1: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/10(日) 00:08:21 ID:JdQpkMkB
室町幕府10代将軍義材(のち義稙)から15代将軍義昭までの戦国期の足利幕府歴代将軍を語ってください。







2: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/10(日) 00:10:17 ID:pQyVb4bV
初代から語らせろや

3: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/10(日) 00:12:52 ID:/d8WKv1r
ここは戦国時代板。

6: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/10(日) 00:23:56 ID:/d8WKv1r
現在では戦国時代の始まりは明応の政変からというのが一般的だしねー。
でも義政義尚も含めてもいいと思うよ。

9: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/09(火) 18:46:03 ID:/X59jv7o
14代目の影の薄さは異常

10: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/09(火) 18:52:01 ID:7WwZ+rhF
>9
室町幕府、さっぱりわからないので14代目がどう薄いのか詳しゅうョロ!!

13: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/09(火) 19:28:28 ID:VHWojcSw
>>10
義栄の略歴
三好三人衆に担がれる
朝廷に将軍就任申請→却下
就任したらしたで約半年で信長が義昭連れてきたから(三好の傀儡だから摂津?から)避難
将軍として京都に足を踏み入れないまま、阿波だかどっかで死ぬ

11: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/09(火) 19:04:12 ID:O5st4Sc6
義栄の影の薄さは妥当じゃないかね
後ろ盾がまずかったわけだし

272: 人間七七四年 2012/08/05(日) 06:59:45.87 ID:zaJt+69H
日本を戦国時代という大内戦時代にし、今でいうところの失敗国家にした最悪の足利家

273: 人間七七四年 2012/09/03(月) 21:22:04.48 ID:ZmojNh2/
>>272
どちらかといえば、日野冨子が悪いよ。
あれが義材を捕まえて廃位してから余計おかしくなってるんだから。

274: 人間七七四年 2012/09/03(月) 22:39:58.75 ID:l6IW3uGK
室町幕府中枢全体が病んでたのでは?
足利家と日野富子のどっちが悪いとかいう比較に意味がないくらいに

275: 人間七七四年 2012/09/04(火) 19:11:04.98 ID:bggtWsLj
>>274
一応明応の政変までは、どこかしら将軍を立ててたけど、それ以降はねぇ…。
足利義稙も、最初は命令書だが、あとは要望書みたいな書き方になってるし。

277: 人間七七四年 2012/09/28(金) 12:23:12.35 ID:vOaTmkV7
権威・権力の脆弱さは結局のところ尊氏が協力してくれた武家に大盤振る舞いしすぎたのが原因なんかね?

279: 人間七七四年 2012/09/29(土) 09:16:27.79 ID:klXurMcT
尊氏が権力を掌握しきれなくても、義満がその気になれば、相当なところまで行けたはずだ。
義教で中央集権国家完成!は無理か

283: 人間七七四年 2012/12/04(火) 01:14:35.08 ID:E/FJOdQW
>>279
義満は土岐山名の守護国は削いだけど、それを他の守護大名に分配したからなぁ。
直轄領を増やさない事には中央集権は無理だろう。

280: 人間七七四年 2012/10/15(月) 01:42:42.45 ID:uFGY8wZh
せっかく日明貿易で稼いでも守護大名の力を削いでも、パパ大嫌いな足利義持がなかったことにしそう

281: 人間七七四年 2012/10/17(水) 22:00:03.33 ID:h7XlhtHD
義持は義満の貴族趣味が嫌いなだけで、義満の路線を全否定した訳じゃないぞ。

286: 人間七七四年 2012/12/05(水) 03:22:43.79 ID:tP2RgHBW
義教が守護大名の粛清に成功していたら安定した体制になったかもしれん

287: 人間七七四年 2012/12/05(水) 08:51:52.92 ID:XkyUkVM4
義教の性格が安定してないからw

288: 人間七七四年 2012/12/05(水) 11:48:05.48 ID:tP2RgHBW
たしかに問題はそこだよな
嘉吉の乱も義教のやり方が極端だったせいて起きたわけだし
ただ鎌倉公方や寺社勢力への対応など、基本的な方針は間違っていないと思う

290: 人間七七四年 2012/12/09(日) 18:03:12.55 ID:WwfvmWzp
3代目で絶頂期とか早すぎだよな
義満の頃は打つ手打つ手が面白いほど決まってたのにどうしてああなった

298: 人生七七四年 2012/12/20(木) 20:08:05.69 ID:wkXi66p6
>>290
その義満が強すぎたのがよくない。
それを息子が反発して、義教の暗殺でかなり揺らいでしまって、義政が投げやりになって、義稙が将軍解任されて流浪し始めるあたりでほとんど詰んだと思う。

299: 人間七七四年 2012/12/21(金) 00:19:38.49 ID:M2rs5iG5
>>298
かといって仮に義満が凡庸だったら幕府が潰れてたかもしれんし、そのへんの匙加減は難しいな

よく指摘されるけど、室町幕府の脆弱性はやはり尊氏が蒔いた種だよ
あまりに大きく育ちすぎて子孫が刈りきれなかった

300: 人間七七四年 2012/12/21(金) 08:51:20.29 ID:yBEBfFXM
初代からして世間を巻き込む兄弟喧嘩してんのに、鎌倉公方なんか置いたから...

308: 人間七七四年 2013/01/02(水) 19:14:30.10 ID:PCt9l5Pk
>>300
鎌倉公方置かないと関東が南朝方もしくは大乱になるんじゃ?当時の判断としては正しいと思う
義満さんの南北朝合体時に東国に移るか、鎌倉公方を廃するかして強力な中央集権にしてたらもしや…

301: 人間七七四年 2012/12/22(土) 19:29:46.83 ID:zDCBTwx2
でも関東に幕府置いたら鎌倉幕府に逆戻りで、京都に幕府置いたら御覧の有様だよ!だから、どのみち詰んでるとしか思えない
東西の亀裂は兄弟喧嘩がなくても起こりえただろうし

302: 人間七七四年 2012/12/22(土) 23:25:03.29 ID:cNtVvvWH
いや、南朝が無ければ鎌倉に幕府を置いていただろう。
結局、南朝の軍事力を牽制するには拠点を京都に置かざるを得なかった。

303: 人間七七四年 2012/12/23(日) 02:24:15.58 ID:P9Kvq2qO
いや経済や社会構造が西国を中心に変化し始めている以上、南朝を打倒したからって鎌倉に幕府は置けなかったろ
悪党や寺社勢力を無視・不干渉を決め込んで鎌倉に引き籠もるならまだしも
でもそれやったら鎌倉幕府より衰退してる罠

304: 人間七七四年 2012/12/23(日) 13:32:11.70 ID:3vngEcHA
じゃあ、なぜ家康は江戸に幕府を開けたのじゃ?
足利は三河に縁があったから、あの辺でもよかったんじゃないか

306: 人間七七四年 2012/12/23(日) 19:07:40.32 ID:P9Kvq2qO
江戸時代までいくと貨幣経済も東国まで浸透してるしな
品川の当たりは商業地域だったし

309: 人間七七四年 2013/01/03(木) 10:49:01.02 ID:Vd4NFK3n
足利氏満なんかは鎌倉公方の存在感を示すために小山氏を挑発して小山義政に反乱を起こさせたとも言われているな。

312: 人間七七四年 2013/01/10(木) 14:00:59.92 ID:/Y7izKbM
>>309
あれで小山の嫡流滅亡になったのはやりすぎの感もあるが
名族で所領広い以上、狙われるのは避けようがなかったのかねえ

314: 人間七七四年 2013/01/13(日) 21:20:35.69 ID:OQT3GYw5
交通網も通信網も発達していなかった武家政権では、東国と京都を一つの組織が一元化して統治することが出来なかったからその克服に頭を悩ませた。
室町幕府と類似した体制を取って結局滅亡してしまった豊臣政権と比較すれば、鎌倉公方に上洛を許さなかった室町幕府は意外と優秀だったとも言えなくもない。

秀吉=足利将軍
家康(一応妹婿)=鎌倉公方
佐竹・上杉=関東扶持衆

319: 人間七七四年 2013/11/14(木) 18:05:49.81 ID:wvtKVrHK
>>314
京と鎌倉がいざ開戦と成ったら関東管領以下守護大名達はほとんど京方につくから、鎌倉府に伺候していても本当の主君は鎌倉殿ではなく室町殿ということだろ

321: 人間七七四年 2014/01/03(金) 02:46:32.85 ID:6T2Fkgjs
足利が京都に幕府を開いた最大の理由は朝廷の首根っこを押さえることだったろう
室町時代が始まる頃まではまだ二頭政治状態で朝廷の所領や力もそれなりにあって武家政権への対抗心も強かったからな
現に後醍醐天皇みたいな強者が現れて鎌倉幕府が滅ぼされたわけだし
室町幕府は鎌倉幕府の二の前にならないように京都に幕府を開いたんだよ
後醍醐天皇は実権のあった最後の天皇だったけどね

鎌倉幕府が開かれてすぐ全権が幕府に移行したと勘違いしてる人が多いけど実はそうじゃないんだよな
外交権は朝廷にあったし当初はまだ幕府に劣らないほど朝廷の力も強かった
みんな勘違いして覚えてしまうのは学校の教科書や教え方に問題があると思う

334: 人間七七四年 2018/12/14(金) 00:10:39.34 ID:vTuOM4uu
義栄は肖像画、あるの?

336: 人間七七四年 2019/03/15(金) 18:00:18.43 ID:61IH3Gfd
室町幕府第4代将軍・足利義持
no title


室町幕府第6代将軍・足利義教
no title

337: 人間七七四年 2019/03/15(金) 18:05:34.70 ID:61IH3Gfd
足利義栄
no title

340: 人間七七四年 2019/05/10(金) 09:13:09.02 ID:Ypo8eD3v
足利将軍って15人もいるのに尊氏と義満以外なにしたか全然しらんよな

341: 人間七七四年 2019/05/10(金) 11:59:05.17 ID:8tO34ybv
徳川慶喜が15代だったな
徳川将軍家と同じ代続いたと思うと意外だ

342: 人間七七四年 2019/05/10(金) 13:34:06.54 ID:QDp5+M8i
いや天皇の代の数え方と同じにするなら、足利将軍家は16代(15人)だ

344: 人間七七四年 2019/07/23(火) 12:37:36.98 ID:3pfstu13
足利家の姫君っていたのかな?
婚姻政策が盛んな時代なのに話題にならないよね。

346: 人間七七四年 2019/11/28(木) 15:35:53.38 ID:G1TiyFgW
そういえば聞かないなとおもってwikiみて驚いた
足利将軍家の姫って、幼少から出家させられる人が多かったみたい
そういえば男子も跡継ぎ以外は僧侶にさせられたしかなり厳しいな
南北朝時代は家督争いばっかりだったからかな

347: 人間七七四年 2019/11/28(木) 16:36:09.04 ID:2hDCBZfN
>>346
姫は嫁がせたらいいのにしてないのが理解に苦しむ。
男子の方は、後継争いを避けるのと、仮に武士としても分ける領地が無いからじゃないか?

356: 人間七七四年 2024/04/27(土) 03:54:00.11 ID:VCo0WXOa
>>347
皇室に倣ったんじゃない?
末期になると何人か大名に嫁ぐ娘もいたけどだいぶ貴種性を貶めた気がする

引用元: ・歴代足利将軍を語る