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5: 世界@名無史さん 2009/08/01(土) 17:30:49 0
フェニキア人の性格

自由奔放さ、商人的狡猾さ、冒険好き、高い行動性、金遣いの荒さ、倹約家、オープン・マインド、変化への高い適応性、無責任なまでの遊び好き、真面目さ、抜け目なさ、型にとらわれないこと、ウィット好き

これらの性格は現在のレバノン人にも受け継がれていると思われ


フェニキアは、古代の地中海東岸に位置した歴史的地域名。シリアの一角であり、北は現シリアのタルトゥースのあたりから、南はパレスチナのカルメル山に至る海岸沿いの南北に細長い地域であって、およそ現在のレバノンの領域にあたる。

フェニキア人は、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍する。また、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えた。



6: 世界@名無史さん 2009/08/01(土) 18:09:40 0
だからレバノン人はブラジルに移民しました。

おしまい
レバノン系ブラジル人とは、先祖にレバノン人が存在するブラジル人、もしくはレバノンで生まれてブラジルに移民した人物のことである。わずかでも先祖にレバノン系の人物がいると推定されるブラジル人の人口は600万から700万人に上ると見積もられており、これはレバノンの総人口よりも多い。

レバノンやシリアからのブラジル移民が始まった時期は19世紀の後半である。20世紀に入って更に多くなり、サンパウロ州に集中したがミナスジェライス州やゴイアス州、リオデジャネイロ州そしてブラジルの他の地域にも広がった。その多くがキリスト教徒だったとされるが、1970年代以降多くのムスリムも移住した。




11: 世界@名無史さん 2009/08/01(土) 22:00:45 0
キリスト教徒のレバノン人は南欧人と外見上の違いがあまりない例が多い。
アメリカで実際にそのような人を見て何か奇妙な感じがした。

12: 世界@名無史さん 2009/08/02(日) 01:24:17 0
>>11
レバノン人は、長年にわたる異民族との混血の結果、ヨーロッパ人と風貌がまったく変わらない者から、肌の浅黒いアフリカ系の者までさまざま。

宗教的には、キリスト教、イスラーム合わせて18もの宗派に分かれ、宗派を越えて結婚したり、入り混じって住むことはほとんどない。

18: 世界@名無史さん 2009/08/03(月) 21:28:41 0
1861年に、レバノン山脈地域がフランスの影響下でオスマン帝国から事実上の自治権を得たとき、この地域ではマロン派やギリシア正教などのキリスト教諸宗派が人口の八割を占め、ドルーズ派のようなイスラームの異端的小宗派も命脈を保っていた。

オスマン帝国解体に伴い、この地域は1920年にフランスの委任統治下におかれ、ベイルートなど沿岸都市や、ベカー高原から南部レバノンにかけて「アーミルの山」と呼ばれるシーア派の多い地域などを含む「大レバノン」に再編された。
これによってムスリムの人口が増し、キリスト教徒が人口の五割超を確保するに留まったことが、現在のレバノン政治の不安定の原因。

ちなみに1920年に「大レバノン」が成立したとき、アラブのイスラーム世界から永久に切り離されるのではないかとの不安から、激しい反対運動を繰り広げたのがスンニ派だった。
ドルーズ派とシーア派は、最初はフランスがマロン派をあまりにひいきしたことが原因で反対していたが、時間が経つにつれ、レバノンにおける大きな少数派であるほうが、スンニ派が圧倒的に多いシリアにおいて小さな少数派になるより有利であることに気づき、新国家への反対を止めた。

19: 世界@名無史さん 2009/08/04(火) 21:07:31 0
シリア系南米移民は、アルゼンチンで大統領になった人もいる

アメリカでも、成功した実業家とか結構いる
シャーンとかの苗字の人

20: 世界@名無史さん 2009/08/04(火) 21:58:13 0
富豪であるカルロス・スリムはレバノン系のクリスチャン
普通、マイノリティの有名人は出自を強調されるが、スリムがアラブ系・レバノン系だと強調された記事はほとんど見た事がないので恐らくアラブ系のクリスチャンは南米ではマジョリティ扱いなのだろう

22: 世界@名無史さん 2009/08/05(水) 12:26:03 0
レバノンの金融はキリスト教徒が担っていたから、彼らの海外移住はレバノン経済に打撃を与えた。

レバノン人は中世イタリアのジェノヴァ人にたとえられることがある。
個人主義的傾向が強く、共同体の利益をあまり考慮せず、内ゲバにあけくれ、一匹狼的で、一発勝負に賭ける傾向が目立つ。

26: 世界@名無史さん 2009/08/06(木) 21:21:06 0
レバ・シリ系移民は特に中南米で多いね。
ブラジルなど700万人いると言われている。
統計上はそれほど多くの移民が入国していないのに、どうしてそこまで増えるのか、ここ20年来の謎。

29: 世界@名無史さん 2009/08/06(木) 22:44:54 0
>>26
密入国が統計上の入国に入っていないからでは?

30: 世界@名無史さん 2009/08/07(金) 09:44:00 0
歌手のポール・アンカ、消費者運動のラルフ・ネーダー、フォードの前社長のジャック・ナサーもレバノン系。

レバノン移民は最初行商人からスタートし、少し資金が貯まると雑貨屋・金物屋・衣料品店などの店主になり、さらに資金が貯まると卸売商になり、次にある程度の資金が集まると、今度は工場主や貿易商になったりするのがよくあるパターン。

31: 世界@名無史さん 2009/08/07(金) 11:36:18 0
昔は中東のスイスだったんだよな。
街並みもきれいで、食べ物もおいしかった。
今は昔の話だけど

32: 世界@名無史さん 2009/08/07(金) 11:39:07 0
豪州では差別の的にされてて散々だったね、レバノン系の人々。
地域に同化せず閉鎖的とかなんとかって理由つけてたけど、オージーの行った野蛮の数々は全世界に配信されてたね。中東系と見るや有無を言わせず暴力行為(しかも集団リンチ)は見てて心が痛んだよ...。
人間って暴徒化するとここまで醜くなれるもんなんだね。

34: 世界@名無史さん 2009/08/07(金) 21:01:11 0
オーストラリアのレバノン系は35%がイスラム教徒なんだって
アメリカ大陸のレバモン系はほとんどクリスチャンだよね

42: 世界@名無史さん 2009/08/07(金) 22:36:44 0
十字軍が1099年にレバノンに到達したとき、マロン派キリスト教徒の使者が彼らにエルサレムまでの案内を買って出た。7月に十字軍がエルサレムを占領すると、その報せがレバノンのマロン派大司教からローマ教皇に届けられ、これに対しローマ教皇も丁寧な返書を出し、ここにマロン派教会とローマ教皇庁との関係が築かれた。

しかし、マロン派キリスト教徒にとって十字軍時代は試練のときとなり、マロン派の資料によれば、ムスリムとの戦いで、十字軍に協力し死んだマロン派キリスト教徒の数は数万人に達したという。

また、このときのマロン派の行動が、ムスリムにマロン派キリスト教徒に対する不信感を抱かせ、今日に至るまで両者の関係に暗い影を及ぼしていると指摘するレバノン人は多い。

38: 世界@名無史さん 2009/08/07(金) 21:56:53 0
セプティミウス・セウェルス帝の妻ユリア・ドムナはシリア出身。
ヘリオガバルス帝もシリア出身。

49: 世界@名無史さん 2009/08/10(月) 10:03:41 0
シリアの国民性を象徴する彫刻に、サソリの尾を持ったライオンがある。
「シリア人は、顔はライオンのように穏やかであるが、相手の出方次第によってはサソリとなって攻撃する。」

52: 世界@名無史さん 2009/08/14(金) 02:51:48 0
シリアって農業始まった土地なのに、中世以来サッパリなイメージがある

63: 世界@名無史さん 2009/08/16(日) 12:42:39 0
>>52
東ローマ時代ならば「シリアよ、さらば!」というセリフも大いに意味があったのだろうが、今だったらあんな乾燥地帯、ただでくれてやるって感じだろうな。

ヘラクレイオス

ヘラクレイオスまたはヘラクレイオス1世(575年頃 - 641年2月11日)は、東ローマ帝国中期の皇帝(在位:610年 - 641年)。

アラビア半島でイスラム教を信仰するアラブ人が勢力を拡大し、シリアへの侵攻を開始した。これに対して636年、ヘラクレイオスは自ら軍を率いてアラブ人を撃退しようとしたが、ヤルムークの戦いでアラブ軍に敗れてシリア・パレスティナを失い、敗戦の衝撃で病に倒れた。このとき

シリアよさらば。何とすばらしい国を敵に渡すことかという

悲痛な言葉を発したという。


72: 梵阿弥 2009/08/21(金) 17:05:03 0
>>52
シリアにも当て嵌まるかどうか知りませんが、メソポタミアの場合は、塩害が出てきた。
次第に蓄積する物だから、昔良くても関係ない

54: 世界@名無史さん 2009/08/14(金) 13:33:15 0
植林事業しないの?

64: 世界@名無史さん 2009/08/17(月) 17:55:17 0
>>54
植えたそばから牛飼いが放牧に来て若芽を食い尽くされちゃうからそのうち誰も植えなくなっちゃったんだよ

65: 世界@名無史さん 2009/08/19(水) 17:47:20 0
このあたりの地域って、イスラエルでさえ、ドイツの賠償でインフラ整える以前は、荒野でしかなかったという

東欧のポグロムでは新大陸や西欧に逃げ込むだけで、ホロコーストなくしてイスラエル建国が不可能だった原因の一つ
ポグロムとは、ロシア語で「破滅」、「破壊」を意味する言葉である。特定の意味が派生する場合には、加害者の如何を問わず、ユダヤ人に対し行なわれる集団的迫害行為(殺戮・略奪・破壊・差別)を言う。


66: 世界@名無史さん 2009/08/21(金) 09:32:30 0
レバノン・シリア人といえば、インド人とともに、ブラック・アフリカの経済を牛耳る存在

67: 世界@名無史さん 2009/08/21(金) 11:28:38 0
ブラック・アフリカに行ったレバノン人はキリスト教徒ではなく、ムスリムが多かった。

69: 世界@名無史さん 2009/08/21(金) 11:34:55 0
要するに、レバノン人は、宗派越えて移民しまくってると

71: 世界@名無史さん 2009/08/21(金) 16:53:22 0
レバノン人の海外移住は19世紀半ばから始まった。
オスマン帝国が西欧列強の介入を受け、政治・経済・社会面で大きな変動にさらされ、当時シリアと呼ばれたレバノン・シリア・ヨルダン・パレスチナから、多くの住民が北米・南米などに移住を開始した。これらの地域からの移民は、当時いずれもシリア人と記録されたため、世界中のレバノン系移民の数については、800万~1600万とのラフな数字しか存在しない。
ちなみにレバノン人が海外移住を選んだ理由は、

・人口増加によって、山岳レバノン各地方では食べていけなくなった
・長い間レバノン経済の主力であった絹産業が、明治維新後の日本の絹産業の台頭によって衰退した
・教育や新聞の普及、あるいは欧米宣教師の受入れによって、外国の事情が一般にも知られるようになった

などが挙げられる。
・オスマン政府による徴兵・増税などの圧迫から逃れようとした

76: 世界@名無史さん 2009/08/22(土) 05:13:57 0
《レバノン人の海外移住》

・第一波
19世紀末~1920年
キリスト教徒、とくにマロン派が中心。移住先はブラジル、アルゼンチン、メキシコ、キューバなど

・第二波
1920~1950年
キリスト教徒とシーア派。移住先はナイジェリア、コートジボワール、セネガル、シエラレオネなどのアフリカ諸国

・第三波
1950~1975年
スンニ派。移住先はサウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦などの湾岸諸国。

・第四波
1975~1990年
キリスト教徒、ムスリム。移住先はカナダ、オーストラリア、ヨーロッパ、米国。

・第五波
1995~1999年
キリスト教徒。移住先はさまざま。

81: 世界@名無史さん 2009/08/29(土) 19:13:21 0
>>76
移民のパターンがアイルランドに似てるかも
ひょっとしたら本国より国外のレバノン系を足した方が多いんじゃない?

82: 世界@名無史さん 2009/08/29(土) 20:06:10 0
>>81
キリスト教徒についていえば、その通り

90: 世界@名無史さん 2009/09/15(火) 08:11:07 0
シリアとレバノンは地中海の東岸に位置し、ヨルダン、パレスチナ、イスラエルと併せてビラード・アッ=シャームと呼ばれてきた。ビラード・アッ=シャームでは、地球上で今のところ確認できる最古の都市が生まれ、アルファベットが発明され、ユダヤ教・キリスト教という一神教が成立した。

その一方で、シリア・レバノンを中心とする文明や帝国は多くなかった。
7世紀に成立したウマイヤ朝は例外的な事例である。

91: 世界@名無史さん 2009/09/15(火) 09:11:21 0
レバント、大シリア、歴史的シリア、とも言う

92: 世界@名無史さん 2009/09/15(火) 09:15:21 0
シリア・レバノンは、アラブ人だけでなくギリシア人やローマ人にもやられっぱなしというイメージ。

93: 世界@名無史さん 2009/09/18(金) 14:21:03 0
どうも、文化の発祥の地ではあっても、大国の拠点向けじゃない

95: 世界@名無史さん 2009/09/18(金) 23:00:16 0
シリアが拠点の大国となるとセレウコス朝とウマイヤ朝ぐらいのもんか。

107: 世界@名無史さん 2009/09/23(水) 09:18:39 0
>>95
パルミュラもあるぞ
パルミラ王国は、3世紀の危機の時代のローマ帝国から一時期分離独立した帝国である。国名は首都にして最大都市のパルミラに由来しており、最大領域はシリア属州、パレスティナ属州、アラビア・ペトラエア属州、アエギュプトゥス、小アジアの大部分にまで及んだ。


97: 世界@名無史さん 2009/09/19(土) 23:09:47 0
今のレバノンとチュニジアってカルタゴ繋がりで特別に仲良かったり、共同で事業やってたりはしないの?

98: 世界@名無史さん 2009/09/20(日) 03:10:15 0
レバノンのキリスト教徒は、「我々の先祖はフェニキア人だ」と自称しているが、それ以外の連中は別にそんなこと考えてないからなあ。

103: 世界@名無史さん 2009/09/21(月) 09:41:41 0
>>98
あの地域で過去との連続性を主張するのは大抵東方諸教会な人たちでしょ
普通はムスリムでアラブとかしか思ってない訳だし
そうしなきゃアイデンティティ保てないんだろうけど
エジプトのコプト正教徒もシリア正教徒も古代の言語の生き残りを典礼言語に使ってたりは面白い所だよね 

102: 世界@名無史さん 2009/09/20(日) 18:55:49 0
年中温暖な気候は土着民たちの心をひたすら泰平と富裕との限りない享楽に耽らせていたばかりか、さらにはギリシア人たちの旺盛な放縦性と、これまたシリア人たちの遺伝的温柔さとが、見事に溶け合っていた、アンティオキア市民たちにとっては時の流行だけが唯一の法、快楽だけが唯一の関心事、そしてまた衣裳や調度類の豪華さだけが唯一の誇りだったのだ。奢侈贅沢の工夫だけが尊ばれ、真摯な男性的美徳などはすべて嘲笑の的だった。

婦人の淑徳、老齢の尊さなども嗤い去られ、一切がこの東方首都の全面的堕落ぶりを示すものばかりだった。さらに見世物好きというのがシリア人の趣味、というよりもむしろ情熱だった。名人といわれる芸能人たちが附近の諸都市から集められ、これら大衆娯楽のために夥しい金が市の財政から支出されていた。劇場や大競技場で見る演技や競争などの豪華さが、そのままアンティオキア市の幸福、栄光と考えられていたのだった。

エドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』

104: 世界@名無史さん 2009/09/21(月) 09:44:26 0
>>102
今のアメリカ人みたいだな

125: 世界@名無史さん 2009/12/06(日) 14:04:27 0
なんのかんので、レバノンって国はよく持ちこたえてるな
住んでる人間は、どんどん海外に移住しちゃうが

142: 世界@名無史さん 2010/07/30(金) 14:57:08 0
昔はレバノンもよかったんだよな。
さくらんぼが美味くてさ。
エジプト、イスラエル、シリアに住んでる日本人はレバノンに日本食の材料を買出しに行ったもんだよ。

引用元: ・シリア・レバノンの歴史




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