1: 人間七七四年 2014/09/06(土) 16:30:45.59 ID:bOHiofVV
最初のスレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1026995363/
1 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:02/07/18(木) 21:29
淀の方を暗愚だと言う人は多いけど、そろそろ再評価すべきではないか。
そもそも家康(徳川)側にとっては秀頼の存在は極めて危険なものであったから、大阪城から他への転封などされたら、後は適当に言いがかりをつけられて改易→斬首の可能性が非常に高かった。それにもし生きながらえたとしても、浪人や秀吉政権下での織田信雄、今川氏真のような生き様がよいものとも思えない。
そう考えれば徹底抗戦して、家康が死ぬのを待つというのはあながち間違った選択肢とも思えない。
それに負けたとはいえ、大阪の陣でも家康本陣まで迫ったこともある。
桶狭間のときの信長よりは、勝算があったのではないか。幼少の頃から、蝶よ花よと甘やかされて育った茶々姫がここまでの大勝負を家康相手に打ったのだから、彼女の持って生まれた才能は、かなりのものがあると思う。織田家の血筋の中では、男系よりも市の方の三人の娘の方がはるかに資質が高いと思えるのは私だけでしょうか。








2: 人間七七四年 2014/09/06(土) 17:15:55.53 ID:KbbdWGAo
その中で淀の方本人が決断したことがいくつあるのだろうか?

3: 人間七七四年 2014/09/07(日) 20:33:30.12 ID:ydYiWl+D
秀吉の死から関が原の戦いまでは淀殿が事実上の最高権力者ってことになるのか?
秀吉正室の北政所が存命だし、秀頼生母とはいえ側室の一人にすぎなかった淀殿の発言権がどれほどのものかはわからないが

4: 人間七七四年 2014/09/08(月) 10:16:23.47 ID:0el35NLF
流れから考えると、意思決定に相当に影響力を持っていたようには思う。
秀吉の死~関ケ原までの間は、まだ豊臣政権の機能が残っていたからわがままは言えても、それほどの影響力はなかったのでないかな
毛利輝元退去(これで完全に豊臣政権崩壊)後は、政策決定に影響大だと思う。

9: 人間七七四年 2014/09/11(木) 20:52:19.06 ID:kpMZFy8U
淀は戦国のメインヒロイン

あの秀吉がお気に入りだったんだから相当可愛かったんだろうね

12: 人間七七四年 2014/09/13(土) 23:26:18.77 ID:zs8tPGbL
相当美人だったんだろうね
大河でいうと松たか子のイメージがある

14: 人間七七四年 2014/10/14(火) 16:21:02.18 ID:qBeoyuNj
そもそも淀殿が美人だなんて記録は一切存在しない。
彼女は秀吉の子を産んだという一点だけで寵愛されたに過ぎない。
美貌で言うなら松の丸殿が最も愛されていた。

15: 人間七七四年 2014/10/15(水) 20:14:30.66 ID:3alYSoGD
お市の方が美人だったって話だから子供も美人だっていう推測から美人って言われてるんじゃない?
淀は信長の姪だから子供産む前から立場は結構よかったんじゃ

21: 人間七七四年 2014/10/20(月) 21:18:13.18 ID:8xJeHzTj
淀殿は、当時にしては大柄で身長170cmと書いてあるものもあるね
まあ、話半分としても小男としての評価のある秀吉よりは大きかったのではなかろうか
小男の爺さんが大柄の主筋の娘を抱くというのは、相当のコンぷだったのだろうか

107: 人間七七四年 2015/12/21(月) 15:05:55.96 ID:ss/tde62
秀頼は普通に千姫との間に子供作っていれば生き残れたのでは

108: 人間七七四年 2015/12/22(火) 01:54:15.55 ID:0UrDjAuJ
>>107
秀頼本人は戦の責任取って切腹させられても千姫の子だけ普通に生かすわけにはいかないから国松は助かった可能性高いよな

111: 人間七七四年 2015/12/24(木) 19:30:42.89 ID:QxbNfVYe
大坂の陣で最後まで出陣しないあの体たらくだと、秀頼に反徳川の旗頭としての価値はもはやないだろうから、むしろおめおめと生き残る方が武士の名折れだと思う
秀頼は隠居させて千姫の子供に豊臣家を継がして補佐役として徳川から家臣団を派遣して、それでどっか適当な場所に何万石か与えて生かしてるほうが、徳川としては報恩アピールができて都合がいいかも

116: 人間七七四年 2016/01/02(土) 16:32:39.45 ID:EUHA4+Fu
淀は意図的に秀頼を出陣させなかった気がしてならんのやがね

117: 人間七七四年 2016/01/03(日) 15:51:45.41 ID:ke14HMzC
どういう意図があったのか推測でも言ってくれんと

118: 人間七七四年 2016/01/03(日) 20:57:04.21 ID:FcxO6dXG
>>117
そりゃあ親父の恨みでしょ?2度も父親殺されて 最後は母親まで殺されて敵の側室にされたしね

淀は市に似てると言うわれてたからね
秀吉はお市が欲しかったけど叶わなかったから淀を側室にしたんだよ

119: 人間七七四年 2016/01/03(日) 22:18:23.59 ID:ke14HMzC
最後まで戦闘に参加しなければ負けても側近のせいにできると考えたのかも知れんよ
秀吉に対する復讐ならそれこそ他人の子供でも孕んだ方がマシだ

120: 人間七七四年 2016/01/04(月) 22:36:20.88 ID:/KTXw+Bv
>>119
だから秀頼は秀吉の子供かどうかも怪しいよね。
その前にも産んでるけど早くに死んでるから病死か毒殺かもね

121: 人間七七四年 2016/01/04(月) 22:58:23.67 ID:RHzhF1DE
秀吉の実子じゃないなら家を潰すより生涯を全うさせて豊臣家乗っ取りを完遂させたほうが秀吉に対する復讐になるだろうし、実子なら自分も豊臣家と一緒に死ぬような羽目に陥る前に淀ができることは山ほどある
淀が秀吉に対する復讐に秀頼(豊臣家)を害することを考えたとしても、その手段が大坂城から出さないって言うのはいくらなんでも迂遠過ぎると思う

132: 人間七七四年 2016/02/13(土) 05:50:23.85 ID:JxJB24Ay
どう考えても秀吉は種なし
秀頼の父親はそこらで捕まえた町人だろう
種付けしてすぐ口封じのために殺した
それを1度ならず2度までも
茶々の天下取りの野望スサマジス

151: 人間七七四年 2016/07/07(木) 21:29:45.40 ID:+uJ4jInv
>>132
長浜時代に男女ひとりずつ側室に産ませてたという話もあるけどね
女児の方はちょっと実在怪しいけど石松丸(秀勝)の方は結構信憑性高いと思う

133: 人間七七四年 2016/02/20(土) 17:55:01.35 ID:7LCCkgOA
未だに市が秀吉の憧れだったと信じてる人がいて笑える
勝家に市をあてがったのは秀吉なんだが
結果的に淀が側室になったから作られた話であって、秀吉は全く市に惚れてないからな
小説を史実扱いするのはやめてくれ

134: 人間七七四年 2016/02/20(土) 18:03:58.16 ID:7LCCkgOA
淀は秀吉の子を産んだこと以外にこれといって秀でたものがなかったわけよ
家康を助長させた挙句、乗っ取られそうになり敵対したが、情勢が不利だと分かっても恭順すらできず右往左往するだけで最期は命乞いするも拒否られ自害した
政治家としても母としても能力不足
秀頼を思うなら張り倒してでも徳川に恭順させるべきだったし、徳川に対しても額を地べたに張り付ける勢いで謝るべきだった

136: 人間七七四年 2016/03/15(火) 15:03:23.07 ID:wwFY9w0U
淀にとって一番憎々しかったのは秀吉でなく前田利家では?
柴田を裏切って敗因作って母を死に追いやったわけだしね

137: 人間七七四年 2016/03/15(火) 20:35:20.68 ID:j0JeFCzt
それを言ったら父の浅井長政を死に追いやった秀吉のほうが憎いのでは?

177: 人間七七四年 2017/10/10(火) 13:27:56.96 ID:xlmXYfr5
しかし、経産婦マニアの家康がなぜ淀にはなびかなかったのだろう
当時としてはかなりの長身美人(165cm)だから家康よりも大きかった可能性大

178: 人間七七四年 2017/10/11(水) 17:03:34.60 ID:7H1nRLAw
>>177
経産婦マニアだったのは若い頃だけだ
それも乳幼児死亡率の高さや、戦死率の高さから家の繁栄のために、確実に子供が生める女性を欲していたからで、信長など他の戦国武将も同じようにしているし、経産婦を側室に置くのは特殊な性癖と言うわけではなく合理的な選択だったに過ぎないんだが・・・
その必要がなくなった中年以降は10代の若い側室ばかり置いていた
13,4歳に夢中なお爺ちゃんが何が悲しくてでっぷり太って頭の悪いおばさんの相手しなきゃいけないんだね
家康は女に対して出産能力や若さ以外に、頭の良さも求めてたんだから淀なんか眼中にないだろ

182: 人間七七四年 2018/08/28(火) 22:58:40.87 ID:v6JdnBsX
>>178
秀吉の遺言で家康と淀が結婚する予定があったけど結局なくなったって噂が当時あったらしいが、

183: 人間七七四年 2018/08/29(水) 00:49:39.90 ID:K0LXXVAQ
>>182
大野治長との密通の話が出てきてご破算になった、ってやつだっけ
確か多門院日記とか看羊録とか毛利の書状にも噂として記述されてるんでしたっけか

実際悪事働いたって理由で治長と大蔵卿が追放くらってるんでしたよね?

145: 人間七七四年 2016/04/12(火) 22:19:40.07 ID:tdxqfzJp
それにしても、実父と実母と養父の敵で伯父の部下だった50男の嫁に、しかも10代で側室ってどんな気分やろ?

162: 人間七七四年 2017/05/25(木) 06:00:25.89 ID:+pTchFmw
ひょっとして、淀はおとなしいお嬢さまタイプで、彼女を操ってた大蔵卿局が悪いんじゃないか?

176: 人間七七四年 2017/09/23(土) 20:58:09.45 ID:ThPa/0oY
>>162
真田丸の影響か?
だとしたら大蔵卿は無能か

171: 人間七七四年 2017/09/12(火) 04:10:06.89 ID:QHu4ZwOZ
大野治長とできてたのかできてないのか

185: 人間七七四年 2018/10/16(火) 19:53:14.11 ID:iKyMf2Mr
死亡時22歳の秀頼はあまり悪く言われないけど淀は何故か悪く言われるな
22歳って一流の武将なら実績残してても不思議ない年齢なのに

186: 人間七七四年 2018/10/19(金) 00:52:59.28 ID:gBLg2gbq
実績が無いから22歳まで生き延びられた

189: 人間七七四年 2020/03/09(月) 20:37:11.68 ID:WJV21ETI
『駿府記』は大坂の陣前に3つのグループがあったとする

和睦派:茶々、大野治長、後藤基次、七手組
中立 :木村重成、真田信繁、渡辺糺、明石全登
抗戦派:豊臣秀頼、大野治房、長宗我部盛親、毛利勝永、仙石秀範

208: 人間七七四年 2022/01/24(月) 14:37:22.74 ID:IJQ2TF8n
>>189
浪人衆も豊臣家中も一枚岩じゃないと

209: 人間七七四年 2022/02/27(日) 11:11:39.34 ID:wWtBqSbv
>>189
長宗我部や毛利は元々大名(毛利は後継者)
仙石も大名家で元々は嫡男で(西軍についたからだが)廃嫡されなければ2代藩主

ここらへんは戦うために来たというのが強いからな

202: 人間七七四年 2020/10/29(木) 20:44:34.95 ID:wYUU7+3Y
淀殿は本当に浅井長政の子なのか?浅井家の記録には一切出て来ず、お初からの記録とのこと。お市が長政と婚姻したのが20歳を過ぎてのことで、その時代にしては遅い。このことから茶々は市の連れ子だったのではないかとの説もある。
お市は一度誰かと婚姻したが、夫が戦死し婚家が消滅してしまい、織田に戻っていたのかもしれない。でなければ再婚相手の家に連れ子はしない。
また、三姉妹の腹違いの兄だか弟(長政の男児)が、寺に預かりの口添えしたのもお初であり茶々ではない。これらのことから、やはり茶々は長政の子ではない可能性があると思っている。

203: 人間七七四年 2020/11/02(月) 14:27:22.87 ID:XNdkU2HI
>>202
たしかにお初は長女につける名前なので、茶々は長政の子ではない可能性は高いですね

204: 人間七七四年 2020/11/03(火) 10:36:58.17 ID:bkB8525D
お市クラスで再婚かどうか知られてないとかありえるのかね?
いくら織田家等奥向きの事は分かりにくいとはいえ

206: 人間七七四年 2020/11/03(火) 17:47:10.95 ID:vCt9dKjK
お市は信長の従妹であり実の姉妹かどうかははっきりしないとの説あり。
姪を城主の娘として嫁がせることなどざらにあったことだし、あり得ると思う。
もっともあり得ない話しかもしれないが、茶々は信長とお市の子どもであってもおかしくはない。ただしその場合は、連れ子として浅井家には行かず、織田家での養育となるだろうから、やっぱり違うか。
また、浅井家の菩提寺である徳勝寺には三姉妹のうち茶々の位牌だけがない。
少なくとも浅井の娘ではないかもしれない。

引用元: ・淀の方を再評価しよう PART3~官兵衛の宿敵?