1: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/28(木) 13:42:43 ID:6GDkO9Hb
対馬の戦国大名である宗氏について語りましょう。
8: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/28(木) 18:29:02 ID:UH4cui0Y
歴史がある家だね。
これに比するのは島津家くらい。
これに比するのは島津家くらい。
9: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/12/28(木) 18:37:03 ID:XkF3tTcU
息子に都々熊丸などというわけわからん名前を付けるような大人になってはいけないよ
10: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/03(水) 07:01:47 ID:DtxiTDRX
しかし、関ヶ原で西軍に与したのによく生き残ったよな
11: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/03(水) 09:52:53 ID:voqJlBW7
処分するには面倒くさかっただけじゃないの
中央から遠く離れた遠国だし、朝鮮とのパイプがあるのも宗氏くらいだし
そもそも秀吉の朝鮮出兵の際に国書偽造までやってたのに咎めが無かった時点で特別扱いだったんだろう
中央から遠く離れた遠国だし、朝鮮とのパイプがあるのも宗氏くらいだし
そもそも秀吉の朝鮮出兵の際に国書偽造までやってたのに咎めが無かった時点で特別扱いだったんだろう
13: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/03(水) 15:33:51 ID:ke6xsSa3
戦国時代の宗氏って石高とかどうだったんだろう?
対馬だけにしか所領がなかったし、ほぼ無高に近いだろ。
どうやって兵を養ったかと思う。
対馬だけにしか所領がなかったし、ほぼ無高に近いだろ。
どうやって兵を養ったかと思う。
14: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/06(土) 01:06:16 ID:rlLzJ1Ti
貿易収入だったはず
wikiより
土地柄、稲作がほとんど不可能であった為、肥前国の飛び地をのぞくと実質的には無高に近い。
対馬国と朝鮮の釜山に倭館をもち、朝鮮との貿易を生業としていたため、実質的な収入は多かった。
しかし江戸時代末期になると、肝心の朝鮮との貿易がふるわなくなり極度の財政難に陥った。
また、この頃には周辺海域に欧米の船が出没するようになり、この地の守りを重要視した幕府は宗氏を河内国に10万石(20万石説もあり)で転封する計画を立てた。
しかし、宗氏は中世からのこの地の領主という誇りがあり、家臣もこの地に根ざした特殊な生活を保っていたために、せっかくのこの申し出を断ってしまった。
当初は肥前国内一万石を併せて二万石格であったが、幕府は朝鮮との重要な外交窓口として重視し、初代義智以来、対馬府中藩を国主10万石格として遇した
wikiより
土地柄、稲作がほとんど不可能であった為、肥前国の飛び地をのぞくと実質的には無高に近い。
対馬国と朝鮮の釜山に倭館をもち、朝鮮との貿易を生業としていたため、実質的な収入は多かった。
しかし江戸時代末期になると、肝心の朝鮮との貿易がふるわなくなり極度の財政難に陥った。
また、この頃には周辺海域に欧米の船が出没するようになり、この地の守りを重要視した幕府は宗氏を河内国に10万石(20万石説もあり)で転封する計画を立てた。
しかし、宗氏は中世からのこの地の領主という誇りがあり、家臣もこの地に根ざした特殊な生活を保っていたために、せっかくのこの申し出を断ってしまった。
当初は肥前国内一万石を併せて二万石格であったが、幕府は朝鮮との重要な外交窓口として重視し、初代義智以来、対馬府中藩を国主10万石格として遇した
16: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/10(水) 23:20:55 ID:IQAjyjdo
>>14
家格はそれなりだな。参勤交代とかに金が掛かったろうな。
家格はそれなりだな。参勤交代とかに金が掛かったろうな。
20: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/16(火) 00:01:21 ID:dvXdfrJk
対馬府中藩は将軍の代替りごとに朝鮮国より派遣された朝鮮通信使の国内滞在中の接待約を幕府より任されていたため参勤交代は特例で免除されていた。
85: 人間七七四年 2007/11/11(日) 22:19:01 ID:56YxbNeF
>>20
大抵の大名が隔年参勤のところを宗氏は3年1勤で参勤交代してる。
他に遠隔地の大名で蝦夷地の松前氏は6年1勤。
大抵の大名が隔年参勤のところを宗氏は3年1勤で参勤交代してる。
他に遠隔地の大名で蝦夷地の松前氏は6年1勤。
22: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/01/16(火) 00:10:14 ID:dvXdfrJk
対馬は山がちで米も殆ど採れず、米は本土部分の藩の飛び地でわずかに採れていただけ、だから朝鮮との貿易なしでは藩政を維持できなかった。対馬藩は国書を偽造して朝鮮との国交回復するという荒技をあっさりとやってのけたのだ
柳川一件(やながわいっけん)は、江戸時代初期に対馬藩主・宗義成と家老・柳川調興が日本と李氏朝鮮の間で交わされた国書の偽造を巡って対立した事件。
16世紀末、日本の豊臣政権による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)が行われ、日朝、日明関係が断絶した。戦後、日本で徳川家康による江戸幕府が成立すると、徳川氏は李氏朝鮮、明との国交正常化交渉を開始する。日本と朝鮮の中間に位置する対馬藩は地理的条件から経済を朝鮮との交易に依存していた背景もあり、朝鮮との国交回復のため、朝鮮出兵の際に連れて来られた捕虜の送還をはじめ日朝交渉を仲介した。
対馬藩は回答使の返書も改竄し、1617年、1624年と三次に渡る交渉でもそれぞれ国書の偽造、改竄を行い、1609年には貿易協定である己酉約条を締結させた。
16世紀末、日本の豊臣政権による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)が行われ、日朝、日明関係が断絶した。戦後、日本で徳川家康による江戸幕府が成立すると、徳川氏は李氏朝鮮、明との国交正常化交渉を開始する。日本と朝鮮の中間に位置する対馬藩は地理的条件から経済を朝鮮との交易に依存していた背景もあり、朝鮮との国交回復のため、朝鮮出兵の際に連れて来られた捕虜の送還をはじめ日朝交渉を仲介した。
対馬藩は回答使の返書も改竄し、1617年、1624年と三次に渡る交渉でもそれぞれ国書の偽造、改竄を行い、1609年には貿易協定である己酉約条を締結させた。
288: 人間七七四年 2011/11/03(木) 22:16:19.19 ID:HuNTiRKR
文書偽造がバレたとき政宗が取り成して助かったって本当?
290: 人間七七四年 2011/11/03(木) 23:54:58.54 ID:6uyRmsaH
>>288
文祿慶長の役で宗義智が伊達勢を救助したことがあって、その恩に報いようとしたみたい
柳川事件で宗家に味方したのは別に伊達政宗だけではなかったが
文祿慶長の役で宗義智が伊達勢を救助したことがあって、その恩に報いようとしたみたい
柳川事件で宗家に味方したのは別に伊達政宗だけではなかったが
294: 人間七七四年 2011/11/09(水) 12:39:47.86 ID:ubrwZC3B
柳川事件の御前公事の時に伊達政宗が兵引き連れて江戸城包囲したって説もあるが、明らかに不自然すぎる話だし信頼性のあるソースも見当たらない
信頼性のないソースならあるが
信頼性のないソースならあるが
307: 人間七七四年 2012/01/19(木) 22:36:41.08 ID:iypGRr08
>>294
江戸城包囲なんてどこからそんな話が出たんだろ
江戸城包囲なんてどこからそんな話が出たんだろ
308: 人間七七四年 2012/01/20(金) 05:03:31.51 ID:TJs9oVW7
>>307
伊達政宗はちょっと動いてもすぐ「謀反だろう」というデマが飛んだそうだからね。
伊達政宗はちょっと動いてもすぐ「謀反だろう」というデマが飛んだそうだからね。
310: 人間七七四年 2012/01/28(土) 21:35:34.65 ID:oBV2cePd
政宗の江戸城包囲が事実だったら幕府が200年以上も続くわけないわな
下手すりゃ政宗が生きてるうちに潰れる
下手すりゃ政宗が生きてるうちに潰れる
302: 人間七七四年 2011/12/17(土) 12:44:03.23 ID:fXOnnX/b
弘安の役で金田城が使われなかったのは、金田城の軍事的価値を知ってた人達が、文永の役の時点でことごとく戦死してたからではと言ってみる
または最初から博多湾を主戦場と想定していて、対馬は後で取り返せばいい程度に思われてたか
または最初から博多湾を主戦場と想定していて、対馬は後で取り返せばいい程度に思われてたか
金田城(かねだじょう/かなたのき/かねたのき)は、長崎県対馬市美津島町黒瀬(対馬国下県郡)にあった日本の古代山城(分類は朝鮮式山城)。城跡は国の特別史跡に指定されている。
城は城山の急峻な自然地形を利用して築造されており、城山の東斜面において城壁とともに城門・水門・掘立柱建物跡の構築が認められる。特に城壁としては約2.8キロメートルにもおよぶ石塁が全周し、他の古代山城が土塁を主とするのとは性格を異にする。また掘立柱建物跡の遺構から防人の居住が示唆されるほか、出土品の様相からは奈良時代までの廃城化が推測される。
古代の対朝鮮半島の最前線としての重要性、また遺構の良好な遺存状況と合わせて、文献上では知られない当時の防人配備の実情を考察するうえでも重要視される遺跡になる。
城は城山の急峻な自然地形を利用して築造されており、城山の東斜面において城壁とともに城門・水門・掘立柱建物跡の構築が認められる。特に城壁としては約2.8キロメートルにもおよぶ石塁が全周し、他の古代山城が土塁を主とするのとは性格を異にする。また掘立柱建物跡の遺構から防人の居住が示唆されるほか、出土品の様相からは奈良時代までの廃城化が推測される。
古代の対朝鮮半島の最前線としての重要性、また遺構の良好な遺存状況と合わせて、文献上では知られない当時の防人配備の実情を考察するうえでも重要視される遺跡になる。
303: 人間七七四年 2011/12/17(土) 19:34:51.04 ID:qOtQxgWh
金田城の防御力が意外と低かったとかいうことはないんだろうか?
304: 人間七七四年 2011/12/18(日) 08:37:51.68 ID://oFiUNO
そうなると逆に日露戦争でなぜ使われたのかという疑問が新たに出てくる
まあ時代背景の違い(特に通信手段)も絡んできて複雑な話になりそうだが
まあ時代背景の違い(特に通信手段)も絡んできて複雑な話になりそうだが
305: 人間七七四年 2011/12/18(日) 14:07:46.65 ID:71p/1ok0
日露戦争の時代は、防御力をアップさせるための補強工事や大砲などがあったからなあ。
高地から大砲うてば、低地の敵は困る。
高地から大砲うてば、低地の敵は困る。
306: 人間七七四年 2011/12/19(月) 22:51:28.74 ID:sl0Pc7lF
日露戦争の頃には電信網が整備された
というか戦争のために整備した面もあったから対馬を防衛線にしやすかったのもあるだろうな
島外へ情報を速やかに伝えられるのはでかい
それまでは壱岐まで狼煙も見えないほど離れてるから、人間が船を漕いで行くしかなかった
ついでに万関瀬戸の開削も日露戦争を想定してた
というか戦争のために整備した面もあったから対馬を防衛線にしやすかったのもあるだろうな
島外へ情報を速やかに伝えられるのはでかい
それまでは壱岐まで狼煙も見えないほど離れてるから、人間が船を漕いで行くしかなかった
ついでに万関瀬戸の開削も日露戦争を想定してた
381: 人間七七四年 2013/04/04(木) 20:38:27.39 ID:87PVULQf
江戸幕府後期、水野越前守は、対馬國府中藩主宗対馬守を河内狭山20万石に転封し、あわせて従四位下河内守、左近衛少将に叙する予定だったのだ。
383: 人間七七四年 2013/04/08(月) 07:02:51.71 ID:V/bJAbg2
>>381
でもそれをけったんだよな~宗氏
「石高うp+都会に転居」より、貧しい土地でもご先祖代々ずっと住んでるところが良いと言うことなのかな
微妙に板の時代と外れるが、万が一この転封が決まったとしたら、先住民の北条氏(早雲の末裔)がどうなったか気になるw
でもそれをけったんだよな~宗氏
「石高うp+都会に転居」より、貧しい土地でもご先祖代々ずっと住んでるところが良いと言うことなのかな
微妙に板の時代と外れるが、万が一この転封が決まったとしたら、先住民の北条氏(早雲の末裔)がどうなったか気になるw
384: 人間七七四年 2013/04/08(月) 19:30:15.91 ID:SJWKvxB/
九鬼とか来島は海から離されたけど、宗と松浦は動かず済んだんだよな
385: 人間七七四年 2013/04/13(土) 03:44:57.27 ID:8elH6jCJ
宗は水軍じゃないし、大名としては非常に弱い。
大体、宗を転封させるとそこに誰かを転封しなきゃいけない訳だが、誰行くのさあそこ
大体、宗を転封させるとそこに誰かを転封しなきゃいけない訳だが、誰行くのさあそこ
386: 人間七七四年 2013/04/14(日) 00:45:18.91 ID:dQkRuagB
>>385
確か江戸後期の転封計画では
「宗氏は河内へ転封 その後の対馬は幕府直轄地」
と言うプランだったかと記憶
ロシア・イギリスなど外国船が急激に増えてきた危機的な状態に対し、宗氏だけでは対応できそうにない、と見られたのが転封させられそうになった原因
事実蝦夷の松前藩も転封されて一時期消滅の憂き目に遭ってるし
確か江戸後期の転封計画では
「宗氏は河内へ転封 その後の対馬は幕府直轄地」
と言うプランだったかと記憶
ロシア・イギリスなど外国船が急激に増えてきた危機的な状態に対し、宗氏だけでは対応できそうにない、と見られたのが転封させられそうになった原因
事実蝦夷の松前藩も転封されて一時期消滅の憂き目に遭ってるし
403: 人間七七四年 2013/08/12(月) NY:AN:NY.AN ID:L8Q/jOq/
>>385
> 宗は水軍じゃないし
多少の水軍は持っていたんだっけ?
> 宗は水軍じゃないし
多少の水軍は持っていたんだっけ?
406: 人間七七四年 2013/09/04(水) 13:46:59.11 ID:HK4SX2NG
>>403
文祿慶長の役に参戦してるし、それ以前には壱岐へ出兵したこともあったからそれなりの水軍を持ってたと考えるのが妥当
文祿慶長の役に参戦してるし、それ以前には壱岐へ出兵したこともあったからそれなりの水軍を持ってたと考えるのが妥当
408: 人間七七四年 2013/10/06(日) 19:24:03.79 ID:XnlhUZtj
>>406
沿岸警備隊レベルだろうし、水軍の定義を議論するんじゃなければ、ないものと見做していいんじゃねーか
沿岸警備隊レベルだろうし、水軍の定義を議論するんじゃなければ、ないものと見做していいんじゃねーか
411: 人間七七四年 2013/11/03(日) 15:37:37.39 ID:wlPEzKrf
>>406
沿岸警備隊レベルよりはもうちょいマシなレベルではないかと思う。
沿岸警備隊レベルは佐竹氏の水軍とかあのへん。
沿岸警備隊レベルよりはもうちょいマシなレベルではないかと思う。
沿岸警備隊レベルは佐竹氏の水軍とかあのへん。
387: 人間七七四年 2013/04/17(水) 23:08:40.44 ID:Hpbw/xP8
河内狭山藩主宗河内守の入封により、前狭山藩主北条出羽守を相模厚木2万石にし、若年寄格に据える遠大な計画だったのだ
440: 人間七七四年 2015/10/11(日) 21:41:47.51 ID:6B/iTcZT
というか水野忠邦の無謀な計画自体がおかしい
宗氏の対朝外交力を過小評価していたようだし
宗氏の対朝外交力を過小評価していたようだし
441: 人間七七四年 2015/10/13(火) 21:04:58.61 ID:WO3BBCX/
>>440
幕末期の幕府は、いざとなったら国内の反幕府勢力のエネルギーを散らすために朝鮮半島を攻めるつもりがあったのではないかとも言われているな。
征韓論だな。
幕末期の幕府は、いざとなったら国内の反幕府勢力のエネルギーを散らすために朝鮮半島を攻めるつもりがあったのではないかとも言われているな。
征韓論だな。
442: 人間七七四年 2016/01/29(金) 14:43:38.44 ID:8pu95zri
水野忠邦は朝鮮中国にせよ西洋諸国にせよ、外国の実力をまともに把握してたとは思えない
448: 人間七七四年 2016/04/23(土) 18:26:52.30 ID:cldUnVR7
分家に大江っているな
449: 人間七七四年 2016/04/23(土) 19:38:02.45 ID:gFp6wIf9
>>448
大江広元や毛利氏の大江氏とは関係ある?
大江広元や毛利氏の大江氏とは関係ある?
450: 人間七七四年 2016/04/24(日) 11:55:45.92 ID:c8cAMjAw
関係なさそう。対馬の地名に大江ってのがありそこに住み着いた分家が名のった
466: 人間七七四年 2016/09/07(水) 16:45:00.77 ID:q9Pz+jnm
宗って朝鮮出兵の外交交渉以外は目立たないよな
467: 人間七七四年 2016/09/07(水) 20:14:36.90 ID:kHfpBUYt
>>466
基本的に島に引きこもりだからね。
基本的に島に引きこもりだからね。
496: 人間七七四年 2021/12/26(日) 23:56:45.82 ID:BfXvThvX
少弐のことを思えば宗氏はよく家を存続させている
498: 人間七七四年 2022/12/06(火) 17:36:18.89 ID:u6SmnV/n
ところで対馬くらい山ばかりの島だと陸上交通が主役になったのってひょっとして昭和後半?
特に豆酘あたりは自動車がなければ海路の方がマシそう
日本の他の山がちな島では鹿児島の下甑島の旧鹿島村が他地域と陸路で繋がったのは昭和末期だし、今でも北海道の礼文島や八重山の西表島には車道が繋がってない集落がある
特に豆酘あたりは自動車がなければ海路の方がマシそう
日本の他の山がちな島では鹿児島の下甑島の旧鹿島村が他地域と陸路で繋がったのは昭和末期だし、今でも北海道の礼文島や八重山の西表島には車道が繋がってない集落がある
500: 人間七七四年 2023/09/16(土) 07:08:31.77 ID:kGSZ6XtZ
>>498
大正時代あたりまでの対馬はとにかく道路が悪かったのではなかったかな?
大正時代あたりまでの対馬はとにかく道路が悪かったのではなかったかな?
引用元: ・【対馬】宗氏について語るスレ
宗「朝鮮からは従属の証として毎年一万俵もの貢物が来ちゃうんですよ(ホントは100石だしこっちのが下だけどな)」
秀吉「そうか…朝鮮に明国侵攻のために改めて服属しろって言っとけ」→宗「ははっ(ヤベ…)」
宗「関白殿下から『日の本統一を祝う使節』を送って下さいとの由」→朝鮮「(簒奪者が調子に乗りよって)…仕方ないな」
宗「朝鮮より『服属のための使節』が参るそうです」→秀吉「よし、じゃあ征明嚮導要求の書状書いて待ってるわ」
使節「このたびは統一まことにおめでたく」→秀吉「やあよく参られた、これ書状ね」
使節「なにこの内容…頭おかしいのか」→秀吉「は?」
秀吉「お前ら服属に来たんじゃないのか」→使節「は?」
秀吉&朝鮮「おいこれどういうこと?」→宗「はわわ」
宗「あれはそのアレです、征明嚮導ってのは明国侵攻のために道だけ使わせてくださいって意味で、案内とかはしなくていいんで」→朝鮮「馬鹿かてめえ」
宗「ダメでした…」→秀吉「お前唐入りの時は一番隊の先導役で乗り込めや」