID:1p8MM5X00
大久保一蔵も日記で「慶喜は大政奉還したというのに未だに権力を持っており、このまま真の大政奉還を実行しなければ、慶喜への疑いは晴れない」みたいなこと書いてる。大久保も大政奉還に期待してたみたいだね。

330: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/30(土) 00:37:40 ID:BuChfzY70
結果論だと倒幕側に有利に働いたよね。
しかし武力倒幕を見越しての大政奉還にしては小御所会議で難航し、戦いに持ち込むのも強引な感じ。
やっぱり政権を返上するとは思ってなかったんでは、四候会議の慶喜の態度を見ても。
木戸も狂言と言うくらいだし。

引用元: ・坂本龍馬と薩長