1: ラノ・ボラー ◆r9ng5gHO5Y 05/02/09 01:26:29 0
メリナ王国史掘り下げたいボラ。 
あの国は立派に近代化できる可能性あったと思うボラ。            
どのへんでこけたか知りたいボラ。






メリナ王国は、16世紀ごろに成立し、19世紀末にフランス植民地帝国に併合される形で消滅したマダガスカルの内陸、中央高地の君主制国家である。19世紀後半に口頭伝承を書き留めて作られた年代記によると、天から降りてきた神、アンヂアネリネリナがメリナ王国の始祖である。同年代記では、その孫、アンヂアナンプンガ1世が初代メリナ王とされる。





2: ラノ・ボラー ◆r9ng5gHO5Y 05/02/09 01:29:38 0
個人的にはラダマ2世と3世の時代に原因があると思うボラ。  

19世紀後半

1861年にラナヴァルナ1世が亡くなると、晩年の女王を補佐していた息子のラクトゥ王子がラダマ2世として即位した。ラダマ2世は「メナマソ menamaso」あるいは「赤目」という自分の取り巻きたちと常に一緒に行動し、1863年5月に争いごとを解決するのに「決闘」を用いることを法制化しようとした。ライニヴニナヒチニウニ首相が金曜市でのその法律の発布をためらっているうちに、ライニライアリヴニに率いられた軍隊が宮殿を包囲し、11人の「赤目」たちの引き渡しを王に要求。しかし引き渡された「赤目」たちは全て殺害されたうえ、その後貴族層の軍士官らのグループが宮殿に押し入ってラダマ2世を絞首により暗殺した。

ラダマ2世は王子時代に、フランスの商人ランベールに対してマダガスカルにおける権益を認める特許を発行していた。メリナ王国は1863年にロンドンとパリへ使節を送り、多額の補償金を支払って不平等な特許を取り消した。しかしフランスは、「ラボルドの遺産問題」などを口実にメリナ王国への圧力を強めた。1860年代から1880年代のメリナ王国は、ライニライアリヴニ首相のイニシアチブの下、殖産興業と富国強兵に努め、外交によりイギリスとフランスを競合させることにより主権を保つことに腐心した。しかしながら、イギリスにとって、スエズ運河開通後のマダガスカルの戦略的重要性は年々低下していった。




3: 世界@名無史さん 05/02/09 01:50:47 0
まぁ~あそこはマレー系の住民が移住して作られた国だ氏ね。

4: ラノ・ボラー ◆r9ng5gHO5Y 05/02/09 02:03:37 0
>>3
アフリカ系もいるし多彩ボラ。 
日本と似てるボラ。             

45: 世界@名無史さん 05/02/12 14:55:48 0
>ラノ・ボラー ◆r9ng5gHO5Y

ラダマ2世と3世とかラナヴァロナ2世とかその辺のネタくれよ

49: ラノ・ボラー ◆r9ng5gHO5Y 05/02/12 21:46:55 0
1810年、アンドリアナンプイニメリナが死亡。後を継いだ王子のラダマ1世はイギリス領モーリシャスのファーカー総督の支援を受け国内全土征服に乗り出し、順調に伸展し始めた頃この世を去った。後継者となったラダマ1世の妻、ラナヴァルナ1世の時代にマダガスカルにやってきたフランス人、ジャン・ラボルドはマダガスカルにいろいろな西洋技術を伝え、女王のためにアンタナナリボに宮殿を建てた。
ラナヴァルナ1世の後を継いだ王子のラダマ2世はヨーロッパに対して完全な門戸開放をしたため、ヨーロッパ勢力の拡大に危機感を抱いていた権力者グループに暗殺された。政権は権力者グループの内、3人の女王と次々と結婚したライニライアリヴニに移ったが、フランスとの紛争は絶えることなく、1896年、遂にマダガスカルはフランスの植民地となった。  
  

50: ラノ・ボラー ◆r9ng5gHO5Y 05/02/12 21:49:00 0
>ラナヴァルナ1世の後を継いだ王子のラダマ2世はヨーロッパに対して完全な門戸開放をしたため、ヨーロッパ勢力の拡大に危機感を抱いていた権力者グループに暗殺された。

個人的にはここがまずかったと思うボラ。  

56: 世界@名無史さん 05/02/20 21:16:40 0
19世紀半ばにイメリナ王国の宰相の地位につき、その実権を握ったライニライアリヴニ(Rainilaiarivony)は、そのような国内外の情勢に鑑みながらイメリナ王国を「進歩した国」にするために、ラナヴァルナ二世が即位した
1868年に『101条法典』を女王の名前で布告した。
この法典は、女王による<演説>によって布告されたのみならず、アンタナナリヴのロンドン宣教協会の印刷所で印刷されて配布され、マダガスカルで最初の成文法典となった。この法典とそれまでの口頭による慣習法との相違点は、キリスト教団体の要求を受け入れて死刑に相当する違反行為の数を減らし、連帯責任もしくは累犯による本人以外の処罰の概念を廃止したことであった。
しかしながら、19世紀半ば以降イメリナ王国を取り巻くその後の国内および国外の処理事項や問題の増大と複雑化は、もはや宰相とその側近による個人的対応や努力の枠を超え、国家そのものとしての機構の整備が必要であった。
その要求に応えるべく内務省・外務省・陸軍省・司法省・商務産業省・財務省・教育省・立法府の省庁制を導入し、また『101条法典』よりもさらに厳罰主義を軽減し、刑法と民法条項を中心に詳細化したのが、1881年に布告された『305条法典』である。

ttp://www3.aa.tufs.ac.jp/~nfuka/materials/book3/index.html


結構近代化に向けて頑張ってたんだね、マダガスカル。
タイのようにそれが成功しなかったのは、なんでだろう。

59: 世界@名無史さん 05/02/21 10:08:13 0
1880年にイメリナ王国内において義務教育制度が施行され、1894年時点で16万人の学校生徒を擁するまでに至った。

1890 英仏の合意でマダガスカルはフランス勢力圏に

1895年イメリナ王国は露骨な領有化の意図の許に仕掛けられた軍事侵攻の前に敗北し、翌年にはマダガスカル全島のフランス併合が国会で議決された。

1896年9月にマダガスカルに着任したガリエニ総督は、当初いわゆる「人種政策」を導入し、1897年2月28日にイメリナ女王を島外に追放してイメリナ王国を滅ぼし、またメリナ族の人々と対立ないし敵対していた民族やその支配層を国内保護領や現地行政官の形で優遇した。

↑は>>56のサイトその他から拾った文章。
1881年の法典発布から1895年の軍事侵攻までの間に、何があったんだろう。
ここがキモなような気がする・・・

8: 世界@名無史さん 05/02/09 11:05:34 0
エメラルドのゴールドラッシュ
されど、スリランカやタイの商人が稼いでいる

12: 世界@名無史さん 05/02/09 13:23:51 0
マダガスカルの住民はね、大半はアジアから移民してきた人間の子孫。
だから主食は米。
この島に住んでいる黒人は、貿易していたアラブ人が連れてきた使用人の子孫。

13: 世界@名無史さん 05/02/09 13:33:54 0
メリナ王国の支配民族はマレー系だが先住民としてアフリカ系がすでに存在していたとする説やマレー系のマダガスカル寄航が10世紀前後という説もある。

14: 世界@名無史さん 05/02/09 13:36:48 0
なおマレー系=イスラムのイメージが強いが、島内人口のムスリムは10%を切っている。多く見積もっても5%前後だといわれている。
宗教勢力を二分するのはフランスが持ち込んだカトリックとアミニズム信仰である。

15: 世界@名無史さん 05/02/09 13:37:31 0
マダガスカルにはバオバブの樹が11種類もある。
本家のアフリカには、数種類しかないのに。

17: 世界@名無史さん 05/02/09 13:44:50 0
バオバブの種類が多様化を保持しているのはアフリカ本土と隔絶しているせいもある。 
同時にマダガスカルはアフリカプレートの一部が分離された島では無いことも関係している。 
ゆえに固有種が多く生まれているしアフリカには一部の高山の中腹にしか群生していない竹の群生域が確認されている。

16: 世界@名無史さん 05/02/09 13:42:15 0
島内は一般に貧しい。フランス統治に起原を有するプランテーションが奴隷海岸に点在するフランス系の弱小国同様にフランス系の人々が経営し、商品作物をつくって輸出している。国籍は例のごとくフランス系やスイス国籍のフランス系が経営している。
就学制度もほぼフランスの手法を導入しているうえ、先年も政情不安定だった時期に2人の大統領が並立する事態となったが、ケニアでフランスからマダガスカルに行く途中の外人部隊が当局に確保された事件が起こっている。


18: 世界@名無史さん 05/02/09 14:09:26 0
大きな島だよねぇ…(´・エ・`)

でも、めぼしい産業ないよね。
エメラルドも、掘りつくされないか心配

32: 世界@名無史さん 05/02/11 06:51:31 0
>>18
サファイアじゃなかったっけか?

66: 世界@名無史さん 05/02/22 22:19:15 0
>>32
サファイア(青)とルビー(赤)とエメラルド(緑)は同じ宝石。
色が違うだけ。

68: 世界@名無史さん 05/02/22 23:02:56 0
>>66
サファイアとルビーは同じコランダム(鋼玉)だけど、エメラルドはベリル(緑柱石)で
アクアマリンと同じ鉱石。

19: 世界@名無史さん 05/02/09 14:11:01 0
マダガスカルには「インドリ」という名の白黒の原始的な大変珍しいサルがいる。

375px-Indri_indri_001


ある探検家が、森の中に分け入った際、突然案内人が「インドリ、インドリ!」と叫んでこのサルを指さした。
探検家はこのサルの名が「インドリ」というのだと思い、そのまま命名した。

実は、「インドリ」とは現地の言葉で「見て!」という意味なのであった。

21: 世界@名無史さん 05/02/09 14:32:03 0
メリナ王国は固有文字をもっておらず、統治には演説をもって行う伝統があった。
当初メリナ方言をアラビア文字で表記しようと試みたが、発音が難しく、平易に表記できないためにフランスが征服以前に持ち込んだアルファベット式が主流になった。

23: ラノ・ボラー ◆r9ng5gHO5Y 05/02/10 08:33:29 0
バオバブだけじゃなくて原猿類も多いボラね。 
ベローシファカとアイアイが有名ボラ。   

25: 世界@名無史さん 05/02/10 19:06:54 O
マダガスカルの珍しい風習に、死者を埋葬して後、農閑期に墓を再び掘り起こして死者と共に数日の宴を賑やかに開き、死者の魂との交流を図った後に、新たな衣を着せて埋め戻す祭礼「ファマディハナ」があるが、同様の風習が、インドネシアのスラウェシ島に現在も伝わっているとのこと。


・・・ちなみにマダガスカルの国名の由来は、マルコポーロが「東方見聞録」に、ソマリアのモガディシュを聞き違えてマデガスカルと誤記、さらに1500年にこの島にやって来たポルトガル人が、見聞録のマデガスカルと誤認してマダガスカルと命名した、という話。いやはや。

31: 世界@名無史さん 05/02/10 20:07:38 0
>>25
沖縄にも、お墓の蓋を開けて、お盆に遺骨を洗い、お彼岸にはお墓の前庭で宴会をするという習慣があるが……

27: 世界@名無史さん 05/02/10 19:17:54 0
シーラカンスが発見されたのはマダガスカル沖じゃなかった?

28: 世界@名無史さん 05/02/10 19:19:20 0
近いけどコモロ沖だね。

26: 世界@名無史さん 05/02/10 19:10:48 0
マダガスカル人の「自称」はまったく異なるのか?
フィンランドのスオミIやジャパンの日本や朝鮮人のウリナラみたいに

30: 世界@名無史さん 05/02/10 19:53:41 O
マダガスカルは周知のように、アジア系アフリカ系アラブ系、東西南北、沿岸部に中央高地と、人種・地域で部族分立が甚だしく、さらに、日本の1.15倍の面積の国土に、鉄道は総延長800キロ余りに過ぎず、都市部を除くと殆んど未舗装の道路は雨季には泥沼と化し、他地域との積極的な交流が進みづらい国情のためか、全島的な国民意識よりも、各地域部族への帰属意識の方が古来強く、国家と国民の自称は、もしかするとヨーロッパ人がマダカスカルと(勝手に)命名する以前には存在しなかった可能性さえある。

現在でもマダガスカル人は、我が国ではなく我等の島、国民ではなく島の人々、という表現を好んで使うらしいので、かの地では島という単語そのものが、我が国のニッポンに相当した表現なのかも。

31: 世界@名無史さん 05/02/10 20:07:38 0
>>30
真っ黒けでチリチリ頭のアフリカ顔の人から、東南アジア人の風体をした人から、インド人かアラビア人みたいな容貌の人からいろいろ居るけれども、それ自体は対立の根元ではない。人種特徴はバラバラでも、言語・習俗は一様で差異が少ない。
部族抗争は、後進国によくある、血縁・地縁による利益誘導。

ついでに、ヨーロッパ人到達前の統一国家はメリナ王朝。日本だってしばらく国の自称なんてなくて、統一した部族の呼称である「やまと」が国号だったろ。

36: 世界@名無史さん 05/02/12 02:07:13 0
金属器文化は東南アジアから持ってきてはこなかったんでしょうか?
向こうを出発した時代には既にあった記憶が。

37: 世界@名無史さん 05/02/12 02:48:09 0
第一波が7世紀、最大の波が14世紀。
その間も断続的に人の往来があったし、東南アジアのマレー人がイスラム化したのも、スンダ諸島~インド~アラビアの航路を往来していたから。

43: 世界@名無史さん 05/02/12 14:13:18 0
東南アジアから持ってきた作物はコメだけ?
ココナツやイモ類も持ってきたのかな。
あと家畜は連れてきたのだろうか・・・

44: 世界@名無史さん 05/02/12 14:19:07 0
鄭和の大航海じゃないのだから無理だろ。

46: 世界@名無史さん 05/02/12 16:08:56 0
>>44
でも先史オセアニア人はポリネシアまでブタとタロイモを広めたし。
ミクロネシアには稲作社会も築かれてたから不可能ではないかも。

47: 世界@名無史さん 05/02/12 16:13:19 0
それは有名だけど海の藻屑になる確率がけた違いだろうと思う。
そもそもポリネシアとマダガスカじゃあ島の規模が違いすぎというか日本より大きいんですぜ?
わざわざ豚を持ち込むメリットがみあたらないのだが。

38: 世界@名無史さん 05/02/12 09:56:05 0
マダガスカルの絶滅動物と言えば、ロック鳥のモデルと言われるエピオルニスが有名ですが、キツネザルの一種でゴリラほどの大きさだったメガラダピスなんかもいますね。
欧州人が来た頃には、既に現地人の間でも伝説的な存在で、15世紀頃に絶滅していたらしいですけど。

41: 世界@名無史さん 05/02/12 12:08:35 0
マダガスガル島の動植物がアフリカ大陸のそれと異なることからマダガスカルは失われた大陸の一部という説を目にしたことがある
ここらだったらレムリアだっけ?

42: 世界@名無史さん 05/02/12 12:12:06 0
生物区上はアフリカ大陸とは別の「マダガスカル区」ですな。
レムール=キツネザルがマダガスカル独特なせいで登場した説だったかと。

55: とてた ◆0Ot7ihccMU 05/02/19 11:29:34 0
アタオコロイノナ(うろ覚え)の伝説は本当に伝わっているのでしょうか。

アタオコロイノナは、マダガスカル島の南西部に伝えられる、とされる神話の神である。名前は現地の言葉で「なんだか変てこりんな物」を意味する。

従来は北杜夫の著作以外の登場が無いこと、日本で刊行された多くの研究者のフィールドワークの報告や様々な神話集・伝承集などに一切記述が無いことなどから、実際は北杜夫の創作した神であると考えられてきた。

これに対し元東邦大学薬学部非常勤講師の長谷川亮一[6]は、Googleブック検索で “Ataokoloinona” を検索してみたところ、北杜夫が『どくとるマンボウ昆虫記』で紹介したものとほぼ同じ内容の話を南西マダガスカルにつたわる神話として記載した英語の文献を見つけることができたため、アタオコロイノナの伝承は北杜夫の創作ではないだろうと結論付けている。

ただし、長谷川自身も「オリジナルの記録にまで遡っているわけではないので、マダガスカルに本当にそういう伝承が存在するのかまでは確定できていません(可能性としては低いと思いますが、最初の報告の段階で嘘もしくは誤りが含まれている可能性もあるので)。」と述べており、この点に関しては今後の研究の進展が待たれる部分である。


57: 世界@名無史さん 05/02/20 21:37:41 0
>>55
イスラムやフランスとの接触によって文字が伝来するまで口頭伝承しかなかったそうなんだから信憑するしかないと思う。
そもそも一次資料たりえる文物がかの島以外に残っているのだろうかと。

64: とてた ◆0Ot7ihccMU 05/02/21 22:46:58 0
>>57
いえ、ソースがDrマンボウですから…。

フランス植民地って、イギリスよりも強権的なんですよね…。
マダガスカルだけじゃなく、タヒチあたりも王朝に難癖つけてましたし。

75: 世界@名無史さん 05/03/06 18:49:04 0
マダガスカル島民自らアフリカ大陸や他の島へ出向いたことはあったのでしょうか?

76: 世界@名無史さん 05/03/07 18:08:18 0
古来マレー人には奴隷狩の習慣があって、域外から船員やら農耕やら家内工業などの働き手をヨソからさらってきていた。同系のモン人とかタガログ人ばかりではなく、フローレスや西イリアンからもおよそ形相の違う人をさらってきている。
「奴隷」といってもヨーロッパ人のやるような強制労働ではなく、人手不足を解消するために連れてきて、次の代にはさらってきた側と同権になるというようなもの。

で、同じことをマダガスカルに来てからもやったんではないかと思われるところがある。
牛やなんかを対岸に買いに行ったついでに、牛飼もさらってきた形跡がある。牛はアフリカとよく似た大角牛で、牛に関する語彙にはモザンビークのあたりと共通のものが多い。

77: 世界@名無史さん 05/03/08 10:45:10 0
モザンビークとの海峡って予想より狭かった
孤島かと思ってたけどそうでもないみたい
地図に騙された

86: 世界@名無史さん 05/03/11 19:15:09 O
マダガスカル-韓国 関係史

1988年
マダガスカルがソウル五輪をボイコット!

以上

87: 世界@名無史さん 05/03/12 15:27:14 0
なんか北朝鮮と非常に仲がよろしいらしいからそのせいでしょう

90: 世界@名無史さん 05/03/17 19:44:54 0
昔の独裁者が個人的に仲よかったんじゃなかった?
カンボジアのシアヌークみたいに。

91: 世界@名無史さん 05/03/17 19:46:36 0
ドキュソで知られたマダガスカルの独裁者ラチラカ大統領。こいつは北朝鮮を訪問して、金日成におねだりして、国会や競技場を作ってもらった。その後、ラチラカは韓国と国交を結び、北朝鮮と手を切ったが、金日成は鷹揚さを見せるためか、報復措置をとくに取らなかったという。

97: 世界@名無史さん 2005/03/26(土) 01:47:50 0
マダガスカルと日本の関係史と言えば、1942年5月30日に行われた特殊潜航艇二艇によるディエゴ・スアレス軍港攻撃。戦艦ラミリーズ大破、油送船ブリテッイシュ・ロイヤルティー号を撃沈した。
だが、母艦との会合に失敗した岩瀬少尉ら4名はマダガスカル島に上陸、英軍と壮絶な戦闘の末戦死した。ベタヘタとディエゴ・ガルシアには彼らの慰霊碑がある。
詳細と慰霊碑写真↓
ttp://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/4yuusi.html

メリナ王国とは関係ないけど基本だボラ。
 
   

111: ラノ・ボラー ◆r9ng5gHO5Y エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 23:29:53 0
文字がなかったのは決定的ボラね。
あれがないと文明の進歩が行きづまるボラ。           


112: 世界@名無史さん エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 23:41:54 0
ムスリムとの接触は早かったんですよね。
アラビア文字でも表記に応用できたかも。

113: ラノ・ボラー ◆r9ng5gHO5Y エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 23:56:51 0
>>112
そうボラね。 
マダガスカル語の語感にアラビア文字は合ったと思うボラ。     

115: 世界@名無史さん 2005/04/06(水) 00:41:50 0
同じマレー系国家でもマレーシアはいい線言ってるのにね。

129: 世界@名無史さん 2005/05/04(水) 00:05:20 0
バルチック艦隊はここで補給したんだよな。

142: 世界@名無史さん 2005/07/07(木) 14:32:01 0
「ラノ・ボラー」の名の由来は何?
メリナの王の名かな?

146: 世界@名無史さん 2005/07/11(月) 22:51:29 0
>>142
マダガスカルの飲み物にラノボラというのがあるらしい。
マダガスカル人が成人すると名前の頭に『ラ』をつける習慣があるのとの関係は不明。

引用元: ・マダガスカルの歴史について語るスレ