1: 世界@名無史さん 2014/08/30(土) 14:52:13.04 0
一千年に及ぶ繁栄・衰退を誇ったビザンツ帝国史について語りましょう。








6: 世界@名無史さん 2014/09/01(月) 20:33:16.74 0
ビザンツ帝国と神聖ローマ帝国の関係はどんなものだったの?

8: 世界@名無史さん 2014/09/01(月) 23:06:39.10 0
>>6
全くローマでない「神聖ローマ」をローマと呼び、コンスタンティノポリスの正統なローマを「ビザンツ帝国」などと珍妙な呼び方するとはどういうことなのか?

9: 世界@名無史さん 2014/09/02(火) 00:13:19.75 0
>>8
神聖ローマ帝国は自称ですし

10: 世界@名無史さん 2014/09/02(火) 00:23:09.16 0
>>9
それならコンスタンティノポリスのローマはSPQR(元老院と市民のローマ)が自称で、ビザンツなどとは称してないんだが?

12: 世界@名無史さん 2014/09/02(火) 06:40:17.87 O
>>10
言葉がギリシア語に切り替わってからもSPQRだったの?

13: 世界@名無史さん 2014/09/02(火) 07:09:23.04 0
>>12
コンスタンティノポリスがオスマンに占領される最後までローマの国名はSPQR

24: 世界@名無史さん 2014/09/03(水) 14:55:54.36 0
>>12
WikipediaのByzantine_Empireの項目には、当時の自称を
1 the "Roman Empire", the "Empire of the Romans"Latin: Imperium Romanum, Imperium Romanorum; Greek: Βασιλεία τῶν Ῥωμαίων Basileia tōn Rhōmaiōn,
  Ἀρχὴ τῶν Ῥωμαίων Archē tōn Rhōmaiōn),
2 "Romania" (Latin: Romania; Greek: Ῥωμανία Rhōmania),
3  the "Roman Republic" (Latin: Res Publica Romana; Greek: Πολιτεία τῶν Ῥωμαίων Politeia tōn Rhōmaiōn),
4 Graikia (Greek: Γραικία),
5 Rhōmais (Greek: Ῥωμαΐς).

と書いてある。SPQRは何故か載っていない。でもSPQRの項目には、Beginning in 1184, the Commune of Rome struck coins in the name of the SENATVS P Q Rとあるから、SPQRも国号として用いていたと考えられている

7: 世界@名無史さん 2014/09/01(月) 23:04:33.40 0
>ビザンツ帝国と神聖ローマ帝国の関係はどんなものだったの?

マヌエル1世の時には、イタリア西岸に上陸し、イタリアで両国が直接戦ったことがあるよ
ドイツ人のローマ帝国(神聖ローマ帝国)とギリシャ人のローマ帝国(ビザンティン帝国)、共にローマを名乗る帝国が、どちらも本家イタリアのローマ市は持っていないが、イタリアで戦うというなんとも皮肉な状況

15: 世界@名無史さん 2014/09/02(火) 22:22:17.61 0
ビザンツの方は国号もそうだし、ローマ法を改良したという触れ込みの法律を制定するようなこともしているが、神聖ローマ帝国の方はそういう古代ローマとの一体性を誇示する政策を何かやったんだろうか。

16: 世界@名無史さん 2014/09/02(火) 23:06:56.57 O
>>15
イタリア政策

20: 世界@名無史さん 2014/09/03(水) 10:43:30.27 0
>>16
失敗続きで逆効果じゃねーか

25: 世界@名無史さん 2014/09/03(水) 23:42:33.92 0
ビザンツが学名に過ぎないというのはわかるけど、西ローマが滅亡した後も東ローマというのも違和感がある。ローマ帝国では古代ローマと混同されるから、俺としてはローマニアという表記が妥当だと思うんだが、これだとルーマニアとも違いが出るし、実際当時の自称だし

27: 世界@名無史さん 2014/09/04(木) 00:10:00.88 0
後世から見ての他称なら東ローマ帝国で何の問題もないと思うが・・・
テオドシウス1世の時代から、間違いなく政体が継続してる

いずれにせよビザンツ帝国ってのは、始期も確定できない曖昧模糊で最低な呼称だわ
古代ローマから文化面で変容しちゃってるからローマ帝国と呼ぶのはイヤっていうなら、コンスタンティヌス1世時代から変えるべき・・・でもそれはしないのは、まさに西欧の都合

35: 世界@名無史さん 2014/09/05(金) 15:57:24.50 0
>>27
しないも何もビザンツ帝国と呼ぶほとんどの学者は始期をコンスタンティヌス時代かヘラクレイオス時代に置いているが

42: 世界@名無史さん 2014/09/05(金) 23:14:45.15 0
>>35
ビザンツ帝国の始期は一般にコンスタンティヌス1世かアルカディウスなのでは?

44: 世界@名無史さん 2014/09/05(金) 23:43:24.61 0
>>42
アルカディウスよりスタートするのは、「東ローマ帝国」
東ローマ帝国=ビザンツ帝国と見なす立場ならそれでいいが、あくまで「≒」として考える学者が多い
つまり、古代ローマ帝国の成分が薄くなりすぎて同一のものと見なしたくない状態になってからがビザンツ帝国だと
そのタイミングは人によってバラツキがあるものの、公用語がギリシア語になったヘラクレイオス時代からというのが最も一般的

28: 世界@名無史さん 2014/09/04(木) 01:52:32.76 0
コンスタンティノープル帝国と呼べばいい

29: 世界@名無史さん 2014/09/04(木) 05:59:11.30 0
中世ローマ帝国という呼称も見たことがある

30: 世界@名無史さん 2014/09/04(木) 06:39:15.22 0
まあでも西ローマ帝国でも東ローマ帝国でも滅亡するまで市民たちはローマ帝国民だっていう認識だったんでしょ?

あとさレオ朝のゼノンがオドアケルに西ローマ皇帝位を献上されて東西のローマ皇帝になったって本当?
30: 世界@名無史さん 2014/09/04(木) 06:39:15.22 0
レオ朝のゼノンがオドアケルに西ローマ皇帝位を献上されて東西のローマ皇帝になったって本当?
31: 世界@名無史さん 2014/09/04(木) 16:14:41.82 0
そういう説もあるよね。ネポス帝を最後の西ローマ皇帝として、ネポスを擁立したのがゼノンの後ろ盾で西ローマ皇帝に付き、ネポス死去後、ゼノンは新帝を冊立しなかったから、自動的に東ローマは、単独の「ローマ」に戻っただけという説

そんなわけで西ローマが滅亡したあとは、「ローマ帝国」しか残らなかったのだから、「東ローマ」という名称にも違和感がある。で、「ローマ帝国」がよいとすると、古代と混同してしまうから中世ローマ帝国という言い方も悪くないと思うのだが、ビザンツ(ビザンティン)、東ローマと比べると少数派

32: 世界@名無史さん 2014/09/04(木) 17:09:20.58 0
ヘラクレイオス帝以降は中世ギリシャでも良さそうだな
ユスティニアヌス朝はバルカン出身で軍人皇帝時代以来多くの皇帝がバルカン出身だった
バルカンがスラブ化してイリュリア人とかが滅亡したのでアナトリア出身者が皇帝になるようになった

33: 世界@名無史さん 2014/09/04(木) 17:58:48.09 0
それはない、アイデンティティがヘラスにはなくローマイオイにあったのだから

37: 世界@名無史さん 2014/09/05(金) 17:57:16.75 i
話は変わるけどメフメトさん折角異文化かぶれだったんなら帝国そのまま奪ってくれれば良かったのに
パレオロゴス朝→オスマン朝みたいな感じで
宗教もコンスタンティヌスで一回変わってるんだからまたイスラム教に変えればいい

38: 世界@名無史さん 2014/09/05(金) 19:07:59.85 0
そこは、ルーム・オスマン朝で万事解決だな!

39: 世界@名無史さん 2014/09/05(金) 22:09:27.97 0
当時東ローマはすでにコンスタンティノープルだけだった。
アレクサンドロス大王のように目の前に大ペルシャ帝国が実在した場合とかではないから、メフメト2世らに帝国を征服したというような実感はなかったはず。

41: 世界@名無史さん 2014/09/05(金) 23:03:52.23 0
イスラム教徒にとってローマ人=キリスト教徒だけど、西欧をも支配した古代ローマ帝国に実感がないから西欧人=フランク人だった

アラブ人にとってはシリアとエジプトとアナトリアとギリシャとマグリブを支配していたのがローマ帝国

トルコ人にとってはアナトリアとバルカンを支配していたのがローマ帝国

51: 世界@名無史さん 2014/09/06(土) 17:35:40.21 0
トレビゾントのゲオリギウス司教は、1461年にメフメト二世に送った書簡で、
「何の疑いもなく貴方はローマ皇帝でございます。帝国の首都の合法的な主は、誰もが皇帝であり、そしてコンスタンティノープルはローマ帝国の首都なのですから」
と書いたそうだ。

53: 世界@名無史さん 2014/09/06(土) 19:47:54.44 0
>>51
なるほど、そういう理屈なら、トルコ共和国がイスタンブルを首都としたらローマ帝国になってしまうから、アンカラに遷都したのか。
どうせなら、ムッソリーニのローマ帝国とケマル・アタテュルクのローマ帝国で戦ってみてほしかった

56: 世界@名無史さん 2014/09/06(土) 20:34:47.76 0
>>53
イスタンブルにしなかったのは軍事上の理由
イスタンブルじゃギリシャに海から砲撃されて終わり

90: 世界@名無史さん 2014/09/10(水) 01:06:24.58 O
元々ギリシア語圏だったが故にビザンツはギリシア化してラテン語は省みられなくなった…と自分は聞いてたが、帝都コンスタンティノープルの程近くには今なおラテン系の言葉を維持しているダキア、今のルーマニアがあるんだよな。

ラテン語を保持し続けた民が近くに居て本当にラテン語は省みられなくなってたのかい?

96: 世界@名無史さん 2014/09/10(水) 22:21:57.62 0
>>90
保持してたんじゃなくて近代に人工的に復活させたんだよ
イスラエルと同じ

100: 世界@名無史さん 2014/09/11(木) 22:37:04.60 O
>>96
キリル文字を止めてラテン文字にしたり、抽象概念表すギリシア・スラブ系の単語をフランス語・イタリア語で大々的に置き換えたり、とは聞いた。
だけど文法とか基本語彙とかは一貫してラテン系だったとも聞いたぞ。

91: 世界@名無史さん 2014/09/10(水) 01:30:13.22 0
ダキア人の末裔ワラキア人の先祖は今のマケドニアあたりの山中にいて、その後移住したという説があったと思う
マケドニアの北西のイリュリアはラテン語圏だったから、そのへんを継承しているのかも知れない

97: 世界@名無史さん 2014/09/11(木) 18:00:45.28 0
みなさんは、ビザンツ帝国のどんなところに魅力を感じているのですか
教えてください
私は聖歌やイコン、教会壁画などです

107: 世界@名無史さん 2014/09/14(日) 13:24:15.77 0
>>97
・皇帝に忠誠誓えば誰でも帝国臣民、どこの国の何系だろうと問題にならない。というか皇帝自身が何系の血がどこまで混ざってるのかわかりゃしない
・中世西欧にあった十字軍思想や異端審問、魔女裁判の類が極端に少なかった
・運と実力に恵まれればパンピーから大臣や将軍、場合によっては皇帝にもなれる
・新しい技術の発明や進展は少ないけれど、過去から受け継いできたものをやりくりしながら時に発展させ、あの厄介な立地で千年保った

こんな所かな

99: 世界@名無史さん 2014/09/11(木) 22:20:18.94 0
ローマ帝国が分裂してなお千年以上存続していたことに興味をそそられた

123: 世界@名無史さん 2014/09/24(水) 20:44:15.13 0
地政学的に百年もてばいい場所で、千年「ローマ帝国」と正しい継続性がある帝国が続いたこと
それ自体が「栄光」に思います
時代に合わせて、政治の中身を変える力こそ「ローマ帝国」であり「東ローマ帝国」の凄味でしょう

125: 世界@名無史さん 2014/09/25(木) 01:44:34.93 0
東ローマ帝国では皇帝は神の代理としての全世界の主という意識があったため、多くの外国人傭兵を従えることは一種の誇りであり富を表すステータスとして歓迎された
あらゆる国・地域の人々を兵として配下とすることは「世界の主たる皇帝」という理念を視覚化できたのだ

したがって「外国人傭兵のおかげだから云々」などという批判は筋違いである

126: 世界@名無史さん 2014/09/25(木) 02:04:27.40 0
そういや、ユスティニアヌス1世の時点でフンの亡命貴族が率いる部隊とかいたな

127: 世界@名無史さん 2014/09/25(木) 04:09:51.34 0
ムンドゥスのことならゲピダエの王族だったと思うけど

130: 世界@名無史さん 2014/09/25(木) 16:44:38.76 0
>>127
あれ、そうなの?
「東ゴート興亡史」にフン出身と紹介されてたからずっとそう思ってたわ

132: 世界@名無史さん 2014/09/25(木) 22:00:57.54 0
>>130
調べたのが大分前なんで正確性の保証はできないけど、たしか母方を通してアッティラの血を引いてるから、それでフン族の亡命貴族ということになったのかもしれんね
一応、叔父がテオドリック大王のイタリア遠征時にちょっかい出して撃退されたゲピダエ王トラウスティラだったと思う

133: 世界@名無史さん 2014/09/25(木) 22:18:51.06 0
>>132
なるほど、詳しい情報THX
そういやアッティラの孫云々の話もあったな、母方が婚姻政策でゲピダエ王族に嫁いだってわけか

128: 世界@名無史さん 2014/09/25(木) 08:31:09.95 0
そもそも東西分裂前のローマ帝国末期には異民族の傭兵なんて大勢いたわけで…。

129: 世界@名無史さん 2014/09/25(木) 12:02:50.89 0
傭兵どころか異民族でも奴隷上がりでもローマ市民

136: 世界@名無史さん 2014/09/28(日) 21:03:43.63 0
ニケフォロス2世って「アラブ人の青ざめた死」なんてたいそうな名前ついてるのにあんまりアラブの領土とれてないんだな
アナトリアの領土は拡大させたけど

137: 世界@名無史さん 2014/10/02(木) 21:38:17.00 0
>>136
願望では?
東ローマは周囲のブルガール、ノルマン、トルコ、アラブ、スラブなどの蛮族に領土を奪われながら奪還できず、侵略され続けているのに内ゲバもひどいな
自分が皇帝になりたい軍人ばかり 
東ローマ 南宋 カルタゴ オランダ 負けに不思議の負けなし

138: 世界@名無史さん 2014/10/09(木) 07:36:53.14 0
>>136
あの時代には封建化が進んでいた訳で、貴族の重層騎兵はイスラム世界の兵士には脅威だったでしょう
イスラム圏も高度な文化と武力を誇っていた時代ですから、お金もかかりますし現実的軍事行動だったと言えると思います

139: 世界@名無史さん 2014/10/09(木) 12:04:31.61 0
ニケフォロス2世の頃まで、イスラームに負けっぱなしという反動もあるかも
実際には、ニケフォロス2世以前からイスラームには勝利し始めてるんだけど、アンティオキアの回復というわかりやすい功績で名声を獲得した、という感じ

141: 世界@名無史さん 2014/10/30(木) 22:21:51.58 0
ニケフォロスといえば、1世のほうの年代記での書かれっぷりにはわろた
年代記作者 「非道の為政者、その十大悪政を非難する!」
現代の研究者 「いずれも国情をよく観察した上での理に適った政策で、しっかり成果を残した」
・・・ビザンツ官僚ェ('A`)

149: 世界@名無史さん 2014/11/22(土) 15:38:02.60 0
>>141
中世のビザンツ官僚は、イスラム社会の力も現実的に把握していた
ラテン圏はからすれば、異教徒は潰せと考える人間が多かったから
その老獪さが、いやだったのでしょう

150: 世界@名無史さん 2014/11/22(土) 16:13:51.77 0
ニケフォロス1世は、東ローマ版のヴェスパシアヌス帝だな。
いわゆる財政再建屋で、世間の評判が悪くなろうと国家の基礎体力を滋養するタイプ。
その恩恵で花開いたのが五賢帝時代と、アモリア朝後期~マケドニア朝前期の東ローマ再興時代。

151: 世界@名無史さん 2014/11/23(日) 19:11:12.21 0
>>150
ニケフォロス1世は優秀な文官タイプ
皇帝には惰性的な人間も、軍人型の人間もいて、適度な新陳代謝が帝国を長続きさせたのだと思う

152: 世界@名無史さん 2014/11/24(月) 10:11:36.84 0
パレオロゴス朝の海軍とかマニアックすぎるわw

Byzantine Naval Forces 1261-1461 (Men-at-Arms)
http://www.amazon.co.jp/Byzantine-Naval-Forces-1261-1461-Men-at-Arms/dp/1472807286/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1416791274&sr=1-1&keywords=Ottoman

155: 世界@名無史さん 2014/11/28(金) 17:21:23.26 0
>>152
中世のビザンツの重層騎兵もイメージが湧かないけれども、オリエンタルな要素があったのではと外国の本や模型からは感じる

153: 世界@名無史さん 2014/11/24(月) 12:12:42.56 0
そのテーマで300ページとか書かれてたらどうしようと思ったけど、48ページで安心したw

引用元: ・【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ11【東ローマ】