
1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/20(日) 02:19:07 ID:y1ZtxQc4
毛利家に野心があったら?
武田家なんかよりよっぽど可能性があると思うが、どうか。
武田家なんかよりよっぽど可能性があると思うが、どうか。
2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/20(日) 02:22:49 ID:eDRsVSYo
毛利領ってかなり大きく見えるのに石高は少ない。
銀山などで収入には恵まれていたようだが。
銀山などで収入には恵まれていたようだが。
3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/20(日) 02:26:05 ID:8kO/aKtt
元就が早雲みたいな長寿なら面白い
4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/20(日) 03:29:49 ID:U/ZiC8Ds
元就も十分長生きだと思うが。
5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/20(日) 07:37:23 ID:Agsr1R2P
隆元が生きてればなにがしらのアクションはおこせたと思う。
いかんせん輝元がガキすぎて、家のまとまりに不安があった。
いかんせん輝元がガキすぎて、家のまとまりに不安があった。
6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/20(日) 16:32:21 ID:D3UAfcda
秀秋が裏切る前に、南宮山の広家・秀元が家康の背後をつく。
後は秀頼公の守役となりキャスティングボードを握る、天下の№2として生き残る。
後は秀頼公の守役となりキャスティングボードを握る、天下の№2として生き残る。
9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/20(日) 19:09:12 ID:QfthvKK5
>>6
それが一番ベターな毛利の天下だろうね。
一応豊臣摂関家を頂く執権として事実上の武家の棟梁となりしかも元就の遺言に一応そむいていないw。
毛利が天下を望んだんじゃなく豊臣の天下を護持してあと縁戚関係でそれを乗っ取った。
まさに元就好みの天下取り
それが一番ベターな毛利の天下だろうね。
一応豊臣摂関家を頂く執権として事実上の武家の棟梁となりしかも元就の遺言に一応そむいていないw。
毛利が天下を望んだんじゃなく豊臣の天下を護持してあと縁戚関係でそれを乗っ取った。
まさに元就好みの天下取り
12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/20(日) 19:29:33 ID:eDRsVSYo
秀吉を追撃するべきだった。
25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/05(火) 12:46:09 ID:RfVS7tT0
>>12
まったく同感。
追撃すれば羽柴部隊を壊滅できていた。
その後、毛利連合軍が明智軍を殲滅すれ畿内を掌握できたのではないか。
柴田だの徳川だのは敵ではない。
元春・隆景・輝元が元就なみに勇猛果敢であれば羽柴ごとき下賎な輩に臣従せずにすんだのに・・・
まったく同感。
追撃すれば羽柴部隊を壊滅できていた。
その後、毛利連合軍が明智軍を殲滅すれ畿内を掌握できたのではないか。
柴田だの徳川だのは敵ではない。
元春・隆景・輝元が元就なみに勇猛果敢であれば羽柴ごとき下賎な輩に臣従せずにすんだのに・・・
28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/08(金) 01:37:36 ID:fYFxRVqd
>>25
戦線が伸びすぎないか?ソレ
畿内まで進出したとして、ソコに常駐軍を当面は置かねばなるまい
すると本国の守りは?生産は?補給線は?と言うことになる
仮に畿内まで進出しても、撤退するしか道が無い気がする
戦線が伸びすぎないか?ソレ
畿内まで進出したとして、ソコに常駐軍を当面は置かねばなるまい
すると本国の守りは?生産は?補給線は?と言うことになる
仮に畿内まで進出しても、撤退するしか道が無い気がする
15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/23(水) 17:49:13 ID:+tKOnZAb
毛利にとって天下取への一番のチャンスは元就が死んだときだと思う。
その時九州から撤兵しているが、その時点で戦略を東に向けていればと・・・
もともと毛利は地政学的に有利な点が多い。
一、北、西、南と海に囲まれていて攻められにくい。
一、大内、尼子と倒し、残る強敵大友は九州で手一杯。
一、瀬戸内の制海権を握っていて京への距離が実際よりも近い。
その他にも
一、下っ端国人からの成り上がりで、伝統、しがらみが少ない。
一、家中の大物、吉川、小早川が叔父さんで仲良し。
後を継いですぐって訳には行かないだろうけど、両川に支えられながら信長討伐令って言う大義名分をもって東上すれば道中の大名も味方になり3万の大軍で入京。
武田の始動もちょっとだけ早まり織田は美濃まで撤退。
長門、周防、石見、安芸、備後、出雲、隠岐、伯耆、因幡、美作、備中、和泉、河内、山城14国を支配する毛利
元就が余計な遺言残さなければと・・・
その時九州から撤兵しているが、その時点で戦略を東に向けていればと・・・
もともと毛利は地政学的に有利な点が多い。
一、北、西、南と海に囲まれていて攻められにくい。
一、大内、尼子と倒し、残る強敵大友は九州で手一杯。
一、瀬戸内の制海権を握っていて京への距離が実際よりも近い。
その他にも
一、下っ端国人からの成り上がりで、伝統、しがらみが少ない。
一、家中の大物、吉川、小早川が叔父さんで仲良し。
後を継いですぐって訳には行かないだろうけど、両川に支えられながら信長討伐令って言う大義名分をもって東上すれば道中の大名も味方になり3万の大軍で入京。
武田の始動もちょっとだけ早まり織田は美濃まで撤退。
長門、周防、石見、安芸、備後、出雲、隠岐、伯耆、因幡、美作、備中、和泉、河内、山城14国を支配する毛利
元就が余計な遺言残さなければと・・・
16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/27(日) 04:19:38 ID:a8ag/IN6
遺言残してなくても無理だよ。
両川が「輝元は阿呆だからだめだ」
って言ってるから。
両川が「輝元は阿呆だからだめだ」
って言ってるから。
18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/30(水) 17:01:11 ID:ngyQRH/7
隆元が生きてたら自然と天下を掌握しようという段階に踏み込んだんじゃないかな?
まあ九州の方向に固執したら畿内は遠のくと思うけど。
両川が兄に従うという形で、一枚岩の状態なら相当展望は明るかったと思うんだが。
隆元急死で、すべてご破算というかなんというか。
輝元が幼少で、両川が主導権握り始めると本家の力がおちて、内紛という状態になるかもわからんので、元就としては外を向かず外敵にそなえよとの方針だったんではなかろうか。
元就死後外に向かうとなれば、元春か隆景のどっちかが主導的な立場にならざるをおえんだろし、あの二人の性格からして行く先は決裂・分裂って方向は十二分にありえるからな。返す返すも隆元が生きてたらどうなっていたかは気になるなー。
1523年生まれで信玄より二つ上か。信長あたりとも老獪に戦えそうな感じはあるよな。
まあ九州の方向に固執したら畿内は遠のくと思うけど。
両川が兄に従うという形で、一枚岩の状態なら相当展望は明るかったと思うんだが。
隆元急死で、すべてご破算というかなんというか。
輝元が幼少で、両川が主導権握り始めると本家の力がおちて、内紛という状態になるかもわからんので、元就としては外を向かず外敵にそなえよとの方針だったんではなかろうか。
元就死後外に向かうとなれば、元春か隆景のどっちかが主導的な立場にならざるをおえんだろし、あの二人の性格からして行く先は決裂・分裂って方向は十二分にありえるからな。返す返すも隆元が生きてたらどうなっていたかは気になるなー。
1523年生まれで信玄より二つ上か。信長あたりとも老獪に戦えそうな感じはあるよな。
19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/30(水) 17:06:42 ID:fNBpDd2V
隆元・元春・隆景は決して仲が良くないからな。
毛利両川が上手く機能したのは、元就という重石あるいは保護欲をそそられる甥の輝元という存在故だと思う。
むしろ実に良い時期に死んだ。
毛利両川が上手く機能したのは、元就という重石あるいは保護欲をそそられる甥の輝元という存在故だと思う。
むしろ実に良い時期に死んだ。
20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/30(水) 20:55:05 ID:BrD9fWgz
NHK教育でやっていたが毛利家では当主と同等の発言力を家臣も持っていたらしいな
隆元に家臣が「俺たちがお前を持ち上げてるからお前は当主でいられるんだぞ」と言ってる記述が残ってるとか
連判状も横ではなく輪にして書くのが毛利流だそうだ
横だと後先があるが、輪だとそれがない
毛利家では上下関係をなくすため輪の連判状なんだとよ
隆元に家臣が「俺たちがお前を持ち上げてるからお前は当主でいられるんだぞ」と言ってる記述が残ってるとか
連判状も横ではなく輪にして書くのが毛利流だそうだ
横だと後先があるが、輪だとそれがない
毛利家では上下関係をなくすため輪の連判状なんだとよ
22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/30(水) 21:01:45 ID:J/x9dh+G
>>20
元就時代は土豪小大名の連合体以外の何者でもないからな>毛利家
それが急速な拡大も可能にしたし、逆に成長の限界も作ってしまった。
元就時代は土豪小大名の連合体以外の何者でもないからな>毛利家
それが急速な拡大も可能にしたし、逆に成長の限界も作ってしまった。
26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/07(木) 02:43:46 ID:kv9OBpxh
>>22
まずその連合体を解消して、織田家のように毛利家を頂点にした形にしなければ、話は進まないんじゃ?
まずその連合体を解消して、織田家のように毛利家を頂点にした形にしなければ、話は進まないんじゃ?
23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/31(木) 10:44:08 ID:sBSHaRmm
>>20>>22
その弱点を補うには関が原戦後の処分おまたないといけなかったんだな。
毛利に“東海筋の徳川の関東移封”に匹敵するものがあればよかったわけだ。
となると秀吉からの輝元への九州移封の打診をうけていればよかったんだな。
まんざら悪い話でもなかったわけだし。
石見と長門周防をそのままで九州の筑前筑後豊前豊後と四国の伊予を中国筋に代わりに宛がうってんだから瀬戸内の制海権と石見をそのまま交易の要衝筑前とかを手に出来て、しかも近世的大名への脱皮も、大規模移封にともなう再編で可能になったわけだし。
そもそも小早川隆景が秀秋を養子に受け入れざるを得なかった理由が毛利一族の九州移封を阻止したためのやむをえない政治的譲歩だったともいうし・・
この話を受けていれば小早川家の当主も秀包となってたろうし・・
その弱点を補うには関が原戦後の処分おまたないといけなかったんだな。
毛利に“東海筋の徳川の関東移封”に匹敵するものがあればよかったわけだ。
となると秀吉からの輝元への九州移封の打診をうけていればよかったんだな。
まんざら悪い話でもなかったわけだし。
石見と長門周防をそのままで九州の筑前筑後豊前豊後と四国の伊予を中国筋に代わりに宛がうってんだから瀬戸内の制海権と石見をそのまま交易の要衝筑前とかを手に出来て、しかも近世的大名への脱皮も、大規模移封にともなう再編で可能になったわけだし。
そもそも小早川隆景が秀秋を養子に受け入れざるを得なかった理由が毛利一族の九州移封を阻止したためのやむをえない政治的譲歩だったともいうし・・
この話を受けていれば小早川家の当主も秀包となってたろうし・・
32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/02(月) 13:29:22 ID:zYhOVBKj
あの広大な領地をもって、「これ以上拡大するな」
なんて考え甘すぎじゃないか。
まあ成功したが。
なんて考え甘すぎじゃないか。
まあ成功したが。
34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/02(月) 14:41:20 ID:1wTP1yux
>>32
逆にあれだけの領地がありながら天下を狙わせず
天下人の重鎮となるって元就の戦略と実行した息子達こそが凄いんだよ。
逆にあれだけの領地がありながら天下を狙わせず
天下人の重鎮となるって元就の戦略と実行した息子達こそが凄いんだよ。
35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/02(月) 15:39:13 ID:zYhOVBKj
>>34
そう、輝元はすごい。
支えた叔父もすごいわ。
領地は削られたが、生き残った。
そう、輝元はすごい。
支えた叔父もすごいわ。
領地は削られたが、生き残った。
38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/02(月) 18:33:04 ID:499suCTi
毛利第二世代(輝元・広家・秀秋)が第一世代と同等の能力があれば天下取りは不可能じゃない
42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/02(月) 20:27:44 ID:2nCmKKNh
>>38
秀秋は関係ないだろう。
毛利は秀秋のいる小早川家を掌握してない。
むしろ取られただけ。
秀秋は関係ないだろう。
毛利は秀秋のいる小早川家を掌握してない。
むしろ取られただけ。
87: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/10(火) 23:49:04 ID:MwGsUI66
実際、輝元がもっとしっかりしてれば普通に天下取れたでしょ?
関が原に毛利が参戦してれば
輝元が広家、秀秋をきちんと管理してれば普通に西軍が買った。
関が原に毛利が参戦してれば
輝元が広家、秀秋をきちんと管理してれば普通に西軍が買った。
97: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/12(木) 22:49:27 ID:ALhHjLIA
西軍の総大将になったのは棚からボタ餅じゃない?
三成と家康とを争わせといて漁夫の利を狙えば三成、家康よりもたやすく天下を取れた
輝元にそこまでの政治力がなかったから不可能だが隆景が生きてたらどうしたかね?
三成と家康とを争わせといて漁夫の利を狙えば三成、家康よりもたやすく天下を取れた
輝元にそこまでの政治力がなかったから不可能だが隆景が生きてたらどうしたかね?
104: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/14(土) 00:31:14 ID:vl5Q0eD7
輝元が大阪城に3万(5万?)の軍勢をもって引きこもらずに、関が原に出張ってれば普通に勝てたんじゃない?
106: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/14(土) 21:55:52 ID:N3rXK5Ua
秀吉の大返しの時は元就没後
関が原の時は隆景没後
信長、秀吉、家康のように運がなかった
関が原の時は隆景没後
信長、秀吉、家康のように運がなかった
107: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/15(日) 13:41:07 ID:8fp+b6hH
毛利には北条、武田、織田のような革新的政治が行われていない。
毛利が優れていたのは謀略、外交だけ。そこそこの戦上手でもあったが。
例え織田軍との全面衝突の際に元就が生きていたとしてもこれだけの能力で天下を取るのは不可能。
毛利が優れていたのは謀略、外交だけ。そこそこの戦上手でもあったが。
例え織田軍との全面衝突の際に元就が生きていたとしてもこれだけの能力で天下を取るのは不可能。
108: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/15(日) 20:32:41 ID:rdiJrytE
じゃあ天下を望むなと残した元就はまさしく天才だな。
人間自分の子供が不出来だとはなかなか認められないものだ。
人間自分の子供が不出来だとはなかなか認められないものだ。
114: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/23(月) 22:20:47 ID:19ZKTOYr
戦国時代の成功した大名の一つの基準として領土拡大率が挙げられると思うのだが、この観点だけでみれば毛利は織田に次いで成功した大名ってどこかで読んだな
でも、遼太郎の言うように毛利は地味すぎる
初期の合戦を除けば、政治においても合戦でも手堅すぎる策しか実行しない
俺は毛利は嫌いだね
でも、遼太郎の言うように毛利は地味すぎる
初期の合戦を除けば、政治においても合戦でも手堅すぎる策しか実行しない
俺は毛利は嫌いだね
116: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/23(月) 23:04:45 ID:jTPJLQCX
派手でも綱渡りをするような事をするよりは面白味が無くても堅実にする方がいいわな。
118: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/26(木) 23:02:58 ID:PdBj413/
毛利は二度天下取りのチャンスを逃している
一つ目は、本能寺の変の直後
二つ目は、関が原の戦いの時だ
武田は信長包囲網に参加してればチャンスあったかもしれんが確かに天下取りには遠い
一つ目は、本能寺の変の直後
二つ目は、関が原の戦いの時だ
武田は信長包囲網に参加してればチャンスあったかもしれんが確かに天下取りには遠い
119: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 00:10:29 ID:jeVf7qbz
中央集権化出来てないのが致命的。
せめて武田北条位の制度はないと。
せめて武田北条位の制度はないと。
120: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 00:47:46 ID:c5BpuGfX
毛利が本能寺後で秀吉との講和を拒むと→信長の後継者争いに時間がかかる。
その間に九州は島津が制覇
中国地方は孤立した宇喜田を毛利が破り、毛利が平定
四国は長宗我部が統一。
東海は家康が制圧。
関東は北条が統一。
東北は伊達・南部・最上の三つ巴。
信長の後継者が近畿・北陸を制圧するも、他勢力を圧倒する余力はなし。
最終的には連邦国家みたくなるんでね?
その間に九州は島津が制覇
中国地方は孤立した宇喜田を毛利が破り、毛利が平定
四国は長宗我部が統一。
東海は家康が制圧。
関東は北条が統一。
東北は伊達・南部・最上の三つ巴。
信長の後継者が近畿・北陸を制圧するも、他勢力を圧倒する余力はなし。
最終的には連邦国家みたくなるんでね?
121: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 02:19:14 ID:qr8WkkHU
いくらなんでもそこまで急速に地方統一は進まないだろう。
特に関東は里見無視で統一?
特に関東は里見無視で統一?
123: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 02:51:00 ID:/hCbFI0/
>>121
里見と北条は講和済、もはや対等ではなく上下関係込みの同盟と見て差し支えないだろう。
彼我の勢力差が圧倒的な上、江戸湾での海上主導権も喪失した状況で本格的な戦争はもはや自殺行為。
北関東の反北条諸侯が頑張っているときも、里見は参戦どころか後方での蠢動すらしていない。
本能寺前後の状況で言えば、北条にとって里見は脅威でも何でもない。
里見と北条は講和済、もはや対等ではなく上下関係込みの同盟と見て差し支えないだろう。
彼我の勢力差が圧倒的な上、江戸湾での海上主導権も喪失した状況で本格的な戦争はもはや自殺行為。
北関東の反北条諸侯が頑張っているときも、里見は参戦どころか後方での蠢動すらしていない。
本能寺前後の状況で言えば、北条にとって里見は脅威でも何でもない。
125: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 03:57:07 ID:8qaNaDzO
里見はともかく下野・常陸を潰すにはまだまだ時間かかりそうだが
実際本能寺の後8年近くかけても潰せなかったし
島津は間違いなく攻め上がるだろうな
毛利は余程早く上方に乗り出さないと後方から突かれて身動き取れなくなりそう
実際本能寺の後8年近くかけても潰せなかったし
島津は間違いなく攻め上がるだろうな
毛利は余程早く上方に乗り出さないと後方から突かれて身動き取れなくなりそう
1
26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 11:02:29 ID:DaSPNzjD
26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 11:02:29 ID:DaSPNzjD
佐竹とか宇都宮、結城、他にも強豪が沢山いるけど、彼らも瞬殺?
127: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 12:45:51 ID:jeVf7qbz
佐竹は伊達と北条の挟撃に押されてたけど瞬殺出来るほど弱体化してない。
宇都宮、結城は基本日和見だから条件次第で北条方に。
宇都宮、結城は基本日和見だから条件次第で北条方に。
122: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/27(金) 02:50:26 ID:QjuYGmw7
よく、考えてみたら
本能寺の変=信長の死後
関が原の戦い=秀吉の死後
だから毛利でなくても複数に天下取りになれる可能性があった訳だけど・・
何故か、その複数の中でも毛利が一番可能性大だと思われる
あくまで能力をどがえしした話だけど
本能寺の変=信長の死後
関が原の戦い=秀吉の死後
だから毛利でなくても複数に天下取りになれる可能性があった訳だけど・・
何故か、その複数の中でも毛利が一番可能性大だと思われる
あくまで能力をどがえしした話だけど
135: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/29(日) 02:45:23 ID:zeQifNMd
大内義興と尼子経久という超大物がもっと早く死んでいたら元就は間違いなく畿内、そして関東を目指しただろう。宝治合戦で失った中央政界での地位を取り戻したいという野心、そして本貫地を取り戻したい願望はきっとあったはずだ。
毛利に限らず、多くの家臣諸家にとっても東国は本貫地だ。
「未だ見ぬ本貫地を目指せ」を合言葉に東進していれば毛利の全国政権は完成していただろう・・・
毛利に限らず、多くの家臣諸家にとっても東国は本貫地だ。
「未だ見ぬ本貫地を目指せ」を合言葉に東進していれば毛利の全国政権は完成していただろう・・・
139: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/29(日) 23:50:19 ID:T7W33Qvv
>>135
逆だろ、その大物同士が食い合ってくれたおかげで、元就の戦略が成り立ったわけで。
どっちかが勢力の均衡を失ったら、一気に押しつぶされて終わり。
そのあと元就がどういう行動に出るかはわからんけど、史実ほど上手く行く状況が来るとは思えない。
逆だろ、その大物同士が食い合ってくれたおかげで、元就の戦略が成り立ったわけで。
どっちかが勢力の均衡を失ったら、一気に押しつぶされて終わり。
そのあと元就がどういう行動に出るかはわからんけど、史実ほど上手く行く状況が来るとは思えない。
137: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/29(日) 10:11:53 ID:Cltvzdx0
毛利は国人の連合体だから上洛しても統治は出来ないだろ。
長州に閉じ込められるまで中央集権化を図っていないし。
長州に閉じ込められるまで中央集権化を図っていないし。
141: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/31(火) 10:57:14 ID:KHu9Ad6S
毛利家が絶対天下が取れないとは言えんが、以外にあの立地条件は悪いような気がする。
つまり、中国地方の西部の大名はあれ以上勢力を拡大する場合、東西に兵站が間延びしてしまい、それでいて石高は150万石未満だからそうとう厳しいような気がする。
近畿を目指そうとしたら、岡山平野や播磨平野の両方に50万石くらいの纏まりがある勢力が誕生しやすくて、それを撃破するのは至難の業だ。
それに比べて、濃尾平野や近畿周辺の大名は領土が正方形に石高500万石クラスでまとまりやすいから圧倒的に有利だな。
つまり、中国地方の西部の大名はあれ以上勢力を拡大する場合、東西に兵站が間延びしてしまい、それでいて石高は150万石未満だからそうとう厳しいような気がする。
近畿を目指そうとしたら、岡山平野や播磨平野の両方に50万石くらいの纏まりがある勢力が誕生しやすくて、それを撃破するのは至難の業だ。
それに比べて、濃尾平野や近畿周辺の大名は領土が正方形に石高500万石クラスでまとまりやすいから圧倒的に有利だな。
144: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/31(火) 16:57:51 ID:RtfczRpT
>>141
石見銀山と山口があれば石高が120万石でも十分だと思うが。
石見銀山と山口があれば石高が120万石でも十分だと思うが。
147: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/31(火) 22:15:12 ID:1z/XpbLn
>>144
山口には何が?
石見銀山と博多湊もしくは神戸湊も手中範囲だった
利益を独占できるかは別にして
東西に長いのは攻める場合不便かもしれないが逆に防御にはいいんじゃないか?
だから地理的には信長と同じくらいの有利さはあったんじゃないか?
毛利に能力があれば信長、秀吉とも対抗できたかもね
山口には何が?
石見銀山と博多湊もしくは神戸湊も手中範囲だった
利益を独占できるかは別にして
東西に長いのは攻める場合不便かもしれないが逆に防御にはいいんじゃないか?
だから地理的には信長と同じくらいの有利さはあったんじゃないか?
毛利に能力があれば信長、秀吉とも対抗できたかもね
160: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/02(木) 09:29:27 ID:IzCXiVen
>>147
人口。
京、堺に次ぐ町だと思ったが。
人口。
京、堺に次ぐ町だと思ったが。
145: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/31(火) 20:13:21 ID:VINKiHQk
東西に長い領土だと兵の移動だけでも大変だから石高が高くても不利なのは確かだよ
呉から尾道まで電車乗った時に広さの割には山ばっかで、不便な土地だなと思った
呉から尾道まで電車乗った時に広さの割には山ばっかで、不便な土地だなと思った
146: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/31(火) 20:57:36 ID:gQmWK1cC
>東西に長い領土だと兵の移動だけでも大変だから
だとしたら街道の整備を行ったり、軍隊の機動力を高める努力をすれば良かったのに
海運あるからその必要性は感じなかったのかな?
だとしたら街道の整備を行ったり、軍隊の機動力を高める努力をすれば良かったのに
海運あるからその必要性は感じなかったのかな?
149: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/31(火) 23:38:20 ID:4DKh9tpu
瀬戸内海の海運利権もあるな。
結構裕福だったんじゃねーの
結構裕福だったんじゃねーの
151: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/01(水) 02:41:42 ID:AfIUFYqb
たしかに、毛利には石見銀山や海運利権はあったけど、基本的に前近代の国力は、石高=人口=動員兵力でしょう?
153: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/01(水) 15:21:27 ID:YBFwnwTq
地政的に
防衛兵力>>>攻勢兵力
とならざるおえず、また、動員可能兵力も多からず、同時多方面作戦は無理である
やはりネックは国人衆統治にあるのか?
防衛兵力>>>攻勢兵力
とならざるおえず、また、動員可能兵力も多からず、同時多方面作戦は無理である
やはりネックは国人衆統治にあるのか?
155: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/01(水) 21:02:26 ID:7UkoVcmY
上洛なんか考えず、徹底的に大友叩きをするべきだったと思う。大友さえ滅ぼせば島津がいかほど強兵を率いようとももはや敵するに値しない。九州平定がなれば後は背後をおびやかされる心配もなく、悠々と上洛、そして四国も簡単に平定。
問題は輝元の資質か…
問題は輝元の資質か…
156: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/01(水) 21:21:36 ID:DIgzmJUT
むしろ九州に手を出さなければ上洛出来たかもしれないんだがなあ。
171: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/03(金) 21:03:31 ID:oifAJYM9
毛利が東国や奥羽を狙うほどの経済的メリットが無いというのも致命的であろう。
普通に九州を制してしまえば、四国は余裕で落せるし
そこまでしたら近畿の堺とかを拠点的に抑えて海軍力さえ掌握しておけば、対明、対南蛮交易を独占して経済的パワーで日本に敵はいないわけで。
普通に九州を制してしまえば、四国は余裕で落せるし
そこまでしたら近畿の堺とかを拠点的に抑えて海軍力さえ掌握しておけば、対明、対南蛮交易を独占して経済的パワーで日本に敵はいないわけで。
172: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/04(土) 06:33:20 ID:krdMe6a9
>>171
毛利は畿内を制圧できれば、あとは豊臣政権と同じような統一過程を歩んだと考えるべきだな。
また、毛利としては、九州全土を制圧するよりも畿内へ侵攻したほうが合理的なように思える。
中国の覇者になった毛利にとって、制圧が可能、または制圧が合理的なのは北九州の博多湾周辺の地域までで、南九州は放置、または南九州を分断するように持って行けばよい、大内時代みたいに。南九州を目指すよりは、畿内を目指したほうが可能性がある。
毛利にとって重要なのは、博多~瀬戸内海~堺の湾岸利権だ。ここの大半が制圧できれば、南九州は自然と屈服する。
しかし、その南九州を分断できないのない、つまり、島津、大友、竜造寺のうちのいずれかに統一されてしまうのならそれ以前に、九州全部を諦めて、畿内を目指したほうが良い。
毛利の史実での動きのように。
やはり、北九州~畿内まででも兵站が間延びしてしまうから。
毛利は畿内を制圧できれば、あとは豊臣政権と同じような統一過程を歩んだと考えるべきだな。
また、毛利としては、九州全土を制圧するよりも畿内へ侵攻したほうが合理的なように思える。
中国の覇者になった毛利にとって、制圧が可能、または制圧が合理的なのは北九州の博多湾周辺の地域までで、南九州は放置、または南九州を分断するように持って行けばよい、大内時代みたいに。南九州を目指すよりは、畿内を目指したほうが可能性がある。
毛利にとって重要なのは、博多~瀬戸内海~堺の湾岸利権だ。ここの大半が制圧できれば、南九州は自然と屈服する。
しかし、その南九州を分断できないのない、つまり、島津、大友、竜造寺のうちのいずれかに統一されてしまうのならそれ以前に、九州全部を諦めて、畿内を目指したほうが良い。
毛利の史実での動きのように。
やはり、北九州~畿内まででも兵站が間延びしてしまうから。
200: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/27(水) 23:14:20 ID:oELA2hM3
元就が50代で中国統一してたら天下狙ったかもね
引用元: ・毛利家が天下を取るには
ご存じ当時の配下の大多数は家臣というより傘下の国人ってだけだから毛利に忠誠心なんかある方が珍しく自分の利益を当然のように優先するから無理がきかない