1: 世界@名無史さん 2019/07/01(月) 05:20:40.79 0
その名の通りラテンアメリカ・中南米諸国の歴史について語るスレです。









386: 世界@名無史さん 2020/11/17(火) 01:55:26.39 0
ブラジル南部、チリ、アルゼンチンにおけるドイツ移民の話は聞いたことあるけど、ウルグアイでもドイツ移民は多かったりする?
パラグアイだとチャコ地方にドイツ人が入植してたっけ

388: 世界@名無史さん 2020/11/17(火) 17:45:51.95 0
>>386
スペイン語版ウィキからの受け売りで申し訳ないが、ドイツ系(血統的にどの程度まで言ってるか、またヴォルガドイツ人なんかも含んでるかは不明)30万~40万、ドイツ国籍者約1万人らしい
ドイツ系はパイサンドゥとかメルセデスとかブラジルやアルゼンチンとの国境の地方都市に多く
モンテビデオには比較的少ないようだ

人口比だとアルゼンチンよりは若干高いみたいだな

389: 世界@名無史さん 2020/11/17(火) 23:45:43.75 0
第二次大戦後のアルゼンチンにはアイヒマンのようなナチ残党だけでなく、ルーデル大佐やオスカー・シンドラーも渡ってるのよな

390: 世界@名無史さん 2020/11/18(水) 01:54:06.60 0
南米へ逃れたナチ残党、アイヒマンみたくひっそりと暮らしてた人もいれば、バルビーみたく現地の反共軍事政権とつるんで順風満帆の生活を送ってた人もいるのね(後者も最終的には没落するけど)

391: 世界@名無史さん 2020/11/18(水) 11:48:33.06 0
帝政ドイツの影響を受けてた南米諸国の陸軍だが、陸軍将官の呼称もドイツ式かと思いきやこっちは革命後のフランス(2つ星な旅団将軍&3つ星な師団将軍)に準拠してるのね

399: 世界@名無史さん 2020/11/19(木) 21:15:55.71 0
ラテンアメリカから先進国になれる国はゼロだな

401: 世界@名無史さん 2020/11/19(木) 22:20:59.48 0
ラテンアメリカの場合、植民地時代には各市町村の自治体制はよく発達していたが、イギリス植民地にあったような、各市町村の代表が集まって全体意志を決定する植民地議会の制度がなかったんだよな
そして独立後それぞれの国家の中で、大きめの都市ひとつひとつを求心核とする各地方に、中央政府に対する強力な分離主義が芽生えた
これが独立後の政情不安の原因のひとつ

404: 世界@名無史さん 2020/11/20(金) 10:41:50.52 0
ラテンアメリカ諸国は、独立時に採択された憲法体制が、自由党対保守党の対立と、地方の分離主義で完膚なきまでに破産してしまった
そして国家の外形をとにかくも維持するために支配層から白紙委任のかたちで政権を渡されたのがカウディーリョ
カウディーリョは、スペインやイスパノアメリカにおける、独裁権を掌握した政治・軍事指導者の称号。

19世紀に入り、イスパノアメリカではスペインの植民地政府が消えると、各地で一種の権力の空白が生じた。この空白を埋めたのがカウディーリョと、カウディーリョに率いられたガウチョやジャネーロなどであり、彼らは土地から上がる利益で私兵を率い、権威的、独裁的に暴力を背景にした政治を行った。


407: 世界@名無史さん 2020/11/20(金) 18:30:06.99 0
ラテンアメリカにおいては、ヨーロッパで共和主義がまだもっとも過激な革命思想だった時代に、ヨーロッパの中でもとりわけ保守的なスペインの国柄を継承した植民地が独立したことで否応なく共和国になってしまった

共和政体の樹立と運営の知識を持っている人間は、たいてい思想的には自由主義者であったから、当初彼らは国内政治の中で実力以上に有利な地位を占めた
だがやがて自由党がカトリック教会に対して攻撃的な政策をとると、教会の道徳面での威信低下を危惧する保守的な、人数的には多数を占める人々は大反発を起こし、保守党を結成して政権を奪取した

続く政治抗争のイデオロギー的性格は妥協を極度に困難とした

408: 世界@名無史さん 2020/11/20(金) 18:38:41.78 0
敬虔なカトリック信者の多いメキシコではメキシコ革命後のカルデナス政権が教会財産の国有化をおこなってたか

410: 世界@名無史さん 2020/11/20(金) 22:41:43.32 0
メキシコはサンタアナがアメリカ合衆国との戦争でカリフォルニアなど北辺の領土を失ったことで威信を失い、ラ・レフォルマ(大改革)と呼ばれる自由党対保守党の手段を選ばぬ殲滅的内乱の時代(1857~67年)に突入した

412: 世界@名無史さん 2020/11/21(土) 18:32:41.37 0
故・阿部謹也氏が、アメリカ合衆国には本家のイギリス以上に中世的なものが残っている、という意味のことを書いていたけれど、ひょっとしたらラテンアメリカ諸国にも同じような事情があったりして
本家スペイン・ポルトガル以上に中世的なものが残されているとか

395: 世界@名無史さん 2020/11/18(水) 23:14:35.09 0
ラテンアメリカのカウディージョだが民国期の中国軍閥みたく地方の政府軍が丸ごと独立して独自の勢力を築いたケースもあるんかな?

397: 世界@名無史さん 2020/11/19(木) 14:31:02.58 0
ロサスはもともと辺境の牧場主だったな
サンタアナはベラクルス州の有力者

403: 世界@名無史さん 2020/11/20(金) 10:01:40.36 0
カウディージョは職業軍人、農園主・牧場主、農夫・牧童、独立運動の活動家と、その出自も様々やな

415: 世界@名無史さん 2020/11/22(日) 07:44:26.85 0
カウディーリョって、中世のイベリア半島に生まれていたら封建領主にでもなっていたのかなあ

417: 世界@名無史さん 2020/11/22(日) 10:32:18.45 0
>>415
イベリア半島のカウディーリョといえばフランコ総統か

416: 世界@名無史さん 2020/11/22(日) 10:31:15.45 0
国民党の蒋介石や共産党の毛沢東は中国版カウディーリョ
ファランジストの指導者・ジェマイエル家はレバノン版カウディーリョ

政治組織の指導者が私兵を持つとカウディーリョっぽく感じる

418: 世界@名無史さん 2020/11/22(日) 11:30:01.62 0
カウディーリョって、アフリカならwarloadがそれに相当するのかなあ

423: 世界@名無史さん 2020/11/23(月) 10:24:03.06 0
共和制時代のブラジルでも、カウディーリョにあたるコロネルという地方ボスがいて、彼らの要求を満たし、彼らを操縦する技能を持った者が有能な大統領とされた

425: 世界@名無史さん 2020/11/23(月) 19:54:52.66 0
>>423
南部のジェトゥリオ・ヴァルガスとか北東部のアントニオ・カルロス・マガリャンイスがその代表格っぽいけど、彼らは大統領にまで登りつめてたな

426: 425・訂正 2020/11/23(月) 19:57:21.42 0
マガリャンイスは大統領になってなかったかorz

428: 世界@名無史さん 2020/11/24(火) 09:26:33.94 0
ラテンアメリカの農村社会には、粗放的大経営と零細経営の両極端があって中間がない
この問題はいまなお克服できていない

431: 世界@名無史さん 2020/11/24(火) 21:28:28.45 0
>>428
ラテンアメリカの農村社会は大土地所有制のせいで大地主と小作人で成り立ってるイメージあった。
ブラジル南部だと19Cにヨーロッパからの移住してきた人達が農地を開拓して自営農となる事もあるんだっけ

434: 世界@名無史さん 2020/11/24(火) 22:16:11.83 0
>>431
ブラジル南部は、北ヨーロッパの人たちでも住みやすい気候だったことも関係しているのかね

429: 世界@名無史さん 2020/11/24(火) 11:20:18.82 0
植民地時代のブラジルでは、労働は卑しいことだと考えられていたので、黒人奴隷が金を貯めて自分専用の黒人奴隷を買い、その人間に労働をやらせるということが実際に行われていた
この辺、プロテスタント圏の感覚とは違うよな

430: 世界@名無史さん 2020/11/24(火) 21:24:01.20 0
母を訪ねて三千里に出てくるブラジル人船乗りでロッキーという褐色肌の青年がいたが、この頃は奴隷制がまだ続いてたんで黒人ではなくムラートなんだろうな

434: 世界@名無史さん 2020/11/24(火) 22:16:11.83 0
>>430
ブラジルの砂糖・コーヒー産業を支えていたのは奴隷制だったので、すぐに廃止するというわけにはいかなかった

457: 世界@名無史さん 2020/11/28(土) 04:10:01.03 0
>>430
ブラジルもアメリカと同じく解放奴隷がいなかったわけじゃないからその可能性もなくはないけどな
ただ、ブラジルはアメリカ以上に混血への抵抗がない社会だったので黒人よりもムラートのほうが可能性はありそう
今でもブラジルでは純粋な黒人よりもムラートの数のほうが多いぐらいだし
ムラートは、ラテンアメリカおよび北アメリカでヨーロッパ系白人と、アフリカ系の特に黒人との混血を指す言葉である。

458: 世界@名無史さん 2020/11/28(土) 06:59:40.89 0
白人の黒人差別よりムラートの黒人差別のほうがひどそう(タチ悪いのは前者なんだろうけど)>ブラジル

460: 世界@名無史さん 2020/11/28(土) 10:56:39.04 0
ブラジルではムラートの数の多さを根拠にして、「自国は人種差別の少ない国だ」と主張する勢力が昔から結構いた
混血を嫌い異人種間の結婚すら禁じてたアメリカと違って我々ブラジル人は黒人との混血も気にしない反レイシスト的な国だということに、ブラジル国民としての誇りを見出す考えは長い間ブラジルの文化人の間で主張されてきた考えだ
ジルベルト・フレイレなんかがそのような知識人の代表例だな
「混血」はブラジル人にとって民族的アイデンティティの根幹を成し、自分たちが人種差別とは無縁の存在だという誇りにもなったわけだ

一方で、20世紀後半頃にはこういう見方に対する否定的見解も出てきたがな
実際は、ブラジルにもアメリカ同様に人種差別は存在していたのだという批判だ
そういう批判を唱える人も一方では存在する

496: 世界@名無史さん 2020/12/01(火) 22:28:28.67 0
>>460
ジェントゥリオ・ヴァルガスは国家的アイデンティティ強化のために、教科書で混血男性を賛美したり、ブラジル文化遺産の再評価を行ったりしたな

文化面では、20世紀までサンバとカポエイラはエリート階級によって蔑視されてきた
第一次共和制施行後の1890年には、カポエイラは禁止の憂き目にさえあっている

497: 世界@名無史さん 2020/12/01(火) 22:58:56.09 0
>>496
19世紀後半に自由主義&実証主義的な風潮のもとで西欧化が目指され土着の文化が蔑視されるも、第一次大戦後辺りからナショナリズムが勃興して、逆に非白人の土着文化が再評価されるという傾向は南米で広く見られた現象だな

ブラジルにおけるサンバやカポエラ、アルゼンチンにおけるガウチョ文化なんかがそれに当たる
ガウチョ、ガウーショは、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル南部のパンパ(草原地帯)やアンデス山脈東部に17世紀から19世紀にかけて居住し、主として牧畜に従事していたスペイン人と先住民その他との混血住民である。多くの場合、その伝統的な装い、マテ茶(ブラジルではシマハンと呼ばれる)、生活に根差した牧畜文化に象徴される。


498: 世界@名無史さん 2020/12/01(火) 23:40:17.40 0
>>497
サンバの中でもサンバカンソンと呼ばれる物は叙情的な歌が多いような。
カルトーラの沈黙のバラは最初聴いた時,夜霧のしのびあい(クロード・チアリでおなじみのアレ)っぽい曲調だなと思った

464: 世界@名無史さん 2020/11/28(土) 18:26:19.83 0
ブラジルは長いこと奴隷制を続けていたけど、サンパウロ州でコーヒー・ブームが始まると、生産地域が涼しい気候だったのでヨーロッパ人の移民を招致することができるようになり、奴隷制が廃止された

465: 世界@名無史さん 2020/11/28(土) 18:30:00.15 0
南北アメリカ大陸で一番最後まで奴隷制を維持してたのがブラジルなんだよな
ブラジルで奴隷制が廃止されたのは19世紀も末になってのことだった

466: 世界@名無史さん 2020/11/28(土) 18:52:42.54 0
ポルトガルは植民地時代、ブラジルに一つも大学をつくらなかった
スペイン領ではいくつも大学があったんだけど

467: 世界@名無史さん 2020/11/28(土) 19:14:54.27 0
>>466
それどころか独立後もブラジルでは大学が長い間作られなかったんだよな
ブラジルで初の大学が作られたのはなんと20世紀に入ってからだ

468: 世界@名無史さん 2020/11/28(土) 20:00:39.07 0
>>467
大学はなくとも医学校や士官学校みたいな高等教育機関はあったんかな?
大学の前身となった学校なんかもひょっとしたら・・・

472: 世界@名無史さん 2020/11/29(日) 00:18:52.62 0
>>468
士官学校とかは19世紀初頭辺りから出来始めてはいた
そういう専門学校みたいなので留まってしまい、いわゆる「総合大学」がなかなかできなかったのがブラジルだ

479: 世界@名無史さん 2020/11/29(日) 22:42:17.03 0
>>472
植民地時代、ブラジルに入植した有力者たちは自分の子弟をヨーロッパに留学させていたんだよな

王室のブラジル遷都にともない、最初の医学学校が1808年にバイーアに設立され、さらに第二の医学学校がリオデジャネイロに開設された
1811年には軍学校が設立され、技術学校が併設された
1828年にはサンパウロとオリンダに法科大学ができる

480: 世界@名無史さん 2020/11/30(月) 10:26:16.65 0
>>479
まさに、ナポレオン戦争によるポルトガル王室のブラジル遷都が大きな転機になったんだな
あれのおかげで医学校や士官学校など高等教育機関がようやくブラジルにも設立され始め、ブラジルの政治的経済的地位の向上に多少つながった

471: 世界@名無史さん 2020/11/28(土) 22:32:47.55 0
植民地時代のブラジルには印刷所すらなかった

473: 世界@名無史さん 2020/11/29(日) 01:03:54.03 0
>>471
そんなブラジルに変化がおとずれるきっかけとなったのはナポレオンによるポルトガル侵攻を受けてのポルトガル王室疎開?

474: 世界@名無史さん 2020/11/29(日) 01:58:00.44 0
>>473
その通り
ポルトガル王室がリオデジャネイロに遷都したことでブラジルの開発は色々と進んだ
士官学校のような高等専門学校がブラジルに建てられ始めたのもこの時代だ

475: 世界@名無史さん 2020/11/29(日) 09:31:34.38 0
ブラジルは当初、ポルトガルにとってそれほど重要な植民地とはみなされていなかったんだよな
ゴールド・ラッシュが始まってから、ポルトガル人の本格的な移住が進んだ

481: 世界@名無史さん 2020/11/30(月) 14:29:58.93 0
ブラジルは帝政のおかげでスペイン領アメリカのように分裂することはなかったけれど、1828年にシスプラティーナ地方がブラジルから分離し、ウルグアイ共和国となる
その一方、三国同盟戦争でパラグアイから領土を手に入れた

483: 世界@名無史さん 2020/11/30(月) 21:35:42.42 0
>>481
シスプラティナ地方はもともと植民地時代からポルトガルとスペインの間の領土争いの対象となっていた場所で、その領土争いは、ポルトガルからブラジルが、スペインからアルゼンチンが領有した後も続き、ブラジル(正確には当時まだポルトガル領)が1821年にこの地域を併合する前は、アルゼンチンもこの地域への領有権を主張してた

この地域を巡るブラジルとアルゼンチンの間の領土争いが最終的に両国の戦争にまで発展し、その戦争の結果として、ウルグアイという形でこの地域は独立することになった

437: 世界@名無史さん 2020/11/25(水) 11:04:49.04 0
19世紀ってヨーロッパよりも南米のほうが豊かだったの?

438: 世界@名無史さん 2020/11/25(水) 11:28:04.03 0
>>437
19世紀のヨーロッパは、急増する人口に経済力がまだついていけなかった
そこで彼らは新世界に夢を求めた

439: 世界@名無史さん 2020/11/25(水) 11:44:07.02 0
キューバのカストロも父親がスペインからキューバへ移住してきたのよな

441: 世界@名無史さん 2020/11/25(水) 14:19:01.16 0
19世紀の南イタリアでは、非嫡出子など社会的なスティグマを負った人々が永住を目的として移民する場合もあったとか

443: 世界@名無史さん 2020/11/25(水) 16:04:31.16 0
19C後半から20C初頭にかけてポルトガル本国からブラジル,ドイツ・イタリアから南米南部への移住が多く見受けられるものの,スペイン本国からスペイン語系中南米諸国への移住というのはあまり聞かない。
もちろんカストロ父のように移住した人達もいるにはいたようだが

444: 世界@名無史さん 2020/11/25(水) 18:37:17.83 0
>>443
1860年代以降のアルゼンチンは、一人当たり所得水準はほぼ南・東欧並みとなって、イタリアだけでなくスペインからも大勢の移民がやってきた

他の国についてはよくわからん

446: 世界@名無史さん 2020/11/25(水) 22:21:05.16 0
19世紀にはキューバ・ブラジル・プエルトリコなどへもスペイン人が移住している
イタリア系やドイツ系と違って、日本ではあまり取り上げられないだけ

447: 世界@名無史さん 2020/11/25(水) 22:50:27.93 0
スペイン内乱後、共和派の人達がメキシコへ逃れたけど本人ないし現地生まれの二世・三世は
40年ほど後にフランコが死んでからは多くがスペインへ帰国したんかな


引用元: ・ラテンアメリカ・中南米諸国の歴史~その3~