1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/02(火) 15:52:22 ID:y8EJIbV70
エリート教育








3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/12(金) 20:07:32 ID:UguGeLj60
海兵の五省は現代にも通ずる
五省(ごせい)とは、海軍兵学校・海軍機関学校・海軍飛行予科練習生・海上自衛隊の標語ならびに訓戒。”海軍五省”とも。

一、至誠しせいに悖もとる勿なかりしか
真心に反する点はなかったか
一、言行げんこうに恥はづる勿なかりしか
言動に恥ずかしい点はなかったか
一、氣力きりょくに缺かくる勿なかりしか
精神力は十分であったか
一、努力どりょくに憾うらみ勿なかりしか
十分に努力したか
一、不精ぶしょうに亘わたる勿なかりしか
最後まで十分に取り組んだか


17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/05(日) 22:31:35 ID:EEt0sSa/0
>>3
井上成美は海兵校長時、せっかくの有望な人材を画一的な軍官僚にしてしまうと五省唱和を禁止した
こんなもの誰が作ったんだと怒っていたそうだ

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/06(月) 11:05:04 ID:4hPhgh0I0
>>17
艦隊派の末次が作成に関わっていたらしく、末次が嫌いで五省を批判した可能性もあるのかなと勝手に思ってる

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/28(日) 20:30:45 ID:sRYsek830
今の東大レベルなんだろ?

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/04(土) 23:10:15 ID:g8tQmQ1V0
>>8
一高>三高=海兵>陸士だろうね。陸士は大正期まで、幼年学校出身者が主流で、中学卒はスペア的扱いだったと言われている。
海兵は採用数が少ないので、陸士より難しいと評価されたと思う。
質は同じじゃないかな。

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/05(日) 07:01:40 ID:LufriOGF0
>>8
俺の亡くなった明治生まれの曾爺ちゃんから聞いた話だが、単純に学力のみの平均値なら東大(一高)の方が上だったそうだが、海兵合格には当然、屈強な肉体も必要で、勉強のみのモヤシ君では不合格になるから海兵落ちの一高合格も珍しくなかったそうだよ。
勉強のみなら東大(一高)が上で文武両道のトータルバランスなら海兵が上だろうね。
まあ、国民から羨望(エリート扱い)されてたのは一高よりも圧倒的に海兵だったそうだが。
何でも海兵の生徒さんは女性にモテモテで地元の英雄扱いだから曾爺ちゃんは男ながらに嫉妬してたってさw

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/04(土) 23:32:44 ID:RCe99W+X0
で、陸軍省、海軍省の官僚になると、文官官庁の官僚より偉かった?

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/05(日) 10:19:20 ID:1/UJEqJTO
>>12
建前上は同格です。
ただ、原則的に官僚の世界では内務官僚が一番。
昭和前期の一時期は確かに軍の方が強い時期があったけど、それはむしろ例外期。

また、陸軍省や海軍省の中枢で仕事しようと思ったら、陸大や海大を出てるのが原則必須。
ところが、旧制高校はそのまま帝大に上がれるのに対して、陸大や海大は陸士や海兵を出た中のごく一部だけ。
一高に入れる実力があるなら、素直に一高に行っといた方が楽に官僚になれるでしょう。

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/06(月) 19:38:00 ID:9HSQvLMK0
>>14
>ただ、原則的に官僚の世界では内務官僚が一番。

内務省は、文官高等試験の上位合格者だけを採用したわけではない。
たとえば後藤田なんかは、真ん中あたりの合格。
文官高等試験の上位合格者が行ったのは大蔵省。
東条英機が、主計官の福田赳夫に最敬礼したなんていう逸話もある。

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/05(日) 18:21:56 ID:4oIrrFsl0
陸士、海兵の教育は天下の俊才を四年間で石頭にする教育だったと酷評された。
それに反し旧制高校の教育は自由自治が尊重された。
秋山真之が正岡子規に、兵学校の生活はイタチのように動きまわっているとぼやいていたな(笑)。

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/06(月) 08:41:31 ID:rvo26MRCO
つか、秋山真之の時は、そもそも五省なんてもんなかったわな。

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/12/06(月) 22:39:30 ID:3nCrdnSQ0
五省の内容ではなく、一律に押し付けるやり方に井上は反対したのだろう。
海兵の記録映画「勝利の礎」では、一生徒の発声に他の生徒は黙想するのみで唱和はしてなかった。ちなみに校長は草鹿任一で、平柳育郎生徒の恩賜の短剣を拝受するシーンは印象深いものがあった。

236: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/30(土) 16:26:36.75 ID:yJ4RXU7C0
井上成美が海軍兵学校校長の時、学生の提出物を上級生が検閲して書き換えさせるのをやめさせたことがある。
理由は「詐欺の訓練をさせているようなものだから」。
こういう悪癖が全盛だった時代の卒業生が、軍内はもちろん天皇や政府を文章上だけのつじつまあわせで騙して当たり前の士官になったんだろうか。

237: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/03(火) 08:32:55.75 ID:v5aYPvnm0
井上は海兵の生徒が陸士の生徒と交流するのも禁止したな。
共に次代の日本軍を担う者同士、生徒時代から信頼関係を築いておかないと下らない縄張りが続いて国防が危うくなるのに。

238: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/05(木) 17:50:00.12 ID:RxwdybZg0
井上か、井上と同程度の見識を持った軍人がもっと早く海兵の校長になっていれば、もう少しマシな海軍士官が育って、もう少しマシな戦争ができたのではと思う。
井上が江田島に赴任したとき、上級生が下級生を監視(指導でなく抑圧)したり殴り殴られの校風を見て、水兵や下士官なら兎も角も将来の海軍士官がやることではないと情けなく思ったと云う話しを、会社のリーダー研修か何かで聞いたことがある。

242: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/06(金) 21:30:26.94 ID:9b7C7mrh0
井上は戦下手で有名だったから海軍内の評価は低かった。
戦後の身の処し方や阿川司馬の海軍善玉論の象徴として過大評価されているな。

243: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/06(金) 21:53:40.61 ID:D5WzqPVv0
善玉とか悪玉とか以前に、英語いらんとかした陸士がアレすぎる……。
敵を知らずにどうするつもりだったんだろう。

244: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/06(金) 22:50:50.13 ID:9b7C7mrh0
陸軍はアメリカと戦争する気はなかった。仮想敵国はソ連。
海軍の仮想敵国はアメリカ。軍官僚の見事な縦割り主義だな。
これじゃ戦争に勝てんよ。

245: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/06(金) 22:55:43.41 ID:mOywDksk0
とくに石原莞爾の頭には、ソ連しかなかった。
一にも二にも、過ちの原因は江戸末期頃から生じた、日本の東アジア蔑視=根拠乏しき優越感。

250: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/07(土) 12:52:48.67 ID:qO3JWcYw0
>>245
敗戦後には石原って自分が自演策謀してまで推進してきた最終戦争論捨てて、平和憲法万歳、大東亜団結とまったく掌返すんだよな。
本当に陸士の教育ってどうなってたんだろ。
士官学校がクーデター予備軍の巣になった士官学校事件なんてのさえあるし。

248: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/07(土) 08:57:01.86 ID:4U3T0bZ60
74期は結局パイロットのチェックアウトが戦間期に間に合わなかった。
開戦後採用では、パイロット養成実績零と言うのは、ちと軍人養成機関としては問題アリなんじゃないかと思う。

249: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/07(土) 11:44:18.79 ID:VncMq0eQ0
>>248
開戦後、採用の予備学生や予科練はぞくぞくとパイロットになっているというのに! 陸軍みたいに航空士官学校をつくるべきだった。

259: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/11(水) 19:39:18.53 ID:tQKodolj0
陸士海兵で政治・経済学はどのくらいやっていたんだろう?
明治の軍人達は軍人以前に政治家だったが、正規の軍人教育を受けた昭和の軍人達は「国防は軍人の占有物にあらず」という見識が全く感じられない。武士の時代じゃあるまいし、まるで軍人が国家の主役と思っているかのような振る舞いだった。

267: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/12(木) 12:02:23.79 ID:eU0P4k1B0
外国語や法律特に国際法の講義はどれくらいやってたんだろうな?
後者は戦時において特に重要な事項だけど。

268: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/12(木) 13:05:44.23 ID:gUdmq+s/0
東京裁判で取り調べを受けた旧軍人達はけっこうな割合で「そんなもん勉強してない」とか「習った気がするが忘れた」みたいなことを云ってるぞ。

軍事的に敵を制圧する方策とか、野戦演習とかがメインの教科で、法制とか国際関係に関する知識は文系大学における数学や物理の一般教養くらいの位置付けしかされてなかったんじゃないか?

269: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/12(木) 17:38:02.65 ID:ht+IYwJ/0
東京裁判の関係者が日本軍人の法律や条約への無知・鈍感さにあきれていたぐらいだたからな。
まぁ自己弁護のために知らん振りをした可能性もあるが。

272: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/12(木) 22:21:58.47 ID:EKbf6Etr0
陸軍は英語教育を廃止した云々の実情がいまいちよく分からん
ネットで調べても出てくるのは井上成美の逸話ばっかりだし、陸軍幼年学校では終戦間際まで英語を含めた外国語教育をしていたとか、陸軍士官学校では英語科は廃したけど英語教育そのものは続けられたとか、なんかよく分からん

273: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/12(木) 22:35:59.10 ID:puABsghm0
>>272
元々陸軍学校では英語は必修じゃなくて選択制。
ドイツ語等の中のひとつ。入試から撤廃したり授業が縮小されたりしたけど、元々ウェイト自体が海軍と比べて小さかった。

276: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/13(金) 01:26:58.37 ID:0ODQI61V0
>>273
陸軍は、幼年学校が独語と仏語の選択制で英語はなく、英語をとるのは中学を卒業してから陸軍士官学校に入ってきた連中だから、英語組は陸軍内部で傍流だったんじゃなかったっけ?
硫黄島の栗林とか英語組でアメリカ駐在武官帰り。

278: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/14(土) 16:49:56.81 ID:UtqTohok0
>>276
江利川春雄『近代日本の英語科教育史』によると、仙台と熊本の幼年学校でも、それぞれ再設置された1938年と39年から終戦まで英語教育を実施していたとのこと。

275: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/13(金) 00:47:18.64 ID:OajJ3IPm0
>>272
陸軍航空士官学校でも、校長の遠藤三郎の方針で英語教育は廃止されなかったな。

274: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/12(木) 23:45:15.49 ID:5fZRw+520
とにかく促成で、小、中隊長要員を短期で養成するとなると相当のカルキュラム省略が必要。
実軍事学が優先されて語学が真っ先に削られたというのが実態だったのかも。

279: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/14(土) 20:59:53.93 ID:e4Me92/M0
正規の教育が実施されたのは陸士では52期、海兵では68期までだろう。
それ以降は>>274の教育だった。

280: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/15(日) 16:30:12.92 ID:37isQ6520
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1266003794/84
野球と戦争と言う本で、二次大戦の軍学校(陸士、海兵、幼年学校等)が、航空機パイロット育成に有用と、野球やテニスを奨励していた記事に吃驚。

281: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/15(日) 21:08:47.42 ID:p0iQ9GmI0
>>280
海兵78期の人が言っていたけど、自分たちが野球をやって遊んでいるそばで同世代の予科練が防空壕を掘ってくれていた。しかも予科練はその防空壕には入れないんだって。
粗製濫造といわれた78期でさえエリート臭ぷんぷんだったんだな。

288: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/23(月) 10:13:11.04 ID:A4x9af270
ヨーロッパでは貴族の子弟を教育するのが幼年学校や士官学校だったのを、官費だからと日本では貧乏人の秀才が立身出世のため受験するようになってからおかしくなったと思う。

289: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/23(月) 19:26:24.68 ID:fPf2HDkG0
幼年学校は有料でしかも学費は一般の中学校よりも高かった。
陸軍の「幼年学校設立要旨」もはっきり「陸軍の将校は富者の子弟が望ましい」と言っている。
反面軍人の息子は学費半額免除という恩典制度を作っていわば軍人の世襲化を図った。
「貧乏人の息子でも軍人になれた」というのはかなりの程度まで神話。ただし一旦軍人になれば出身階層による差別がなかったのも事実。

290: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/24(火) 11:54:25.75 ID:/unbBid50
素朴な疑問だけどなぜ陸士や海兵は戦争中あんなに採用人員を増やしたんだろう。
戦後軍隊が存続するという形で戦争が終わっていたら将校過剰で困っただろうね。
ウェストポイントやアナポリスは戦争中も採用人員を一定数に抑えていた。
日本の軍部には一般市民出身の予備役将校に対する不信感があって陸士や海兵で正規の軍人教育を受けた現役将校でなければ信用できないという意識があったのかな。

291: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/24(火) 12:58:51.64 ID:sYEjuuIq0
>>290
大正時代以上の大リストラをやるつもりだったんだろ。

復員したとき軍学校生徒の方が勤労動員に明け暮れた一般の生徒より基礎学力が高く結果オーライで復興に役立った。そこまで読んでいたとすればすごい。

293: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/24(火) 14:24:27.12 ID:L4V+x/pT0
>>291
特に海兵では敗戦を見越していた校長の井上の方針で、周囲の反対を押し切って普通学中心のカリキュラムだったからな。同じく敗戦を見越していた鈴木貫太郎からも「いいか、兵学校の教育の成果が現れるのは、20年後だぞ」と激励されたしな。

292: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/24(火) 13:30:37.87 ID:/7M9JLvy0
戦争中の陸士や海兵は在学期間短縮で19歳で少尉任官なんてのが沢山いた。
19歳の若造が信頼出来るのかな。しかも大量採用で質は落ちてる。在学期間短縮で十分な教育も受けていない。
そんな連中より偏差値の高い一般大学を出てまだ20歳代という人達を訓練した方がよかったんじゃないかな。
やはり当時の日本の軍隊が一般社会から隔離された存在で生え抜きの職業軍人でなければ信頼できないという意識があったんじゃないか。
イギリスの例だけどシンガポールの司令官だったパーシバルは一市民として出発して第一次大戦勃発のとき27歳で初めて軍隊に入り研修教育を受けてあそこまで昇進したそうだ。

295: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/24(火) 19:16:41.39 ID:h6CWSOKD0
日本の軍隊は一般の社会や社会人を「娑婆」とか「地方人」と呼んで軽蔑していた。
「娑婆」で生活していた「地方人」など信用できないという意識があったんだろう。

296: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/24(火) 21:03:32.80 ID:Jqo0T2AP0
>>295
http://gogen-allguide.com/si/syaba.html

むしろ自虐的な表現なんじゃね。

297: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/24(火) 21:43:14.74 ID:nBbnZUgG0
この場合の「娑婆」というのは「卑俗な世界」という意味で軍隊が自らを「聖域」と意識していた事を示す。

298: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/25(水) 01:01:01.16 ID:SPsTS0Vh0
>>297
娑婆ってのは元々遊郭用語で、極楽浄土である遊郭に対して、遊郭の外の世界を表す言葉。
女郎さんにしてみれば、拘束されている浄土(遊郭)に対して、自由な世界を指している。
それが転じて、刑務所の受刑者や軍隊の兵士など拘束されて苦しい思いを余儀なくされている下層の人が、外の自由な世界を憧れて言う言葉だよ。
つまり新兵さんとか、辛い立場の人が使う言葉。

300: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/25(水) 10:09:17.75 ID:CGX05C5X0
兵営生活は苦痛を伴うがその苦痛に耐えながら崇高な任務を遂行しているのであって外の世界で安穏に暮らしている呑気な連中とは違うんだという一種のエリート意識だろう。
修道院にいる人たちが戒律に縛られた生活をしながら庶民に対してエリート意識を持つのと同じじゃないかな。
海兵の生徒も海兵を「江田島監獄」と言っていたそうだがそこには自分たちはエリートたるべく厳しい修行をしているのだという意識が感じられる。
少なくとも職業軍人が言う「娑婆」とはそういう意味じゃないかな。

306: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/29(日) 13:51:37.54 ID:NAGag4lY0
その時代やその人の立場によって「娑婆」って意味は変わってくるでしょ。
大正デモクラシー真っ只中と支那事変真っ最中で違うだろうし、職業軍人と徴兵された人間でも言葉の捕らえ方はそれぞれ違うと思う。

307: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/05/29(日) 17:42:28.10 ID:yeSiwcud0
だから俺は「職業軍人が言う『娑婆』とは」と言っている。
高木惣吉は大正初期に海兵に入校し豊田穣は昭和12年に海兵に入校した。
時代が違う二人がいずれも「娑婆っ気抜き」を経験しているという事は海軍士官の間で一貫して「娑婆」という言葉が侮蔑的な意味で使われていた事を示す。
陸軍でも同様だったと考えるべきだろう。

引用元: ・海軍兵学校と陸軍士官学校について