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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/30(木) 00:56:33 ID:7QRgsSoO0
こいつはいったいなんだったのか







Toyama_Mitsuru


頭山 満
(とうやま みつる、安政2年4月12日(1855年5月27日)- 昭和19年(1944年)10月5日[1]、幼名:乙次郎)は、日本の右翼・国家主義者、アジア主義者、西日本新聞の前身の一つである福陵新聞の創業者。号は立雲。

1878年に板垣退助の影響で自由民権運動に参加して国会開設運動を行い、向陽社(のち共愛会)を創設したが、1881年に国会開設の詔勅が出ると共愛会を玄洋社と改名し、自由民権論から離れて国権伸張を主張し、大アジア主義を唱導するようになり、朝鮮で日本人団体天佑侠や国内で黒龍会の設立にも関係し、日本に亡命してきたアジアの多く民族主義活動家を支援した。玄洋社の中心人物として対外強硬論を主張し続け、孫文の中国での革命運動の支援や韓国併合などを推進した。




5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/30(木) 15:34:08 ID:8wfii6jC0
玄洋社は興味深いよな
国士という見方は当然あるけど
孫文に絆されて日本を民族主義に走らさせた張本人だと思うな
アジア主義というのは結果的に民族主義に陥ってくことになる
玄洋社(げんようしゃ、1881年 - 1946年)は、旧福岡藩(黒田藩)士が中心となって、1881年(明治14年)に結成されたアジア主義を抱く政治団体。日本で初めて誕生した右翼団体ともいわれる。

当時の在野の多くの政治結社と同じく、欧米諸国の植民地主義に席捲された世界の中で、人民の権利を守るためには、まず国権の強化こそが必要であると主張した。また、対外的にはアジア各国の独立を支援し、それらの国々との同盟によって西洋列国と対抗する大アジア主義を構想した。明治から敗戦までの間、政財界に多大な影響力を持っていたとされる。

明治6年(1873年)、書契事件などに代表される朝鮮王朝の横暴に憤慨し征韓論を唱え、「明治6年の政変」で下野した板垣退助らは、翌年(1874年)1月12日、「愛国公党」を組織し、1月17日、政府に『民撰議院設立建白書』を提出した。これが日本で最初に「愛国」の名を冠した団体であり政治結社である。

明治10年(1877年)の西南戦争の後、高知の板垣退助のもとで学んだ頭山満は、明治12年(1879年)帰郷し、自由民権運動の結社として向陽義塾(後に向陽社)を設立した。これが、玄洋社の前身である。


6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/01(金) 02:15:57 ID:G9LgVHExO
頭山と言い宮崎滔天と言い国士タイプの大陸思考のヤクザの多くは維新政府の非主流で食い詰めただけ
だからユスリ、タカリ、噴飯モノの大義名分ばかり

中身なし

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/15(金) 23:51:08 ID:SY3dUj/C0
頭山は中国との友好を模索していたのに、盟友の犬養が撃たれた後はどうしたの?

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/05(金) 23:35:50 ID:ZV5a8Orh0
>>9
息子が五・一五事件に連座して逮捕された。

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/16(土) 03:16:25 ID:hzKHnh++0
頭山は
「満蒙の特殊権益などというものは、中国の国情が安定すれば返還すべき」
という立場だったし、満州国建国にも反対だった。
結果的には頭山の意見が正しかったんだな。

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/28(木) 01:43:49 ID:yAal3nkj0
大物であることに違いはないんだろうが評価に別れてるな 

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/31(日) 03:32:39 ID:6EBm029n0
東條英機とか同じ福岡出身の金子堅太郎とかは距離を置いていたんだっけ

秀才官僚タイプの人間とは合わなかったのかね

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/04(木) 21:43:33 ID:y4SCxpDm0
確か孫文のスポンサーもしていたんだよな。

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/05(金) 21:47:07 ID:YNnw8Dtx0
>>18
違う。
孫文にスポンサーぶってただけ。
頭山が金持ってるわけないじゃん。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/07(日) 10:01:20 ID:WDX9zo2c0
頭山はどうかわからんけど、社としては間違えなく金持ってただろ
幕末の福岡藩のお家騒動と炭坑、この2つの背景があって人材と資金を併せ持つ玄洋社という存在が成り立つ
226でも福岡出身の連中は厳罰を免れたことからしても、当時相当な力を持っていたとみて間違いない

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/13(月) 23:47:09 ID:aGtFHerrP
玄洋社って大東亜戦争前にはもう完全なリベラル集団だったしね
その頃になると、田中智学の影響を受けた日蓮坊主の極右団体がボンボン立ち上がってた。

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/22(水) 23:49:43 ID:3TANpdug0
行動力はあった

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/27(月) 02:34:01 ID:V4Jmas1hO
その行動力が誰のために使われたか?
誰の役に立ったのか?
誰かに望まれていたのか?
どんな意味を持っていたのか?


頭山はこれらの問いに一つも答えられらないだろうな。

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/28(火) 02:47:44 ID:TJzfj73Z0
黙して語らずってタイプだったんだっけ
それでなんか雰囲気が出て一目置かれるようになったと

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/29(日) 18:40:14.41 ID:pl2mopBf0
>>26
街宣右翼の元祖なのに「黙して語らず」かよ

32: 【東電 84.1 %】 2011/04/29(金) 16:13:05.40 ID:0dUpPhqT0
こんな福岡の名も無い浪人が、ハッタリ一筋で任侠の道を極められたんだから明治時代とは凄い時代だったんだなあ。

37: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/29(日) 23:21:57.75 ID:po2cfzSU0
街宣右翼というより、テロリスト右翼の元祖でしょ。
大隈重信暗殺未遂事件とか、松方内閣の時の白刃ふるった選挙干渉とか。
外務省の阿部政務局長暗殺にも微妙に絡んでるし、血盟団事件の井上日召が頭山邸に逃げ込んだら、警察が手も足も出なかったり。

40: パンツ ◆7vYOZotTDo 2011/07/18(月) 01:39:40.31 ID:xg1UOCo/0
玄洋社の社長の平岡浩太郎は、見張りをやってて西郷隆盛を止めたんだよ
「お前は誰だー!」って
そして、西郷隆盛に「ワシは陸軍大将の西郷じゃ!アンチャン元気がいいのう!」と褒められた
平岡浩太郎は、その後に、西南戦争で福岡藩士として1人で西郷軍と共に戦う
その豪傑、平岡でも年下の頭山満に一目置いていた
とにかく、若い頃から「頭山翁」と呼ばれていたという異様な貫禄があったんだな

大久保利通が暗殺された時に、土佐が挙兵するか見極める為に、土佐の板垣退助の家に急行した
板垣の家には全国から有名人が集まっていた
福岡の頭山なんて相手にされない
「台所に行って飯でも食ってろ」
そんな扱いを受ける
そしたらザワザワしちゃった
板垣退助が「どうした?」と聞くと、やたらと食う男がいるという
それで板垣が台所に行って「キミはやたら食うらしいな」と言ったら、
「食ってろと言われたから遠慮なく食っとる」
これで板垣退助と仲良くなった

大隈重信と板垣退助が協力して隈板内閣を作った時に、板垣退助は「キミも大臣になれ」と頭山満を誘ったが、「国家と船は同じ、全員が片側に寄ったら沈没する、だから、俺は一生、在野でいい」と言って入閣を断った

いわゆる西郷隆盛がいう「金も名誉も命もいらない人間」だ
お前らにとっては理解できないだろな

53: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/25(月) 18:11:42.80 ID:V1cE1tfW0
>>40
それ「巨人頭山満翁」からの引用でしょ?
自分も持ってるけどちょっと違うな
いいかげんに解釈したのを投稿しちゃだめだよ

54: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/25(月) 18:13:39.74 ID:V1cE1tfW0
大正時代に発行された人物評の方が正確かな
「巨人頭山満翁」は三国志でいう三国志演義
なんていうか、ただの通俗本だね

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/27(水) 15:56:14.50 ID:Ua+z2Pz40
頭山満の本と言えば「興亜運動と頭山満翁」なんかは良い本
「生命奉還」や「俺の偽書」「転向者の問題」のくだりなんかは必読だね

111: パンツ ◆7vYOZotTDo 2011/07/31(日) 19:29:14.06 ID:kQX9HBJG0
頭山満は韓国人と仲良し、韓国の革命を支援した
韓国の志士である金玉均を高く評価していた
しかし、韓国人は金玉均を殺した
金玉均は精神を持った韓国人だった

114: パンツ ◆7vYOZotTDo 2011/07/31(日) 19:42:38.83 ID:kQX9HBJG0
中国の孫文
韓国の金玉均
インドのラス・ビハリ・ボース

全て革命家だが、国を追われて、日本の頭山満を頼って日本に来た
頭山満の家はアジアの革命家の総本山だったわけだ

ラス・ビハリ・ボースの弟子がユーチューブで語ってる映像があるよ

イギリスから独立運動の闘士であるボースを殺せと命令された日本政府がボースを探したが、ボースは頭山満の家に逃げ込んだ

「ミツルさんの家には警察は入れないよ!あの人の家には日本の警察は絶対入れない!」

田中角栄が中国に行った時に毛沢東が、田中角栄に、

「ウチのオヤジ(孫文)が頭山満先生に大変お世話になりました」

243: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/08/10(水) 22:56:11.97 ID:X0fD67eu0
ところで頭山って民間軍事会社の恐らく世界初の設立者なんだよな

260: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/09/21(金) 20:55:03.27 ID:Zg6l5QHg0
国士舘の創立にも当然絡んでる。

270: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/10/06(月) 00:49:55.76 ID:HTEe+0mT0
頭山満の書いた「幕末三舟伝」って本読んだけど、ありきたりな内容でがっかりしたわ

275: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/12/14(月) 01:45:39.42 ID:PkGtO7Wp0
>>270
そうなんだよな、どう見ても凡作で間違いないと思う
書籍が評価されてるならわかりやすいのだが

272: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/05/17(日) 01:13:33.19 ID:P+vpKh0b0
玄洋社は西郷隆盛・江藤新平などに代表される九州不平士族の思想を温存した点でも面白い存在だと思う。
いわば大アジア主義に連なる思想だが、自由民権的思想もあるところについても面白い

276: 名無しさん@お腹いっぱい。 2016/01/04(月) 20:32:30.34 ID:eS/XmGUM0
戦前の人は乃木大将とかみんな知ってたけど
頭山もそれくらいの知名度あったってほんとかね

引用元: ・頭山満について


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頭山満 ――アジア主義者の実像 (ちくま新書) 新書 – 2021/10/7 嵯峨 隆 (著)