1: 世界@名無史さん 2019/02/12(火) 14:44:55.59 0
古今東西、食文化の歴史について語りましょう。








639: 世界@名無史さん 2019/03/20(水) 00:36:24.89 0
興味深いことに大日本帝国時代に西表島に入植した開拓団がいくつもあるのだが、その中で当時日本領だった台湾出身の開拓団だけマラリアで全滅せずに生存率が高かったらしい。

どうも、ブタやアヒルを飼って動物性タンパク質を十分摂取し、ネギやショウガといった免疫力を高める薬効を持った香辛料を多用する食文化が効いていたらしい。

640: 世界@名無史さん 2019/03/20(水) 00:56:28.17 0
>>639
豚やアヒルにネギ生姜って沖縄人の一般的な食生活と何ら変わらんやん

641: 世界@名無史さん 2019/03/20(水) 01:17:46.13 0
>>640
俺も読んだときにそれが気になったんだが、戦前の一般的な八重山の人たちの食生活と台湾の福建系の人たちの食生活で、動物性タンパク質などの摂取量に大きな差があったのだろうか。

642: 世界@名無史さん 2019/03/20(水) 02:26:43.66 0
基礎体力が高くて、免疫力も高かったのかな?
あと、先天的にマラリアに対しての抵抗力があった、とか。

644: 世界@名無史さん 2019/03/20(水) 09:40:58.54 0
熱帯にいくほど、マラリアに感染しても発症しないタイプが増えるっていうね
沖縄と台湾にちょっとした差があるのかしら

645: 世界@名無史さん 2019/03/20(水) 13:47:26.00 0
八重山諸島のマラリアは在地のものではなく、大航海時代に南蛮船が持ちこんだものらしい

647: 世界@名無史さん 2019/03/20(水) 17:11:31.68 O
沖縄って米飯が不味い
岩手は米飯が美味かった
寒い方が米は美味いのか?

701: 世界@名無史さん 2019/03/22(金) 10:07:21.20 0
北方の日本列島で穀物祭祀の中心に稲が採用され、南方の台湾先住民の穀物祭祀の中心に粟が採用されている。

これ、完全に大陸側の分布とは入れ替わった逆転現象なんだよね。

ちなみに、弥生時代開始に伴って導入された穀物を、以前は稲に偏って注目していたのが、最近は「稲・粟・黍」の三点セットでの導入という視点で見るべきなのでは、という風潮が出てきているのが興味深いね。

弥生土器には大陸の北方畑作地帯の土器の要素が入っているみたいだし、もっと粟や黍を弥生以降の日本の農耕文化に正しく位置付けるべきなんじゃないかと思う。

702: 世界@名無史さん 2019/03/22(金) 12:13:32.69 0
常陸国風土記に


旅をしていた神が富士山に一夜の宿を求めたら、新粟の初嘗、物忌みなので泊められないと断られた
次に筑波山に宿を求めたら、新粟の初嘗だがお泊めしましょう、と受け入れられた
だから富士は氷に覆われ今でも人が寄り付かず、筑波山は歌垣で人々が集う山となった

なんていう話が載ってる。
新粟の初嘗は「わせのにいなへ」と訓が振られているが、稲の新嘗祭ではなくアワの新嘗祭が古代には存在し、それは物忌みを伴うものであったことが解る。

703: 世界@名無史さん 2019/03/22(金) 12:37:17.17 0
そういえば、消費者運動みたいな形で「雑穀を見直そう」的な運動の書籍を読んだときに、農家に依頼して雑穀生産を復活させるときに、宮内庁が新嘗祭用の稗とか粟を献穀してもらうときに生産者に渡す栽培法マニュアルを参考にしたってことを書いてあったな。

つまり、マスコミでは宮中で新嘗祭をやるときの稲の献穀が今年はどこだったとかしか報じていないが、実は五穀全部を陛下が召し上がっていて、どこかの県かに依頼して稗とか粟とかも献穀してもらってるってことだ。

704: 世界@名無史さん 2019/03/22(金) 13:14:54.12 0
>>703
皇室行事のおかげで文化が失われず済んでるのって多いな
伊勢神宮の建築技法とか、宮中で使う儀式用の工芸品とか

706: 世界@名無史さん 2019/03/22(金) 14:23:32.57 0
残っていないかな?と思うもの。

「延喜式」に記された楡(ニレ)の樹皮の粉を使った「楡木(ニレギ)」という名の漬物。
ぬか漬けの原型とも言われる。

709: 世界@名無史さん 2019/03/23(土) 12:40:01.01 0
なんで楡の皮なんてマニアックなものを漬物に使うのか。
糠漬けの先祖と言うなら、米ぬかの方がよっぽど手に入りやすいだろうに

710: 世界@名無史さん 2019/03/23(土) 12:47:07.13 0
米糠の糠漬けが作られるようになったのは江戸時代に入ってかららしい
江戸時代に入って白米が大量生産されるようになるまでは、精米しないからそもそも糠が大量に余ることが無かったんだとか
たまたま昨日読んで知った知識の受け売りだ

711: 世界@名無史さん 2019/03/23(土) 13:26:26.11 0
じゃあ当時は庶民はともかく、貴族までも玄米食だったのかな?

712: 世界@名無史さん 2019/03/23(土) 13:37:03.23 0
人間はもともと精白いた穀物などという栄養の偏ったものを食べて生きられる様にはできていないとつくづく思う

714: 世界@名無史さん 2019/03/23(土) 14:26:53.28 0
麦飯の文化は意外と少ないのね
日本と朝鮮くらいとか
大麦をサラダ感覚で食べる文化は欧州にあるみたいだけど

717: 世界@名無史さん 2019/03/23(土) 16:02:43.62 0
>>714
大麦の粥なんてヨーロッパ中にあるじゃないか。
あまり美味しくないものという認識は共通していて、ローマ時代は懲罰中の人に給付する食事がパンの代わりに大麦の粥、メソポタミアもエジプトも先に大麦が栽培されて食べ方は挽割にして粥、小麦を練ったパンができるようになると、主食交代。
スラブ圏では今もよく食べられている。

日本の飯のようなのは別段特殊なものではなくて、水分を完全に飛ばした粥に過ぎないでよ。

718: 世界@名無史さん 2019/03/23(土) 16:28:27.36 0
>>717
それは粉状に挽いたものを粥にしたものではなくて?
粒で食すのも欧州にあると?

722: 世界@名無史さん 2019/03/23(土) 16:55:46.64 0
>>718
だから普通のブルグル買ってみ?粒を軽く砕いただけだから。粉なんてとんでもない。
小麦の性質上、砕かないと籾殻を取りにくいという事情もあるけど。

東アジア・東南アジア系の穀物粒食が、粒の形を強く残すものが多いのは、穀物粒を(煮るのではなく)蒸すという、世界的にはわりと珍しい伝統があったから。
大和民族式の「ご飯」は炊き蒸しとも言われるけど、これは水を少なめに煮ることで、「蒸した状態を簡易に再現する」調理法。

726: 世界@名無史さん 2019/03/23(土) 21:17:39.03 0
>>722
東南アジアのお米は基本的に大量の水で湯がいてから水を捨てるもんやで
これやったら欧米の粥とそんなに変わらんと思う

731: 世界@名無史さん 2019/03/24(日) 06:10:45.07 0
>>726
日本も織豊期までそうだったろ。ゆでて、ザルに上げて、櫃で蒸らす。
舌切り雀がつまみ食いしたのも、そういうザルで水切りしている段階の飯。ゆで汁は洗濯糊に再利用。

一部、茶の湯とか禅寺とか伊勢・熊野の巡礼宿とかには長く残ったが、食糧困窮から捨てるゆで汁分ケチって炊き干し法に移行して今に至る。

732: 世界@名無史さん 2019/03/24(日) 08:18:17.10 O
>>731
舌切り雀が喰ったのは洗濯糊の方だろ。

723: 世界@名無史さん 2019/03/23(土) 17:39:54.62 0
甑なんて、本当に、蒸してたのかなあ?
ゆでて、引き上げて、水切りしてただけではないんかい?

試しに粳米蒸してみろよ。食べられたものではないよ。

727: 世界@名無史さん 2019/03/24(日) 00:19:19.38 0
湯取り飯を炊くには、まず大量の湯を沸かしてから米を「茹でる」
火が通りかけたら、茹で汁を捨てる。
麺をゆでるのと大して変りないな。
それから蒸して保温する。

だから事情を良く知らない人が「米を蒸しただけの飯」と勘違いする

728: 世界@名無史さん 2019/03/24(日) 00:42:57.56 0
東南アジアでも山岳地帯だと糯米(もちごめ)圏が広がっているよね。

その辺だと蒸したおこわが日常食になっている。

733: 世界@名無史さん 2019/03/24(日) 09:49:41.93 0
もしかすると、タイにおけるタクシン派支持派とアンチタクシン派の政争というのは、「山岳地帯糯米食文化圏」と「平地長粒粳米食文化圏」の争いになるんか?

でも、田舎で糯米のおこわばかり食ってたのが、出稼ぎでバンコク辺りに出てきて長粒米の湯取り炊きばかりの食生活になると、パサパサして嫌にならんのかな。

737: 世界@名無史さん 2019/03/24(日) 10:15:59.15 0
>>733
おいおいめちゃくちゃなこと言うなよ
タイで糯米がメインになってるなのはイサーンの方だけやで
同じ山岳部でも北タイでは普通の粳米の方がメイン
とはいえバンコクでもそこらの揚げ物の屋台では必ず袋に入った糯米を10バーツで売ってるからイサーン人も困ることは無いよ
イーサーンまたはイサーン (ภาคอีสาน、ພາກອີສານ) は、タイ王国の地方の一つ。「イーサーン」とは単に「東北」を指すタイ語の一般名詞であるが、通常「イーサーン」といえばタイの東北部のこととして理解される。


742: 世界@名無史さん 2019/03/24(日) 10:39:53.82 0
>>737
へぇ、イサーン人も糯米食うのに困らないぐらいに流通しているんだ。

738: 世界@名無史さん 2019/03/24(日) 10:23:03.03 0
イサーンと言えば昆虫食
見た目がアレでネックだが昆虫を食べる文化も古くからありそう

740: 世界@名無史さん 2019/03/24(日) 10:35:32.18 0
>>738
信州大学で日本昆虫学会の大会をやった時、学食で開かれた懇親会で「昆虫食コーナー」が設けられて、東南アジアと信州伊那谷の昆虫料理がずらりと並んだぞ。

なかなか美味かったが、昆虫って系統群が離れていても脂の風味が互いに酷似しているのに初めて気が付いた。

ちなみに、信州大学前身の旧制松本高校OBの北杜夫さんが特別ゲストで招かれていて、記念スピーチやってた。
そのちょっと後に亡くなったので、あれが最後の公的な場での活動になったんだろうな。

741: 世界@名無史さん 2019/03/24(日) 10:37:55.39 0
>>738
結局、昆虫食ってのは、小さいのを集めてまわるエネルギーコストと、食べて得られるエネルギー量の損益分岐点が、昆虫食が成立するかの分岐点になるらしい。

753: 世界@名無史さん 2019/03/24(日) 22:02:57.05 0
脱穀の手間を含めても腹が膨れるって点や放っておいても生える強さからして、大麦やえん麦を育てて食べようって考えにたどり着くのは判るけど、粟黍稗っていういくら同じように飢饉に強くて放っておいても生えてくるとはいえ粒が小さくて脱穀って手間が多分米や大麦より大変で、粒を集めても中々腹が膨れる生産量確保出来なさそうな穀物が選ばれたんだろ?
小麦やライ麦みたいにグルテン含まれてるわけでもないから麺やパンにも向かないし

757: 世界@名無史さん 2019/03/24(日) 22:24:54.65 0
>>753
どうも、文化的にこういう小粒の穀類に対する強い嗜好性を持つ文化があるとしか思えないね。

東アジアだとアワ、キビ、ヒエを主として粥にしてきたし、インドだとインドビエやキビを粉にしてチャパティみたいに焼いてきた。
ブラックアフリカだとソルガムやトウジンビエを蕎麦掻みたいなウガリにしてきた。

ここら辺の文化圏で共通しているのが縦杵と搗き臼だね。

767: 世界@名無史さん 2019/03/25(月) 19:17:28.20 0
埼玉や山梨は小麦粉文化だよね
おだら、にぼと、ほうとう、とか

768: 世界@名無史さん 2019/03/25(月) 22:47:58.52 0
年間降水量1200mm未満の地域では小麦粉文化が発展しやすいのかな
西だとそうめん・讃岐うどん
香川の対岸で同様に雨の少ない岡山でも、あまり知られていないけど伝統のそうめんづくりがある
http://www.seifun.or.jp/wadai/syokubunka/syokubunnka-07.10.html

771: 世界@名無史さん 2019/03/25(月) 22:55:41.91 0
武蔵野台地では、谷地のリン酸欠乏が後々まで尾を引いていて、台地の上での小麦作がずっと主流だった。とりわけ用水が引かれてからは高台の小麦作が安定する。
まあ、関東平野ぐらいの降水量があれば、小麦だったらドライファーミングで問題ないけどな。
平時にはすいとん、ハレの日にはうどんという食文化が発達する。
山梨はちょっと事情が違ってて、郡内地方は冷涼過ぎて稲作が難しいので、小麦文化が発展した。

国中のほうとうは正直謎。甲府盆地は、日本住血吸虫の恐怖に怯えながら稲作を行う地域で、夏はクソがつくほど暑く、周囲の山岳から豊富な水が流れて水利も良いので、水稲が育つ上では問題がない。
ただし、田んぼに素足で入るともれなく寄生虫に感染してしまう(今は根絶したけどね)

784: 世界@名無史さん 2019/03/26(火) 11:18:48.85 0
>>771
それって結構遅い時代だよね?
小麦のような、冬場~春に水が多量に必要、大麦より寒冷に弱く反収が落ちる、寒冷・水不足が成長の遅れになり収穫が遅れる=稲作と競合が厳しい、製粉に手間がかかり歩留まりが悪い、というものが、食糧事情カツカツの徳川時代で食糧生産で重視されるはず無いしなあ。

機械製粉と春作の小麦の導入される明治以降、全国的に米穀の余剰が深刻になる昭和40年代までの間のことで、別段長い伝統でもないだろう。

795: 世界@名無史さん 2019/03/26(火) 20:35:11.72 0
>>784
関東西部で小麦食が広まったのは確かに江戸期だが、これは、日本において、なぜか石臼の普及が異常に遅れたという事情に尽きる。
>>784の挙げるほかの事情はまったく違う。

降水量に関しては、関東平野なら余裕でドライファーミング。現実に畑を見ればわかる。麦畑に水なんて撒かない。
これは、世界史的にも言える。

これが、小麦の原産地(遺伝学的にほぼ確定)の雨温図
https://en.wikipedia.org/wiki/Diyarbak%C4%B1r#Climate

こちらは東京大手町(途中から北の丸)
https://en.wikipedia.org/wiki/Tokyo#Climate

麦の生育期全域を通じて、自生地よりも降水量が多い。蒸散量を考えても多すぎることはあっても少なすぎることはない。

「小麦は湿った土地」というのは、中華の農学書にしつこく書かれているが、それはこんな気候なのに無理に小麦を撒くからだ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Shijiazhuang#Climate

798: 世界@名無史さん 2019/03/26(火) 21:52:45.70 0
>>795
現実問題、日本で秋播の小麦の収穫期が6月2週~3週でなんだよねー。
地中海圏なら5月に入るなり収穫期だ。
なんで1ヶ月半遅れるかというと、12月~2月までの温度不足と乾燥(水不足)。
年間降水量が足りてたところで、小麦の育つ冬季に水が足らなきゃあ、小麦にとっては水は無いのも同じなんだけれど。

ってか原生地の雨温図とか無意味なものを。今の大産地の雨温図持ってこなきゃあ。

801: 世界@名無史さん 2019/03/26(火) 23:04:38.20 0
>>798
無意味も何も、このクルディスタン(トルコ南東部)は、有史以来の大穀倉地帯なんだけどねえ。今でこそ内戦と土壌の疲弊でガタガタになっているが、遠くはローマ帝国ですらよだれを垂らして征服した最重要穀倉地帯。

中東地中海域の小麦作は、本来は標高がやや高い高原地帯で行うものなんだよ。
バビロニアが灼熱の低地の沖積土で一瞬だけチート農耕を行ったが、土地がダメになってからは、小麦作の主力地域はもとに戻った。

その歴史的シリアの1月2月の気候は、関東より寒く、かつ降水量も関東より少ない。
春の気候は、温度的には関東とほぼ同じ。降水量は関東より少ない。
これぐらいの土地が、小麦にとっての本来の故郷。

806: 世界@名無史さん 2019/03/26(火) 23:26:59.08 0
>>801
確か、野生タルホコムギとの交雑で「パンコムギ」が成立したのが、タルホコムギの自生しているカスピ海南岸からアゼルバイジャンにかけてだっけ。

ちょうど、クルディスタンのすぐ裏側だね。

773: 世界@名無史さん 2019/03/26(火) 00:10:12.52 0
降水量といえば今も昔も中国北方の少雨地域では高粱(モロコシ)をよく食べるよね
南方では少ないけど福建省の金門島では例外的に高粱作ってる
内戦時に国民党軍が島内の木を全部切り倒したから水を溜められなくて米を作れなくなったとかいう話を聞いたけど、今思うと眉唾もんやな

現代日本で高粱を作ってる地域はあるのかな
沖縄ではトーナチンとかトゥヌチン=唐の黍っていう名前でお餅の原料にするけど

811: 世界@名無史さん 2019/03/27(水) 14:41:14.66 0
バビロニアといえば、作ってる作物が小麦→大麦→ナツメヤシと段々と塩に強いものに変わっていくんだっけ
灌漑農業は怖いね

812: 世界@名無史さん 2019/03/27(水) 14:44:19.08 0
雨さえ降れば地上の塩分を洗い流してくれる。

だが灌漑が必要な乾燥地域に雨が降れば、もれなく洪水になる

813: 世界@名無史さん 2019/03/27(水) 17:32:43.00 0
かつてのナイル川流域は定期的に洪水が起きてたんだが、それが土壌の塩分を流してくれて、さらに肥沃な土壌を置いて行ってくれたからかなりの長期間農耕が可能だったんだっけ?

814: 世界@名無史さん 2019/03/27(水) 18:10:13.98 0
>>813
アスワンハイダム以前のナイル川で起きていたのは、洪水というより規則的かつ緩やかに起こる増水だな。
メソポタミアのチグリス・ユーフラテス両河川で起こる突発的な洪水とはかなり性格が異なる。

かつてのナイル川流域では、ベイスン灌漑というのが行われていた。
ナイルの増水で水没するエリアの農地一面に、ため池状の土木工事を施しておいて、それを増水にさらす。
すると、水位が低下した後でもしばらく農地に水がたまったままになる。
その間に、上流から運ばれてきた肥沃な土壌が農地に堆積し、地下から上昇してきた塩分が水に溶け込んで洗い流される。
その後で、ため池状の農地の水門を切って水をナイル川に落としたら、作物の種を播く。

このベイスン灌漑のため池状農地のネットワーク単位に地域共同体とか行政単位が発達していて、これを古代エジプト人はセパトと呼び、古代ギリシア人がノモスと翻訳した。
日本の古代エジプト関係の書籍で「州」と呼んでいる単位もそれ。
そして、神々も、この灌漑単位ごとに守り神と神殿組織が存在した。

817: 世界@名無史さん 2019/03/27(水) 23:00:04.07 0
古代エジプトの歴史というのは、セパト(ノモス)が統合されてひとつの王国になるか、それともセパトがおのおの自立した政治勢力となるかの繰り返し。

概ねナイル川の増水期の水位の高い時代には、水位の比較的低い年に湛水する耕地面積が少なくて凶作のセパトに比較的水位が低くても湛水する耕地面積の広いセパトから徴税した穀物をファラオが再分配することで強い求心力を保つことができる。

しかし、ナイル川の増水期の水位が常に低い時代には、水位が低くても湛水する耕地面積の広いセパトから穀物が出ていく一方となり、ファラオによる再分配機構に対する不満が鬱積する。
そうすると、セパトの自治機構が王国中央に反発を強めて自立に傾く。

こうして、
古王国>第一中間期>中王国>第二中間期>新王国>第三中間期>末期王朝
というサイクルが繰り返された。

822: 世界@名無史さん 2019/03/28(木) 15:08:07.39 0
洪水と隣り合わせで怯えないといけないのも微妙だけど

825: 世界@名無史さん 2019/03/28(木) 15:59:18.42 0
洪水と隣り合わせっても、雨期が決まっているからまだ楽なのかもね

830: 世界@名無史さん 2019/03/28(木) 20:17:20.67 0
塩害の話なら、水で洗えば塩は抜けるので、基本的に蒸発量>潅水量な乾燥地帯でしか起きない現象だよ。
上に出ている干拓地にしても東日本大震災で津波被った農地にしても最初は塩類濃度高かったが年を経るごと下がっていき、今は問題となっていない。
例外として震災後地下水の塩分濃度が上がりそれで灌漑した畑地でそれっぽい症状が若干見られる程度。

831: 世界@名無史さん 2019/03/28(木) 20:33:35.60 0
土地の脱塩をするのに、湛水すればいいというのは、塩漬け食品を知ってる農耕民なら誰もが思いつくことだが、(農耕民はほぼ必ず食塩を知ってる。食塩を追加摂取しないと労働できないから。)必ずしもうまくいくわけじゃないんだよな。
乾燥地帯だと水の蒸発量が増えて塩田のような状態になる上に、肝心の淡水を流域で使い回すわけだから、下流の農地などは、「塩を抜いているのか塩漬けにしてるのかわからん状態」になるw

水田稲作の最大の利点は、塩分ガーではなく、土壌を何ヶ月も嫌気状態に持ち込むことにより、土壌中の微生物の繁殖を抑えて連作障害を緩和することにある。

832: 世界@名無史さん 2019/03/28(木) 20:36:44.73 0
まあ、いわゆる塩害のもとの「塩類」は潅がい水に由来するからな。
水が乏しい砂漠や砂漠に近いステップ気候の土壌は別に塩類集積はしていない。

天水の乏しい乾燥地帯なのに、何故か大量の水が利用できる。
そんなエジプト、メソポタミア、インダスなど、大河を活用して農業を行えた地域特有の一種の「文明病」みたいものか。

黄河や長江では塩害が問題視されないのは気温が低くあまり乾燥してないせいか。

841: 世界@名無史さん 2019/03/28(木) 21:56:12.98 0
>>832
集積してるよ。
サハラもゴビもコロラドもカラクムもタクラマカンもルブアルハリもアタカマもナミブもカラハリも塩だらけじゃんよ

845: 世界@名無史さん 2019/03/28(木) 22:30:26.22 0
>>841
砂漠土壌で塩分濃度が高いのは窪地とか塩湖周辺とか局所だけだろ。
そこらはかつて大きな湖だったのが、水の出入を絶たれ、干上がった結果、水分が飛んで塩類を中心とした灰分が残されたもの。理屈としては乾燥農地の集積と同じ。
全体的には、塩類すらろくに含まない砂礫、文字通り無味乾燥な砂漠がほとんどだ。

引用元: ・食物と酒、嗜好品の歴史@世界史板 107皿目