1: 世界@名無史さん 2017/11/15(水) 22:26:19.11 0
人類の歴史は、「モンゴル時代」の以前と以後でまったく様相が異なる。
かの高名なる内藤湖南の「唐宋変革論」に続き、「日本発信の世界史像」として内外に広まりつつある。
関連スレ 唐宋変革期 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1509629606/
かの高名なる内藤湖南の「唐宋変革論」に続き、「日本発信の世界史像」として内外に広まりつつある。
関連スレ 唐宋変革期 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1509629606/
3: 世界@名無史さん 2017/11/15(水) 22:28:45.28 0
大モンゴル国すなわち「モンゴル帝国」の解体後も、「モンゴルの残影」は20世紀にいたるまで各地に息づいていた。
ロシアのイヴァン雷帝も、後のムガル帝国へと続くティムール帝国も、また、大清帝国も、「チンギス家の婿どの」の地位を得ることで、その権威と権力を固めてきたのだ。
そして今なお混迷のなかにあるアフガニスタンを、「遊牧民とユーラシア国家」の歴史を通してみると、何が見えてくるのか?
ロシアのイヴァン雷帝も、後のムガル帝国へと続くティムール帝国も、また、大清帝国も、「チンギス家の婿どの」の地位を得ることで、その権威と権力を固めてきたのだ。
そして今なお混迷のなかにあるアフガニスタンを、「遊牧民とユーラシア国家」の歴史を通してみると、何が見えてくるのか?
9: 世界@名無史さん 2017/11/18(土) 08:45:43.17 0
■モンゴル時代とは――「世界史」と「世界地図」が生まれた時代だった!
かつて学校では、――15・16世紀のヨーロッパによる「地理上の発見=大航海時代」から、世界はひとつになり、「世界史」が始まった――こんなふうに教わりませんでしたか?
しかし、それに先立つ13・14世紀のモンゴル帝国下で、人類最初の「世界史」と「世界地図」が描かれていました。
確実な史料と最新研究をもとに、近代ヨーロッパが覇権を握る以前の「世界の実像」を明らかにします。
かつて学校では、――15・16世紀のヨーロッパによる「地理上の発見=大航海時代」から、世界はひとつになり、「世界史」が始まった――こんなふうに教わりませんでしたか?
しかし、それに先立つ13・14世紀のモンゴル帝国下で、人類最初の「世界史」と「世界地図」が描かれていました。
確実な史料と最新研究をもとに、近代ヨーロッパが覇権を握る以前の「世界の実像」を明らかにします。
10: 世界@名無史さん 2017/11/18(土) 08:47:25.91 0
つまり、杉山正明氏のモンゴル史観というのは、「モンゴル帝国の世界進出を、近代ヨーロッパの世界進出に先立つグローバル化」と位置付ける壮大なものだ。
モンゴルの世界進出を、スペインやポルトガルの大航海時代に匹敵するインパクトがあったとする。
モンゴルの世界進出を、スペインやポルトガルの大航海時代に匹敵するインパクトがあったとする。
14: 世界@名無史さん 2017/11/18(土) 14:00:48.08 0
モンゴル史研究者の杉山正明さんが著書「遊牧民から見た世界史」で、こう振り返っている。
かつて遊牧民といえば、洋の東西を問わず「野蛮」な存在として否定的に語られるのが普通だった。
一般人も歴史家も同じ。教科書で「悪役」に描かれた影響も大きいと見る。
実は全くのぬれぎぬだと杉山さんは解き明かす。戦わずして味方を増やし版図を広げ、西欧人による大航海に先駆け東洋と西洋を結び、モノや情報の流通を担った。
近年はこうした認識が欧米で広がり、日本でも最近の大学生は「遊牧民」に悪い印象はないという。
杉山さんが昔の扱われ方を話すと、逆に驚かれるそうだ。
かつて遊牧民といえば、洋の東西を問わず「野蛮」な存在として否定的に語られるのが普通だった。
一般人も歴史家も同じ。教科書で「悪役」に描かれた影響も大きいと見る。
実は全くのぬれぎぬだと杉山さんは解き明かす。戦わずして味方を増やし版図を広げ、西欧人による大航海に先駆け東洋と西洋を結び、モノや情報の流通を担った。
近年はこうした認識が欧米で広がり、日本でも最近の大学生は「遊牧民」に悪い印象はないという。
杉山さんが昔の扱われ方を話すと、逆に驚かれるそうだ。
43: 世界@名無史さん 2017/11/23(木) 23:31:52.84 0
杉山正明「モンゴルが世界史を覆す」(日経ビジネス文庫)
13世紀のモンゴルこそ世界帝国。
ジンギスカンとその子供たちの世界帝国が、東西の交流を活発化したのは良く知られているが、世界史の中でのモンゴル帝国が果たした役割の重要性が、これまで以上に認識されるようになってきたとのこと。
13世紀のモンゴルこそ世界帝国。
ジンギスカンとその子供たちの世界帝国が、東西の交流を活発化したのは良く知られているが、世界史の中でのモンゴル帝国が果たした役割の重要性が、これまで以上に認識されるようになってきたとのこと。
44: 世界@名無史さん 2017/11/23(木) 23:32:35.42 0
今まで知っていた世界史の知識と大きく違い、目を開かされたう点をいくつか列挙してみる。
モンゴルの軍隊は必ずしも強くはなく、強い相手とは戦わないという戦略が多い。
残虐行為や都市の破壊などは一部であり、交渉による無血開城が多い。
世界帝国として各地の文化を尊重する姿勢であり、中国元朝も一般に言われているような文化不毛の時期ではなく、中国伝統文化に寄与する事柄も多い。
中東のコバルトと中国の磁器が結びついた青花磁器は、モンゴル帝国により盛んに流通するようになった。
鎌倉時代の蒙古襲来についても、被害者としての日本の研究が多く、蒙古側の研究がすくなく、原典史料に基づくこれからの研究が必要である。少なくとも最初のクビライからの国書は侵略とは違った目的とのこと。
当時の遊牧民の国家は人の集合であり、地域の概念はない。
モンゴル帝国は多民族国家であり、海軍が弱いわけではない。
マルコ・ポーロが実在の人物かどうかは怪しく、その見聞録も寄せ集めの史料からできている可能性がある。
などなど多数。
モンゴルの軍隊は必ずしも強くはなく、強い相手とは戦わないという戦略が多い。
残虐行為や都市の破壊などは一部であり、交渉による無血開城が多い。
世界帝国として各地の文化を尊重する姿勢であり、中国元朝も一般に言われているような文化不毛の時期ではなく、中国伝統文化に寄与する事柄も多い。
中東のコバルトと中国の磁器が結びついた青花磁器は、モンゴル帝国により盛んに流通するようになった。
鎌倉時代の蒙古襲来についても、被害者としての日本の研究が多く、蒙古側の研究がすくなく、原典史料に基づくこれからの研究が必要である。少なくとも最初のクビライからの国書は侵略とは違った目的とのこと。
当時の遊牧民の国家は人の集合であり、地域の概念はない。
モンゴル帝国は多民族国家であり、海軍が弱いわけではない。
マルコ・ポーロが実在の人物かどうかは怪しく、その見聞録も寄せ集めの史料からできている可能性がある。
などなど多数。
45: 世界@名無史さん 2017/11/23(木) 23:35:58.13 0
杉山正明氏の書物は、新しい世界史の進路を考える上でも示唆を与えてくれる。
モンゴルといえば、ありとあらゆる非難や悪罵をこれまでも浴びせられてきた。
中国史プロパーの研究者には、今でも偏見にとりつかれている者が少なくない。
しかし、1276年に滅ぼされた南宋の首都杭州では、住民からほとんど犠牲者を出さなかった。
それどころか、杉山氏はモンゴル支配下でこそ杭州が空前絶後の繁栄を続けた事実を明らかにする。
モンゴルといえば、ありとあらゆる非難や悪罵をこれまでも浴びせられてきた。
中国史プロパーの研究者には、今でも偏見にとりつかれている者が少なくない。
しかし、1276年に滅ぼされた南宋の首都杭州では、住民からほとんど犠牲者を出さなかった。
それどころか、杉山氏はモンゴル支配下でこそ杭州が空前絶後の繁栄を続けた事実を明らかにする。
46: 世界@名無史さん 2017/11/23(木) 23:37:17.51 0
また、杉山氏は、モンゴル繁栄の秘密がそのコスモポリタンな性格、民族的偏見をもたぬ能力第一主義などによることを説き明かす。
たとえば、クビライの兄、大ハーンのモンケは数カ国語を自由に操り、ユークリッド幾何学をはじめ、古今東西の諸学に広く通じる抜群の知識人だったことがペルシア語史料から確認されるという。
クビライも聡明きわまりなく、手ずからウイグル文字で文書を認めたらしい。
周辺のブレインも、さまざまな民族の出身者であったが、モンゴル語を理解したのである。
たとえば、クビライの兄、大ハーンのモンケは数カ国語を自由に操り、ユークリッド幾何学をはじめ、古今東西の諸学に広く通じる抜群の知識人だったことがペルシア語史料から確認されるという。
クビライも聡明きわまりなく、手ずからウイグル文字で文書を認めたらしい。
周辺のブレインも、さまざまな民族の出身者であったが、モンゴル語を理解したのである。
47: 世界@名無史さん 2017/11/23(木) 23:38:40.68 0
北京はもちろん、杭州も、飛躍的に発展したのはモンゴル帝国の時代だった。
42: 世界@名無史さん 2017/11/23(木) 23:17:40.27 0
中国の歴史など、モンゴル帝国から始めれば十分
それ以前のことは「前史」という位置づけでいい
それ以前のことは「前史」という位置づけでいい
50: 世界@名無史さん 2017/11/25(土) 12:59:33.48 0
イル・ハン朝で中国人が登用されたり逆に元でロシア人やジンバブエ人が官僚や兵士として近侍したり、元朝は自己完結的なほかの王朝と比べて明らかに異質なのに前史とかないわー
56: 世界@名無史さん 2017/11/25(土) 19:38:00.98 0
>イル・ハン朝で中国人が登用されたり逆に元でロシア人やジンバブエ人が官僚や兵士として近侍したり、元朝は自己完結的なほかの王朝と比べて明らかに異質なのに前史とかないわー
元朝は本当にコスモポリタン的な世界帝国だな。
他のローカルな王朝とは違う。
やはり、元朝こそが、「中国」の最盛期。
中国が飛躍的に発展したのは元代だ。
元朝は本当にコスモポリタン的な世界帝国だな。
他のローカルな王朝とは違う。
やはり、元朝こそが、「中国」の最盛期。
中国が飛躍的に発展したのは元代だ。
57: 世界@名無史さん 2017/11/25(土) 19:42:55.70 0
元朝のあと、その反動で、明朝という内向きな暗黒時代が到来した。
明朝は、暗愚で無能な皇帝が続出し、粛清に次ぐ粛清、宦官による恐怖政治が続いた大暗黒時代。
元朝が築いた遺産のおかげで、なんとか300年近くも持続したが。
明朝は、暗愚で無能な皇帝が続出し、粛清に次ぐ粛清、宦官による恐怖政治が続いた大暗黒時代。
元朝が築いた遺産のおかげで、なんとか300年近くも持続したが。
64: 世界@名無史さん 2017/11/26(日) 21:35:42.45 0
杉山正明氏によると、「遼の国都の方が 宋の国都よりも 市場の品揃えも充実していただろう」だそうな。
66: 世界@名無史さん 2017/11/26(日) 21:42:29.76 0
モンゴル帝国による「集史」の編纂をもって、「世界史の誕生」と見る人は多い。
少なくとも3人いる。岡田英弘、宮脇淳子、杉山正明。
少なくとも3人いる。岡田英弘、宮脇淳子、杉山正明。
80: 世界@名無史さん 2017/11/28(火) 01:30:04.87 0
元朝以降の中国は文化発信力が低下した印象があるが、三国志演義や西遊記は明代の文学作品。
遊牧民国家の方針や技術革新の影響で文化の中心が大衆寄りになったのかね。
龍の紋章を皇帝以外の人々も使うようになったし。
遊牧民国家の方針や技術革新の影響で文化の中心が大衆寄りになったのかね。
龍の紋章を皇帝以外の人々も使うようになったし。
81: 世界@名無史さん 2017/11/28(火) 02:40:33.88 0
>>80
宋までの文化は日本人にとっては日本文化の一部分になっていて外国文化という意識は無い
漢字や四書五経
漢の史記
唐の唐詩、天台宗、華厳宗、浄土宗
宋の朱子学、水墨画、禅宗
それぞれ日本文化の一部分になってる
元以後の文化は日本人にとってはあくまでも外国文化だ
三国志演義や西遊記がいかに日本で人気があろうとも、ほとんどの日本人はそれを外国のものと意識してるだろう
宋までの文化は日本人にとっては日本文化の一部分になっていて外国文化という意識は無い
漢字や四書五経
漢の史記
唐の唐詩、天台宗、華厳宗、浄土宗
宋の朱子学、水墨画、禅宗
それぞれ日本文化の一部分になってる
元以後の文化は日本人にとってはあくまでも外国文化だ
三国志演義や西遊記がいかに日本で人気があろうとも、ほとんどの日本人はそれを外国のものと意識してるだろう
82: 世界@名無史さん 2017/11/28(火) 07:56:39.19 0
>>80
日本の奈良時代や平安時代と同じで、中国も隋唐の頃は貴族社会だった。
唐から宋にかけて、貴族が没落した。
日本と異なり、貴族階級は抹殺された。
明あたりは、政治的な中心でない江南が文化の中心となり、町人文化が全盛期を迎えた。
日本の奈良時代や平安時代と同じで、中国も隋唐の頃は貴族社会だった。
唐から宋にかけて、貴族が没落した。
日本と異なり、貴族階級は抹殺された。
明あたりは、政治的な中心でない江南が文化の中心となり、町人文化が全盛期を迎えた。
134: 世界@名無史さん 2017/12/03(日) 23:37:02.93 0
よく語られるモンゴル軍の虐殺って絶対盛られてるだろって思ってたけど、中東 中央アジア 東欧ロシア、これらのモンゴルから受けた被害って実際のとこどの程度なの?本当に都市住人全員虐殺とかあったの?
135: 世界@名無史さん 2017/12/04(月) 07:19:48.36 0
ドイツの C. ゲールケの研究によれば、13世紀に存在を確 認できる居住地(集落)のうち、バトゥ軍侵入後ほぼ半分が存在を止めたことが史料的 に推測できるんだってさ
136: 世界@名無史さん 2017/12/04(月) 08:11:19.46 0
>>135はロシアの話ね
137: 世界@名無史さん 2017/12/04(月) 08:18:07.94 0
13世紀の大旅行家イブン・バトゥータは、サマルカンドを訪れて、「かつては世界で最も美しい都だったが、いまは廃墟になっているところが多い」と書き記している。
ティムールが登場するまで、サマルカンドは再建されなかった。
ティムールが登場するまで、サマルカンドは再建されなかった。
139: 世界@名無史さん 2017/12/04(月) 08:26:16.35 0
誇張表現を好まない質実剛健なドイツ人が「死体の山」を意味するワールシュタットを呼称にしたほどだから本物だろう。
ワールシュタットの戦い
1241年、4月9日にモンゴル帝国のヨーロッパ遠征軍と、ポーランド・ドイツ連合軍が激突した戦い
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
ワールシュタットの戦い
1241年、4月9日にモンゴル帝国のヨーロッパ遠征軍と、ポーランド・ドイツ連合軍が激突した戦い
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
148: 世界@名無史さん 2017/12/04(月) 12:38:09.41 0
歴史に残る大量殺戮と略奪は、現代の経済学者が重視する「富の再分配」と同じ効果があった。
151: 世界@名無史さん 2017/12/04(月) 21:46:39.74 0
>>148
人口が増えれば、1人アタマの稼ぎは減る。
人口が減れば、1人アタマの稼ぎは増える。
当然の理屈だな。
人口が増えれば、1人アタマの稼ぎは減る。
人口が減れば、1人アタマの稼ぎは増える。
当然の理屈だな。
162: 世界@名無史さん 2017/12/05(火) 12:26:23.69 0
虐殺なんかしなくても万単位の軍が侵攻して食糧現地調達すれば飢餓が起こって人は死ぬ
170: 世界@名無史さん 2017/12/05(火) 20:13:29.30 0
知識人や文化人を殺すかどうかが分水嶺。
チンギスハンは耶律楚材や長春真人など文化人に対して寛大で好意的に見える。
これがムハンマドであれば、耶律楚材や長春真人に改宗を促すが殺すかしただろう。
無理もない。文化人こそが競争相手なのだから。
これは毛沢東も同じ。自らを思想家であると自認している権力者は、知識人や文化人を皆殺しにする傾向あり。
チンギスハンは耶律楚材や長春真人など文化人に対して寛大で好意的に見える。
これがムハンマドであれば、耶律楚材や長春真人に改宗を促すが殺すかしただろう。
無理もない。文化人こそが競争相手なのだから。
これは毛沢東も同じ。自らを思想家であると自認している権力者は、知識人や文化人を皆殺しにする傾向あり。
174: 世界@名無史さん 2017/12/05(火) 22:03:02.51 0
地の果てまで突き進んでいけるモンゴルの動機ってなんだったのだろうか。
女や酒が欲しいだけなら、わざわざ戦争で死ぬ危険を冒し続ける理由にならない。
チンギス血統の宗教思想って何だったんだろう?
女や酒が欲しいだけなら、わざわざ戦争で死ぬ危険を冒し続ける理由にならない。
チンギス血統の宗教思想って何だったんだろう?
176: 世界@名無史さん 2017/12/05(火) 23:06:04.58 0
>>174
昔は自分の命も軽く思っていたような気がしてる
昔は自分の命も軽く思っていたような気がしてる
177: 世界@名無史さん 2017/12/05(火) 23:20:50.13 0
>>174
テングリ信仰と仏教。
テングリ信仰と仏教。
178: 世界@名無史さん 2017/12/05(火) 23:39:09.08 0
>>177
その時代にはまだ仏教には帰依してない
その時代にはまだ仏教には帰依してない
179: 世界@名無史さん 2017/12/06(水) 01:56:57.24 0
>>174
進出先で吸収した遊牧民勢力がさらに先へ先へと引っ張ってったんだろ
自分達だってせっかくモンゴルウルスに加わったのに、略奪行の恩恵にあずかれないなんてそんなバカな話はない
進出先で吸収した遊牧民勢力がさらに先へ先へと引っ張ってったんだろ
自分達だってせっかくモンゴルウルスに加わったのに、略奪行の恩恵にあずかれないなんてそんなバカな話はない
186: 世界@名無史さん 2017/12/06(水) 18:17:11.59 0
>>179
略奪の権利はモンゴルの部族や早くに帰参した部族、一部の貴種氏族が優先で、新参の平牧民にそんな権利無い
略奪の権利はモンゴルの部族や早くに帰参した部族、一部の貴種氏族が優先で、新参の平牧民にそんな権利無い
205: 世界@名無史さん 2017/12/08(金) 06:34:55.40 0
実際のところ、モンゴル軍が東欧に攻め込んで世界史を激震させたときだって、本当の敵は、東欧のちょっと手前の大平原にいる、他の遊牧集団だった。
そいつらを追っかけてヨーロッパまでやってきたというのが真相に近い。
敵も移動してるから、こちらもそれを追いかけて大移動することになる。
それについては、お互いさま。
「俺は地のハテまで征服するぞ」というようなノリではないな。
そもそも、農耕民と違って土地に対する執着が乏しい。
そいつらを追っかけてヨーロッパまでやってきたというのが真相に近い。
敵も移動してるから、こちらもそれを追いかけて大移動することになる。
それについては、お互いさま。
「俺は地のハテまで征服するぞ」というようなノリではないな。
そもそも、農耕民と違って土地に対する執着が乏しい。
206: 世界@名無史さん 2017/12/08(金) 07:16:51.59 0
>>205
執着するよ。
ただ範囲が広いだけ。
あの峰からこっちの川岸まで、とか、あそこの森の真ん中からこっちの丘までとかいうような感じで、農耕民の田んぼ一枚とかといのはまた違った感覚で、縄張が決まってる。
部族の持ってる大きな範囲の縄張を、宿営や戸主に分割して、それぞれ排他的な利用権を持っている。
草地も水場も林の木も農耕民との交易拠点もどの部族のどの宿営のだれがしの家のもの、というような縄張感覚がしっかりあって、他人が無断で使用できない。草地に境が無いように見えても、そこに勝手に立ち入って羊や馬に勝手に草を食ませることは許されない。
執着するよ。
ただ範囲が広いだけ。
あの峰からこっちの川岸まで、とか、あそこの森の真ん中からこっちの丘までとかいうような感じで、農耕民の田んぼ一枚とかといのはまた違った感覚で、縄張が決まってる。
部族の持ってる大きな範囲の縄張を、宿営や戸主に分割して、それぞれ排他的な利用権を持っている。
草地も水場も林の木も農耕民との交易拠点もどの部族のどの宿営のだれがしの家のもの、というような縄張感覚がしっかりあって、他人が無断で使用できない。草地に境が無いように見えても、そこに勝手に立ち入って羊や馬に勝手に草を食ませることは許されない。
215: 世界@名無史さん 2017/12/08(金) 20:28:04.38 0
>>206
それも、どっちかっていったら、「土地を囲い込む」というより、「敵対勢力を追い出す」という感覚だ。
攻撃目標が、土地じゃなくて人間。
なんといっても、人間のアタマ数が問題だ。
あとは、馬と羊がいればいい。
それも、どっちかっていったら、「土地を囲い込む」というより、「敵対勢力を追い出す」という感覚だ。
攻撃目標が、土地じゃなくて人間。
なんといっても、人間のアタマ数が問題だ。
あとは、馬と羊がいればいい。
207: 世界@名無史さん 2017/12/08(金) 12:46:51.31 0
>>205
「俺は地のハテまで征服するぞ」ってモンゴルがヨーロッパに送った国書に書いてるじゃん
「俺は地のハテまで征服するぞ」ってモンゴルがヨーロッパに送った国書に書いてるじゃん
214: 世界@名無史さん 2017/12/08(金) 20:22:16.67 0
>>207
そりゃ、脅迫なんだから、それくらいは言うだろ。
でも本音じゃ、薄暗くて無数の沼と湖が潜む、北ドイツの湿地帯なんか本気で取りに行ってない。
馬を走らせにくいから。
そりゃ、脅迫なんだから、それくらいは言うだろ。
でも本音じゃ、薄暗くて無数の沼と湖が潜む、北ドイツの湿地帯なんか本気で取りに行ってない。
馬を走らせにくいから。
221: 世界@名無史さん 2017/12/09(土) 11:57:51.90 0
そもそも「遊牧」は人類にとっては新しい生活様式。
古い生活様式と思われがちだが、誕生したのは「農耕」よりも後だ。
古い生活様式と思われがちだが、誕生したのは「農耕」よりも後だ。
225: 世界@名無史さん 2017/12/09(土) 14:32:59.68 0
>>221
けど、時期的には近いよ。
狩猟採集から農耕を経ずに遊牧に移行した文化圏・民族もあるよ。
極圏のサーミ、サモエド、サハは、18世紀~20世紀に、トナカイを追いかけながら捕らえる狩猟生活から、トナカイの群を狼や熊や他の集団の人から防衛しながら自分たちの勢力圏の中を誘導して移動コースを人間がコントールし、頭数や生殖の管理もする形に移行した。
けど、時期的には近いよ。
狩猟採集から農耕を経ずに遊牧に移行した文化圏・民族もあるよ。
極圏のサーミ、サモエド、サハは、18世紀~20世紀に、トナカイを追いかけながら捕らえる狩猟生活から、トナカイの群を狼や熊や他の集団の人から防衛しながら自分たちの勢力圏の中を誘導して移動コースを人間がコントールし、頭数や生殖の管理もする形に移行した。
224: 世界@名無史さん 2017/12/09(土) 14:26:51.59 0
遊牧の遺跡としてはデレイフカ遺跡がおおよそ紀元前3500年とされるが、最近もっと新しいという見解も出てきた。
歴史上ではアッシリアの記録に紀元前9世紀ぐらいからキンメリアが登場している。
歴史上ではアッシリアの記録に紀元前9世紀ぐらいからキンメリアが登場している。
226: 世界@名無史さん 2017/12/09(土) 16:16:16.17 0
まあ、家畜を飼うという歴史は、農耕に勝るとも劣らず長いだろうけどな。
騎馬は新しい。
人類が馬を調教して乗りこなせるようになるまで、ものすごい時間がかかった。
鐙などの馬具が開発されたのは、さらにそのかなり後。
ホメロスの「イーリアス」を読めば、馬に乗る前の人類にとって、「足が速い」というのが重要な特技だったことがよく分かる。
「駿足のアキレウス」が、古代で最強の戦士。
走るのが速いというのが、機動力に直結する時代だった。
騎馬は新しい。
人類が馬を調教して乗りこなせるようになるまで、ものすごい時間がかかった。
鐙などの馬具が開発されたのは、さらにそのかなり後。
ホメロスの「イーリアス」を読めば、馬に乗る前の人類にとって、「足が速い」というのが重要な特技だったことがよく分かる。
「駿足のアキレウス」が、古代で最強の戦士。
走るのが速いというのが、機動力に直結する時代だった。
230: 世界@名無史さん 2017/12/09(土) 16:34:38.79 0
馬って変な動物だよな
人間が家畜化して品種改良するまで小型だった
牛やラクダとか象とかはもっと巨大な種類がいた
人間が家畜化して品種改良するまで小型だった
牛やラクダとか象とかはもっと巨大な種類がいた
235: 世界@名無史さん 2017/12/09(土) 18:40:48.11 0
馬類って、旧世界側にも、東は沿海州から西は大西洋の見えるところまで、南はケープまで、十何種類もいたのに、家畜に順化できたのは、中央アジアの馬と、アフリカロバのアラビア亜種と、たった2種類だけ。
チベットやペルシャのロバも、十種類以上いたアフリカのシマウマも、ついぞ馴化できなかったでよ、アメリカの馬類も馴化しにくい気質だったんじゃないんかね
チベットやペルシャのロバも、十種類以上いたアフリカのシマウマも、ついぞ馴化できなかったでよ、アメリカの馬類も馴化しにくい気質だったんじゃないんかね
236: 世界@名無史さん 2017/12/09(土) 18:51:40.55 0
馬は見かけのわりに繊細で臆病だからね。
最初に家畜化できたのはポニーのような馬。
モンゴル軍はポニーのような小さな馬に乗って攻めてきた。これが史実。
最初に家畜化できたのはポニーのような馬。
モンゴル軍はポニーのような小さな馬に乗って攻めてきた。これが史実。
237: 世界@名無史さん 2017/12/09(土) 19:03:16.54 0
これまた、歴史の謎なんだよな。
今のサラブレッドなどとは違って、昔の馬は小さかった。
日本でさえ、「無敵の武田騎馬軍団なんて、後世の作り話なんじゃないか?」と疑われるくらい昔の馬はしょぼい。
モンゴル騎馬軍団に至っては、どうやってユーラシア大陸を大移動できたのかが謎に満ちている。
今のサラブレッドなどとは違って、昔の馬は小さかった。
日本でさえ、「無敵の武田騎馬軍団なんて、後世の作り話なんじゃないか?」と疑われるくらい昔の馬はしょぼい。
モンゴル騎馬軍団に至っては、どうやってユーラシア大陸を大移動できたのかが謎に満ちている。
240: 世界@名無史さん 2017/12/09(土) 19:12:17.77 0
デカけりゃデカいほど強いとか昭和のロボットアニメじゃないんだから
足が長いのと短いのではどっちらが重心の動揺が大きく騎乗するのが難しいか考えたらわかるだろうに
足が長いのと短いのではどっちらが重心の動揺が大きく騎乗するのが難しいか考えたらわかるだろうに
243: 世界@名無史さん 2017/12/09(土) 20:26:38.06 0
集史の絵は、原付や小型バイクに乗っているような印象さえ与える。
集史に描かれたイル・ハンの馬上姿を、もっと勇壮に描こうと思えば描けただろう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%82%B0%E3%81%AE%E8%A5%BF%E5%BE%81#/media/File:H%C3%BCleg%C3%BC_et_son_arm%C3%A9e.jpeg
集史に描かれたイル・ハンの馬上姿を、もっと勇壮に描こうと思えば描けただろう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%82%B0%E3%81%AE%E8%A5%BF%E5%BE%81#/media/File:H%C3%BCleg%C3%BC_et_son_arm%C3%A9e.jpeg
244: 世界@名無史さん 2017/12/09(土) 20:52:39.19 0
モウコノウマ(蒙古馬)
モンゴル(蒙古)原産、体高は130cm内外。軍馬、遊牧用。
日本在来馬や済州島馬など多くの東アジアの馬の起源。
シマウマ以外で野生群が残る唯一の馬種。
木曽馬
日本原産、体高は130cm強。元は軍馬、農業用として使われていたが、現在は乗馬に使われる。
モンゴル(蒙古)原産、体高は130cm内外。軍馬、遊牧用。
日本在来馬や済州島馬など多くの東アジアの馬の起源。
シマウマ以外で野生群が残る唯一の馬種。
木曽馬
日本原産、体高は130cm強。元は軍馬、農業用として使われていたが、現在は乗馬に使われる。
245: 世界@名無史さん 2017/12/09(土) 20:54:52.23 0
サラブレッド
体高(肩までの高さ)は160-170cmほど、体重は450~500kgが標準的。
頭は小さく、四肢は長く、胸や臀部の筋肉は発達しており、速く走ることに向いている。
だが、ケガをしやすく、物音や閃光に弱いなど、肉体的・精神的にデリケートである。
体高(肩までの高さ)は160-170cmほど、体重は450~500kgが標準的。
頭は小さく、四肢は長く、胸や臀部の筋肉は発達しており、速く走ることに向いている。
だが、ケガをしやすく、物音や閃光に弱いなど、肉体的・精神的にデリケートである。
247: 世界@名無史さん 2017/12/09(土) 21:01:43.84 0
大型馬は飼料を馬鹿食いし、しかも長距離行軍に耐えられず、何日も飲まず食わずで動ける小型のモンゴル馬の方が実戦的だった。
引用元: ・モンゴル帝国画期論