
1: 曹氏 ◆FFuF8qXBFw 2012/08/02(木) 22:01:59.16
論じてみたい
2: 蜀漢こそ後漢の正統王朝 2012/08/02(木) 22:04:53.89
漢の忠臣。少なくとも、漢の天下にしようとしていた。
逆臣ではないと思う。
逆臣ではないと思う。
4: 無名武将@お腹せっぷく 2012/08/02(木) 22:09:09.02
逆臣ではないだろうな。
歴史でも見事に正閏論を得て名実的正統をゲット。
実力の曹操、オマケの孫権と並び、名実の劉備として現代でも「三国時代」の一角して歴史にもその名を残す漢の忠臣。
歴史でも見事に正閏論を得て名実的正統をゲット。
実力の曹操、オマケの孫権と並び、名実の劉備として現代でも「三国時代」の一角して歴史にもその名を残す漢の忠臣。
5: 曹氏 ◆FFuF8qXBFw 2012/08/03(金) 00:30:10.60
>>4
劉協健在で皇帝名乗っていいの?
忠臣なら劉協の復位を考ずるべし。劉備が皇帝に即位した瞬間に忠臣とは呼べないと思うな
劉協健在で皇帝名乗っていいの?
忠臣なら劉協の復位を考ずるべし。劉備が皇帝に即位した瞬間に忠臣とは呼べないと思うな
58: 無名武将@お腹せっぷく 2012/08/07(火) 02:33:37.99
>>5
名乗らなかったら漢の祭祀途切れるだろ
一応魏は山陽公として漢の祭祀を継続させるポーズはとったが
「皇帝としての漢家」はその時点で滅んでるので劉備が継ぐしかない
名乗らなかったら漢の祭祀途切れるだろ
一応魏は山陽公として漢の祭祀を継続させるポーズはとったが
「皇帝としての漢家」はその時点で滅んでるので劉備が継ぐしかない
61: 無名武将@お腹せっぷく 2012/08/08(水) 00:26:26.41
>>58
なぜに漢と血縁がない劉備が後を継ぐ
なぜに漢と血縁がない劉備が後を継ぐ
65: 無名武将@お腹せっぷく 2012/08/08(水) 04:15:47.36
>>61
自称前漢の劉勝の子孫だし魏側の記録でも光武帝の兄の子孫ってことになってるよ
自称前漢の劉勝の子孫だし魏側の記録でも光武帝の兄の子孫ってことになってるよ
64: 無名武将@お腹せっぷく 2012/08/08(水) 01:15:22.61
>>58
漢魏革命を禅譲とするなら、皇帝の座はすでに曹家に移行しているから皇帝としての祭祀を次ぐ必要はない。
簒奪とするなら、献帝が生存しているからには祭祀の役割は以前献帝にある。
劉備が祭祀を次ぐいわれはない。
忠臣ならば、祭祀や王や帝を名乗る以前に皇帝救出に全力を傾けるのが筋。
皇帝が殺されたと誤解していたとしても、あだ討ちを先にするのが筋。
それを果たさず王だ帝だと称するは、明らかな不忠であり僭称。
漢魏革命を禅譲とするなら、皇帝の座はすでに曹家に移行しているから皇帝としての祭祀を次ぐ必要はない。
簒奪とするなら、献帝が生存しているからには祭祀の役割は以前献帝にある。
劉備が祭祀を次ぐいわれはない。
忠臣ならば、祭祀や王や帝を名乗る以前に皇帝救出に全力を傾けるのが筋。
皇帝が殺されたと誤解していたとしても、あだ討ちを先にするのが筋。
それを果たさず王だ帝だと称するは、明らかな不忠であり僭称。
66: 無名武将@お腹せっぷく 2012/08/08(水) 04:17:45.15
>>64
それは魏の主張
蜀漢はその主張を否定しているし、劉氏の祭祀ではなく漢の皇帝としての祭祀は魏によって寸断されたのだから、誰かが継がねばならない
それは魏の主張
蜀漢はその主張を否定しているし、劉氏の祭祀ではなく漢の皇帝としての祭祀は魏によって寸断されたのだから、誰かが継がねばならない
6: 無名武将@お腹せっぷく 2012/08/03(金) 00:40:41.68
戦は結構うまいし口先三寸で人を丸め込むし、ヴァレンシュタインの上位互換って感じだな。
漢朝に逆らったことはないから逆臣とは呼べないと思う
漢朝に逆らったことはないから逆臣とは呼べないと思う
7: 無名武将@お腹せっぷく 2012/08/03(金) 01:00:12.03
漢王朝から賜った左将軍の官位を返上して、漢王朝に断りもなく漢中王を僭称した反逆者
10: 無名武将@お腹せっぷく 2012/08/03(金) 02:30:23.86
劉備が曹操に反抗したのは、曹操が自分を受けいれないだろうと考え、殺されないために起こした行動である。
であるから、必ずしも漢に対する忠義のため、ということではない。
さて、劉備を漢の忠臣と考える方々は、劉備のどの行いを持って漢の忠臣と考えるのかを伺いたい。
であるから、必ずしも漢に対する忠義のため、ということではない。
さて、劉備を漢の忠臣と考える方々は、劉備のどの行いを持って漢の忠臣と考えるのかを伺いたい。
11: 無名武将@お腹せっぷく 2012/08/03(金) 02:33:21.10
逆臣ではないが忠臣とも言い難い、って結論じゃだめかね?
劉備だって「中庸が一番!」と言ってるじゃないか!
劉備だって「中庸が一番!」と言ってるじゃないか!
12: 曹氏 ◆FFuF8qXBFw 2012/08/03(金) 20:00:55.11
>>11
"中庸" こんな事言ってたの!?
初耳ですw
"中庸" こんな事言ってたの!?
初耳ですw
16: 無名武将@お腹せっぷく 2012/08/03(金) 20:39:01.66
>>12
吉川版の話
吉川版の話
14: 無名武将@お腹せっぷく 2012/08/03(金) 20:25:01.48
『三国志演義』耳が肩に付く、両腕が膝に届く
一度見てみたい
一度見てみたい
17: 無名武将@お腹せっぷく 2012/08/03(金) 20:41:22.78
高祖も蛇を斬って云々という話あるし
それに膝にほくろだらけとか
それに膝にほくろだらけとか
18: 無名武将@お腹せっぷく 2012/08/03(金) 21:22:13.09
正史にも振り向くと自分の耳が見えたぐらいで腕が膝に届くという記述がある
924: 無名武将@お腹せっぷく 2019/04/27(土) 05:31:40.53
曹操は生まれの地の利と親の残したものもあった。
劉備の出発点の方が厳しかったかな。
地の利と人材がなかったからとにかく移動範囲と距離がすごい。
涿郡で育って黄巾討伐。徐州。曹操のいる朝廷。袁術戦。
袁紹のいる華北。ついで汝南。荊州。孫権の領地にも。そして益州。
長安や涼州は行ってないが、それでも中国全土を駆け巡ったと言える。
孫権なんか江東からでたことないからその違いは大きい。
劉備の出発点の方が厳しかったかな。
地の利と人材がなかったからとにかく移動範囲と距離がすごい。
涿郡で育って黄巾討伐。徐州。曹操のいる朝廷。袁術戦。
袁紹のいる華北。ついで汝南。荊州。孫権の領地にも。そして益州。
長安や涼州は行ってないが、それでも中国全土を駆け巡ったと言える。
孫権なんか江東からでたことないからその違いは大きい。
926: 無名武将@お腹せっぷく 2019/04/28(日) 13:20:27.94
>>924
残したというより曹操の場合出世の際は親と連携していた節がある
黄巾討伐の後、曹操は一旦東郡太守赴任を拒んで郷里に退いた(地固めを優先して中央進出に備えたか)
父曹嵩が一億銭の金と更に宦官への賄賂によって三公の一つ太尉の官職を買ったのは187年
そうした売官による霊帝の私財から作られた西園八校尉に曹操が名を連ねたのが翌188年
霊帝が没し十常侍ら有力宦官が一掃されて董卓が乗り込んでくる直前の話だ
曹家は霊帝と宦官が取り仕切る銅臭政治の下で急成長していた
養祖父曹騰の遺した財力と人脈により権力の中枢に食い込んだ矢先に劇的な政変の横槍に見舞われている
曹操が逸早く宦官粛清の動きを非難したのも董卓打倒の兵を挙げたのも予見の鋭さよりは立場上当然だな
残したというより曹操の場合出世の際は親と連携していた節がある
黄巾討伐の後、曹操は一旦東郡太守赴任を拒んで郷里に退いた(地固めを優先して中央進出に備えたか)
父曹嵩が一億銭の金と更に宦官への賄賂によって三公の一つ太尉の官職を買ったのは187年
そうした売官による霊帝の私財から作られた西園八校尉に曹操が名を連ねたのが翌188年
霊帝が没し十常侍ら有力宦官が一掃されて董卓が乗り込んでくる直前の話だ
曹家は霊帝と宦官が取り仕切る銅臭政治の下で急成長していた
養祖父曹騰の遺した財力と人脈により権力の中枢に食い込んだ矢先に劇的な政変の横槍に見舞われている
曹操が逸早く宦官粛清の動きを非難したのも董卓打倒の兵を挙げたのも予見の鋭さよりは立場上当然だな
929: 無名武将@お腹せっぷく 2019/05/02(木) 04:04:09.69
>>926
親というより祖父じゃないかな
宮城谷氏の作品だと曹操を描くのに祖父の曹騰から掘り下げてるよね
親というより祖父じゃないかな
宮城谷氏の作品だと曹操を描くのに祖父の曹騰から掘り下げてるよね
925: 無名武将@お腹せっぷく 2019/04/28(日) 00:59:56.54
中国全土を妻子を何度も捨てながら逃げて追いつめられてなお生き延びるってすごいな
曹操から完全に逃げ切れたから皇帝になれたんだろう
曹操から完全に逃げ切れたから皇帝になれたんだろう
933: 無名武将@お腹せっぷく 2019/05/04(土) 05:35:11.64
漢室の末裔なんて血筋なのに曹操並みかそれ以上に戦しまくりなのが面白い
947: 無名武将@お腹せっぷく 2019/07/21(日) 17:37:53.59
正史劉備は胡散臭いけど演義よりずっとやり手で面白い
958: 無名武将@お腹せっぷく 2019/09/29(日) 02:20:13.10
講談の題材として人気が出たのは戦い続けたことそのものの面白さが一番かもね
義理の祖父から三代培った財力と人脈を駆使して中原の覇者まで駆け上がった曹操が、英雄としてほとんど同等だが俺より少しだけ策が遅いと評したのが一代で国を興した劉備だった
時流を掴んだ風雲児に遅れてきた英雄が対抗し通したなんて創作ならともかく歴史を紐解いてもあまりないから
義理の祖父から三代培った財力と人脈を駆使して中原の覇者まで駆け上がった曹操が、英雄としてほとんど同等だが俺より少しだけ策が遅いと評したのが一代で国を興した劉備だった
時流を掴んだ風雲児に遅れてきた英雄が対抗し通したなんて創作ならともかく歴史を紐解いてもあまりないから
959: 陳寿は曹操嫌い 2019/10/05(土) 17:42:02.84
陳寿「劉備は度量の広い英雄」
陳寿「曹操は能力は最強」
陳寿「曹操は能力は最強」
966: 無名武将@お腹せっぷく 2019/10/10(木) 18:07:14.59
陳寿は亡国蜀に心から好意的な論調だけど、魏は評価高いけど大本営発表って感じで気合い入ってないよな。
960: 無名武将@お腹せっぷく 2019/10/08(火) 22:27:58.87
演義は劉備ageとか言ってるけど本質は魏呉の糾弾だろ
よく後世の歴史家が~とか後世に汚名を残す~とか言うが、まさに詩歌や書で悪だと糾弾される一例が演義なんだろう
二千年叩かれて以後二千年も叩かれる運命なんだよ
よく後世の歴史家が~とか後世に汚名を残す~とか言うが、まさに詩歌や書で悪だと糾弾される一例が演義なんだろう
二千年叩かれて以後二千年も叩かれる運命なんだよ
961: 無名武将@お腹せっぷく 2019/10/09(水) 00:48:47.67
平話時代も民衆には劉備軍が人気だったらしいからもっとウケる話書こうとモリモリ盛って演技作ったんだからしょうがない。
962: 無名武将@お腹せっぷく 2019/10/09(水) 01:12:12.95
いや隋代に桃園の伝承を元に三義宮が建てられてから説三分や全相平話まで
巷間では張飛と蜀漢の贔屓が行き過ぎていたものだから
それに対して演義は士大夫目線である程度軌道修正を図った話なんだ
諸葛亮の主人公化もあるがそれだけでなく曹操の活躍や詩も積極的に取り入れて悪玉に止めなくしたし
結末も劉淵が蜀漢の末裔として勝利する話から正史をしっかりと引用した晋による統一に書き直された
巷間では張飛と蜀漢の贔屓が行き過ぎていたものだから
それに対して演義は士大夫目線である程度軌道修正を図った話なんだ
諸葛亮の主人公化もあるがそれだけでなく曹操の活躍や詩も積極的に取り入れて悪玉に止めなくしたし
結末も劉淵が蜀漢の末裔として勝利する話から正史をしっかりと引用した晋による統一に書き直された
969: 無名武将@お腹せっぷく 2019/10/14(月) 12:41:47.08
南宋期からは特に朱子学が盛んになり官でさえ一時は蜀漢正統論が主流化した
陳寿の三国志も非難され蜀漢を正統とする史書がいくつも編まれたくらいだ
その中で演義は伝承に溢れる蜀漢贔屓を汲みつつも実際歴史はこう進んだと伝える優れた一冊だった
ただ劉備の描写は数々の逆境を柔軟に乗り切って遂に国を建てる歴史上の英雄的な活躍を、戦いは主人公達に任せて専ら理想を唱える三蔵法師的な伝承上の聖人君子役と整合させられず、ともすれば部下任せの偽善者として批判される半端な印象を作ってしまったな
まあ他にも水滸伝の宋江など主人公陣営の大将が損な役回りを担うのは伝統的でもあるが
陳寿の三国志も非難され蜀漢を正統とする史書がいくつも編まれたくらいだ
その中で演義は伝承に溢れる蜀漢贔屓を汲みつつも実際歴史はこう進んだと伝える優れた一冊だった
ただ劉備の描写は数々の逆境を柔軟に乗り切って遂に国を建てる歴史上の英雄的な活躍を、戦いは主人公達に任せて専ら理想を唱える三蔵法師的な伝承上の聖人君子役と整合させられず、ともすれば部下任せの偽善者として批判される半端な印象を作ってしまったな
まあ他にも水滸伝の宋江など主人公陣営の大将が損な役回りを担うのは伝統的でもあるが
977: 無名武将@お腹せっぷく 2019/11/06(水) 06:16:32.29
蜀漢正当論は東晋の頃から既にあった
南朝による中原の制覇のイデオロギーを持つ国家にとって悲壮な覚悟で北伐を繰り返した諸葛亮はモデルとして最適だったんだな
君臣のあるべき姿としても理に適った教材になったそうだし
南朝による中原の制覇のイデオロギーを持つ国家にとって悲壮な覚悟で北伐を繰り返した諸葛亮はモデルとして最適だったんだな
君臣のあるべき姿としても理に適った教材になったそうだし
978: 無名武将@お腹せっぷく 2019/11/06(水) 20:28:49.29
南朝は北伐よりも内紛が盛んでやがては王朝も次々と入れ替わって衰退したけどね
にも関わらず今度は南朝を滅ぼして統一を果たした鮮卑系の北朝隋で
それも河北の楼桑村に正史にはない「桃園の誓い」の三義宮が建てられてる
次代の唐詩でも三国時代の蜀漢について度々題材にされたし
特定の状況やイデオロギーに限らず官民とも広範に数世紀前の特異な地方国家を伝え続けたんだ
にも関わらず今度は南朝を滅ぼして統一を果たした鮮卑系の北朝隋で
それも河北の楼桑村に正史にはない「桃園の誓い」の三義宮が建てられてる
次代の唐詩でも三国時代の蜀漢について度々題材にされたし
特定の状況やイデオロギーに限らず官民とも広範に数世紀前の特異な地方国家を伝え続けたんだ
982: 無名武将@お腹せっぷく 2020/04/15(水) 22:31:45.77
ふと気づいた
それぞれ魏と呉の政治的中心人物になった陳羣と潘濬が、どちらも一度は劉備の配下になっていながら、流出してるんだよな
望んで能動的にサイナラしたわけじゃないにせよ
それぞれ魏と呉の政治的中心人物になった陳羣と潘濬が、どちらも一度は劉備の配下になっていながら、流出してるんだよな
望んで能動的にサイナラしたわけじゃないにせよ
985: 無名武将@お腹せっぷく 2020/07/08(水) 17:45:40.13
>>982
陳羣は劉備の放浪癖を思うと劉備の下を離れるのは必然だったと思うけど、地方に割拠出来た後に配下になった潘濬は勿体ない
やっぱ髭が悪いんだよ…
陳羣は劉備の放浪癖を思うと劉備の下を離れるのは必然だったと思うけど、地方に割拠出来た後に配下になった潘濬は勿体ない
やっぱ髭が悪いんだよ…
986: 無名武将@お腹せっぷく 2020/07/08(水) 21:05:46.54
潘濬はあの時代を代表する名臣だよね
武廟六十四将の文官版があったら確実に入りそうな
ほんと髭が(以下略
武廟六十四将の文官版があったら確実に入りそうな
ほんと髭が(以下略
994: 無名武将@お腹せっぷく 2020/08/21(金) 12:20:59.25
孟達の流出も結局は劉備の器の無さだよ
諸葛孔明が実質の君主になったら帰参しようとしたし
諸葛孔明が実質の君主になったら帰参しようとしたし
995: 無名武将@お腹せっぷく 2020/08/21(金) 13:26:41.12
孔明が孟達の帰参を許したかどうかは怪しいなあ
兵は許して孟達は斬り捨てたかも知れない
兵は許して孟達は斬り捨てたかも知れない
996: 無名武将@お腹せっぷく 2020/08/22(土) 16:13:28.03
孟達は魏に降った後、曹丕やその取り巻き以外の人間と関係が築けず孤立して最終的にまた寝返ろうとした
そういう輩に裏切られたからと言って劉備に傷はつかないよ
そういう輩に裏切られたからと言って劉備に傷はつかないよ
997: 無名武将@お腹せっぷく 2020/09/13(日) 00:19:47.53
諸葛亮を仲間にした人
これがなければ早々に退場だわ
これがなければ早々に退場だわ
999: 無名武将@お腹せっぷく 2020/09/14(月) 15:43:48.13
>>997
荊州で諸葛亮等のブレーンを得るまでの足跡も重要だろう
ささやかな義勇軍の旗揚げから有力者に翻弄されながらも自分の旗を持ち続けたのが大きい
劉備の転戦抜きには中原から南部に逃れた人々も独立国家の樹立までは経験しなかった
豪族の集合体だった呉が単独で曹操の南進を突っぱねるとは考え辛い
仮に曹魏が孫権・劉璋の早期降伏で一旦統一に漕ぎ着けたとしてその先が問題だ
急進的過ぎて皇族も軽んじる曹魏は短期で有力諸侯に実権を奪われ内乱の多発は避けられない
やはり弱ったところを異民族に乗り込まれ漢化が進むまで対抗した南朝も成り立たずに詰んでいた
荊州で諸葛亮等のブレーンを得るまでの足跡も重要だろう
ささやかな義勇軍の旗揚げから有力者に翻弄されながらも自分の旗を持ち続けたのが大きい
劉備の転戦抜きには中原から南部に逃れた人々も独立国家の樹立までは経験しなかった
豪族の集合体だった呉が単独で曹操の南進を突っぱねるとは考え辛い
仮に曹魏が孫権・劉璋の早期降伏で一旦統一に漕ぎ着けたとしてその先が問題だ
急進的過ぎて皇族も軽んじる曹魏は短期で有力諸侯に実権を奪われ内乱の多発は避けられない
やはり弱ったところを異民族に乗り込まれ漢化が進むまで対抗した南朝も成り立たずに詰んでいた
正史 三国志〈5〉蜀書 (ちくま学芸文庫)
posted with amazlet at 18.12.26
陳 寿 裴 松之
筑摩書房
売り上げランキング: 288,322
筑摩書房
売り上げランキング: 288,322